⇒ドキュメント回廊

★能登「記録的な大雨」から1年 国の名勝・時国家庭園を修復へ

★能登「記録的な大雨」から1年 国の名勝・時国家庭園を修復へ

能登半島の北部で降ったあの「記録的な大雨」から間もなく1年になる。2024年9月20日から22日にかけて線状降水帯が発生し、輪島市では22日午後10時までの48時間雨量が498.5㍉に達する豪雨となった。このため、土砂崩れによる道路の寸断が各地で起き、輪島市を中心に山間地の集落115ヵ所が孤立した。さらに、裏山でがけ崩れが起きて民家が倒壊。また、大量の流木が増水した川に流れて市内の橋にひっかり、土砂ダム状態になった。家屋倒壊や濁流に巻き込まれるなど合わせて17人が亡くなった(関連死1人含む)。

記録的な大雨で文化財も被災した。輪島市町野町にある国の重要文化財である「時国家住宅」。日本史の教科書にも出てくる、平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫が時国家とされる。2軒ある時国家のうち、山のふもとにある「時国家」は主屋が1963年に国重要要文化財に、庭園が2001年に国名勝に指定。また、丘の上にある「上時国家」は主屋が2003年に国重要要文化財に、庭園が2001年に国名勝に指定されている。両家の主屋はともに茅葺民家で、能登の厳しい気候風土に耐えながら紡いできた800年余りの歴史の風格を伝えてきた。

両家ともに去年元日の能登半島地震では最大震度7の揺れ、そして9月の豪雨では裏山が崩れ、主屋と庭園それぞれ被害を被った。地元メディアの報道によると、そのうち主屋の倒壊を免れた時国家では庭園の復旧作業が始まったとの報道があり、現地を訪ねた。復旧に取り組んでいるのは、庭園の保存継承を担う「文化財庭園保存技術者協議会」(事務局・京都市)。9月の豪雨では裏山が崩れ、大量の土砂が庭園全域を高さ1㍍から1.5㍍にわたって覆った。輪島市役所では今春から災害復旧事業の一環として庭園の土砂を撤去する作業を行い、今月初めまでに完了。引き続き、今月17日から文化財庭園保存技術者協議会が復旧作業に着手した(18日付・北陸中日新聞)。

庭園は「池泉回遊式」と称される書院庭園で、中心に池を配置し、園内を歩きながら楽しむ庭として造られている。作業初日の17日には全国から庭師のプロ24人が集まり、被災前に作成された図面を基に、流された飛び石を置き直したり、崩れた池の護岸の修復が行われた。11日間にわたり作業が続く(同)。震災と豪雨に見舞われた文化財の復興のシンボルになることに期待したい。(※写真は、時国家住宅にクレーンが持ち込まれ、石の置き直しなど庭園の修復作業が行われている=18日午後撮影)

⇒19日(金)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

★輪島・千枚田に実りの秋 トキ舞う棚田へ農法転換

★輪島・千枚田に実りの秋 トキ舞う棚田へ農法転換

おととい(13日)午後に能登半島の尖端、珠洲市寺家のキリコ祭りを見学して、当日夕方に輪島市の白米(しらよね)千枚田を訪れた。この日に全国のボランティアが参加する稲刈りが始まると輪島市観光課の公式サイトにあったので、日本海の夕日と千枚田の稲刈りという光景を見ることができるかもしれないとイメージを抱いていた。現地に到着すると稲は実っていて、まさに棚田は黄金の輝きを放っていた=写真=。ところが、稲刈りが行われた様子がない。

あらためて、輪島市観光課サイトをチェックすると、「13日と14日」の予定が大雨などの天候不順が予想されるため中止し、「15日から21日」と変更されていた。確かに、金沢地方気象台は輪島市に断続的に大雨警報を出していて、千枚田の稲刈りの日程もこれまでのように2日間と特定せず、「15日から21日」と幅を持たせたのだろう。

