⇒トピック往来

★成熟社会の実りの秋

★成熟社会の実りの秋

 私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」が子どもたちの歓声で包まれた(17日)。収穫した稲の脱穀作業があった。何しろこの農作業は50年前の方法で農業体験を試みるというもの。千羽こき、足踏み脱穀機などいまでは民俗文化財のような道具を使っての作業だ。

 子どもたちにすれば、足で踏んでローターが回転するだけでも楽しく、さらにそこに稲穂を差し込むとモミが簡単に取れるから面白い。50人ほどの子どもたちが入れ替わり立ち代わり試みる。子どもたちの歓声は絶えなかった。

 なぜ金沢大学で子どもたちが、と思われるかもしれない。近くの金沢市立田上小学校の5年生の総合学習の時間を大学として支援している。このため、子どもたちは春にはキャンパス内の竹林でタケノコ掘りを体験し、初夏には田植え、草取り、秋には稲の収穫を行っている。

 こうした作業を学生や教員が支援するのではなく、地域のボランティアの人たちが子どもたちに手ほどきをしている。大学は場所の提供と、ボランティアと学校をつなぐ役目に徹している。ボランティアの中には91歳のおばあさんもいる。

 これまでの話を次ぎように考える。大学キャンパスを学問の砦(とりで)として閉ざすのではなく、地域に開放している。学校は地域の人々の協力でさまざまな子どもたちへの教育を試みている。ボランティアは高齢であっても地域参加の志(こころざし)を持って生きがいとしている。この3つの要素がうまくかみ合った結果として、子どもたちの歓声が沸き起こったのである。

 もちろん、この3つの要素は偶然に重なったのではない。ここに至るまでに大学は大学で地域開放と社会貢献の論議をし、学校は学校で管理教育とゆとり教育の論議をし、地域は地域で人のネットワークづくりの長い歴史があったろう。そのお互いの試みが広がる裾野の一端で重なり合って、今回の「歓声のトライアングル」の光景があった訳である。季節は収穫の秋であり、成熟した社会の実りの光景でもある。

⇒18日(水)午前・金沢の天気  はれ

★「新米」2題

★「新米」2題

 能登半島に金蔵(かなくら)という地名の集落がある。標高150㍍ほどの山村で段々畑が連なっている。ここを訪れると、日本の農村の原風景に出会える。稲はざで干されたコシヒカリがいかにも黄金色に輝いて見える。

  きょう26日、この集落を訪れたのは金沢大学が委嘱している研究員で、郷土史家の井池光夫さんに会うためだった。「新米を食べてみませんか。私もことし始めてです」と井池さんにすすめられた。金蔵の農家は米のブランド化に熱心だ。増産はせず、10㌃あたり450㌔以下の収穫、有機肥料、はざ干し、そして何より汚染されていないため池の水を使っての米作り。つまり、正直に丁寧に米をつくるのである。

  井池さんが懇意にしているお寺の坊守りさん(住職の奥さん)が新米のご飯をたいてくれた。そして能登の天然塩を一つまみ入れたおにぎりを「お昼に」と出してくれた。

  はざ干しに近づいてにおいをかぐと、光を吸収したなんともかぐわしい香りがするものだ。感覚で言えば、干した布団のぬくもりとでも言おうか…。おにぎりもそんな健康的なにおいがした。口にすると、ふっくらとして甘みがある。「うまい」という言葉が自然に出てきた。3個もいただいたせいか、終日腹持ちがした。

  新しい総理の安倍晋三氏が就任後初めて記者会見する様子が26日夜、テレビでライブ中継されていた。財政再建の模範を示すため自らの給与の3割、閣僚の給与の1割をカットすることを明らかにした。国家公務員の給与をばっさり落としていくと宣言したとも取れる内容だった。

  3割給与カットは並大抵の決意ではない。発表した組閣内容と会見内容を自分なりに読み解くと、内政的には、公務員改革、財政の見直し、社会保険庁の民営化、地方のリストラと裏腹の道州制への移行などがキーワードになろう。つまり、小泉政権を継承し、外交と防衛のみを担当する「小さな政府」を目指すと言葉に濃く滲ませた。

