⇒トピック往来

☆食ありて~野点の風景

☆食ありて~野点の風景

 奥能登・珠洲市に古民家レストランと銘打っている店がある。確かに築110年という古民家には土蔵があり、その座敷で土地の郷土料理を味わう。過日訪れると、中庭で野点が催されていて、ご相伴にあずかった。

  花曇(はなぐもり)の天気の中、その野点の光景に見とれてしまった。モクレンの木の下でのお点前。モクレンの花の白さ、毛せんの赤がまぶしいのである。そして抹茶の緑を心ゆくまで堪能した。母親が点て、半東(はんとう)を長男がつとめる。聞けば、一家全員が茶の湯の心得がある。しかも、それぞれ流派が異なる。それでも家族でさりげなく野点ができる。「もてなしの文化」がこの家族にある。

  茶の湯をたしなむ人が心がける言葉に、「茶は常なり」というのがある。茶の湯というものは日常の暮らしからかけはなれたものではなく、まして世間の常識を超えないという心がけだ。だから派手な服装は控え、礼節を重んじ、相和すことを重んじる。そんな凛(りん)とした雰囲気が感じられる野点だった。

  茶の湯の後は、座敷に上がって花見弁当をいただく。メバルの姿焼きがメインデッシュ。焼きたての香ばしさが食欲を誘う。たけのこご飯、海藻(ギバサ)の味噌汁。このギバサはホンダワラ科アカモクのこと。この海藻のぬるぬる成分は、抗がん作用をもつとされるフコイダンという食物繊維。これだけでもなんと贅沢な食事かと思う。

  帰り際、ふと見ると玄関に珠洲焼のレリーフが飾ってあった。この家の主(あるじ)の作品という。テーマは「月の砂漠」。風紋のあしらい、月光に写るキャラバンの姿が印象深い。古民家レストランというよりミュージアム。「入場料」はしめて2000円、満足度は高い。

 ⇒14日(月)朝・金沢の天気   はれ

★食ありて~辺採物

★食ありて~辺採物

 食品偽装や中国食材の農薬混入など食をめぐる問題が次々と噴出している。そこで注目されいるのが地産地消という消費行動。口にするものは地域の顔の見える人がつくった、安心安全なものをという考え。能登に古くから「へんざいもん」という言葉がある。漢字で表記すると辺採物。近場で採れた野菜や魚のことを指す。かたちが整っていなかったりしたため、つい最近まで辺採物は地元の商店やスーパーでは敬遠されてきた。ところが、上記の食の問題でこの辺採物が見直されている。

ご 飯:すえひろ舞(コシヒカリ)
味噌汁:メカブ
揚げ物:サバの竜田揚げ
煮 物:ジャガイモ,ニンジン,タケノコ,シイタケ,キヌサヤ,卵,厚揚げ
ウドの天ぷら:ウド,ニンジン
イカの煮付け:イカ
葉ワサビの粕和え:葉ワサビ
アオサの佃煮:アオサ
青菜の辛し和え:青菜
干イワシ:イワシ
イモの茎の佃煮:イモの茎
ダイコンの酢の物:ダイコン,ニンジン,コンブ

  上記のメニューはすべて地元で取れた食材でそろえた郷土料理。ウドの天ぷらは季節感があふれている。ほのかに香ばしいような春の味である。地面から少し顔を出したばかりのウド。当地では「初物を食べると長生きする」と言い伝えがあり、有難味が出てくる。

  このメニューは能登半島・珠洲市で金沢大学が開設している「里山里海自然学校」(三井物産環境基金支援プロジェクト)の学食で提供される日替わり定食。日替わりといっても週1度、毎週土曜日に地域のNPOのメンバーが中心になって運営している「へんざいもん」という名の食堂だ。里山里海自然学校が行っている「奥能登の食文化プロジェクト」(食育事業)の一環で予約があれば提供してもらえる。地域の人による、地域の人のための、地域のレストラン。いわばコミュニティ・レストランなのである。メニューは定食で700円。

