⇒トピック往来

☆能登の旋風(かぜ)-4-

☆能登の旋風(かぜ)-4-

「能登エコ・スタジム2008」では3つのシンポジウム、6つのイベント、1つのツアーが行われた。そのツアーとはシニアコースと銘打ったスタディ・ツアーのこと。日本旅行の関連会社とタイアップし、50歳以上のシニアを対象に全国から募集して集まった11人がツアーに参加した。正式な旅行の募集名は「金沢大学シニア短期留学」で、旅行代金は1週間で19万円余り。9月11日に金沢で集合し、金沢城の石垣や建築を勉強。14日から能登に入った。能登エコ・スタジムのイベント全体の中で、個人的に一番苦心したのがこのツアーだった。何しろ人生の甘いも酸いもかみ分け、目と舌が肥えている人たち。論客が多く、ごまかし、まやかしは一切通用しない。しかも最高齢は84歳で、ツアーの主催者側に相当なホスピタリティ(もてなし)精神がないと相手は満足しない。この人たちに納得いくスタディ・ツアーとしてのサービスを提供するにはどうしたらよいか。

         そこにある観光資源              

  参加者の構成は東京都3人、兵庫県3人、大阪府2人、滋賀県1人、京都府1人、神奈川県1人である。年齢は60歳から84歳。男女比は女性7人、男性4人の構成。11日に開講式があり、懇親会があった。さっそく「シニア短期留学を研究する協議会をつくってはどうか」「金沢人、不親切論」なども飛び出して、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の状態となった。「論客が多すぎる」。これが第一印象だった。反省もあった。参加者には予めパンフレットで講義内容を簡単に説明してあったが、金沢大学がどのような学習サービスを提供してくれるのか、イメージとしてはインプットされていなかったのだろう。要は、説明不足。だから、懇親会での話が講義内容に集中するのではなく、ベクトルがバラバラな方向に展開したのだった。出だしはこんなふうだった。

  参加者11人のベクトルが合ってきたのは14日の夕方だったろうか。能登半島の先端、珠洲市寺家(じけ)地区のキリコ祭りを見学したときだった。地元の若い衆がせっかく東京や大阪から来てくれたのだからと、高さ12㍍もあるキリコを引き回してくれたのだった。そして、区長さんがキリコのことについて説明してれた。この一件で参加者たちの心はぐっと能登に引き寄せられたようだった。「能登半島の最果てに、エネルギッシュで気持ちのいい若者がいるね」「あの輪島塗のキリコの修理に1000万円もかけたんですって。心意気が違う」など。能登のキリコ祭りという共通の話題ができた。この夜、国民宿舎「のと路荘」で夕食の後、だれかれとなく誘い合ってカラオケ大会が催された。十五夜の月が見附島(通称「軍艦島」)に浮かんでいた。

  15日、地元の古老からトキが能登の空に舞っていたころの話や、鳥類の若手研究者から、最近飛来したコウノトリの生態観測の調査の講義を受けた。私は古老に質問をした。「なぜ、トキは絶滅したと思いますか」「土地の人たちが捕って食べたのではないですか」と刺激的に。古老は「そうです。私も食べた経験があります。当時、産後の滋養によいと言い伝えられていました。サギのような臭みはなく、あっさりとした肉です」「トキは早苗を踏み荒らすとされ、農家の人たちはトキに対してよい感情を持っていなかった」。息の詰まるような緊張したやり取りだった。古老には申し訳なかったが、トキの絶滅の背景を知る上で貴重な証言だった。その後、堰を切ったように参加者からさまざま質問が飛び出した。

  古民家の庭に獅子舞が舞い=写真=、祭りゴッツォをいただく。ゴッツォとは当地ではご馳走のこと。この土地ならでは料理に舌鼓を打つ。ツアーのフィーナーレが近づいた16日のこと。獅子舞だけでも正直、感動ものだった。「ひょっとこ」が獅子の頭を尻で踏んで、獅子を怒らせる。それを天狗が諌(いさ)めるのだが、獅子が治まらない。天狗がひょっとこをきつくしかりつけて、獅子は納得したか、ようやく治まる。そんなストーリーである。獅子舞を見物した後、古民家でいただいた料理の中で昆布巻きが妙に旅情を誘った。相当な時間煮込んだのだろう、昆布が軟らかくニシンに昆布の旨みが十分に浸み込んでいた。

