⇒ドキュメント回廊

★警報級の大雨は去れど 震災で「渡れぬ橋」の話

★警報級の大雨は去れど 震災で「渡れぬ橋」の話

  梅雨入りした石川県内ではきのう(23日)洪水警報や大雨警報が出されるなど大雨に見舞われた。金沢地方気象台によると、能登の一部では午後に1時間に49㍉の激しい雨が降り、6月の観測史上最大を記録。この大雨の影響でJR七尾線は特急、普通列車の上下線あわせて28本で終日運転を取り止めた。夕方、金沢の中心部を流れる犀川が気になって河川の様子を見に行った。金沢出身の詩人で小説家の室生犀星が「美しき川は流れたり」と讃えた犀川だが、けっこう暴れる川でもある。いつも通る橋から見ると、川かさはかなりだったが、なんとか治まりそうだったので安心した=写真・上=。

  川と言えば橋。能登半島地震で通れなくなっている橋がいくつかある。その一つが金沢市と隣接する内灘町、津幡町を結ぶ「才田大橋」(365㍍)。橋梁の取り付け部分が液状化により1.5㍍ほど地盤が沈下した=写真・中=。この周辺は河北潟干拓地で、大小あわせて9本の橋梁があり、その中でも一番長い橋だ。

  干拓地では麦や大豆などの穀物やスイカ、レンコンなどの野菜、ナシやブドウといった果樹が栽培され、酪農も行われている。農繁期で忙しいこの時期に運搬などのインフラとして橋が使えないというのは農業者にとっては遠回りを強いられ痛手ではないだろうか。大橋の周辺では路面の沈下で大きな水たまりもできていた。

  海を渡る橋もストップしている。能登半島の中ほどに位置する七尾市の能登島と陸地側をつなぐ橋梁「ツインブリッジのと」(中能登農道橋、620㍍)。地震で橋桁が損傷し、さらに道路との間に40㌢ほどの段差ができ、通行できなくなっている=写真・下=。能登島との往来は南側にもう一本、能登島大橋(1050㍍)があるものの、一部の住民にとっては遠回りを強いられている。能登島には「のとじま水族館」があり、アクセスの上からもツインブリッジの復旧が待たれる。

⇒24日(月)夜・金沢の天気     くもり

☆震災から半年ぶり「21美」が全面再開 度肝を抜くフォルム

☆震災から半年ぶり「21美」が全面再開 度肝を抜くフォルム

  元日の能登半島地震で展示室のガラス天井が落下するなどの被害があった金沢21世紀美術館がきのう(22日)半年ぶりに全館で営業を再開した。たまたま21美の前を車で通ると、兼六園側の入り口に巨大なフォルムの作品が展示されていた=写真・上=。まるで恐竜か怪物か何かような度肝を抜くような作品で、全館での営業を再開を祝っているのかと想像を膨らませながら素通りした。

  その作品が気になり、きょう午前中に21美を訪れた。美術館のメインエントランスに鎮座するこの作品は『死の海』。説明書きによると、ブラジルの作家、エンリケ・オリヴィエラの作品(2024)。生命体のように曲がりくねるフォルムはオリヴィエラが20年来続けているシリーズの一つで、入り口という空間を支配する生き物のようにも感じる。

  さらに面白いのは、作品の素材だ。オリヴィエラは廃棄された家具や建設現場など捨てられた木材を集めて作品材料としている。人は広大な森林から自然の樹木を伐採し加工して、家具や建物といった消費財にしている。こうした工程から出た木材をあえて作品として展示することで、人間と環境問題を考察してもらいたいとの意味を持たせている。今回の作品も、ブラジルで拾った膨大な合板の廃材に芸術作品という新たな生命に吹き込んだものだ=写真・下=。

  『死の海』という作品名の勝手解釈を以下。本来ならば樹木が育つ森林こそが生命の海でもある。それが伐採され、廃棄された樹木が無残に捨てられた投棄現場は死の海、この意味を考えてほしいというのがオリヴィエラの訴えなのだろうか。

  21美の今年のテーマは「アートとエコロジー」。政治や社会・自然環境が大きく変動する時代にあって、美術館として何ができ、どう未来に進んでいくのか探究していくというテーマなのだろう。その意味で、作品『死の海』が美術館のメインエントランスで展示された意味は大きいのかもしれない。

