⇒ドキュメント回廊

☆終戦から80年、戦没者310万人の死を悼む

☆終戦から80年、戦没者310万人の死を悼む

きょう15日は先の大戦の終戦から80年となる。政府主催の全国戦没者追悼式が行われ、戦死した軍人と関係者、空襲や広島・長崎の原爆投下、沖縄戦で亡くなった310万人を悼み、正午の時報に合わせて黙祷が捧げられた=写真・上はNHK中継番組より=。  

100回以上の空襲で10万人余りの民間人が犠牲となった東京大空襲をはじめ、終戦までに200以上の都市が空襲を受けたとされる。北陸では福井市や富山市などで空襲があったものの、金沢ではなかった。かつて、終戦のこの頃になると、ではなぜ金沢は空襲を免れたのかと友人たちと激論を交わしたこともある。このブログの2015年7月31日付「『金沢空襲』計画」で新たな情報を含めまとめたことがある。以下、再録。

金沢に住んでいる者の根拠のない共通の理解として、金沢は京都と同じく文化財的な街並みや寺院が多く、空襲の対象にはならなかったという認識を共有している。その証拠の一つとして、金沢市郊外の湯涌温泉にかつてあった「白雲楼ホテル」は戦後、GHQ(連合軍総司令部)のリゾートホテルとして接収され、マッカーサー元帥らアメリカ軍将兵が訪れていた、といわれる。

1945年7月にアメリカ軍による「金沢空襲」が計画されていた、というスクープ記事が出たのは2015年7月26日付の北陸中日新聞だった=写真・下=。以下、記事を引用。アメリカ軍が金沢市を攻撃目標とする空襲計画を立てていたことが分かったのは、アメリカ軍資料を収集する徳山高専元教授の工藤洋三氏(当時65)=山口県周南市=が分析した。金沢空襲の計画書は1945年7月20日付で作成され、同年8月1日夜に甚大な被害が出た富山大空襲の計画書が作られたのと同じ日だったという。

金沢空襲の計画書によると、攻撃目標は北緯36.34度、東経136.40度。現在の座標とは数100㍍の差異があるものの、旧日本軍の司令部があった金沢城付近を狙ったとみられる。高度4500㍍ほどから爆弾を投下し、70分以内で攻撃を完了する計画だった。その金沢への爆撃ルート。攻撃隊はまずグアム島の基地から出撃。硫黄島や現在の静岡県御前崎市上空を通過し、富山県黒部市付近で進路を北西に変える。石川県能登半島の穴水町あたりを周回し、金沢に向かって南下。空襲後は再び、御前崎市や硫黄島の上空を通って帰還するルート想定だった、という。

実際に8月1日、B29の爆撃編隊は金沢の上空に来たものの、通り過ぎて、富山市に1万2000発余りの焼夷弾を投下した。11万人が焼け出され、2700人余りの死者が出た。なぜ、金沢空襲の計画は実行されなかったのか。

富山市には発電所を基盤とした重工業の工場が立地していた。当時の金沢は陸軍第九師団が置かれていたものの、産業といえば繊維が主だった。しかも、九師団の兵は台湾などに赴いていた。記事をもとに考察すれば、空襲の計画はされたものの、金沢は軍事的な価値では優先度が低かったのではないか。そして、このころからアメリカ軍は「無差別攻撃」が主流となり、富山の場合でも重工業の工場が標的になっただけではなく、全市が対象となった。その後、無差別攻撃は一気にエスカレートし、8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下された。

終戦がもう少し後にずれ込んでいたら、金沢も無差別攻撃に晒されていたのかもしれない。

⇒15日(金)午後・金沢の天気  くもり時々はれ

☆能登で激しい雨、4市町で2万6千人に避難指示 災害ごみ山積み

☆能登で激しい雨、4市町で2万6千人に避難指示 災害ごみ山積み

停滞する前線の影響で石川県内は大気の状態が不安定となっていて、とくに能登ではきょうも時折、激しい雨が続いている。このため輪島市は大雨で土砂災害が発生する危険性が高まっているとして午後3時までに9地区の4974世帯9778人に避難指示を出した。珠洲市も午後3時に市内全域にあたる5669世帯1万786人に、穴水町は2地区の2563世帯5347人に、能登町は2地区の78世帯174人に避難指示を出した。

