★「復興先導プロジェクト」って何だ~3 祭りと能登人の気概
能登半島地震を超えて新しい能登を創造する夢のある思い切ったプロジェクトを石川県が掲げる『創造的復興リーディングプロジェクト』。13の取り組みのうち、今回は【9】能登の「祭り」の再興、の可能性を探ってみる。
祭りが能登復興のリーディングプロジェクトとして掲げられたのも、能登では「1年365日は祭りの日のためにある」、「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」という言葉があるくらい能登人は祭りが好きだからだ。ところが、震災で能登で一番大きな祭りとして知られ、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている七尾市の青柏祭(5月3-5日)の曳山巡行が中止となった。地元で「でか山」と呼ばれる曳山の大きさは高さ12㍍、ビルにして4階建ての高さ=写真・上、七尾市役所公式サイトより=。地元の人たちも「日本で一番でかい」と自慢していただけに、「やっぱりダメか」と地元だけでなく、能登にもショックが走った。
「青柏祭でか山保存会」が総会(2月14日)を開き、中止を決めた理由は道路事情だった。曳山の巡行ルートが地震で大きく破損しており、安全確保ができないとの一致した意見だった。確かに、でか山の車輪は直径が2㍍もあり、道路に亀裂やおうとつがあっては運行もままならないだろう。今回、リーディングプロジェクトに祭りが掲げられたことで、来年開催に向けて巡行の市道・県道の修復が進むのではないだろうか。
一方、能登で一番勢いのある祭りとして知られるのが、能登町宇出津(うしつ)の「あばれ祭り」(7月5、6日)だ。この祭りは曳山巡行ではなく、地元でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を大人たちが担いで巡行する。なので、道路に少々のおうとつがあっても足元に気をつければ動かすことは可能だ。「あばれ祭り」の開催について話し合う運営協議会が3月27日に開かれ、実施する方針を確認した。2日間にわたって40基のキリコが繰り出し、広場に集まって、松明(たいまつ)のまわりを勇壮に乱舞する=写真・下、日本遺産公式ホームページより=。神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。祭りは暴れることで神が喜ぶという伝説がある。
ただ、キリコの材料を作る製材所と、神輿を製作する工務店が地震で作業場や仕事道具が壊れたりしたため、地元の有志らがクラウドファンディングで復旧に必要な資金を募っている。また、祭りは志納(寄付金)によって賄われている。これまで祭りを支援してくれた人々の中には被災者もいることから、例年より寄付金が少なかった場合はキリコの本数を減らすなど内容の変更せざるを得なくなる。こうした点は、リーディングプロジェクトの予算でカバーしてほしいものだ。
あばれ祭りは夏から秋にかけて能登各地で行われるキリコ祭りの先陣を切る代表的な祭りでもある。まさに、能登復興へのリーディングなキリコ祭りに期待したい。
⇒23日(木)午後・金沢の天気 はれ
口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。当時、能登の人たちは「佐渡に送らなければ、こんなことにならなかったのに」と残念がった。
創造的復興プランのスローガンは「能登が示す、ふるさとの未来 Noto, the future of country」。新しい能登を創造する夢のある思い切ったプロジェクトを『創造的復興リーディングプロジェクト』と位置付ける。4つの柱で構成される。▽教訓を踏まえた災害に強い地域づくり、▽ 能登の特色ある生業(なりわい)の再建、▽暮らしとコミュニティの再建、▽誰もが安全・安心に暮らし、学ぶことができる環境・地域づくり
その内容が濃い。戦前に人々はなぜ満蒙開拓のために大陸に渡ったのか、そして軍人に志願したのか、どのような戦争だったのかを、立て札の文字をたどりながら、設置されている絵画を見ながら追体験していく。ただ、ストーリーが記された立て札は87枚、絵画は50点もある。立て札一枚一枚を読んで、さらに絵を鑑賞していると、いつの間にか時間が経って辺りが暗くなったの覚えている。
輪島市や珠洲市では集落の裏山が崩れているところが各地にある。珠洲市の山間部でがけ崩れが起き、土砂の一部が民家に押し寄せている=写真・上、2月22日撮影=。梅雨の大雨によって、がけ崩れや山崩れが起き、民家への2次被害が出るのではないか。
た、地震でため池の土手に亀裂などが入っていると、大雨で雨量が急激に増すことでため池が決壊する可能性がある。こうなると、下流にある集落に水害が起きる。(※写真・下は、土砂ダムで孤立した輪島市熊野町の民家=1月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)
こと分かった。能登の9市町の地元消防署への取材を基に共同通信が集計した(5月16日付・北陸中日新聞)。
戸惑いがいくつかある。審査が行われたのは3市町の35人(珠洲19人、輪島9人、能登7人)だった。認定されたのは30人(珠洲14人、輪島9人、能登7人)。珠洲の5人ついては、委員が追加資料の提出を求めたため次回以降に再審査となる。戸惑いというのも、今回審査された人数が少ないのではと感じるからだ。遺族からの申請数は輪島市だけでも53人に上っている。ところが、今回は9人しか審査されていない。このペースだと輪島市の申請数の審査を終えるのにあと5ヵ月はかかることになる。もちろん、数をこなす単純な作業ではなく、ある意味で「書面上の検死」なので時間がかかるのは分かる。
輪島市里町で完成した木造長屋の仮設住宅は周囲の里山とマッチしていて景観的にも合っている=写真、5月3日撮影=。27棟・100戸が建てられ、コンパクトな1DKや車椅子の利用を考慮した部屋、さらに和室のあるタイプもあり、入居者に配慮した仮設住宅だ。配慮はこれだではない。従来のプレハブ型は取り壊すことを前提に原則2年で退去しなければならないのに対し、木造長屋型は2年が経過した後は輪島市営住宅に転用され、被災者が長く住み続けることができるようだ。
た評価の重荷を背負いながら愛耕会のメンバーは努力を重ねたものの、それでも「1000分の120」にとどまった。
れなどを復旧する作業が行われ、きのうの段階で120枚に田植えが行われた。(※写真は、田植えに間に合うように復旧作業が進められた千枚田=5月3日撮影)