日本海を望む千枚田は4㌶の斜面に大小1004枚の棚田が広がる。2024年元日の能半島登地震では、棚田に無数の亀裂が入るなどの被害が出た。地元住民らでつくる「白米千枚田愛耕会」のメンバーが中心となって修復を進めていて、去年は120枚の田んぼを耕し、ことしは250枚で田植えを行った。そして実りの秋を迎えた。

千枚田にとってことしは大きな転機となった。2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。白米千枚田愛耕会はことしから農法を除草剤などの農薬を使わない無農薬栽培に切り替えた。これは来年6月に環境省が能登でトキを放鳥することを意識し、千枚田にトキのエサとなるドジョウやメダカなどが繁殖する田んぼづくりくりに転換したのだ。除草剤などの農薬を使わないとなると草取りなどに手間ひまがかかるのは言うまでもない。コメの収穫量も減るだろう。

それでもトキが訪れる棚田に。このため白米千枚田愛耕会では、耕作の担い手を育てるために近くの空き家にボランティアらが常駐する滞在拠点をつくる構想も進めているようだ(15日付・地元メディア「北國新聞」)。また、コメの収穫量が減ることになったとしても、千枚田の無農薬米が市場に出回れば、「千枚田のトキ米」として一気にブランド化するのではないだろうか。地震や豪雨にめげず、耕す人びとのモチベーションが上がっているに違いない。千枚田の実りを眺めながら、そんなことを感じた。

⇒15日(月)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

☆能登半島の尖端に日本最大の祭りキリコと義経伝説

☆能登半島の尖端に日本最大の祭りキリコと義経伝説

金沢地方気象台はきのう輪島市に出していた大雨警報をきょう午前5時すぎに解除した。ところが、午後6時30分に再び大雨警報を出した。あす14日にかけて大気の状態が非常に不安定となる見込みで、1時間に50㍉の非常に激しい雨が降るおそれがある。まさに目まぐるしく天候が変わる。繰り返される激しい雨に輪島市民は警戒しているだろう。去年9月、輪島市を中心に48時間で498㍉という「記録的な大雨」が降り、土砂崩れによる家屋倒壊などで17人が亡くなっている(関連死1人含む)。あれから1年だ。

輪島市と隣接する珠洲市は能登半島の尖端に位置する。同市三崎町の寺家地区では毎年9月の第2土曜日に、神輿とともに4つの集落がキリコを出して商売繁盛や子孫繁栄を祈る「寺家キリコ祭り」が開催される。きょうその祭りを見学に行ってきた。

社(やしろ)の須須(すず)神社で4基のキリコが並び、実に壮観な光景だった=写真=。寺家のキリコは「日本最大のキリコ」で知られる。高さ16.5㍍、重さは4㌧、屋根の大きさは畳12分もある。大きさに加え、黒漆塗りで金箔と彫物で装飾された豪華さが目立つ。夜通し町内を巡行する。去年は能登半島地震や津波の影響で巡行は見送られたので、2年ぶりとなる。大きさのほかに目立つのは担ぎ手。地元で「ドテラ」と呼ばれる派手な衣装を身に着け、独特の雰囲気を醸し出している。もともと女性の和服用の襦袢(じゅばん)を祭りのときに粋に羽織ったのがルーツとされ、花鳥風月の柄が入っている。

ヤッサーヤッサーと掛け声で息を合せてキリコが海岸沿いの道路をゆっくりと練る。何しろ高さ16㍍のキリコは5階建てのビルに匹敵する高さだ。ふと見ると地域の人が海に向かって手を合せていた。話を聴くと、須須神社はイルカを祭神の使いとして祀る。同神社前の海にイルカが現れると地元では「三崎詣(まり)り」と呼んで、その姿に合掌する習わしがあるそうだ。