  地域の食は地域が賄う。もうそんな時代に入ってきたのかもしれない。へんざいもんでは、「けさ港にイカがたくさん揚がった」「ウドが顔を出した」など、それこそ新鮮な情報が会話の中で行き交っている。そして何より、ここで給食のサービスをしていただくご婦人たちの顔が生き生きとしている。

  この光景はかつて見たことがある。地域のお寺で毎月28日開かれていた「お講」である。親鸞上人の命日とされ、この日は海藻の炊き合わせや厚揚げなど精進料理が供された。幼いころ、米を1合だったか2合だったか定かではないが、持って行くとご相伴にあずかることができた。そして地域の人は会話を交わした。お寺がコミュニティの中心の一つとして存在感があった時代のことだが、いまでもこの伝統はまだ各地で生きているはずである。

  ファーストフードではなく、顔の見える手作り感を大切にしたスローフード。希薄となったコミュニティを食を通じて再生する。「へんざいもん」にはそんな試みが込められている。理由づけはともあれ、ここのお薦めは海藻がたっぷり入った味噌汁。いつもお代わりをいただく。 (※写真は4月5日のメニュー)

⇒10日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆食ありて~星の「わけ」

☆食ありて~星の「わけ」

 過日、東京の知人に「星のついた店を紹介しますよ」と誘われた。レストランの格付けガイドブックとして知られる「ミシュランガイド東京」で一つ星がついたフランス料理の店だ。ブログで店の宣伝をするつもりはないのであえて店名は記さない。でも、なぜ星の栄誉を与えられたのか想像をたくましくしてしてみたい。

 ミシュランガイド東京に掲載されているレストランは150軒で、最も卓越した料理と評価される「三つ星」は8軒。「二つ星」は25軒、「一つ星」は117軒選ばれている。フランスやイタリア料理が多いのかと思いきや、ガイド全体では日本料理が6割を占めている。和食への評価が世界的に高まっていることがベースにあるのだろう。ちなみに、一つ星は「カテゴリーで特に美味しい料理」、二つ星は「遠回りしてでも訪れる価値がある素晴らしい料理」、三つ星は「そのために旅行する価値がある卓越した料理」の価値基準らしい。

 私が訪れた一つ星の店は、入り口がいたってシンプル。あの名画の名前を店名に付けているので、名画の複製を掲げるだけで看板となる=写真=。「リーズナブルな価格で最高のフランス料理を創造し、一人でも多くの方に本物を味わっていただきたい」とインターネットの公式ページで謳っているだけあって、ディナーのコースは6800円から。せっかく遠方からきたのでと、下から2番目の1万円のコースを注文した。

 ロケーションはJR東京駅の前にある丸の内ビルの36階なので、皇居も見渡せる。これだけでも随分と値打ちがある。前菜の紹介は省いて、メインディッシュは「和牛フィレ肉のグリエ わさび風味 山菜添え」。私はフランス料理を論評する言葉を持ち合わせてはいないが、ただ、和牛なのに食後のさっぱり感は新発見の食味だった。わさび風味のせいかとも思った。

 メインディッシュが終わり、星のついたレストラン物語はこれで終わりかと思いきや、実はここから物語の第二幕が開く。「お口直しのイチゴのシャーベットでございます」とまずは甘口モードに。そしてプレートに載って出てきたデザートは3種類、ボリュームがあって、甘みの世界にどっぷり浸ることになる。

 デザート攻めにあって、これで終わりかと思っていると、「お口直しのハーブティーでございます」と。ミント系のハーブティーだった。その後、コーヒーでコースは終了する。2時間半ほどの星のついたレストラン物語。「お口直しでございます」の言葉がこの物語の場面切り替えに上手に使われ印象深い。別の席では、オルゴールの「Happy Birthday」ソングが聞こえ、店員がろうそくを立てたケーキを運んで、おそらく親子連れの家族なのだろう客席の雰囲気を盛り上げている。

 店員の言葉使いと洗練された身のこなし、コースの演出、「リーズナブルな価格で最高のフランス料理を」のポリシーと実践、ロケーション、その星には「わけ」があった。ただ、一つ難を上げれば、じゅうたん敷きではないので客席の声が響く。それをうるさいと感じる人もいるだろう。

