⇒トピック往来

★「記録ずくめの夏」はいつまで続く

★「記録ずくめの夏」はいつまで続く

   きょうから9月。それにしても、ことしの8月は異常な暑さだった。最終日の31日、自宅近くの街路の温度計は37度だった=写真・上、撮影午後3時15分=。買い物で街を歩いていても、熱風に煽られるような感じがして、熱中症のことが気にかかった。

   地元の新聞メディアは「猛暑 記録ずくめの8月」の見出しで、石川県内の異常な暑さのさまざまなデータを掲載している。以下、北陸中日新聞(1日付)の記事の引用。

   トピック的だったのは、8月10日に小松市では観測史上最高の40.0度を記録したこと。そして、この日の小松は全国1位の最高気温だった。金沢地方気象台の石川県内11の観測地点がすべて猛暑日となった日だった。

   「熱中症警戒アラート」という言葉が飛び交った。金沢ではきのう31日まで42日連続で気温が30度以上の真夏日となり、1985年の53日連続に迫っている。8月に県内で出されたアラートは24回。実際、消防庁の全国のまとめで、5月1日から8月27日の間に石川県で熱中症による救急搬送は934人に上り、昨年の同時期より281人多かった。         

   日中だけでなく、寝苦しい日も続いている。金沢では25度以上の熱帯夜が39日間連続している。これは、1994年に記録した27日間を大幅に更新している。

   そして、雨が降らない。金沢の8月の雨量は平年は179.3㍉だが、今年は40㍉で平年の2割ほどしか降っていない。自宅近くにある農園では、農作物の葉が枯れるなどしている。農業用水などに利用される金沢市の犀川ダムの貯水率が低下している。8月24日現在の貯水率は24%で、まとまった雨が降らない状況が続くと9月中旬にはゼロとなる可能性がある(25日付・北國新聞Web版)。ただ、市内では手取川ダムや内川ダムからの水道もあり、当面、配水がひっ迫する心配はないという。

   身の回りのことだが、雨が降らないことで、夕方に庭木への水やりが日課となっている。ホースで水まきをすると、強烈な日差しで枯れたように一面茶色になったスギゴケがまた青さを取り戻すのを見るとほっとする。と同時に、水道料金が気になったりもする。

   金沢地方気象台の北陸地方の3か月予報によると、9月も太平洋高気圧の勢力が引き続き強いため、気温は平年よりも高く厳しい残暑が長く続く見通しとのこと。水やりも当面続くのか。秋はまだ遠い。

(※ 写真・下は、金沢の141㍍の卯辰山から眺めた市街地。薄いモヤがかかったような状態だった=31日午後4時ごろ撮影)   

⇒1日(金)午後・金沢の天気     はれ

☆盆過ぎても猛烈な残暑 「寝釈迦」の積乱雲に思うこと

☆盆過ぎても猛烈な残暑 「寝釈迦」の積乱雲に思うこと

   盆を過ぎても猛烈な残暑が続く。きのう28日、能登半島で一番高い山として知られる宝達山(637㍍)のふもとの国道を走行していると、積乱雲が山を覆っているのが見えた。よく見ると、右腕を腕枕にして寝ている姿のようにも見え、まるで「寝釈迦」だと思い、シャッターを切った=撮影午後3時57分=。

   雲の面白いカタチは想像をたくましくさせてくれるが、積乱雲には気を付けたい。もう15年も前のことだが、「ダウンバースト」という現象が起きた。航空自衛隊がある石川県小松市。2008年7月27日午後3時半ごろ、突風が吹き荒れた。航空自衛隊小松基地が観測した最大風速は35㍍で、「強い台風」の分類だ。このため、神社の高さ4㍍の灯ろうが倒れたり、電柱が倒壊したり、民家70棟の窓ガラスが割れるなど被害が及んだ。このとき、小松基地が発表するのに使った言葉が「ダウンバースト」だった。積乱雲から急激に吹き降ろす下降気流。ダウンバースト、初めて聞いた言葉だった。