  17日の最終日、金沢大学の能登学舎で修了証書の授与式、そして校庭で記念植樹をした。植樹したのはノトキリシマツツジ。能登の固有種で5月のゴールデンウイークには真紅の花びらをつける。ノトキリシマツツジは長寿木で現存するのは350年ほど。6本植え、傍らに11人全員の氏名を記したプレやート(プラスチック)をかけた。

  ツアーの期間中、祭りの季節に素顔の能登を見ていただいた。地域の人々との対話、郷土料理、土地の歴史や自然といったものがすべて学びの対象となり観光資源となるものだ。能登にはそんな観光資源がふんだんにある。ただ、それをどう手際よく提供することができるか。感動や発見は案外、タイミングかもしれない。小手先のサプライズや演出はシニアの人たちには通用しない。

 ⇒24日(水)夜・金沢の天気    はれ

★能登の旋風(かぜ)-3-

★能登の旋風(かぜ)-3-

  奥能登の農家には「あえのこと」という田の神を迎える年中行事がある。稲の生育と豊作を願い、田の神をまつる農家の儀礼で、毎年12月と2月に行われる。儀礼は家の主人が中心となり、家内に迎え入れ、風呂や食事でもてなす。いまではわずかな農家でしか伝承されておらず、国の重要無形民俗文化財でもある。この儀礼の特徴は田の神があたかも実在するかのように振る舞う主人の仕草にある。

       ホスピタリティの「大学」

  というのも、田の神は目が不自由とされ、迎え入れる主人は想像力をたくましくしながら、「田の神さま、廊下の段差がありますのでお気をつけください」「料理は向かって左がお頭つきのタイでございます」などとリテールにこだわった丁寧な案内と説明をすることになる。これはある意味で高度なホスピタリティ(もてなし)である。招き入れる家の構造、料理の内容はその家によって異なり、自ら目が不自由だと仮定して、どのように案内すれば田の神が転ばずに済むか、居心地がよいか(満足か)とイマジネーションを膨らませトレーニングする。これがホスピタリティ(もてなし)の原点となる。万人に通用するように工夫された外食産業の店員対応マニュアルとは対極にある。

  文化庁は7月30日、能登の「あえのこと」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)が来年から作成する無形文化遺産のリストに、日本からは第一弾として登録を提案すると発表した。日本から登録を目指すのは、能楽や人形浄瑠璃文楽、歌舞伎と合わせ17件。後世に伝えるべき文化財として国際的に知名度が高まれば、観光面などへの波及効果は大きい。ちなみに「あえ」とは「餐」の字を当てる。

  能登にはヨバレという風習がある。夏祭り、秋祭りが集落単位で行われ、神輿(みこし)や山車(だし)、キリコ(奉灯)が繰り出してにぎやか。自宅に親戚、友人、知人を招き入れる。招かれることをヨバレという。その家の祭り料理をヨバレゴッツォという。酒も入る。家族全員がホスト役となった、年に一度の盛大なホームパーティーである。ヨバレた側は今度、自らの集落のお祭りの際には呼んでくれた人を招くことになる。招き、招かれる。この祭りを通じて能登の人たちは幼いころからホスト、ゲストの振る舞いの所作を身に着けることになる。3歳の子供が客人に座布団を出し、中学生ならば熱燗の加減が分るといったふうにである。

  能登エコ・スタジアム2008では、能登の祭りをテーマに「キリコ祭りフォーラム」(9月16日・珠洲市)を開催した。フォーラムのオプションとしてヨバレ体験をした。民家の座敷に上げてもらい、赤ご膳でもてなしを受けた。ここで感じたことだが、もてなしを受ける側(ゲスト)ともてなす側(ホスト)とでは同じ座敷でも見える風景が異なるものだ。ただ、2つの立場を理解することは人の素養としては必要なことだ。

  日本の温泉観光は「ホスピタリティ産業」とも呼ばれる。中でも、能登の和倉温泉の加賀屋は「プロが選ぶ日本のホテル旅館百選」(主催:旅行新聞新社)で28年連続日本一に選ばれた名旅館だ。加賀屋だけではない。一客一亭でもてなす、レベルの高い旅館や民宿も能登には数多くある。加賀屋の小田禎彦会長から聞いた話(7月11日)だ。「能登は人をもてなす人材の宝庫です」と。