  外交では、北朝鮮の拉致問題で得た経験を生かし、今後は人権外交を展開していく。そのために塩崎恭久氏に官房長官と拉致担当大臣を兼務させ、総理の直轄とした。さらに、アドバイザーとして拉致被害家族の人望が厚い中山恭子氏(元内閣官房参与)を起用した。また、国連安保理の常任理事国入りに再度挑戦するという意志表示もした。政治の命脈はいかに政策の鮮度を保つか、である。52歳、新米の総理の手腕は未知数だ。

  きょうは「新米」という言葉を2度考えたのでそのまま「自在コラム」のタイトルとした。他意はない。

⇒26日(火)夜・金沢の天気  はれ

★トキが能登に舞う日

★トキが能登に舞う日

 国内のトキは環境省が佐渡保護センターで集中的に飼育していて、その数は現在98羽に増えている。しかし、1カ所に集めた飼育では鳥インフルエンザなどのリスクも大きいとして、分散飼育の方針を打ちしている(03年)。環境省では100羽になるのをめどに国内の複数の動物園で分散飼育して繁殖させる計画。さらにその先には放鳥による野生化計画も視野に入れているようだ。

  こうした環境省の動きを見越した「いしかわ動物園」(石川県能美市)ではトキ類人工繁殖チームが発足し(04年)、近縁種のクロトキで繁殖方法のノウハウを磨いている。石川のほか、東京の上野動物園や多摩動物園なども、環境省が公募した分散飼育先に名乗りを上げた。その公募がこのほど打ち切られ、飼育先の決定を待つばかりとなっている。

  石川が熱心になっているのも、本州最後の1羽は能登半島に生息していたオスだったからだ。「能里(のり)」という愛称まであった。佐渡のトキ保護センターに移され、1971年(昭和46年)に死亡した。その後、剥製となって里帰りし、毎年の愛鳥週間(5月10日から)には県立歴史博物館で展示されている。最後の生息地としては、何とか分散飼育で「トキよ再び」の夢をつないでいるのだ。

  こうした機運を盛り上げようと、石川県立自然史博物館(金沢市銚子町)では特別展「トキを石川の空へ2006」を開いている。県内で所蔵されているトキの剥製4体のうち2体を並べて展示。トキの複数展示は珍しいというので、きょう訪れた。係りの人は「トキのくちばしは湾曲しているので、ドジョウをついばむのは苦手だったかもしれない」などと熱心に説明してくれた。

  能登半島にトキが舞う日を夢見ている人がいる。半島突端の珠洲市で小学校の校長をしている加藤秀夫さん。「トキの野生化計画が進んで仮に放鳥が始まれば、佐渡から真っ先に飛んでくるのは奥能登なんです。何しろ佐渡から能登は見える距離なんですから。飛来したときに田んぼに水がはってあれば必ず舞い降りるはず」と熱く語る。そこで、冬の田んぼの水はり運動を農家に呼びかけている。その効果があってか、実はことし1月にはコウノトリの飛来が1羽観測されている。

  加藤さんの試みはまだ孤軍奮闘の状態。分散飼育が具体化して機運が盛り上がれば、加藤さんの運動の輪も広がるのかもしれない。

 ⇒9日(土)夜・金沢の天気  はれ  

★ブログ300回、印象に残る1枚

★ブログ300回、印象に残る1枚

 ブログ「自在コラム」は2005年4月にスタートして、今回で数えること300回となった。ブログを思わなかった日はない。「これをネタに書こうか」と思いながらも書かなかった日もあれば、書く予定ではなかったものの弾みで書いたこともある。ブログはすっかり私の生活習慣に根を下ろしている。ブログ率はおおよそ60%、5日に3日は書いている計算になる。

  写真も随分と撮った。画像ファイルがハードディスクの容量を占めるようになってきたので、外付けのハードディスクを急きょ購入した。この300回を振り返って、一番多くシャッターを切ったのがことし1月に訪れたイタリアだった。ローマで撮った中世街並みや文化財クラスの絵画や像の数々、遺跡、ミラノでのファッショナブルな街並みや人々など。こうしてみるとイタリアは絵になる国なのである。そこでその中から心に残る1枚の写真を掲載する。