  同じ日に積乱雲の「ガストフロント」という現象が起きた。福井県敦賀市や滋賀県彦根市で午後1時ごろ、最大瞬間風速21㍍余り。敦賀では「西の空が急に暗くなって雨が強くなって、突風がきた」。このため、イベントの大型テントが横倒しになった。福井地方気象台では突風の原因を「ガストフロント」と説明した。非常に発達した積乱雲が成熟期から衰退期かけて発生する雨と風の現象。小型の寒冷前線のようなものでその線に沿って突風が吹く。北陸に前線が停滞し積乱雲が発生、ガストフロント現象が起き、その前線となった金沢では豪雨が、小松、敦賀、彦根では風速21㍍から35㍍のダウンバーストが発生した。

   地球環境学者のレスター・ブラウンは著書『プランB3.0』(2008)で述べている。「温暖化がもたらす脅威は何も海面の上昇だけではない。海面温度が上昇すれば、より多くのエネルギーが大気中に広がり、暴風雨の破壊力が増すことになる。破壊力を増した強力な暴風雨と海面の上昇が組み合わされば、大災害につながる恐れがある」と。

   レスター・ブラウンの警鐘が現実になった。異常気象は世界を覆っている。ことしの7月の暑さが記録的だったことから、国連のグレーテス事務総長は「the planet is entering an “era of global boiling”(地球は沸騰化の時代に入った)」と述べた。ことし11月から開催される国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)では、二酸化炭素を排出するすべての化石燃料の段階的廃止の具体化が決議されるのではないか、と自身は注目している。

⇒29日(火)午前・金沢の天気    はれ

☆「カタサゴユリ」と「ルビーロマン」の話

☆「カタサゴユリ」と「ルビーロマン」の話

   例年は処暑のころに咲くので、ことしは5日ほど早めだろうか、庭にタカサゴユリが咲き始めた=写真・上=。旧盆が過ぎたこの時節は花の少ない季節なので目立つ花だ。「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」。花の美しさは見事だ。ヤマユリのような高貴な香りはないが、人目をひく。この時節には茶花として床の間に飾る花でもある。

   ただ、立場が異なればタカサゴユリは外敵、目の敵だ。国立研究開発法人「国立環境研究所」のホームページには「侵入生物データベース」の中で記載されている。侵入生物、まるでエイリアンのようなイメージだ。確かに、植えた覚えはないので、おそらく種子が風に乗って、庭に落ちて育ったのだろう。外来種だからと言って、すべて駆除すべきなのか、どうか。この花を見るたびにそんなことを思ったりする。

   話は変わる。石川県特産の高級ブドウと言えば、「ルビーロマン」で知られる=写真・下=。先月14日の金沢市中央卸売市場での初競りで、1房(33粒、重さ1㌔)で最高額は160万円で競り落とされた。1粒換算で4万8千円。正直な話、自身はこれまでの人生で1粒しか食べたことがない。知人の結婚式に出席したときに、新郎と新婦からいただいた1粒だった。ルビーロマンは石川県と契約を取り交わした生産農家が10㌶で栽培している。

   石川県が独自に開発した品種であり、品種登録も行っているルビーロマンが韓国にもある。品種登録が韓国では行われていなかったことから、韓国に苗木が流出して栽培されたものと見られている。

   石川県の馳浩知事は今月2日に韓国と訪れた際に、韓国のルビーロマンを食べた。その様子をブログ「はせ日記」(3日付)で述べている。

「〜県庁職員にお願いして手に入れてもらった韓国産ルビーロマン。味わってみたら、期待外れでがっかり😞そもそも当時の石川県の水際作戦が行き届いていなかったが故に、韓国でいつのまにか石川県ブランド規格に合わない商品が勝手に商標登録されてしまった。こんなルビーロマンが流通していること自体が疑問でならない。味は水っぽいし、色は薄く、一体どこがRubyなのか?そして不揃いで、粒と粒の間に隙間があるし、大きさも揃ってなくて、表皮のハリも艶もない。似て非なるシロモノ。こんなブドウ🍇がルビーロマンを名乗っている事が理解できない。石川県産の本物のルビーロマンを、韓国の生産者や消費者に食べさせてあげたい。これが本場のルビーロマンなんだよ、と」

