⇒ドキュメント回廊

★雪をすかすとスコップの先から海の環境問題が見えてくる

★雪をすかすとスコップの先から海の環境問題が見えてくる

けさ午前5時過ぎに能登半島の尖端、珠洲市で震度4の地震があった。震源をチェックすると、2024年元日の震度7、マグニチュード7.6の能登半島地震の震源と近い。まだ、能登地震は収まっていないのか。そしてけさから強風が吹いている。気象庁では、大気の状態が非常に不安定となる見込みで、北陸地方に落雷や突風、高波が発生する恐れががり、注意を呼びかけている。大雪の心配はないようだ。

このところ毎日のように「雪すかし」をしてきたが、やはり気にかかるのはマイクロプラスチックのことだ。かつて、スコップは鉄製が多かったが、軽量化とともにアルミ製に変化。さらに、最近はプラスチックなど樹脂製が主流だ。除雪する路面はコンクリートやアスファルトなので、そこをスコップですかすとプラスチック樹脂が摩耗する=写真・上=。微細な破片は側溝を通じて川に流れ、海に出て漂うことになる。

粉々に砕けたプラスチックは海を漂い、海中の有害物質を濃縮させる。とくに、油に溶けやすいPCB(ポリ塩化ビフェニール)などの有害物質を表面に吸着させる働きを持っているとされる。そのマイクロプラスチックを小魚が体内に取り込み、さらに小魚を食べる魚に有害物質が蓄積される。食物連鎖で最後に人が魚を獲って食べる。この不都合な真実の解決方法はただ一つ。一部には製品化されたものもあるが、スコップのさじ部分の尖端を金属にすることだろう。これを法令で措置すべきではないだろうか。使い捨てプラスチック製品を規制す法律はあるものの、スコップ先まで規制する細やかな規制はまだない。

海の環境問題をテーマにした作品を思い出す。2021年に能登半島先端の珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭2020+」で、インドの作家スボード・グプタ氏の作品「Think about me(私のこと考えて)」。大きなバケツがひっくり返され、海の漂着物がどっと捨てられるというイメージの作品だった=写真・下=。プラスチック製浮子(うき)や魚網などの漁具のほか、ポリタンク、プラスチック製容器など生活用品、自然災害で出たと思われる木材などさまざまな海洋ゴミだ。実際にグプタ氏が能登の海岸を歩き、この作品づくりを発想した。作品の漂着ごみのほとんどが実際にこの地域に流れ着いていたものを拾い集めた、とあった(ガイドブック)。

日本海の漂着ごみは大陸の沿岸からも流れてくる。ポリタンクのほか、医療系廃棄物の不法な海洋投棄もあり、まさに国際問題だ。「地中海の汚染防止条約」とも呼ばれるバルセロナ条約(1978年)があるように、日本海にも汚染防止条約が必要だ、とグプタ氏の作品を見て考えるようになった。「Think about me」と訴えかけてくる。

⇒13日(火)午前・金沢の天気    くもり時々あめ

☆能登半島地震から2年、犠牲者700人余 花を手向け追悼式

☆能登半島地震から2年、犠牲者700人余 花を手向け追悼式

大晦日の昨夜、NHKの番組『紅白歌合戦』を視聴していると、地震速報のテロップが入った。「午後11時27分ごろ東北地方でやや強い地震がありました」と。岩手県沖で発生したマグニチュード(M)5.7の地震で、盛岡市で最大震度4だった。東北の人々にとっては恐怖だったろう。それにしても年末を締めくくる番組の大トリの場面で地震か、と。北陸に住む自身は「嫌がらせ」のように感じた。2024年の能登半島地震は元旦だったので、つい関連付けて「大晦日と元旦に事を起しやがって」と思った次第。とは言え、ことしの干支は午(うま)。「人間万事塞翁が馬」という座右の銘がある。安易に一喜一憂しないことだ。

元旦のきょう、能登半島地震と奥能登豪雨(2024年9月)で亡くなった人たちを弔う追悼式が輪島市にある能登空港に隣接する日本航空学園キャンパス体育館で営まれた。また、能登地区の市役所や町役場、そして石川県庁(金沢市)など10ヵ所で献花台が設けられ、自身も県庁で黙とうを捧げてきた。献花台の横にはテレビモニターが設置され、輪島での追悼式の様子がリアルタイムで映し出されていた。(※写真は、石川県庁に置かれた献花台で黙祷をささげる人たち)

