★続・トクソウの落とし穴
たまたま見た30日夜のNHK-BSプレミアムの映画は、五社英雄監督の代表作『御用金』(19:30-21:35)だった。1969年作で、小道具に至るまで時代の感覚や仕草など時代考証がしっかりしていて、リアル感がある。たとえば、お歯黒の女性などは、今の時代劇では時代の感覚に合わないなどの理由で出さないだろう。
ストーリーが凝っていた。時代は天保2年(1831年)。越前国鯖井藩(鯖江藩をイメージした架空の地)、雪が降る日本海側の漁村で、村人が一夜のうちに姿を消すという「神隠し」が起きた。それは、御用金を積載した佐渡からの幕府の船が嵐で難破し、その御用金を漁民たちに引き揚げさせ、盗みとりした挙句に漁民たちを皆殺しにするという藩家老・六郷帯刀(丹波哲郎)のシナリオだった。藩の悪行を目撃し、脱藩した脇坂孫兵衛(仲代達矢)は3年後、家老の帯刀が再び神隠しを企てていることを知り、藩に赴き悪に立ち向かうという筋立てだ。幕府の船の難破は偶然ではなく、岬の位置を知らせるかがり火の場所を操作することで、船を座礁させる
という手の込んだ仕掛けだった。なぜ2度も藩家老は悪のシナリオを描いたのか。「藩の財政窮乏の折、藩を守るため」と称し、新田開発の資金に充てようとしたのだ。藩を守るため、御用金を略奪して、領民を皆殺しにする。藩の武士たちは「藩のため、忠義」と孫兵衛に斬りかかる。浪人である脇坂は「罪なき人を殺(あや)めるな」と剣を抜く。脇坂が斬ったのは、病巣と化した組織防衛論だった。
けさ新聞を広げて「検察組織の病弊」「組織守るため犯行」「特捜の病巣 断罪」の見出しが目に飛び込んできた=写真=。一瞬、映画のシーンと脳裏でだぶった。昨日(30日)、有罪判決となった大阪地検特捜部のフロッピーディスク(FD)改ざん事件の犯人隠避罪に問われた元特捜部長と元副部長の裁判。けさ各紙が一斉に報じている。前代未聞と称される大阪地検特捜部による改ざん事件が起きた背景について、判決文の中でこう述べられているのだ。
「特捜部の威信や組織防衛を過度に重要視する風潮が検察庁内にあったことを否定できず、特捜部が逮捕した以上は有罪を得なければならいないとの偏った考え方が当時の特捜部内に根付いていたことも見てとれる。犯行は、組織の病弊ともいうべき当時の特捜部の体質が生み出したともいうことができ、被告両名ばかりを責めるのも酷ということができる」(31日付朝日新聞より)
2010年1月30日、FDデータを改ざんした前田恒彦検事(当時)から電話で報告を受けた佐賀元明副部長(当時)は2月1日に大坪弘道部長(当時)に庁内で報告した。ところが、2人は前田検事にデータの改変は過誤(うっかりミス)だとする上申書を作成するように指示し、地検検事正にも虚偽の報告をした。判決では、証拠隠滅罪の犯人である前田検事を捜査することなく隠避した、と事実認定した。
検察の「悪行」はこれだけではない。記憶に新しいところでは、去年12月、小沢一郎民主党元代表の公判で、東京地検特捜部の検事が捜査報告書に架空の記載をしたことが発覚した。こうした一連の検察不祥事で、巨悪に斬りこむ「検察正義」のイメージが変化し、逮捕した以上は何が何でも有罪にしてみせる「むき出しの検察威信」の印象が国民の間でも広がった。ストーリーと事件の構図をきれいに描くから矛盾が噴き出す。そのために改ざんや架空の記載が隠密裏に施される。そして人はなぜ組織とその威信を守るために、人を貶(おとし)めるのか。特捜の落とし穴は広く、深い。
⇒31日(土)昼・金沢の天気 あめ
政治家汚職、大型脱税、経済事件を独自に捜査するのが地検特捜部だ。東京地検特捜部が発足したのが1947年。10年後の1957年に大阪地検特捜部ができた。さらに39年後の1996年に名古屋地検にも特捜部が置かれ、「3特捜」の態勢となった。