  地震によって半年ぶりに開幕となった展覧会名は「Lines(ラインズ)─意識を流れに合わせる」。日本、ベトナム、オーストラリア、ガーナ、フランス、オランダ、デンマーク、チェコ共和国、アメリカ、ブラジルの10ヵ国から多種多様な文化的背景を持つ16作家(グループを含む)の35作品が並ぶ。会期は10月14日まで。再度ゆっくり鑑賞したい。

⇒23日(日)午後・金沢の天気    あめ

★梅雨入り警報級の大雨か 山崩れ、土砂ダムなど警戒

★梅雨入り警報級の大雨か 山崩れ、土砂ダムなど警戒

  きょう北陸は梅雨入り、あすは警報級の大雨だ。金沢地方気象台によると、日本海を北上する梅雨前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、前線の活動が活発になるため、石川県内は今夜から雨が降り出し、あす23日には加賀地方・能登地方ともに1時間に30㍉の警報級の激しい雨となる。同日夕方までの24時間に降る雨の量はいずれも多いところで加賀・能登ともに150㍉と予想している。そして、能登半島地震の影響により地盤の緩んでいるところがあり、土砂災害の危険度が高まるおそれがあると注意を呼びかけている。

  梅雨の大雨で、案じるのは能登の被災地だ。震源近くの珠洲市や輪島市の中山間地をめぐると、山のがけ崩れ現場があちらこちらにあり、落ちてきた巨大な岩石が民家に迫っているところもある。あす予想される大雨でさらに土砂崩れによる二次災害が起きるのはないかと、被災地の人たちは懸念していることだろう。(※写真・上は、元日の地震で民家の裏山が崩れた輪島市内の中山間地)

  また、川べりの民家の場合、下流で山の土砂崩れが起きた場合は「土砂ダム」が出来て住宅が水没することにもなる。山のふもとにある集落では、このようなリスクを背負った状態がところどころにある。(※写真・下は、土砂ダムで孤立した輪島市内の民家=1月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)

  そしてもう一つ、大雨で危惧されるのがため池の決壊だ。能登半島は中山間地での水田が多く、その上方にため池が造成されている。半島全体で2000ものため池があると言われている。地震でため池の土手に亀裂などが入っていると、急に雨量が増すことでため池が決壊する可能性がある。こうなると、下流にある集落に水害が起きる。

  ため池の管理でよく指摘されるのが、所有者そものが分からないという問題だ。延長された用水から田んぼに水を引くがケースが多くなっていて、ため池が使われなくなっている。個人所有の場合だと、世代替わりでため池の存在すら忘れ去られていることが多い。こうしたため池のリスクについて、総務省は21日、決壊などにより人的被害をおよぼす恐れがあるため池の防災対策が不十分だとして農水省に対応を要請した(21日付・日経新聞)。ため池を放置すれば土砂崩れや水害のリスク、「ため池ハザード」が広がる。これは能登だけの問題ではなく、総務省の要請で国内の問題として位置づけされたと言えるだろう。

⇒22日(土)午後・金沢の天気   くもり

☆仮設住宅に木のぬくもり 建築家・坂茂氏のこだわり

☆仮設住宅に木のぬくもり 建築家・坂茂氏のこだわり

  前回に続いて仮設住宅の話。世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏が建築設計を手掛けていた能登半島の尖端、珠洲市での木造2階建ての仮設住宅が完成した=写真・上=。着工したのは3月初旬で、これまで何度か現場を訪れたことがある。画像は、坂茂建築設計(東京)の公式サイトで掲載されている6月14日に撮影されたものを拝借している。

  仮設住宅が造られているのは観光名所である見附島を望む同市宝立町の市有地で、坂氏が手掛けるのは6棟90戸。きょう入居が始まるのは、そのうち最初に完成した30戸分となる。仮設住宅には坂氏のこだわりがある。木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用している。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成する。石川県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。間取りは、6、9、12坪の3タイプがある。

  仮設住宅と言えば平屋のイメージだが、坂氏が考案した2階建ての仮設住宅は、少ない敷地を有効に利用すること、そして、いかにも仮設住宅というイメージを払拭することにあるようだ。確かに、平屋より階建ての方が建築物らしく見える。

  自身が坂氏のこだわりを初めて目にしたの去年6月のことだった。坂氏は1995年の阪神大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、去年5月5日に珠洲市で起きた震度6強の地震の際は、避難所となっていた公民館に間仕切りスペースを造って市に寄贈した。間仕切りはプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けないのだ。この透けないカーテーン間仕切りは、今回の震災でも珠洲市や輪島市などの避難所で活用されている。

