⇒ドキュメント回廊

★震災の能登にインバウンド観光客 ダ-クツーリズムの流れか

★震災の能登にインバウンド観光客 ダ-クツーリズムの流れか

「ダ-クツーリズム(Dark tourism)」という言葉を初めて耳にしたのは、去年元日の能登半島地震で最大震度7の揺れが観測された志賀町香能(かのう)地区を3ヵ月後の3月4日に見て回ったときだった。帰りに現地と近い富来地区のコンビニに立ち寄った。駐車場で外国人男性2人が警官から職務質問を受けていた。2人は「名古屋」ナンバーの車で来たようだ。店舗に入るためその横を通ると、警官がどのような目的で能登に来たのかと尋ねていた。すると、外国人は「ダークツーリズム」と答えていた。その後、外国人たちはどこをめぐったのかは知る由もないが、今にして思えば、おそらく香能に向かったのだろう。

ダークツーリズムは日本では使われていない言葉だが、欧米では被災跡地や戦場跡地などを訪ね、死者を悼むとともに、悲しみを共有する観光とされている。能登半島地震は世界のメディアでも大きく報道されたことから、インバウンド観光客がダークツーリズムに能登を訪れても不思議ではない。ただ、日本では「被災地への物見遊山はやめとけ」としかられそうだが。

確かに能登半島ではこのところインバウンド観光客をよく目にする。これはことし9月18日午後3時ごろに撮影したもの。輪島市の白米千枚田に立ち寄ると、稲刈りは半分ほど終わっていたが、多くの観光客が訪れていた。そこでもインバウンド観光客が目立っていた。中には、展望ができる高台から、わざわざ下に降りてあぜ道を歩いて見学するグループの姿があった=写真=。

地震により1004枚ある田んぼの8割でひび割れが生じたとされ、ことしは250枚しか耕されなかった。そのひび割れの現場を見たり、強風などで稲が倒れてまだ刈り取りが行われていない田んぼの様子を観察するためだろうか、倒伏した稲を撮影する姿もあった。欧米からと思われるインバウンド観光客の場合、危険とされる場所であっても、あえて現場に行く。ダークツーリズムは徹底した現場主義なのだろう。

能登の観光名所となっている奇岩など風光明美な景観と、震災後の光景を比較して眺めると、大地の造形物は何千年、何万年と歴史を刻みながら少しづつ姿を変えきたのだと実感することがある。その意味で、いまの能登は地球のダイナミズムを感じさせる「ジオパーク(Geopark)」でもある。ダークツーリズムとしてインバウンド観光客を積極的に受け入れるチャンスなのかもしれない。

⇒10日(月)午前・金沢の天気   あめ

☆秋深まり紅葉見ごろ 能登地震の公費解体は年末までに完了

☆秋深まり紅葉見ごろ 能登地震の公費解体は年末までに完了

きょうの金沢は雨模様で日中の気温は15度と秋の深まりを感じる一日だった。市内で買い物をした帰りに、兼六園周辺を車で走ると紅葉が見ごろとなっている場所がいくつか目に入ってきた。その一つが金沢市役所近くにある「しいのき迎賓館」(旧県庁)と「四高記念館」に挟まれた通りで、「アメリカ楓(ふう)通り」と呼ばれている。樹木のアメリカ楓は別名で、正式には「モミジバフウ」。原産地がアメリカだったことからアメリカ楓と呼ばれている。空を見上げると赤と曇り空のコントラスが目に映える=写真・上=。

兼六園にも「紅葉山」とも称される名所がある。本来の名称は「山崎山」。高さ9㍍ほどの、いわゆる築山(つきやま)、造られた山だ。雪吊りの唐崎松の雰囲気とはまったく異なる景色で、カエデやトチノキなどが赤や黄に色づく。山頂にある茅葺き屋根の四阿(あずまや)からは兼六園の紅葉、そして雪吊り作業の様子を見渡すことができる。天気予報ではあさって11日から晴れ間がのぞくようだ。

