★2025能登レジリエンス元年~②
それにしても不気味な逮捕劇だ。元日の1日午後、石破総理らが出席した能登半島地震と奥能登豪雨の追悼式会場の近くで果物ナイフやカッターナイフなど5本の刃物を所持していた兵庫県西宮市の大学生が銃刀法違反の疑いで逮捕された。逮捕の場所は式典会場の日本航空学園能登空港キャンパスに隣接する能登空港の駐車場。警備に当たっていた警察が、柱に姿を隠すような不審な動きをする容疑者に職務質問して発覚した。容疑者は「観光に来た」などと供述しているという(地元メディア各社の報道)。
輪島・千枚田の歴史といまを支える「困難を乗り越える力」
話は変わる。シリーズタイトルに使っている「レジリエンス(resilience)」という言葉を初めて耳にしたのは14年前だった。2011年6月に国連食糧農業機関(FAO)から能登半島の「能登の里山里海」が世界農業遺(GIAHS)に認定され、当時のGIAHS事務局長パルビス・クーハ
フカン氏が認定セレモニーのために能登を訪れた。そのとき、輪島市の棚田「千枚田」を見学した。案内役の輪島市長、梶文秋氏(当時)が千枚田の歴史について説明した。
千枚田では1684年に大きな地滑り(深層崩壊)があり、山ごと崩れた。深層崩壊が起きた理由の一つが山からの地下水が地盤を軟弱化させたことだった。地域では棚田を再生するあたって、その地下水を田んぼに流し込み、その水がすべての田ぼに回るように水路設計が施された。つまり、用水からの分岐ではなく、田から田へ水が流れるような仕組みにした。この知恵と工夫で災害地を生産地として回復させた。この説明を受けたパルビス氏は「すばらしい景観と同時に農業への知恵と執念を感じる。千枚田は持続可能な水田開発の歴史的遺産、まさにレジリエンス(困難を乗り越える力)のシンボルだ」と感想を述べた。(※写真は、能登地震で多くの田んぼに亀裂が入ったものの、120枚が耕作され稲刈りを終えた輪島の千枚田=去年9月撮影)
このときパルビス氏が語った「レジリエンス」はその後のFAOの公式サイトでも活かされている。「能登の里山里海」について以下のように紹介している。The communities of Noto are working together to sustainably maintain the satoyama and satoumi landscapes and the traditions that have sustained generations for centuries, aiming at building resilience to climate change impacts and to secure biodiversity on the peninsula for future generations.(意訳:能登の地域社会は、何世紀にもわたって何世代にもわたって受け継がれてきた里山と里海の景観と伝統を持続的に維持するために協力し、気候変動の影響に対するレジリエンスを構築し、将来の世代のために半島の生物多様性を確保しようとしている)
千枚田のレジリエンスはいまも続いている。人手不足が生じたことから、棚田景観を守るために先駆けて2007年から「棚田のオーナー制度」を導入。また、昨年元旦の地震では多くの田に亀裂が入ったため、クラウドファンディングで資金を集めて修復作業を行い、1004枚の田んぼのうち120枚の耕作にこぎつけた。作業はその後も徐々に進められている。ひたむきなアイデアと地道な努力で千枚田の再生してきた。能登のレジリエンスの原点と言えるかもしれない。
⇒3日(金)夜・金沢の天気 あめ
万人を記録した(三菱UFJリサーチ&コンサルティング「平成22年度旧きのうら荘見直しに係る検討業務報告書」)。その記録はまだ塗りかえられていない。
献花台の上部にはテレビモニターが置かれ、輪島での追悼式の様子がリアルタイムで視ることができた。震災で父を亡くし、経営してた衣料品店が全壊したという遺族代表の女性の言葉が印象的だった。「絶望感に打ちひしがれ、店を再建することはもう無理だと考えるようになっていました。また地震が来たらどうなるのか、と。そんな中で、地域の方々から『無理せんでいいよ。まっとるからね』との温かい言葉があり、背中を押されました」「私たちの店は、この地域に支えられてここまで来ることができたんだと、少しずつ前向きな気持ちになることができました」「そして仮設商店街に何とか店を構えることができました。それが亡くなった父への感謝であり、地域の皆さんへの恩返しであると考えています」
元日の能登半島地震、ならびに9月の奥能登豪雨の犠牲者を弔う追悼式が新年1月1日に輪島市の能登空港に隣接する学校法人「日本航空学園」キャンパス体育館=写真=で営まれる。地震による犠牲者は今月19日時点で、直接死が228人、災害関連死(県関係者)が270人となる。豪雨による死者は16人となる。514人の死を弔う。追悼式は石川県が主催し、石破総理ならびに岸田前総理が参列する。式は午後3時35分に開会、地震発生時刻の午後4時10分に出席者が黙祷をささげる。