追悼式では、馳知事や地震当時の総理大臣だった岸田文雄議員が追悼の言葉を述べていた。印象的だったのは遺族代表の中山真さんの語りかけるような言葉だった。中山さんは輪島市町野町に住み、地震で自宅が全壊する被害を受け、さらに豪雨災害では当時31歳の姉を亡くした。地域の絆(きずな)を語り合いで繋いでいきたいと、被災地のFM放送である「災害FM」の立ち上げに関わり、現在、パーソナリティーを務めている。中山さんは「今後もラジオを通して震災や豪雨で大切な人を亡くした悲しみを抱える方に寄り添いたい」「姉は空の上から聴いてくれていると信じている」と述べていた。

この後、地震が発生した午後4時10分に合わせて1分間の黙とうをささげた。引き続き、オーケストラアンサンブル金沢のメンバーによる弦楽奏がしめやかに流れる中で献花が行われ、参列した人たちが花を手向けて犠牲者を悼んだ。

地震による犠牲者は2025年12月25日時点で、石川、富山、新潟3県で計703人(直接死228人、災害関連死475人)。石川県内では、関連死の審査を待つ人が12月末時点で251人いて、さらに増える可能性がある。また、輪島市では2人が行方不明となっている。豪雨では災害関連死を含めて20人が亡くなっている。

住宅被害は、3県に福井を加えた4県で計16万5千棟にのぼり、うち石川県内は11万6千棟となっている。石川県内では半壊以上の建物で、申請のあった4万4千棟の公費解体をほぼ終えている。石川県内の被災者で、仮設住宅で暮らす人は9135世帯・1万8586人にのぼる(12月1日時点・石川県生活再建支援課まとめ)。

⇒1日(木)夜・金沢の天気   ゆき

★ゆく年くる年、能登地震から2年⑤~震災の犠牲者を追悼する除夜の鐘

★ゆく年くる年、能登地震から2年⑤~震災の犠牲者を追悼する除夜の鐘

寺の鐘つき堂で勢いをつけて鐘をつくと、その響きが全身を包むように伝わってきて、欲望や執念にかられた煩悩が払われたような気持ちになる。大晦日のきょう、菩提寺の龍渕寺(金沢市野町3丁目)では門徒や近所の人たちが自由に鐘をつくことができる「プレ除夜の鐘」というイベントが行われた。時間は午後2時から2時間と限られていたが、子どもたちも参加して、鐘をついていた=写真・上=。笑顔で鐘をつく人もいれば、ついた後で涙をぬぐっている人もいた。それぞれが想いを込めて鐘をついていたのだろう。寺院ではあす1月1日は能登半島地震で亡くなった人たちの3回忌にあたることから追悼法要が営まれ、犠牲者の鎮魂を祈った。

この一年の大きなイベントと言えば、世界158の国・地域が184日間にわたって歴史・文化や最先端のテクノロジーなどを発信した大阪・関西万博大阪だった。能登から発信したのは、あの輪島塗の地球儀『夜の地球 Earth at Night』だ=写真・下=。展示された万博展示棟には国内外から321万5784人が鑑賞に訪れた。8月には秋篠宮家の次女佳子さまも見学されるなど、能登復興のシンボルとしても注目を集めた。

この地球儀は輪島塗の人間国宝の小森邦衛氏を中心に5年がかりで制作した作品。間近で観賞すると、宇宙に浮かぶ夜の地球にロマンを感じさせ、まさに漆黒の芸術作品だ。そういえば、万博会場で地球儀を見学した東京の知り合いからこんなSMSメールが届いた。「夜の地球儀は名作だね。ところで昼の地球儀はあるの」と。なるほど思いながらも、説明するのに窮した。「輪島塗は黒をベースに金箔や蒔絵で模様を描くので、昼の地球儀は難しいかも」と返信。すると、「調べたら、輪島塗は漆黒がベースで、朱色もあるね。夕焼けの地球儀もいいかも」と妙に理解してくれたようだった。夜の地球儀は、石川県輪島漆芸美術館で常設展示されている。

