⇒トピック往来

★日本を洗濯-3-

★日本を洗濯-3-

 節電ムードで夜がこれまでより薄暗くなった東京の街の印象を、知人がこう言った。「ようやくパリ並みになったじゃないか。これまでが明る過ぎたんだ」と。東京やニューヨークしかり、都市は膨張し輝度を競った。文明の象徴だった。今回は電力をテーマに考えてみる。

   、    「全国一斉」という発想を崩して見える可能性      

 石原東京都知事は、「節電」ではなく「無駄」を省けと主張している。そのヤリ玉に上げているのが自動販売機とパンチコ店だ。自動販売機は果たしてどこまで必要だろうかと問いたくなる。先日、能登半島の先端にある大学の施設に、ある飲料メーカーが自販機の設置を打診してきた。結局「近くに店があり、飲みたい人はそこで購入すればよい」との判断で設置を断った。空き缶の放置問題や、自販機そのものが原色で景観上もなじまい。一つ置けば、「当社も」と別の飲料メーカーも来るだろう。都知事の真意は、こうしてわずかな利益を競って不要不急のモノがはびこる日本の社会の悪しき断面を指摘したのだ、と考えている。

 話を「節電」に戻す。蓮舫・節電啓発担当大臣は「節約・倹約」を訴えている。しかし、今回の問題は節電よりむしろ「ピーク崩し」「集中排除」だろう。恐れられている東京のブラックアウト(停電)は、電力消費がピークに達した時であり、いくら節電を訴えても、ピーク時の電力消費量を抑えることができなければ意味がない。つまり、消費量が低い真夜中にあえて冷房を止めて寝苦しい思や、暖房を止めて寒い思いをしてまで節電する必要はない。もちろん節電するに越したことはないが、今回の問題の趣旨とは様相が異なる。

 個々の節電よりむしろ、政策的にどう電力消費のピーク崩しを行うかだろう。たとえば、最近は盆休みやゴールデンウイークの休暇日の選択の幅が広がり分散型となってきた。このため、JRの乗車率や高速道路の混雑も随分と平準化している。これに倣う。電力需要量は土曜と日曜、祝日が少ない。そこで、会社や製造業は週5日間を月曜から金曜の固定ではなく、土曜と日曜を取り込んだ選択制で操業し、電力需要を均(なら)すのである。つまり、「全国一斉」という発想を崩せば、電力消費量を抑えることができるのではないか。

 そもそも、電力需要のピークを生むのは「真夏のエアコン」だろう。そこで、消費電力が少ないエアコンや冷房効果を高めるペアガラス(複層ガラス)を導入する家庭はエコポイントをもらえるようにする。また、短期的には消費電力が少ないLED(発光ダイオード)照明を。長期的には電力網のスマートグリッド化は必要だ。電力の送配電網をIT化して、太陽光や風力発電を家庭や地域で生かしていく。こうした未来型の省エネの発想を政策として進めることだ。

 東西に長い日本では、真夏の電力消費は地域によってタイムラグがある。ところが、静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして東側は50Hz、西側は60Hzの電気が送られている。そこで、東西の電力を接続し、電力会社がいつでも電力の貸し借りができる体制をつくるべきだろう。もちろん、相当の工事費用はかかることは想像に難くない。

 菅総理は4月1日の記者会見で「すばらしい東北、日本をつくる夢を持った計画を進めたい」と述べ、津波対策のために高台の住居から海沿いの事業所に通勤する都市構想を例示した。被災地だけでなく、この際、日本を再構築する発想と政策を具体的に提示すべきだ。

⇒26日(火)朝・金沢の天気  はれ

☆日本を洗濯-2-

☆日本を洗濯-2-

 震災で日々伝えられていることをつぶさに読み、視聴すると物事は大胆にスピーディにやった方が評価は高まる。「石原軍団」と称される石原プロモーション(渡哲也社長)が4月14日、東日本大震災で被災した宮城・石巻市を訪問し、大規模な炊き出しを行ったと報じられた。20日までの1週間分で、カレーやおでんなど1万5000食を被災者に振る舞った。トラックにして28台分に及ぶ。渡社長らは寝袋で泊まり込んだ。1995年の阪神・淡路大震災でも石原軍団が活躍した。