両陛下は9月の豪雨について、輪島市と珠洲市、能登町の3人の首長から説明を受けた。被災者がこれまで見たこともないような大粒の雨だったこと、震災と豪雨の二重被災に心が折れそうになっている人も多いこと、そうした中でも生活の立て直しに懸命に取り組んでいる人たちもいるとの内容だった。首長の説明に対し、両陛下は「建物を解体する作業員や屋根瓦の職人、あるいはボランティアの確保は難しくないでしょうか」と案じ、災害関連死が多いことについては「災害関連死された方はどのような状況でお亡くなりになったんでしょうか」と尋ねるなど、個々の状況について心配されていたという。
衆の拍手にまったく気づかず、背を向けていた。見かねたかアルト歌手がベートーベンの手を取って、聴衆の方に向かわせて初めて熱狂的な反応に気が付いたという話だ。そんなリーフレットの説明も目を通していると、演奏が始まった。(※写真は、第九交響曲コンサートのチラシ)
また、来賓あいさつで同町の宮下為幸町長は「どぶろく特区に登録されている市や町が集まって開催する『どぶろく全国大会』を来年度に誘致することがになり、日程は2026年1月16日に決まった」と明らかにした。この大会では全国から80銘柄のどぶろくが集まり飲み比べができることから、どぶろくファンが全国から集まるそうだ。じつは全国大会は2025年1月の開催が決まっていた。ところが、ことし元日に震度7の能登半島地震が発生したことから、いったん中止となった。そこで、改めて2026年1月での開催が決まったといういきさつがある。
いため白く濁り、「濁り酒」とも呼ばれる。ろ過したものが清酒となる。日本酒の製造過程で一歩手前の酒、と言える。
何しろ金沢は「カミナリ銀座」。全国の都市で年間の雷日数が30年(1991-2020)平均でもっとも多いは金沢の45.1日だ(気象庁公式サイト「雷日数」)。ちなみに、東京は14.5日、仙台は9.8日となっている。雷がとどろけば、落雷も発生する。石川県の消防防災年報によると、県内の落雷による火災発生件数は年4、5件だが、多い年(2002年)で12件も発生している。歴史的に知られるのは、1602年(慶長7)に金沢城の天守閣が落雷による火災で焼失。ほかにも、金沢の神社仏閣での被災事例が多い。雷が人々の恐怖心を煽るのはその音だけではなく、落雷はどこに落ちるか予想がつかないからだ。(※写真・上は、北陸電力公式サイト「雷情報」より)
町内会では、「火災のときは家財道具を持ち出すな」というルールがある。避難の邪魔になるものをお互いが持ち出さないとの決め事だ。金沢の古くからの都市計画では、「広見(ひろみ)」と呼ばれる街中の広場が市内の何ヵ所で設けられている。これは藩政時代から火災の延焼を防ぐため火除け地としての役割があったとされる。(※写真・下は、金沢市寺町5丁目の通称「六斗の広見」。近くに「忍者寺」として知られる妙立寺がある)
したのは去年5月15日だった。その10日前の5日に同市で震度6強の地震があった。被災地を歩ていると、泉谷市長から声をかけられた。同市とは金沢大学の地域連携プロジェクトで協力関係にあったので、これまでも市長から何度か声をかけていただいた。
ンボールだ。環境と人権に配慮した建築家の工夫がそこに見えた。
ないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。まさにこの発想がアートだと感じ入った。
ノドグロは金沢ではもともとアカムツと呼んでいて、庶民の魚だった。ところが、2014年のテニスの全米オープンで準優勝した錦織圭選手が記者会見で、「ノドグロが食べたい」と答えたことがきっかけで、焼き魚と言えばノドグロが一気に「出世魚」となった。さらにブームに拍車をかけたのが、翌2015年3月の北陸新幹線の金沢開業だった。観光客が急激に増え、金沢での食べ歩きや土産の需要として、ノドグロ人気が一気に高まった。関東からの観光客にとっては、北陸と山陰は同じロケーションで、金沢に行けばノドグロが食えると思われたに違いない。当時、知人らと「あのアカムツがノドグロに化けて、えらい人気やな」と笑っていた。ところが、値段も高騰して、いつの間にか「超高級魚」の様相になって、笑えなくなった。ちなみに金沢の居酒屋で焼き物一匹は4000円ほどだ。「錦織以前」は確か600円ほどだったと記憶している。
話が逸れた。さらに漁協の荷捌き場に入ると、ズワイガニのメスの香箱ガニが発砲スチロールの箱に段積みになっていた=写真・中=。これを見て、いよいよ「かに面」の季節だと心が騒いだ。かに面は、これも有名な「金沢おでん」の季節限定のメニューだ。香箱ガニの身と内子、外子などを一度甲羅から外して詰め直したものを蒸し上げておでんのだし汁で味付けするという、かなり手の込んだもの=写真・下=。香箱ガニの漁期は資源保護政策で11月6日から12月29日までと限られている。なので、金沢のおでん屋でかに面を食することができる期間は2ヵ月ほど。期限が限定されたメニューとあって、この時季には金沢おでんの店には行列ができる。これがすっかり金沢の繁華街の季節の風物詩になっている。
香箱ガニの話に集中したが、オスの加能ガニも人気だ。地元メディア各社の報道(15日付)によると、加能ガニの中でも重さ1.5㌔以上、甲羅幅14.5㌢など基準をクリアしたものは「輝(かがやき)」の最高級ブランド名が与えられ、きのう今季初めて1匹が認定され、金沢港かなざわ総合市場での競りで18万円の値がついた。メスの香箱ガニの最高級ブランド名は「輝姫」でこれは4万円。能登の漁業の再起に向けた第一歩となってほしいと願う。