⇒6日(日)午後・金沢の天気   はれ

★食ありて~客が礼を言う店

★食ありて~客が礼を言う店

 たまに無性にラーメンが食べたくなるときがある。そんなときに出かけるラーメン屋が金沢市寺町にあるK店。この店で見る光景は普通のラーメンの店とは一風異なる。店内は飾りがなく、静かで落ち着いていて、客層は老紳士・淑女然としたお年寄りが多いのだ。

   この数年、われわれの身の回りのもので携帯電話とラーメンほど進化したものはない。さまざまな食味を追求したラーメン店が巷(ちまた)に看板を競っているが、K店は「自然派らーめん」と称している。無化調(無化学調味料のこと)を売りに、鶏をベースに鰹節、煮干、コンブの海産物からとった薄味のスープ。インパクトはなく優しい味わいで美味。ちじれ麺は足踏みだから腰がある。ちじれ麺にスープが絡んでいるのでのど越しがいい。

  さらに、私がこの店で食べたいのは、実はチャーシュー。燻煙の風味のする炭火焼きのチャーシューだ。地元産の豚モモ肉を使っている。炭火焼きチャーシュー麺を注文すると、麺鉢とチャーシュー皿が別々に盆に乗って出てくる。というのも、スープにチャーシューを入れると風味が損なわれ、硬くなるからだ。

  主人のM氏は「うちはラーメンではなく、中華そばの店」とこだわる。M氏のこだわりとは計算され尽くした食のプロセスにある。無化調のスープをちじれ麺でからませ、食感とのど越しを満足させる。炭火焼きチャーシューと麺鉢を分離するこでチャーシューの風味を守る。この緻密な計算式が狂うときがる。時折、臨時休業の貼り紙が。「腰痛で足踏み麺ができない」、「土佐の煮干が入荷しない」などの理由だ。客もそこは心得ていて、「納得いく中華そばがつくれないのであれば仕方ない」と文句は言わない。つくり手が満足しないのに、食べる人が満足する訳がないからだ。休業する理由も不思議なことに、顧客満足度を高めている。

 冒頭に述べた、この10数人にしか入れない小さなこの店にお年寄りが多いというのは凛(りん)とした店の雰囲気と清潔感、薄味といった、まるで「ラーメン界の料亭」といった趣きを醸し出しているからかもしれない。もう一つ、ほかの店と雰囲気が違う点がある。炭火焼きチャーシュー麺はチャーシュー3枚入り(950円)と5枚入り(1150円)の2種類。値段もそこそこ高い。でも、客がお金を払って、「ありがとうございました」とお礼を言っているのは、なんと客の方なのだ。レジのそばの席に座って観察してみるがいい。

 ⇒30日(日)夜・金沢の天気   あめ

☆能登半島地震、人々の1年

☆能登半島地震、人々の1年

 能登半島地震からあす25日で1周年を迎える。震度6強の揺れで人生と生活をすっかり変えられてしまった人々も多い。そんな被災者の生の声をつづった「住民の生活ニーズと復興への課題」というリポートがある。金沢大学能登半島地震学術調査部会の第2回報告会(3月8日)で提出されたものだ。その中からいくつか拾ってみる。

  今回の地震で被害がもっとも大きいとされた石川県輪島市門前町は住民のうち65歳以上が47%を占める過疎、高齢化が進む地区だ。持ち家がほとんで、外出時でも鍵をかけない。間取りが大きいので、クーラーなどのエアコンもそう必要ではない。そのような土地柄である。

 <避難所について>
・畳一畳分のスペースは狭い。
・狭くて、よく眠れなかった。人にぶつかる。踏まれる。
・配られた毛布はかぶるに重く、暖かくなかった。
・避難所に行かなかったので行政からの情報が何もなかった。

 <仮設住宅での生活について>
・エアコンが嫌いだから暑くて困る。
・浴槽のまたぎの部分の高さが高く、高齢者には不便。風呂の湯船が深すぎる。風呂の床が滑りやすい。お湯と水の調整が難しい。タクシーで風呂に入りに行く人もいる。
・内側から鍵をかけてしまうと外から誰も入れなくなってしまう。一人暮らしの人など心配。
・買わなくちゃいけないから野菜不足。
・お花がつくれなくなった。

