⇒ドキュメント回廊

☆震源から何千㌔離れていても津波は来る 教訓生かす能登尖端の地区

☆震源から何千㌔離れていても津波は来る 教訓生かす能登尖端の地区

ロシアのカムチャツカ半島付近できのう(30日)発生したマグニチュード8.7の巨大地震で、太平洋沿岸部に津波の影響が広くおよんだ。震源から1500㌔離れた日本では津波警報が発令された=図、気象庁公式サイトから=。警報を受け、北海道、東北など沿岸部の21都道県229市町村が約200万人に避難指示を出すなど対応に追われた。津波はきのう夕方までに22都道府県の沿岸部に到達し、岩手県宮古市では1.3㍍が観測された。また、アメリカのハワイ州で1.7㍍の津波が観測された(メディア各社の報道)。

今回のM8.7の地震規模は1900年以降に世界で発生した地震の中で8番目に大きいとされる。日本列島から遠い海外の地震に伴って津波警報が発令されるのは、2010年2月27日にチリで発生したM8.8の地震以来15年ぶりとなる(同)。

話は逸れる。自身の体験談だが、津波で危ない思いをしたことがある。1983年5月26日正午ごろ、秋田沖を震源とする日本海中部沖地震が起きた。当時、新聞記者で輪島支局員だった。輪島は震度3だったが、津波がその後に押し寄せた。高さ数㍍の波が海上を滑って走るように向かってくる。輪島漁港の湾内に大きな渦が出来て、漁船同士が衝突し沈没しかかっている船から乗組員を助け上げているを見て、現場へ走り、数回シャッターを切ってすぐ高台に避難した。大波が間近に見えていた。あの時、取材に欲を出してさらにシャッターを切っていたら、津波に足をすくわれていたかもしれない。乗組員の2人は無事だった。(※写真・上は、日本海中部沖地震で津波が輪島漁港に襲来したことを記載した紙面)

もう一つ。体験ではないが、津波への警戒を共有している地域がある。能登半島の尖端に位置する珠洲市の三崎地区。海岸沿いの道路を車で走ると、「想定津波高」という電柱看板が目に入る。中には「想定津波高 20.0m以上」もある=写真・下=。同市では2018年1月に「津波ハザードマップ」を改訂した際にリスクがある地域への周知の意味を込めて電柱看板で表記した。石川県庁がまとめた『石川県災異誌』(1993年版)によると、1833年12月7日に新潟沖を震源とする大きな津波があり、珠洲などで流出家屋が345戸あり、死者は約100人に上ったとされる。1964年の新潟地震や1983年の日本海中部沖地震、1993年の北海道南西沖地震などでも珠洲に津波が押し寄せている。

半島の尖端という立地では、震源地が遠く離れていたとしても常に津波を警戒する心構えが必要なのだろう。「想定津波高」の電柱看板からそんなことを学んだ。

⇒31日(木)午後・金沢の天気  はれ

☆「10年に一度」の猛暑まだまだ続く 「水がめ」や水田は大丈夫か 

☆「10年に一度」の猛暑まだまだ続く 「水がめ」や水田は大丈夫か 

猛暑日がきょう26日も石川県内に続くとして気象庁と環境省は8日連続となる「熱中症警戒アラート」を発表した(25日付)。さらに、気象庁は北陸などに高温に関する早期天候情報を発表した(24日付)。今月30日ごろからこの時期としては10年に一度程度しか起きないような著しい高温になる可能性があるとしている=予想図、気象庁公式サイトより=。このところ、気象庁は「10年に一度」を繰り返し述べているが、もう異常な暑さは日常になってきたのではないだろうか。それにしても、亜熱帯のような気候が続き、水不足にならないか、野菜やコメは育つのかと案じてしまう。

きのう午後、石川県内の河川でもっとも大きな手取川を巡った。白山(標高2702㍍)を源流とする手取川は加賀平野を流れ、日本海に注ぎこむ。手取峡谷にある落差32㍍のダイナミックな綿ヶ滝は見る人を圧倒する。さらに下流では、人々が手取川の水の流れと扇状地を加賀の穀倉地帯につくり上げた。2023年5月、ユネスコが定める世界ジオパークに白山と手取川の地質遺産や景観が認定された。

