⇒トピック往来

★金沢の庭好きと資産価値

★金沢の庭好きと資産価値

 ドイツの詩人、ヘルマン・ヘッセは無類の庭好きだった。死後、庭に関するヘッセの詩やエッセイを集めて「庭仕事の愉しみ」(草思社)が出版された。「青春時代の庭」という詩が載っている。その一部引用である。「あの涼しい庭のこずえのざわめきが 私から遠のけば遠のくほど 私はいっそう深く心から耳をすまさずにはいられない その頃よりもずっと美しくひびく歌声に」。梢のざわめきが美しい歌声に響くほどヘッセは庭をめでたのである。

 ヘッセに負けず劣らず庭好きなのが金沢人ではないかと私は思っている。兼六園というお手本があるせいか、生垣や植栽にいたるまで庭に凝る人が多い。その真骨頂が雪の重みから枝折れを防ぐ「雪吊り」だろう。枝のためにざわざわ庭師を雇い、あの円錐形の幾何学模様を描くのである。もちろん自分でする人も多い。

 実は、この金沢人の凝り性が住宅地の資産価値を高めているという。ある不動産関係者の話である。先ごろ発表された公示地価がことしも値下がりしたが、金沢南部(犀川以南)の丘陵地の地価は依然として強気で、北向きの宅地ですら坪(3.3平方㍍)42万円の値がつく。その理由は、図書館や有名進学校が点在する文教地区であると同時に、植栽のある住宅が多い地区というのがその理由だという。

 住み替えが常識であるアメリカでは資産価値を高めるために芝生の手入れをしているらしい。しかし、金沢のこの地区は決して高級住宅街ではない。ただ、猫の額ほどの土地であっても五葉松などを植え、隅に茶花などを配した庭づくりをして、ヘッセのように楽しんでいるのである。それが結果的に資産価値を高めているのであればそれは喜ばしいことではないだろうか。

★加賀藩と日本は同じ宿命

★加賀藩と日本は同じ宿命

 国連安保理の常任理事国入りに向けて、小泉総理がアジア・ヨーロッパを歴訪中です。日本とすれば悲願にも似た涙ぐましい努力と言えます。

 何年か前、軍事ジャーナリストの田岡俊次さんの講演が金沢であり、「今の日本は江戸幕府時代の加賀藩と同じだ」との言葉が印象的でした。講演の要旨はこうです。東西の冷戦に終止符が打たれ、西側の代表アメリカが名実ともに世界のナンバー1となりました。これは、天下分け目の戦いといわれた関が原で東軍が勝って、徳川家康が幕府という統治機構を築いたことと重なります。加賀の前田利家は豊臣側にくみし、しかも、病床の利家は、見舞いに来る家康を「暗殺せよ」と家臣に言い残し亡くなるのです。遺言は実行されませんでしたが、「謀反の意あり」と見抜かれ、利家の妻・まつは江戸で人質となり、その後も加賀藩は百万石の大藩でありながら外様大名の悲哀を味わいます。日本も太平洋戦争でアメリカに宣戦布告して、4年後に占領統治されます。いまだに国連憲章の「旧敵国条項」は生きています。

 前田家は、徳川家の警戒心を解くことに腐心しました。このため、自らの金沢城に臨戦時の司令塔となる天守閣は造りませんでした。また、三代藩主の利常は、江戸城の殿中でわざと鼻毛を伸ばし、立ち居振舞いをコミカルに演じたことは地元石川ではよく知られています。ここまでやって加賀藩は300年続いた幕藩体制を生き抜いたのです。田岡さんの「日本は加賀藩と同じ」という論拠は、地元では実に理解しやすい話なのです。

 ODAをせっせと貢ぎ、ゴールデンウィークも返上で各国を根回しに歴訪する小泉さんの姿はまさに、かつての加賀藩主の姿に思えてなりません。

☆クマと出合ったら…

☆クマと出合ったら…

 ことしもクマが出没する季節になりました。クマは雑食性の猛獣ですので、人間とは共存できませんが、棲み分けがきるよい知恵がないものかといつも思います。去年の話ですが、クマに関するエピソードをいくつか見聞きしました。

 去年10月、金沢市の山のふもとの集落で柿の木に登っているクマが発見され、行政から射殺の依頼を受けた猟友会のメンバーが駆けつけました。メンバーから聞いた話です。クマは見るからに痩せていて、一心不乱に柿の実を食べていました。すぐ撃ってもよかったのですが、「せめて腹いっぱい柿を食べさせてから」と思い待ちました。お腹がいっぱいになり、木から降りてきたところでズドンと銃声が響きました。死んだクマに駆け寄ってみると、クマの目に涙がにじんでいました。

 クマが里に出没すると人の対応もさまざまです。去年の秋、富山県はクマに襲われ負傷した人が22人(去年10月時点)にもなりました。同じ北陸でも石川と福井は負傷者が一ケタに止まりました。クマに追いかけられて取っ組み合いとなったり、棒やカマで反撃したりとなかなか気丈な人が多いのが富山県です。私が新聞で見た限り、クマと「格闘」した最高齢は富山県上市町の77歳のおばあさんでした。

 ちなみに、金沢大学のオフィスで机を並べている女性は北海道でヒグマの調査をしてきた人です。彼女によると、北海道のヒグマは北陸のツキノワグマより体が大きい分、人の「死亡率」も高いとか。クマと出合ったら反撃せずに逃げるのが一番だそうです。

★50歳エイ・ヤッと出直し

★50歳エイ・ヤッと出直し

 ことし1月にテレビ局を退職し、4月から金沢大学の「地域連携コーディネーター」という仕事をしています。大学にはさまざまな「知的な財産」があって、それを社会に還流させていこうというのがその趣旨です。一口に「知的な財産」と言っても、それこそ人材や特許など有形無形の財産ですから、それを社会のニーズに役立てようとすると、そのマッチング(組み合わせ)は絡まった細い糸をほぐすような作業である場合もあります。この事例については差し支えない範囲で紹介していきます。

 ところで、「よくテレビ局を辞めたね。もったいない」とテレビ業界の仲間や友人から言われます。私自身、以前から「50歳になったら人生を見直す」と公言してきましたので「想定の範囲」なのですが、周囲からは奇異に見えるかもしれません。まず、性格的に言って、一つの仕事を最後まで務め上げて云々というタイプではありません。幼いころから寄り道や道草、よそ見が好きでよく親に心配をかけました。

 それともう一つ、50歳という年齢です。人生の折り返し点で、ニワトリのように強制換羽(きょうせいかんう)が必要なのです。ニワトリは卵を産み始めてから8ヶ月ほどで卵の質が落ちてきます。この時点で、絶食させられます。毛が抜け、衰弱したところでエサを豊富に与えると、また、良質の卵を産むようになるのです。人もまた同じ仕事を続けているといつか周囲が見えなくなったり、アイデアが枯渇したり、その延長線上に嫉妬、やっかみが出てくるのです。それは人生の劣化の始まりです。その年齢が50なのです。そのとき、「家族が大切…」と言いながら現状を続けるのか、収入減を家族に理解してもらい別の道を歩むのか、それぞれの選択です。私の場合、後者を選んだというわけです。