<被災者支援制度について>
・制度が難しくて分からない。非常に制度が複雑。お年寄りにはわからない。疎外されているように思う。
・住宅応急修理制度は、仮設住宅に入ると利用することができない。自分で賃貸住宅に入って倒壊した建物を建て直すケースでは利用できる。しかし、田舎にはアパートが無い。神戸のような都会では機能しても田舎の輪島市では機能しないのではないか。

<これからの生活・地域の将来について>
・もう田んぼでは食べていくことも無理だし、若い人はこないだろう。
・若い人に帰ってきてほしいが、働くところがないのでどうしようもない。
・震災が起きて、一時的に外に住んでいる人も皆自分が生まれ育った地元に戻って来たいと思っている。お年寄りにとって住むところを変えられるということは死に値する。
・家再建のめどがついた人、つかない人、立場がバラバラなので、これからの生活のことや、地域の将来についてまとまって話しにくい。
・お宮さんの復興が大変だ。

⇒24日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆バーチャルは悪の温床か

☆バーチャルは悪の温床か

  「かかってくる電話はセールスかオレオレ詐欺。電話は取りたくない」。こんな話を最近よく聞く。個人宅にかかってくる電話はまるで悪の温床のような言われ方だ。こんな状態が続けば早晩、個人が加入するNTTの固定電話はなくなる。そんな予感がする。

  15日の新聞各紙にこんな事件が報じられた。石川社会保険事務局は14日、野々市町の男性が約43万円の還付金詐欺の被害にあったと発表した。同事務局によると、12日午後1時半ごろ、男性方に「タナカ」と名乗る男から「過去5年間の医療費の返還金があり、昨年10月に案内のはがきを送った」と電話があった。男性がはがきを見ていないと答えると「返還金の期日が過ぎているのでATM(現金自動出入機)から振り込む」と言われたため、近くのATMに行った。そこで男から操作を指示され、口座から43万3097円を振り込んだという。手の込んだ、計算し尽された詐欺である。

  野々市町だけではない。全国で還付金をネタにした電話による詐欺が横行している。その被害はおそらく数億円に上っているだろう。こうなると「電話詐欺」は一つの産業である。誰でも簡単に参入できて、ビジネスモデルをつくればよい。交通事故の示談、還付金、痴漢の示談、架空請求詐欺、融資保証など。こんな素敵な商売はないと詐欺師たちはほくそ笑んでいることだろう。しかも、逮捕例をみると多くが20代や30代の若者である。

  もう固定電話は詐欺の温床なのである。固定電話は止めて、携帯電話にした方がまだましである。汗を流さず徒党を組んで悪知恵を働かせる社会。なんともいたたまれない思いだ。自然環境がCO2などで悪化しただけではない。社会環境も悪化していると実感する。電話だけでない。インターネットによる詐欺行為も目に余る。メールに何度も身に覚えのない料金請求をしてくる。そして、「裁判に訴える」と語気を強めて、数万円を振り込ませる。私の身の回りに驚くことに数人が振り込んだ経験者がいた。ということは日本全体でとてつもない金額だと想像する。

 もちろん日本だけではないだろうが、文明の利器といわれるモノに我々は自家中毒症状を起している。そして、風潮が「だまされるヤツが悪い」となっている。これはおかしい。これが人間が進化した発想だろうか、と思う。この延長線は、突き詰めれば「殺されたヤツが悪い」である。

  「こんな浅はかな文明やめよう」と異議を唱える人たちも出始めている。作家の柳田邦夫氏は「(テレビゲームは)手先の反射的動作ばかりが速くなり、前頭葉の中の、じっくり考えて判断したり、感情をコントロールしたりする部分がまるで発達しない」(著書「壊れる日本人」から)と訴えている。