  祭りでもてなしを受ける側(ゲスト)ともてなす側(ホスト)を小さいころから体験し、トレーニングを積んでいる。つまり、意識をしなくても能登の人たちはホスピタリティの高度な実践教育を受けている。これをプロ人材として生かしているのが和倉温泉でもある。その権化(オーソリティ)が加賀屋ということになる。まさに能登は「ホスピタリティの大学」なのだ。しかも、小中高と一貫の。その原点は、目の不自由な田の神をもてなす「あえのこと」だと考えている。さしずめ建学の精神といったところか。(※写真:能登エコ・スタジアム2008「祭りヨバレ体験」=9月16日、珠洲市)

 ⇒22日(月)夜・神戸の天気  くもり

☆能登の旋風(かぜ)-2-

☆能登の旋風(かぜ)-2-

  おそらく今回のイベントで一番のVIPとも言える生物多様性条約事務局のアハメド・ジョグラフ事務局長が9月16から1泊2日で能登を訪問した。2010年の国際生物多様性年の「仕掛け人」である。この年、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10、名古屋市)が開催される。その関連会議を石川県に誘致するために、金沢大学、石川県、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(金沢市)などが条約事務局に働きかけている。

      カメラを構えたジョグラフ氏

  実は今回のイベント「能登エコ・スタジアム2008」もその関連会議のシュミレーションとしての意味合いで金沢セッション、能登エクスカーションが構成された。ジョグラフ氏の能登訪問は2010年の能登エクスカーションの「下見」との意義付けもある。もし、ジョグラフ氏がここで「能登で見るべきもの、学ぶべきものはない」と感じれば、2010年の能登エクスカーションは沙汰やみになる。迎えるスタッフもプラン段階から気を遣った。では、ジョグラフ氏の反応はどうだったのか。

  まずジョグラフ氏のコースを紹介しよう。15日午後に金沢入りし、16日午後から能登訪問。キノコ山の保全活動などをツーリズムにしている「春蘭の里」(能登町)を訪ねた。その後、輪島の千枚田を経由して17時には金沢大学「能登学舎」(珠洲市)に到着。この時点で能登を150㌔走行し、疲労の様子もうかがえた。しかし、ジョグラフ氏が初めて自らのカメラを構えたのは能登学舎の近くにあるビオトープでのこと。広々とした水田地帯の山側に接した休耕田を生物の生息環境に配慮した湿地にしてある。ジョグラフ氏の目がくりくりと動いたのは、案内人のK氏が説明したとき。K氏は地元の小学校の校長で、ビオトープで育む生き物について熱心に教えている。「このビオトープは学校の教育の一環で子供たちが利用している」と説明した。ジョグラフ氏も環境問題を子供たちの教育に生かすことに力を注いでいて、途上国の小学校に木を植える運動を進めている。「グリーン・ウエーブ」運動と呼んで、日本でもその輪は広がりつつある。ジョグラフ氏とK氏、互いに共感するところがあったようだ。

  17日は、海の生き物を調査している「のと海洋ふれあいセンター」(能登町)で足を止めた。次に、輪島市の山中にある金蔵を訪れた。日本の里山の原風景とも言える棚田がなだらかに広がる。限界集落とも呼ばれる高齢化した地域。それでも人々は律儀に田を耕し、その収穫時に稲はざを立てる。ジョグラフ氏は「日本の里山の精神がここに生きている」と感想を述べた。

  私は部分的にしか同行できなかったが、「夢にも描けなかった光景が現実となった」との思いを抱いた。水稲栽培では一枚の田の面積が小さく生産性は低い。機械化の効率が悪い分、手がかかる。ため池の管理にも骨が折れる。それでも祖先から受け継いだ農地を「もったいない」と人々は律儀に耕してきた。結果、里山環境は保たれ多種多様な生き物が生息する環境になっている。その里山の人々をジョグラフ氏が評価してくれたのである。

