⇒トピック往来

★森氏の「ミモレットの演技」

★森氏の「ミモレットの演技」

 きょう夕食の酒のつまみにフランス産のチーズ「ミモレット」を食した。金沢市内ではなかなか手に入らないので、酒の量販店に予約して取り寄せたものだ。100㌘350円、チーズのコーナーでは一番値がはる。ミモレットが我が家の食卓に載るようになったのは例の「事件」がきっかけである。

 去年8月6日夜のニュースだった。参院で郵政民営化法案が否決された小泉総理が衆院解散を決意し、それを思いとどまらせようと森氏が官邸を訪ねたが、「殺されてもいい」と拒否された。その会談で出たのが缶ビールとつまみの「干からびた」チーズだった。会談後、森氏は握りつぶした缶ビールと干からびたチーズを取り囲んだ記者団に見せ、「寿司でも取ってくれるのかと思ったらこのチーズだ」「硬くて歯が痛くなったよ」と不平を漏らした。その映像を見たわれわれ視聴者は「小泉は命をかけている、本気だな」との印象を強くした。森氏が記者団に見せた憮(ぶ)然した表情がなければ、総選挙での自民党の大勝はなかったのではないか、と今でも思ったりする。

  その後日談であの干からびたチーズは高級チーズ「ミモレット」だったと報道され、さっそく市内を探し回ってくだんの店にたどり着き、取り寄せてようやく手に入れた。確かに歯応えは十分あるが、「硬くて歯が痛くなる」ほどではない。ミディアムに焼いたステーキを食する人なら、難なく口に入る。「歯が痛くなるなんて、オーバーな表現だな」といぶかってもいた。

  そして、きょう(12日)その理由が分かった。午前10時からのテレビ朝日の政治討論番組「サンデープロジェクト」で森氏が出演した。司会の田原総一朗氏が「あの干からびたチーズの会見は森さんの演技だったという説もありますが、本当ですか」と尋ねたのだ。森氏はニコニコしながら、否定はしなかった。ということは、やはり芝居だったのか。演技ならば「硬くて歯が痛くなった」との表現も辻褄(つま)が合う。

  とはいうものの、私にはあのシーンが演技だったとは思えない。あの時、森氏は衆院解散には反対だった。むしろ、「オレは本気なって小泉総理に解散を止めろと説得したんだ」と強調したいがためにオーバーな表現を使ったのだろうと推測する。

  ところで番組では、森氏は東京ではなく北陸朝日放送(金沢市)のスタジオから中継で出演していた。10日に告示された石川県議会議員補欠選挙(19日投票)に立候補している長男の祐喜氏(41)の戦いぶりが気になり、お国入りしたのだろう。9月のポスト小泉の後継はこれから、まず、自らの後継を固めようとの思いか。

 ⇒12日(日)夜・金沢の天気  あめ

★能で謎解き「信長の最期」

★能で謎解き「信長の最期」

 先日(3月7日)、「能の世界」について学ぶ講座があり、参加させてもらった。この講座は、金沢大学で学ぶ留学生らを対象にした「金沢学」。それこそ、茶屋街の芸子さんの踊りや伝統工芸、兼六園などさまざまな金沢の文化を貪欲に勉強するバイタリティーのある講座だ。

  この講座のスタッフから、「たびを履きますけど参加しませんか」と誘われたのがきっかけ。「たび」とは日本古来の白足袋のことである。能舞台を見学させていただくので「たび」は必須なのである。訪れたのは金沢市在住の宝生流能楽師、藪(やぶ)俊彦氏のお宅。伝統芸能を継承する家らしく、どこか凛(りん)とした雰囲気が玄関からして漂う。

  金沢では昔から「空から謡(うたい)が降ってくる」といわれるくらい能楽が盛んだ。確かに旧市街を歩いていると、ふと鳴り物と謡が聞こえたりする。結婚式に参加すると、見事な「高砂」を拝聴することになるし、金沢では小学生が授業で能楽を見学し、謡の教室もあるくらいだ。去年12月、ある居酒屋で隣の席に座ったアメリカ人と店の主人が能の話で盛り上がり、いきなり謡の交換会が始まったのには驚いた。金沢はそんな街である。

