⇒ドキュメント回廊

★能登半島地震 大学が背負う復興という新たな社会貢献

★能登半島地震 大学が背負う復興という新たな社会貢献

  金沢大学は2007年に社会人の人材育成事業「能登里山マイスター養成プログラム」を始め、現在も「能登里山里海SDGsマイスタープログム」として奥能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)などと連携しながら事業を継続している。大学の社会貢献の一環として評価を受けている。

  講義(毎年6月-翌年2月)は月2回だが、加えて受講生がそれぞれ独自のテーマを設定し「卒業課題研究」を行う。教員スタッフの担任指導を受けながらプランや途中経過を報告し、さらに専門家から客観的な見直しや新たな着想を得て卒論発表に臨むことになる。厳しい審査を経て合格すれば、3月の修了式で金沢大学長名の「能登里山里海SDGsマイスター(実践探求型、知識習得型)」の称号が学長から手渡しで授与される。

  その修了式がきょう2日、能登半島の尖端、珠洲市にある金沢大学能登学舎であった。自身もかつてこのプログラムに関わっており、オンラインでその様子を見ていた。能登半島地震があった後の修了式でどのような雰囲気なのか注目した。地震の影響での道路事情、そしてきょうは降雪があり、和田学長は現地に赴かずにオンラインでの参加だった。このため、学長からの手渡しの授与もオンライン上で形式的に行われた。

  続く学長式辞の中で、地震からの復旧と復興に向けて教育研究機関として協力していくため、学内に「能登里山里海未来創造センター」を新設し、地域行政や自治体、企業と連携し、文理医融合で被災地の生活や生業の再建などについて提言、そして支援をしていきたいと述べた。

  これを受けて、大学と連携する4市町を代表して珠洲市の泉谷寿裕市長は、地震で大きな建物被害を受けたが、人材育成事業のマイスタープログラムは壊れてはいない。マイスター修了生のみなさんが能登の復興向けたチカラになることを確信している、新しい能登の未来を切り拓いてほしいと期待を寄せた。

   金沢大学が能登で人材育成事業を始めたのは、冒頭で述べたように、平成19年(2007)に学校教育法が改正され、大学にはそれまでの「教育」「研究」に加え、「社会貢献」という新たな使命が付加されたという背景がある。2007年当時は、過疎高齢化が進む能登で地域資源の里山や里海の活用を通じて、地域活性化を担う人材を育成するというコンセプトだった。現在まで241人のマイスター修了生を地域人材として輩出し、泉谷市長が祝辞で「能登の復興向けたチカラ」と述べたように、期待も大きい。(※写真は、能登里山マイスター養成プログラムの開講セレモニー=2007年10月6日)

   そして能登半島地震では、金沢大学は能登里山里海未来創造センターを新設。すでに、医療施設や避難所への支援活動、地震発生メカニズムや建物、津波、地盤被害の調査の公表、さらに奥能登から金沢市などに避難した中高生への学習支援などを行っている。これからは地域行政や経済界などと連携した震災復興や地域活性化の具体的な事業に取り組むことになるのだろう。いよいよ社会貢献の本丸を背負ったと言える。

⇒2日(土)夜・金沢の天気    くもり

☆能登半島地震 紛らわしい「携帯トイレ」って何だ

☆能登半島地震 紛らわしい「携帯トイレ」って何だ

  ライフラインは水道と電気が復旧すればなんとかなると思いがちだが、現実はそうではない。前回のブログで、被災地で水道が復旧したとしても厄介な問題が出ていて、それが下水管の破損と述べた。能登半島の尖端にある珠洲市では下水管の94%に被害が出ていて、市は「トイレに水を流さないでほしい」「仮設トイレを使って」と呼びかけている。

  岸田総理はきょう1日、政府の能登半島地震の復旧・復興支援本部の会合で、上下水道を「住民生活に極めて重要」と強調し、復旧費用への財政支援を大幅に拡充する方針を示した。これと連動して、政府は被災地の復旧・復興に充てるため、予備費などから1167億円を追加すると閣議決定した(1日付・北國新聞夕刊)。上下水道問題、つまり水洗トイレ問題が大変なことになっている。