また、石川県と金沢地方気象台は土砂災害の危険性が高まっているとして、輪島市、珠洲市、七尾市、穴水町、能登町、志賀町に土砂災害警戒情報を発表している。降り始めから10日夕方までの雨量は珠洲市で114.5㍉、輪島市三井で112.5㍉、同市門前で97.5㍉となどなっている。あす11日夕方までの24時間に降る雨の量は、いずれも多い所で加賀と能登ともに100㍉と予想されている。さらに12日にかけては能登を中心に警報級の大雨となる可能性があるとしている。(※図は、日本気象協会「tenki.jp」公式サイト「石川県の雨雲レーダー」)

7日に線状降水帯が発生し、金沢市は12時間の雨量が331.5㍉と記録的な大雨となった。なかでも冠水被害に見舞われたのが同市大浦地区だった。メディア各社の報道では、地区の道路は数10㌢の高さまで水に浸かり、住民は近くの小学校に避難していた。避難指示が解除されたのは8日午前6時半だった。きょう現地に行くと、水に漬かった家具の運び出しや泥の撤去作業が行われていた。

大浦地区近くの「こなん水辺公園」が災害ごみの仮置き場になっていて、使えなくなった家電製品などが次々と持ち込まれていた=写真=。受付にいた市の担当者に尋ねると、持ち込むことができるのは、木でできた製品や金属、家電、畳などで、ガスボンベや灯油などは対象外とのことだった。仮置き場は今月24日まで設けられ、午前8時半から午後4時まで無料で受け入れている。

また、こなん水辺公園の近くには金沢競馬場がある。豪雨で馬の厩舎など敷地内が水に浸かり、競走馬の一部は別の場所に避難していて、このためレースはしばらく中止のようだ。記録的な大雨の影響はいろいろなところで出ている。

⇒10日(日)夜・金沢の天気  あめ

☆3年前の「8月4日」 線状降水帯の豪雨で「美しき川」が暴れ川に

☆3年前の「8月4日」 線状降水帯の豪雨で「美しき川」が暴れ川に

きょう「8月4日」は線状降水帯の怖さを初めて思い知った日でもある。3年前のことだ。以下、2022年8月4日付のブログを再録する。この日の石川県内は、1時間に100㍉の猛烈な雨に見舞われ、気象庁は記録的短時間大雨情報を発表した。金沢地方気象台は、日本海にある前線に向かってあたたかく湿った空気が流れ込み、県内では大気の状態が非常に不安定と注意を呼びかけていた。

とくに金沢市や加賀地方が集中豪雨に見舞われ、小松市の平野部や白山市白峰では、午前10時半までの1時間で100㍉が降り、白山市河内では午後3時までの24時間に降った雨は385㍉となった。このため気象庁は、金沢市と小松市、白山市、能美市など6つの市に土砂災害の危険性が高まっているとして土砂災害警戒情報を発表した。

国土交通省金沢河川国道事務所は、小松市を流れる梯(かけはし)川について、堤防より水位が上がり氾濫が発生したとして、午後2時30分に氾濫発生情報を出した。また、白山市を流れる手取川についても、警戒レベルが最も高いレベル5の「緊急安全確保」を同市の9572世帯を対象に出した。そして、警戒レベル4の避難指示を小松市全域の4万4767世帯、金沢市の8万5759世帯などに出した。

この日の夕方、金沢市内の中心部を流れる犀川に架かる下菊橋の近くを通ると、濁流が波打ち、暴れ川のようになっていた=写真=。金沢出身の詩人で小説家の室生犀星が「美しき川は流れたり」と讃えた犀川だ。撮影時、市内では雨は止んでいたが、山間部はぶ厚い雨雲に覆われていた。

この日、石川県の馳知事は国立公園に指定されて60年を迎えた白山をPRするため、前日の3日から白山を登山していた。4日朝、馳氏は職員ともに山小屋を出て下山し、3時間後の正午すぎに登山道の入り口に到着した。しかし、豪雨のために一本道の県道・白山公園線が通行止めになった影響で移動できず、登山道の入り口で足止め状態になった。

金沢地方気象台は翌5日午後6時までに降る雨量は金沢・加賀地方で200㍉、能登地方で150㍉と予想され、引き続き土砂災害や川の増水に警戒するよう呼びかけていた。

金沢・加賀地方を襲った線状降水帯。さらに2年後の2024年9月には能登に「記録的な大雨」をもたらした。元日の震災からの復旧・復興の途上にあった輪島市などが9月21日、22日の48時間で498㍉の豪雨に見舞われた。震災と併せて2重災害となった。

