☆能登地震から半年の風景~⑤ 複合災害で地区ごと集団移転へ
金沢の自宅の近所にある銀行支店できょう4日から新札の両替を始めるとの貼り紙があったので、さっそく行って来た。午前10時30分から手続きを開始するというので、午前10時15分ごろに行くと、すでに20人ほどが列をなして並んでいた。両替の枚数には制限がある。1人につき「1万円札は20枚、5千円札は10枚、千円札は20枚まで」とある。それにしても、旧札も使えるのになぜ新札を求めるのか。金沢だけではないかもしれないが、茶道や華道の習い事の月謝はピン札でという暗黙の了解がある。それでもこんなに並ぶものか。待って30分で両替が完了し、手数料は消費税込み110円だった。
話は変わる。元日の能登半島地震ではさまざまな複合災害が発生した。そうした被災地の一つが能登町白丸地域。白い砂浜が円を描くような風光明媚な湾岸の地区で、地名そのもの。ここに地震、火災、そして津波の複合災害が起きた。4月15日に現地をめぐった際も、火災に見舞われた一帯では黒くな焼けた車や焼け残った瓦が積み重なっていた=写真
=。気象庁によると、4.7㍍(痕跡高)の津波が200世帯の白丸地区に到達した。発生から半年がたっても、大量のがれきがそのままになっている。
その白丸地区では集落ごと高台に移住する集団移転について行政側と協議を行っている。地元メディアの報道によると、白丸地区の住民代表と行政側がきのう3日に協議し、まず住民の合意形成を図ることを目的に「白丸地区復興推進委員会(仮称)」を今月内に立ち上げ、集団移転の是非を問う住民アンケートを実施することになった。現在、30世帯が旧小学校のグランウンドに建てられた仮設住宅に入居しているが、地区内の高台での家の再建を希望する声が上がっていることから行政との協議に踏み込んだようだ。今のところ反対意見はなく、8月か9月までにアンケートの集計を終える段取りのようだ。
地震による地滑りで集落が損壊した輪島市稲舟地区でも集団移転が検討されている。60世帯のうち連絡が取れている住民の4割、5割が集団移転を希望しているという。地滑り地帯は地震だけでなく、大雨などによる二次災害もあり、仮設住宅の入居期間(最長2年間)が終わったらどうするか、被災した人々の心に重くのしかかる。個人で悩むのではなく、集団移転をテーマに地域の問題として取り組む動きが出てきたようだ。
⇒4日(木)午後・金沢の天気 はれ
業者とコンタクトを取っても、2ヵ月や3ヵ月先の待ちとなるという。屋根瓦の被害など一部損壊は石川県全体で5万9700棟にもおよぶ(7月1日現在・石川県危機対策課まとめ)。きょうは特に暑い。金沢の最高気温は35度と猛暑日=写真・上、午後3時30分ごろ撮影=、輪島は33度の真夏日だった。屋根に上って修繕をする業者にとっては、過酷な一日だったのではないだろうか。
(あいろ)となる課題を霞が関一体となって解決する」と述べ、政府が一丸となり復興を迅速化させること強調した。(※写真・下は、総理官邸公式サイトより)
能登では「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」、「1年365日は祭りの日のためにある」という言葉があるくらい、能登の人々は祭りが好きといわれる。その能登の祭りで、一番威勢のいい祭りとして知られるのが、能登町宇出津(うしつ)の「あばれ祭」だ。この祭りは曳山巡行ではなく、地元でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を担いで巡行する。
ど、担ぎ手が思う存分に暴れる。祭りは暴れることで神が喜ぶという伝説がある。江戸時代の寛文年間(1661-73)、この地で疫病がはやり、京都の祇園社(八坂神社)から神様を勧請し、盛大な祭礼を執り行った。そのとき大きなハチがあらわれて、病人を刺したところ病が治り、地元の人々はこのハチを神様の使いと考えて感謝した。それから祭りでは「ハチや刺いた、ハチや刺いた」とはやしながら練り回ったというのが、この祭りのルーツとされる(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」公式ホームページより、写真・下も)。