また、この神社は国指定重要文化財の「木造男神像」や、この地を訪れた源義経が海難を免れたお礼にと奉納した「蝉折の笛」や「弁慶の守刀」が収められていることで知られる由緒ある社だ。キリコのスケール感と、能登の尖端に秘められた伝説に圧倒された想いだった。

⇒13日(土)夜・金沢の天気   あめ

☆石川の「水がめ」手取川ダムの貯水率32% 雨よ降れ降れ

☆石川の「水がめ」手取川ダムの貯水率32% 雨よ降れ降れ

「暗雲垂れこめる」という言葉があるが、まさにこのことを指すのだろう。きょう午後3時半ごろ金沢の上空を分厚い雲が覆い、午後4時ごろから雨音が激しくなってきた。気象庁は午後3時32分、石川県の加賀地方に「竜巻注意情報」を発表した。竜巻などの突風は、発達した積乱雲が近づいたときに発生する。気象台は、雷や急な風の変化、それに「ひょう」が降るなど、積乱雲が近づく兆しがある場合は突風に十分注意し、頑丈な建物などの中で安全を確保するようにと呼びかけている。まさに不穏な空模様だ。

きょう午後、石川県の「水がめ」でもある手取川ダムの様子を見てきた=写真=。県内は猛暑続きで、熱中症警戒アラートがおととい(2日)までに37回(初回7月4日)も出されていて、年間の発出回数ではこれまで最多だった2023年の36回を更新している。この猛暑、いつまで続くのかと思うと同時に水不足の事態になりはしないかと懸念を抱く。県内13の市と町に水を供給し、人口の7割の水道をまかなっている手取川ダムの貯水率は、きょう午後4時時点で32%となっている(「石川県防災ポータル」より)。

白山市白峰の手取川ダムに行くと、ダム上流の河川は半ば干上がった状態のようにも見え、心細く感じた。なにしろ、先に述べたように梅雨時の7月から8月初めにかけては極端な高温と少雨が続いた。一方で、8月6日から10日を中心には極端な大雨となり、石川県では線状降水帯が発生し7日の金沢の降水量は332㍉を観測、短期集中の大雨となった。ところが、その雨水は手取川ダムには届かなかったようだ。

前述した2023年の渇水期には手取川ダムの貯水率が9月末に一時16%まで低下した。行政が節水を呼び掛ける際の基準とされる20%を割り込んだが、その後に雨天となり節水にまでに至らなかった。天気予報では今月中旬ごろから加賀地方で雨の日が続くので余計な心配なのかもしれない。「暗雲が垂れこめる」、ある意味で実にありがたい。

⇒4日(木)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

★きょうから施行「改正鳥獣保護法」 クマ問題の根深さ浮かぶ

★きょうから施行「改正鳥獣保護法」 クマ問題の根深さ浮かぶ

きょうから9月、残暑どころか猛暑が続く。予報によると、きょうの金沢の最高気温は36度になる(日本気象協会「tenki.jp」公式サイト)。そしてきょう1日は「防災の日」。関東大震災が発生した1923年9月1日にちなんで、震災の惨禍を忘れず、防災・減災を進めるために制定された。そして、きょうから「改正鳥獣保護管理法」が施行される。このブログでも何度か取り上げているクマ問題と関わる改正法なので検証してみる。

石川県自然環境課に寄せられたことしのクマの目撃情報は204件(8月27日時点)となっていて、その多くが金沢市の医王山や、白山のふもとの白山市、能美市、小松市となっている。懸念されるのはこの秋だ。同課がクマの餌となる植物3種(ブナ、ミズナラ、コナラ)の雄花の落下数を調査した結果、クマの主要な餌であるブナは22地点のうち20地点で大凶作、2地点で凶作となり、今秋は全体で大凶作が予想されると判断した。これまでのデータで、ブナが大凶作だった2020年にはクマの目撃件数は869件となり、県内の人身被害は15人に上った。同課では、6月27日にツキノワグマに対する「出没注意情報」を出して警戒を広く呼びかけている。(※イラストは、石川県公式サイト「ツキノワグマによる人身被害防止のために」から)