  もう一ヵ所、坂氏のこだわりの仕事が見えるところがある。去年秋に珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)では、ヒノキの木を圧縮して強度を上げ、鉄筋並みの耐震性と木目を活かした「潮騒レストラン」が造られ、建物自体が芸術作品として話題を集めた=写真・下、去年9月26日撮影=。元日の地震では、レストラン内部での食器類の破損や、調理器具の転倒などはあったものの、建物自体は無事だった。

  震災を前提に向き合って来た坂氏の建築物の数々。新たな工法で造られた木造の仮設住宅、そして潮騒レストランは震災復興のシンボルになるかもしれない。

⇒21日(金)午後・金沢の天気   くもり時々はれ

★ついでに過疎から脱却 仮設住宅のコンパクトタウン化を

★ついでに過疎から脱却 仮設住宅のコンパクトタウン化を

  まるで「コンパクトタウン」のようなイメージだ。能登半島の輪島市中心部から20㌔ほど離れた同市町野町。8世紀に万葉の歌人として知られる大伴家持が訪れ、また、平家の落人の子孫が暮らす、国の重要文化財「時国家」住宅もある、まさに歴史のある街。それが、元日の能登半島地震で多くの住宅が全半壊した。その町野町にある野球場とグラウンドゴルフ場の周辺には270戸の仮設住宅が整備されていて、これまで避難生活を続けていた人たちが入居を始めている=写真=。

  隣接するスポーツ施設の屋上から眺めると、向こうには山並みが見え、近くには川が流れている。整備されているのは平屋建て木造長屋タイプの仮設住宅。周囲の風景とマッチしている。近くの市街地にはスーパーマーケットやガソリンスタンドなどもある。仮設住宅の町中を歩くと、子どもたちが遊んでいたり、ご近所さんたちが路上で会話する光景が見られた。また、掲示板には、週一の「日曜カフェ」のオープンや虫歯予防の「口腔ケア」、炊き出しなどのお知らせチラシが貼ってあった。駐車場も90台分が確保されている。冒頭で述べたように、ちょっとしたコンパクトタウンをイメージする風景なのだ。今月中にさらに70戸が完成する予定という。

  この風景を見てふと思った。人口減少や高齢化、そして街の中心街のドーナツ化現象(空洞化)などの社会問題が顕在化して、「コンパクトシティ」や「アーバンビレッジ」などの呼び方で、生活に必要なすべての機能がコンパクトにまとまった街づくりの再編を試みている地域が全国各地ある。この町野の仮設住宅を活用して、そのまま本格的なコンパクトタウンへと再構築してはどうだろうか。生活利便性を向上させるだけでなく、自然環境や防災、福祉、教育の面を充実させることで持続可能な街づくりを試みてはどうだろうか。

   輪島市などの奥能登は過疎・高齢化で「ぽつんと一軒家」のような集落が点在する地域が多い。そうした一軒家の人たちも今回の震災で避難所や仮設住宅での暮らしを続けていることだろう。この際、震災復興のプロジェクトの一環として、行政が主導して本格的なコンパクトタウンを提案することで、過疎からの脱却を試みてはどうだろうか。

⇒20日(木)夜・金沢の天気   はれ

☆能登の震災関連死は52人に 背景に肉体的に精神的に負担

☆能登の震災関連死は52人に 背景に肉体的に精神的に負担

  能登半島地震による死者は282人となり、2016年4月の熊本地震を上回る見通しと地元メディア各社が報じている。報道によると、きのう(18日)災害関連死かどうかを判定する医師と弁護士が委員となった審査会が開かれ、輪島市と七尾市から申請があった26人について審査した。この結果、22人について関連死と認め、残り4人は継続審査となった。22人は両市の首長がそれぞれ最終的に認定することになる。これで、能登地震による直接死は230人、5月14日に認定された30人と合せて関連死は52人となった。

  自然災害に伴う人的被害としては、平成に入ってからの1989年以降で2011年の東日本大震災1万9643人(うち関連死3784人)、1995年の阪神大震災6402人(うち関連死919人)で、能登半島地震282人は3番目の規模となる。以下、熊本地震は276人(うち関連死221人)と続く。