話は変わる。このブログで何度か取り上げているが、去年元日の能登半島地震と9月の能登の記録的な大雨で損壊した家屋の公費解体が遅れている。石川県の馳知事はこれまで10月末の完了を明言していたが、おととい(7日)の記者会見で10月末時点で公費解体を終えたのは申請棟数の95%に当たる4万56棟だったと述べた(地元メディア各社の報道)。そして、残り2106棟については、年内の完了を目指すと完了目標を切り替えた。

現実はどうか。地震と豪雨で被害が大きかった能登北部は輪島市(申請件数1万2523棟)で解体率は95.8%、珠洲市(同8449棟)は同98.7%だが、半島の中部に位置する七尾市(同7175棟)は同83.3%にとどまっている。七尾市での解体作業が遅れているような数字だが、同市では解体作業に戸惑う被災者への配慮から申請期限を8月末までとしたことが影響しているようだ。輪島市などは5月末を申請期限としていた。申請が遅れた分、解体作業は後回しとなったようだ。(※写真・下は、倒壊したままとなっている輪島市中心街の寺院=ことし10月23日撮影)

七尾市が公費解体の申請期限を輪島市や珠洲市になどに比べ遅らせたのには理由があるようだ。自治体が経費を全額負担する公費解体は家屋の損壊が「半壊以上」の被害認定を受けることが必要となる。一方で半壊以上の家屋には修理費用の一部(限度70万円)を自治体が負担する「応急修理制度」もある。ここで半壊の被災者は迷うことになる。解体か修理か、と。以下憶測だ。輪島市、珠洲市は震度6強以上の地区が多く、七尾市は震度6弱の地区が多かった。この揺れの強弱の違いで、同じ半壊でも多少の違いがあったのではないか。公費解体を行い新築するか、あるいは修理して住み続けるか。思い悩んだ被災者が七尾市では多かったということだろうか。

⇒9日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆能登地震の公費解体は道半ば七尾78% 災禍犠牲700人超え 

☆能登地震の公費解体は道半ば七尾78% 災禍犠牲700人超え 

去年元日の能登半島地震からきょう31日で1年10ヵ月となる。災害の現状はどうなっているのか。石川県では、震災と9月の記録的な大雨で半壊以上となった建物を所有者に代わり自治体が撤去する公費解体についてこれまで「10月までに終える」としていたが、今月末の完了は困難になったとして「概ね完了」との表現に切り替えている。では、その「概ね」とは実際どの程度まで進捗しているのか。

県が公表した「公費解体の状況」(速報値・今月27日時点)によると、解体見込の4万4953棟のうち解体が完了した棟数は3万9576棟で、解体見込数から撤去に時間を要する工場や修繕予定が入るなどした「別管理建物」2129棟を差し引いて換算すると、解体率は92.4%となる。これは全体的な数値で自治体別で見てみるとかなりのバラツキがある。穴水町の解体率は98.6%でまもなく終了をイメージするが、七尾市は77.9%と道半ばだ。1500棟ほどが解体されずに残っているのだ。

同市の和倉温泉に行くと被災した温泉旅館などが手付かずのままとなっていて、時間が止まったような光景のところもある。和倉温泉旅館協同組合に所属する20軒のうち、現時点で一般客を受け入れているのは7軒だが、今年中にさらに2軒が再開する。そして、老舗旅館の加賀屋は来年2026年度中に本館ならびにグループ旅館合わせて4軒の営業再開を目指している。和倉温泉は能登の観光産業の柱でもある。復興の弾みとなることに期待したい。(※写真は、能登復興を呼びかける幕=ことし5月3日・七尾市で撮影)

能登半島での震災と豪雨による災害関連死を石川県と各自治体は審査会(医師、弁護士5人で構成)を設けて認定している。地元メディア各社の報道によると、今月29日の審査会で震災による関連死として新たに5人が認定された。震災の関連死は富山、新潟両県の13人を含め計456人、直接死228人を合わせると684人となる。これに豪雨による死者19人を含めると災禍犠牲者は703人となる。