⇒17日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆ホタル舞う田んぼ 自然との共生のドラマがある

☆ホタル舞う田んぼ 自然との共生のドラマがある

   石川県の白山ろくで農薬や化学肥料を使わない農業を営み、ホタルの保存活動を行っている知り合いから勉強会の誘いを受けて昨夜、出かけた。勉強会は白山市渡津(わたづ)町の集会所であった。テーマは「第12回白山麓わたづ町・蛍の里・ホタル観賞会~自然と共に環境は未来へ~」。勉強会に参加するのは9年ぶりだった。

   誘ってくれたのは稲作専業農家の大田豊氏74歳。先祖代々からの里山の田んぼを受け継ぐ。標高220㍍の棚田に無農薬、そして無化学肥料のコメづくりに取り組み、2011年に「渡津蛍米」を商標登録した。いわゆる「生き物ブランド米」だ。兵庫県但馬地域の「コウノトリ米」や新潟県佐渡の「トキ米」が有名だが、大田氏も「生き物は田んぼの豊かさを示すバロメーター」が持論で、独学で田んぼと生物多様性について学んでいる。多彩なゲストを招いての勉強会もその一環。
 
   60人余りが参加した勉強会は午後6時から始まり、6人のパネリストが発表した。印象に残った発表の一つが、NPO法人「日本ホタル再生ねっと」理事長の草桶秀夫氏(元福井工業大学教授)が説明だった。西日本と東日本ではゲンジボタルのオスの光り方が異なり、フォッサマグナ地帯を境とした西日本では2秒間隔、東日本では4秒間隔との内容だ。ゲンジボタルのミトコンドリア遺伝子につながる塩基配列を用い、全国108地域の個体間の遺伝的類縁関係を調べるなど調査した。その結果、進化の過程で遺伝的変異とともに、発光パターンが変化したとの解説だった。
 
   そして意外だったのは、「ホタルは遺伝的多様性が大きいので、むやみに放流をしないこと」という言葉だった。「ホタルの移植(放流)3原則」というのがあって、▽移植元と移植先が同一河川に限る▽大きな山の尾根を越えた移植はしない▽10㌔以上離れた場所からの移植はしない、とのこと。つまり、よかれと思い遠くから幼虫などを大量に運んで放流したとしても、遺伝的には繁殖につながらないとの説明。つまり、ホタルの環境保全という視点から、ホタルの大量放流や飼育はできる限り、避けるべきとの解説だった。
 
   午後8時ごろから、大田氏の水田でのホタル観賞会に参加した。水田に舞うヘイケボタル、そしてすぐ近くの河川に舞うゲンジボタル。夕闇の中、ホタルの群れが黄緑色の光跡を描きながら乱舞していた。ホタルが舞う田んぼには、耕す人たちのドラマがあるのだろうと感じ入った。そして、ホタルはきれいだという印象にとどまらず、農薬や化学肥料を使わずに自然との共生を考えるシンボルになってほしいとの思いを新たにして水田を眺めていた。
 
⇒26日(月)午前・金沢の天気     はれ

☆アワビが絶滅危惧種に どうする舳倉の海女さん

☆アワビが絶滅危惧種に どうする舳倉の海女さん

   能登半島の舳倉島の沖合250㌔に北朝鮮が弾道ミサイルを落下させたことをきっかけに、記者時代に取材に訪れたこの島のことを再認識する意味で書き綴っている。ブログをチェックしてくれた東京の知人から、「この島で大伴家持の時代からアワビが採れていて、いまでも海女さんたちがアワビ漁を続けているということは、まさにSDGs=持続可能な海の資源ではないか。でも、それがどうして可能なんだ」と、メールで感想と問い合わせがあった。