  先日、珠洲市で被災して避難所にいる知人から、「珠洲に来るなら携帯トイレは必携」とのアドバイスをもらった。このとき初めて「携帯トイレ」という言葉を知った。日本人は水洗トイレが当たり前だと思っているが、冒頭で述べたように通水が可能になっても、下水管が機能不全ならば水洗トイレは使えない。

  そこで、金沢市内で買い求めることにした。ドラッグストアで店員に「携帯トイレはありますか」と尋ねると、「それはホームセンターにありますよ」とのことだった。そこでホームセンターに行き、「携帯トイレはどのコーナーにありますか」と店員に尋ねると、「念のため、携帯トイレはポータブルトイレのことではないですよね」と問い返してきた。2つの違いがよく分からず、「どう違うんですか」とこちらが混乱した次第。そこで、能登半島地震の被災地に行く予定ですが、トイレの下水管に被害があって水を流せないなどと説明した。

  すると店員は「それだったら、おそらくこれですね」と防災用品が並ぶコーナーに案内してくれた。そこにあったのは、「災害非常時・断水時の携帯トイレ」「袋と凝固シートが一体化 防臭・抗菌効果 ラクラク処理」と書かれた袋に入ったものだった。「便袋20枚」とある。説明書きには、洋式トイレ(便器)の便座を便袋で包むようにかぶせて用を足す=写真=。その後、便袋を便器から取り出して中の空気を抜いて口の部分を紐で結ぶ。袋の底には抗菌・消臭の凝固剤のシートが貼り付けてあり、においや尿だまりがしない、とのこと。便袋20枚で価格は2680円(税抜き)、1枚134円だ。

  次に、ポータブルトイレのコーナーにも案内してもらった。プラスティック製の折りたたみ式の洋式トイレだった。コンパクトに収納ができ、防災備蓄としては必要不可欠とある。このポータブルトイレと便袋を自家用車に積んでいれば、いつでもどこでも用が足せる。珠洲の知人に電話で確認すると、「公衆トイレは普及していて、下水管が壊れていて水で便を流せないので、便袋だけでよい。携帯トイレは便袋のことだよ」との返事だった。

  確かにそうだ。でもそれだったら、最初から「便袋」と言って説明してくれればよかったのにと思った次第。言葉の紛らわしさでもある。知人を責めるつもりは一切ない。

⇒1日(金)金沢の天気    くもり時々あめ

★能登半島地震 進む仮設住宅の設置、4600戸に増加へ

★能登半島地震 進む仮設住宅の設置、4600戸に増加へ

   仮設住宅が各地で造られている。被害が大きかった輪島市、珠洲市、能登町、穴水町、七尾市、羽咋市、志賀町、そして液状化現象に見舞われた内灘町の7市町で合計3500戸が着工している。さらに、3月末までに着工戸数を4600戸に増やすと、石川県議会本会議(今月27日)で馳知事が説明した。県が契約した民間アパートなどの「みなし仮設住宅」が2000戸、そして公営住宅700戸への入居も本格化している。ただ、仮設住宅の入居申請はすでに8000戸余りあり、さらなる居住先の確保が課題となっている。(※写真は志賀町富来で設置されている仮設住宅)

  一方で、県内外の旅館やホテルで2次避難している被災者を対象にした意向調査(2月10-24日)で1838世帯(4234人)から回答があり、結果を県が公表した。それによると、自宅が損傷していて戻れないとの回答は1838世帯、67%に上った。このうち仮設住宅への入居を希望するは818世帯で、みなし仮設・公営住宅を求めたのは608世帯だった。仮設住宅とみなし仮設の双方を希望する世帯もあった。修繕すれば自宅に住むことが可能としたは610世帯。その一方で、回答者の半数にあたる955世帯が2次避難の継続を希望している。道路などのインフラ復旧や自宅修繕までに一定の時間を要することから、しばらく現状のままで居たいということなのだろうか。

  そして、自宅に戻りたくても戻れない理由の一つが断水だ。県のまとめ(今月28日現在)によると、輪島市で6640戸、珠洲市で4650戸、七尾市で4100戸、能登町で2910戸など7市町の1万9000戸で断水が続いている。さらに、水道が復旧したとしても厄介な問題も出ている。珠洲市では、下水管の94%に被害出ていて、市は「トイレに水を流さないでほしい」「仮設トイレを使って」と呼びかけている。同市では下水管の点検を急いでいるが、修復工事が伴うだけになかなか進まないのが現状のようだ。