         情報発信に問題はないか、そのタイミングやネーミング

 「トモダチ作戦」と呼ばれる在日アメリカ軍による被災者の救援活動も印象に残る。沖縄の普天間基地から来たヘリコプターや貨物輸送機などが、物資を厚木基地から山形空港や東北沖にいる空母ロナルド・レーガンなどに輸送した。また、一時使用できなくなった仙台空港の瓦礫の撤去作業など行った。ロナルド・レーガンは原子力空母であり、平時だったらメディアでも問題視されいたことだろう。それを差し引いてもその迅速な救援活動は好印象で伝えられた。

 それにしても不思議に思うこと。それは当然やっているだろと思いつく人が行動を起こしていないことだ。甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市は民主党の小沢一郎元代表のかつての選挙地盤だった。その小沢氏が岩手入りしたのは3月28日だった。岩手県知事と会談した。それ以前もそれ以降も小沢氏の被災地にかかわる動きはメディアを通しては見えてこない。小沢氏の公式サイトをのぞいても、4月27日に予定していた「第62回小沢一郎政経フォーラム」の延期のお知らせ以外は、被災地での活動が記載されていない。

 日本相撲協会は3月24日と25日に東京都内で街頭募金活動をした。25日に上野の松坂屋前で募金箱を首からぶらさげた高見盛が「首が重い」と善意に感謝した様子がテレビで映し出されていたが、それ以外、力士が被災地で炊き出しを行ったというような大相撲協会の救援活動が見えてこない。力士には東北出身者も多いはずである。そのくらいのことは当然していると思ったのだが。

 物事にはタイミングというものがある。タイミングが悪いとあらぬ誤解を受けたりする。4月12日、日本政府は福島第1原子力発電所の事故評価をチェルノブイリと同等の「レベル7」に引き上げると発表した。当初は「レベル4」だと発表していた。ここに来て一気に「レベル7」に引き上げた。これが国内外に不信を招いた。「日本政府は原子炉について事実を公開していないのではないか」、「何らかの事故に対する隠蔽工作があったのではないか」・・・。結果的に、「やはり日本政府は隠していたのか」との不信を煽る結果になった。

 もう一つ、ネーミングの問題がある。地震が発生した3月11日、気象庁はこの地震を「東北地方太平洋沖地震」と命名した。その後、日本政府は4月1日の閣議で震災の名称を「東日本大震災」とすることで了解した。新聞やテレビはこれ以降、「東日本大震災」の名称に統一した。政府とすれば、広範囲な名称で激甚災害の大きさを強調した方が今後復興に向けた取り組みで行いやすいと判断したようだ。ところが、これが海外からすると「日本の東半分は地震でやられた」との印象を与えている。今回の震災では原発事故とセットで被害を受けたとのイメージもあり、日本海側の東北地方や北海道などでも外国人旅行客が激減するなど風評被害が起きている。

 震災をめぐる一連の動きで感じるのは、情報の発信力やコミュニケーション能力の落差である。発表のタイミングや、情報の伝え方は誤解や過剰反応を生む原因にもなる。逆に、うまく伝えれば評価を上げたり、汚名返上にもなりうる。野球賭博や八百長問題があったとしても、大相撲協会は力士を被災地に派遣して、避難所でちゃんこ鍋の炊き出しなどの救援活動をすると喜ばれるのではないだろうか。

⇒24日(日)朝・金沢の天気  はれ 

★日本を洗濯-1-

★日本を洗濯-1-

 明治維新の立役者、坂本龍馬が姉の岡上乙女に宛てた文久3年(1863)6月29日付の手紙で「日本を今一度洗濯いたし申すことにすべきこと神願」と書いた。同月に起きた長州藩と、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの列強四国との間の武力衝突(下関攘夷戦争)について、幕府は列強の船を江戸で修復させ、再び下関に送り出していることを知り、「幕府側の腹黒い売国奸物官僚」の仕業と憤った。他国の武力を使って長州を成敗させるほどに幕府は腐敗していると感じ、「日本を洗濯」と述べたものだ。今回の東日本大震災を通して、日本の政治や経済のあり様がさまざまな矛盾というカタチで噴出し始めている。それをいくつか取り上げてみたい。この際、日本を洗濯しよう。