 ⇒15日(土)夜・金沢の天気  はれ

★袋かけシイタケの話

★袋かけシイタケの話

 大きさをたとえればアンパンぐらい。バターの炒め焼きは新感覚の味。キノコ一個一個にビニール袋をかけ、まさに手塩にかけて育てるから1個500円もする。キノコは菌で育まれるので栽培過程で農薬や化学肥料は必要ない。自然の食材として見直されている。

  先日、能登半島の先端・珠洲市にあるシイタケ栽培農家、奥野弘吉さんを訪ねた。「袋かけシイタケをやっている」という話を何人かから聞き、興味がわいた。奥野さんはシイタケ栽培のほか農家民宿も経営していて、その名称も「しいたけ小屋・ひろ吉」。さっそく針葉樹の林にある栽培フィールドを見せてもらった。

 コナラやアベマキなどの原木を市内の林業家から調達して、シイタケ菌を植える。その植える菌は「115」と呼ばれる、(財)日本きのこセンター (鳥取市)が開発した「菌興(きんこう)115号」。親指ほどに成長したシイタケにビニール袋をかけ、ピン止めする。袋の中で直径11センチ、厚さ3センチほどに育つ。見た感じは前述したアンパンぐらいの大きさ。袋をかける意味合いは、雨に打たれ色が黒ずむのを防ぐ。そして、頭の傘の部分に白い線が入っていて亀甲模様のようになる。肉厚のことを「どんこ」と言い、頭が白いので「天白どんこ」とこの業界では言うそうだ。誰が考案した名称か知らないが、いかにも高級感が漂う。そして、市場価格はぐんと跳ね上がるのだ。

 奥野さんに頼んで、この115の天白どんこを食させてもらった。バターで焼いてステーキに。緻密でみっちりと詰まった肉質。ステーキや網焼にしても焼き縮むことはない。切り口はツルンと滑らか。しかも、確かな食感、噛むたびに香りのエッセンスが口中にほとばしる。

  シイタケのほだ木のオーナー制度を取り入れていて、5本で8000円。どんこのシイタケを収穫して、宅送りもしてくれる。このほだ木は4年ほどでシイタケが出なくなる。もう終わりかと隅っこに移動するとまた出る可能性もある。「どうやら菌はひっくり返しを好むようだ」(奥野さん)

 余談かもしれないが、「袋かけシイタケ」というのはちょっと舌が回りにくい。マスクメロンをもじって「マスクしいたけ」、あるいは「袋茸」などというネーミングが必要だと思う。115を使ったブランド名は鳥取県では「茸王」、岡山県では「茸太郎」と名づけている。岡山の場合、「桃太郎」伝説からヒントを得たのだろう。で、能登の場合は「のと天白」、あるいは「F(エフ)茸」はどうだろう。「F」というアルファベットが能登半島とかたちが似ていることから当地で使われ始めている。 ちょっと舌足らずか…。

⇒12日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆早春、トキの旅~下~

☆早春、トキの旅~下~

 トキがすでに急減していた1940、50年代、日本は戦中・戦後の食糧増産に励んでいた。レチェル・カーソンが1960年代に記した名著「サイレント・スプリング」には、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記されている。農業は豊かになったけれども春が静かになった。1970年1月、日本で本州最後の1羽のトキが能登半島で捕獲された。オスの能里(ノリ)だった。繁殖のため佐渡のトキ保護センターで送られたが、翌71年に死亡した。解剖された能里の肝臓や筋肉からはDDTなどの有機塩素系農薬や水銀が高濃度で検出された。そして、2003年10月、佐渡で捕獲されたキンが死亡し、日本産トキは沈黙したまま絶滅した。

        雪上を歩くトキ

  上記のように書くと、農薬を使った農業者を悪者扱いしてしまうことになるが、私自身は、都市住民のニーズにこたえ、農産物をひたむきに生産してきた農業者を責めるつもりは一切ない。東京で有機農産物の販売を手がける「ポラン・オーガニック・フーズ・デリバリ」社長の神足義博氏も、「これまで都市住民に農産物を供給してきた農業者に『ありがとうございました』とまずお礼を言おう。そして、『これからどうやってなるべく農薬を使わない農産物をつくることができるかいっしょに考えましょう』とお願いをしよう」と提唱している(08年2月1日の講演)。有機農産物を増産するためには、全体的な方向転換しかない。トキやコウノトリが生息できる農村の環境を再生するためには地域の合意形成がどうしても必要なのだ。その合意形成は、過去の批判からは始まらない。

