☆のと里山海道は7月末に対面運行 復旧・復興の大動脈に
能登半島地震の被災地ではボランティア活動に「自粛ムード」があるとよく言われる。そのきっかけは、石川県の馳知事が1月10日の記者会見で「個人的なボランティアは2次被害に直結するので控えてほしい」と訴え、これがメディアで広く拡散された。馳知事は被災地へ向かう道路事情が悪く、個人的なボランティアで自家用車で現地に行くと渋滞に巻き込まれ、救急車や消防車の往来にも支障をきたすのでしばらく控えてほしいという意味で述べたのだが、いつの間にか「ボランティアは自粛」の言葉が独り歩きを始めた。
では、その原因となった道路事情はいまどうなっているのか。金沢と能登をつなぐ主要地方道「のと里山海道」は現在、徳田大津ICから穴水IC区間(27㌔)が金沢方面からの片側一方通行となっている。実際に走行すると、半島の奥に行けば行くほど道路側面のがけ崩れがひどく、道路の盛り土の部分の崩落個所が多くある。乗用車ががけ崩れとともに落ちた現場がいまでもまま残っている=写真・上、5月3日撮影=。
この里山海道の復旧工事は国の直轄で行われている。
大きく崩落した個所は盛り土で造成するのではなく、新たに鉄橋を架ける工事が進められていた=写真・下、同=。
政府の復旧・復興支援本部の会合(4月23日)で岸田総理は、現状で片側一方通行の里山海道について、7月末までにはほぼ全区間で対面運行できると見通しと述べた(4月23日付・北國新聞夕刊)。
のと里山海道の対面運行が可能になれば、輪島市や珠洲市など奥能登の被災地と県内各自治体との行き来がスムーズになる。がれき処理の運搬や、冒頭で述べたボランティア活動の往来で支障もなくなるだろう。能登と加賀、そして全国を結ぶ復旧・復興の大動脈となるに違いない。
⇒8日(水)午後・金沢の天気 くもり
住宅はプレハブと比べて長く使用でき、輪島市では原則2年間の入居期間後も市営住宅に転用するなど被災者が長く住み続けることができるようにする計画だという。確かに、プレハブより木造の仮設住宅の方が住み慣れるかもしれない。
同地区は現実問題に直面している。地域メディア各社の報道によると、地区の区長が3月4日に輪島市役所を訪れ、同地区内に仮設住宅を設置するよう申し入れた。金蔵では地震前に53世帯95人が暮らしていたが、現在はそのうちの70人が金沢市などへ避難し、現在は25人に減少している。避難した多くの世帯は地元に仮設住宅ができれば金蔵に戻る意向を示していると区長は説明した。
4月28日に投票が行われた衆院3補欠選挙で自民党が不戦敗を含め全敗した。このころから、にわかに衆院解散・総選挙が取り沙汰されるようになった。「6月23日の今国会会期末か」とか、「9月の自民党総裁選の後か」などと。このような新聞・テレビのニュースやコメンテーターの論調を目にするたびに、「能登半島地震のことを忘れるな」と言いたくなる。
あす5日は「こどもの日」。今月3日に訪れた輪島の被災地では、焼け跡の近くにこいのぼりが掲げられていた=写真・上=。地域の住民が一日も早い復旧・復興を祈って掲げたのかも知れないと勝手に想像を膨らませた。
がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁した。予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩った。このとき、震災にめげずに芸術祭をやり遂げたとの印象が県民にも広く根付いたのではないだろうか。
わっていないように見えた。続いて千枚田を見に行った。一部田起こしが行われていたが、ほかに地割れが入った田の修復作業も行われていた。
別の数字もある。石川県教委の発表(4月27日)によると、今月12日時点で奥能登2市2町の児童・生徒の数は小学生が1266人、中学生が770人だった。 去年5月時点と比べ小学生が453人、中学生が191人、合わせて644人減少していることが分かった。単純に計算すれば、小中合せて児童・生徒数が24%減少したことになる。震災をきっかけに奥能登を離れた家庭が増えたと推測される。
と知ったのは、きょうの新聞紙面で取り上げられていた「能登復興建築人会議」の記事だった。
いが、最近では行動範囲を広げて、能登地方でも出没事例が多くなっている。令和1年から5年の目撃情報によると、能登地域の9市町の全域で情報が寄せられている=図・石川県公式サイト「クマ出没分析マップ」=。
きょう午前11時の開店時間に店に入ると、店主の高市範幸さんがそばをこねていた=写真・上=。しばらく様子を見学させてもらう。慣れた手つきで薄くのばしたあと、包丁で細く切る。ニ八そば。そば打ちを再開できた充実感なのだろうか、喜びなのだろうか、本人の表情が終始にこやかだった。
る。そばをかみ締めると風味が口の中に広がる。いつもながらのうまいそばだ。