その手取川の上流にあるダムは、高さ153㍍の日本でも最大級のロックフィルダムとして知られる。手取川ダムの水は金沢市を中心として、北は七尾市能登島から南は加賀市まで供給されていて、県内の人口の7割をまかなっている。まさに「石川の水がめ」と言える。今回ダムを見渡して気になったのは、岩肌の一部が露出するなど貯水量が少ないように見えたことだ=写真、25日午後3時50分ごろ撮影=。ネットで調べてみると、きょう午前8時時点での貯水率は48.5%だ。雨が降らなければさらに貯水率は下がる。

2年前の2023年夏の渇水期のこと。北陸では7月下旬から高気圧に覆われて晴れの日が続き、ほとんどの地域で雨の量が平年の3割以下にとどまった。このため手取川ダムの貯水率は9月15日には18%にまで落ち込み、ダムが完成した1980年以降で最低を記録した。そして、全国的にコメが不作となり、2023年産米の供給が40万㌧足りなくなったことから、「令和のコメ騒動」などと騒ぎになった。

環境省公式サイトの「仮想水計算機」(バーチャルウォーター量自動計算)によると、コメ1合(約150㌘)分を収穫するには555㍑の水、そして茶碗1杯分のご飯を炊くまでには277㍑の水が必要とされる。猛暑が続けば、水不足が稲作の収穫量や品質に影響を及ぼす。「令和の米騒動」が再び起きないためにどのような対策を国や自治体は取るのか。手取川ダムの湖面を眺めながらそんなことを思った。

⇒26日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆AⅠが能登の現場に 交通誘導を仕切る、「言葉の壁」を超える 

☆AⅠが能登の現場に 交通誘導を仕切る、「言葉の壁」を超える 

去年元日に能登半島地震があり、それを機に金沢から能登を頻繁に往復している。被災地がどうなっているのか、その後どうなったのか気になるからだ。そのときに利用するのが自動車専用道路「のと里山海道」。先日、その道路を走行すると横田IC付近で看板が出ていた。「この先 AⅠ誘導中」と書いてある=写真・上=。さらに、看板の上の方をよく見ると、「AⅠ交通システム」とある。ここはこれまで警備員のおじさんたちが数人で仕切っていた。それがいつの間にか、AⅠが仕切っていた。

看板の先は片側交互通行の道路になっていて、設置されたディスプレイの画面が「STOP」と「GO」のサインを出している=写真・下=。カメラで画像解析を行い、車の通過状況をAⅠが解析しているのだろう。車は表示された指示に従い、スムーズに流れていた。

能登では、AⅠをインバウンド観光で駆使している事例もある。半島北部の能登町にある民宿が並ぶ「春蘭の里」。インバウンド観光のツアーや体験型の旅行の受け入れを積極的に行っている。47軒の民宿経営の人たちが自動通訳機「ポケトーク」を使いこなして対応している。

春蘭の里の代表から聞いた話だ。「ポケトークだと会話の8割が理解できる。すごいツールだよ」と。ポケトークは74の言語に対応していて、春蘭の里は通訳機を使うようになって年間20ヵ国・2000人余りを受け入れるようになった。70歳や80歳のシニアの民宿経営者たちがポケトークを使いながらインバウンド観光の人たちと笑顔でコミュニケーションを取っている姿はAⅠの進化、まさに「文明の利器」を感じさせる。そして、困難と言われ続けていた「言葉の壁」をしなやかに乗り越えた事例だ。

さらに多様な役目をこなすAⅠが現れるだろう。たとえば、会議を仕切るAⅠだ。会議で出た話を分析してまとめを行い、次の議事進行へと淡々と進める。そんな時代が間もなくやって来るのかもしれない。

⇒23日(水)夜・金沢の天気  はれ

☆北陸は梅雨明け、いきなり38度の酷暑、ハスの花に心和む

☆北陸は梅雨明け、いきなり38度の酷暑、ハスの花に心和む

本格的な夏がやって来た。気象庁はきょう北陸が梅雨明けしたとみられると発表した。ことしの梅雨明けは平年(7月23日)に比べて5日早く、去年(7月31日)に比べて13日早い。金沢地方気象台によると、北陸は太平洋高気圧に覆われておおむね晴れるものの、向こう一週間は山沿いや山地を中心ににわか雨や雷雨となる所もあるようだ。金沢の自宅近くにある大乗寺丘陵公園に行く。頂上部からは市街地や日本海を見渡すことができる。梅雨明けの金沢の上空を眺めると薄雲がところどころで広がっていた=写真・上、午前11時半ごろ撮影=。