 里山で大切なことは、情緒的な側面も大切なのだが、新たな価値評価を与えて、求心力をつけることだと考える。SATOYAMAはすでに生態学の研究者の間では国際的な認知を受けつつあり、国連大学高等研究所が中心となって研究を進める「里山里海サブ・グローバルアセスメント」も具体的に動き始めている。こうした研究が科学的な裏づけをもって、世界に情報発信できれば、日本人が見る里山の風景もまた一変する。里山の国際評価が加速する。そんな旋風(かぜ)をジョグラフ氏の訪問で感じた。(写真:珠洲市粟津のビオトープでカメラを構えるジョグラフ氏)

 ⇒21日(日)夜・神戸の天気   くもり

★能登の旋風(かぜ)-1-

★能登の旋風(かぜ)-1-

 いま能登には旋風(かぜ)が吹いている。金沢大学が国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(金沢市)、石川県などと連携してつくる「里山里海国際交流フォーラム開催委員会」(委員長・中村信一金沢大学学長)は9月13日から4日間にわたって「能登エコ・スタジアム2008」を実施した。その運営メンバーとしてこの数ヶ月かかわったが、その実感が冒頭の言葉だ。

 まず、「能登エコ・スタジアム2008」の概要を説明しよう。金沢大学などが企画し,地域自治体と連携して開催した初めての大型イベント。4日間で3つのシンポジウム、6つのイベント、1つのツアーを実施した。生物多様性などの環境問題を理解するとともに、海や山を活用した地域振興策を探ろうという内容。13日に開催したキックオフシポジウム「里山里海から地球へ」=写真=には市民ら280人が参加し、国連大学の武内和彦副学長(東京大学教授)や生物多様性ASEANセンターのG.W.ロザリアストコ部長、女子美術大学の北川フラム教授が講演した。

 14日からは能登半島に場所を移動。6カ所で「能登エクスカーション」を開催し、延べ500人余りの参加があった。「里山里海国際交流フォーラム開催委員会」は来年以降も継続し,2010年の国際生物多様性年に開催される生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で予定される関連会議の石川県開催を支援していく。

 「なぜ能登に」とよく言われる。答えは一つ。「能登が熱くならないと、石川、北陸全体が活気づかない」と。過疎化、少子高齢化の能登半島、特に奥能登(輪島、珠洲、穴水、能登2市2町)は10年以内に人口は20%減少する。海と山、歴史があり、そしてよき人がいるのに人が減る。ある意味で、ここは日本、あるいは東アジアで起きている「地域の過疎化現象」のモデルでもある。逆に、この能登に「再生モデル」を創造できないか、そんな思いで「能登エコ・スタジアム」に参画した。

⇒20日(土)朝・金沢の天気   はれ

★能登エコ・スタジアムの風窓2

★能登エコ・スタジアムの風窓2

  里山里海国際交流フォーラム開催事務局の若いスタッフは、能登エコ・スタジアム2008のことを略称して「能登エコ」あるいは「エコスタ」と呼んでいる。エコスタの方がテンポがよいので、個人的には「エコスタはね…」と言ったりしている。前回も述べたが、パンフレットの前文に開催趣旨を書いた。

      「里山知事」の意気込み

  ~里山里海(さとやまさとうみ)という言葉が最近よく使われるようになってきました。日本ではちょっと郊外に足を運べば里山があり里海が広がります。実はそこは多様な生物を育む生態系(エコシステム)であるとことを、私たち日本人は忘れてしまっていたようです。二酸化炭素の吸収、生物多様性、持続可能な社会など、環境を考えるさまざまなキーワードが里山里海に潜んでいます。「能登エコ・スタジアム2008」ではこれらのキーワードを探す旅をします。それを発見したとき、あなたが見える里山里海の風景は一変するはずです。~

 この文を書いていたとき、実は念頭に石川県の谷本正憲知事のことがあった。失礼な言い方になるかもしれないが、谷本氏はことし春ごろまで、それほど里山や里海といった言葉に深い造詣を抱いてはおられなかったと思う。ところが、この4月に金沢で設置された国連大学の研究所(いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット)が里山里海を研究テーマにしていること、さらにドイツでの環境視察(5月22日-29日)、その視察の最中で生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の関連会議でスピーチをきっかけとして猛勉強され、いまではおそらく「里山知事」を自認するまでになった。そして、環境への取り組みとして、里山里海をテーマに行政施策に反映させてもいる。谷本知事には里山里海の風景がこれまでとまったく違って見えているのだ。