         外国人の帰国ラッシュから透ける「人を安使いする社会」

 震災後から始まった外国人の帰国ラッシュ。身近でも、能登半島の観光施設で働いていたアメリカ人女性が最近タイに移った。両親から勧められたらしい。「日本にいては危ない」と。悲惨な津波の様子や原発事故は世界中のテレビで繰り返し流れている。それを視聴すれば、普通の親だった日本にいる娘や息子の身を案じるだろう。まして、政府が帰国を勧めれば、在日外国人の日本脱出は当然の成り行きだ。ただ、そこから浮き上がってくる問題がある。

 たとえば、日本全国の繊維産業で中国から「研修生」と称する数万人規模の労働者がいる。3年の間研修と実習を行うが、研修というより現場になくてはならない労働力となっている。この労働者の大半が帰国し、ニットを中心とする縫製業の中小企業が操業がままならない状態に陥っているという。繊維産業以外でも、飲食店やコンビニなどがある。たとえば、牛丼の吉野家は14日の決算発表の会見で、首都圏で働く外国人アルバイトの4分の1に相当する約200人が退職したと明らかにした。これ以外にも、自動車部品業界でも多くの中国人ほか外国動労者が帰国したと報じられている。

 日本企業が安価な外国の労働力に頼り切っていた中で今回のようなことが起きた。もちろん、その背景には日本の若者が中小零細企業に見向きもしなくなっていたという状況もあるだろう。一方で高校、大学の就職は「超氷河期」と呼ばれている現実がある。細かな理由はどうあれ大きな矛盾、ひずみが生じている。

 日本を脱出している外国人の多くは正社員ではなく、アルバイトである。能登半島で働いていた女性もパートだった。報道では、コンビニのローソンでは、中国に帰国した正社員は1人もいなかったものの、アルバイトに関しては急きょ、人材派遣会社を通じて日本人のアルバイトを補填したという。ここから見えてくるのは、日本企業は研修生やアルバイト、パートとった労働力を安易に使っているから、外国人も不安定な研修生やアルバイトには見切るをつける。つまり、外国人が逃げたのではなく、見切りをつけられたのだ。これは外国人だけに限らない。日本の派遣労働にも通じる。労働形態の多様性はあるべきだと考えるが、雇う側に「人を便利に安く使う」という発想に慣れきっていることが根底にあるのではないか。

 おそらく、外国人が去るとき、日本人経営者は「君たちがいなければわが社は困る」と正面切って慰留できなかっただろう。研修生やアルバイトにそう言えるはずもない。今回を一時的な現象とせずに、日本再生のために雇用そのもののあり方を再考する機会にすべきだと考える。

⇒15日(金)朝・金沢の天気   はれ

★畠山重篤氏の無事

★畠山重篤氏の無事

 「森は海の恋人」運動の提唱者、畠山重篤さんの安否の続報を書く。畠山さんの消息が知りたいと切望している方々は多いと思う。15日付の『自在コラム』で畠山さんの安否について書いたところ、3件ものコメントが寄せられた。前回のブログで引用した『牡蠣復興および被災地救援対策会議』のサイトでの記事を今回も紹介する。畠山さんに関する新しい情報が入っている。畠山さんの親戚という人(「オイスターマイスター(OM)小屋めぐみさん」)が、畠山さんの娘(「愛子さん」)からの情報として安否情報を以下のように掲載している。読みやすくするために、掲載順番を新しいものを上にする。
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⇒ 03-15-16:00|OM小屋 さん|娘さんの畠山愛子さんから皆様へのメッセージ 本日午前に、父畠山重篤、長男哲と直接話すことができ、祖母をのぞいてですが、一家が無事であることが確認できました。祖母小雪は、震災当時気仙沼鹿折におり、亡くなったとのことです。現在唐桑地区は通信網が一切遮断されており、唐桑からの発信は全くできないそうです。父からの電話も、室根からかけているとのことでした。舞根地区で重篤の自宅の高台に非難していた2,30名の地域の皆さんはいま避難所(おそらく唐桑小学校)へ移動されたそうです。父重篤には、全国各方面からご心配と励ましをいただいている事も伝えました。父からも皆様へお礼と引き続き被災者へのご支援をお願いしますとのことです。携帯のバッテリーが不足しており、短時間での会話だったため、今わかっている情報は以上です。今後も連絡が取れ次第、ご報告します。畠山哲の家族、耕、信も無事です。