関連死と簡単に述べたが、痛ましい話が多い。自治体は遺族の承諾を得て関連死の状況を一部公表している。七尾市で亡くなった50代の男性のケース。自宅で被災し、震災によるとストレスに加え、道路事情が悪い被災地での勤務などにより、心身に負担が生じて急性心筋梗塞のため死亡した。能登町の80代の女性の場合は、自宅で被災後に近くの避難所へ。その後、親戚宅へ移ったが悪路の長時間移動や避難生活、慣れない場所での生活環境の変化で心身に負担が生じた。持病の影響もあり、十二指腸憩室穿孔で死亡した。自殺者が関連死として認定されたケースもある。冥福を祈りたい。

⇒31日(金)夜・金沢の天気   あめ

★万博フィナーレ 小さな心臓から大屋根リングまで感動の記憶

★万博フィナーレ 小さな心臓から大屋根リングまで感動の記憶

世界158の国・地域が184日間にわたって歴史・文化や最先端のテクノロジーなどを発信した大阪・関西万博がフィナーレを迎えた。きょう午後、NHKテレビで閉会式を視ていた。大阪府の吉村知事は閉会のあいさつで、警備担当者や医療従事者、ボランティア、児童生徒を引率した学校の教員など、様々な立場で万博に携わった関係者を挙げて、それぞれに「ありがとう」を8回も述べていたのが印象的だった。石破総理は公式キャラクター「ミャクミャク」に内閣総理大臣感謝状を授与したことを紹介していた。閉会式のコンセプトは、万博に関わったすべての人へ「感謝」を伝えることが目的だったようだ。自身も6月に大屋根リングを訪れている。以下、印象に残っていることをいくつか。

万博に来た甲斐があったと思ったのは、iPS細胞で創られた「小さな心臓」が鼓動する様子を見たときだった。円筒形の容器の赤い培養液の中でドク、ドクと動いていた。これを眺めていると、生命の源(みなもと)は心臓だと改めて思うと同時に、鼓動するその姿に生命の神秘を感じた。小さな心臓は大阪大学のチームが作成したもので、コラーゲンの土台にiPS細胞由来の心筋細胞を植え込み、3.5㌢ほどの原型をつくったと説明書きにあった。「iPS心臓」の未来がきっとやってくる、と想像を膨らませた。(※写真・上は「PASONA」パビリオンの「iPS心臓」)

万博について周囲の人と話していて、けっこう受けたのが「ワニの肉」の話。「オーストラリア」パビリオンの前にショップがあり、「クロコダイルロール」と赤ワインを注文した=写真・中=。説明書きには「ワニの切り身・ネギ・レモンマートルマヨネーズ・ブリオッシュロール」とあり、どんな食感がするんだろうと好奇心がわいた。値段は1650円。オーストラリア人らしき女性販売員から「ワニ、オイシイデスヨ」と片言の日本語で手渡された。少々ドキドキしながら口にした。ワニの肉は硬いイメージだったが、鳥肉のような柔らかさだった。そして、これがオーストラリア産の赤ワインとぴったりと合う。まさにマリアージュ。ちょっとした海外旅行気分が味わえた。

万博のシンボルは何と言っても大屋根リング=写真・下=。「多様でありながら、ひとつ」という万博の理念を表す建築物でもある。リングの下は歩ける通行空間であると同時に、雨風や日差しなどを遮る快適な滞留空間でもある。そして、構造が神社仏閣などの建築に使用されてきた伝統的な貫(ぬき)接合の工法を加えた建築であり、和の風格を感じさせる。最大の木造建築物としてことし3月にギネス世界記録に認定されている。正式な英語記録名は「The largest wooden architectural structure」。大屋根リングは万博終了後に一部を残して解体される。

万博協会は解体後の木材を無償で譲渡することにしていて、その一部は能登半島の尖端に位置する珠洲市に「復興公営住宅への活用」を条件に譲渡することが内定している(メディア各社の報道)。万博会場から能登半島地震の被災地へ。第二のステージはある意味で地味ながら、被災地の人々の安らぎの空間として活用される。

