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★不思議な春の日差し

★不思議な春の日差し

 北陸にもようやく春がやってきた。風には冷たさが残るものの、金沢市の中心部、兼六園に通じる広坂通りには花見のぼんぼりが取り付けられ、春のムードを醸し出している。その広坂通りを歩いていると、旧・県庁の正面にある2本の巨樹の目立つ。

  この2本のシイノキは「堂形(どうがた)のシイノキ」と呼ばれ、この界わいのシンボルともなっている。樹齢が400年とも推定され、国の天然記念物(1943年指定)なのだ。幹のまわりが5㍍から7㍍もある巨樹だけに、枝葉を円形に広げてバランスをとっている姿がなんとも威風堂々とした感じだ。

  いつもは通勤バスの車窓から眺めるだけなのだが、きょうは春の日差しに誘われた歩いて近寄ってみた。不思議な感覚にとらわれた。まるで、森に入ったような気分になったのである。枝葉からこぼれる日差しがわずかな風に揺れている。野鳥のさえずりもして、「里の錯覚」に陥る。不思議な光景だった。

  このシイノキの持つオーラ(樹霊)なのか、単なる春の迷いなのかは分からない。話はこれだけである。

 ⇒24日(土)午前・金沢の天気  はれ

★長崎行~行けど切ない石畳

★長崎行~行けど切ない石畳

  実は「長崎」にはちょっとした思い入れがある。宴席でカラオケの順番が巡ってきて、「何か歌って」とせかされて歌うのが、内山田ひろしとクールファイブの「長崎は今日も雨だった」だ。前川清のボーカルをまず歌って喉ならしをする。「♪行けどせつない石畳~」と。これで自分をカラオケモードに切り替える。1969年のデビュー曲だから、私もかれこれ30年余り歌い込んできたことになる。

  歌にうたわれた場所がある。オランダ坂を上がり、大浦天主堂、グラバー邸入り口にかけての坂道は一面の石畳である。訪れた日は晴れだったので地面は反射していたが、これが雨で濡れていればまた違った風情になり、歌のように気分も盛り上がるのかもしれない。

  ところで、現地に来て初めて理解ができた。長崎は「坂の街」である。石畳を敷き詰めないと雨で路肩が崩れてしまう。しかも傾斜が急なところも多いので、コンクリートやアスファルトでは凍結した場合に滑る。長崎には石畳が理にかなっているのである。バスガイトによると、最近では高齢化でエスカレーターやリフトを取り付けている地区もあるのだとか。坂の街の福祉ではある。  

 その石畳の坂道を上り、グラバー邸に着く。長崎湾を見下ろす高台にある。イギリス人貿易商トーマス・グラバー。長崎が開港した安政6年(1859)に日本にやって来た。若干21歳。2年後にグラバー商会を設立し、同時に東アジア最大の貿易商社だったジャーディン・マセソン商会の代理店になった。大資本をバックに武器の取り扱いを始める。

 グラバーに接近してきたのは坂本竜馬だった。竜馬は、幕府から睨まれている長州藩が武器が購入を表立ってできないのを知り、自らつくった亀山社中を通して薩摩藩名義で武器を購入、それを長州藩に横流しするというビジネスモデルを思いつく。グラバー商会から購入した最新銃4300丁と旧式銃3000丁が後に第二次長州征伐である四境戦争などで威力を発揮し、長州藩を勝利へと導く。それがきっかけに薩長を中心とした勢力が明治維新を打ち立てる原動力となっていく。竜馬ファンの間では知られたストーリーである。

  グラバーの3つ上が坂本龍馬、同年代の幕末の志士たちがうごめいていた。自らもリスクを取って長崎にやってきたグラバーは病に倒れるまで50年も日本に滞在した。長きに渡って日本を見続けてきたのも、同世代の人間群像に共鳴し行く末を見届けたかったからではないだろうか。逃げ込んできた志士たちをかくまった屋根裏部屋もグラバー邸で見つかっている。

  今回の旅では行けなかったが、前記の竜馬ゆかりの亀山社中跡(長崎市内)が今月18日で公開を終了することになったと地元の新聞各紙が報じていた。所有者が運営する団体に明け渡しを求めていたらしい。竜馬ゆかりもさることながら、日本最初の株式会社でもあり、日本における資本主義の黎(れい)明を象徴する建物として歴史的な意味も大きいのではないか。所有者の手に戻り、どうなるのか記事に記されてはいない。残念な話で、「♪行けど切ない石畳」ではある。