  藪氏の話が面白い。能面をつけた演者があの高い舞台から落ちないでいられる理由や、小鼓(こつづみ)は馬の皮を用いているが、年季が入ったものは破れる前が一番音がいいといったエピソードはこの世界でしか聞けない話である。その中で、自分なりに「なるほど」と思ったことが、「生霊(いきりょう)」という概念についてである。私的な恨みや怨念という人間特有の精神エネルギーが日常でうずまくことで悲喜こもごもの物語が構成されるのが能のストーリーである。  

 戦国時代、織田信長が本能寺でふい討ちをくらった際、最期に能を舞ったといわれる。繰り返した殺戮(さつりく)と権謀術策で幾多の死霊や生霊を実感しなが天下統一に突き進んだものの、明智光秀の生霊に命運が尽きた。そうした自らの生き様を実感しながら最期の締めに舞った。「人生50年…」と。すさまじい人生パフォーマンスではないか。映画やドラマで、信長が最期に能を舞うシーンが必ず出てくる。これまで理解がないままにそのシーンを見てきた。「生霊の世界=能」というキーワードがあればあのラストカットはよく理解できるし、とても味わい深い。

<お知らせ>
このコラムでご紹介した藪俊彦氏はあす12日、オーケストラ・アンサンブル金沢と新曲「葵上(あおいのうえ)」を共演します。

第197回定期公演マイスター・シリーズ
日時:2006年 3月12日(日)15:00開演(14:15開場)
会場:石川県立音楽堂コンサートホール
指揮:小泉和裕
能 :金沢能楽会、藪 俊彦(シテ)
曲目:高橋 裕  :オーケストラと能のための「葵上」(新曲委嘱作品)
料金:SS:5,000円 S:4,000円 A:3,500円 B:2,500円 B学生:1,500円

 

⇒10日(金)夜・金沢の天気  くもり  

★五箇山の春まだ遠く

★五箇山の春まだ遠く

 きのう久しぶりに富山県の五箇山をドライブした。金沢市森本から福光を経由しての山越えである。トンネルを抜けて五箇山に入ると、道路沿いに雪がうず高くうねっていて、ハンドル操作をちょっとでも誤ると雪壁に衝突しそうなくらいの圧迫感がある。

 世界遺産に指定され、合掌造りで有名な菅沼集落も道路以外はすっぽりと雪に覆われていた。積雪はまだ2㍍もあるだろうか。集落の中には大雪でひさしが壊れている家屋も見え痛々しい。もともと雪に強い五箇山の家屋が傷むほど今年の冬は大雪だったのである。   

 集落の真ん中にある郵便ポストもご覧の通り、雪に埋まっていた。では、通常で郵便を出すときはどうしているのか、との疑問も残った。郵便ポストと言えば、この辺りは、郵政民営化反対のドン、綿貫民輔氏の地盤である。去年9月の郵政をめぐる総選挙では盛んにマスコミに登場した。見事再選を果たしたものの、自民圧勝で郵政民営化の流れが決定的になるとマスコミでの露出もほとんどなくなったようだ。

 五箇山を歩くと、「アゲハチョウ」の家紋を土蔵などに記している家がところどころある。五箇山は熊本県五家荘などとともに平家落人の隠れ里伝説で有名だ。ひょっとして、綿貫氏は「永田町の五箇山」で反小泉の大同団結を画策しているのかもしれないなどとイメージを膨らませながらこの里を後にした。それにしても五箇山の春はまだ遠い。

⇒27日(月)朝・金沢の天気    くもり

★金沢とローマの「軽」

★金沢とローマの「軽」

  ある一つの時代の流れを日常で感じることがある。それは「軽」だ。かつて「軽薄短小」という言葉が流行したが、そのトレンドがさらに進化して現在を生き抜いているように思う。

  今月4日、金沢大学で林勇二郎学長と、石川1区選出の馳浩代議士の対談があった。大学の地域貢献情報誌「地域とともに」(3月下旬発行)に掲載するため、馳氏に対談をお願いした。その馳氏が運転手付で乗ってきた車がダイハツの軽自動車「Tanto」=写真・ダイハツのカタログから=だった。対談が終わって見送るとき、馳氏に「ちょっと窮屈ではありませんか」と私の方から声をかけた。何しろ馳氏は1984年のロサンゼルス・オリンピックでレスリング・グレコローマン90㌔級で出場した体格の持ち主である。「と思うだろう。ところが意外と広いよ、君、乗ってみろよ」と後部座席に押し込まれるように乗った。確かに室内高は130㌢もあり天井が高い。「中で着替えもできるんだ」と馳氏。