以上のブログを書き終えてテレビを視ると、きょう小松市では午後1時半すぎに全国で最も暑い40.3度を観測したとニュースが流れていた。気温40度以上を「酷暑日」と言うそうだ。初めて知った。酷暑日が普通にニュースで流れる、そんな日常がやって来たのだろうか。

⇒4日(月)午後・金沢の天気  はれ

★「石川の水がめ」手取川ダムの貯水率さらに低下 ハイテク産業への影響は・・

★「石川の水がめ」手取川ダムの貯水率さらに低下 ハイテク産業への影響は・・

金沢市ではきょう(3日)も35度の猛暑との予報が出ていて、気象庁と環境省は石川県内に16日連続となる熱中症警戒アラートを発表した。ここまでくると気になるのが水不足だ。県内の人口の7割の水道をまかなっている「石川の水がめ」とも称される手取川ダムの貯水率は、以前ブログ(7月26日付)で述べた時点では48.5%だった。きょう午前ではさらに減って37.8%となっている(「石川県防災ポータル」より)。

先月25日に手取川ダムを訪れた際にダム上流の白山市白峰に行くと、河川は半ば干上がった状態のようにも見え=写真・上=、県民の一人として実に心細く感じた。なにしろ7月は雨が降らなかった。気象庁は、新潟を含む北陸地方の7月の降水量は平年の8%で、統計を開始した1946年以降の7月で最も少なかったとの速報値を発表している(今月1日)。まさに記録的な少雨だった。

では、今後の予報はどうか。8月前半は北陸地方などで曇りや雨の日が多くなり、平年並みかそれ以上の降水が予想されるものの、これまでの少雨を解消するほどの降水量にはならない可能性があるとの見方もある。

以下はあくまでも憶測だが、先端産業の関係者もこの少雨を案じているのではないだろうか。手取川の流域には、加賀東芝エレクトロニクスや金沢村田製作所、JDIといった半導体などを製造する大小含め50の先端企業が集積している=写真・下、いしかわサイエンスパークへの案内看板=。白山のふもとには地上に流れる手取川だけではなく、膨大な地下水がある。ハイテク企業の生産工場ではその地下水をくみ上げて、半導体の基板となるシリコンウエハーやプリント基板、液晶関連部品の洗浄に使っている。こうした洗浄水は不純物や酸性度、アルカリ度などが高くない、純水、真水に近いことが求められていて、白山の伏流水はまさに真水に近いのだ。

そして、洗った洗浄液は汚染に配慮しながら薄めて手取川に流すという作業を行っている。豊富な地下水と大きな川があるという立地が先端産業を支えている。今後、少雨が続けば飲み水や農業だけでなくハイテク産業に影響を及ぼすのではないか。

⇒3日(日)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

☆震源から何千㌔離れていても津波は来る 教訓生かす能登尖端の地

☆震源から何千㌔離れていても津波は来る 教訓生かす能登尖端の地

ロシアのカムチャツカ半島付近できのう(30日)発生したマグニチュード8.7の巨大地震で、太平洋沿岸部に津波の影響が広くおよんだ。震源から1500㌔離れた日本では津波警報が発令された=図、気象庁公式サイトから=。警報を受け、北海道、東北など沿岸部の21都道県229市町村が約200万人に避難指示を出すなど対応に追われた。津波はきのう夕方までに22都道府県の沿岸部に到達し、岩手県宮古市では1.3㍍が観測された。また、アメリカのハワイ州で1.7㍍の津波が観測された(メディア各社の報道)。

今回のM8.7の地震規模は1900年以降に世界で発生した地震の中で8番目に大きいとされる。日本列島から遠い海外の地震に伴って津波警報が発令されるのは、2010年2月27日にチリで発生したM8.8の地震以来15年ぶりとなる(同)。

話は逸れる。自身の体験談だが、津波で危ない思いをしたことがある。1983年5月26日正午ごろ、秋田沖を震源とする日本海中部沖地震が起きた。当時、新聞記者で輪島支局員だった。輪島は震度3だったが、津波がその後に押し寄せた。高さ数㍍の波が海上を滑って走るように向かってくる。輪島漁港の湾内に大きな渦が出来て、漁船同士が衝突し沈没しかかっている船から乗組員を助け上げているを見て、現場へ走り、数回シャッターを切ってすぐ高台に避難した。大波が間近に見えていた。あの時、取材に欲を出してさらにシャッターを切っていたら、津波に足をすくわれていたかもしれない。乗組員の2人は無事だった。(※写真・上は、日本海中部沖地震で津波が輪島漁港に襲来したことを記載した紙面)