 ⇒14日(夜)・長崎の天気   はれ

☆長崎行~ハウステンボス変貌

☆長崎行~ハウステンボス変貌

  休暇を利用して長崎を旅している。午前8時半のフライトで小松空港から羽田空港に行き、乗り換えて長崎空港に降りたのは正午過ぎだった。空港からのバスで1時間足らずで佐世保のハウステンボスに着いた。小気味よいほど接続がスムーズだった。

  春の九州はさぞ温暖だろうとこの地を選んだが、戻り寒気で気温は3度。大村湾に面しているせいか風も強い。念のために金沢から持ってきた厚手のハーフコートが役立った。それにしてもハウステンボスの総面積は152㌶もあるというから広い。東京ディズニーランドのテーマパークのざっと3倍である。広すぎて手が回らなかったのかも知れない。2003年に経営破綻し、野村プリンシパル・ファイナンス(野村証券系投資企業)が支援するかたちで2004年4月にリニューアルオープンした。

  10年余りも歴史を刻むと、オランダを模した街並みはテーマパークというより落ち着いたオランダ街と言ったほうがよい。宿泊したホテル・ヨーロッパ(ホテル・オークラが経営参画)も従業員の身のこなし、レストランのメニューなど、テーマパークから連想する子どもっぽさはない。まるで大人をタ-ゲットにしたリゾートホテルである。トリートメント、アロマテラピーを売りにしていて、客の顔ぶれも女性が多いようだ。また、少し離れたホテル・デンハークで食した地中海料理のパエリアなどは賞賛に値すると思う。

  癒しとグルメに随分と力を注いでいるようだ。これだったら羽田から2時間、バスで1時間かけてもやって来る客はいるのではないか。野村PFの経営戦略もここにあるのはとにらんだ。

  いまはまだ修学旅行の生徒たちも多い。800㌧の真水を使って洪水を再現するホライゾンアドベンチャーや、「魔女の宅急便」をテーマにしたフライトオブワンダーなどかつてのテーマパークが健在だ。でも、そのうち徐々に大人色も鮮明にしながら、将来解禁されるであろうカジノなども導入し、大人も子どもも楽しめる「海辺のラスベガス」へと変貌させていくのではないかと想像をたくましくした。

 ⇒13日(月)夜・佐世保の天気  はれ

★カップ酒、ブームの仕掛け

★カップ酒、ブームの仕掛け

  ピンチがチャンスを生むことがままある。それは現状に危機感を抱き、創意工夫を凝らすことで危機的な状況を抜け出すということだろう。その一例を日本酒で紹介する。

 ひところ純米や吟醸といった高級化路線でブームをつくった日本酒の業界だが、最近はワインや焼酎に押されてかつての勢いはないと思っていた。ところが、妙なところからブームが起きているのである。カップ酒だ。そういえば、コンビニでも棚に占めるカップ酒の面積や種類が増えている。

 金沢の繁華街、片町にある日本酒バー「ZIZAKE」では石川県内の45銘柄のカップ酒がずらりと並んでいる。このバーを運営する県酒造組合連合会は昨年8月に「カップ酒王国いしかわ」を宣言して普及に乗り出した。観光地・金沢のちょっとした手土産に地酒のカップ酒が受けているそうだ。180-200㍉㍑、価格も200円から400円が中心だ。

 実は今月3日に「カップ酒とカキ鍋を楽しむ会」が金沢市内の料理屋であり、誘われて参加した。塗り升に樽(たる)酒を詰め、上部を透明フィルムで覆って密閉したものや、小さなボトル型をした「ちょいボトル」などかたちも工夫を凝らしている。飲みきりサイズで酒を楽しむ。そんなコンセプトの商品が次々と生み出されているのである。

 そのうち、ファミリーレストランなどにもカップ酒がメニューとなってくるだろう。なにしろラベルもバンビやパンダ柄などが全国的に人気を博している。狙いは新たな日本酒愛好家の開拓、ターゲットは若いファミリー世代とかなり戦略的に絞っているようにも思える。軽四自動車のデザインや機能が格段によくなってブームが起きている現象とよく似ている。