⇒29日(木)夜・金沢の天気    あめ

☆能登半島地震 自然の造形美が変貌した「能登のジオ」

☆能登半島地震 自然の造形美が変貌した「能登のジオ」

   震源地に近い輪島市の曽々木海岸では、景勝地である「窓岩」が崩れていた=写真・上、2月22日撮影=。本来ならば、板状の岩山の真ん中に直径2㍍ほどの穴が空いた奇岩で、9月中ごろなると、日本海に沈む夕陽が岩穴にすっぽりと収まる絶景が見られる。それが、今回の地震で岩の上部が崩れ、岩穴が消滅した。

   金沢大学の教員時代に「能登スタディ・ツアー」(単位科目)でこの地を何度か訪れた。夕陽が西に沈み、窓岩に差し込む様はまさにパワースポット。7年前の2017年9月13日に学生や留学生たちを連れて訪れたときは「奇跡」があった。午後から雨が降り、夕方には止んだが、水平線の雲は晴れない。午後5時45分ごろ、それまで覆っていた雲が随分と薄くなり、48分には夕陽が窓岩から照らし出し、49分には窓岩に差し込んできた=写真・中=。学生や留学生たちが「ミラクル、ミラクル」「オーマイ・ガッド」「奇跡よ、奇跡の夕陽よ」と叫びながら窓岩の夕陽を撮影していたのを覚えている。

   かつて、この窓岩の周辺は塩田が続いていた。俳人の沢木欣一(1919-2001)の句碑がある。「塩田に百日筋目つけとおし」。人々が汗を流した塩田は1960年代の能登の観光ブームで姿を消した。その観光のシンボルの一つが窓岩で、観光客にとって絶好の被写体だった。その観光のシンボルが今回の地震で姿を変えた。今後の地域観光のあり様も変わり果てるだろう。

   様変わりした自然の造形物と言えば、輪島市に隣接する珠洲市の見附島も同様だ。珠洲市の観光パンフの表紙を飾っていた見附島も変わり果てた。その勇壮なカタチから通称「軍艦島」と呼ばれていたが、2022年と2023年、そして今回と度重なった揺れで、「難破船」のような朽ちた姿になった=写真・下、1月30日撮影、後ろに見える山は立山=。

   観光の目玉だっただけに地域の観光産業にとっては打撃だろう。むしろ、自然の造形物を揺り動かしその姿を変えた大地の動きはまさに「能登のジオパーク」と言えるかもしれない。

⇒26日(月)夜・金沢の天気   

★能登半島地震 震源地域で巨岩が落ち、島が陸続きに

★能登半島地震 震源地域で巨岩が落ち、島が陸続きに

   元旦に能登半島で起きた震度7の地震の震源地は半島東側の尖端部とされている=図の✖印、1月1日付・NHK地震速報=。地名で言えば、海沿いの珠洲市大谷町から折戸町にかけての一帯になる。今月22日に現地を訪ねた。車で珠洲市役所から県道52号折戸飯田線を走り、折戸に向う。日中の気温は2度、山沿いの道路は一部凍結していた。途中、がけ崩れ地帯があった。山の巨大な岩石が道路近くまで落下している=写真・上=。車一台が通れる鉄板を並べた仮設道路が敷かれてあった。

   能登半島の北側は海と山が接するリアス式海岸で、海沿いの国道249号や県道はがけ崩れで道路があちらこちらで寸断した状態が続いている。このため海辺の集落は孤立化した。そこで、県道52号のような内陸部の幹線道路を最優先で復旧させ、孤立化を解消させている。車一台が通れる鉄板は集落の人たちにとっては「命の道路」なのだ。

   県道52号から今度は海沿いの県道28号大谷狼煙飯田線を西に走る。外浦(そとうら)と呼ばれる海岸線の中でも風光明媚とされるのが木ノ浦海岸。海水の透明度が高く、魚の生育に適した岩場などで海の動植物の種類が豊富なことから、「国定公園特別地域」に指定されている。

          道路から眺めると、左側でがけ崩れが起きているのが見える。そして、海底が隆起して右側の岩の島が陸とつながっている=写真・下=。風景とするとさほどこれまでとは変わりないように見えるが、海の生物多様性を育んできた岩場だけに今後どのような変化が現れるのか。