⇒13日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆能登で一青窈さん熱唱 デビュー曲「もらい泣き」のエピソード

☆能登で一青窈さん熱唱 デビュー曲「もらい泣き」のエピソード

きのう「古墳まつり」が開催された中能登町にきょうも行ってきた。町制20周年記念の音楽イベントが開催され、町ゆかりの歌手の一青窈さんが出演するというので、ファンの一人として足を運んだ。前回ブログで取り上げた国の史跡「雨の宮古墳群」は眉丈山(標高188㍍)の山頂にあるが、その山のふもとの街に「一青」という地名がある。一青窈さんの先祖の地でもある。彼女はこの町出身の母親と台湾人の父親との間で生まれた。そして、ヒット曲に『ハナミズキ』という曲があるが、この町にも「花見月(はなみづき)」という地名の田園地帯が広がる。

音楽イベントでは、公園で設けられた特設ステージでトークショーがあり、町長の宮下為幸氏と一青窈さんが出演した。町と関わるエピソードが披露された。「もらい泣き」でデビューした時、町の酒造蔵から純米吟醸酒「一青(ひとと)」をお祝いにもらい、感動したと話した。また、きょうは震災の仮設住宅を訪れ、入居する被災者と交流したことにも触れた。

ステージでは一青窈さんが『もらい泣き』や『ハナミズキ』など7曲を歌った。意外だったのは『アンパンマンのマーチ』だった。「なんのために 生まれて なにをして  生きるのか こたえられない なんて  そんなのは  いやだ!  今を生きる ことで  熱い  こころ  燃える だから 君は いくんだ ほほえんで・・・」。初めて聴いた。一青窈さんがしっとりと歌うと心に響く大人の歌になる。トークと歌謡ショーで40分余り、楽しませてもらった。(※ステージは撮影・録音が禁止だったので、写真はない)

町に入ると、地域の人たちの一青窈さんに対する思い入れを感じる。町では、JR西日本金沢支社に働きかけ、2015年にJR七尾線の駅で列車の発着を知らせるメロディーをヒット曲『ハナミズキ』に変更してもらった。町内にある良川、能登二宮、能登部、金丸の駅で、電車が通るたびにこのメロディーを聴くことができる。

「♪果てない夢が ちゃんと終わりますように 君と好きな人が百年 続きますように」。駅で列車が近づいてくると、この歌がじんわりと心に響いてくる。

⇒12日(日)夜・金沢の天気   はれ

★能登「古墳まつり」で古代米おにぎりを食し、獅子舞を楽しむ

★能登「古墳まつり」で古代米おにぎりを食し、獅子舞を楽しむ

「これは世にも珍しいまつり」と好奇心がくすぐられて見学に行ってきた。「古墳まつり」。能登半島の中ほどに位置する中能登町にある国指定の史跡「雨の宮古墳群」=写真・上=。まつりはこの古墳群を保護する民間団体「雨の宮を護る会」が主催していて、ことしで14回目という。

古墳群に対する地元の思い入れを護る会のメンバ-が語ってくれた。町の北側に連なる眉丈山(びじょうざん)山系の尾根筋につくられた古墳群は、地元では古くから「雨乞いの地」として知られ、「雨の宮」という名称もこの思いが込められているという。山のふもとには邑知(おうち)平野と呼ばれる水田地帯が広がる。この水田を潤す雨が降ることを祈った、歴史ある場所なのだ。

祈りの地である古墳群には前方後方墳(1号墳)と前方後円墳(2号墳)を中心に全部で36基が点在している。全長64㍍の1号墳は、4世紀から5世紀の築造とされ、古墳を覆う葺石(ふきいし)も当時ままの姿。まるで山頂のピラミッドのようだ。1号墳からは山のふもとに広がる水田地帯を見渡すことができ、実に壮観だ。1987年に古墳近くの遺跡から炭化した「おにぎりの化石」が出土し、2千年前の弥生時代のものと推定され、日本最古のおにぎりとして当時話題になった。去年元日の能登半島地震では古墳群に亀裂が入り、現在も一帯は「立入禁止」となっている。

