⇒トピック往来

★ゲノム情報が健康管理に活用できる時代に

★ゲノム情報が健康管理に活用できる時代に

   先日、能登半島の真ん中にある志賀町で開催された「健康づくり講演会」を聴き行った。講演の一つ、「ゲノムは人類の共有財産~ゲノム情報が健康管理に活用できる時代に~」のタイトルに興味がそそられた。

   人は誰もが遺伝情報(ゲノム)を持つ。親の病気を知ると、自身にも遺伝性の病気にやがて罹ると思ったりする。「ゲノム」という言葉を意識したのは10年前の2013年。アメリカの女優、アンジェリーナ・ジョリーが公表した乳がん治療だった。母親が乳がんで命を落としたことをきっかけに自ら遺伝子検査を行い、発症率が高いことが判明したことから、予防のために両乳房を切除・再建手術を行った。日本でも大きく報じられ、遺伝カウセリングや遺伝子検査が広まるきっかけとなった。そして、ことし6月には遺伝情報に基づき患者に応じた治療を推進する「ゲノム医療法」が国会で成立し、遺伝医療に弾みがついた。

   志賀町でゲノムの講演会が開かれたのも理由がある。2011年から金沢大学の予防医学による住民の健康の維持と増進に取り組むための調査研究が行われてきた。2019年度からは「スーパー予防医学検診」のプロジェクトが始まり、定点観測的にデータを収集し、さらに遺伝子検査など行い、個人に合わせた保健指導プログラムを開発している。講演会は調査に協力している住民へのフィードバックの意味を込めている。

   冒頭のタイトルで講演したのは金沢大学附属病院遺伝診療部の渡邊淳部長=写真=。人体の細胞の中にはヒトの遺伝情報を保存しているDNAが含まれていて、DNAは細胞の中の染色体と呼ばれる物質の中で折りたたまれている。ヒトは父と母からそれぞれ1組の染色体のセット(22本の常染色体と1本の性染色体)をもらうので、1つの細胞には2セットの染色体が入っている。ただ、DNAは必ずしも安定した存在ではなく、さまざまな要因により変化し、病気の発症と関連するものは「ゲノム異常」とも呼ばれる。

   遺伝子が関わる病気は多岐にわたる。がんや糖尿病などを含めると、およそ9割が生涯に何らかの遺伝性疾患に罹るとの説明があった。がんは遺伝すると思いがちだが、ゲノム異常で起きる病気と遺伝する病気はイコールではないこと、がんと遺伝に関しては正しく理解することが必要、と。ただ、患者が治療で医師から説明を受ける際、専門性の高い用語が使われることが多い。どう患者や家族に理解してもうらうのか。その取り組みの一つとして、「遺伝カウンセラー」の話があった。ゲノム医療を受ける患者と医師の間に立って、患者側を支援する人材だ。金沢大学では2021年度から遺伝カウンセラーの養成を行っている。

   ゲノム医療では遺伝情報を調べることで患者の最適な治療薬の選択につながる。一方で、予め病気のリスクがわかるため、医療保険の加入や就職などで差別や不利益を受けることにもなりかねないので、医療側は徹底した情報管理が問われる、と。最後に、2002年のノーベル生理学・医学賞を受けたジョン・サルストン(イギリス)の言葉を引用して講演が締めくくられた。「人間の出発点となるゲノムは、各人にとっての制約ではなく、むしろ可能性ととらえるべきである」

⇒12日(木)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

★街路を彩る花、ムクゲ、ヒガンバナ

★街路を彩る花、ムクゲ、ヒガンバナ

   10月も半ばに入った。自宅近くの県道を歩くと、道路沿いにムクゲの花が競うように咲いている=写真・上=。真っ白な「祇園守」だ。花の中心部のシベが十文字になっていて、京都の八坂神社の護符の「祇園守」と似ているところから名付けられたとの説もあるが定かではない。清楚な花で、茶花として重宝される。ムクゲは梅雨の頃から咲き始めて夏に盛りを迎える。もうそろそろ見納めの頃だ。

   芭蕉の句がある。「道のべの木槿は馬にくはれけり」。道ばたのムクゲの花を馬がぱくりと食べた。芭蕉はその一瞬の出来事に驚いたかもしれない。花であっても、いつ何どき厄(やく)に会うかもしれない、と。中古車販売の「ビッグモーター」の店舗前の街路樹や植え込みのように、抜かれたり枯らされたりすることがないことを願う。