   それに金沢の街中の道路は狭くくねっている。支持者にしても、こんな道路事情で自宅前に黒塗りの大型車が停まっていたら近所迷惑と言われるだろう。先の総選挙(05年9月)で馳氏が獲得した12万9千票のうち、この「軽」への好感票がかなりあったのではないかと思ったりもした。

   先月訪れたイタリアのローマも金沢と同様に狭い道が多い。しかも道路が駐車場代わりにもなっていて、窮屈さを感じる。そんな市内の道路ではメルセデス・ベンツ社の「smart」など小型車が幅を利かせていた。なかには昔懐かしい三輪車も見かけた。写真は何かの工事用の車なのか、汚れていて、しかも左窓はガムテープで補強されていた。確かにこのくらい小さくないと裏路地まで行って商売はできないかもしれない。

 ⇒21日(火)朝・金沢の天気  くもり

☆凄みのあるニュース2題

☆凄みのあるニュース2題

  トリノ冬季オリンピックは日本人のメダルが出ないせいか、日増しに興味が薄れていく。たまたま、ニュースサイト「AFP BB News」を眺めていると面白い記事に遭遇したので紹介する。

  スペイン南部のウエルバ地方でイチゴ摘みのシーズンが到来し、この収穫のために東欧諸国などから3万の労働者が雇われている。その中に、ガーナ出身のスティーブンという人がいる。3年間砂漠を歩いてガーナからモロッコへ行き、2002年にスペインのカナリア諸島にボートでたどり着いたスティーブンさんは、現在は出稼ぎ労働の常連だ、という内容の短い記事だ。イチゴ摘みに3万人(ほどんどが女性)が出稼ぎに訪れ、その中に3年間砂漠を歩き、ボートでスペインにたどり着いた人もいる。ひと言、世界は凄まじい。

  出稼ぎと言えば、稲刈りのシーズンになると、石川県の松任平野に能登の女性たちが大挙して稲刈りに訪れた時代があった。貴重な現金収入で、シーズンが終わりに近づくと金沢のデパートで買い物をして能登に戻り、今度は自分たちの田んぼの稲刈りをする。その稲刈りが終わると今度は夫婦で大阪や名古屋方面に出稼ぎに出る。春になると田を耕すために故郷に戻ってくる。スペインのイチゴ摘みから連想ゲームにようにして稲刈りの女性のたちの光景が目に浮かんだ。能登の女性たちはよく働き、その分、亭主が楽をするので、「能登のトト楽」という言葉まであった。

  最近もう一つ気になったのが、東芝がイギリスの核燃料会社BNFL傘下の原子力大手、米ウエスチングハウス(WH)を総額54億ドル、6400億円で買収すると発表したニュース。欧米での原発の新規建設や中国、インドなどの需要拡大を見込んだ動きだが、実に思い切った決断をしたものだ。

  原子炉には大きく分けて2つのタイプがあり、BWRと呼ばれる沸騰水型と、PWRと呼ばれる加圧水型。BWRは米ゼネラルエレクトリック(GE)が、PWRはWHがそれぞれ実用化した。GEと提携していた東芝はこれまでBWRを供給していたので、これで2つのタイプの原子炉を供給できるようになる。

  その狙いは、世界のマーケットを睨んだというよりむしろ、日本には運転開始から30年を超える古い原子炉が増えているので、電力会社はいずれ老朽化対策に動かざるを得なくなる。そのためには2タイプの原子炉を供給できる企業がシェアを取れる。次世代DVD規格「HD DVD」の東芝が、対立規格「ブルーレイ・ディスク」のソニーを買収したようなそんな凄みのある話ではないか。

⇒18日(土)夕・金沢の天気  くもり 

☆完結・イタリア行

☆完結・イタリア行

 イタリア・トリノ冬季五輪の聖火が日本時間の9日にトリノに入ったとのニュースが流れていた。ローマのクイリナーレ宮を出発してから60日余りイタリア各地を巡って、たどり着いたようだ。私がイタリアを離れたのが1月22日。ミラノのマルペンサ空港はトリノの空の玄関口だが、オリンピックまで20日を切っていたのに空港は「オリンピック歓迎一色」ではないように思えた。