もう一つ。体験ではないが、津波への警戒を共有している地域がある。能登半島の尖端に位置する珠洲市の三崎地区。海岸沿いの道路を車で走ると、「想定津波高」という電柱看板が目に入る。中には「想定津波高 20.0m以上」もある=写真・下=。同市では2018年1月に「津波ハザードマップ」を改訂した際にリスクがある地域への周知の意味を込めて電柱看板で表記した。石川県庁がまとめた『石川県災異誌』(1993年版)によると、1833年12月7日に新潟沖を震源とする大きな津波があり、珠洲などで流出家屋が345戸あり、死者は約100人に上ったとされる。1964年の新潟地震や1983年の日本海中部沖地震、1993年の北海道南西沖地震などでも珠洲に津波が押し寄せている。

半島の尖端という立地では、震源地が遠く離れていたとしても常に津波を警戒する心構えが必要なのだろう。「想定津波高」の電柱看板からそんなことを学んだ。

⇒31日(木)午後・金沢の天気  はれ

☆「10年に一度」の猛暑まだまだ続く 「水がめ」や水田は大丈夫か 

☆「10年に一度」の猛暑まだまだ続く 「水がめ」や水田は大丈夫か 

猛暑日がきょう26日も石川県内に続くとして気象庁と環境省は8日連続となる「熱中症警戒アラート」を発表した(25日付)。さらに、気象庁は北陸などに高温に関する早期天候情報を発表した(24日付)。今月30日ごろからこの時期としては10年に一度程度しか起きないような著しい高温になる可能性があるとしている=予想図、気象庁公式サイトより=。このところ、気象庁は「10年に一度」を繰り返し述べているが、もう異常な暑さは日常になってきたのではないだろうか。それにしても、亜熱帯のような気候が続き、水不足にならないか、野菜やコメは育つのかと案じてしまう。

きのう午後、石川県内の河川でもっとも大きな手取川を巡った。白山(標高2702㍍)を源流とする手取川は加賀平野を流れ、日本海に注ぎこむ。手取峡谷にある落差32㍍のダイナミックな綿ヶ滝は見る人を圧倒する。さらに下流では、人々が手取川の水の流れと扇状地を加賀の穀倉地帯につくり上げた。2023年5月、ユネスコが定める世界ジオパークに白山と手取川の地質遺産や景観が認定された。

その手取川の上流にあるダムは、高さ153㍍の日本でも最大級のロックフィルダムとして知られる。手取川ダムの水は金沢市を中心として、北は七尾市能登島から南は加賀市まで供給されていて、県内の人口の7割をまかなっている。まさに「石川の水がめ」と言える。今回ダムを見渡して気になったのは、岩肌の一部が露出するなど貯水量が少ないように見えたことだ=写真、25日午後3時50分ごろ撮影=。ネットで調べてみると、きょう午前8時時点での貯水率は48.5%だ。雨が降らなければさらに貯水率は下がる。

2年前の2023年夏の渇水期のこと。北陸では7月下旬から高気圧に覆われて晴れの日が続き、ほとんどの地域で雨の量が平年の3割以下にとどまった。このため手取川ダムの貯水率は9月15日には18%にまで落ち込み、ダムが完成した1980年以降で最低を記録した。そして、全国的にコメが不作となり、2023年産米の供給が40万㌧足りなくなったことから、「令和のコメ騒動」などと騒ぎになった。

環境省公式サイトの「仮想水計算機」(バーチャルウォーター量自動計算)によると、コメ1合(約150㌘)分を収穫するには555㍑の水、そして茶碗1杯分のご飯を炊くまでには277㍑の水が必要とされる。猛暑が続けば、水不足が稲作の収穫量や品質に影響を及ぼす。「令和の米騒動」が再び起きないためにどのような対策を国や自治体は取るのか。手取川ダムの湖面を眺めながらそんなことを思った。

⇒26日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆AⅠが能登の現場に 交通誘導を仕切る、「言葉の壁」を超える 