   確かに周囲5㌔ほどの小さな島で、大伴家持が能登を訪れてアワビのことを詠ってから1270年余りの間、連綿とアワビ漁が続いている。素潜りなので、一番深いところ18㍍ほどと採取エリアが限られている。そして、海女さんたちは自主的に厳しいルールをつくっている。アワビの貝殻の大きさ10㌢以下のものは採らない。漁期は7月1日から9月30日までの3ヵ月。海に潜る時間は午前9時から午後1時までの4時間と制限している。さらに、休漁日は一斉に休む。こうしたルールを互いに守ることで、持続的なアワビ採りの恩恵にあずかっている。

   しかし、漁獲量は減少している。昭和59年(1984)の漁獲量39㌧をピークに右肩下がりで減少し、近年では2㌧ほどと20分の1に減少している。このため、島に禁漁区を設け、種苗の放流、アワビを捕食するタコやヒトデなどの外敵生物の駆除作業などを行っている。この傾向は舳倉島だけでなく、世界のアワビを襲っている。

   野生生物の絶滅のリスクなどを評価しているIUCN(国際自然保護連合、本部=スイス・グラン)は去年12月10日、世界に54種あるアワビのうち、日本で採取されている3種(クロアワビ、マダカアワビ、メガイアワビ)を含め20種について、「絶滅の危機が高まっている」として新たにレッドリストの絶滅危惧種に指定した(IUCN公式サイト)。

   アワビは日本だけでなく世界でも高級食材であり、南アフリカでは犯罪ネットワークによる密猟で壊滅的な打撃を受けている。さらに、「海洋熱波」によりアワビがエサとしている藻類が減り、西オーストラリア州の最北端では大量死。また、農業および産業廃棄物が有害な藻類の繁殖を引き起こしていて、カリフォルニアとメキシコ、イギリス海峡から北西アフリカと地中海にかけてはアワビの病弱化が報告されている。このアワビ激減の対応策として、IUCN研究員は「養殖または持続可能な方法で調達されたアワビだけを食べること。そして、漁業割当と密猟対策の実施も重要」と述べている(同)。

   舳倉島でもクロ、マダカ、メガイの3種のアワビが採れている。今回のIUCNによるレッドリスト化によって、海女さんたちはさらにどのような取り組みを進めるのか。海の生態系から得られる恵みを肌で感じている海女さんたちがこの難題をどう乗り越えるのか、国際的にも注目されるときが来たのではないだろうか。アワビ漁は来月1日に解禁となる。

⇒19日(月)夜・金沢の天気    くもり

★舳倉の海女を「日本のヴィーナス」と記したイタリア人学者

★舳倉の海女を「日本のヴィーナス」と記したイタリア人学者

   前回の続き。舳倉の海女さんは魚介類を専門とするプロの漁業者だ。アワビやサザエのほか、ワカメ、イシモズク、エゴノリなどの海藻、イワガキやナマコなど25種類もの魚介類を採取している。アワビは貝殻つきで浜値で1㌔1万円ほどする。よく働き、よく稼ぐ。新聞記者時代に取材に訪れたとき、海女さんたちから「亭主の一人や二人養えんようでは一人前の海女ではない」という言葉を何度か聞いた。自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だった。

   いまから、69年前の1954年にイタリアの文化人類学者で写真家もあった、フォスコ・マライーニ(1912-2004)という人物が舳倉島にやってきた。島で見たこと、聞いたことを、自ら撮影した記録映像でまとめ、本も出した。日本語版は『海女の島 舳倉島』(未来社、初版1964年)として出版されている。   

   日本語版の本を読むと、マライーニは海女さんたちのことを「日本のヴィーナスたち」と表現している。自身はヴィーナスと言えば、フランスのルーブル美術館にある「ミロのヴィーナス」をイメ-ジしていた。なので、マライーニのこの本を読んでからもずっと、海女さんをミロのヴィーナスに例えたのだと勝手に想像していた。