  国立フィレンツェ修復研究所を訪れたときの画像だ。もともとこの研究所は16世紀に「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が珍しい鉱石(貴石)の収集と細工を目的に設立した。いま世界でトップクラスの修復のプロたちが集う。研究所内を許可を得て撮らせもらった。ベッドに横たわる聖像があった。修復士たちが何やら聖像の声に耳を傾けているようにも見えた。聖像は右手を上げ、「病んでいる私を助けてほしい」と訴えかけているよう。まさに病院の医者と患者の光景であった。美術王国イタリアのひとコマである。

⇒31日(月)夜・金沢の天気   はれ    

★人質の論理

★人質の論理

   一連のニュースを読み込んでいくと、これまで気づかなかったことが見えてくることがある。今回はとっさにそのタイトルが浮かんだ。「人質の論理」である。

  20日付の新聞各紙によると、北朝鮮が来月に予定された南北離散家族再会行事を取り消し、金剛山面会所の建設を中断すると韓国側に通報してきたという。この韓国と北朝鮮の離散家族の再会は南北の赤十字が窓口になって開催されているが、8月9日-11日、21-23日に予定されていたのを北朝鮮側が一方的に中止すると通告してきたというもの。

  北朝鮮側の中止理由は「南側がコメや肥料など人道的な事業を一方的に拒否した」である。この中止通告には伏線ががある。今月13日に韓国・釜山で開かれた南北北閣僚級会談で、北朝鮮代表団が「韓国の一般国民は金正日総書記の先軍政治の恩恵にあずかっている」と発言し、その代価としてコメ50万㌧の援助を要求した。しかし、この要求に対し、ミサイル発射問題から韓国側がコメの援助を凍結すると回答したのである。今回の南北離散家族再会行事の中止の直接の原因はおそらくこの韓国側の措置に対する主意返しである。

  もちろん、ミサイル発射問題で国連安保理が対北朝鮮決議を採択(15日)、国際的に四面楚歌になっている北朝鮮が「立場をはっきりせよ」と韓国政府に揺さぶりをかけているという見方があっても不思議ではない。20日付の中央日報インターネット版によると、盧武鉉大統領は19日の青瓦台での安保関係閣議で、北朝鮮がミサイルを打ち上げたことについて「状況の実体をこえて過度に対応し不必要な緊張と対決の局面を作っている一部(日本など)の動きは、問題解決にプラスにならない」と述べたといわれる。北側に配慮したコメントである。

  話を元に戻す。離散家族とは言うものの、先日話題になった金英男さんら韓国人拉致被害者も含まれる。拉致をしておきながら、韓国に帰さずに止めておき、韓国から家族を呼び寄せる。これは一体どういうことか。日本でも欧米でも、家族を誘拐されたらあらゆる手段を使って、奪還することを考える。だから、こうした「犯人」の意に沿った「離散家族の再会」などという手法には乗らない。日本人拉致被害者の横田めぐみさんの両親が北朝鮮には行かないのも、これは人質奪還闘争だからだ。

  ところが、今回の離散家族の再会問題にしても、北朝鮮の立場は人質を取った側の論理で、相手の弱みにつけ込んで身代金を要求するのは当たり前と考えている。一方、韓国側も人質を取られた側の弱みで、身代金を払う(コメや肥料の支援事業など)のは当たり前との考え方のようだ。これはまさに犯人側の人質の論理である。

  これに対し、日本は人質奪還の論理だ。日本と韓国の政府の立場は人質奪還闘争を展開するか、しないかの腹のくくり方の違いのように思える。かつて、日本も犯人側の人質の論理にすっぽりはまっていた時期が長らく続いた。「こちらが帰せと騒げば、(北で人質となっている)家族が殺される。それだったら穏便に日本政府としてコメでも援助して、肉親と会えるチャンスをつくってあげよう。それが人道というものだ」との考えだ。その論理で、寺越武志さんと家族の再会が演出された。おそらく森喜朗前総理まではこの発想だったろう。

 ⇒20日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆そのニュースでほくそ笑む者

☆そのニュースでほくそ笑む者

 ニュースの陰でほくそ笑む者がいる。パロマ(本社・名古屋市)が販売した瞬間湯沸かし器で一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだ問題で、経済産業省から指摘された17件以外に10件の事故が起こり5人の死亡者が出ていたと、同社は18日になって発表した。判明した事故は合計27件、死者数は20人に上る。