  地元メディアによると、関連死と認定された人の性別や年齢、年代、亡くなった経緯などは、遺族が同意すれば各市町が発表する。しかし、5月14日に認定された30人の氏名は遺族の同意が得られなかったため公表していない。以下は憶測だが、氏名公表について遺族の同意が得られなかった理由は、亡くなった本人に相当な苦痛、それを見ている遺族にも苦痛があったからではないだろうか。

  以下憶測だ。関連死の場合は相当な肉体的、精神的な負担をともなった場合が多い。熊本地震の場合、関連死の原因として▽地震のショック、余震への恐怖による肉体的・精神的な負担▽避難所生活での肉体的・精神的な負担、が死亡の原因の69%を占めている(内閣府公式サイト「防災のページ」関連死について)。死亡した人の既往症は「呼吸器系の疾患」が63人(28.9%)、「循環器系の疾患」が60人(27.5%)と多く、「自殺」も19人(8.7%)となっている。(※データは、熊本県「震災関連死の概況について」=2021年3月時点)

  関連死の背景には、被災で住家だけでなく職を失い、さらに避難所や仮設住宅はさまざまなストレスや苦痛が肉体的に精神的に蓄積されていたのだろう。関連死の名前を公表してほしくないという遺族の気持ちの一端が伝わって来る。18日時点で2471人が避難生活を続けている(石川県まとめ)。

(※写真は、輪島市朝市通りで行われている公費解体によるのがれきの撤去作業=6月6日撮影)

⇒19日(水)夜・金沢の天気     はれ

★能登の次は、金沢直下の「森本・富樫断層」地震なのか

★能登の次は、金沢直下の「森本・富樫断層」地震なのか

  去年5月5日に能登半島の尖端、珠洲市を震源とする震度6強の地震があった。それ以前は石川県民の間では、それほど能登の地震を気にかけてはいなかった。2007年3月25日に能登半島地震(マグニチュード6.9、震度6強)はあったが、「これで能登に地震はしばらく来ないだろう」くらいに思っていた県民が多かったのではないだろうか。正直、自身もそのように考えていた。ところが、ネットなどで調べてみると、能登では過去300年以内で今回含めて13回もの大きな地震(マグニチュード6級以上)が起きているのだ(※図は、政府の地震調査委員会資料より)。

  過去300年で言えば、金沢でも地震が起きている。1799年6月29日の寛政金沢地震。当時の記録などでは、10万人の城下町で5千余りの住宅や土蔵が全半壊し、金沢城の石垣が崩れ落ちたとされる。そして、石川県の南の加賀地方では、小松市周辺で1725年と1815年にそれぞれのマグニチュード6の地震があり、小松城の石垣が崩れるなど被害が生じた。明治以降では1930年に加賀市大聖寺でマグニチュード6.3の地震が発生、1952年には大聖寺沖でマグニチュード6.5が発生し、死者7人や多数の家屋の全半壊があった(政府の地震調査委員会資料)。これだけみても、石川県は地震が頻繁に起きるところだと気づかされる。

  そして今、県民、とくに金沢市民が気にかけているのは市内中心部を走る「森本・富樫断層」だ。国の地震調査研究推進本部は毎年、社会的に影響が大きい「主要活断層」を公表していて、そのうち切迫度が最も高い「Sランク」は全国で31あり、その一つが森本・富樫断層なのだ。断層は全長26㌔におよび、今後30年以内の地震発生確率が2%から8%とされる。

  金沢市の公式サイトに掲載されている「平成24年度(2012)被害想定調査結果」によると、この森本・富樫断層帯で市内中心部の直下地震が起きた場合、マグニチュード 7.2、最大で震度7と想定され、死傷者数1万4000人、避難者数19万3000人、建物被害は3万1700棟と予測だ。石川県では昨年度から今年度にかけて、地震被害想定を見直す作業をしている途中で今回の能登半島地震が起きた。適切でない表現かもしれないが、今回の地震の被災事例を教訓に活かし、精度の高い被災対策を構築してほしい。

⇒17日(月)夜・金沢の天気    くもり

☆被災地の復興に想い込め 金沢でTSUKEMENコンサート

☆被災地の復興に想い込め 金沢でTSUKEMENコンサート

  能登半島地震の復興を支援するチャリティーコンサートがあると誘われ、きのう15日午後、会場の石川県文教会館ホールに出かけた。国際ソロプチミスト金沢が主催するコンサート。ソロプチミストは女性たちによる国際的なボランティア組織で、経済的支援を必要とする女性と子どもたちへ支援を行っていて、国際ソロプチミスト金沢は設立から52年の活動実績を積んでいる。2022年には、緊急な災害時に支援を必要とする地域の人たちへのタイムリーな援助を行うための独自の基金を設立していて、今回のコンサートはその一環。