   それが変わったのは、今から17年前の2006年にイタリアのフィレンツェを金沢大学のスタッフとともに訪れたときだった。美術館めぐりなどを行い、ウフィツィ美術館を鑑賞に訪れたとき、アッと気がついた。ボッティチェリの作品「ヴィーナスの誕生」(1483年作)が展示されていた。作品はホタテの貝殻から生まれた、まさに海のヴィーナスだった。マライーニはフィレンツェで生まれで、フィレンツェ大学で教鞭をとっていたので、小さいころからこのボッティチェィリの作品を見ていたはずだ。ということは、彼のヴィーナスのイメージはこの海のヴィーナスなのだと初めて気がついた。   

   マライーニの頭の中には、ヴィーナスと言えば、海のイメージがあった。そこで、海に生きる日本の海女さんたちにとても興味を持った。そう考えると、本当の海のヴィーナスを見てみたいと、イタリアから舳倉にやってきた理由がようやく分かった。漁村に生まれ、海に生きる女性たち、マライーニはメージしていた本当のヴィーナスたちに会いたかったのだろう。舳倉を取材に訪れた彼の憧れ、好奇心、執念、学術意欲というものを感じたのだった。

⇒18日(日)午前・金沢の天気   くもり

☆「海女の島」舳倉 その歴史とアワビの価値

☆「海女の島」舳倉 その歴史とアワビの価値

   前回ブログで能登半島の輪島市から49㌔沖にある舳倉島(へぐらじま)の北北西250㌔に北朝鮮の弾道ミサイル2発が落下したことについて述べた。その続き。ミサイル落下をニュースで知って一番驚いたのは、舳倉島の海女さんたちではないだろうか。周囲5㌔ほどの小さな島ではあるもの、アワビが採れる島で「海女の島」として知られる。

   舳倉島にはアワビの長い歴史がある。万葉の歌人・大伴家持が越中国司として748年、能登を巡行している。島に渡ってはいないが、輪島で詠んだ歌がある。「沖つ島 い行き渡りて潜くちふ あわび珠もが包みて遣やらむ」。沖にある舳倉島に渡って潜り、アワビの真珠を都の妻に送ってやりたい、との意味だろう。この和歌から分かることは、少なくとも1270年余り前の昔からこの島ではアワビ漁が連綿と続いるということだ。

   輪島市や舳倉島を拠点に現在でも200人ほどの海女さんたちがいる。ウエットスーツ、水中眼鏡、足ひれを着用して、素潜り。アワビ漁の解禁は来月1日からなので、いまの時期は体調の整えなどで緊張するころだ。島から250㌔離れたところでのミサイル落下とは言え、緊張はさらに高まっただろう。

   今から38年も前の話になるが、新聞記者時代に舳倉の海女さんたちを年間を通して取材したことがある。深く潜る海女さんたちは「ジョウアマ」あるいは「オオアマ」と呼ばれていた。18㍍の水深を重りを身に付けて潜る。これだけ深く潜ると自力で浮上できない。そこで、海女さんの夫が船上で、命綱から引きの合図があるのを待って、海女の命綱を引き上げる。こうして夫婦2人でアワビ漁をすることを「夫婦船(めおとぶね)」と呼んでいた。信頼できる夫婦関係だからできる漁なのだ。

   海女さんから怖い話も聞いた。アワビが大好物なのは人間だけではない。ウミガメも好物なのだ。海女さんが採ったアワビをめがけてウミガメが食らいついてくることがある。そんなときは、アワビを捨てて逃げるのだそうだ。アワビが分厚い殻で岩にへばりつくのも、大敵ウミガメから身を守ることだったのだとこのとき知った。

   舳倉島でのルポルタージュは新聞で連載(分担執筆)され、その後『能登 舳倉の海びと』(北國新聞社)のタイトルで出版された。記者時代の思い出の地でもあるこの島や周囲に弾道ミサイルを落とさせてなるものか。そのような想いを込めている。