それにしても暑い。うだる暑さだ。自宅近くにある街路の温度計で38度となっている=写真・中、午後3時すぎに撮影=。この暑さはこれでは済まないようだ。気象庁は今月14日、九州南部や沖縄地方を除く日本の広い範囲に「高温に関する早期天候情報」を発表した。今月20日ごろから、この時期としては10年に一度程度しか起きないような著しい高温になる可能性があるとしている。

この暑さの中、JR金沢駅の駅西広場では水辺に夏の花、ハスが咲き誇っている=写真・下=。淡い桃色の花は人の気持ちを和ませるだけでなく、心にしみこんでくるような存在感がある。「蓮(はす)は泥より出でて泥に染まらず」という教訓めいた言葉もある。水面下はドロ沼ではあるが、清らかで美しく咲く姿に、いにしえより人々は自らの人生を重ねてきたのだろう。

俳人の高浜虚子はこんな句をひねっている。 「黎明の雨はらはらと蓮の花」。明け方に雨が降り、蓮の池からパラパラと葉を打つ音がした。蓮を見ると花が咲いていた。花を見に来いと蓮が伝えてくれたのだろう。泥中の蓮の奥深い魅力ではある。

⇒18日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆金沢は「新盆」入り、「札キリコ」を吊るす墓参の風景

☆金沢は「新盆」入り、「札キリコ」を吊るす墓参の風景

金沢ではきょうから新盆に入った。15日ごろにかけて墓参が行われる。金沢の墓参りには特徴があって、盆花を供えて札キリコを吊るす。札キリコは親戚や恩人が入る墓に持参するもので、墓前に設置してある棒や紐に吊るす=写真=。この板キリコの表面には、浄土真宗の家の墓ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏面の「進上」には墓参した人の名前を記す。この札キリコによって、その墓の持ち主は誰が墓参に来てくれたのかということが分かる仕組みになっている。いわゆる墓参者の名刺代わりのようなものだ。

自身も4日前に墓掃除を行い、きょう午前中に墓参りを済ませた。それにしても、同じ石川県で新盆は金沢だけの慣習のようだ。細長い石川県の北側の能登、そして南側の加賀は旧盆の8月15日ごろに墓参りを行い、金沢だけが7月15日ごろの新盆の墓参りだ。ネットで検索すると、新盆は東京、函館、そして金沢などわずかな地域で、ほかは旧盆が主流のようだ。

では、なぜバラバラなんだろ。これもネットでの検索調べだが、それは旧暦と新暦の違いに由来するようだ。明治6年(1873)まで、日本では旧暦が使われており、旧暦の上でのお盆は7月15日だった。新暦に切り替わると、旧暦の7月15日を新暦にそのまま当てはめ、この日を「新盆」とするようになった。しかし、7月15日をお盆の日にすることでこれまでの季節感が異なることなどから、ちょうど1ヵ月遅らせることで本来のお盆に近い日にち、8月15日をお盆の日とすることが一般的になった。旧暦に倣おうということで、この日を「旧盆」と呼ぶようになったようだ(※金沢の「丸果石川中央青果」公式サイトから引用)。

話は逸れる。きょうお参りをした墓地の一角にトラ縄が張られていた。墓石のいくつかが倒れ掛かっている。去年元日の能登半島地震で金沢市寺町台のこの辺りの揺れは震度5弱だった。墓石のほかに、灯ろうや石垣が崩れている寺院や神社などもある。金沢城の石垣の修復もまだ半ばのようだ。震災から2度目の新盆を迎えた金沢の現状ではある。

⇒12日(土)夜・金沢の天気   はれ

★能登半島地震の仮設住宅団地をめぐる「期日前投票バス」のこと

★能登半島地震の仮設住宅団地をめぐる「期日前投票バス」のこと

きょう気象庁と環境省から石川県に「熱中症警戒アラート」が発表された。今月4日以来2度目。「梅雨明け宣言」もないまま、熱中症警戒アラートだけが先行している。日中の最高気温は金沢市で33度、輪島市で31度と平年を5度前後上回る厳しい暑さだった。