  たとえば、谷本知事は国連大学高等研究所のG.Hザクリ所長やユニットのあん・まくどなるど所長(カナダ人)と何度か意見を交わしている。この中で国連大学高等研究所側が地域密着型研究所を金沢に設置した理由について、以下のような主旨を繰り返し述べている(4月18日・ユニット開所式ならびにその後の知事を囲む昼食会と講演会の話を要訳)。

  能登半島には自然と人々が共生する知恵がある。たとえば、雨を山中に溜めて稲作に使う「ため池農業」は水資源を有効に活用するウォーターハーベスティングの技術である。定置網のブリ漁法は網を海に固定し、大きくした網目で小さい魚を逃し、成長したブリを捕る。その意味で収奪型ではない「持続可能な漁業」。揚げ浜塩田の塩づくりは地域の木質バイオマスを使った高度な技術。化石燃料に頼らず、環境に負荷をかけない生業(なりわい)が能登半島にはまるで見本市にように存在する。国連大学が能登、北陸に目線を向けて研究所を設置したのは、こうした自然と共存する「持続可能な生業」を科学的に評価し、能登モデルとして世界に発信していくことだ。人類が後世に生命を繋いでいく一つの英知になるかもしれない。そんなミッション(使命)がある、と。そんな使命感に燃えた国連大学高等研究所側の説明は谷本知事の心を揺さぶったに違いない。

  能登エコ・スタジアム2008は主に金沢大学と石川県などが主催して開く。先月の7月7日、谷本知事を県庁に訪ね、能登エコ・スタジアムの概要を説明した。固まっていない企画があり、さらりと進捗(しんちょく)状況だけを報告して辞するつもりだった。ところが、知事は企画書をじっと見つめていた。そしてひと言。「キックオフシンポジウムだけど、県民・市民に里山里海の重要性をアピールするために、人がもっと集りやすい金沢市内で開催したらどうかね。これだと学内の催しにすぎない」。当時の企画書では、9月13日のキックオフシンポジウムは金沢大学の講義室で開催する予定だった。ふいを衝かれた。というより、こちらが意気込みに圧倒されたといった方が正確かもしれない。その後、スタッフで論議を重ねキックオフシンポジウムは大幅に企画変更。知事のひと言は「鶴の一声」になった。

 ※写真は、生物多様性国際条約のジョグラフ事務局長(左から2人目)を訪ね、2010年のCOP10での関連会議について要請する谷本石川県知事(左から3人目)と中村浩二金沢大学教授(左)、あん・まくどなるど国連大学高等研究所ユニット所長=5月24日、ドイツ・ボンのCOP9会場で

 ⇒10日(日)朝・金沢の天気   くもり

☆能登エコ・スタジアムの風窓1

☆能登エコ・スタジアムの風窓1

 「自在コラム」の内容に環境に関することが増えた。これまでは論評だったが、ついに自らの手で環境イベントを行なうことになった。それが、里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」。 9月13日から15日(16日にオプション)にかけて、能登半島で環境に関するイベントを行なうのだが、ひと言では説明しにくい。そこで、パンフレットに書いた前文を引用してみる。

       里山里海を実感する旅

  ~里山里海(さとやまさとうみ)という言葉が最近よく使われるようになってきました。日本ではちょっと郊外に足を運べば里山があり里海が広がります。実はそこは多様な生物を育む生態系(エコシステム)であるとことを、私たち日本人は忘れてしまっていたようです。二酸化炭素の吸収、生物多様性、持続可能な社会など、環境を考えるさまざまなキーワードが里山里海に潜んでいます。「能登エコ・スタジアム2008」ではこれらのキーワードを探す旅をします。それを発見したとき、あなたが見える里山里海の風景は一変するはずです。~

  では、何をするのかというと、メインの行事は14日と15日に実施する環境に関するイベント。どれも、近くのお寺や民宿、廃校を再利用した宿泊施設で一泊して行なうので、参加実費はリーズナブル。14日朝、JR金沢駅からバスが出て、15日夕方にバスで金沢駅に帰る。バス代は無料。どちらかというと家族旅行、グループ旅行、あるいは社員旅行に適しているのでは、と思っている。それでは厳選の5コースを。

