☆豪雨でドロ沼となった輪島の仮設住宅を復旧 キッチンカーや移動販売車が行き交う
前回の続き。輪島市は二重被災地でもある。元日に最大震度7の地震、そして9月に48時間で498㍉という記録的な大雨に見舞われた。市役所に近い宅
田町の仮設住宅では、地震の被災者が住んでいた182戸が近くを流れる河原田川が豪雨で氾濫して一帯が冠水した。仮設住宅に土砂が流れ込み、水が引いても一帯はドロ沼の状態だった=写真・上、9月22日撮影=。この豪雨でほとんどの世帯は近くの小学校体育館などの避難所に身を寄せている。今月15日に現地を訪れると、住宅の床や壁の取り換えや、泥を落とす作業、消毒などが行われていた=写真・中=。
仮設住宅を管轄する石川県庁では、被災者には再入居してもらうことを前提に年内をめどに仮設住宅の復旧作業を急いでいる。それにしても、被災者は元日の震災で避難所生活となり、7月上旬にようやく仮設住宅入居したものの、その3ヵ月後に豪雨で再び避難所生活を余儀なくされている。度重なる自然災害に翻弄され、心痛はいかばかりか。
河原田川の上流にある小学校グラウンドの仮設住宅を訪ねた。時間は正午過ぎで、仮設住宅地の入り口にキッチンカーが駐車していて、人の列ができていた=写
真・下の㊤=。「スパイスカレー」の看板が見えた。このカレーの匂いに誘われて列ができたのだろうか。キッチンカーの場合は、食品衛生管理者講習を受講し、その後に飲食店営業許可(食品衛生法に基づく許可)を取得すれば開業できるので、震災以降ずいぶんと増えているように思える。
仮設住宅をめぐるとキッチンカーのほかにも、食料品や日用品を積んだ移動販売車=写真・下の㊦=をよく見かける。輪島市内の商店や飲食店の多くはシャッターが閉められていて、被災地の人にとっては、ある意味で便利な存在かもしれない。
地震の被災者用に整備された仮設住宅は七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市など能登を中心に10市町で6882戸(159ヵ所)におよび、今月12日時点で6671戸が完成している(石川県まとめ)。また、豪雨の被災者用に輪島市で264戸、珠洲市で22戸の整備が進んでいる。供与期間は原則として仮設住宅の完成から2年間となるが、住宅の新築など個別の事情に応じて延長できる。まもなく寒波とともに冬の季節がやってくる。被災者への手厚い対応を行政に望みたい。
⇒18日(月)夜・金沢の天気 あめ
現地では、パワーショベルなど重機が3台が動いていた=写真・上=。行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルは解体が終わり、市道にはみ出している7階建てビルの解体が始まっていた。解体と合わせて、国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っている。解体は当初、上部から段階的に輪切りにして解体していく予定だったが、周囲への安全面に配慮して側面から崩すように作業を変更した。3階以上は年内に、ビル全体は年度内に作業を終えるようだ(17日付・地元メディア各社の報道)。
どで出張朝市などを続けてきたが、最近では「カムバック朝市」を目指して、朝市通りの近くにある輪島市マリンタウンの特設会場で1日限定のイベントを催したり、地元での屋外開催を増やしている。
このニュースを視聴して、つい能登のUFO伝説を思い起こした。羽咋市に伝わる昔話の中に「そうちぼん伝説」がある。「そうちぼん」とは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説では、そうちぼんが羽咋の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたと伝えられている。さらに、眉丈山の辺りには「ナベが空から降ってきて人をさらう」という神隠し伝説もある。また、羽咋の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物には、神力自在に飛ぶ物体について書かれている(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。
どり着き、583歳までの余生をこの地で過ごしたという伝説だ。同町には聖者モーゼが眠るされる伝説の森公園「モーゼパーク」がある=写真・上=。
