☆震災のむごさと教訓を語り継ぐ のと鉄道「語り部列車」が出発
能登半島を縦断する鉄道はJR七尾線と「のと鉄道」。のと鉄道は石川県の第3センターで、JR七尾線と連結した中能登の七尾駅から奥能登の穴水駅までの33㌔を往復する。七尾湾のコバルトブルーの海の絶景が楽しめ、4月になると100本余りのソメイヨシノやシダレ桜が構内を彩る観光名所として知られる駅もある。
のと鉄道は元日の能登半島地震で線路がガタガタに歪むなど大きな被害に見舞われた。穴水駅に隣接した本社も破損したため、同駅内に停車中だった車両2両を仮の本社事務所として使い急場をしのいだ時期もあった。全線での運転再開にこぎつけたのは4月6日だった。こうした地震の当時の状況や震
災の経験を乗務員が乗客に話す「語り部列車」(団体予約)の運行がきのう(16日)始まった。
のと鉄道公式サイトには、語り部となる3人の女性乗務員が紹介されている=写真=。写真・中の宮下さんは地震が発生したとき、駅で停車中の車内にいた。津波から逃れるため、乗客を高台へと誘導した。あの日の恐怖は月日が経っても薄れることはなく、深く胸に刻み込まれているという。写真・左の牛上さんは自宅で被災した。家屋の倒壊は免れたが、目の前では土砂崩れが起き、尊い命が失われた。気持ちが沈んだ時期もあったが、この現実を伝えることが私の使命だと前向きに考えるようになった。写真・右の坂本さんは、自身の体験談はもちろん、能登各地での被災状況も丁寧に伝えていきたいと思っている。震災以降、悲しい思いと同時に人の温かさや能登の自然のおかげで元気を取り戻すことができた。語りを通して、能登の魅力をあらためて感じてもらえたらと願っている。
のと鉄道は「語り部列車」を運行する意義ついて「地震の風化防止や災害の教訓を伝えるため」と強調し、「列車内では、震災を経験した弊社社員が『語り部』となり、能登に何が起き、人々がいま何を思い、考え、生きているのか、穏やかな車窓からの風景とともに“能登の今”をお伝えします。防災の大切さや被災地の現状をご自身のこととして感じていただき、ご乗車された皆様のこれからの暮らしに役立てていただければ幸いです」と述べている(のと鉄道公式サイト)。
語り継ぐことは災害の風化を防ぐ原点でもある。のと鉄道の乗務員スタッフがその先陣を切ったことは評価に値する。能登の行政や町内会、学校、会社、社会福祉法人などでも災害への対応や教訓を伝える語り部を養成してほしいと願う。
⇒17日(火)夜・金沢の天気 はれ
人と最多で、小林氏が40人、林氏が35人と続いた。総裁選は、議員票367票に加え、党員・党友票367票を合わせた734票となる。この読売の試算では、党員・党友票と議員票の合計で、高市氏と石破氏が123票で並び、小泉氏が105票で追う展開となる。
て自宅での生活を継続していたが、地震の影響でデイサービスが中断し、次第に全身状態が悪化して肺炎で死亡した。詳細は公表されていないが、今回は自殺者1人が初めて関連死として認定された。
10台ほど並んでいただろうか。アイスコーヒーなどのドリンクを提供する車や、韓国キチンを売りにする車などに人の列ができていた=写真・上、8月17日撮影=。車ナンバーを見るとほとんどが石川ナンバーの中小型車だったので、個人事業のキッチンカーかと推測した。
被災地にキッチンカー支援が向かう動きは、能登が先進事例になるのではないか。(※写真・下は、農水省公式サイトより)
100㌔程度で、飛翔距離は350㌔を超えたものと推定される。付近を航行する航空機や船舶への被害情報は確認されていない(12日午前8時56分時点)。北朝鮮による弾道ミサイルの発射は6月26日以来で、その技術を用いた「人工衛星」の発射も含めてことし8回目となる。(※写真・上は、13日付・朝鮮中央通信Web版より。金正恩総書記は新型の移動式発射台から600㍉放射砲=多連装ロケット砲=の試射を視察した、と報じている)
一方的に主張し、「ロシアの主権と国益を守る」と強調した。極東ウラジオストクに近い日本海では、中国軍の艦船4隻が参加し、合同演習を行っている(12日付・読売新聞Web版)。