 ●Aコース「能登バイオエコツーリズム」
 能登地域はバイオマス基地へと発展する可能性を秘めている。そこでこのセッションでは、バイオマス燃料の調達・製造から、エコストーブによる燃焼、そして試作品ストーブを使ってのエコクッキングまでを体験する。体験を通じてバイオマス利用のあり方について考える。つまり、ペレット製造から、それを使って、エコクッキングの体験をするというシナリオ。(参加実費1泊4食:1人9600円)

 ●Bコース「キノコ山を利用した里山保全」
 能登町「春蘭の里」は里山を活用した体験観光を推進しており、その目玉に「きのこ狩り」がある。地域で山林を管理することが新たな観光資源を生み、里山を維持されていく。このコースでは春蘭の里の活動を通して「キノコ山を活用した里山保全」の可能性を探る。里山の保全活動が体験できる。廃校を利用した宿泊施設「こぶし」は、いつでも汗を流せるように深夜電力を使用した「24時間風呂」が売り。(参加実費1泊4食:1人7200円)

●Cコース「金蔵里山コミュニティ交流」
 輪島市山中、五ヶ寺のたたずまいと棚田の景観が美しい金蔵集落をめぐり、棚田の仕組みや地域文化の保全・活用の取り組みを住民のガイドのもと学ぶ。また金蔵集落や農山村地域の将来像を多角的に展望する。日本の里山の原風景が広がる金蔵集落に一つの持続可能社会のヒントが秘められている。稲はざ、里山、そして、くっきりと広い星空が楽しめる。(参加実費1泊4食:1人6300円)

 ●Dコース「能登の里海エクスカーション」
 三方を海に囲まれた能登半島、入口にあたる口能登では砂丘海岸が続き、奥能登に移ると断崖絶壁の外浦海岸、風光明媚な内浦海岸と風景は変化に富む。そして、人によって開かれた里も歴史、文化を異にする。能登の海岸を巡りながら「里海」をテーマに能登を理解する凝縮の2日間。見所は能登の塩づくり。実はそれが縄文時代から始まっていたということがこのコースは明らかになり、それが能登のルーツと重なることに気づく。塩づくりと能登の歴史を探る旅。(参加実費1泊4食:1人9300円)

 ●Eコース「環境教育指導者養成講座」
 別名、「プロジェクト・ワイルド、エデュケーター認定講習会」。人間と環境との関わり合いや生物多様性、生態系の仕組みを体験的に学べる環境教育プログラム「プロジェクト・ワイルド(PW)」。さまざまな教育現場ですぐ活用できるPWの指導者を養成する。自然体験プログラムとして、夜の星空観察会、能登ワイナリーでの農業体験も行う。参加資格18歳以上。「四季の丘」という廃校を利用した宿泊施設で自炊型の合宿を行なう。もちろん、養成講座なので修了すると認定書(履歴書記載が可能)がもらえる。夜はバーベキュー。翌朝は穴水のワーナリーでワインづくり体験。(参加実費1泊4食とPWテキスト代:1人12000円)

  さらに詳しく知りたい方はこちらへ

 ⇒9日(土)夜・金沢の天気   はれ

★ダウンバーストの不気味

★ダウンバーストの不気味

 時代が動くとき、あるいは世の中の潮目が変わるとき、これまで聞いたことがないような言葉が飛び交ったり、新しい言葉が続々と生み出されたりする。この意味で「言葉は時代のセンサー」と考えている。先日の「異常気象」でも実感した。「ダウンバースト」「ガストフロント」がそれだ。

 先月(7月)28日に金沢市を襲った豪雨は午前5時から8時までの3時間で254㍉だった。報道によると、県が「百年に一度」と想定している規模の雨量は2日間で260㍉なので、まさに「想定外」の降りだった。金沢市災害対策本部が2万世帯5万人に避難指示をした。27日から日本海から北陸地方にかけて東西に前線が停滞し、28日に南からの暖かい湿った空気が流れ込んできた。このため、大気が不安定となり、雲が急速に発達し、短時間で激しい雨をもたらしたというの金沢地方気象台の見解だ。

