☆『里山復権』~中~
単行本『里山復権~能登からの発信~』(創森社)は、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の開催をめがけて出版された。そこには、条約事務局長アハメド・ジョグラフ氏と能登半島の関わりがあった。
ジョグラフ条約事務局長が見た能登の里山里海
2008年5月、ドイツのボンで開催された生物多様性条約第9回締約国会議のハイレベル会議でのことだ。この会議では、「日本の里山里海における生物多様性」をテーマに、生物多様性条約事務長のジョグラフ氏や国連大学高等研究所(UNU-IAS)のA.H.ザクリ所長(当時)のほか、環境省の審議官、石川県と愛知県の知事、名古屋市長らが顔をそろえ、生物多様性を保全するモデルとして里山について言及した。120席余りの会場は人であふれた。COP9全体とすると、遺伝子組み換え技術や、バイオ燃料が生物多様性に及ぼす負の影響を最低限に抑え込むことなどが争点だったが、<SATOYAMA>が国際会議の場で、新しいキーワードとして浮上した感があった。これは、次回COP10の開催国が日本に固まっていたことや、先立って開催されたG8環境大臣会合(神戸)で採択された「生物多様性のための行動の呼びかけ」で、日本が「里山(Satoyama)イニシアティブ」という概念を国際公約として掲げたというタイミングもあった。
このハイレベル会議でのジョグラフ事務局長の言葉が印象的だった。「人に魚の取り方を教えると取りすぎてしまう。けれども、里山(SATOYAMA)という概念はそれとはまったく異なる」と述べて、人と自然が共存する里山を守ることが、科学への偏った崇拝で失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守ることにつながると強調した。そのジョグラフ氏が能登半島を訪れたのは、COP9から4ヵ月後の2008年9月のことだった。金沢大学、石川県、能登の自治体が連携して開催した里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」の催しの一環で開催した1泊2日の里山里海の現地見学にジョグラフ氏の参加が実現したのである。
輪島の千枚田やキノコの山をスタッフが案内し、人々の生業(なりわい)や里山里海を保全する取り組みについて見聞きし、また、金沢大学が取り組む「能登里山マイスター」養成プログラムにも耳を傾けていただいた。そして、子供たちの環境教育のためにつくられたビオトープ(休耕田を活用)では、自らカメラを構えて撮影した=写真=。翌日は、早朝1時間半も一人で海岸を散策されたという。日程の最後に訪れた「にほんの里100選」の輪島市町野町金蔵(かなくら)地区では、ため池を使った田んぼづくりの見学や、民家を訪ねて人々の暮らしぶりを目の当たりにして、次のようなコメントを得た。
「(条約事務局がある)モントリオールで日本の里山里海について勉強してきたが、実際に里山里海を訪問し、本物に触れることができとても勉強になった。里山里海は、生き物と農業、そして人の輪が調和して成り立ち、そこには人の努力があることを実感した。生物多様性については、生き物を保護するだけではうまくいかず、人の暮らしと結びついた取り組みが必要であるが、里山里海はまさにそのモデルとなるものであり、このことを世界に向けて発信してほしい」
このコメントから分かるように、ジョグラフ氏にとって、能登は日本の里山里海をつぶさに見てまわる初めてのチャンスにだったに違いない。
ジョグラフ氏が能登を訪れた意味合いは大きく2つあったと考えられる。1つは、そこで見た里山里海は「生き物と農業、そして人の輪が調和して成り立つ」一つの社会モデルであった。それは何のモデルかというと、名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締約国会議で論議されることになる、「生物多様性の持続可能な利用」のモデルである。平たく言えば、環境保全と人間の社会経済活動(農業や漁業など)の両立を、どのように進めていけばよいのかというイメージをこの能登の視察からつかんだのではなかろうか。
2つ目は、ジョグラフ氏が「そこには人の努力があることを実感した」と述べたように、キノコ山を手入れする人々や、休耕田をビオトープとして学校教育に生かす教師たち、村内に5つある仏教寺院を長らく守ってきた金蔵地区(人口は160人余り)の人々の姿ではなかったか。金蔵では、「自然と人、農業、文化、宗教が共生していることに感動した」ともジョグラフ氏は述べている。里山里海に生きる人々のモチベーションの高さを見て取ったに違いない。COP9のハイレベル会議でジョグラフ氏が強調した、失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守る人々の姿を実際に能登で見たのである。
生物多様性条約事務局長として、COP10を取り仕切ることになるジョグラフ氏はこの能登視察で里山(SATOYAMA)の有り様、そして里山と里海とのつながりを心に深く刻んだに違い。その後、ジョグラフ氏はコウノトリ野生復帰計画を支援する兵庫県豊岡市における農業と環境の取り組みについても視察(2010年3月)するなど、日本各地の里山里海に関心を寄せている。
⇒5日(火)夜・金沢の天気 くもり