   道路の対面には赤い花が咲いていた=写真・下=。ヒガンバナ(彼岸花)は割と好きな花だ。ヒガンバナの花言葉は「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」。秋の彼岸に墓参りに行くと墓地のまわりに咲いていて、故人をつい思い出してしまう。「悲しき思い出」を誘う花だ。

   植物に詳しい友人から、かつてこんな話を聴いた。ヒガンバナは茎にアルカロイド(リコリン)という毒性がある。昔の人は死体を焼かずに埋葬した。そこで、犬が近づいて掘り返さないようにと毒性のあるヒガンバナを墓地に植えたのだという。犬よけの花でもある。

⇒10日(火)午後・金沢の天気    くもり時々あめ

★「ほったらかしの柿」を求めてクマやサルが出没する頃

★「ほったらかしの柿」を求めてクマやサルが出没する頃

   金沢地方気象台はきょう8日、石川・岐阜両県などにまたがる白山(2702㍍)で初冠雪を観測したと発表した。白山は平年より13日、昨年より17日早かった。例年10月に入ると、クマの出没が多くなる。金沢市内だけでも、今月に入って2回、9月以降で11回の目撃情報などが寄せられている。

   金沢市公式サイト「ツキノワグマ目撃痕跡情報」によると、直近で今月6日午前6時ごろ、同市末町にクマ1頭が出没。やぶに入っていくのが目撃された。近くには小学校や中学校、高校、大学があり、朝の登校時間だっただけに注意が呼びかけられた。

   ふだんは山奥にいるクマが人里に降りてくるのは、ドングリなどのエサ不足が主な原因とされる。とくに冬眠前になるとクマも必死にエサを探し求めて人里に降りてくる。ことし石川県自然環境課が8月中旬から9月上旬にかけて実施した「ツキノワグマのエサ資源調査」では、ブナ科植物(ブナ・ミズナラ・コナラ)は加賀地方の一部地域で「凶作」ではあるものの、全体として「並作」としている。「大凶作」や「凶作」が多かった去年に比べると、ことしはクマの出没回数は減るかもしれない。  

   山から人里に下りてくるのはクマだけではない。金沢の住宅街にサル、イノシシ、シカが頻繁に出没するようになった。こうした野生動物は本来、奥山と呼ばれる山の高地で生息している。ところが、エサ不足に加え、中山間地(里山)が荒れ放題になって、野生動物が奥山と里山の領域の見分けがつかずに人里や住宅街に迷い込んでくる、とも言われている。あるいは、野生動物が人を恐れなくなっている、との見方もある。

   その事例として知られるのが実りの秋の柿だ。クマやサルは柿が大好物だ。一度食べたら、また翌年も同じところに柿を食べにくると言われる。かつて里山や人里には柿が栽培され人々は食した。ところが、里山に人が少なくなり柿の実をもぎ取る人がいなくなった。そんな「ほったらかしの柿」をクマやサルが柿の木に登って食べに来るようになった。

   金沢市の近郊では、クマやサルの出没を恐れて、柿の木を地域ぐるみで伐採するところも増えているようだ。

(※図は石川県生活環境部自然環境課が作成している「令和5年ツキノワグマ出没マップ」。出没は能登、金沢、加賀と広範囲におよんでいる)

⇒8日(日)午後・金沢の天気   くもり

★金沢人の「おでん」好き その季節がやってきた

★金沢人の「おでん」好き その季節がやってきた

   きょうの金沢は晴れ間が広がり、昼過ぎには25度以上の夏日となったが、夕方になるとずいぶんと涼しくなってきた。この時節に友人たちと話していて何かと話題に上るのが、「おでん」だ。「そろそろ、源助だいこんやガンモの季節だね」とか、「ことしは、かに面が食えるかな」などと。そして、家庭の食卓にガンモドキなどおでんが出るようになるのがこの季節だ=写真・上=。

   金沢人のおでん好きは、「金沢おでん」の言葉もあるくらいだ。季節が深まるとさらにおでん好きが高じる。「かに面」だ。かに面は雌の香箱ガニの身と内子、外子などを一度甲羅から外して詰め直したものを蒸し上げておでんのだし汁で味付けするという、かなり手の込んだものだ=写真・下=。季節限定の味でもある。資源保護のため香箱ガニの漁期が毎年11月6日から12月29日までと設定されている。