エサ不足のクマが人里に下りてきて、ペットフードや生ごみなどをあさるケースも増えている。最近では「アーバンベア(都市型クマ)」と呼ばれ、市街地周辺で暮らし、街中に出没するクマもいる。改正鳥獣保護管理法では、クマが市街地に出没し、建物内に立てこもったり、木の上に登ったりするなど膠着状態が続いた場合、それぞれの自治体の判断でハンターの銃猟が可能性になった。ただ、ハンターにとっては重圧ではないだろうか。

これまでハンターは森の中での銃猟だった。ところが、市街地となると銃弾がコンクリートなどで跳ね返りどこに飛んでいくか行くか分からない。このため、ハンターに銃猟を依頼する自治体は住民退避の誘導や交通規制などに当たる。また、銃弾が民家の壁面に当たり損傷が発生するなどしたケースでは自治体が補償することになる。

市街地でのクマの駆除が新たなステージに入った。同時に懸念するのは、人々がいわゆる里山と呼ぶ中山間地そのものに危険を感じて入らなくなったことだ。キノコや山菜を白山のふもとで採っていた人たちが能登で採ることが増えている。人が山に入らなければ、クマの領域を増やすことになる。むしろ生い茂った里山の木を伐採して活用、苗木を植えるという循環を図らなければ、クマのエリアが広がり、頭数がさらに増えることになる。クマ問題は根深い。

⇒1日(月)午前・金沢の天気  はれ

★金沢に雷鳴とどろく 1時間に61㍉の激しい雨、避難指示も

★金沢に雷鳴とどろく 1時間に61㍉の激しい雨、避難指示も

雷鳴とともに激しい雨が降って来た。午前10時ごろだった。ヤバイと思い、すぐにパソコンの電源ケーブルを抜いた。雷が直接落ちなくても、近くで落ちた場合でも「雷サージ」と呼ばれる現象が広範囲に起きる。いわゆる電気の津波のこと。この雷サージがパソコンの電源ケーブルから機器内に侵入した場合、データなどが一瞬にして破壊される。「雷が鳴ったら電源抜き」は自身の反射的な行動パターンになっている。何しろ金沢はカミナリ銀座だ。雷日数の平年値(1991-2020年)で、年間の雷日数が全国でもっとも多いは金沢の45.1日なので、心がけている。

ウエザーニュースによると、金沢市では午前中の1時間で61.5㍉の非常に激しい雨が観測されたようだ。10時53分に金沢市を対象に大雨警報が発表され、局地的に非常に激しい雨となっている。きょうは小中学校の児童・生徒たちの登校日だった。自宅前は通学路なので、雷雨の中を帰宅する子どもたちの声が聞こえる。稲光がするたびに、「コワイッ」「アブナイッ」と叫び声が上っていた。確かに、雷雨の中で傘を差して歩いているので、傘に雷が落ちてくるかもしれないと思っただけでこれほど怖いことはないかもしれない。(※写真は、金沢市内の上空を覆った雨雲=27日午前10時半ごろ、自宅2階から撮影)

予報によると、夕方にかけて、落雷や竜巻などの激しい突風、急な強い雨となる所があり、金沢地方気象台では安全確保に努めるよう呼びかけている。大雨警報にともない、金沢市は正午に市内9地区、2万7520世帯・6万3730人に避難指示を出した。この地域周辺を流れる金腐川の一部では午前11時50分ごろ氾濫危険水位を超えている。

それにしても雷は鳴り止まない。午後0時35分ごろ、落雷の強烈な音がした。金沢の山手だ。いまのところ火の手など上がってはいない。ようやく雷雨が落ち着いてきて、パソコンに電源ケーブルを入れたのは午後1時ごろだった。また、金沢市が出していた河川の氾濫の危険性による避難指示は午後2時に解除された。