 大雨の前日の27日、「ダウンバースト」という現象が起きた。航空自衛隊がある石川県小松市。午後3時半ごろ、突風が吹き荒れた。航空自衛隊小松基地が観測した最大風速は35㍍で、「強い台風」の分類だ。このため、神社の高さ4㍍の灯ろうが倒れたり、電柱が倒壊したり、民家70棟の窓ガラスが割れるなど被害が及んだ。このとき、小松基地が発表するのに使った言葉が「ダウンバースト」だった。積乱雲から急激に吹き降ろす下降気流、これがダウンバーストの意味。

 さらに「ガストフロント」は同じく27日、福井県敦賀市や滋賀県彦根市で起きた。午後1時ごろ、最大瞬間風速21㍍余り。敦賀では「西の空が急に暗くなって雨が強くなって、突風がきた」。このため、イベントの大型テントが横倒しになった。福井地方気象台では突風の原因を「ガストフロント」と説明した。非常に発達した積乱雲が成熟期から衰退期かけて発生する雨と風の現象。小型の寒冷前線のようなものでその線に沿って突風が吹く。つまり、北陸に前線が停滞し積乱雲が発生、ガストフロント現象が起き、その前線となった金沢では豪雨が、小松、敦賀、彦根では風速21㍍から35㍍のダウンバーストが発生した、とも言えそうだ。

 夏の嵐はこれまでもあった。ただ「想定外」の規模でやってくるところに、何か「気候変動」のようなものを感じる。ことし5月に訪れたドイツ。シュバルツバルトの森が季節はずれの大嵐で1万㌶もの森がなぎ倒されてた。いまだに残るその爪痕を目の当たりにした。そして、今回、金沢で尋常でない豪雨を経験し、実感が伴った。

 金沢で講演(08年6月7日)した地球環境学者のレスター・ブラウンは近著「プランB3.0」でこう述べている。「温暖化がもたらす脅威は何も海面の上昇だけではない。海面温度が上昇すれば、より多くのエネルギーが大気中に広がり、暴風雨の破壊力が増すことになる。破壊力を増した強力な暴風雨と海面の上昇が組み合わされば、大災害につながる恐れがある」

 豪雨、突風…。有り余る大気中のエネルギーの発散現象なのか。

⇒2日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆続・地球世直し水戸黄門

☆続・地球世直し水戸黄門

 「地球世直し水戸黄門」、レスター・ブラウン氏にはそんな言葉がふさわしいかもしれない。レスター氏の講演(6月7日・金沢市)で印象に残るフレーズをノートからいくつかピックアップしたい。

  国連世界食糧計画(WFP)と国連食糧農業機関(FAO)は毎年、緊急の食料援助を必要とする国をリストアップしている。2007年5月にリストアップされたのは33カ国。このうち17カ国は内戦と紛争で、食料援助しようにも、その活動が阻まれるところ多い。つまり、援助部隊が襲撃されることもある。そんな国は間違いなく破綻に向かう。

  レスター氏は講演で「これら破綻に向かっている国の中にパキスタンがある」と力を込めたのか。パキスタンは核保有国だからだ。仮に、暴動が蔓延し、無政府状態になった場合、誰がその核兵器を管理するのか、とレスター氏は問題を投げかけたのである。一国のフード・セキュリティーを超えて、アジアの安全保障の問題になりかねない。

  この講演が気になって、レスター氏の近著「プランB 3.0」(ワールドウオッチジャパン)を読み込むと、「平和基金とカーネギー国際平和財団は『”破綻国家”は世界政治の脇役から、まさに主役になった』と指摘している」と記されている。かつての国際政治は核軍縮であったり、デタント(政治的な緊張緩和)がキーワードだった。それが、破綻国家が国際政治の主役に躍り出たとういことだろう。その典型的な例がパキスタンなのである。

  国際政治はイデオロギーや資源戦争、国境紛争を民族紛争、宗教戦争のレベルを超えて、気候変動による食糧不足、食糧高騰、内戦、政情不安、そして破綻国家という図式でもはや国際政治の主流になった。

  ところで、きょう(28日)早朝から金沢はバケツの底が抜けたような大雨に見舞われた。金沢市や白山市付近では1時間に120㍉を超える激しい雨となった。市内を流れる浅野川は数カ所で氾濫し、竹久夢二ゆかりの湯涌(ゆわく)温泉の旅館街でも土砂崩れた起きた。そして、午前8時50分に浅野川流域の2万世帯余りに、市から避難指示が出された。このゲリラ雨はひょっとして気候変動のせいか。