  記者会見したパロマの社長は「経営者としての認識の甘さや社会的責任に関して、本当に申し訳なく思う」と謝罪し、事故が起こる恐れのある7機種について無償で交換すると述べた。この一連のニュースを見ながら高笑いしている電力会社の経営陣の姿が目に浮かぶ。「ガスの連中もこれでお仕舞いだな」と。

  ガスと電力の攻防はすさまじい。都市ガスを供給している金沢市企業局のチラシを見ても、その一端が伺える。それは新築を希望している人に向けたチラシ。要約すると「(企業局が所管している)水道引き込み管工事は42万円、しかし都市ガス引き込み工事とのワンセットなら19万円となりお得です」という触れ込み。ガスを引いてくれれば双方の工事を水道工事費の半分以下に落とす、と。ある種の捨て身の作戦である。

  これに対し、電力会社は住宅メーカーを巻き込んで「オール電化で安全、クリーン」とキャンペーンを張っている。家庭の光熱費をめぐってガスと電力それぞれの関連会社が争奪戦を繰り広げている。今のところ勢いに乗っているのは電力側だ。今回のパロマ事件は会社単体の話ではない。「ガスはやっぱり危ない」との印象が国民に広がり、家庭のガス離れが加速する。ガス業界全体の敗色は濃厚だ。

  では、電力は安泰か。これまで電力会社が独占してきた電気の販売事業が2005年から本格的に自由化された。参入を始めている商社系企業と大口需要のシェア争いに勝つことが電力会社の本命、さらに小口の家庭も「オール電化」によって基盤固めをするのが電力側の戦略だろう。

  しかし、電気は米や水のように産地や生産者によって風味が異なるというものではない。差別化できない分、価格勝負、つまり値下げするしかないのである。安閑としていると隣のエリアの電力会社が攻めてくる。この市場原理を考えれば、どの電力会社もコストを削減し生産効率を上げ、どこよりも低価格を売りにするしかないのである。つまりエンドレスの戦いなのだ。

 ⇒18日(火)夜・金沢の天気  あめ  

★ステマネの師匠逝く

★ステマネの師匠逝く

  こんな偶然というものが実際にあるのだ、と思った。11日付の朝日新聞の「惜別」のページに6月13日に亡くなった指揮者、岩城宏之さん(享年73歳)を追悼する署名記事が載っていた。「…音楽界を常に驚かせ、皆に愛され続けた希代の『ガキ大将』らしく、命がけで、自らの音楽人生にけじめをつけようとしているかのように見えた。」と。この記事を書いた吉田純子記者は、2004年12月31日にベートーベンの全交響曲を独りで振り切るという岩城さんの壮大なプランが持ち上がったとき、何度か朝日新聞東京本社に出向いて、番組化について相談させていただいた人だ。

   ところで、「こんな偶然」というのは、同じ11日付の北陸中日新聞に、「延命千之助氏 死去」の死亡記事が掲載されていたことだ。2人を知る人ならば、「延命さんは岩城さんを追いかけたのかも知れない」と言うに違いない。延命さんは石川県旧鹿島町(現・中能登町)の出身で、慶応大学文学部西洋美術美学科を卒業、音楽雑誌の編集部を経て、NHK交響楽団の演奏担当マネジャーを務めた。長男だったので父親の後を継ぐため54歳で故郷に戻った。

 岩城さんは延命さんのことを、「世界一の感じのステージマネージャー」と著書「オーケストラの職人たち」(文春文庫)で絶賛している。そして何よりも、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の設立に奔走し、岩城さんをOEKの音楽監督に招いたのは延命さんだった。私は延命氏と直接の面識はなかったが、岩城さんから「延命さんが(石川県に)いたから金沢にきたんだ」と何度か聞かされたことがある。上記の延命さんのプロフィルも岩城さんから聞いていた。

  80歳。死亡記事によると、いまでもOEKのアドバイザーとして、時折り若手の団員を指導していて、「ステージマネージャーの師匠のような存在だった」。この業界ではステージマネージャーをステマネと呼んだりする。たいぐい希なるマエストロとステマネは同時に逝った。