⇒27日(水)午後・金沢の天気  あめ

★地震にめげない五重塔 海底隆起で新たに漁港 句碑が後ろ向く

★地震にめげない五重塔 海底隆起で新たに漁港 句碑が後ろ向く

きょう金沢市内のバス会社が企画した能登半島地震の被災地を巡るツアーに参加した。テーマは「能登半島地震を風化させないために(減災企画)」。企画した会社の営業所長は阪神・淡路大震災を経験したことをきっかけにこれまでも東日本大震災の被災地で学ぶツアーなど企画している。今回も、参加者が被災の状況や復興の取り組みを直接見聞きすることで、今後の災害と向き合う減災の取り組みに役立ててほしいと企画した。ツアーで巡ったポイントの中からいくつか。

北陸随一の五重塔=写真・上=が羽咋市の妙成寺にある。二王門(国重文)をくぐると、高さ34㍍の優美な姿を現す。執事の大句哲史氏の説明によると、日蓮聖人の孫弟子の日像上人が1294年に開山した北陸最初の法華道場という。その古刹を熱心に保護したのが加賀藩祖・前田利家の側室で、2代藩主の利常の母の寿福院だった。妙成寺を菩提寺と定め、五重塔など整備した。能登半島地震では羽咋市は震度5強の揺れ。築400年余りの五重塔は無傷だった。妙成寺は海辺に近いことから、内部の木組みは風に強く、破壊力を吸収する構造となっているという。大句氏は、「重要文化財ですが、これを機にぜひ国宝に」と述べていた。

能登の海岸は日本海側を外浦(そとうら)、そして七尾湾側の方を内浦(うちうら)と呼んでいる。去年元日の地震では外浦は海岸の隆起、内浦では地盤沈下が起きた。外浦の輪島市門前町の鹿磯(かいそ)漁港では、地震で海底が4㍍も隆起した。被災地を案内してくれた谷内家次守氏によると、隆起した場所を活用して新たな港を造っているとのこと=写真・中=。実際に鹿磯漁港に行ってみると、なるほどと思った。隆起した部分に道をつけ、漁獲した魚を水揚げする場所が新たに設けられていた。谷内氏は「現地を見てもらい、復興に向けた地域の思いが伝わったらうれしい」と。

同じく同市門前町の曹洞宗の大本山・総持寺祖院は2007年3月25日の能登半島地震で大きな打撃を受け、14年の歳月をかけ完全復興を宣言。輪島市民にとって「復興のシンボル」でもあった。副監院の高島弘成氏によると、去年元日の地震では33㍍の廊下「禅悦廊」が崩れるなど国の登録有形文化財17棟全てが被災した。そして、案内してもらったのが、坐禅堂前の俳人・沢木欣一の句碑。地震の右回転の揺れによって180度回転し、句碑は後ろ向きになった=写真・下=。高島氏は「しばらく誰も気づかなかった。それにしてもこれが自然のチカラなんです」と。ちなみに句は、「雉子鳴いて 坐禅始まる 大寺かな」

静寂な寺で座禅修行の始まりを告げるかのようにキジの鳴き声が聞こえる。視覚的なイメージと聴覚的なイメージが絶妙に組み合わさり、場の情景が伝わってくる。

⇒23日(土)夜・金沢の天気 はれ

☆能登・祭りの輪~八朔祭に秘められた男神と女神の逢瀬の物語~

☆能登・祭りの輪~八朔祭に秘められた男神と女神の逢瀬の物語~

能登の夏祭りをテーマに各地を訪れているが、祭りの中心となる地域の神社は去年元日の能登半島地震で多く損壊した。社殿のほか鳥居が倒れるケースが目立つ。それをことしの夏祭りまでに再建しようと地域が力を合わせ、また他の震災地の人々の支援を受けて完成にこぎつけた事例(今月17日・18日付のブログ)もある。