  中国のトキ調査は大雪にはばまれ、7人の調査チームのうち、私を含む2人は西安市の「珍稀野生動物救護飼養研究センター」でのヒアリング調査を終え、帰国することになった。残りの5人はさらに天候を見はからいながら、西安から11時間の列車に乗って、陝西省洋県へと向かった。以下は、その調査スタッフが見た洋県のトキの様子である。

  洋県では1981年に7羽の野生のトキが発見されて以来、保護と繁殖が進められ、現在では400羽余りの野生トキが確認されている。農地の一部には水を張る冬季湛水(たんすい)が実施されていて、今回の調査でも田畑で羽を休めたり、餌をついばむ10羽ほどのトキが確認できた。ある意味でダイナミックだったのは、トキが観察できた農地の周囲は民家が建ち並ぶ市街地のすぐそばにあり、人里と共存している。事実、田んぼの中を歩く調査スタッフの横をかすめるようにして飛ぶトキもいた。

  こうした田畑や水路を調査すると、トキの餌となるドジョウやカエルが豊富にいた。田んぼの水路にはコンクリートは使われておらず、そうした水生生物が移動しやすいようになっている。ところどころに、深水を張ってハスを栽培するハス田がある。このハス田と田んぼが水路でつながっていて、両生類などの生き物の供給源になっている。冬の餌場を確保するため、水辺面積を増やしてそこに常水を張るようなことも地域で取り組んでいる。トキと共生する人里の風景がそにあった。 (※写真は雪上を歩くトキ=珍稀野生動物救護飼養研究センター)

⇒6日(水)朝・金沢の天気   くもり

★早春、トキの旅~中~

★早春、トキの旅~中~

 今回の中国・陝西省でのトキ調査の旅程でずっと考えていたのは、根絶やし(絶滅)させられるほどトキに罪はあったのかということである。本州最後の野生のトキがすんでいた能登半島ではドゥと呼ばれ、水田の稲を踏み荒らす「害鳥」とされてきた。ドゥとは「ドゥ、ドゥと追っ払う」という意味である。昭和30年代、地元の小学校の校長らがこれは国際保護鳥で、国指定の特別天然記念物のトキだと周囲に教え、仲間を募って保護活動を始めた。しかし、そのとき能登では10羽ほどに減っていた。

      哀愁ただよう鳴き声

  本当に害鳥だったのか。機中で読んでいた「コウノトリの贈り物~生物多様性農業と自然共生社会をデザインする」(地人書館・鷲谷いづみ編)によると、兵庫県豊岡市でもコウノトリはかつて「稲を踏み荒らす」とされ、追い払われる対象だった。ところが野生のコウノトリを県と市の職員が観察調査(05年5月)したところ、稲を踏む率は一歩あたり1.7%、60歩歩いて1株踏む確率だった。これを総合的に評価し、「これくらいだと周囲の稲が補うので、減収には結びつかない」としている。それが「害鳥」の烙印をいったん押され、言い伝えられるとイメージが先行してしまう。今回の中国のトキ調査でも同行した新潟大学の本間航介氏は「農村の閉塞状況の中でつくられた犠牲ではないか」(08年1月26日・シンポジウムでの発言)という。つまり、つらい農作業の中で、ストレスのはけ口の対象としてトキやコウノトリが存在したのではないか、との指摘である。

 そして、絶滅にいたる過程で指摘される「食鳥」としてのトキがいる。産後の滋養によいとされた。そして、簡単に捕獲された。能登の古老に聞いた話(07年12月)だと、2尺(60㌢)ほどの棒を、地面を歩くトキの頭上に投げる。ビュンビュンという棒の回転音を、トキは天敵の猛禽類(ワシやタカ)の襲来と勘違いして、草むらに逃げ込みジッと身を潜める。それを手で捕まえる。

