☆能登の旋風(かぜ)-4-
「能登エコ・スタジム2008」では3つのシンポジウム、6つのイベント、1つのツアーが行われた。そのツアーとはシニアコースと銘打ったスタディ・ツアーのこと。日本旅行の関連会社とタイアップし、50歳以上のシニアを対象に全国から募集して集まった11人がツアーに参加した。正式な旅行の募集名は「金沢大学シニア短期留学」で、旅行代金は1週間で19万円余り。9月11日に金沢で集合し、金沢城の石垣や建築を勉強。14日から能登に入った。能登エコ・スタジムのイベント全体の中で、個人的に一番苦心したのがこのツアーだった。何しろ人生の甘いも酸いもかみ分け、目と舌が肥えている人たち。論客が多く、ごまかし、まやかしは一切通用しない。しかも最高齢は84歳で、ツアーの主催者側に相当なホスピタリティ(もてなし)精神がないと相手は満足しない。この人たちに納得いくスタディ・ツアーとしてのサービスを提供するにはどうしたらよいか。
そこにある観光資源
参加者の構成は東京都3人、兵庫県3人、大阪府2人、滋賀県1人、京都府1人、神奈川県1人である。年齢は60歳から84歳。男女比は女性7人、男性4人の構成。11日に開講式があり、懇親会があった。さっそく「シニア短期留学を研究する協議会をつくってはどうか」「金沢人、不親切論」なども飛び出して、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の状態となった。「論客が多すぎる」。これが第一印象だった。反省もあった。参加者には予めパンフレットで講義内容を簡単に説明してあったが、金沢大学がどのような学習サービスを提供してくれるのか、イメージとしてはインプットされていなかったのだろう。要は、説明不足。だから、懇親会での話が講義内容に集中するのではなく、ベクトルがバラバラな方向に展開したのだった。出だしはこんなふうだった。
参加者11人のベクトルが合ってきたのは14日の夕方だったろうか。能登半島の先端、珠洲市寺家(じけ)地区のキリコ祭りを見学したときだった。地元の若い衆がせっかく東京や大阪から来てくれたのだからと、高さ12㍍もあるキリコを引き回してくれたのだった。そして、区長さんがキリコのことについて説明してれた。この一件で参加者たちの心はぐっと能登に引き寄せられたようだった。「能登半島の最果てに、エネルギッシュで気持ちのいい若者がいるね」「あの輪島塗のキリコの修理に1000万円もかけたんですって。心意気が違う」など。能登のキリコ祭りという共通の話題ができた。この夜、国民宿舎「のと路荘」で夕食の後、だれかれとなく誘い合ってカラオケ大会が催された。十五夜の月が見附島(通称「軍艦島」)に浮かんでいた。
15日、地元の古老からトキが能登の空に舞っていたころの話や、鳥類の若手研究者から、最近飛来したコウノトリの生態観測の調査の講義を受けた。私は古老に質問をした。「なぜ、トキは絶滅したと思いますか」「土地の人たちが捕って食べたのではないですか」と刺激的に。古老は「そうです。私も食べた経験があります。当時、産後の滋養によいと言い伝えられていました。サギのような臭みはなく、あっさりとした肉です」「トキは早苗を踏み荒らすとされ、農家の人たちはトキに対してよい感情を持っていなかった」。息の詰まるような緊張したやり取りだった。古老には申し訳なかったが、トキの絶滅の背景を知る上で貴重な証言だった。その後、堰を切ったように参加者からさまざま質問が飛び出した。
古民家の庭に獅子舞が舞い=写真=、祭りゴッツォをいただく。ゴッツォとは当地ではご馳走のこと。この土地ならでは料理に舌鼓を打つ。ツアーのフィーナーレが近づいた16日のこと。獅子舞だけでも正直、感動ものだった。「ひょっとこ」が獅子の頭を尻で踏んで、獅子を怒らせる。それを天狗が諌(いさ)めるのだが、獅子が治まらない。天狗がひょっとこをきつくしかりつけて、獅子は納得したか、ようやく治まる。そんなストーリーである。獅子舞を見物した後、古民家でいただいた料理の中で昆布巻きが妙に旅情を誘った。相当な時間煮込んだのだろう、昆布が軟らかくニシンに昆布の旨みが十分に浸み込んでいた。
17日の最終日、金沢大学の能登学舎で修了証書の授与式、そして校庭で記念植樹をした。植樹したのはノトキリシマツツジ。能登の固有種で5月のゴールデンウイークには真紅の花びらをつける。ノトキリシマツツジは長寿木で現存するのは350年ほど。6本植え、傍らに11人全員の氏名を記したプレやート(プラスチック)をかけた。
ツアーの期間中、祭りの季節に素顔の能登を見ていただいた。地域の人々との対話、郷土料理、土地の歴史や自然といったものがすべて学びの対象となり観光資源となるものだ。能登にはそんな観光資源がふんだんにある。ただ、それをどう手際よく提供することができるか。感動や発見は案外、タイミングかもしれない。小手先のサプライズや演出はシニアの人たちには通用しない。
⇒24日(水)夜・金沢の天気 はれ