  いまはもっと盛り上がっているかもしれないが、当時の空港にはごらんのようなポスターが散見されるだけだった。そういえば、オリンピックのチケットも7割しかさばけていないとの不人気を伝えるニュースも当時は流れていた。確かに、ローマでもフレンツェでもミラノでもテレビが多少煽っているだけで、オリンピックらしいムードは感じられなかった。

  それでは、1998年の長野五輪のときに東京や大阪、福岡がオリンピック一色だっかというと、東京は少しその雰囲気があったにせよ、大阪や福岡には別の空気がただよっていたかもしれない。おそらく冬季五輪は「北のスポーツの祭典」あるいは「地域オリンピック」なのである。

  帰りの空路はシベリア上空を通過した。下の写真は1月22日午後4時ごろ、ハバロフスク周辺の上空、高度11000㍍からの撮影である。蛇行する川は凍りついている。果てしない雪原、白魔の世界を感じた。

  トリノ五輪までに書き上げようと目標にしていた数種類の調査・報告書もなんとか大学に提出できた。当初さんざん聞かされていた盗難にも遭わず、「子どもギャングがいる」といわれた地下鉄にも乗った。ただ、物乞いには数回つきまとわれた。それを差し引いても十分にお釣りが来るくらい、イタリアの都市は魅力にあふれている。 これで「イタリア行」を終える。

⇒10日(金)朝・金沢の天気  くもり

★続々々々々・イタリア行

★続々々々々・イタリア行

  イタリア人はけばけばしく見えるものを高級そうに見せる天才かもしれない。ミラノの中心にあるドゥオモは、イタリアの代表的なゴシック建築でバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ教会建築として知られる。このドゥオモの前の広場とスカラ座の間を結ぶアーケードのある商店街ガレリア(長さ200㍍、高さ32㍍)=写真・上=には世界のブランドが集まる。ミラノ市が管理している。つまり、この威容を誇るテナントの大家さんが行政というわけだ。そして、その行政の指導の下、しっかりした「まちづくり」が垣間見える。

   その一端がご覧の写真である。マクドナルドといえば、ハンバーガーの「マック」の愛称で知られ、日本でも世界でも同じあのロゴマークでおなじみである。ガレリアのマックのロゴはブラックとゴールドのツートンカラーである。向かい側のメルデスベンツも同じ配色である。実はこのガレリアではどんな世界的な企業であれ、ロゴは同じ色が条件となっているのだ。

  それぞれが独自の色を強調すれば、ミラノの中心商店街ガレリアはけばけばしい色に染め上げられてしまい、まちづくりのコンセプトそのものが失われてしまう。そこで、ロゴをかたちと色で大切にしたい企業側とそれを許さない市側の丁々発止があったことは想像に難くない。逆にそこで行政が折れるようでは、ミラノ市全体の「まちづくり」が頓挫、あるいは歯抜けになるに違いない。

  世界の有名ブランドであっても、ミラノ独自の色に合わせて従ってもらうという、「まちづくり」に対する行政サイドの強いメッセージをここガレリアで感じた。そして、こんな感じのマックが世界にひとつくらいあってもいい、と思った。

 ⇒9日(木)夜・金沢の天気  くもり

☆続々々々・イタリア行

☆続々々々・イタリア行

  イタリア人のデザインはわれわれ日本人には真似ができないほどに洗練されている。もともとイタリア人の素質なのかもしれない。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロといった名だたる天才芸術家を生む土地柄である。フィレンツェ周辺で生まれている。

  ルネサンスという時代が彼らを生んだのか、彼らがルネサンスという時代をつくったのか、という議論にもなる。フレスコ画という壁画技法がイタリアで、ジョット(1266-1337年)によって確立され、たまたま、その技法が生乾きの漆喰の上に塗るという一人一仕事の作業だった。したがって、それまで復数人の工房でなされた仕事が個人の仕事となり、才能ある個人の名が売れる時代と重なる。個人の発想や力量を競う時代になった。それがルネサンスを開花させたバックグラウンドだとの説もある。