☆AⅠが能登の現場に 交通誘導を仕切る、「言葉の壁」を超える 

去年元日に能登半島地震があり、それを機に金沢から能登を頻繁に往復している。被災地がどうなっているのか、その後どうなったのか気になるからだ。そのときに利用するのが自動車専用道路「のと里山海道」。先日、その道路を走行すると横田IC付近で看板が出ていた。「この先 AⅠ誘導中」と書いてある=写真・上=。さらに、看板の上の方をよく見ると、「AⅠ交通システム」とある。ここはこれまで警備員のおじさんたちが数人で仕切っていた。それがいつの間にか、AⅠが仕切っていた。

看板の先は片側交互通行の道路になっていて、設置されたディスプレイの画面が「STOP」と「GO」のサインを出している=写真・下=。カメラで画像解析を行い、車の通過状況をAⅠが解析しているのだろう。車は表示された指示に従い、スムーズに流れていた。

能登では、AⅠをインバウンド観光で駆使している事例もある。半島北部の能登町にある民宿が並ぶ「春蘭の里」。インバウンド観光のツアーや体験型の旅行の受け入れを積極的に行っている。47軒の民宿経営の人たちが自動通訳機「ポケトーク」を使いこなして対応している。

春蘭の里の代表から聞いた話だ。「ポケトークだと会話の8割が理解できる。すごいツールだよ」と。ポケトークは74の言語に対応していて、春蘭の里は通訳機を使うようになって年間20ヵ国・2000人余りを受け入れるようになった。70歳や80歳のシニアの民宿経営者たちがポケトークを使いながらインバウンド観光の人たちと笑顔でコミュニケーションを取っている姿はAⅠの進化、まさに「文明の利器」を感じさせる。そして、困難と言われ続けていた「言葉の壁」をしなやかに乗り越えた事例だ。

さらに多様な役目をこなすAⅠが現れるだろう。たとえば、会議を仕切るAⅠだ。会議で出た話を分析してまとめを行い、次の議事進行へと淡々と進める。そんな時代が間もなくやって来るのかもしれない。

⇒23日(水)夜・金沢の天気  はれ

☆北陸は梅雨明け、いきなり38度の酷暑、ハスの花に心和む

☆北陸は梅雨明け、いきなり38度の酷暑、ハスの花に心和む

本格的な夏がやって来た。気象庁はきょう北陸が梅雨明けしたとみられると発表した。ことしの梅雨明けは平年(7月23日)に比べて5日早く、去年(7月31日)に比べて13日早い。金沢地方気象台によると、北陸は太平洋高気圧に覆われておおむね晴れるものの、向こう一週間は山沿いや山地を中心ににわか雨や雷雨となる所もあるようだ。金沢の自宅近くにある大乗寺丘陵公園に行く。頂上部からは市街地や日本海を見渡すことができる。梅雨明けの金沢の上空を眺めると薄雲がところどころで広がっていた=写真・上、午前11時半ごろ撮影=。

それにしても暑い。うだる暑さだ。自宅近くにある街路の温度計で38度となっている=写真・中、午後3時すぎに撮影=。この暑さはこれでは済まないようだ。気象庁は今月14日、九州南部や沖縄地方を除く日本の広い範囲に「高温に関する早期天候情報」を発表した。今月20日ごろから、この時期としては10年に一度程度しか起きないような著しい高温になる可能性があるとしている。

この暑さの中、JR金沢駅の駅西広場では水辺に夏の花、ハスが咲き誇っている=写真・下=。淡い桃色の花は人の気持ちを和ませるだけでなく、心にしみこんでくるような存在感がある。「蓮(はす)は泥より出でて泥に染まらず」という教訓めいた言葉もある。水面下はドロ沼ではあるが、清らかで美しく咲く姿に、いにしえより人々は自らの人生を重ねてきたのだろう。

俳人の高浜虚子はこんな句をひねっている。 「黎明の雨はらはらと蓮の花」。明け方に雨が降り、蓮の池からパラパラと葉を打つ音がした。蓮を見ると花が咲いていた。花を見に来いと蓮が伝えてくれたのだろう。泥中の蓮の奥深い魅力ではある。

⇒18日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆金沢は「新盆」入り、「札キリコ」を吊るす墓参の風景