⇒12日(日)朝・金沢の天気   くもり  

☆忘・新年会の「戦略ラーメン」

☆忘・新年会の「戦略ラーメン」

  今月は毎度の事ながら、手帳の書き込みに「忘年会」の文字が多い。「何回忘年会をしたら年を越せるのか」と家族にはぼやきながら、実は誘いを断ったことがなく、時には「はしご」までしてこまめに顔を出している。

   問題は二日酔いだ。酒の種類と量の調合を間違えると「三日酔い」になることも。こんな時に重宝しているのが金沢市に本社がある「8番ラーメン」の酸辣湯麺(サンラータンメン)だ。このラーメンを食べるとなぜか二日酔い独特の不快感や嘔吐感が随分と楽になる。この「効能」を知ったのが2年間の冬。それ以来、二日酔いの日の昼食には職場近くの「8番ラーメン」にお世話になっているという次第。

   この酸辣湯麺が二日酔いに効くのは、酢の酸味とラー油に秘密があるのではないかとにらんでいる。特に、同社が開発したラー油「紅油」はゴマ油と赤唐辛子をベースに桂皮(シナモン)、陳皮(ミカンの皮)、山椒が加えてあるそうだ。 二日酔いの症状がひどいとき、この紅油をさらに3さじ足して食すると、目頭の辺りが熱くなり、額にうっすらと汗がにじんでくる。この瞬間から徐々に爽快感が出てきて、不快感が次第に和らぐというのが二日酔いからの回復のプロセス。お代600円の「漢方」とでも言おうか…。

  この酸辣湯麺は冬限定の季節商品なので、私は密かに「8番ラーメンがこの効能をよく研究して、忘年会や新年会のシーズンを狙って出している季節の戦略商品ではないか」と思っている。

   ところで、8番ラーメンは東南アジアのタイに60店、香港5店、台湾2店、中国の上海と青島にそれぞれ1店、マレーシアに2店の合計71店も店舗展開をしている。本拠地の石川県(65店)を抜いて、アジアでブレイクしているのだ。恐るべし8番ラーメン…。

⇒29日(木)夜・金沢の天気     くもり

☆選挙で終結する政治ドラマ

☆選挙で終結する政治ドラマ

   プロ野球を観戦したいと思い、昨夜、ナゴヤドーム(名古屋市)に出かけた。リーグ首位を狙う中日、対するのは勝率を5割に戻したい横浜だ。名古屋というアウエイ(遠征地)は強烈だ。主催者の発表で3万5400人のほとんどが中日応援である。このドームがどよめいたのが6回表。リードされていた横浜、小池が満塁ホームランを放つなど打者一巡の猛攻で8点を奪う逆転劇だった。「オレ流」落合監督も「長いシーズンは、勝ちゲームをひっくり返されることもある。いちいちとやかく言うことではない」と敗戦のコメントがけさの地元紙で載っていた。肝(はら)の据わった監督の言葉である。

    試合を見ながらふと思った。人々はなぜ野球に熱中しドームを埋めるほど集まるのか、と。私のような、どちらを応援するでもない観戦するだけの「観光客」は回数を重ねない。しかし、ファンにはいでたちからしてチーム名入りのTシャツで、「また応援に来たぞ」と意気込みがある。ファンと観光客の違いは、暴論と言われるかもしれないが、「野球のストーリー」というものが脳裏に刻まれているか否かの違いだろう。中日ファンならば、ベテラン立浪が今季初めてスタメン落ちしたのはなぜか、落合監督は打線にカンフル剤を打ったのか、などとストーリーの筋を読みながら観戦したに違いない。だから面白く、面白いからファンになる。

     今回の総選挙にも関心が高まっているのは、野球と同様、政治のストーリーも面白いからだ。小泉総理という人物に郵政民営化というシナリオがあり、参院での否決、衆院の解散という国民を巻き込んだリアリティーがある。そのシナリオが展開する中で、改革と抵抗勢力の攻防、解散という総理の大立ち回り、その後に刺客や怨念といった人間臭さが脚色され、政治がいつの間にかドラマになった。 しかも、一部の人しから知らないドラマではなく、国民的なドラマなのだ。小泉内閣の発足から4年半、そろそろこのドラマの結末が近づいてきたことを有権者が感じ、クライマックスを自分たちで見極めようとしているのではないか。ちなみにドラマの主演とプロデューサーは小泉総理である。