⇒ 03-14-19:48|OM小屋 さんより|畠山愛子さまより以下のメッセージがありました(安否の掲示板より); メッセージをいただいた皆様へ 畠山重篤一家について全国各方面から沢山のご心配と励ましのメッセージをいただき、また情報の拡散などご協力をいただき本当にありがとうございます。その後、家族とはまだ直接連絡はできておりませんが、唐桑の孤立状態は解消されたとのことですので、少し安心しました。ここで、皆様にお願いです。現地では引き続き通信の混乱が続いておりますので、現地家族への安否確認のご連絡は控えていただければと思います。私自身東京にいるので、確認の連絡をぐっとこらえて、現地からの連絡を待っている状態です。家族と直接連絡が取れ次第この掲示板にてすぐにご報告いたしますので、ご協力お願いします。
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 ※写真は、2010年8月7日、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムでの畠山重篤さんの講義の様子。
 
⇒16日(水)朝・金沢の天気 はれ

☆畠山重篤氏のこと

☆畠山重篤氏のこと

 気仙沼市在住で、漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動の提唱者、畠山重篤さんのことを今月12日付の『自在コラム』で書いた。畠山さんの消息が知りたいと思い、ネット上で探した。「畠山重篤」「安否」で検索すると、『牡蠣復興および被災地救援対策会議』のサイトに当たった。カキの愛好家がカキ養殖業者を支援するサイトだ。ここに畠山さんの親戚という人(「オイスターマイスター(OM)小屋めぐみさん」)が、畠山さんの娘さん(「愛子さん」)からの情報として安否情報を以下のように掲載している。
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⇒ オイスターマイスター小屋 さん(畠山氏親戚)が気仙沼の知り合いとメール(11日18時頃)。海から離れた少し高台の学校の三階に取り残された先生から情報。二階まで水没。車等周りの物は全て流され孤立。畠山氏含め親戚の牡蠣漁師は全員連絡取れず。他家族とも連絡取れず。自分は学校の先生になっていたので高台の三階にいた。以上メールで。ただし現在連絡が途切れている。

⇒ OM小屋 さんより|畠山重篤の娘、畠山愛子です。3月11日22時時現在、メールで、一家は高台の自宅に避難して生きているということです。その後は連絡がとれません。舞根地区は壊滅状態で、自宅も孤立していると思われます。舞根だけでなく、唐桑の避難所も含め情報が全くないので、唐桑の多くの場所が孤立していると思います。唐桑が孤立しているであろうことを広めてください。

⇒ 03-14-19:48|OM小屋 さんより|畠山愛子さまより以下のメッセージがありました(安否の掲示板より); メッセージをいただいた皆様へ 畠山重篤一家について全国各方面から沢山のご心配と励ましのメッセージをいただき、また情報の拡散などご協力をいただき本当にありがとうございます。その後、家族とはまだ直接連絡はできておりませんが、唐桑の孤立状態は解消されたとのことですので、少し安心しました。ここで、皆様にお願いです。現地では引き続き通信の混乱が続いておりますので、現地家族への安否確認のご連絡は控えていただければと思います。私自身東京にいるので、確認の連絡をぐっとこらえて、現地からの連絡を待っている状態です。家族と直接連絡が取れ次第この掲示板にてすぐにご報告いたしますので、ご協力お願いします。
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 支援者のサイトでの、しかも具体的な地名が入った情報なので畠山氏の消息にはリアリティがある。無事を祈りたい。

⇒15日(火)朝・金沢の天気 くもり

★福沢諭吉と上野戦争

★福沢諭吉と上野戦争

 チェーンメールが飛び交っている。昨日もこのようなメールが知人より届いた。「■お願い■ 関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日(3月13日)18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!こんなことくらいしか関西に住む私たちには、祈る以外の行動として出来ないです!このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!1人1人が意識し、電気の使用を少し控えるだけで、助かる命があるかも知れません。ご協力お願い致します。」