能登半島の先端・珠洲市に「里山里海自然学校」という看板が掲げられて4年あまり、里山里海という言葉がようやく地域内に定着しつつある。当初、里山里海といっても、地域の人々には何を意味するのか、さっぱり理解されなかった。しかし今では、その意味と大切さが地域住民の間にかなり浸透して、広く理解されるようになっているという。おそらくその背景には、「能登里山マイスター」養成プログラムによって、次世代を担う人材が地域の農林漁業の現場に配置され、また常駐研究員たちが地元の人々と共に日常的に汗を流してきたことがあると思われる。
ところで、尖閣諸島で海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件が起きて、外交が波立っている。中国の例の大人気ない「対日圧力」が続いた。中国側が招待した千人規模の日本青年上海万博訪問団の受け入れ延期や、日本向けのレアアース(希土類)の輸出を全面禁止など、思いつくまますべての約束事を棚上げ、禁止して圧力を強めているという感じだ。きょう24日になって、河北省で、ゼネコンの邦人社員4人が軍事管理区に無断で侵入し、軍事目標を違法にビデオ撮影したとして検挙されたというニュースが流れている。報復措置と見られている。そしてダメ押しは中国の温家宝首相が「日本側に、(船長を)即刻、無条件で解放することを強く促す。日本が独断専行するなら、中国は一歩、行動を進める。発生する一切の深刻な結果は、すべて日本側の責任だ」と非難していることだ。なんとなく北朝鮮の非難声明と似た論調に聞こえる。
昨晩(1日)、知り合いのイラン人研究者の名前で「Help」という件名の英文メールが届いた。メールの内容は、イギリスでパスポートやクレジットカードの入ったカバンを盗まれたので、お金を工面して欲しいというもの。日本人の知り合いに多数届いていて、そのうちの1人が研究者の所在を電話で確認したところ、昨日も金沢にいることが分かった。つまり、メールはスパムメールだったのだ。
講師は、西洋美術から名園鑑賞まで幅広く解説する立命館大学非常勤講師の門屋秀一氏(京都市)。以下はレジュメを基に講演をたどる。庭園は時代の思想を反映している。11世紀中ごろから、仏法の力が弱まる末法になると信じられ、公家は阿弥陀如来に帰依して来世である西方極楽浄土に救われるため、阿弥陀堂を池の西側に配置する浄土式庭園をつくらせた。
畠山氏らカキ養殖業者は気仙沼湾に注ぐ大川の上流で植林活動を1989年から20年余り続け、約5万本の広葉樹(40種類)を植えた。この川ではウナギの数が増え、ウナギが産卵する海になり、「豊饒な海が戻ってきた」と実感できるようになった。漁師たちが上流の山に大漁旗を掲げ、植林する「森は海の恋人」運動は、同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで始まった。スタート当時、「科学的な裏付けは何一つなかった」という。雪や雨の多い年には、カキやホタテの「おがり」(東北地方の方言で「成長」)がいいという漁師の経験と勘にもとづく運動だった。この運動が全国的にクローズアップされるきっかけとなったのは、県が計画した大川の上流での新月(にいつき)ダム建設だった。
金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの修了生による「サカキビジネス」はそのよい事例である。耕作放棄率が30%を超える奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)にあって、土地は有り余る。そこに、花卉(かき)市場では品質がよいといわれる能登のサカキを放棄した田畑に挿し木で植えて栽培する。しかも、サカキは摘みやすく、高齢者でも比較的楽な作業である。過疎や高齢化で進む耕作放棄地と、お年寄りの労働力に目をつけたビジネスなのである。いまでは2地区のJAがサカキ生産部会を結成し、高齢者を中心に組織的な取り組みが始まって入る=写真=。
農と林は本来一体である。かつて、野菜を耕す土壌は落ち葉を堆肥化してきたし、人々は農と林の仕事の組み合わせで里山の生業(なりわい)を立ててきた。ところが、農は化学肥料に依存し、外材の輸入による価格低迷で林の仕事はコスト的に見合わなくなった。1960年代からの高度成長期を経て、その有り様が鮮明になり、農と林の関係性はまったく別ものになってしまった。
面白いと思ったのは、「少子高齢社会を克服する日本モデル」だった。少子高齢化は日本だけでなく、ヨーロッパを含めて問題だ。ただ問題とするのではなく、積極的に打って出て、「克服する日本モデル」をつくろうと提唱している点だ。これは年金、介護、子育て支援を含めた社会保障をトータルでハンドリングできる仕組みづくりを進めるという意味合いだと読める。そのために、過去さまざまに論議をされてきた「社会保障や税の番号制度」などに踏み込んで基盤整備を進めるとしている。確かに、「崩壊」が危惧され、若者が見限りつつある年金制度にしても、問題が個別化してしまって見えにくくなっている。この際、「揺りかごから墓場まで」の強い社会保障の再構築が必要であり、それを国際モデル化するという発想なのだろう。さらにその信念のほどについて、演説では「企業は従業員をリストラできても、国は国民をリストラすることができない」と述べている。市民目線の貫きを感じる。
3日午後、沖縄旅行の折、沖縄県名護市辺野古の在日米軍海兵隊の基地「キャンプ・シュワブ」のゲートで写真撮影をした。すると、門兵が駆け寄ってきたので、その場を速やかに立ち去った。その後、辺野古で住民が座り込むテント村も訪れた。笑顔で声をかけてくれたが、総理の沖縄訪問を前にピンと張り詰めた雰囲気がテント内に漂っていた。総理を迎えた沖縄は、その一挙手一投足を注視していたのではないか。その総理に対し、4日の現地では「恥を知れ」の罵声が飛んだ。