☆沖縄の風~下~
滞在しているホテルは恩納村の山懐にある。沖縄本島の中ほど、地形的には随分とくびれたところにあり、ここから見渡す海は名護湾、そして東シナ海、背にした山のすぐ向こうは辺野古(へのこ)崎、そして太平洋が広がる。いま日本の政治が揺れているのはまさにこのスポットをめぐってである。
辺野古から吹く「民意の風」
きょう午後、辺野古を訪れた。現地では普天間飛行場の代替施設の建設に反対する住民の座り込み行動「辺野古テント村」=写真=がきょうで2206日目となった。テントの中には5、6人が海を見つめながら話し合ったりしていた。記者と間違えられたのか、「どこの新聞社なの」と向こうから尋ねられた。ニュースの現場を見に金沢からやってきた旨を告げると、代替施設の建設計画地などを説明してくれた。人魚のモデルとして知られるジュゴンが生息するという辺野古の海は透き通った緑の海だ。砂浜を挟んだ陸地には在日米軍海兵隊の基地「キャンプ・シュワブ」が広がる。
2004年8月13日、アメリカ軍普天間基地の大型輸送ヘリコプターが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学(宜野湾市)の建物に接触し、墜落、炎上した。乗員3人は負傷したが、夏休みということもあり、学生や職員など民間人に負傷者は出なかった。原因は、整備不良によるボルトの脱落とされた。沖縄の住宅地にアメリカ軍のヘリコプターが墜落したのは1972年の復帰後初めてのこと。昼夜の低空飛行で「もしかしたら」と沖縄県民が恐れていたことが現実になった。
アメリカによる冷戦後の軍配置の見直しの機運があったことに加え、この墜落事故をきっかけに、日米両政府による在日米軍再編協議が進み、2006年5月1日に正式に合意された。沖縄に関しては、沖縄に駐留する海兵隊司令部と隊員・家族1万7000人のグアムへの移転、沖縄本島中南部にある5基地の全面返還、1基地の部分返還が盛り込まれた。その前提条件が、V字形に2本の滑走路を備えた普天間飛行場の代替施設をつくることだった。そのロードマップ(工程表)として、2014年までに名護市辺野古沿岸(キャンプ・シュワブ側)に代替施設を建設するという方針が自民党から示された。
その後、自民党から民主党へと政権交代があり、さらに代替施設受け入れを容認してきた名護市の現職市長が、代替施設受け入れ反対・県外移転を主張する新人候補に破れた(2010年1月24日)。
鳩山総理はあす4日、総理就任後、初めて沖縄の地を踏む。そして、仲井真弘多県知事と話し合いをする。沖縄の地元メディアは今の政府に疑心暗鬼の論調だ。訓練の一部を鹿児島県徳之島などに分散することで、沖縄の負担を減らすが、最終的に辺野古沿岸への移設する自民党政権時代の「現行案」の受け入れを県民に求めにやってくるのは許さない、と。現地では「県外・国外を軸に修正を図れ」と日増しに論調を強めている。
普天間と辺野古。この二つの場所は、沖縄本島の人たちが中頭(なかがみ)と言う島の真ん中あたりのことで、実に近い。直線距離にして40㌔足らずではないだろうか。沖縄の人の感覚だと、ちょっと北に移動するだけで、現状は変わらない。鳩山総理もテント村を訪れ、2206日も座り続けている住民の声を耳を傾けたらどうだろうか。
⇒3日(祝)午後・沖縄県那覇市の天気 はれ
沖縄の海の文化が紹介されているというので、本部(もとぶ)町の海洋博公園を半日ゆっくり回った。興味を引いたのが「沖縄美ら海水族館」で特別展「海の危険生物展」だった。中でも危険な静物して紹介されているのがハブクラゲ。初めて聞くおどろおどろしい名前の生き物だ。なにしろ、ハブと聞いただけで危険と直感するのに、それにクラゲがついている。写真のようにいかにもグロテスクだ。何が危険かというと、水深50㌢ほどの浅瀬にいて、カサの部分が半透明なため、接近されてもよく見えない。それでいて、触手は150㌢にもスッと伸び、刺胞(毒針が毒液が入ったカプセル)を差し出す。これ触れると毒針が飛び出し、毒を注入される。姿が見えない、それでいて超越した戦闘能力を持つ、まるでSF映画『プレデター』に出てくる異星人なのだ。
話はがらりと変わる。海洋博公園に屋台の店が出ていた。なにげなくのぞくと除くと「ヤギ汁」と手書きの看板が出ていた。きょうのバス・ツアーのガイド嬢の説明によると、沖縄ではヤギ(山羊)料理をヒージャーグスイ(山羊薬)と呼ぶほどの名物だという。新築とか出産のお祝いのときに、ファミリーが集まって食する。料理は「山羊刺し」が一般的で、ショウガとニンニクを乗せて、しょう油で食べるそうだ。ただ、「ヤギ汁」はウチナンチュ(沖縄の人)でも、その匂いで苦手な人も多いとか。ガイド嬢は「沖縄に来たら一度はチャレンジしてくださいね」と言っていた。そのヤギ汁が目の前にある。挑戦すべきか否か…。値段は「ヤギ汁(小)」が500円、「ヤギ汁(大)」は1000円もする。そこで、ささやかに挑戦することに意を決し、小盛を注文した。ヨモギの葉入り、ショウガ味で臭みが思ったほど感じられなかった。が、肉が弾力的で歯ごたえがある。ギュッと噛む。野ウサギの肉も、クマ肉、野鳥の肉も食したことがあるが、これら「けもの臭い」ジビエとは違った食感だ。薬だと思えば、気にするほどではない。