古墳まつりは山頂の古墳群から下手にある資料館「雨の宮能登王墓の館」の広場で開催され、午前10時には能登の震災復興祈願祭が執り行われた。古墳群の近くにある能登部神社の女性宮司が古墳群に向かって祈祷を捧げた=写真・中=。続いて行われたのが「芸能発表」。地域の子どもたちが太鼓や獅子舞を披露した。獅子と天狗がともに踊るにぎやかな獅子舞踊りで、地域の祭りのシンボルになっている=写真・下=。このほか、中学の吹奏楽部の生徒がコンサートを行うなど、午前中2時間余りのにぎやかなまつりだった。

会場には大勢の人が訪れていた。そのお目当ての一つが「古代米おにぎり」。前述した「おにぎりの化石」が遺跡から発見されたことをきっかけに同町では「古代米おにぎり」を町おこしのアイテムとしていて、人気がある。古墳群を眺めながら古代米おにぎりをほうばる。なんとも歴史観のあるまつりではある。

⇒11日(土)夜・金沢の天気    くもり

★茶席のさりげない花入れはあの日本の歴史事件を伝える器

★茶席のさりげない花入れはあの日本の歴史事件を伝える器

金沢市の21世紀美術館の敷地にある茶室「松涛庵」で開催された茶会に出かけた。開催名が「スペシャルオリンピクス石川 チャリティー茶会」という、初耳の名称だ=写真・上=。待合にいた係りの人に、「スペシャルオリンピクスとは何のことですか」と尋ねると、こうだった。「知的障がいのある人たちに様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じ提供しているスポーツ組織なんです」と。

さらに丁寧な説明があった。障がい者のスポーツにいくつかの分類があって、オリンピックと並行して開催されているパラリンピックは身体障がい者が集う国際スポーツ大会であり、聴覚障がい者の国際大会はデフリンピック、そして知的障がい者の大会はスペシャルオリンピックスと称されている。今回の茶会はスペシャルオリンピックの地方組織であるNPO法人「スペシャルオリンピックス日本・石川」を支援するために開催された茶会という。

このチャリティー茶会は金沢の裏千家の社中が主催していて、27年前に始まり、コロナ禍の中止をはさんで今年で25回目だという。今回初めてお誘いを受けた次第。そんな歴史といわれのある茶会とは知らずに出席して、正客をと勧められるままに席に着いてしまった。

掛け軸は「山色不離門」。その意味を席主の山本宗茂氏に尋ねる。山の景色が門から離れない、つまり、門を開ければいつでも山の景色が目の前にあるという意味という。掛け軸の前にある花入れ=写真・下=のカタチが気になり、尋ねた。すると驚きだった。花入れは、25年ほど前に玄界灘から揚がった「海揚がりの筒」という。この土で焼かれた筒は独特の形状から、鎌倉時代中期にモンゴル帝国(元朝)と朝鮮半島の高麗が2度にわたり日本への侵攻を仕掛けた、いわゆる「元寇」に使われた火薬を入れた器だと分かった。

ある意味で歴史的に価値のあるものだが、席主の山本氏は「茶席では花を入れて床の間に飾り、平和の証として使っているんですよ」とほほ笑んだ。会記には「高麗筒」と記されている。茶道の世界では、歴史的な価値というより、場を和ませる発想で珍しい焼き物が使われることがよくある。その意味で茶席という場はじつにクリエイティブな世界と言えるかもしれない。おかげで日曜のお茶を楽しませてもらった。

⇒5日(日)夜・金沢の天気   はれ

★能登の隆起海岸の見どころ~上陸したゴジラ岩、白い貝付き岩~

★能登の隆起海岸の見どころ~上陸したゴジラ岩、白い貝付き岩~

能登半島の尖端に位置する珠洲市馬緤(まつなぎ)町の沿岸に「ゴジラ岩」と呼ばれる奇岩がある。空に向かって炎を吹き出す怪獣ゴジラに似ていて、その名が付けられた。日本海の高波に向かって、ゴジラが吠えているようにも見え、なかなか面白い。ことし9月13日、同市の須須神社に「寺家キリコ祭り」を見学に行った帰りにこのゴジラ岩を見るため立ち寄った。ことし2月8日にもこの地を訪れているが、この日は吹雪と高波で周囲はよく見えなかった。なので去年元日の能登半島地震以降でゴジラ岩をじっくり眺めるのは9月のこの日が初めてだった。