  コンサートはピアノとバイオリン、ビオラによるアンサンブル・ユニットで知られる「TSUKEMEN」の演奏。ホール(590席)はほぼ満席の状態となっていた。メンバーはTAIRIKU(タイリク)、SUGURU(スグル)、KENTA(ケンタ)の男性ミュージシャン3人。演奏はクラシックからオリジナルまで9曲。ただ、それぞれの曲がまさに変幻自在にアレンジされていて、クラシックの入りなのだが、映画音楽やジャズ、ポップスなどを「ごちゃまぜ」にしてクラシック風に演奏することで楽しく聴かせる。

  2曲目に演奏した『Take five for Elise』は、ベートーベンの『エリーゼのために』とジャズの名曲『Take five』をミックスさせたもの。3曲目の『トルコ天国地獄行進曲』はモーツアルトの『トルコ行進曲』とオッフェンバックの『天国と地獄』を短縮してミックスさせたもの。そしてオリジナル曲の『蝉時雨』では日本の夏の情景を映し出すために、なんとバイオリンでセミや鳥の鳴き声を弾き出す。1曲1曲が予測不能な楽曲として流れていくのだ。(※写真は、TSUKEMENの15日付インスタグラムより)

  こうした変幻自在な楽曲を3人が呼吸を合わせて演奏できるのは、グループ結成16年というキャリアの長さもあるだろう。そもそも、グループ名の「ツケメン」も妙だ。「つけ麺」をイメージする。グループリーダーであるTAIRIKUの父親、シンガーソングライターさだまさしから「イケメンまではいかないからツケメンぐらいだろ」といわれたことがきっかけで、グループ名をTSUKEMENとしたようだ。

  国際ソロプチミスト金沢ではこれまで避難所や仮設住宅に赴いて、小型家電(電子レンジや電気ポット、炊飯器など)などを手渡している。コンサートの開幕のあいさつで、ソロプチミスト金沢の会長は、被災地へは息の長い支援が必要で、チャリティーコンサートでの収益金はその活動に充てていくと述べていた。そして、コンサートのパンフを読むと、グループの一人、バイオリンのKENTAは熊本県出身とある。2016年4月に震度7の揺れが2回あった熊本地震。能登の被災地への想いとダブらせながら、心を込めたコンサートだったのではないだろうか。

⇒16日(日)夜・金沢の天気    くもり

★能登地震「長く静かに始まり、向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊」

★能登地震「長く静かに始まり、向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊」

  元日の能登半島地震で港の海底が隆起して漁船が動けなくなっていた輪島漁港が早ければこの夏にも出漁できるようになるとの石川県農林水産部の見通しをメディア各社が伝えている(6月14日付)。「この夏」の具体的な日程は報じられていないが、現在片側通行となっている金沢と能登を結ぶ幹線道路「のと里山海道」を7月末までに全区間で対面通行ができるようになるとの見通しを国土交通省が発表しており、交通インフラの復旧の動きと連動した日程になるのではないか。

  話は変わる。今回の地震の特徴はなんだろう。メディア各社のインタビューで専門家や研究者は、半島の北東から南西にのびる150㌔の活断層がずれ動いたことを特徴の一つとして挙げている。1995年1月17日の阪神・淡路大震災を引き起こした活断層は50㌔ほどとこれまで言われているので、長さはその3倍にもなる。(※図はウエザーニュース公式ホームページより)

  また、発災以来よく聞いた言葉は「液状化現象」。能登の震源地から100㌔以上も離れ、金沢市に隣接している内灘町では道路がいたるところで隆起したり陥没した。同町の東側は河北潟に面していて、埋立地の地域では地面がゆがみ、多くの住宅や電柱が傾き、道路が15度ほど斜めになっているところも。現場では土砂が噴き上げた様子があちらこちらにあった。

