★奥能登また震度5強 されど輪島塗の技術と輝きは絶えず
3日朝に能登半島の輪島市と珠洲市で震度5強の地震があった。金沢は震度3だった。意外だったのは、千葉県に住む知人から「こちらでも緊急地震速報が鳴り響き、急いでテレビをつけて身構えたが、揺れなかった」とメールが届いた。気象庁は揺れがないのに地震速報を出すのかと思っていた。
その後の気象庁の記者会見によると、富山湾でマグニチュード7.4の地震が発生したと推定され、能登で震度6弱から7、東京や大阪、東北などでも震度3から4程度が予想されるとして、広範囲に警報を出した。実際の地震の規模はM6だったので、東京や大阪で揺れはほとんどなかった。担当者は「短時間に同じ場所で地震が複数発生したことから、緊急地震速報の地震の規模が大きめに算出されてしまったと推測している」と説明していた。
きょう午後、輪島の被災地をめぐった。輪島では今回の震度5強の揺れで、新たに住宅5棟が倒壊したと地元メディアが報じていた。そのうちの1棟は知り合いの漆器業者の自宅だった。元日の揺れで工房が倒壊し、今回の地震で自宅が倒
壊した。知り合いは若手で、輪島塗の復興を目指して奮闘している。
4月10日に岸田総理が日米首脳会談でワシントンを訪れ、バイデン大統領夫妻との夕食会の際、輪島塗のコーヒーカップとボールペンを手渡した。バイデン大統領からの見舞い電報のお礼を込めて贈ったもので、岸田総理は被災した能登で創られている日本ではとても有名な「lacquerware(漆芸品)」と紹介し、被災した若手職人たちが今回のために特別に100以上の工程を経て、心を込めて作製したと説明した(外務省公式サイト)。この贈答用の輪島塗作品を手掛けたのが知り合いだった。このことを当時ニュースで知って、自身も誇らしく思ったものだ。
本人のフェイスブック(4日付)によると、自宅は元日の地震で全壊判定だった。それが、今回の地震で完全に倒壊したかたちになった。「やはり生まれ育った家がかろうじて立っていてくれるのと、倒壊してしまうのでは、かなり精神的なダメージは違います。全壊判定だったので、いつかは公費解体でしたが、心の準備ができぬままの倒壊でした」。無念さがこみ上げているに違いない。輪島塗の技術が失われたわけではない。希望を見出した矢先、「塗師屋」の奮闘を祈る。塗師屋は注文からデザインなど手掛ける、いまでいう塗り物の総合プロデューサーだ。
⇒4日(火)夜・金沢の天気 はれ
た。家族も眠そうな目で無言でリビングに集まって来たが、そのまま寝室に引き返した。
焦土化した一帯を更地にしてもすぐに復興へと向かうわけはない。ただ、被災地の風景が少し変わることで、地域が復旧に向けて一歩踏み出すきっかけになるかもしれない。朝市通りで焼けた建物の一つに「永井豪記念館」=写真=がある。あの「マジンガーZ」や「キューティーハニー」などのアニメで知られる漫画家・永井豪氏の記念館だ。出身地が輪島市であることから2009年に同市役所が設営した。
能登里海教育研究所はそうしたカリキュラムをつくった町教委と連携して支援しようと、金沢大学の教員や研究員、地域の有識者が構成メンバーとなり、日本財団からファンドを得て設立された。研究所の海洋教育は地元小木だけでなく、県内外の中学、高校、そして大学へと展開している。
きる。しかし、災害に対する一般の人々の思いは一時的な道徳的感情でもあり、心や記憶の風化は確実にやってくる。研究所の存在価値はそのギャップを埋める作業ではないだろうか。
このニュースを不安に感じているのは能登半島の能登町小木漁港のイカ釣り漁業者ではないだろうか。中型イカ釣り船=写真=の7隻が来月6月にスルメイカ漁に日本海に向け出漁する予定でいる。不安に感じているというのも、小木漁港の関係者にとっては苦い過去の事例もある。
これまで公費解体には、相続上で権利を有するすべての人の同意(実印)を得ることが必須条件となっていて、被災した当事者が市町に公費解体の申請をする際のネックとなっていた。それが、全壊の場合だとすべての人の同意を得なくても、自治体の判断で公費解体が可能になった。(※倒壊した輪島市内の家屋=2月5日撮影)
次に、3人は輝のふるさと七尾市の避難所2ヵ所を訪れ、記念撮影やサインを記すなどして被災者を激励して回った。同市石崎町出身の輝はまさに同郷の大先輩である第54代横綱の輪島大士(1948-2018)のことを移動中の車の中などで語ったことだろう。あるいは移動途中に、地元の中学の敷地の中にある「輪島大士之碑」を見学したかもしれない。この石碑には、初土俵から3年半で横綱へ駆け上がるまでの功績が記されている。同市では4月6日に春巡業が予定されていたが、地震を受け見送りとなった。3人の会話の中では、「(巡業を)やりたかったな」と残念がったことだろう。
俵を踏む。今年1月の初場所で新入幕し、2場所連続で11勝を挙げ、初土俵から所要6場所で小結に昇進。7場所目での初Vはまさに「スピ-ド優勝」。(※写真・上は夏場所で優勝を果たした大の里=NHKニュースより)
もう一人、能登と大相撲を語るに欠かせない人物がいる。阿武松緑之助(おうのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)、江戸時代に活躍した第6代横綱だ。いまの能登町七見地区の出身。通算成績は230勝48敗。ちょっと癖もあった。立合いでよく「待った」をかけた。当時の江戸の庶民はじれったい相手をなじるときに、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし」と阿武松の取り組みを言葉にしたほどだった。先月15日に阿武松緑之助の石碑がある七見地区で行って来た。石碑は震災の被害もなく堂々としたたたずまいだった=写真・下=。
冒頭で「たくましい商魂」と述べたのも、発災後も気持ちが萎えることなく各地に出かけて商売をしているからだ。おばさんたちには2つのタイプがある。ひとつは朝市に場を確保して売るタイプ、もう一つが「ふり売り」というリヤカーでの行商するタイプだ。ふり売りの場合、さらに軽トラックで他地域を回るという進化系もある。地震後に出張朝市という新たなスタイルで商売を展開しているのも、こうした多用な方法での売りの経験を積んでいることもあるのだろう。
「サテライトキャンパス」は聞き慣れない言葉。大学など教育機関の本部から地理的に離れた場所に設置されたキャンパスのことを意味する。2011年3月に「能登キャンパス構想推進協議会」という、県内の大学と能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)が連携する組織が創られた。大学などの教育機関がない能登を一つの大学キャンパスに見立て、学生の交流や教育研究、地域貢献などの活動を行う。いまも「能登キャンパス推進協議会」と名称を一部変更し、金沢大の理事・副学長が会長となり活動を継続している。