 ⇒12日(水)午前・金沢の天気  あめ

★続・天を仰いで唾する…

★続・天を仰いで唾する…

 北朝鮮のミサイル発射が韓国でも相当、論議をよんでいるようだ。中には、「北」擁護の声を紹介している韓国紙もある。日本では見受けられない貴重な内容だ。以下、6日付の中央日報インターネット版(日本語)から引用する。

 ・・・「盧武鉉を愛する人々の会」の掲示板には「今回のミサイル発射実験は強大国間で犠牲になった不遇な民族歴史の憂憤を晴らす発射だった」という解釈もある。 この文に関連し「北朝鮮の(ミサイル)発射はそれほど責めることではない。政府の立場としては止むを得ないが、われわれは拍手を送るべき」という意見もあった。・・・

 上記は盧武鉉大統領支持派のインターネット掲示板の内容紹介であり、新聞社の論調ではない。ただ、ミサイル発射の対応について、小泉総理が主宰する国家安全保障会議が開かれたのは5日午前7時30分だったのに比べ、盧大統領が主宰する安保長官会議が開かれたのは同午前11時だった。この3時間半のタイムラグをめぐり、日ごろから「北」擁護の論陣を張っている盧大統領についてさまざな憶測を呼んでいる。たとえば、ミサイル発射と排他的経済水域(EEZ)での調査が同じ日だったことから、「盧大統領はミサイル発射の日を予め知っていて、調査船を竹島沖に向わせた。つまり南北合作の陽動作戦じゃないのか」といった疑念が日本側でもくすぶっているのだ。

  話は変わる。今回の北のミサイル発射でマスメディアでの露出が格段に多くなったのが安倍晋三官房長官だ。安倍氏は5日午前4時30分ごろ、首相官邸に一番乗りだった。内閣のスポークスマンとしてこの日は4回の記者会見に臨み、北を強く批判する声明を発表した。その毅然とした物言いの映像や、口をヘの字に閉ざした写真がマスメディアに頻繁に登場することになる。マスメディアが番組や紙面で緊張感を演出するには「安倍」は欠かせない素材となっているのである。

  言いたいことは一つ。自民党は5日の党総裁選管理委で、小泉総理の任期満了に伴う総裁選を「9月8日告示、20日投票」と決めた。告示まであと2カ月。ミサイル発射の衝撃は今後、国連安保理での北朝鮮非難決議の採択や経済制裁などをめぐり2カ月は持つだろう。ということは、総裁選レースは安倍氏がこのまま走り込んでゴールとなる。10月上旬には首班指名選挙、続く組閣と政治日程は組み立てられていく。

 ⇒6日(木)夜・金沢の天気  くもり

☆天を仰いで唾するのたとえ

☆天を仰いで唾するのたとえ

  誰がどう見ても、常識的に考えても、この2つの行為はおかしい。北朝鮮によるミサイル発射と、日本が主張する排他的経済水域(EEZ)での韓国の一方的な海洋調査のことである。きょう帰途のバスの中で、私の前の席に座っていた会社員らしき2人の男が交わしていた会話の中で、「南北(韓国と北朝鮮)共同の宣戦布告みたいなもんやろ」という言葉もあった。こうした「車内の声」は意外と世論なのである。

   この2つの行為が連動していないにしても、また意図がどうであろうと韓国が北朝鮮と同等だとみなされたことは韓国にとって大きなダメージだろう。先にこの「自在コラム」で韓国の土地バブルが崩壊寸前だと書いた。この動向はすでに日韓の懸案になっていて、ことし2月の日韓財務長官会議で、韓国に通貨危機が発生すれば日本が100億㌦を、日本に危機が生じれば韓国が50億㌦を支援することに合意している。 支援は、通貨危機にある相手国の通貨をドルに換える形式(通貨スワップ)で行われる。双方の危機に対応するというかたちをとっているが、実質的に韓国のデフォルト(破綻)に対する救済策なのである。しかし、今回の北朝鮮によるミサイル発射を受け、政府が新たな制裁措置を行う過程で南北の2つの行為が連動していたものとなれば、この100億㌦の合意は当然、ご破算だろう。