  そして元日の地震以前から指摘されていたのが「流体」だ。去年5月5日に半島の尖端部分でマグニチュード6.5の地震があり、珠洲市では震度6強の揺れを観測した。翌日6日に国の地震調査委員会が臨時会合を開き、まとめた見解が「流体」だった。2020年12月から能登で活発化している一連の地震は、地下深くの流体が誘発しているとみられ、活動域は半島尖端の北側の海域に広がっていることが確認された、と。ただ、今回の地震では「流体」の言葉はあまり聞こえてこない。

  以下、ネットで見つけた京都大学での研究論文の概要。「2024 年 Mw 7.5 能登半島地震における複雑な断層ネットワークと前駆的群発地震によって制御される複合的な破壊成長過程」(研究者代表:奥脇亮・筑波大学生命環境系助教、深畑幸俊・京都大学防災研究所附属地震災害研究センター教授)。概要を引用する。世界中で観測された地震波形データを解析し、能登半島地震の破壊過程を推定した。その結果、この地震は複数の破壊エピソードから成ること、特に地震の発生から 10 秒ほど続いた初期破壊は、地震前に観測されていた活発な地殻活動域に重なっていたことが分かった。さらに、初期破壊後に進展した主破壊は初期破壊域を挟んで西と東に分かれ、それぞれ向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊しながら大きく成長していった様子が明らかになった。

  上記のことを論文では簡潔な言葉で、「長く静かに始まり、向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊した」と表現している。東西に150㌔にのびる活断層がずれ動いて、向きや傾斜の異なる断層が次々と破壊されていった。その過程で4㍍もの隆起や地盤沈下など大規模な地殻変動が起きた。能登半島地震の複雑なメカニズムを端的に言い表している。

⇒15日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆酷暑の避難生活 エアコンと冷蔵庫が命を救う

☆酷暑の避難生活 エアコンと冷蔵庫が命を救う

  元日の能登半島地震からきょうで165日目。季節は移ろい、きょうも夏の日差しが照り付ける。気象庁によると、きのう12日は七尾市で32.8度、輪島市で32.7度、珠洲市で31.1度と能登は軒並み真夏日だった。避難所で生活をしている被災者の人たちにとってはまさに酷暑ではなかっただろうか。

  石川県のまとめによると、被災地の体育館や公民館に身を寄せている1次避難者は1317人(6月11日時点)。長期化する避難生活に加え、この暑さが体にこたえるのではないだろうか。先日(今月6日)輪島市の被災地で倒壊した家屋で作業をしている中年夫妻らしき男女に、「たいへんですね」と声がけすると、「服を取り出しに来たんや」と男性から返事があった。それ以上は尋ねなかったが、2人はビニール袋に衣類を詰めていた。避難所あるいは仮設住宅に入ったときは冬服だったが、この暑さで半袖などの衣類を取り出しに来たようだった。それにしても、日照りの被災地で作業をしている人たちを見かけると、他人事ながら熱中症は大丈夫かとつい心配になる。(※写真は、輪島市の仮設住宅=6月4日撮影)

  そして、避難所や仮設住宅で懸案となっているのが、「夜間熱中症」だ。昼間に壁や天井に蓄えられた熱が、夜になって室内に流れ込んで室温が上昇する。すると、寝ている間に熱中症になる。夜間熱中症は自分でも気づきにくく、かなり進行してから症状が出てくるので危険だ。このため、輪島市などの避難所では布団を軽い夏用布団に切り替えているようだ。

  この時節、暑さとともに蚊やアブなどの虫が大量に発生する。山あいの避難所ではヤブ蚊に悩まされているのではないだろうか。虫よけスプレーは欠かせない。蚊などは虫が室内に次ぎ次ぎと入ってくるので戸を閉める。そうするとエアコンがないときつい。30人が身を寄せている輪島市の小学校の体育館では今月10日に県から支給されたエアコンが5台設置されたものの、配線の電気工事が間に合わず作動していない(6月12日付・メディア各社のニュース)。しばらく我慢の日が続く。

  避難所での暑さ対策でもう一つ急がれているのが冷蔵庫の設置。この暑さでは、避難者に配られる弁当を常温で保存するのには限界があり、食中毒なども懸念される。ところが、弁当を保管する冷蔵庫が足りていない。輪島市ではタイミングよく支援物資として冷蔵庫35台が届けられ、各避難所に設置した(6月11日付・NHKニュースWeb版)。食品の衛生管理を徹底するためには必要だ。

  避難所や仮設住宅では慣れない暮らしが続く。夏場は、食品の衛生管理と熱中症対策に注意を。

⇒13日(木)午後・金沢の天気   はれ