震災後、畠山さんとは3回お話をさせていただくチャンスを得た。1回目は震災2ヵ月後の5月12日にJR東京駅でコーヒーを飲みながら近況を聞かせていただき、9月に開催するシンポジウムでの基調講演をお願いした。その時に、間伐もされないまま放置されている山林の木をどう復興に活用すればよいか、どう住宅材として活かすか、まずはカキ筏(いかだ)に木材を使いたいと、長く伸びたあごひげをなでながら語っておられた。2回目は9月2日、輪島市で開催したシンポジウム「地域再生人材大学サミットin能登」(主催:能登キャンパス構想推進協議会)で。シンポジウムが終わり、居酒屋で地域の人たちと畠山さんを囲んで話し込んだ。3回目はことし2月2日、仙台市でのシンポジウム「市民による東日本大震災からの復興~創造と連携~」(主催:三井物産)の交流会で。9月のシンポジウムのお礼の挨拶をした。すると畠山さんの方から、「内緒なんだけれど、今度ニューヨークに表彰式があるんだ」とうれしそうに話された。UNFFのフォレストヒーローのことが新聞記事になったのはその数日後だった。
今回の大震災から学んだことが多々ある。その一つが日本は「災害列島」であるということだ。地震だけではない。津波、水害、雪害、火災、落雷などさまざまな災害がある。「天災は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦の言葉とされる)は現代人への災害に備えよとの戒めの言葉だろう。改めてかみしめる言葉だ。
上勝町に宿泊して一番美味と感じたのは「かみカツ」だった。豚カツではない。地場産品の肉厚のシイタケをカツで揚げたものだ。上勝の地名とひっかけたネーミングなのだが、この「かみカツ丼」=写真=がお吸い物付きで800円。シイタケがかつ丼に化けるのである。こんなアイデアがこの地では次々と生まれている。全国的に上勝町といってもまだ知名度は低いが、「葉っぱビジネス」なら知名度は抜群だ。このビジネスはいろいろ考えさせてくれる。女性や高齢年齢層の住民を組織し、生きがいを与えるということ。「つま物」を農産物と同等扱いで農協を通じて全国に流通するとうこと。ビジネスの仕組みを創り上げたこと。たとえば、注文から出荷までの時間が非常に短い。畑に木を植えて収穫する。山に入って見つけていたのでは時間のロスが多いからだ。ただし、市場原理でいえば、つま物の需要が高くなって価格が跳ね上がることはありえないだろう。
イツ製の木質チップボイラーを導入し、温泉や暖房設備に利用している=写真=。重油ボイラーは補助的に使っている。木質チップは1日約1.2トン使われ、すべて同町産でまかなわれている。チップ製造者の販売価格はチップ1t当たり16,000円。重油を使っていたころに比べ、3分の2程度のコストで済む。町内では薪(まき)燃料の供給システムのほか、都市在住の薪ストーブユーザーへ薪を供給することも試みている。地域内で燃料を供給する仕組みを構築することで、化石燃料の使用削減によるCO2排出抑制を図り、地域経済も好循環するまちづくりを目指している。さらに、森林の管理と整備が進むことになり、イノシシなどの獣害対策にもなる。
事を創るという発想に乏しい。日本全体がチャレンジ性が薄まっている中、受け身型になっていると常々考えている。事業をすることで地域が活性化し、社会貢献の意識があっても事業性がなければ継続しない。しかし、社会貢献をしようという若者を受け入れることは大いにプラスである。それはなぜか、現代は「役割ビジネス」だと思うからだ。
29日朝、徳島県の山間部にある上勝町(かみかつちょう)は雪だった=写真=。28日夜からの寒波のせいで積雪は5㌢ほどだが、まるで水墨画のような光景である。ただ、土地の人達にとって、この寒波は31年前の出来事を思い起こさせたことだろう。1981年2月2月、マイナス13度という異常寒波が谷あいの上勝地区を襲い、ほとんどのミカンの木が枯死した。当時、主な産物であった木材や温州みかんは輸入自由化や産地間競争が激しく、伸び悩んでいた。売上は約半分にまで減少し、上勝の農業は打撃を受けていた。そこへ追い打ちをかけるように強力な寒波が襲ったのだ。主力農産品を失って過疎化に拍車がかかった。若年人口が流出し、1950年に6356人あった上勝町の人口は一気に減り、2011年には1890人にまで低下した。高齢化率は49%となった。人口の半分が65歳以上の超高齢化社会がやってきた。