⇒25日(日)午後・金沢の天気    くもり時々あめ 

☆能登半島地震 国の重文建築の修復に途方もない時間

☆能登半島地震 国の重文建築の修復に途方もない時間

   道路が修復されて輪島市町野町に行けるようになったで、きのう(22日)見てきた。「上時国家」(かみときくにけ)が倒壊したとの報道があったので、この目で確認したいという思いがあった。というのも、金沢大学の教員時代に学生たちを連れて毎年秋に「能登スタディ・ツアー」を実施し、能登の歴史の一端を学ぶ場として上時国家を訪れていた。

   上時国家は1185年(文治元年)の壇ノ浦の戦いで平家が敗れ、能登へ配流になった平時忠の子孫・時国に由来する住宅で、国の重要文化財に指定されている。今回の地震では1階部分がつぶれ、厚さ約1㍍におよぶ茅葺の屋根が地面に覆いかぶさるように倒壊していた=写真=。

   観光パンフによると、入母屋造りの主屋は約200年前に造られ、間口29㍍、高さ18㍍に達する。部屋は金を施した「縁金折上格(ふちきんおりあげごう)天井」など手の込んだ内装や巨大な梁はりが特徴。幕府領の大庄屋などを務め、江戸時代の豪農の暮らしぶりを伝える建物でもある。2003年の重文指定の際には、「江戸末期の民家の一つの到達点」との評価を受けていた。

   ただ、個人所有であり、新型コロナウイルス禍で観光客が減少したことなどから維持管理費の捻出が難しくなり、2023年9月以降は一般公開を終了し、閉館としていた(Wikipedia「上時国家住宅」)。

   国や自治体が指定・登録する国宝などの文化財などが今回の地震で損傷したケースは328件に上り、石川県だけでも111件が確認されている(2月15日付・文科省まとめ)。今後、文化財をどう修復していくのか、時間との戦いが始まるのだろう。何しろ、上時国家のように国の重要文化財の指定を受けている場合、建築当時と同じ材料や技法で修復しなければならないため、調査や材料の調達に途方もない時間がかかるのだ。

⇒23日(金・祝)午後・金沢の天気   あめ

★能登半島地震 再生への希望の光を「現代集落」に見る

★能登半島地震 再生への希望の光を「現代集落」に見る

  前回のブログで述べた「現代集落」について。この言葉を初めて聞いたのは2021年3月だった。能登半島の尖端、珠洲市で開催された「能登SDGsラボ2021シンポジウム」に参加し、金沢市内で貸切宿「旅音/TABI-NE」を手広く経営する林俊吾氏が「なぜ珠洲がこれからの世界の最先端になると思うのか」と題して講演した。能登半島には「限界集落」が存在すると言われているが、むしろ「現代集落」になる可能性があるのと能登での自らの取り組み紹介した。

   その取り組みとして、同市真浦(まうら)地区=写真=で限界集落を現代集落へと再生するプロジェクトへを立ち上げたと説明していた。水や電気や食を自給自足でつくる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を「ビレッジDX」と位置付けていた。そのキーワードが「シコウ」だった。「思考」を凝らし、「試行」錯誤し、自らの手で「施工」もする、そして「至高」の現代集落を創るとのことだった。同地区の空き家を活用して手造りで改装し、風力発電や有機農業、そしてリモートワークを手掛ける、そんな生活を目指す、と。

   このプロジェクトにはその後、建築家や大学の研究者なども加わり盛り上がっていると耳にした。その年の9月に初めて見に行った。休日を利用して若い人たち10人余りが空き家の改装作業をしていた。海が見える「納屋カフェ」に入った。農家の納屋を小ぎれいに改装した喫茶店。当時、同市では「奥能登国際芸術祭」が開催されていて、期間限定でカフェを営業ということだった。そう言われると、納屋カフェもアートのように思えるから不思議だった。2階はリモートワークで仕事をする若者たちのワークスペースになっていた。

   先日(2月16日)のシンポジウム「能登半島地震を考える-現地からの声-」で建築家の小津誠一氏が「現代集落」再生プロジェクトは30年計画だが、それを10年に早めて若者たちが集う集落にしたいとコメントしていた。能登にとっての希望の光にもなる。ぜひ実現してほしいと願う。