きのう21日に訪れた志賀町富来領家町の住吉神社の鳥居も、今月23、24日の夏祭りを前に1年7ヵ月ぶりに再建された=写真・上=。社殿はまだ修復中だったが、高さ5㍍ほどの鳥居は木製で造られ、近づくとヒノキの香りがした。それまでの鳥居は石造りだった。境内で祭りの準備を行っていた地域の人に話を聴くと、「神輿で新しい鳥居の下をくぐるのを何よりも楽しみにしているんです」と目を細めていた。

あすからの祭りは、「冨木八朔(とぎはっさく)祭り」と呼ばれ、能登でも知られた祭りだ。むしろ能登では「くじり祭り」として知られる。「くじり」は男女の性行為のことだ。なぜそう呼ばれるのか。境内にある祭りの説明看板にはこう記されている。

「その昔、岩舟に乗り増穂浦(※富来地区の海岸)に漂着した男神が住吉神社の女神に助けられ、夫婦になりました。ところが、荒波の音を嫌った男神は里山の冨木八幡神社に遷座してしまいました。その後、男神は年に一度(旧暦の八月朔日)に女神との逢瀬のため住吉神社に渡御したことが冨木八朔祭礼の始まりと言われ、約800年の伝統を誇ります」

男神と女神が逢瀬を交わすことが祭りのルーツとされ、それが「くじり祭り」として伝えられてきた。2日間にわたる祭礼の1日目は「お旅祭り」と称され、町内各地から大小30本のキリコが冨木八幡神社に集結する。男神を乗せた神輿とともに夜道を練り歩きなながら2㌔離れた住吉神社に届ける。2日目は本祭りで10基の神輿が増穂浦に勢ぞろいし、白砂青松の海岸を渡御する「浜廻り」が行われる。その後、街中を練り歩き男神を八幡神社まで送り届ける。

ストーリー性といい、キリコと神輿の巡行といい、じつにダイナミックな祭りだ。ちなみに、男神が嫌った「荒波」はおそらく冬場の荒海だろう。富来地区には、松本清張の推理小説『ゼロの焦点』の舞台となった名所の能登金剛があり、清張の歌碑がある。『雲たれて ひとり たけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅』。清張が能登で初めて見た荒海の情景。人は出世欲、金銭欲、さまざまな欲望をうねらせて突き進むが、最後には自らの矛盾や人間関係、社会制度に突き当たって一瞬にして砕け散る。ズドンと音をたてて砕ける荒海から、サスペンスのイメージを膨らませたのかもしれない。

⇒22日(金)午後・金沢の天気  はれ

★能登・祭りの輪~岩手から神戸から、震災の縁がつながる曽々木大祭~

★能登・祭りの輪~岩手から神戸から、震災の縁がつながる曽々木大祭~

能登の祭りを見学に訪れると、前回ブログで述べた神輿の修復だけでなく、祭りに関わる地域を超えた支援がさまざまにあることが分かった。輪島市町野町曽々木の春日神社では16日に曽々木大祭が営まれた。きのう17日に境内に行って見ると鳥居が真新しくなっていた=写真・上=。近所の民宿のおばさんに尋ねると、去年元日の能登半島地震で鳥居が崩れた。「それを新しくしてくれたおかげで気持ちよく祭りができたんやわ」「岩手の人のおかげなんやわ」と話してくれた。

そこでネットでも見てみると、インスタグラムやX(旧ツイッター)でその鳥居の再建の様子がいくつか書き込まれている。東日本大震災の被災地でもある岩手県大槌町の石材業者が去年元日の能登半島地震の被災地の炊き出しなどのボランティアに1月下旬に能登に入った。東日本大震災の津波で社屋や車などを流されているだけに、被災者の一人として能登で何かできることはないかと考えていた。そのとき、曽々木で春日神社の鳥居が崩れているのを目の当たりにして修復を思い立った。ただ、そのときは能登半島は一般の車両走行も難しく、ことしに入って本格的に作業を始めた。