のつま物として商品化したもの。山あいの村では自生しているが、市場出荷が本格的になるにつれ、栽培も盛んに行われるようになった。採取は掘り起こしたり、機械を用いない。しかも、野菜などと比べて軽くて小さいので高齢者には打ってつけの仕事なのである。懐石料理など日本食には欠かせない、このつま物はこれまで店が近くの農家と契約したり、料理人が山に取りに行ったりすることが多かった。これを市場参入させたのが当時、農協の営農指導担当だった横石知二氏(1958年生)=写真=だった。
世界遺産でもあるイフガオの棚田でブランド米と呼ばれるのが、「WONDER」の米。赤米で、粒が日本のジャポニカ米と似てどちらかといえば丸い。値段は1㌔100ペソ。マニラのマーケットでは米は1㌔35ペソから40ペソなので、ざっと3倍くらいの値段だ。この米をアメリカのNGOなどが買い付けてイフガオの棚田耕作者の支援に動いているという。もう一つ、「棚田米ワイン」も味わった。甘い味でのど越しが粘つく。アルコール度数は表示されてなかったが25~30度くらいはありそうだ。ブタ肉のバーベキューと合いそうだ。イフガオでは棚田米に付加価値をつけて販売する動き出ているのだ。こうした取り組みが一つ、また一つと成功することを願う。
ちの田から心が離れてしまっていることではないかという印象を受けたのですが、そういう解釈でよいか」と質問を投げた。
いまでもイフガオ族には一神教には違和感を持つ人が多いといわれる。コメに木に神が宿る「八百万の神」を信じるイフガオ族にとって、一神教は受け入れ難い。一方で、それゆえに少数民族が住む小中学校では、欧米の思想をベースとした文明化の教育、「エデュケーション(Education)」が徹底されてきた。今回の訪問では、14日に現地イフガオ州立大学で世界農業遺産(GIAHS)をテーマにしたフォラーム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」(金沢大学、フィリピン大学、イフガオ州立大学主催)を開催したが、発表者からはこのクリスチャニティとエデュケーションの言葉が多く出てきた。どんな場面で出てくるのかというと、「イフガオの若い人たちが棚田の農業に従事したがらず、耕作放棄が増えるのは特にエデュケーション、そしてクリスチャニティに起因するのではないか」と。
られたとされる棚田は「天国への階段」とも呼ばれ、イフガオ族が神への捧げものとして造ったとの神話があるという。村々の様子はまるで、私が物心ついた、50年前の奥能登の農村の光景である。男の子は青ばなを垂らして鬼ごっこに興じている。女子はたらいと板で洗濯をしている。赤ん坊をおんぶしながら。車が通ると車道に木の枝を置き、タイヤが踏むバキッという音を楽しんいる子がいる。家はどこも掘っ建て小屋のようで、中にはおらくそ3世代の大家族が暮らしている。ニワトリは放し飼いでエサをついばんでいる。器用にガケに登るニワトリもいる。七面鳥も放し飼い、ヤギも。家族の様子、動物たちの様子は冒頭に述べた「昭和30年代の明るい農村」なのだ。イフガオの今の光景である。
つぶさにその様子を観察していると一つだけ気になることがあった。人と犬の関係が離れている。子供の後をついてきたり、子供が犬を抱きかかえたり、「人の友は犬」という光景ではないのだ。今回の訪問に同行してくれた、イフガオの農村を研究しているA氏にそのことを尋ねると、こともなげに「イフガオでは犬も家畜なんですよ。それが理由ですかね…」と答えた。人という友を失ったせいか、その運命を悟っているのか、犬たちに元気がない、そしてどれも痩せている。気のせいか。