というのも、田の神は目が不自由とされ、迎え入れる主人は想像力をたくましくしながら、「田の神さま、廊下の段差がありますのでお気をつけください」「料理は向かって左がお頭つきのタイでございます」などとリテールにこだわった丁寧な案内と説明をすることになる。これはある意味で高度なホスピタリティ(もてなし)である。招き入れる家の構造、料理の内容はその家によって異なり、自ら目が不自由だと仮定して、どのように案内すれば田の神が転ばずに済むか、居心地がよいか(満足か)とイマジネーションを膨らませトレーニングする。これがホスピタリティ(もてなし)の原点となる。万人に通用するように工夫された外食産業の店員対応マニュアルとは対極にある。
実は今回のイベント「能登エコ・スタジアム2008」もその関連会議のシュミレーションとしての意味合いで金沢セッション、能登エクスカーションが構成された。ジョグラフ氏の能登訪問は2010年の能登エクスカーションの「下見」との意義付けもある。もし、ジョグラフ氏がここで「能登で見るべきもの、学ぶべきものはない」と感じれば、2010年の能登エクスカーションは沙汰やみになる。迎えるスタッフもプラン段階から気を遣った。では、ジョグラフ氏の反応はどうだったのか。
まず、「能登エコ・スタジアム2008」の概要を説明しよう。金沢大学などが企画し,地域自治体と連携して開催した初めての大型イベント。4日間で3つのシンポジウム、6つのイベント、1つのツアーを実施した。生物多様性などの環境問題を理解するとともに、海や山を活用した地域振興策を探ろうという内容。13日に開催したキックオフシポジウム「里山里海から地球へ」=写真=には市民ら280人が参加し、国連大学の武内和彦副学長(東京大学教授)や生物多様性ASEANセンターのG.W.ロザリアストコ部長、女子美術大学の北川フラム教授が講演した。
この文を書いていたとき、実は念頭に石川県の谷本正憲知事のことがあった。失礼な言い方になるかもしれないが、谷本氏はことし春ごろまで、それほど里山や里海といった言葉に深い造詣を抱いてはおられなかったと思う。ところが、この4月に金沢で設置された国連大学の研究所(いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット)が里山里海を研究テーマにしていること、さらにドイツでの環境視察(5月22日-29日)、その視察の最中で生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の関連会議でスピーチをきっかけとして猛勉強され、いまではおそらく「里山知事」を自認するまでになった。そして、環境への取り組みとして、里山里海をテーマに行政施策に反映させてもいる。谷本知事には里山里海の風景がこれまでとまったく違って見えているのだ。
~里山里海(さとやまさとうみ)という言葉が最近よく使われるようになってきました。日本ではちょっと郊外に足を運べば里山があり里海が広がります。実はそこは多様な生物を育む生態系(エコシステム)であるとことを、私たち日本人は忘れてしまっていたようです。二酸化炭素の吸収、生物多様性、持続可能な社会など、環境を考えるさまざまなキーワードが里山里海に潜んでいます。「能登エコ・スタジアム2008」ではこれらのキーワードを探す旅をします。それを発見したとき、あなたが見える里山里海の風景は一変するはずです。~
先月(7月)28日に金沢市を襲った豪雨は午前5時から8時までの3時間で254㍉だった。報道によると、県が「百年に一度」と想定している規模の雨量は2日間で260㍉なので、まさに「想定外」の降りだった。金沢市災害対策本部が2万世帯5万人に避難指示をした。27日から日本海から北陸地方にかけて東西に前線が停滞し、28日に南からの暖かい湿った空気が流れ込んできた。このため、大気が不安定となり、雲が急速に発達し、短時間で激しい雨をもたらしたというの金沢地方気象台の見解だ。
国連世界食糧計画(WFP)と国連食糧農業機関(FAO)は毎年、緊急の食料援助を必要とする国をリストアップしている。2007年5月にリストアップされたのは33カ国。このうち17カ国は内戦と紛争で、食料援助しようにも、その活動が阻まれるところ多い。つまり、援助部隊が襲撃されることもある。そんな国は間違いなく破綻に向かう。
その講演会でのこぼれ話。レスター氏はペットボトルの水を嫌がった。水をわざわざペットボトルに入れなくても、水差しでよい、石油を原材料にする経済の仕組みはもう転換すべきだとはレスター氏の主張だ。そして講演20分前には瞑想に入り、スニーカーで登壇した。
この「自在コラム」でも何度か取り上げたベートーベンの話を再度。昨年10月から、金沢大学が運営する「能登里山マイスター」養成プログラムに携わっていて、能登通いが続いている。車で大学から片道2時間30分(休憩込み)をみている。何しろ能登学舎があるのは能登半島の先端、距離にしてざっと160㌔にもなる。早朝もあれば、深夜もある。体調がすぐれないときや、疲れたときもある。運転にはリスクがつきまとう。同乗者がいればまだよいが、怖いのは一人での運転である。眠気が襲う。