    だから総選挙というドームに人が「賛成」と「反対」のメガホンを持って大勢の人が集まってきている。そうでも説明しなければ説明できないほど、今回の総選挙は異常に盛り上がっている。どちらの応援団が多いかは、見たところ、ナゴヤドームの雰囲気に近い。あとは想像にお任せする。

⇒21日(日)午前・名古屋の天気  曇り

★「雲を測る男」がまとう布

★「雲を測る男」がまとう布

   去年10月にオープンした「金沢21世紀美術館」の入館者数が、きのう12日で100万人を突破しました。開館1周年で入館者100万人を見込んでいましたが、予想より4ヵ月も早く達成したので、関係はホッと胸をなでおろしているに違いありません。しかも、金沢の市祭「百万石まつり」の期間中に100万人ですから、ゴロ合わせもよくできています。
福を呼ぶ男      きょうは秘蔵の一枚をお見せします。秘蔵と言っても絵画ではありません。上記の写真です。美術館の屋上に据え付けられているヤン・ファーブル(ベルギー)のブロンズ作品「雲を測る男」です。美術館の作品目録によると、作者のファーブルはあの有名な昆虫学者ファン・アンリ・ファーブルのひ孫ということです。作品は映画「アルカトラズの鳥男」(1961年・アメリカ)から着想を得たそうです。サンフランシスコ沖のアルカトラズ島にある監獄に収監された主人公が独房で小鳥を飼ううちに、鳥の難病の薬を開発し鳥の権威となったという実話に基づく話。映画の終わりの場面で「研究の自由を剥奪された時は何をするか」と問いに主人公が答えたセリフが「雲でも測って過ごす」だったことからこの作品名がついたとか。昆虫学者の末裔らしい、知的なタイトルです。

   でも、この作品を実際に見た人なら「ちょっと違う」と気づくでしょう。そう、男が胴から腰にかけて白い布をまとっているのです。普段は身に付けていません。この写真を撮影した去年9月に、台風16号と18号が立て続けにやってきました。何しろ屋上に設置されているので台風で倒れるかもしれないと、まず布を胴体に巻いて、その上にワイヤーを巻いて左右で固定したのです。

   美術館はオープン前の一番あわただしいとき。その姿を、蓑豊(みの・ゆたか)館長が「金太郎さんの腹巻のようでしょう」とユーモアを交えて説明してくれたのが印象的でした。あれから8ヵ月、開館当初は「目標30万人」でした。それがすでに3倍以上にもなり大ブレイク。福を呼んでいるのは案外、屋上に立つ「この男」かもしれません。

⇒13日(月)午前・金沢の天気 晴れ

★財布が小銭で膨らむ理由

★財布が小銭で膨らむ理由

  ひとつの不満を除けば、後は合格点だと思う。北陸鉄道バス(金沢市)のICカード「アイカ」=写真=のことである。当初、戸惑いもあった。昨年の12月、北鉄片町サービスセンターのシャッターが上がる午前9時にさっそく買いに行った。アイカを首かけのヒモつきカードに入れて、バスに乗車。ちょっとドキドキしながら「乗車タッチ」。ところが、数回タッチしても、ピッという受け付け音が出ない。後続の女性から「場所が違いますよ」と指摘され、ハッと気がついた。タッチしていたのは残金表示の黒部分で、オレンジ色のタッチ部分ではなかったのだ。「われながらちょっと緊張したかな」と。これがアイカ初体験だった。
  
  アイカに魅力に感じているのは、整理券を取る必要がなく小銭の準備、両替が不要なこと。これまで、整理券の番号と運賃表示を照らし合わせて小銭を用意しなければならなかった。これが意外と面倒なのだ。でも、アイカでは自動計算されるので、1回の「降車タッチ」でOK。勤め先の金沢大学の生協では、予め現金をカードに入れる「積み増し」もできる。金沢大学は6系統160本(往復)のバスが往来する大きなバスターミナルでもあり、とても便利に感じている。晴れの日は、ウオークとバスを組み合わせれば、とても体にいい。なるべく歩いて、バスに乗る。私の場合、片道「バス25分、歩き15分」の健康法にもなっている。

  冒頭の「ひとつの不満」は、アイカを使い出してから小銭が財布に滞留し始めたことである。小銭を取りすにはある程度、時間的なゆとりがないとできない。これまで、バスの回数券の番号で料金を予測しながら、たとえばバス代が200円なら1円玉を20枚、5円玉を6枚、10円玉15枚という、せせこましいこともやってきた。だから、小銭がはけた。コンビニで使おうと思っても、後ろに人がついたりすると「大の大人が・・・」と言われそうで、なんとなく小銭は数えにくい。いまでは財布が小銭でパンパンに膨らんで、貯金箱になっている。