   漁期が限定されているため、価格が跳ね上がっている。なにしろ、金沢のおでん屋に入ると、品書きにはこれだけが値段が記されておらず、「時価」としている店が多い。香箱ガニの大きさや、日々の仕入れ値で値段が異なるのだろう。去年1月におでん屋で食したかに面は2800円だった。それまで何度か同じ店に入ったことがあるが、数年前に比べ1000円ほどアップしていた。   

   値段が急騰したのは2015年3月の北陸新幹線の金沢開業のころだった。金沢おでんが観光客の評判を呼び、季節メニューのかに面は人気の的となり、おでんの店には行列ができるようになった。極端に言えば、「オーバーツーリズム」だ。

   この現象で戸惑っているのは金沢人だけではない。能登や加賀もだ。金沢おでんが観光客の評判を呼び、季節メニューのかに面は人気の的となった。すると水揚げされた香箱ガニは高値で売れる金沢に集中するようになる。それまで能登や加賀で水揚げされたものは地元で消費されていたが、かに面ブームで金沢に直送されるようになった。

   かに面をめぐるぼやきを上げればきりがない。季節に一度食することができるかどうか。できれば幸せ、それだけのことだ。

⇒4日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ  

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~3 青と白のアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~3 青と白のアート

   国際芸術祭を案内してくれたボランティアガイドの語りで、印象に残る言葉があった。「震災に耐えた奇跡の作品があるんですよ」。ことし5月5日に能登半島の尖端を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生し、珠洲市は震度6強の揺れに見舞われ、市内だけでも住宅被害が690棟余りに及んだ。その強烈な揺れにもビクともしなかった作品がある。

   金沢在住のアーティスト、山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)=写真・上=だ。旧・保育所の施設を用いて、真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出されている。保育園らしさが残る奥の遊戯場には塩を素材にした立体アートが据えられている。天空への階段のようなイメージだ。途中で壊れたように見える部分は作者が意図的に初めから崩したもので、今回の地震によるものではない。

   作品には10㌧もの塩が使われている。山本基氏が「塩」にこだわる背景には、若くしてこの世を去った妻と妹との思い出を忘れないために長年「塩」を用いて、展示空間そのものを作品とするインスタレーションを制作しているのだという。「塩も、かつては私たちの命を支えてくれていたのかも知れない。そんな思いを抱くようになった頃から、塩には『生命の記憶』が内包されているのではないかと感じるようになりました」(サイト「山本 基 – Motoi Yamamoto -」より)。

   それしても、塩に水を吹きかけレンガのように固めて階段状に積み上げたものが、なぜ震度6強の揺れに耐えたのか。ぜひ、作者に尋ねてみたいものだ。

   青と白のインスタレーション(空間構成)をまったく別の会場でも鑑賞した。リアス式海岸の特徴的な、海に突き出た鰐崎(わんざき)海岸。ここに石彫作家、奥村浩之氏の作品『風と波』(2023年制作)がある=写真・中=。25㌧の石灰岩を加工した作品。よく見ると、造形部分と自然石の部分が混在している。最初は塩の塊(かたまり)かと勘違いしたほど白く、そして青空と紺碧の海に見事に映える。そして、夕日に染まればまったく別の作品に見えるかもしれない。

   作品の周囲を見渡すと「巨鯨魚介慰霊碑」がある=写真・下=。「鯨一頭捕れれば七浦潤し」とのことわざがあるように、浜に漂着したクジラは漁村に幸をもたらした。説明板には、明治から昭和にかけて、シロナガスクジラなどが岩場に漂着し、それに感謝する碑と記されている。海の生き物に感謝する能登の人たちの心根のやさしさだろうか。

   奥村浩之氏はこの慰霊碑を横目で見ながら作品を創作したことは想像に難くない。山本基氏の「青と白」の生命の記憶につながるストーリーではないかと連想した。

⇒28日(木)午前・金沢の天気   あめ時々くもり

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

   急な坂道を車で上り、丘の上に立つと眼下に日本海の絶景が広がる。芸術祭のために造られた「潮騒レストラン」に入る=写真・上=。水平線で区切られた空と海のコントラストを眺めながら、食事や喫茶ができる。地元の海で採れるアオサノリとサザエを具にしたパスタは海の香りを漂わせる。