  現代のイタリア人にとって幸いなのはそうした先人たちの技法やセンスを毎日のように観察できることであろう。ローマやフィレンツェ、ミラノそのものが美術館である。そして先達のモチーフは街にはあふれる。上の写真はミケランジェロの「アダムの創造」である。このデザインがローマにはレンタルバイクの広告になり、そしてミラノではサッカ-チームのポスター にもなる。その時代と発想と感性でイタリアのデザンが磨かれているのだと思う。もちろん意地悪な見方をすれば、名画のモチーフに乗っかった「あやかりデザイン」と言えなくもない。 

⇒8日(水)朝・金沢の天気   くもり

☆ちょっと気になった言葉3題

☆ちょっと気になった言葉3題

  言葉にその時代の感性が含まれていると、なぜかしらその言葉が記憶に残るものである。最近、耳にしたり読んだ人々の言葉で脳裏に残っているものをいくつか。

   「金沢の街並みの景観をぶち壊しているのは屋根の上のあの無粋なアンテナなんです。あれを変えようと思ってここ10年努力してきました」。地上波デジタル放送用の平面小型アンテア=写真=を次々と開発している創大アンテナ(金沢市)の高島宏社長がある研究発表会(2月3日・加賀市)の冒頭に語った言葉だ。美術学校を出た高島氏にとって屋根の上のまるでイバラのようなテレビアンテナが気に障っていた。そこで一念発起して平面アンテナの開発に取り組み、アンテナをいまでは切手サイズほどにした。

  「日本の外交で先端を走って一生懸命になっているのは、外務省というより経済産業省だと思う。各国とのWTO(国際貿易機関)協定では本当に汗を流していると思うね」。馳浩代議士(文部科学副大臣)が金沢大学の林勇二郎学長との対談(2月4日・金沢市)で語った言葉。大学のあり方をめぐる話がいつの間にか政治、外交にまで広がって「時事放談」に。詳しい対談の内容は3月下旬に発行される金沢大学社会貢献情報誌「地域とともに」で。

  「私は今、ベートーベンの交響曲全曲演奏会に取り組んでいます。ベートーベンの前衛精神に挑戦する気持ちで、死ぬまで続けるつもりです」。朝日賞を受賞した指揮者の岩城宏之さんのスピーチから(1月28日付・朝日新聞)。昨年の大晦日、東京芸術劇場でのベートーベン演奏を9時間半に渡ってインターネットで配信する事業に私も携わり、演奏終了後に岩城さんとひと言ふた言。その際も上記の言葉の趣旨をはっきりと語っておられた。「死ぬまで…」との言葉は受け止め方によっては悲壮感が漂うが、5番「運命」にひっかけた岩城さん流の「しゃれ」だと私は解釈している。

⇒6日(月)朝・金沢の天気  ゆき 

★続々々・イタリア行

★続々々・イタリア行

  イタリアではハンカチをプレゼントされることを忌み嫌う。他国の人がその習慣を知らずに贈った場合、数十セントで「買う」。そうすれば、贈られたことにはならない。なぜそこまでするのか。「ハンカチは涙(悲しみ)を運んでくるもの」との思いがイタリア人には強いからだ。ミラノで読んだ邦人新聞「月刊・COMEVA」の記事を引用した。 

   ミラノはローマやフィレンツェと違い、真新しいビルも建ち並び随分と活気があるとの印象だ。黒尽くめのファッションをまとったモデルのような女性たちが街中をかっ歩している。女性が生き生きとしている街だとも思った。ただ、気になることが一つあった。木を燃やしたようなにおいがどこからとなく漂ってくるのである。ずっと気になっていたが、ついに発見した。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の間近で。

  ご覧いただきたい(写真・上)。屋上の煙突から煙がもくもくと立ち上っている。この他にもいくつか煙突を発見した。石炭などの化石燃料ではなく、木質なのでにおいがやさしい。これでピザを焼いているのか、とも思ったりした。

   それにしてもミラノの街は美しい。裏路地に入っても、ご覧のように整然として美的な空間が醸し出されている(写真・下)。木々の緑があれば、また異なった空間になるのだろう。しかし、葉を落とした街も青空が広がり映える。

⇒4日(土)午前・金沢の天気  くもり