  かつて東アジアの全域にいたとされるトキは水田を餌場としたがゆえに、追い払われ、食べられ、そして体内に蓄積した農薬(DDTなどの有機塩素系農薬など)で繁殖障害を起こし、日本では絶滅にいたる。

  中国で初めて生きたトキの姿を見たのは1月12日。この日は大雪で高速道路が閉鎖され、陝西省洋県に行く日程を変更して、西安市の中心から70㌔ほど離れた「珍稀野生動物救護飼養研究センター」に向かった。パンダやキンシコウ(「西遊記」のモデルとされるサル)など希少動物が集められ、飼育されている。ここにトキが250羽ほどケージで飼われている。

  ケージの中で、つつきあってじゃれている。これまで見てきた剥(はく)製ではない、動物らしい生きた姿がそこにあった。もう繁殖期に入ったのだろうか、頭の毛の一部が灰色になっている。「エサとなるドジョウは1羽あたり300㌘、数にして十数匹食べる」と、案内してくれたトキ管理課長の張軍風さんが説明した。

 初めて鳴き声を聞いた。クアァ、クアァとカラスの鳴き声より低い。山里に響く、幼いとき聞いたような、どこか哀愁を漂わせる鳴き声だった。(※写真は珍稀野生動物救護飼養研究センターのトキ)

 ⇒5日(火)朝・金沢の天気    くもり

☆早春、トキの旅~上~

☆早春、トキの旅~上~

 「長い正月休み」をいただいた。1月の「自在コラム」のアップが2件、05年4月にブログをスタートさせてから、月間でもっとも少ない件数となった。惰眠をむさぼっていたわけではない。言い訳はほどほどにして、「1月はネタの仕入れ期間だった」と自分なりに解釈して、ブログ生活を再開したい。

        上海は視界不良

  1月11日から4日間、短期間だったが、中国・陝西(せんせい)省を訪れた。冬のトキを観察する狙いがあった。新年度からトキに関する「生態環境整備および地域合意形成に関する学際研究」を始めるに当たって、どうしても一度見ておきたいと思い調査団に加えてもらった。金沢大学の「里山プロジェクト」(研究代表者・中村浩二教授)に関わっていて、トキと共生できるような里山環境を再生しようというのが、研究の狙い。どこからトキを持ってきて放すといった力技の利いた話ではない。

  11日は成田から上海、そして西安と飛行機を乗り継いだ。上海浦東国際空港ではトランジットツアーを試みた。上海リニアで市内に足を延ばした。時速430㌔の車窓から見える風景は、目が慣れないこともあって、コマ送りの状態で見える。2010年の上海万博を控えているせいか、沿線の古い工場群や民家などが広範囲に取り壊されていた。帰国後、新聞のニュースで知ったのだが、万博会場までリニアを延伸する計画が進行中だが、大規模な反対運動が起きているようだ。終着駅・龍陽路まで距離にして30㌔、時間にして7分20秒ほど。それにしても上海は霧に覆われ、視界不良。しかも煤煙と混ざって薄黄色の世界だった。化石燃料を燃やしたような鼻につく匂いもある。上海の人民広場まで行こうかと思ったが、時間の都合もあり断念。再びリニアで空港に戻った。

  「空の玄関口」でありフロアはピカピカみ磨かれている。「小心地滑」との注意看板があちこちに。滑るので注意してと呼びかけているのだが、清掃員を観察すると、ワックスがけをしている。これって矛盾ではないのかと思いつつも、西安行きの国内線の搭乗口に着いた。妙に混雑しているので、悪い予感がしていたのだが、案の定、霧のため離発着が遅れに遅れている。グランドのスタッフを囲んで乗客が何やらまくし立てている光景がいくつかあり、騒然としていた。西安行きの飛行機は1時間20分ほど遅れて飛び立った。

  この日は強い寒気が大陸を覆っていたせいで、その日の夜到着した西安は気温マイナス1度、初雪。何しろこの日はイラクのバクダットでも雪が降ったというニュースが現地で流れていた。(※写真は霧に包まれた上海市街)

 ⇒4日(月)朝・金沢の天気    くもり