   このレストランですごさを感じるのは一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だ。公式ガイドブックによると、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した、日本初の建造物となっている。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。これもアートだ。

   海岸線に沿うように長さ40㍍、幅5㍍の細長いレストランを建築設計したのは建築家、坂茂(ばん・しげる)氏。被災地や紛争地で支援活動を続ける建築家としても知られる。ことし5月5日に震度6強に見舞われた珠洲市で、被災した人々に避難所用の「間仕切り」を公民館に設置した。現地で見学させてもらったが、ダンボール製の簡単な間仕切りだが、透けないカーテン布が張られ、プライバシーがしっかりと確保されていた。

   このレストランの横に旧・小学校の体育館を改修した「スズ・シアター・ミュージアム」=写真・下=がある。同市の文化の保存活用のため2021年に開業した民俗博物館。家庭で使用されてきた生活用具を集約し、展示・紹介するとともに、アーティストらによる物語が展開される体験型の施設だ。この地に根付く農林漁業の生業と生活文化、民具、民謡、祭囃子が映像や光、音とともに空間に響き渡る。

⇒26日(火)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

   能登半島の尖端にある珠洲(すず)市で「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)が始まった。2017年に初めて開かれた国際芸術祭は3年に一度のトリエンナーレで開催されている。2020年はコロナ禍で1年間延期となり、翌年に「奥能登国際芸術祭2020+」として開催。3回目のことしは5月5日にマグニチュード6.5、震度6強の地震に見舞われて開催が危ぶまれたものの、会期を当初より3週間遅らせて開催にこぎつけた。14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内各所で展示されている。

   きのう24日に日帰りで会場を何ヵ所か訪れた。奥能登国際芸術祭の公式ガイドブックの表紙=写真・上=を飾っているのが、ドイツ・ベルリン在住のアーティスト、塩田千春氏の作品『時を運ぶ船』。「奥能登国際芸術祭2017」に制作されたが、芸術祭と言えばこの作品を思い浮かべるほど、シンボルのような存在感のある作品だ。塩砂を運ぶ舟から噴き出すように赤いアクリルの毛糸が網状に張り巡らされた空間。赤い毛糸は毛細血管のようにも見え、まるで母体の子宮の中の胎盤のようでもある。

   以下、ボランティアガイドの説明。作者の名前は「塩田」。珠洲の海岸には伝統的な揚げ浜式塩田があり、自分のルーツにつながるとインスピレーションを感じて、塩田が広がるこの地で創作活動に入ったそうだ。『時を運ぶ船』という作品名は塩田氏が珠洲のこの地域に伝わる歴史秘話を聴いて名付けたのだという。戦時中、地元のある浜士(製塩者)が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの友が命を落とし、その浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後、珠洲では浜士はたった一人となったが伝統の製塩技法を守り抜き、その後の塩田復興に大きく貢献した。技と時を背負い生き抜いた浜士の人生ドラマに塩田氏の創作意欲が着火したのだという。それにしてもこの膨大な数のアクリルの毛糸には圧倒される。

   海岸沿いで目立つのは、鳥居をモチーフとしたファイグ・アフメッド氏(アゼルバイジャン)の作品『自身への扉』=写真・下=。ガイドブックによると、作品は日の出と日の入りの間に立ち、人生における2つの側面を表現しているのだという。光を反射するスパンコールの鳥居をくぐると風の音が聞こえ、そして波が打ち寄せる。まるで、人生の「門」をくぐるという儀式のようだ。見学した時間は夕方午後5時を回っていたので、人生の黄昏時の門をくぐったことになるのだろうか。

⇒25日(月)午前・金沢の天気   はれ時々くもり   

★生涯付き合うことになる「帯状疱疹」という厄介な病

★生涯付き合うことになる「帯状疱疹」という厄介な病

   左足に強烈な痛みが走るようになったのは8月10日だった。座っても立ってもいられない痛さで、テーブルにもたれかかって痛みが和らぐを待つしかない。時間にして数分だが、これまで経験したことがないピリピリとした痛みだけに、心臓もどきどきとしてくる。