受け継がれる万博のレガシーもある。大屋根リングは1周2㌔、高さ最大20㍍の世界最大の木造建築物としてギネス世界記録にも認定された。万博閉幕後は解体され、木材は無償で譲渡されている。能登半島の尖端に位置する珠洲市もその一部を譲り受ける。能登地震の「復興公営住宅」の一部に活用されるようだ。関わっている建築家は坂茂(ばん・しげる)氏だ。阪神・淡路大震災(1995年1月)を契機に復興支援に取り組んでいて、能登半島地震でもいち早く行動を起こしたことで知られる。珠洲市にはすでに坂氏が監修した仮設住宅なども整備されている。復興公営住宅では万博のシンボルである大屋根リングがどのように再活用されるのか。まさに万博のレガシーが能登でよみがえるのではないだろうか。

⇒31日(水)午後・金沢の天気   あめ

☆ゆく年くる年、能登地震から2年④~大の里関、永井豪氏のメッセージ

☆ゆく年くる年、能登地震から2年④~大の里関、永井豪氏のメッセージ

この一年を振り返って、人物名として浮かぶのはやはり石川県の郷土力士、横綱・大の里関だ。同じ横綱の輪島以来52年ぶりに地元から横綱に昇進した。6月29日に大の里関の祝賀バレードが出身地の津幡町で開催された。同町に住む親せきが自宅の2階から撮った写真を送ってくれた。オープンカーに二所ノ関親方と大の里関が乗り、こちらに向かって手を振ってくれている=写真・上=。1.2㌔のルートを30分ほどかけて進み、沿道の町民やファンが「おめでとう」などと盛んな声援を送っていたようだ。去年9月の大関昇進、そしてことし5月の横綱昇進は、去年元日の能登半島地震に見舞われた地元石川の人々にとって、「唯一無二」の励みとなったのではないだろうか。

大の里関は第75代横綱となり、石川県では「3人目の横綱」と呼ばれている。「黄金の左」と呼ばれた第54代横綱の輪島(1948-2018)は能登半島の中ほどにある七尾市出身、そして江戸時代後期に活躍した第6代横綱の阿武松緑之助(おおのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)は半島尖端に位置する現在の能登町の出身だ。阿武松は個性の強い人物と伝えられ、立合いでよく「待った」をかけたようだ。当時の江戸の庶民はじれったいことをすると、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし…」と相手をなじった、という。それほど話題になった人物だった。能登町の海辺に、高さ4.5メ㍍、幅2.4㍍の石碑(1937年建立)がある。案内板によると、相撲力士碑としては日本一の大きさのようだ。能登半島地震にも耐え、堂々と海を望むように建っている=写真・中、2024年4月撮影=。

石川県とゆかりのある人物をもう一人。11月の秋の叙勲受章式で、芸術文化の分野で漫画家の永井豪氏に旭日小綬章が贈られた。永井氏は能登半島の輪島市出身で、朝市通りにあった「永井豪記念館」の名誉館長をつとめていた。今から40年余り前の話だが、自身は新聞記者として輪島支局に赴いた。当時の永井氏の作品のイメージは、『ハレンチ学園』などギャグ漫画だった。地元の人たちは永井氏が輪島出身ということを知ってはいたが、当時それを自慢話として語る人はいなかった。

地元での評価が一転したのは日本のアニメが海外で大ブームとなり、永井氏の『UFOロボ グレンダイザー』などがヨーロッパで人気を博したことだった。輪島市役所は2009年に「永井豪記念館」の設置へと動いた。2019年、フランス政府から芸術文化勲章「シュバリエ(騎士)」が永井氏に贈られた。永井豪記念館にはインバウンド観光の見学者が増えるなど、観光スポットにもなった。その記念館が能登地震で朝市通り一帯が焼けて、ビルも焼け焦げた=写真・下、2024年3月撮影=。

その後、ビルは公費解体で撤去された。永井氏と所属プロダククションは輪島市と石川県にそれぞれ1000万円、計2000万円の義援金を贈っている。永井氏は「漫画はつらいときこそ、力になって希望を満たすことができる。漫画を描くことで『前に進もう』というメッセージを伝えたい」と語っていた(2024年1月25日付・読売新聞オンライン)。永井氏はことし6月に輪島市を訪れ、市役所に輪島塗の額に入った『マジンガーZ』の活版印刷作品など11点を寄贈した。翌7月には永井氏らが行ったチャリティーオークションで得た収益金1億2300万円を石川県庁を訪れて寄付している。ふるさとへの想いが伝わって来る。「前に進もう」