いまも避難生活を余儀なくされている被災者は2288人に上る。うち、市や町の1次避難所には970人、県が指定した金沢などの宿泊施設での2次避難所には1222人、などなっている。(※写真は、輪島市朝市通り周辺で進められている公費解体の作業=6月6日撮影)
「仮設住宅の整備」と続いた。「その他」としてライフラインの復旧や介護体制の整備を指摘する人もいた。
担する公費解体が可能となった。公費解体は所有者の申請、あるいは同意に基づいて行われる。県では公費解体の作業を来年度末までに終える計画だ。
また会見では、仮設住宅は6810戸の需要に対し、6642戸を着工し、今月末には当初目標の5000戸の完成を達成できるとした。ただ、仮設住宅を造ればそれでよいのだろうか。入居した人たちの中には、知り合いがいないために孤独を感じるといった人も多いのではないか。ゴミ出しや駐車場の使い方など生活に関するルールがないことに対する不安の声などもあがっているだろう。
249号の寸断箇所は残り3ヵ所。そのうちの一つ、勇壮な太鼓で知られる御陣乗太鼓の発祥の地の輪島市名舟町から曽々木海岸に行く途中の道の崩壊がすさまじい。ネット上で掲載されている国交省の「能登半島地震 国道249号 道路啓開5工区の状況」によると、道路そのものが大規模に崩落している=写真=。地元メディア各社の報道によると、国交省はこの現場で年内に1車線を確保するとしている。
先日(今月24日)珠洲市を訪れた際、山を見上げるとやはり風車はストップしていた=写真・上=。同市にある30基の風力発電を管轄している「日本風力開発」(東京)の公式サイトによると、発電所や変電所の敷地内外を徒歩によるアクセスやドローンおよび航空写真で確認した。その結果、1基についてはブレイド1枚の損傷を確認した、としている。「6月10日現在の状況」として、ブレイドの損傷原因を現在も引き続き追究中で、それ以外の風車およびほかの設備についても周辺安全に影響する損壊がないことを確認しながら、具体的な復旧方法や工程を関係機関とともに策定中、とある。しかし、再稼働の日程については公式サイトで記載はなかった。
までのアクセス(山道)が相当に崩れているのだろう。そのため、風力発電とつなぐ回線なども切れて電気が共有できなくなっているのではないだろうか。市内を車で走行していても、あちこちでがけ崩れなどを目にする=写真・下=。
朝鮮による弾道ミサイル発射は5月30日以来で、その技術を用いた「人工衛星」の発射も含めてことしに入って7回目となる。(※イメージ図は、防衛省公式サイト「北朝鮮のミサイル等関連情報」より)
話は変わる。能登半島地震で金沢と奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」は輪島方面のみの一方通行が続いているが、来月7月17日から対面通行が可能になる。国土交通省がきのう発表した。ただ、穴水町の能登大橋付近では路面が一部崩落しており、9月末まで工事用信号で行き交う片側交互通行となる。(※写真は、国交省公式サイト「報道・広報」資料より)
きのう(24日)半島の尖端、珠洲市の被災地をめぐった。同市では3ヵ所で陸上自衛隊が入浴支援を続けている。その一つが市立宝立小中学校に設置されている仮設風呂。校舎の裏手に「男湯」テントと「女湯」テントがある=写真=。通りかかった中年男性に尋ねると、午後3時から入浴の受付が始まるとのこと。近くの仮設住宅に住んでいるという男性は「無料でとても助かっている」と話した。仮設住宅にも小さな浴槽はあるものの、足の膝を痛めていて足を伸ばすことができないので、ここを利用しているとのことだった。
ったり、下水管が復旧していないために風呂の湯が流せないというケースもあるようだ。
「美しき川は流れたり」と讃えた犀川だが、けっこう暴れる川でもある。いつも通る橋から見ると、川かさはかなりだったが、なんとか治まりそうだったので安心した=写真・上=。
を結ぶ「才田大橋」(365㍍)。橋梁の取り付け部分が液状化により1.5㍍ほど地盤が沈下した=写真・中=。この周辺は河北潟干拓地で、大小あわせて9本の橋梁があり、その中でも一番長い橋だ。
はないだろうか。大橋の周辺では路面の沈下で大きな水たまりもできていた。