 ⇒28日(月)朝・金沢の天気   雨

★地球世直し水戸黄門

★地球世直し水戸黄門

 6月7日に環境学者のレスター・R・ブラウン氏を招いて、「2008環境フォーラムin金沢」を開催した。510人の方々が、「地球温暖化と人類文明の危機」をテーマにしたレスター氏の講演に耳を傾けた。

 その講演会でのこぼれ話。レスター氏はペットボトルの水を嫌がった。水をわざわざペットボトルに入れなくても、水差しでよい、石油を原材料にする経済の仕組みはもう転換すべきだとはレスター氏の主張だ。そして講演20分前には瞑想に入り、スニーカーで登壇した。

  金沢の前は上智大学、その前は中国、金沢の翌日はソウルと世界を駆け回って、地球温暖化問題を訴え続けている。その情報は新しく、数字も正確。その講演の一部始終を聴いたある友人の感想は、「レスター・ブラウンは現代の『地球世直し水戸黄門』といった雰囲気があるね」と。

  このフォーラムの模様はきょう(21日)午後4時からCS放送「朝日ニュ-スター」で放送される。番組タイトルは「地球温暖化と人類文明の危機~レスター・ブランの警鐘~」(90分)。

⇒21日(祝)午前・金沢の天気  はれ

☆暑気払い、ショートな話題

☆暑気払い、ショートな話題

 ガソリン高騰、連日30度を超える猛暑、うだる暑さ。こんなときにこと、軽いタッチでブログを書いてみよう。題して「暑気払いブログ」を…。
 
         ベートーベンと能登通い
 
 この「自在コラム」でも何度か取り上げたベートーベンの話を再度。昨年10月から、金沢大学が運営する「能登里山マイスター」養成プログラムに携わっていて、能登通いが続いている。車で大学から片道2時間30分(休憩込み)をみている。何しろ能登学舎があるのは能登半島の先端、距離にしてざっと160㌔にもなる。早朝もあれば、深夜もある。体調がすぐれないときや、疲れたときもある。運転にはリスクがつきまとう。同乗者がいればまだよいが、怖いのは一人での運転である。眠気が襲う。

  この眠気対策に、イヤホンをしてベートーベンを聴いている。この話を同僚にすると、「えっ、クラシック。逆に眠くならない」と言われる始末。ところが、私の場合は「特異体質」なのか覚醒する。交響曲の3番、5番、6番、7番、8番などはドーパミンがシャワーのように降り注いでくるのを実感できる。さらに都合がよいのは、演奏時間が3番47分、5番30分、6番35分、7番33分、8番26分、しめて171分だ。すると、能登の片道2時間半にはお釣りがくるくらいに楽しめるというわけ。こんな調子だから、能登通いは苦痛どころか楽しい。バスだとさらに山並み田園の景色が楽しめる。

  話は横道にそれる。5月にドイツを訪れたとき、オーバタールのホテルで前田幸康氏とあいさつをさせていただく機会に恵まれた。前田氏は加賀藩前田家の末裔の方で、ドイツのフライブルク弦楽四重奏団のチェリストである。帰国して、お礼のメールを差し上げた。その折、一つだけ質問を試みた。「前田さんは、ベートーベンのシンフォニーの中で一番のお気に入りはなんでしょうか」と。演奏者はベートーベンと一番近い存在であり、ぶしつけな質問を承知だった。後日、丁寧なメールをいただいた。

  「交響曲の中で何がというご質問であれば、6番の田園と申し上げましょう。自然描写の素晴らしさ、その裏付けが出来たのが1974年に私自身このハイリゲンシュタットというベートーヴェンの散歩道を歩いた時でした。(ウイーン郊外)まさにのどかな丘陵地帯、緑が多く当時ではブドウ畑につながり、鳥のさえずり、若い私は田園風景とその描写に、『なるほど』と感激をいたしました。これこそ作曲家の技術と感性の相互作品と思いました。」

  追想する風景にその感性が潜み、それを見事に描き切っているのは田園である、と。短文ながらも、前田氏の的確な表現である。

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