⇒17日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆「厄介もの」黄砂 「恵みもたらす」黄砂

☆「厄介もの」黄砂 「恵みもたらす」黄砂

   きょう12日は朝から雨模様だったが、午後には雨があがり、そしてどんよりとした「黄砂の空」になった=写真、午後3時35分ごろ、金沢市の野田山から市内中心部を撮影=。きょう夜にかけて、北陸や北日本、北海道はさらに濃度の高い黄砂に覆われるようだ(気象庁公式サイト「黄砂情報」)。

   日本から4000㌔も離れた中国大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から偏西風に乗って黄砂はやってくる。きょうのような日に外出すると、目がかゆくなる。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすようだ。さらに、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。

   金沢では古くから「唐土の鳥」がまき散らす悪疫として、黄砂を忌み嫌った。加賀藩主の御膳所を代々勤めた市内の料亭では七草粥をつくる際に、台所の七つ道具で音を立てて病魔をはらう春の行事がある。そのときの掛け声は「ナンナン、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボト」と。春になると、唐の国(中国)から海を渡って来る鳥が空から悪疫のもとを降らすというのだ。現代風に解釈すれば、肺がんやぜんそくなどを引き起こすとされる微小粒子状物質「PM2.5」が黄砂とともに飛来するとの意味だろうか。

   まさに黄砂は「厄介もの」だが、日本海に恵みをもたらすともいわれている。大量の黄砂が日本海に注ぐ3月と4月には、「ブルーミング」と呼ばれる、海一面が白くなるほど植物プランクトンが大発生する。黄砂の成分といえるケイ酸が海水表面で溶出し、植物プランクトンの発生が促されるのだ。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという海の食物連鎖があるとの研究がある。確かに、地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜクジラやサメ、ブリ、サバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのか、いろいろ要因もあるが、黄砂もその役割を担っているのかもしれない。

   また、黄砂研究から商品化されたものもある。黄砂に乗って浮遊する微生物、花粉、有機粉塵などは「黄砂バイオエアロゾル」と呼ばれる。金沢大学のある研究者は発酵に関連する微生物がいることに気づき、採取したバチルス菌で実際に納豆をつくり、商品化した。空から採取したので商品名は「そらなっとう」。納豆特有の匂いが薄いことから、機内食としても使われている。日本の納豆文化はひょっとして黄砂が運んできたのではないかとの研究者の解説を聞いて、妙に納得した。

⇒12日(水)午後・金沢の天気   くもり

★能登の新たな風~見せる、担ぐ、輪島塗のキリコ~

★能登の新たな風~見せる、担ぐ、輪島塗のキリコ~

   能登の祭りと言えばキリコ祭り。キリコは能登特有の「切子灯籠(きりことうろう)」を「切籠(きりこ)」と略したものだ。大人たちがキリコを担ぎ、子どもたちが太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。集落や町内会を挙げての祭りだ。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」「1年365日は祭りの日のためにある」。能登でよく聞く言葉だ。能登のキリコ祭りは2015年4月に日本遺産「灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」に認定され、全国から見学や参加希望のファンも増えている。

   「輪島キリコ会館」に入った。2015年3月にリニューアルオープンしている。展示スペースには、高さ10㍍規模の大キリコが7基と、5㍍ほどのキリコが24基展示されている=写真・上=。直方体のあんどんに、屋根や四本の柱、担ぐための棒などには輪島塗が施され、昇り竜の彫刻に金箔を貼り付けた飾り物などが際立つ=写真・下=。若い衆が激しく動かす祭りのときのキリコのイメージとは違って、まるで装飾品だ。

   会館の職員の説明によると、かつては高さ12㍍の巨大なキリコを100人で担いだ時代もあった。電線がはりめぐらされる昭和の時代になって、5㍍ほどの高さになり、その分、飾りが施され、基数も増えた。