建築部門で選ばれた坂氏は、紙でできた素材を使ったシェルターや仮設住宅を世界各地で造り、難民の救済や被災支援に取り組んでいることが高く評価された。記者会見で坂氏は「世界中で手軽に手に入るもので建築物をつうくり、社会の役に立ちたいと思った。地震で人が死ぬのではなく、建築物が崩れて人が亡くなる。だから、われわれには責任があると認識しながら、世界のために活動を続けたい」と受賞の喜びを述べた(10日付・NHKニュースWeb版)。
単な仕組み。ベッドなどがある個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー保護のために透けない。環境と人権に配慮した避難所だった。間仕切りは市に寄付されたものだった。次に坂氏の作品を見たのは同市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日‐11月12日)だった。日本海を一望する「潮騒レストラン」は、ヒノキの木を圧縮して強度を上げ、鉄筋並みの耐震性と木目を活かして造られ、建物自体が芸術作品として話題を集めた。
差し込んでつなげる「DLT材」を積み上げ、箱形のユニットとなっている。
能越自動車道を含めたのと里山海道は片道88㌔となる。全線で対面通行が可能になったものの、道路のアップダウン勾配や、左右の急カーブが続く。そして、一部区間の制限速度は時速40㌔に引き下げられたままだ。これまで盛り土の一部が崩れて1車線しか通行できなかった能登大橋付近は対面通行が可能となり、スムーズに車が流れていた=写真・上=。
らに、土嚢(どのう)が道路際に積まれていて、除雪ができないだろう=写真・下=。こうした箇所が数多くある。もちろん道路の修復は終わったわけではなく、これからさらに改良が重ねられていくのだろう。積雪の時季まであと3ヵ月だ。土嚢はいつ撤去されるのか。
だ。時間は午後4時30分ごろだった。晴れてはいたものの、今月初めは台風10号の影響で能登でも雨もかなり降った。滑って落ち来ないか、パワーショベルの重みで土砂崩れが起きないだろうかと、眺めている方がハラハラ、ドキドキするような光景だった。
から工事を行う、とある。車体も高所の傾斜に対応し、作業体を常に水平に保つリフティング装置を搭載するなど、さまざまな工夫が施されている。
能登の田んぼも稲刈りが最盛期だ。きのう(7日)輪島の白米千枚田を訪れると、ことし耕された120枚の田んぼでほぼ稲刈りが終わっていた=写真・上、7日撮影=。本来ならば1004枚の田んぼは地元の千枚田愛耕会や棚田のオーナー制度の会員、ボランティアによって耕作されるが、元日の能登半島地震でひび割れなどが起きて、ことしはなんとか120枚を耕すことできた。
写真・中、3月4日撮影=。大きなもので幅10数㌢、深さ50㌢ほどの地割れが数㍍続いていた。田んぼは水はりをするので、この地割れでことしの水耕は無理だと素人ながら考えてしまった。一方で、千枚田を運営管理する公益財団法人「白米千枚田景勝保存協議会」では稲作を続けようと、クラウドファンディングで寄付を募っていた。「修復には大量の土砂や杭が必要であり、また、人力での修復となりますので、人を動かすお金も必要です」と。
輪島市に住む知人から、「輪島市の町野に面白い田んぼがある」とメールをもらっていたので、千枚田を後にして見に行った。田んぼに「生きる」という文字や、ハートを抱きしめた人の姿が描かれていた=写真・下、7日撮影=。通りかかった地元の人に尋ねると、小学生が描いた「田んぼアート」という。ハートの赤は古代米の赤米、文字や絵の線の緑は同じく古代米の緑米で、黄色い部分はコシヒカリとの説明をいただいた。
地元メディアの報道によると、仮設店舗は270平方㍍の平屋で、中小企業基盤整備機構の補助金を活用して珠洲市が建設。原則無償で入居でき、光熱費や内装費などは事業者が負担する。合同会社の代表は、典座を営んでいた坂本信子氏。これまで典座で何度も能登の料理をたしなんだことがあり、気安くすずなり食堂を開店した経緯について話を聞いた。「地域の復興の第一歩は食からと思い、共同で食堂を立ち上げました。自分たちの暮らしを取り戻し、珠洲の観光や生活が元に戻るようにしたいですね」と話した。
堂はほとんどが休業状態ということもあり、店はとても繁盛していた。合同店の厨房に立つ板前さんたちも生き生きとした感じで動き回っていた。