   一度ひやりとしたことは、自家用車を運転中に痛みが襲って来たときだった。旧盆帰省のため家族とともに実家に向っている途中で痛みが走った。たまたま左車線を走行していて、空きスペースがあったので駐車して痛みをしのいだ。もし、渋滞に巻き込まれ、駐車もできずにゆっくり運転をせざるを得ない状況だったらどうなっていただろうか。以降は同乗の家族の者に運転を代わってもらった。この痛みは1日に1回か2回やってきて、3週間ほど続いた。

   この痛みの原因は「帯状疱疹」。7月31日に皮膚科医院で知らされた病名だった。左足の太もも(大腿)の裏あたりが一面に赤く腫れているのに気づいて医院に行った。医師の説明では、小さいときの「水ぼうそう」と同じウイルスが加齢とともに帯状疱疹となって現れる病気で、50歳代から80歳までに3人に1人は発症するということだった。発症する体の部位は右か左どのどちらかで、顔面や胸部、腹部、足の太ももなどさまざまという。そのとき、医師から尋ねられたのは「痛みが走りませんか」ということだった。このときは、痛みはまったくなく、どちらかと言えば痒(かゆ)みが少々あった。塗り薬など処方してもらった。

   8月7日に薬が切れたので医院に行った。赤く腫れた部分はかなり落ち着いた様子になっていた。痛みもなかった。ただ、医師はこう話した。「赤く腫れているときに患部に痛みが走るのですが、まれなケースとして『かさぶた』化するときに痛みが走る場合があります」と。そして、新たに痛み止めの処方があった=写真=。

   その痛みが現実に現れたのが冒頭の8月10日だった。痛み止めの薬を飲んだものの、1日に1回か2回痛みが走る。我慢が出来なくなり、18日に医院に駆けこんだ。すると医師は「まだ良いほうです。1時間に1回という人もいて、夜眠れないという人もいます」と。痛み止めの薬を継続することに。

   痛みらしい痛みが消えたのは9月に入ったころだった。ネットで専門医など所見を読むと、病をもたらすウイルスは生涯にわたって体内に潜伏する。普段は悪さをすることはないが、ストレスや疲れ、免疫機能の低下などきっかけでウイルスが再活性化する、とある。そういえば医院の医師はこう言っていた。「いま治っても10年後くらいにまた(症状が)出てきますよ」と。

   最近、帯状疱疹のワクチンの広告をよく見かけるようになった。全国的な流行なのか。連日の猛暑でストレスや疲れ、免疫機能の低下したのか。厄介なウイルスと生涯付き合うしかないようだ。

⇒10日(日)夜・金沢の天気    あめ

★「震災復興の光に」アートを掲げ進む政治家の姿

★「震災復興の光に」アートを掲げ進む政治家の姿

   ことし5月5日に震度6強の揺れに見舞われた能登半島の尖端・珠洲市で、「奥能登国際芸術祭2023」が今月23日から11月12日まで開催される。3年に1度開催され今回は3回目となる。テーマは「最涯(さいはて)の芸術祭、美術の最先端。」。芸術祭の総合ディレクターをつとめるのはアートディレクターの北川フラム氏。そして、実行委員長は市長の泉谷満寿裕氏。震災という難局に見舞われながら、芸術祭を実行する意義は何なのか。

   石川県内の21の大学・短大などで構成する「大学コンソーシアム石川」のシティカレッジ授業(7月29日)で、泉谷氏の講義=写真・上=を聴講した。テーマは「さいはての地域経営」。その中で泉谷氏は芸術祭の開催意義について述べていた。

   珠洲市は人口1万3千人。過疎化が進み、本州で最も人口の少ない市でもある。一方で世界農業遺産「能登の里山里海」に認定され、農耕儀礼「あえのこと」はユネスコ無形文化遺産に登録。そして、珠洲市は佐渡のトキやコハクチョウなど野鳥が舞い降りる自然豊かな土地柄でもある。芸術祭の効果について、2017年の第1回芸術祭以降の5年間で移住者が269人になったと数字で説明があった。