地震で海岸線は最大で4㍍隆起したことが観測されているが、ゴジラ岩周辺も例外ではなかった。もともとこの岩は波打ち際にあったが、1㍍ほど隆起したのだろうか、周囲の岩石とともに陸地に上がっている。まるでゴジラが上陸したようなイメージだ。このほかにも、輪島市門前町では細長い砂浜が隆起して砂丘地のようになったところもある。(※写真・上は、震災前のゴジラ岩、その下は震災後の隆起したゴジラ岩)

地震による隆起で石川県の面積が広がったようだ。国土地理院は全国の都道府県と市区町村の面積を公表した(9月26日)。それによると、能登半島地震による海岸線の隆起の影響で、石川県の面積が4.74平方㌔拡大した。顕著だったのは能登外浦の2市1町(輪島、珠洲、志賀)で、輪島市は2.78平方㌔、珠洲市で1.72平方㌔、志賀町で0.24平方㌔だった。ちなみに金沢の兼六園の広さ0・11平方㌔なので、隆起で拡大した面積は兼六園の43倍に相当する。

では、広がった海岸線をどのように活用すればよいのだろうか。すでに、国道249号で崩落したトンネルや土砂崩れの道路では、隆起した海岸を活用した「緊急復旧道路」が整備されている。海岸線を走る実にダイナミックな道路だ。これは個人的に感じたことだが、4㍍隆起した輪島市の鹿磯海岸では海底の岩石がそのまま陸地化して、岩石にはアワビやサザエ、二枚貝などがびっしりと付着していて 全体が白くなっている=写真・下=。ここを能登の多様な貝類の観察の場にしてはどうか。冒頭で述べた、上陸したゴジラ岩も面白い。これらを震災の復興観光として活かせないだろうか。

⇒1日(水)夜・金沢の天気   はれ

★味覚の秋~冷めてもうまい新米、サンマの究極の楽しみ方~

★味覚の秋~冷めてもうまい新米、サンマの究極の楽しみ方~

秋分の日が過ぎて、日が暮れるのがめっきり早くなった。季節は急ぎ足で秋に向かっている。そんなことを感じさせるのがスーパーかもしれない。近所のスーパーに行くと、柿やナシ、イチジク、ブドウなどの果物や、金時草など加賀野菜も売り場に並んでいて、色鮮やかな実りの秋が目に飛び込んでくる。そして、秋は新米の時季でもある。石川県の新米の主要銘柄は、このブログで何度か紹介した「ゆめみずほ」、「コシヒカリ」、そして「ひゃくまん穀」だ。売り場に行くと、ひゃくまん穀がキャリーカートに積まれて並んでいた=写真・上=。県産ブランド米の3銘柄が店頭にそっていて、実りの秋本番を迎えたようだ。

ただ、値段を見て身を引いた。店頭価格は5㌔袋で4947円(税込み)だ。去年は2800円余り(同)だったので、7割ほど価格がアップしている。今月12日付のブログでも述べたが、同じ県産米の「一粒のきらめき」は5㌔税込み5379円だ。去年の新米は同2312円だったので、倍以上の値段になっている。7割、そして倍以上、コメの価格高騰は続いている。それでも、新米を買い求める客が次々と訪れていた。昔からよく言う、「冷めてもおいしい新米」と。

そして魚売り場に行くと秋の味覚、サンマが並んでいる。塩焼きの価格が1匹359円。「ただ今 焼きたて」「当店で焼きました!」と貼り紙がある=写真・下=。こんがりと香ばしいにおいがしたので1匹購入した。店員の話だと、ことしのサンマ漁は東北から北海道にかけて昨年より好調な水揚げが続いていて、価格も去年より3割ほど安いようだ。