この暑さの中、参院選の有権者は期日前投票に足を運んでいる。去年元日の能登半島地震で仮設住宅が点在する志賀町富来では、バスを使った移動式の投票所が初めて導入されたと地元メディアで報道されていたので、きょう現地へ見に行ってきた。

志賀町では北鉄能登バス(七尾市)の路線バス車両を借りて、バスの車両中央部に投票用紙の記載場所と投票箱を備え、立会人は後方の座席から見守るという配置にしている。午前11時ごろに現地に着くと、仮設住宅「とぎ第4団地」(76世帯)のすぐ近くにバスが停まっていた。有権者が次々と訪れ、バスの入り口で受付を済ませ、バスに乗り込んで投票していた=写真=。同町選管の「移動期日前投票所のお知らせ」のポスターによると、きょうはこの後、13時からと15時から2ヵ所の仮設住宅団地を回る。あさって10日も3ヵ所を予定している。

バスの期日前投票所はきのう(7日)から始まっていて、近くに投票所がない8つの仮設住宅団地を中心に回るほか、若者に投票を呼びかけるために地元の公立高校でもお昼の時間にバスが停まった。バスの滞在は1時間から1時間30分と限られているものの、「動く投票場」は注目されたに違いない。

能登では志賀町のほか、珠洲市でもきのうからバスの期日前投票所が12ヵ所で開設されている。去年10月の衆院選では、近くに投票所がない仮設住宅団地が多いことや、車を持っていない高齢者が団地に多くいることなどが浮き彫りとなったため、今回参院選で「期日前投票バス」の導入に踏み込んだようだ。さらに行政側には投票率の向上につなげたいとの思いもあるのだろう。震災と選挙を考えるよい事例の一つかもしれない。

⇒8日(火)夜・金沢の天気   くもり後あめ

★安倍元総理銃殺事件から間もなく3年 能登空港で見た「聴衆を20㍍離す柵」

★安倍元総理銃殺事件から間もなく3年 能登空港で見た「聴衆を20㍍離す柵」

安倍元総理が奈良市で選挙応援演説中に銃撃され死亡してから、今月8日で3年になる。今でもこの銃殺は回避できなかったのかと思うことがある。最初、容疑者と安倍氏の直線距離は15㍍だった。その後、安倍氏の背後に回り込むように歩いて車道を横断。ショルダーバッグの中から手製の銃を取りだし、8㍍の距離から発砲した。周囲の人たちが大きな音に身をすくめる中、容疑者は白煙の上がる銃を手にし、さらに5歩前進。2.7秒後に、背後5㍍から2発目を撃った。音の方を振り向くような動きを見せていた安倍氏は身をかがめるようにして倒れた。容疑者は直後、車道上で取り押さえられた。警視庁のSP1人を含む4人の4警察官が警備にあたっていたにもかかわらず起きた事件だった。

今月4日、石破総理の街頭遊説が能登空港で行われたときの警備はどうだったのか。会場は能登空港の第2駐車場という空港ビルから100㍍余り離れた場所で、周囲には空港ビル以外の建物はない。入り口が設けられていで、ここで金属探知と手荷物の検査が行われていた。検査を行っていたのは警備会社のスタッフだった。入り口では警察官がなるべく手荷物を持ち込まないようにと呼びかけていたので、自身はスマホと車のキーのみを持って入ったので、金属探知のみだった。

ただ、一瞬あれっと思ったのは、金属探知が終わっていきなり、警備会社のスタッフが紺色の丸いシールを左胸の上に貼ったことだった。検査済みという意味だと理解するのに数秒かかった。街頭遊説の主催者は自民党石川県支部連合会で、主催者の発表だと参加者は700人とのこと。

石破総理は選挙カーに上がって演説をしたが、聴衆は選挙カーから20㍍余り離れた柵の中で聴いていた=写真=。聴衆の中からは「えらいものものしい雰囲気やな」や「石破さんの顔がよう見えん」などと声が上がっていた。確かに20㍍も離れると、自身も演説者の顔がよく見えなかった。カメラ撮影はOKとのアナウンスがあったので、石破総理ら演説者の表情はカメラ画像で確認した次第。