   泉谷氏は「半島の尖端に位置する珠洲の潜在的な魅力がアートを通じて広がった。芸術家を志す若者や、オーガニック農業、リモートワーク、カフェの経営などさまざまな人たちが集まってきている」と強調した。アート作品は市内のさまざまな地域に点在し、作品はその地域の空間や歴史の特性を生かしたものが創作されている。なので、作品鑑賞をひとめぐりすると、同時に珠洲という土地柄も理解できる。これが移住を促すチャンスにもなっている。

   5月の震災では1人が亡くなり30人余りが負傷、全壊28棟・半壊103棟、一部損壊564棟などの被害を被った。ことしの開催に当たっては、「震災復興に集中すべき」と反対意見が多かった。芸術祭の市の予算は3億円余りで、復興に回すべきという議論も相次いだ。泉谷氏は、「何か目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたいと開催を決断した」とその想いを語った。(※写真・下は、塩田千春作『時を運ぶ船』をベースにした国際芸術祭2023パンフの表紙)

   また、震災後の人口動態は、5月から7月の3ゕ月では転入が50人、転出が47人で3人が転入超過だった。「これまで移住してくれた人たちがどこかに行くのではないかと心配したが、なんとか留まってくれている」と述べた。

   「震災復興の光」としての芸術祭ではインバウンド観光客の誘致にもチカラを入れたいと積極的だった。実際、講義が終わってから台湾へ芸術祭のツアーについて打ち合わせに行くとの話だった。その結果、今月から10月にかけて台湾から能登空港へのチャーター便が6便運航することが決まったようだ。

   「災い転じて福となす」ということわざがある。「震災復興の光に」とリーダーシップを発揮して、前に向いて進む政治家の姿こそ、アートなのかもしれない。

⇒7日(木)午前・金沢の天気    くもり一時あめ

☆高騰する金の価格 金を楽しむ金沢という街

☆高騰する金の価格 金を楽しむ金沢という街

   金沢では金箔は体によいとされ、金箔を入れた日本酒、化粧品、金箔をまいたソフトクリーム、うどんもある。かつて、金沢の子どもたちが頭にたんこぶをつくると、金箔が熱の吸収によいことから膨らんだ部分にはっていた。

   「金沢は金箔で持つ」と言われるくらいに、金沢は伝統的に金箔生産量を誇り、全国シェアは98%だ。金を極限まで薄く伸ばしたのが金箔であり、この「縁付(えんつけ)金箔」と呼ばれる製法は「伝統建築工匠の技」の一つとして、2020年にユネスコ無形文化遺産にも登録されている。(※写真は、金沢金箔伝統技術保存会ホームページより)

   その金の価格が高騰している。日経新聞Web版(8月29日付)によると、国内小売価格が税込みで1㌘1万円の大台に初めて乗せた。地金商最大手の田中貴金属工業が29日発表した販売価格は前日比28円高の1㌘1万1円と、連日で最高値を更新した。外国為替市場で円安・ドル高が進行し、円建ての国内金価格が上昇。世界景気の減速懸念から「安全資産」とされる金が選好されていることも後押ししている。

   こうなると金箔生産が盛んな金沢では、業者は材料が難しくなるのではと思ったりもする。ところが、そうではないようだ。知人からかつて聞いた話。「金箔製造業者は潰れない(倒産しない)」と。なぜなら、インゴット(地金)の価格が安いときに大量に仕入れ、高くなれば売って経営を安定させる。「良質な金を見極める目利きであり、金箔業者は金のトレーダーだよ」と知人は妙にほめていたことを覚えている。

   金沢では金箔製造業者の店舗は観光地スポットでもある。店に入ると、工芸品や化粧品、食用金箔、建築装飾、箔材料、観光などさまざまな商品が並ぶ。最近では「金継ぎ」が国内外で知られるようになった。東京パラリンピックの閉会式(国立競技場・2021年9月5日)でアンドリュー・パーソンズ会長が発した言葉だった。日本の金継ぎの技術について、「不完全さを受け入れ、隠すのではなく、大切にしようという発想であり素晴らしい」と述べて、金継ぎという言葉が世界でもトレンドになった。さらに、金継ぎは一度は壊れてしまった製品を修復するだけでなく、金箔を使うことでアートを施し、芸術的価値を高める。

   金の価格高騰もさることながら、その金をどのように生活で使い、楽しみ、新たな価値を創造するか。金沢という街はそのショーウィンドーかもしれない。

⇒4日(月)夜・金沢の天気  くもり