⇒22日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆能登半島地震 住みたくなる「現代集落」どう再構築するか

☆能登半島地震 住みたくなる「現代集落」どう再構築するか

   きょうの夕刊各紙は「両陛下 来月下旬能登へ」の見出しで天皇・皇后両陛下が能登半島地震の被災者を見舞うため、3月下旬に石川県を訪問される方向で宮内庁が調整していると報じている=写真・上=。空路で向かい、輪島市や珠洲市などを視察し、被災者を励ます予定という。ニュースを読んで、ふと大丈夫なのかと案じた。何しろ地震は今でも毎日ように発生していて、きょう11日午前11時34分に震度3の揺れがあった。「千年に一度」「数千年に一度」と地震の専門家が称する今回の地震が数カ月や数年で収まるのかどうか。

   先日(2月16日)金沢市内で開催されたシンポジウム「能登半島地震を考える-現地からの声-」を聴講に行って来た=写真・下=。被災者や現地で活動している人の話を聞き、今後の復興の在り方を考察する主旨で、認定NPO法人「趣都金澤」が主催、公益社団法人「日本建築家協会北陸支部石川地域会」の共催だった。

   コメンテーターの声をいくつか紹介すると。輪島市の中山間地に居住する建築家、そして富山大学准教授の萩野紀一郎氏は元旦に帰省先の神奈川県で地震のニュースを知って自宅に戻った。自宅の建物は無事だったが事務所が倒壊した。地域は高齢者が中心で金沢などに2次避難している人も多いが、残った人たちは山水を引いて生活を続けている。「里山暮らしの人々はじつに辛抱強くたくましい」と話していた。そして提案として、輪島市の高校生たちは地震を体験しており、さらに地域の人たちから「聞き書き」することで、次世代にこの地震の記憶を伝えてはどうかと述べていた。

   金沢在住で珠洲市でまちづくり活動を行っている建築家の小津誠一氏は、東日本大震災の復興事業である気仙沼市の「四ケ浜防災集団移転プロジェクト」に関わった。津波被害を避けるため高台に集団移転する事業だったが、専門用語が飛び交う土木設計コンサルの言葉を住民にわかりやすく説明することから始めたという。小津氏は珠洲市真浦で「現代集落」プロジェクトを仲間と立ち上げている。水や電気や食を自給自足できる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を「ビレッジDX」と位置付ける。30年計画を10年に早めて若者たちが帰りたい、住みたくなる現代集落をつくりたいと語っていた。

   能登半島は少子高齢化が進んでいるが、今回の震災で時計の針は大きく進んでしまった。元の状態を目指す復興ではなく、縮小していく地域社会をどう最適化させて再構築するかが復興の道筋ではないか。コメンテーター各氏から考えるヒントをいただいた。

⇒21日(水)夜・金沢の天気    あめ

★能登半島地震 「万博を見据えた」県予算は必要なのか

★能登半島地震 「万博を見据えた」県予算は必要なのか

   新年度の石川県予算ならびに今年度の補正予算に震災対応として7718億円が計上されることになった(2月15日・石川県発表)。この予算額は今年度の一般会計当初予算(6170億円)を上回る規模だ。県は新年度から「能登半島地震復旧・復興推進部」を設置し復旧を加速させる。

   震災関連予算は「生活の再建」「生業の再建」「災害復旧」の3本柱となっている。生活の再建については、仮設住宅の整備やみなし仮設住宅の確保、物資の支給といった「災害救助法に基づく応急救助」に2492億円を充てる。住宅の損壊(全壊、半壊、部分損壊)が6万戸にも及ぶことから、応急仮設住宅を3月末までに4千戸着工する。全壊の世帯を対象に300万円、半壊の世帯に最大で100万円を支給することにし、31億円を計上している。(※震災で焦土と化した輪島市河井町の朝市通り=2月6日撮影)

   また、被災地の復旧工事を加速させるため、輪島市にある「のと里山空港」の敷地にプレハブの宿泊施設(134人分)やキャンピングカーを借り上げて、復旧工事の作業をする人々の宿泊拠点を開設する。被害が特に大きい奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の民間や公的な宿泊施設がダメージを受けている。このため、外部から訪れた道路復旧の作業員は車中泊で寝泊まりしているのが現状だ。宿泊拠点の整備に15億4000万円を計上している。