こうした警備態勢は警察と主催者側が事前に打ち合わせをして敷いたのだろう。能登空港では起きなかったが、安倍事件以降で選挙活動中に政治家が襲われる事件が相次いでいる。2023年4月には、和歌山市の漁港で選挙の応援に訪れていた当時の岸田総理に向かって手製の爆発物が投げ込まれるという事件もあった。政治家の街頭演説の20㍍の柵はさらに伸びていくのかもしれない。

⇒6日(日)午後・金沢の天気   はれ

☆熱中症警戒アラートの中、能登で石破総理が応援演説、熱気の「あばれ祭」

☆熱中症警戒アラートの中、能登で石破総理が応援演説、熱気の「あばれ祭」

金沢はきょうも朝から蒸し暑かった。気象庁と環境省は午前5時に、石川県内で熱中症の危険性が高まったとして今季初めて「熱中症警戒アラート」を発表した。金沢地方気象台によると、きょうの最高気温は能登半島の尖端に位置する珠洲市で34.2度、加賀市で34.1度、小松市で33.5度、金沢市で33.3度と県内11の観測地点すべてで真夏日となった。気象台では、エアコンを適切に利用したり、こまめに水分や塩分を補給したりするなど熱中症予防を呼びかけている。去年元日の能登半島地震の被災地では、公費解体などの作業に追われている被災者や作業員の人たちも多く、熱中症が気になる。

この危険な暑さの中、きのう公示された参院選で自民党総裁の石破総理がきょう党公認候補の応援演説のため、輪島市の能登空港を訪れた。地元メディアの報道によると、石破総理は遊説先の福島県からチャーター機で能登空港に降り立ったようだ。自身も金沢から空港の会場に行き、総理の演説に耳を傾けた。

午後2時ごろマイクを握った石破総理=写真・上=は、1年半が経過した能登半島地震を振り返り、「財政力が弱いから、地形が厳しいから対応できないということは国家が言うことではない。能登から新しい日本をつくっていく」と訴えた。また、「世界有数の災害大国ならば世界一の防災大国にしなければならない」と述べ、事前防災と災害対応の司令塔となる「防災庁」の必要性について強調していたが、どこに本部を置くかなどの具体案はなかった。また、能登の被災地の復旧・復興についての具体策についても言及はなかった。

総理の演説の後、能登半島をさらに北上し、能登町宇出津(うしつ)に着いた。夏から秋にかけて能登の各地で催されるキリコ祭りの先陣を切る「宇出津のあばれ祭(まつり)」が始まっていた=写真・下=。能登では「1年365日は祭りの日のためにある」という言葉があるくらい、人々は祭りにこだわる。その能登の祭りで、一番威勢のいい祭りとして知られるのが、宇出津のあばれ祭だ。

地元でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を老若男女が担ぎ、「イヤサカヤッサイ」の掛け声が港町に響き渡っていた。熱気あふれるとはこの事をことを言うのだろうと実感した。絶好調になると、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。それを神が喜ぶという伝説がある祭りだ。

⇒4日(金)夜・金沢の天気   はれ

★クマの大量出没を警戒、石川県が注意報で呼びかけ

★クマの大量出没を警戒、石川県が注意報で呼びかけ

ツキノワグマの大量出没が懸念されるとして、石川県自然環境課はきのう(27日)、「出没注意情報」を出して警戒を広く呼びかけている。ツキノワグマの出没注意報は4年連続となる。人身事故が発生した場合、県では「警戒情報」に切り替えて警備を強化する。

県内の各自治体や県警、猟友会などの関係者を集めて開かれたクマ出没対応連絡会議での県の説明によると、5月下旬から6月にかけて行ったクマの餌となる植物3種(ブナ、ミズナラ、コナラ)の雄花の落下数を調査した結果、クマの主要な餌であるブナは22地点のうち20地点で大凶作、2地点で凶作となり、今秋は全体で大凶作が予想されると判断した。ミズナラは豊作、コナラは並作だった。これまでのデータで、ブナが大凶作だった2020年にはクマの目撃件数は869件となり、人身被害は15人に上った。

ことしに入り県内ではすでに129件の目撃情報が寄せられている。地域別では小松市など南加賀が99件ともっとも多く、次いで金沢市周辺での21件などとなっている。春から夏に向かう今の季節では、交尾期のクマや親離れした若いクマの行動が広範囲で活発となる。