⇒30日(火)午後・金沢の天気   あめ

★ゆく年くる年、能登地震から2年③~クマが「参拝出没」、能登に泳ぎ渡るのか

★ゆく年くる年、能登地震から2年③~クマが「参拝出没」、能登に泳ぎ渡るのか

前回ブログで述べた日常で警戒するリスクは地震のほかにもある。。クマの出没が金沢でも相次いでいる。石川県自然環境課がまとめている「令和7年ツキノワグマ目撃痕跡情報」(12月24日時点)によると計409件に上り、このうち金沢市内では61件だ。身近なケースでは、11月11日午後6時35分ごろ、山手に近い銚子町で体長1㍍ほどの1頭を目撃したと住民から行政に出没情報が寄せられた。このため、市職員と警察署員がパトロールを行い警戒した。銚子町は付近に北陸大学があり、金沢大学とも近い。金沢大がある角間キャンパス付近では「クマ注意」などの看板が掲げられている。通学する学生たちの間でも緊張感が漂っているのではないだろうか。

懸念されるのは正月の神社への初詣だ。「白山さん(しらやまさん) 」と呼ばれる、白山市の白山比咩神社は金沢からの参拝者も多い。その白山さんの境内に七五三詣での時季にクマが出没してニュースになった。11月1日午前6時10分ごろ、「クマが南参道から神社の建物の方へ向かっていくのを参拝者が目撃した」と神社から市に通報した。境内では10月22日午後にもクマが目撃されていた。白山比咩神社に行くと、本殿入り口の山門などに「クマ出没注意」の立て看板が置かれていた=写真・上、10月23日撮影=。クマによる人身被害は令和2年(2020)に金沢市や白山市などで15人に及んでいる。注意したい。

冒頭の目撃痕跡情報409件のうち、白山麓の加賀地区の4市(加賀、小松、能美、白山)で360件、医王山がある金沢と周辺の2市1町では81件となる。では能登地区ではどうか。9市町で28件となっている。半島という立地、そして標高の高い山がないことからクマの出没は少ないのだろうと考えがちだが、そうでもない。令和3年(2021)は年間で計264件だったが、うち60件が能登地区だった。同年の目撃痕跡のマップ図=写真・下=を見ると、加賀地区や金沢周辺では山沿いが多いが、能登では海沿いが多い。とくに半島尖端の珠洲市や能登町での情報はまさに海岸沿いだ。とうことは、クマは対岸の富山県から富山湾を泳いで能登に渡って来たのだろうか。あくまでも憶測だ。 

実際、泳ぐクマを見たことがある。40年余り前の話だ。新聞記者時代にレジャー欄で『ぐるり白山』という企画記事を担当していた。富山県の庄川峡を訪ね、小牧ダムで遊覧船に乗って、大牧温泉に向かった。季節は6月だった。曇り空で今にも雨が降りそうな天気。出港してしばらくして乗客がざわめいた。「クマが泳いでる」。船の舳先を横切るように犬かき姿で泳いでる。しかも、かなり速いスピードで、対岸に向かっていた。エサを求めて泳ぎ渡る。本能として泳ぐ。生き抜くための生命力というものを当時感じた。

それ以来、クマは泳ぐ動物というイメージが自身にはインプットされている。能登半島の尖端の海岸沿いで目撃されるクマ情報。繰り返すが、富山湾を泳いで渡って来るのだろうか、これからも注視したい。

⇒29日(月)午後・金沢の天気   はれ

☆ゆく年くる年、能登地震から2年②~金沢直下の断層帯が動くと被害は

☆ゆく年くる年、能登地震から2年②~金沢直下の断層帯が動くと被害は

この2年で感じていたリスクは何だったかと考えてみると、やはり地震だ。能登半島地震で少々過敏になっているのかもしれないが、2024年元日に半島尖端を震源とするマグニチュード7.6、震度7の地震以降、11月26日にも半島の西方沖を震源とするM6.6、最大震度5弱の揺れがあった。元日の地震が南下したように感じる。半島西方沖の地震はことしに入って、M4クラス、最大震度3の揺れが3回起きている。

そんな折、石川県危機対策課はことし5月7日に地震の被害想定を27年ぶりに見直し、報告した。政府の地震調査委員会が去年8月に示した「長期評価」などに基づき、9つの断層帯で将来、大地震が発生することを想定したものだ。それによると、人や建物への被害が最も大きいとされるのは金沢市の直下を走る「森本・富樫断層帯」(全長26㌔)で、最大震度7の揺れが金沢市で想定されるとしている。今回の見直しで特徴的だったのは、被害想定が正月やゴールデンウィークなど5つの状況を設定され、精密に被害を予測していることだ。以下、冬の被害想定をチェックすると。