   新年度予算案の発表にともなう記者会見での馳知事の発言が物議を醸している。予算の中で、「大阪・関西万博を見据えた国際文化交流の推進」として1000万円を計上している。国際交流プログラムの費用として友好交流協定を結んでいる韓国の全北特別自治道(旧・全羅北道)に県の文化団体を派遣する費用だ。手短に言えば、文化交流を通じて万博をPRするという内容なのだろう。

   メディア各社の報道によると、記者会見で「(大阪万博の開催を推進する「維新の会」に)かなり気を使っているのでは」 と質問され、馳知事は「私は大阪維新の顧問。馬場(伸幸)代表、松井(一郎)さん、吉村(洋文・大阪府)知事、また橋下(徹)さんとも古い友人です」と答えたという。

   先月、自民党の高市経済安保大臣が岸田総理に震災復興を最優先し大阪万博の開催延期を進言したことが注目された。全国的に建設業界の人手不足が叫ばれる中で、震災の復旧復興と万博会場の建設の両立は果たして可能なのか、との議論だ。震災の復旧復興を最優先で取り組むべき石川県の知事の言葉とは思えない、「古い友人」にくみした発言のように聞こえる。「万博を見据えた」予算をめぐっては、あさってから始まる県議会定例会で議論が起きるだろう。

⇒20日(火)夜・金沢の天気    あめ

☆能登半島地震 注目の坂茂「仮設住宅」 急がれる漁港復旧

☆能登半島地震 注目の坂茂「仮設住宅」 急がれる漁港復旧

   地元紙などメディア各社のニュースをチェックしていると、復旧に向けてようやく着手が始まった印象を受ける=写真・上=。北国新聞(2月17日付)によると、世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏が半島の尖端の珠洲市で木造2階建ての仮設住宅の建設に近く着工する。場所は見附島を望む同市宝立町の市有地で、6棟で計90戸が建つ。小さな棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用する。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成し、これを組み合わせて6、9、12坪の住戸をつくる。内装は加工せずに木のぬくもりを生かす。

   坂氏は1995年の阪神大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、去年5月5日に珠洲市で起きた震度6強の地震の際も、避難所となっていた公民館に間仕切りスペースを造って市に寄贈した。間仕切りはプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない。中にあるベッドもダンボール。まさに環境と人権に配慮した間仕切りだった。(※写真・中は、坂茂建築設計公式サイト「令和6年能登半島地震 被災地支援プロジェクト」より)

   また、去年秋に同市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)では、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した「潮騒レストラン」が評判を呼んだ。何かと注目される坂氏の建築物、新たな工法で造られる仮設住宅は震災復興のシンボルになるかもしれない。

   石川県内で最大の漁港でもある輪島漁港の海底が隆起し、港内の200隻余りの漁船が出漁できなくなっている。今月5日に港を見に行くと、冬場はタラやブリ、ズワイガニなどの水揚げでにぎわうのだが漁港が静まり返っていた=写真・下=。北國新聞夕刊(2月16日付)や北陸中日新聞(同17日付)によると、震災前は漁港内は浸水が3㍍から4㍍だったが、現在は1㍍から2㍍前後の隆起が確認されていている。漁船が移動するには水深2.5㍍から3㍍が必要とされ、今月16日から海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が始まっている。当面の工期は3月28日までだが、さらに延長される見通しのようだ。

   漁港の海底隆起は輪島漁港だけではない。能登半島の北側、外浦と呼ばれる珠洲市、輪島市、志賀町の広範囲で海岸べりが隆起した。隆起があった3市町22漁港の漁協の組合員は2640人、年間漁獲高は69億円(2022年実績)になる(北陸中日新聞調べ)。

   「板子一枚、下は地獄」は漁師がよく口にする言葉だ。自然への恐れや畏怖の念を抱きながら、海から恵みを得ようと生業を続けてきた。懸念されるのは、船が出せないとなると漁業就労者が激減するのではないだろうか。浚渫作業は北陸地方整備局が所管している。漁港の復旧の展望をはやく示してほしい。

⇒18日(日)夜・金沢の天気     はれ