サンマの塩焼きを見ると、子どもの頃を思い出す。「魚をきれいに食べる」とほめられたこときっかけで、身をほぐして食べるようになった。友人から、「ネコまたぎ」と言われた。ネコもまたいで通り過ぎるくらいに身を残さず食べる、との意味だ。ほめ言葉ではないが、そう言われても悪い気はしない。それがいまも続いている。

影響を受けたのは父親からだった。父親はご飯茶碗にその骨を入れ、熱湯を注ぎ、醤油を少したらして、すすっていた。「これが一番うまい」と。確かに晩酌をしながら、酒の肴にサンマをつつき、食べ終えて口直しに骨湯をすするというのは理にかなっているかもしれない。自身はそこまでしていないが、究極のサンマの楽しみ方なのかもしれない。

きょうは大相撲秋場所14日目。地元石川県出身の横綱・大の里は大関・琴桜の休場による不戦勝で13勝1敗となった。単独首位のまま千秋楽を迎え、優勝決定は2敗の豊昇龍との横綱同士の結びの一番に持ち越された。これも楽しみだ。

⇒27日(土)夜・金沢の天気  くもり

★能登「記録的な大雨」から1年 国の名勝・時国家庭園を修復へ

★能登「記録的な大雨」から1年 国の名勝・時国家庭園を修復へ

能登半島の北部で降ったあの「記録的な大雨」から間もなく1年になる。2024年9月20日から22日にかけて線状降水帯が発生し、輪島市では22日午後10時までの48時間雨量が498.5㍉に達する豪雨となった。このため、土砂崩れによる道路の寸断が各地で起き、輪島市を中心に山間地の集落115ヵ所が孤立した。さらに、裏山でがけ崩れが起きて民家が倒壊。また、大量の流木が増水した川に流れて市内の橋にひっかり、土砂ダム状態になった。家屋倒壊や濁流に巻き込まれるなど合わせて17人が亡くなった(関連死1人含む)。

記録的な大雨で文化財も被災した。輪島市町野町にある国の重要文化財である「時国家住宅」。日本史の教科書にも出てくる、平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫が時国家とされる。2軒ある時国家のうち、山のふもとにある「時国家」は主屋が1963年に国重要要文化財に、庭園が2001年に国名勝に指定。また、丘の上にある「上時国家」は主屋が2003年に国重要要文化財に、庭園が2001年に国名勝に指定されている。両家の主屋はともに茅葺民家で、能登の厳しい気候風土に耐えながら紡いできた800年余りの歴史の風格を伝えてきた。

両家ともに去年元日の能登半島地震では最大震度7の揺れ、そして9月の豪雨では裏山が崩れ、主屋と庭園それぞれ被害を被った。地元メディアの報道によると、そのうち主屋の倒壊を免れた時国家では庭園の復旧作業が始まったとの報道があり、現地を訪ねた。復旧に取り組んでいるのは、庭園の保存継承を担う「文化財庭園保存技術者協議会」(事務局・京都市)。9月の豪雨では裏山が崩れ、大量の土砂が庭園全域を高さ1㍍から1.5㍍にわたって覆った。輪島市役所では今春から災害復旧事業の一環として庭園の土砂を撤去する作業を行い、今月初めまでに完了。引き続き、今月17日から文化財庭園保存技術者協議会が復旧作業に着手した(18日付・北陸中日新聞)。

庭園は「池泉回遊式」と称される書院庭園で、中心に池を配置し、園内を歩きながら楽しむ庭として造られている。作業初日の17日には全国から庭師のプロ24人が集まり、被災前に作成された図面を基に、流された飛び石を置き直したり、崩れた池の護岸の修復が行われた。11日間にわたり作業が続く(同)。震災と豪雨に見舞われた文化財の復興のシンボルになることに期待したい。(※写真は、時国家住宅にクレーンが持ち込まれ、石の置き直しなど庭園の修復作業が行われている=18日午後撮影)

⇒19日(金)午後・金沢の天気   はれ時々くもり