再建を指揮したのは、岩手県大槌町の「つつみ石材店」の芳賀光氏。ことし5月にほかの支援者も集まり、作業を進めて再建にこぎつけた。経費は「破格の値段」だったようだ。7月19日には芳賀氏や地元の人々が参加して「新鳥居くぐり初め」の神事が営まれた。関係者はそのときの様子をインスタグラムでこう述べている。「この特別な瞬間は曽々木地区の絆を深め、多くの温かい思いが集まりました。この感謝を忘れず、これからも曽々木地区の再建に向け共に頑張ります」。そして、今月16日の曽々木大祭では新しい鳥居の下を初めて神輿がくぐった。

祭りにはもう一つ被災地の縁があった。祭りにはキリコが4本が出たが。それを担ぎ上げたのは地元の若衆と関西からの学生ボランティアら120人だった。去年に続いて祭りに駆けつけたのは、NPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」(通称「HANDS」)=写真・下=。去年、震災の影響で担ぎ手が減少し、祭りの存続が危ぶまれていたことを知ったHANDSが支援を申し出て、開催にこぎ着けた経緯がある。地域を超えた同じ被災者からの支援の輪が能登の伝統文化を守り支えている。

⇒18日(月)午後・金沢の天気  はれ

☆能登・祭りの輪~復活した黒島天領祭に秘められた物語~

☆能登・祭りの輪~復活した黒島天領祭に秘められた物語~

輪島市門前町黒島の祭礼「黒島天領祭」(8月17、18日)は能登の祭りの中でも独自色がある。そもそも天領祭のいわれは何か。かつて北前船船主が集住した黒島地区は貞享元年(1684)に江戸幕府の天領(直轄地)となり、立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝って始まった祭礼とされる。祭りはキリコを担ぐ能登のほかの祭りとは異なり、都(みやこ)風な趣がある。去年元日の能登半島地震でメインの神輿が損壊し、2年ぶりの巡行となった。

2基の曳山は輪島塗に金箔銀箔を貼りつけた豪華さ、「百貫」(375㌔㌘)もある神輿だ=写真・上=。小学生による奴(やっこ)振り道中のほか。地元の人たちは麻の黒い半纏(はんてん)を粋に羽織っている。

祭りの舞台となる黒島の街並みは重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されていて、しかも道幅は狭いところで4㍍ほど。ここを曳山が巡行するので道路沿いの家の屋根部分に接触しないよう舵取りが必要となる。そこで求められているのは、きびきびとしたシステマチックな動きだ。

巡行する街路は山と海それぞれに平行に走っている。地元のベテランの舵取り担当が「山一つ」と声を上げると、担ぎ手は一斉に山側に舵棒を1回押す。すると、曳山の車輪は海側に10度ほど舵を切ることができる=写真・下は2017年8月の黒島天領祭=。「海二つ」と声が上がると、海側に2回押して山側に20度ほど舵を切る。この作業を繰り返しながら、曳山は曲線道路を器用に巡行するのだ。

2年目で天領祭が復活したのも、壊れた神輿を修復できたことにあるようだ。メディア各社が伝えている。震災後、黒島の出身者らでつくる姫路市のボランティア団体「黒島支援隊」が壊れた神輿のことを知り、姫路の「灘のけんか祭り」(兵庫県指定重要無形民俗文化財)の神輿を手がけてきた宮大工の男性に修理を持ち掛けた。男性は厚労省の「現代の名工」に選ばれている福田喜次氏73歳。依頼を快諾し、無償で修理を引き受けた福田氏は壊れた部材をすべて姫路へ運び、祭りの写真や動画を参考にしながら、小さいもので数センチ片になった部材を少しずつ組み上げた。8ヵ月ほどかけて完成させた(朝日新聞、神戸新聞web版)。

地域を超えた支援の輪が能登の伝統の祭りを復活させたのだ。秘話のようなストーリーだ。祭りはあす18日も引き続き行われる。

⇒17日(日)夜・金沢の天気  はれ