   しかも、北朝鮮はきょう5日未明の午前3時から8時かけての6発で国際世論が沸き立ったにもかかわらず、夕方午後5時20分にも中距離ミサイル1発を追加で発射している。国連安保理が日本時間の午後11時から緊急会合を開くと決めた以降もこうしてミサイルを発射し続けているのである。天を仰いで唾(つば)するとはこのことだろう。

    北朝鮮が巧妙だったは、アメリカの最大の祝祭日である独立記念日に「派手な花火」を打ち上げたことだ。 アメリカ時間の4日午後2時38分、フロリダのケープカナベラル基地から7人のクルーを載せた宇宙船「ディスカバリー号」が飛び立った。北朝鮮の最初のミサイル発射はアメリカ時間で午後2時32分だった。つまり、北朝鮮はディスカバリー号打ち上げ6分前に最初のミサイルを発射したのだ。これは意図的なものか、偶然か。アメリカがショックを受けているのはこの事実なのである。

  それにしても滑稽なことがある。このタイミングで共同通信など日本のマスメディアが北朝鮮を訪れている。きょう5日、横田めぐみさんら拉致被害者が一時居住していたとされる平壌市郊外の2カ所の招待所や、めぐみさんの「遺骨」を焼いたとする火葬場を見学した。真実が語られることのない北朝鮮で何を見ても聞いても果たして取材に値するのだろうか。北朝鮮がお膳立てした現場で撮ったものを、これがめぐみさんを焼いた火葬場の写真であると掲載しても、日本の読者は信じるだろうか。「さっさと戻って来い」。私ならそのひと言である。

 ⇒5日(水)夜・金沢の天気  あめ

★ベートーベンの「田園」を愛す

★ベートーベンの「田園」を愛す

  今月13日に亡くなった指揮者の岩城宏之さんのことを今回も書く。岩城さんはベートーベンの「田園」が好きだった。交響曲第6番である。ちょっとしたエピソードがある。

   2004年の大晦日(12月31日)、東京文化会館でベートーベンの交響曲1番から9番をすべて演奏するという大勝負をした。その時のことである。5番「運命」を終えて、夕食をとり、続いて6番へと続けた。ところが05年の大晦日に再度ベートーベンの連続演奏に挑戦したときは、4番を終えてから夕食に入った。この違いについて岩城さんはこう説明した。「曲の順番からも『運命』が一つのヤマなのでこれを越えてひと安心して、前回は夕食を食べた。ところが、『運命』が終わったのと、夕食を食べたのとで、『田園』になかなか気持ちのエンジンがかからなかった。そこで、今回は工夫して『運命』の前に食事を済ませることにしたんだ」と。気が乗らないとの理由で、大休憩(食事)の時間を大幅に前倒しした。そのほどの思い入れが「田園」にあった。

  もう一つエピソードを。このベートーベンの連続演奏に鹿児島の麦焼酎の造り酒屋がスポンサーについた。なぜか。この焼酎メーカーが発売している「田苑ゴールド」という銘柄は、すばり「田園」を聞かせて熟成させた酒なのである。コンサートのスポjンサーになったのも、あやかったというわけだ。会場でその説明を受けた岩城さんが思わず手を打って、「モーツアルト熟成は聴いたことがあるけど、ベートーベン熟成ね…」とニコリ。それまで緊張の面持ちだったのが相好を崩した瞬間だった。

  ベートーベンは、この曲に小川のせせらぎや小鳥のさえずりをイメージさせた。詩人のロマン・ローランは次のように言ったという。「私は第2楽章の終わりに出てくる小鳥のさえずりを聴くとき、涙が出てくる。なぜなら、この曲をつくったとき、ベートーベンにはもはや外界の音は聞こえなかったからだ。彼は心の中の小鳥のさえずりを音符を書きつけたのである」と。

 「マエストロの最期」で岩城さんが容態が急変するまで病院のベッドの中にあっても両腕で小さく円を描き、まるでタクトを振っているかのようであったと書いた。話せる状態ではなく、何の曲を指揮していたのかは周囲も分からない。が、ひょっとして、その曲は小川のせせらぎや小鳥のさえずりの「田園」ではなかったのか…。ベートーベンをこよなく愛した岩城さんの冥福を祈る。

 ⇒19日(月)午後・金沢の天気   はれ