冬の朝5時に地震が発生した場合、2212人が亡くなると見込まれている。要因別では、雪の重みなどによる建物の倒壊での死者が2029人と最も多く、次いで火災が94人、ブロック塀の倒壊や自販機などの転倒などによる死者が81人などと推定されている。けが人は9344人に上ると試算される。地震発生から1週間後の避難者は19万1898人と想定されている。

冬の午後6時に地震が発生した場合、もっとも多くなると推定される。この時間は、火気の使用で火災の危険が高まることや、積雪の重みで倒壊する家屋が増えることも考慮され、4万6947棟が全壊・全焼、5万5359棟が半壊と予測される。金沢市では36%の建物が全半壊することになる。

今回の被害想定の見直しは、1998年3月の被害想定が現状とかけ離れていることも背景にあった。前回の想定では能登半島北方沖断層(50㌔)を震源とするマグニチュード7.0の地震が起きた場合、死者は7人、建物の全壊は120棟になると想定していた。実際に起きた去年元日の能登半島地震では、建物の倒壊などによる直接死は228人、関連死は456人にのぼる(今月23日時点)。住家の全半壊は2万4891棟におよんでいる(11月20日時点)。

県の被害想定の見直し発表以降、金沢の町内会でも震災に関するセミナーや、震災を想定した避難訓練が行われるようになった。数値のリアルさ、そして能登半島地震が金沢の住民を災害訓練へと動かしている。

⇒28日(日)午前・金沢の天気   はれ

★ゆく年くる年、能登地震から2年①~金沢城の「しめ飾り」と崩れた石垣その後

★ゆく年くる年、能登地震から2年①~金沢城の「しめ飾り」と崩れた石垣その後

きょうを含めてことしもあと5日。雪景色の金沢市内は多くの観光客でにぎわっているが、一方で正月の準備も進んでいる。市の中心街にある金沢城公園の橋爪一の門では恒例の「しめ飾り」が取り付けられた。きょう街に出たついでに見学に行くと、ここも人だかり。正月飾りを珍しそうに撮影するインバウンド観光客も多くいた。金沢城の橋爪門は正門とされ、しめ飾りはここだけに取り付けられている=写真・上=。

面白いのはしめ飾りの呼び方で、「数の子飾り」。藩政時代に浮世絵の巌如春(いわお・じょしゅん)が描いた『加賀藩儀式風俗図絵』の中で、元日の登城の風景画として出てくる=写真・中、金沢大学附属図書館デジタルアーカイブ「儀式風俗図絵」より=。しめ飾りは稲なわで造られ、縄の長さは約3間(5.4㍍)あり、数の子を横にしたカタチにも見える。見た目だけではなく、数の子を「子が多い」という意味でとらえ、子孫繁栄の願いが込められているようだ。しめ飾りは1月14日まで設置されている。

それにしても金沢城公園をぐるりと取り巻く石垣は壮観だ。城郭は石の素材やカタチや大きさ、積み方、そして年代など実に多様性に富んでいて、「石垣の博物館」とも称される。2024年元日の能登半島地震で石垣の一部が崩れ落ちた。半島尖端の震源地から直線距離にして120㌔ほど離れていたが、金沢は震度5強の揺れに見舞われた。このため、石垣の被害は30ヵ所に上り、うち江戸から昭和期にかけて造成された5ヵ所で崩落が起き、23ヵ所で壁面が膨らむなど変形した。(※写真・下の上はきょう27日に、下は能登地震直後の去年1月2日にそれぞれ撮影)

その一つ、「本丸南石垣」に行って見ると、復旧途中であるものの石垣が元の姿に戻りつつあった。落ちた石195個を回収して、1ヵ所に集め、形状などから元の配置場所を特定。その場所を示す数字を回収した石にそれぞれナンバーリングした。それを元に再度積み上げる作業が行われている。

金沢城の石垣の石は8㌔ほど離れた戸室山の周辺から運ばれた安山岩だ。金沢では「戸室石(とむろいし)」として知られる。赤味を帯びた石は「赤戸室」、青味を帯びたものは「青戸室」と称される。戸室山で発掘した石を運んだルートを石引(いしびき)と言い、現在でも「石引町」としてその名前は残っている。石垣の石には歴史が刻まれている。