☆金沢は「新盆」入り、「札キリコ」を吊るす墓参の風景

金沢ではきょうから新盆に入った。15日ごろにかけて墓参が行われる。金沢の墓参りには特徴があって、盆花を供えて札キリコを吊るす。札キリコは親戚や恩人が入る墓に持参するもので、墓前に設置してある棒や紐に吊るす=写真=。この板キリコの表面には、浄土真宗の家の墓ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏面の「進上」には墓参した人の名前を記す。この札キリコによって、その墓の持ち主は誰が墓参に来てくれたのかということが分かる仕組みになっている。いわゆる墓参者の名刺代わりのようなものだ。

自身も4日前に墓掃除を行い、きょう午前中に墓参りを済ませた。それにしても、同じ石川県で新盆は金沢だけの慣習のようだ。細長い石川県の北側の能登、そして南側の加賀は旧盆の8月15日ごろに墓参りを行い、金沢だけが7月15日ごろの新盆の墓参りだ。ネットで検索すると、新盆は東京、函館、そして金沢などわずかな地域で、ほかは旧盆が主流のようだ。

では、なぜバラバラなんだろ。これもネットでの検索調べだが、それは旧暦と新暦の違いに由来するようだ。明治6年(1873)まで、日本では旧暦が使われており、旧暦の上でのお盆は7月15日だった。新暦に切り替わると、旧暦の7月15日を新暦にそのまま当てはめ、この日を「新盆」とするようになった。しかし、7月15日をお盆の日にすることでこれまでの季節感が異なることなどから、ちょうど1ヵ月遅らせることで本来のお盆に近い日にち、8月15日をお盆の日とすることが一般的になった。旧暦に倣おうということで、この日を「旧盆」と呼ぶようになったようだ(※金沢の「丸果石川中央青果」公式サイトから引用)。

話は逸れる。きょうお参りをした墓地の一角にトラ縄が張られていた。墓石のいくつかが倒れ掛かっている。去年元日の能登半島地震で金沢市寺町台のこの辺りの揺れは震度5弱だった。墓石のほかに、灯ろうや石垣が崩れている寺院や神社などもある。金沢城の石垣の修復もまだ半ばのようだ。震災から2度目の新盆を迎えた金沢の現状ではある。

⇒12日(土)夜・金沢の天気   はれ

★能登半島地震の仮設住宅団地をめぐる「期日前投票バス」のこと

★能登半島地震の仮設住宅団地をめぐる「期日前投票バス」のこと

きょう気象庁と環境省から石川県に「熱中症警戒アラート」が発表された。今月4日以来2度目。「梅雨明け宣言」もないまま、熱中症警戒アラートだけが先行している。日中の最高気温は金沢市で33度、輪島市で31度と平年を5度前後上回る厳しい暑さだった。

この暑さの中、参院選の有権者は期日前投票に足を運んでいる。去年元日の能登半島地震で仮設住宅が点在する志賀町富来では、バスを使った移動式の投票所が初めて導入されたと地元メディアで報道されていたので、きょう現地へ見に行ってきた。

志賀町では北鉄能登バス(七尾市)の路線バス車両を借りて、バスの車両中央部に投票用紙の記載場所と投票箱を備え、立会人は後方の座席から見守るという配置にしている。午前11時ごろに現地に着くと、仮設住宅「とぎ第4団地」(76世帯)のすぐ近くにバスが停まっていた。有権者が次々と訪れ、バスの入り口で受付を済ませ、バスに乗り込んで投票していた=写真=。同町選管の「移動期日前投票所のお知らせ」のポスターによると、きょうはこの後、13時からと15時から2ヵ所の仮設住宅団地を回る。あさって10日も3ヵ所を予定している。

バスの期日前投票所はきのう(7日)から始まっていて、近くに投票所がない8つの仮設住宅団地を中心に回るほか、若者に投票を呼びかけるために地元の公立高校でもお昼の時間にバスが停まった。バスの滞在は1時間から1時間30分と限られているものの、「動く投票場」は注目されたに違いない。

能登では志賀町のほか、珠洲市でもきのうからバスの期日前投票所が12ヵ所で開設されている。去年10月の衆院選では、近くに投票所がない仮設住宅団地が多いことや、車を持っていない高齢者が団地に多くいることなどが浮き彫りとなったため、今回参院選で「期日前投票バス」の導入に踏み込んだようだ。さらに行政側には投票率の向上につなげたいとの思いもあるのだろう。震災と選挙を考えるよい事例の一つかもしれない。

⇒8日(火)夜・金沢の天気   くもり後あめ