去年もそうだったが、温暖化のせいなのか紅葉の季節が遅れている。先月下旬に 長野県大町市で開催された「北アルプス国際芸術祭」を鑑賞に訪れときも、ガイドのスタッフが「芸術作品と紅葉の風景が混ざると面白いのですが、ことしの紅葉は1週間ほど遅れてますね」と話していた。山々は薄く色づいていたものの、全体として緑の景色だった。大町市の公式観光サイト「信濃大町なび」を検索すると、「11月10日現在、全体的に紅葉真っ盛りの大町市です。」とある。紅葉シーズンの遅れは全国的な傾向のようだ。
遅い紅葉もさることながら、紅葉の樹木を見て感じることは、色づきが見事ではない。紅葉したばかりなのに、黒ずみが混じっているなど染まりが悪いように感じるのは自身だけだろうか。
える12月5日の迎え行事について、能登町ふるさと振興課に問い合わせると、建物の修復ができない状態が続いていて、迎え行事は中止するとの返事だった。ユネスコの無形文化遺産であり、国の重要無形民俗文化財(1976年指定)でもある民俗行事が見学できないことに残念な思いがした。もちろん、あくまでも一般公開向けの「あえのこと」行事が中止になっただけで、本来の各農家では例年通り行われるのだろう。ただ、他人事ながら不安もある。
ェクトとして13の取り組みを打ち出しているが、その中に「震災遺構の地域資源化に向けた取り組み」がある。このプランに沿って、能登町では地震の津波で被災した白丸地区の郵便局を震災遺構として保存・活用する計画が進んている。郵便局は防波堤を乗り越えてきた高さ5㍍の津波で窓や壁が壊れた=写真・上=。今月5日に現地を見て回ったが、郵便局のほか地域全体が津波に襲われ、多くの民家などが全半壊したままになっていた。
輪島市など能登半島の外浦側の海岸では海底隆起し、最大で4㍍も上昇したところがある。隆起した海岸では白い岩が広がっている。輪島市では隆起した海岸に国道249号のう回路が造成されるなど特異な景観もある=写真・下=。同市ではこうした隆起した海岸を震災遺構として保存し、さらに一部を海岸を見て回るサイクルロードとして整備する構想を打ち出している(11月5日付・同)。
二重被害が集中した地域の一つが輪島市だった。震災による火災で中心部の朝市通りの店舗や住宅など200棟が焼けて、焦土と化した。大通りでは輪島塗の製造販売会社の7階建てのビルが転倒した。そして豪雨では、中心部に近い久手川町を流れる塚田川に架かる橋に流木が大量に引っかかり、せき止められた泥水があふれて、住宅地に流れ込んだ=写真=。このため、住宅4棟が流され、14歳の少女ら4人が犠牲となった。同市町野町では震災と洪水で中心部の街並み全体が倒壊した状態になっている。輪島市では地震による仮設住宅が2900戸あるが、うち205戸で床上浸水となった(11月1日付・北國新聞)。県では年内をメドに被災者の再入居のため泥の除去など改修工事を進めている。
は土砂に埋まるなど壊滅的な状態になっていた=写真・上=。いまは仮設住宅で家族と暮らしている。農地は3分の2ほどが残り、耕運機なども無事だったことから、来春の作付けに意欲的な様子だった。復旧・復興が遅い能登を政治はどう導いていくのか。
=。近藤氏は七尾市での出陣式(今月15日)で「与党も野党も関係なく、助け合わなければならない時期。選挙なんてやっている場合か。それが能登の総意だと思う」と憤りの声を上げた。選挙実施への反発の意味を込め、選挙期間中は防災服姿で、たすき掛けをしないことを宣言していた。ただ、選挙活動は実にアクティブだった。元日の地震後、これまで選挙区内で整備された6000戸余りにもなる仮設住宅を足しげく回り、被災者の声を国会論戦などで反映させてきた。地震と豪雨の二重被災の奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)へは選挙期間中にそれぞれの自治体を2回ずつ回った。「まだ能登は大変なんだと全国に訴えていきたい」と述べていた。
境省が対策が必要な外来種としてリストに掲載している。もちろん花に罪はなく、赤や黄色の花がまぶしいほどだ。
話は衆院選に。輪島市町野町の仮設住宅「町野町第2団地」(268戸)できょう期日前投票所が設けられた。現地を見に行った。町野町ではこれまで、市役所の支所で期日前投票が行われていたが、今回の豪雨で床上浸水となり使えなくなり、仮設住宅の集会所に期日前投票所が設けられた。訪れた人たちはこれまでとは少々狭い場所ながら1票を投じ=写真=、出口で知り合いと出会うとあいさつを交わしていた。投票所には仮設住宅だけでなく地域の有権者も訪れている。