 この巨大地震の被害は甚大であり、あるい意味では国難でもある。知人は善意でこのメールを知り合いに届けた。このメールを疑問に思った知人がさらに、次のようなメールを受け取った知人らに回した。

 「件名の趣旨、大変理解できますが、周波数が違うのに、その様なことが可能なのかと疑問に思い、関西電力のHPを見ました。以下に転記致します。○このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。○今回の震災復旧に際して、当社名でお客さまに節電に関するチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。○当社はお客さまへの安定供給を維持した上で、11日夕方から、電力各社と協力しながら最大限可能な範囲で電気の融通を行っております。○平素より皆さまには省エネ・節電にご協力を頂いておりますが、今のところ、お客さまに更なる特別な節電をお願いするような状況にはございません。」と。

 そして疑問に思った知人はさらに以下の注釈をつけた。「[注]東日本と西日本では、電気の周波数が違います。従って、関西電力の電気を東日本に送るには、周波数を変換しないといけません。この周波数変換施設の容量には上限があります。」と。感情論ではなく冷静にメール対応することで、チェーンメールの知人らに諭した。チェーンメールを最初に送ってきた知人から再び、「先日お送りしたメールですが、混乱を招くような内容を発信してしまったこと、軽率だったと反省しております。以後、正確な情報か見極めたうえで行動したいと思います。」とお詫びのメールが流れてきた。

 メール情報が飛び交うのは、それだけ人々の心が揺れているからだ。このような場合、われわれはどう心の動揺を抑えたらよいのか。一つのエピソードがある。1868(慶応4)年5月、新政府軍と旧幕府側の彰義隊が上野で戦闘を開始した。慶応義塾を創設した福沢諭吉はこのころ、芝新銭座の有馬家中屋敷(現在の東京都港区浜松町1丁目)で英語塾を開講(のちに慶応義塾)していた。福沢は、噴煙があがるのを見ながらも、塾を休むことなく、塾生たちに英書『ウェーランドの経済書』を講義した。

 挿絵は、戦火を眺め動揺する塾生を背に粛然と講義を行う福沢の姿である。師が動揺しては塾生も動揺する。自らの使命を遂行することが肝要と自信に言い聞かせていたのだろう。

 ※写真は、2009年に開催された福沢諭吉展で市販された挿絵より。

⇒14日(月)朝・金沢の天気  はれ

★オイルは暴騰す

★オイルは暴騰す

 金沢市内で良く使うガソリンスタンドで3日、レギュラーが店頭価格143円をつけた。今月に入って市内でガソリン1㍑当たり140円台が相場となった。昨年末は120円台だったので、一気に20円も上がったことになる。今回のガソリンの値上がりは分かりやすい。「中東産油国の政情混乱」だ。問題は、これが一時的な現象なのだろうか、さらに値上がりするのではないか、ということだ。

 3月2日のニューヨーク・マーカンタイル取引所では、原油先物相場の国際的な指標の米国産標準油種(WTI)4月渡しの終値が1バレル=102.23ドルと、2年5ヵ月ぶりに100㌦の大台を突破したと報じられた。

 世界の原油産出国はロシア、サウジアラビア、アメリカ、イラン、中国、カナダ、メキシコ、UAE、イラク・クエートの順(外務省資料)になる。さらに、日本の原油輸入先は、サウジアラビア、UAE、カタール、イラン、ロシアの順(資源エネルギー庁)で、中東への依存率は85%だ。今回の反政府デモの動きは、チュニジアからエジプト、そしてリビアに波及している。

 日本はリビアから原油を輸入していないが、問題はサウジアラビアだ。そのサウジは、アブドラ国王が高齢で病気療養中、さらに大卒者の6割が職に就けないという「不満の火種」を内在している。仮に政情混乱がサウジに波及し、中東からの原油供給不安がさらに強まれば、WTIの価格は2008年7月に記録した過去最高値(1バレル=147㌦)を超えるのは確実との見方も出てくる。このときのガソリンの高騰は、アメリカのリーマン・ショックで行き場を失った投機マネーが先物取引市場に向かい原油価格を吊り上げた。当時の店頭価格は金沢市内で180円だったと記憶している。いまのガソリン価格の上昇は序の口なのだろう。