また、最近では「アーバンベア(都市型クマ)」と呼ばれ、市街地周辺で暮らし、街中に出没するクマも増えている。ペットフードや生ごみなどをあさる。(※イラストは、石川県公式サイト「ツキノワグマによる人身被害防止のために」から)

クマの市街地での出没や人身事故は石川県だけでなく全国的な問題となっている。このため国はことし4月18日、クマやイノシシが市街地に出没し、建物内に立てこもったり、木の上に登ったりするなど膠着状態が続いた場合、それぞれの自治体の判断で発砲できるようにする「改正鳥獣保護管理法」を成立させた。施行日は公布から6カ月以内とし、クマの出没が増える秋をめどとしている。

以下は憶測だが、能登に行くと山々がうっそうとしていて、スギやアテ(能登ヒバ)などにツル草が絡んで、まるで原生林に戻ったように山が荒れている。去年元日の能登半島地震で山を手入れする人や業者の手が回らないのだろうか。クマやイノシシはそこを狙ってやって来るのかもしれない。県に寄せられた能登地区の9市町での目撃情報は去年1年で36件、ことしは9件(今月25日時点)となっている。秋にかけてさらに増えていくのか。

⇒28日(土)夜・金沢の天気  くもり

☆のと・かが小話・・参院選ポスター掲示板、能登島の橋、和倉温泉

☆のと・かが小話・・参院選ポスター掲示板、能登島の橋、和倉温泉

参院選挙に向けてポスター掲示板が設置されている=写真・上=。7月3日公示、20日に投開票が想定されてのことのようだが、有権者は何を想うだろうか。金沢市内では592ヵ所に設置される予定で、あす22日までの4日かがりの作業のようだ(20日付・地元メディア各社の報道)。それにしても気になるのは参院選の投票率だ。前回2022年7月10日投開票の石川選挙区の投票率は46.4%、同年4月24日の補選は29.9%だった。辛口の知人は「参院なんて、いらないよ」と。「なぜ」と問うと、「二院制の役割がどこにあるのか見えない。税金のムダ遣い」と手厳しい。

2016年6月19日に改正公選法が施行され、選挙権年齢は満20歳から満18歳以上に引き下げられた。あれから9年、日本の選挙に若者の息吹は感じられるか。これについても、先の知人は「親も行かない選挙に子が行くか」と、これまた冷めた言葉が。

話は変わる。去年元日の能登半島地震で半島の中ほどにある七尾市能登島の「ツインブリッジのと」(中能登農道橋、620㍍)が被災し、1年半にわたって通行止めが続いていたが、今月16日から片側交互通行が可能になった=写真・中=。そこで、今月18日に現地に行って見てきた。能登島と本土をつなぐ橋は2本あり、島の南側の「能登島大橋」(1050㍍)は震災での影響はなかった。一方で、北側のツインブリッジは地震で橋桁が損傷し、さらに道路との間に40㌢ほどの段差ができたことから通行止めが続いていた。このため、島の一部の住民は本土とのアクセスで遠回りを強いられていた。また、能登島にある「のとじま水族館」や「ガラス美術館」へのアクセスにはツインブリッジが近く、復旧が待たれていた。

片側交互通行ながら大動脈が復活したことで、能登島の産業の柱である観光の回復に弾みがつくに違いない。橋梁を管理する七尾市農林水産課と復旧作業を担当する石川県中能登農林総合事務所では来年3月までに片側交互通行の解除を目指すようだ。

能登島からの帰りに和倉温泉に立ち寄った。震災で損壊した旅館やホテルの解体作業が行われていた=写真・下=。地元メディアの報道(6月20日付)によると、和倉温泉旅館協同組合に加盟する20軒のうち10軒が公費または自費で解体。うち1軒は解体を終え、3軒が着手、6軒が今後予定する。現在、建物の修復などを終えた5軒が営業を再開していて、来年春までにさらに4軒が再開の見込みという。

老舗旅館「加賀屋」は来年2026年度中に本館ならびにグループ旅館合わせて4軒の営業再開を目指している。和倉温泉は能登の観光産業の柱でもある。能登島を含めて、復興の弾みとなることに期待したい。

⇒21日(土)夜・金沢の天気  はれ