  「小銭が財布に溜まるのはアイカのせいではない」、北鉄バスの関係者はそう言うだろう。そこはサービスの原点に立ち返って、小銭でもOKのアイカの「積み増し機」を設置してほしい。これは小銭がいらないというアイカの便利さの裏返しのサービスでもある。個人の要望というより利用者のニーズとして理解していただきたい。

⇒7日(火)午前・金沢の天気 晴れ

★兼六園の楽しみ方④

★兼六園の楽しみ方④

カキツバタの花音は聞こえるか
  歴史の長い兼六園にはいくつか噂話もあって、それがまた楽しみの一つにもなります。たとえばこんな光景があります。ちょうど5月中ごろ、カキツバタが咲く曲水の周囲には早朝から市民が三々五々訪れます。かがんで耳に手をあて、じっと眺めている人もいます。地元の人の話では、「カキツバタは夜明けに咲く。その時に、ポッとかすかな音がする」とか。人々はその花の音を聞きにやってくるのです。

  私もかつてその話を聞き、2度か3度早朝に兼六園を訪れてみましたが、花音の確認はできませんでした。そのうち、カキツバタの花音は単なる噂(うわさ)話ではないかと思うようになり脳裏から消えていったのです。一昨年の5月、地元の民放テレビ局がその花音を検証しようと、集音マイクを立てて番組にしました。その時は、聞こえたような聞こえないような、かすかに空気が揺らぐような、そんな微妙な「音」でした。番組のディレクターがたまたま知り合いだったので確認したところ、「カキツバタの花音は、開くときに花弁がずれる音だと推測しマイクを立てましたが、現場では聞こえませんでした」とあっさり。ハイテク機器を持ってしても、実際の音にはならなかったのです。

風流という金沢人の楽しみ方
 でも、よく考えてみれば、早朝に集まる人々にとってはカキツバタの花音がしたか、しなかったは別にして、「兼六園にカキツバタの花音を聞きにいく」と家族に告げて早朝の散歩に出かけます。それだけでいいのです。兼六園がある金沢らしい風流な暮らしぶりの一端だと思えば、この話に角は立ちません。兼六園の楽しみ方を金沢の人は知っているのです。(このシリーズ終わり)

※「兼六園の楽しみ方」は、5月18日付の朝日新聞石川版・広告特集「兼六園への誘い」に執筆した原稿を一部手直しして掲載しました。

⇒18日(水)午前・金沢の天気

☆兼六園の楽しみ方③

☆兼六園の楽しみ方③

兼六園を造営した代々の加賀藩主は植栽の色や形の違いにこだわりました。たとえば桜だけでも20種410本に及びます。一重桜、八重桜、菊桜と花弁の数によって分けられている桜。中でも「国宝級」は曲水の千歳橋近くにある兼六園菊桜(けんろくえんきくざくら)です。そのまま学名にもなっています。
二代目「菊桜」も見事に咲く
 「国宝級」というのも、国の天然記念物に指定されていた初代の兼六園菊桜(樹齢250年)は昭和45年に枯れ、現在あるのは接ぎ木によって生まれた二代目です。二代目であっても、花弁が300枚にもなる生命力、咲き始めから散るまでに3度色を変える華やかさ、そして花が柄ごと散る潔さは変わりなく見事です。
兼六園菊桜

 「唐崎松」の二世はクローン
兼六園の名木、特にマツは樹齢150年を経ているものばかりで、いつかは枯れます。そこで、兼六園の管理する石川県は、県林業試験場と独立行政法人「林木育種センター関西育種場」(岡山・勝央町)に依頼し、松の名木のクローン増殖を行っています。クローンの苗木は接ぎ木方式で育成されていて、この方式だと、もとの木の性質を遺伝的に引き継ぐため、名木の後継種として活用できるそうです。現在増殖に成功しているのは雪吊りで有名な唐崎松や、お花松、根上松、巣ごもり松など。兼六園管理事務所はクローン苗木を「後継木」として仮置きして育て、次の出番を待ちます。出番と言っても数十年から数百年という長いスパンの話です。

⇒17日(火)午前・金沢の天気