空港では恩納村のホテルまで送ってくれるタクシーを手配してあったで、空港では迎えが待っていた。せっかくだからと思い、高速道路「沖縄自動車道」を走ってもらい、オプションで名護市の「パイナップルパーク」と「ブセナ海中公園」に立ち寄ってもらった。現地までは60分ほどの時間があったので、タクシーの運転手と話が弾んだ。54歳だという運転手は子どもが4人、孫がすでに7人いる。「沖縄には大きな企業がなくて、息子のうち2人は本土(東京と山口)で会社員をしている」「企業といえば、オリオンビールぐらいかね」と。高速道路から見える家並のほとんどが2階建て、あるいは3階建てのコンクリート造り。守り神として有名なシーサーが乗る赤い瓦の屋根は少ない。「沖縄は台風が強くてね、かつて私の家は茅葺屋根だったんだけれども、吹き飛ばされることもあって、台風のたびに親戚の家に避難したものでしたよ。いまは瓦屋根の家でさえ、立て替えてコンクートの家にするのが当たり前ですよ」
夜、能登の農山漁村。玄関の明かりは消えているが、奥の居間でテレビ画面だけがホタルの光りように揺らいでいる家々がある。高齢者の節約は徹底していて、家の明かりをすべて消してテレビだけをつけている。お年寄りにとってテレビは単に寂しさを紛らわせるためだけの存在ではない。喜怒哀楽を織り交ぜながら情報を与えてくれる友なのだ。総務省が2009年度にアナログ停波のリハーサル事業を予算計上しているとの情報を得て、同市は真っ先に手を挙げた。現在、45歳の市長は「2011年7月24日の地デジ完全移行になってお年寄りが困らないように、早めに準備しておきたいという気持ちだった」と言う。
1970年1月、能登半島では「能里(のり)」の愛称で呼ばれていたオスが繁殖のため、この地で捕獲された。その後、人工繁殖のため佐渡トキ保護センターに移送された。能里は翌年死んで、本州のトキは絶滅する。当地の人たちにすれば、トキの姿を目にしたのは実に40年ぶりということになる。
政権交代で、「地域主権」という言葉がクローズアップしてきた。前政権では「地方分権」という言葉だった。分権という言葉は「分け与える」というお上が権限を払下げるというイメージがあり、現政権では「地域のことは地域で」というという意味合いなのだろう。言葉遊びのような感じもするが、それはどうでもよい。中央政府が「分権だ」「地域主権だ」と言いながら、これほど有権者レベルで上がらない議論もない。なぜか。それはすでに国のミクロなレベルではすでに「自分たちでやっている」という意識があるからだ。つまり、この論議というのは、中央政府と県や市町村との間の権限をめぐる駆け引きの話である。一方で、すでに地域では自治会や町内会で自主的に暮らしにかかわるさまざまな議論をしている。その論議は、「行政に頼ろう」や「国に頼ろう」という論議ではない。いかにしてこの地域をよくしていくか、コミュニケ-ションを絶やさず、お互いを気遣って、どうともに生きていくかの論議である。そんな論議や現場の話し合いの姿をいくつも見てきた。
黄砂研究の第一人者といえば、金沢大学フロンティアサイエンス機構の岩坂泰信特任教授だ。シンポジウムの開催のお手伝いをさせていただく傍ら、岩坂氏の講演に耳を傾けていると、いろいろな気づきがある。印象に残る言葉は「能登半島は東アジアの環境センサーじゃないのかな」である。黄砂と能登半島を考えてみたい。
帯の上空で亜硫酸ガスが付着すると考えられる。日本海の上空では、海からの水蒸気が黄砂の表面に取り付き、汚染物質の吸着を容易にしているのではないかと推測される。
池の水面に映える。兼六園の心象風景は季節ごとに異なるのだ。
桜が晩春を締めくくる。桜にも役どころというものがある。
アメリカ東部を覆った強い寒気。ワシントンでは吹雪が止まず、バスや鉄道はほぼすべてが運行停止になった(18日)。ワシントンに隣接するバージニア州では、積雪最大56㌢が予想されたことから、非常事態宣言が出された。ヨーロッパ各地では、寒さの影響でヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ高速鉄道「ユーロスター」の4つの便がトンネル内で相次いで故障して立ち往生し、2500人の乗客が一時閉じ込められた。氷点下のフランス側から比較的暖かいトンネルに入った時に生じた温度差が故障の原因らしい。
きのう(19日)、金沢大学と能美市が主催する「タウンミーティングin能美」が開催された。会場は同市辰口にある石川ハイテイク交流センターで、丘陵地にあり、積雪は30㌢ほどあった=写真=。それでも、参加登録者150人のうち、欠席はおよそ10人だった。これは歩留まりから考えて想定内の数字だ。つまり晴れていてもこの程度は欠席率があるものだ。タウンミーティングは、地域との対話を通じて連携を探るため、金沢大学が平成14年(2002)から石川県内で毎年連続して開催しており、今回で9回目。雪のタウンミーティングも始めての経験だった。