「ゆく年くる年、能登地震から2年」と題して、2024年元日の能登半島地震のその後の現状をまじえながら各地の年末年始の光景を綴る。

⇒27日(土)夜・金沢の天気   はれ

☆金沢で今季初の積雪 「雪すかし」に暗黙のご近所ルール

☆金沢で今季初の積雪 「雪すかし」に暗黙のご近所ルール

朝起きると雪が積もっていた。金沢の自宅庭では5㌢ほどになっている。この冬初めて庭に雪が積もった。近くにある道路の気温計は正午過ぎで、「0度」となっていた=写真=。そして風も強い。金沢地方気象台によると、金沢では午前2時前に28.4㍍の最大瞬間風速が観測されている。この強風で金沢市のフットボール専用スタジアムの屋根が20枚ほど剥がれ落ちたと地元メディア各社が報じている。気象台によると、27日朝6時までにさらに平地で5㌢、山地に10㌢の積雪が予想され、今夜遅くにかけての落雷や突風に注意するよう呼びかけている。いよいよ本格的な冬の訪れだ。

雪の積もった自宅前の道路で今季初めて「雪すかし」をした。「雪かき」という言葉を使う人もいるが、いわゆる除雪のこと。すかした雪を家の前の側溝に落とし込み、積み上げていく。冬場の側溝は雪捨て場だ。気温が5、6度に上がると雪解け水が側溝を流れ出す。すると、積み上げられ固まった雪を融かして用水や川に流れていく。翌朝、また側溝に雪を捨てるということを繰り返す。

この雪すかしにはちょっとした「暗黙のご近所ルール」がある。何㌢以上の積雪があると町内が一斉に除雪するというルールや当番がいるわけではない。町内の児童たちが登校する前の午前7時ごろ、ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと雪すかしを始めるとそれが合図となり、ご近所の人たちもスコップを持って家から出てる。「よう降りましたね」「冷え込みますね」と朝のあいさつを交わす。いつの間にかご近所が一斉に雪すかしをしている。

雪すかしをする範囲についても暗黙のご近所ルールがある。すかす範囲はその家の道路に面した間口部分となる。角にある家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪する。しかも、車道の部分はしなくてよい。つまり、登校する児童たちが歩く「歩道」部分でよい。

暗黙のご近所のルールに従わなかったからと言って、罰則や制裁があるわけではない。雪は溶けて消えるものだ。しかし、町内の細い市道でどこかの家が積雪を放置すれば、交通の往来に支障をきたすことになる。もちろん、道路の雪害は住民の責任ではなく、行政にある。一方で道路を使うのは住民なので、公共の意識で出来る範囲で除雪を行う。そんなルールだ。町内の雪すかしは、雪国の住民の「自助・共助」の光景でもある。

⇒26日(金)夜・金沢の天気  くもり

★あの歌手が広報誌におちゃめなポーズ /「絶景海道」通行可能に

★あの歌手が広報誌におちゃめなポーズ /「絶景海道」通行可能に

きのう(16日)所用で中能登町役場を訪れた。入り口で町の広報誌があったので手に取ると、表紙を飾っていたのは歌手の一青窈さんだった=写真・上=。おちゃめなポーズで。2ヵ月前のブログ(10月12日付)でも記したが、この町は一青窈さんの先祖の地でもあり、「一青」という地名もある。彼女はこの町出身の母親と台湾人の父親との間で生まれた。ヒット曲に『ハナミズキ』という曲があるが、この町にも「花見月(はなみづき)」という地名の田園地帯が広がる。

10月12日に開催された町制20周年記念の音楽イベントでは、メインゲストとして出演。町と関わるエピソードも披露した。『もらい泣き』でデビューした時、町の酒造蔵から純米吟醸酒「一青(ひとと)」をお祝いにもらい感動したと話した。そして、去年元日の能登半島地震の被災者が入る仮設住宅を訪れ、入居する人たちと交流したことにも触れていた。