 政情混乱と投機マネー。国際的な金融緩和で投機マネーが先物取引市場に流れ込むという構造は続くだろう。しかも、ガソリン需要は春先から夏場にかけて高まり、価格が上昇する傾向にある。ガソリン価格を下げる要素は何一つない。

 円高(1㌦=80円台)が続く日本でこの価格である。ちなみに、このブログではガソリン価格について何度か取り上げている。それを拾うと、2005年10月31日付「1㍑当たり122円」、2009年1月1日付「1㍑当たり99円」。そしてきょう2011年3月4日付が「1㍑当たり143円」と。

 ガソリン価格は常に乱高下し、世界の政情を映す。その価格が高騰すれば、原油生産シェア世界1位(12.9%)の隣国・ロシアは経済力をつけるという構造に変わりない。

⇒4日(金)朝・金沢の天気  ゆき 

☆この横着モノ

☆この横着モノ

 大学入試の公正性がハイテクで損なわれるということは断じてあってはならない。京都大など4大学の入試問題が試験時間中にインターネットの質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件が世間を騒がせている。警視庁などは、投稿に使われたNTTドコモの携帯電話の契約者を山形県新庄市在住の人物と特定し、その息子(19歳)の強制捜査(逮捕)に踏み切るだろうと、マスメディアは一斉に報じている。

 京都大学側が2月28日に京都府警に被害届を提出し、さらに世間の注目を集めた。おそらく大学側は対応できないと判断したのだろう。京都府警もネットを使った犯罪にはチカラを入れていて、生活安全部のハイテク犯罪対策室が対応を担っている。その罪は、偽計業務妨害罪。つまり、偽計を用いて人の業務を妨害した、というもの。3年以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられる。

 ところが、世間の関心は一方で別なところにある。監視員がいる中で、どうやってケイタイを使って投稿できたのか、という技術的な驚きだ。これまで、入試に関しては、集団カンニングや裏口入学、替え玉受験など入試の公正性をめぐる事件があった。今回のように、偽計業務妨害罪という刑法犯の特定にまで至るというケースは初めてだろう。

 過去の替え玉受験問題(1991年の明治大学の入学試験)では、有印私文書偽造など3人が逮捕されているが、これは大人が絡んだ事件だったから逮捕に至ったのだ。今回は世間を騒がせたものの、19歳の悪知恵である。もし、当の本人がゲーム感覚でしたことで、これほど大事(おおごと)なるとは思ってもいなかったと反省しているのであれば、警察が「この横着モノ。世間を騒がせたらいかん」と一喝しておきゅうを据えるだけで済む話ではないか。逮捕して、断罪して、それで世間がすっきりするのだろうか。むしろ、少年の出来心に対して寛容性がなくなった日本社会のあり様が返って問われることになりはしないか。この方がむしろ後味が悪い。

 もちろん、この事件の背後に協力者として大人が絡んでいる、あるいは未成年であっても他との共謀性があれば別の話になる。

⇒3日(木)朝・金沢の天気   ゆき

★続・追想クライストチャーチ

★続・追想クライストチャーチ

 ニュージーランド南島の中心都市クライストチャーチ付近で22日に発生した大地震。救出された富山外国語専門学校の男子学生(19)の被災体験が朝日新聞の24日付紙面で掲載されていた。学生はビルの4階にいた。昼食をとっていて、大きな揺れを感じた。いきなり、足元の床ごと、体が落ちた。周りの学生も「痛い」などと言いながら、一緒に落下していった。気づいたら、周囲は暗闇だった。右足が動かない。何かに、挟まれていた。奈落の底に落ちるような恐怖だったに違いない。学生は右足を切断し、救助された。

 2006年8月、家族旅行で訪れたクライストチャーチの街は、ビジネス街もあるものの、歴史が止まっているかのように感じられた。その理由は、若者の姿が少なからだった。同じ年の1月に訪れたイタリアのミラノは古い街並みを若者がかっ歩するという歴史の連続性を感じた。が、クライストチャーチには人々のみずみずしさが感じられなかった。