   能登の他の地区では、祭りが終わればキリコの倉庫や、解体して神社の倉庫に仕舞われるが、輪島のキリコはキリコ会館で展示されいて、祭りになるとそのまま担がれて街を練る。祭りが終われば、また会館で展示され、観光客を呼び込むというシステムになっている。輪島でそれが可能になったのは、キリコ会館の周辺には奥津比咩神社大祭(8月22、23日)、重蔵神社大祭(同23日)、住吉神社大祭(同24日)、輪島前神社大祭(同25日)と祭りが集中して、展示にムダがないせいかと推測する。

   館内には祭り囃子が流れ、いながらにしてキリコ祭りの雰囲気が楽しめる。そして、これらのキリコが祭りの日には勢いよく輪島の街を練り歩く光景が目に浮かぶ。観光客も楽しみ、街の人も楽しむキリコなのだ。

⇒8日(土)夜・金沢の天気    くもり 

☆能登の新たな風~CO²回収と「火様」を守る炭焼き~

☆能登の新たな風~CO²回収と「火様」を守る炭焼き~

   能登半島の尖端にある珠洲市で木炭製造会社を経営する大野長一郎氏を久しぶりに訪ねた。伝統的な炭焼きを今も生業(なりわい)としている石川県内で唯一の事業所で、二代目でもある。

   大野氏の話は「火様(ひさま)」から始まった。能登では囲炉裏の火を絶やさず守る「火様」の伝統があったが、燃料が電気やガス、灯油などにシフトする燃料革命でその伝統は風前の灯(ともしび)となった。去年の9月、能登で300年の火様の伝統を守っている人から声をかけられ、火種を分けてもらった。炭焼きの伝統技術に、新たに火様の伝統を受け継いだ。(※写真・上は、火鉢に入れた能登の伝統の火を受け継ぎ守る大野氏)

   大野氏の火へのこだわりは多様だ。「炭焼きでカーボンニュートラルを起こすと決めたんです」。樹木の成長過程で光合成による二酸化炭素の吸収量と、炭の製造工程での燃料材の焼却による二酸化炭素の排出量が相殺され、炭焼きは大気中の二酸化炭素の増減に影響を与えない、とされる。しかし、実際は木を伐採するチェーンソーや、運ぶトラックのガソリン燃焼から出るCO²は回収されていない。「炭焼きは環境にやさしくないと悩んでいた」

   そこで、知り合った金沢大学の研究者と、自らの生業のCO²の排出について検証する作業に入る。ライフサイクルアセスメント(LCA=環境影響評価)の手法を用い、過去6年間の製造、輸送、販売、使用、廃棄、再利用までの各段階における環境負荷を検証した。事業所の帳簿をひっくり返しガソリンなどの購入量を計算。仕事の合間で2年かけて二酸化炭素の排出量の収支計算をはじき出した。また、環境ラベリング制度であるカーボンフットプリントを用いたCO²排出・固定量の可視化による、木炭の環境的な付加価値化の可能性などもとことん探った。

   得た結論は、生産する木炭を2割以上を不燃焼利用の製品にすれば、排出するCO² 量を相殺できるということが明らかになった。そこで商品生産の方針を決め、生産した炭の3割を床下の吸湿材や、土壌改良材として商品化することにした。

   付加価値の高い茶炭の生産にも力を入れている。茶炭とは茶道で釜で湯を沸かすのに使う燃料用の炭のこと。2008年から茶炭に適しているクヌギの木を休耕地に植林するイベント活動を開始。すると、大野氏の計画に賛同する植林ボランティアが全国から集まるようになり、能登におけるグリーンツーリズムのさきがけにもなった。(※写真・下はクヌギの木を材料とした茶道炭。切り口がキクの花模様に似ていることから菊炭とも呼ばれる)

   さらに、炭焼きの原木を育てる植林地では植物だけでなく、昆虫や野鳥などの生物も他の地域より多いことが研究者の調査で分かってきた。植林地に枝打ちや間伐など手を入れることで、生物多様性が育まれる。炭焼き業がカーボンニュートラルやバイオエコロジーに新風を吹き込むかもしれない。

⇒7日(金)夜・金沢の天気     くもり