では、なぜ広報の表紙がJR七尾線の駅「能登部」でのポーズ写真なのか。これは町の人は知っていることだが、町ではJR西日本金沢支社に働きかけ、2015年に列車の発着を知らせるメロディーを『ハナミズキ』に変更してもらった。町内にある良川、能登二宮、能登部、金丸の4つの駅で、電車が通るたびにこのメロディーが流れる。「♪果てない夢が ちゃんと終わりますように 君と好きな人が百年 続きますように」。駅で列車が近づいてくると、このメロディーがじんわりと心に響いてくる。一青窈さんはこのことを聞いて駅に確認に行き、メロディーが流れるのを聴いてうれしくなったのかもしれない。それがこのおちゃめなポーズに。

話は変わる。 能登半島をめぐる幹線道路の国道249号は能登地震、そして同年9月の記録的な大雨により一部区間で不通が続いていたが去年12月末から全線で通行が可能になった。ただ、一部区間は1車線となり、地元住民や緊急車両に限っての利用となっていた。それが、今月23日から一般車両も通行が可能になる。

その一部が半島の尖端で「塩田村」として知られる珠洲市仁江町と観光ホテルなどがある同市真浦町を結ぶ2.7㌔の道路。本来通っていたトンネルが土砂で埋まり通行不能となっていたが、国土交通省がトンネルの海側沿いにバイパス道路を造成していた。日本海の荒波が岩場に当たって舞い上がり、地震で崩れた山の岩肌がむき出しになった場所をバイパス道路で通る=写真・下=。素人目線でも「絶景」という言葉が浮かんでくる。そして、この光景はまさにジオパーク(Geopark)ではないだろうか。大地の造形物が何千年、何万年と歴史を刻みながら少しづつ姿を変えきたのだと実感する。一般車両も通行可能になる絶景海道をぜひ車で走ってみたい。

⇒17日(水)午後・金沢の天気   くもり

☆能登地震で加速、人口13%減 今こそ「能登はやさしや」攻略策

☆能登地震で加速、人口13%減 今こそ「能登はやさしや」攻略策

去年元日の能登半島地震による災害の復旧はどの程度進んでいるのだろうか。石川県庁の資源循環推進課のまとめによると、能登地震や9月の奥能登豪雨で被災した家屋の公費解体の完了率は11月末時点で97.9%となった。解体申請のあった棟数4万2178棟のうち、4万1297棟の作業を終えた。これで、県内で公費解体を実施している16市町のうち、羽咋市や金沢市など9市町で完了した。残り7市町の解体作業は、七尾市はまだ92%ではあるものの、年内に作業を終えるとしている。

公費解体を終えた跡地をこれまで何ヵ所か訪れたことがある。跡地には草が生い茂っている=写真は、震災で焼失した輪島市朝市通りの跡地=。ここに人が戻り、家を建て、街並みの活気は戻るだろうか。県統計情報室がまとめた人口推計(11月1日時点)によると、地震の被害が特に大きかった奥能登2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の人口は4万7911人で、地震が発生した去年元日から7302人減り、減少率は13.2%となった。また、七尾市と志賀町を入れた能登半島の中央から北部の6市町でみると、去年元日から1万1132人減って10万8518人となり、減少率は9.3%となる。ことし10月からの1ヵ月の統計を見ても418人減っている。とくに、転出者が転入者を上回る「社会減」が247人と多い。

能登半島の市町は過疎高齢化が震災以前から指摘され、「消滅の可能性がある自治体」と称されていた。それが震度7の揺れで消滅可能性に拍車がかかっている。対応策はあるのか。人口戦略会議が公表した「令和6年・地方自治体『持続可能性』分析レポート」によると、石川県の19市町のうち9つが「消滅可能性」があるとされる。9つのうち8つが能登の市町だ。唯一、能登で対象外となったところが中能登町。先述の人口推計で10月から二桁増えているのがこの町だ。1人の女性が一生のうちに産む子どもの数の指標となる「合計特殊出生率」が2020 年で1.83と県内でトップだった。増えたり減ったりしながら緩やかな人口減少となっている。

中能登町は「能登はやさしや土までも」という言葉が江戸時代から記録に残る、この言葉の発祥の地でもある。町役場では「障害攻略課プロジェクト」という、ハード面のバリアフリーだけでなく、「心のバリアフリー」を推進している。誰もが分け隔てなく、気軽に交流し暮らすことができる町づくりを、基幹産業である繊維会社などと連携して取り組んでいる。人だけでなく動物にも優しく、神社ではペットに健康と無事を願うお祓いがある。中能登町の取り組みが人口減少に歯止め、そして移住者を呼び込むヒントにならないだろうか。

⇒7日(日)午後、金沢の天気  はれ