 若者の姿が見えない理由の一つが、学生がいないことだった。ニュージーランドに7つある大学の一つ、学生数1万3千人のカンタベリー大学がクライストチャーチの中心街から郊外に移転した。金沢の街の事情と少々似たところがある。もう一つの理由が、若者が仕事を求めてオークランドに流れていた。オ-クランドは北島にある人口110万人を数えるニュージランド最大の経済都市である。いうならば一極集中の構造になっているこの国では、2番目の都市規模を誇る35万人のクライストチャーチであっても「ストロー現象」で若者が吸い上げられていたのだ。

 そこにきて今回の震災である。この街のシンボルであり、観光名所でもある大聖堂も崩れた。そして、「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街であったクライストチャーチは一瞬にしてがれきの街と化した。あの美しい、古都のような街が早く復興していほしいと願う。ただ、この街の復興は前途多難であろうことは、想像に難くない。

 写真は、街路でチェスを楽しむ市民たち(上)、イングリッシュガーデンが見事なクライストチャーチの住宅のたたずまい(下)。2006年8月15日撮影。

⇒24日(木)朝・金沢の天気  はれ

☆追想クライストチャーチ

☆追想クライストチャーチ

 ニュージーランド南部のクライストチャーチ付近で発生したマグニチュード6.3の地震。23日現在の死者は75人、行方不明者は約300人。うち、不明とされる日本人は27人となっている。現地で語学研修中だった金沢市の男性(39)や富山外国語専門学校の学生らの安否が気遣われる。新聞報道では、余震が続き、建物がさらに倒壊する危険性がある。被災地での救出活動も難航している。国家非常事態宣言が出され、クライストチャーチは夜間外出禁止となった。

 クライストチャーチは思い出深い街だ。夏休みを利用して家族でニュージーランドを旅行したのは2006年8月15日のこと。当時のメモを見ながら、被災した街を追想してみる。関空からのフライトで、10時間半でニュージーランド南島のクライストチャーチ国際空港に着いた。現地の時間は午後0時30分、到着を告げるアナウンスでは日中気温は7度。金沢だと2月下旬ぐらいの気温だった。

 クライストチャーチ、語感に古きイギリスのにおいがした。1850年、イギリスから4隻の船で800人が移民したのが始まり。それが現在では35万人の南島最大の都市へと成長した。すさまじい人口増の背景には歴史があった。ニュージーランドへの移民が始まって間もなく、サザン・アルプスの各地で金鉱脈が発見され、1860年代からゴールドラッシュが沸き起こる。これで、ヨーロッパやアジアからもどっと人が押し寄せた。さらに、1870年代からはヨーロッパでウール(羊毛)の人気が高まり、ニュージーランドはその原料の主力供給基地へと実力をつけていった。

 こうしたサクセスストーリーを背景に、街は活気にあふれた。1864年から40年もかけて、街の中心部にイギリスのゴシック様式による大聖堂が建設された。奥行き60㍍、1000人は収容できる。そして大聖堂の名前がそのまま街の名前になった。母国イギリスへの望郷の思いから、オックスフォード通り、ケンブリッジ通りなど大聖堂の周辺には地名もつけられた。人々は「イギリス以外で最もイギリスらしい町」と呼ばれるほどに本国のイミテーション都市をつくり上げた。

 その真骨頂は気品のある住宅街である。エイボン川沿いの瀟洒な住宅群、あるいは前庭は草花、後庭は芝生のイングリッシュガーデンの住宅が建ち並ぶ。クライストチャーチは「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街となった。そして、クライストチャーチは豊かだ。サザン・アルプスを背景にカンタベリー平野に展開する牧羊などの酪農、そしてカイコウラ漁港を中心とした水産業も盛んだ。そこに住む人々の表情は穏やで、路上でチェスを楽しむ姿があちこちに見受けられた。

 しかし、今回の地震でシンボル的存在の大聖堂の塔は崩れ落ちた。

⇒23日(水)夜・金沢の天気  はれ