⇒トピック往来

☆最期の物語を演出

☆最期の物語を演出

 それにしても見事、あるいは完璧だった。今月17日8時30分の死去から19日正午の発表まで、51時間余り及ぶ情報統制である。北朝鮮の金正日総書記の死亡は完璧に伏されていた。逆に言えば、情報社会とは無縁、スパイすら入れない密閉体制なのである。

 一方で、発表までに51時間余りという時間を費やす必要があったのかどうか。考察するヒントとなるニュースがいくつかあった。韓国中央日報インターネット版(日本語)によると、韓国の国家情報院の元世勲院長が20日、「北朝鮮が金正日総書記死去の時間と発表した17日午前8時30分に金総書記の専用列車は平壌竜城駅に停車中だった」と報告したと複数の与野党情報委員が伝えた。さらに引用すると、元院長は「金総書記は15日に現地指導をはじめ色々な行事があり、列車の動線を確認したが16~17日の2日間は動かなかったものと把握している」と説明した。金総書記が「走る野戦列車の中で重症急性心筋梗塞により死去した」という北朝鮮当局の公式発表とは違い、「待機中の列車」あるいは「第3の場所」で死去したということだ。ただし元院長は、「金総書記がどこかに行こうと列車に乗ってすぐに死去した可能性はある」と付け加えたという。

 日本の新聞各紙が伝えている、北朝鮮の朝鮮中央通信が19日報じた18日付の「金正日同志の疾病と死去原因に対する医学的結論書」の全文は以下の通り。「金正日総書記は心臓および脳血管疾病により長期間治療を受けてきた。強盛大国建設のため超強行軍で重なった精神、肉体的過労で、17日に走行中の野戦列車内で重症急性心筋梗塞が発生し、深刻な心臓性ショックが合併した。発症からすぐに全ての救急治療対策を講じたが、17日午前8時半(日本時間同)に逝去した。18日に行われた病理解剖検査では、疾病の診断が完全に確定された。」

 これらのニュースを突き合わせると、北朝鮮サイドは「金総書記は走行中の列車の中で心筋梗塞」と発表しているが、韓国側では「列車は16日、17日とも動いていない」と認識している。つまり走行中の列車の中での容態悪化ではなかった、と。その死から発表まで51時間余の時間がかかったというのも、ひょっとして「強盛大国建設のため超強行軍で重なった精神、肉体的過労で、17日に走行中の野戦列車内で重症急性心筋梗塞が発生」という「偉大な指導者の最期の物語」を描くストーリー構成に時間がかかったということか。とすれば、これまもまたある意味で見事な演出国家ではある。※連日、北朝鮮の関連ニュースを伝える日本の新聞各紙

⇒23日(祝)朝・金沢の天気   くもり

★拉致問題の原点

★拉致問題の原点

 能登半島の風光明美さはリアス式海岸と呼ばれる、谷が沈降してできた入り江が見所となっている。ところによっては、リアス式海岸のことを別名で溺れ谷(おぼれだに、 drowned valley)ともいう。海と谷が複雑に入り組んだリアス式海岸は歴史的な伝説も生んだ。たとえば「義経の舟隠し」という名所が能登半島には3ヵ所もある。鎌倉幕府からの追手を逃れて奥州(東北)に落ちのびる際、天候が荒れ、能登の入り江の奥深くに48隻の舟を隠したとされる。

 そうした能登のリアス式海岸を悪用したのが、北朝鮮による拉致事件だった。1977年9月19日、東京都三鷹市役所で警備員をしていた久米裕さん(当時52歳)は、能登の宇出津海岸から北朝鮮に拉致されてた。久米さんを能登に連れていった在日朝鮮人が、入り江にいた北朝鮮の工作員に引き渡したとされる。複雑に入り組んだリアス式海岸は工作員の絶好の隠れ場所となっていたのだ。

 その拉致を日本で指揮した大物スパイも能登のリアス式海岸から入ってきた。1973年に輪島市の猿山岬から不法入国し、以後東京、京都、大阪に居住した北朝鮮のスパイ・辛光洙 (シン・ガンス)だった。それらのスパイを統括で指揮したのが金正日総書記だったといわれる。たまたまだが、能登の海岸を車で走り事件現場を通る。ここが拉致問題の原点の場所かと単純に考える。

 2011年の年の瀬。その年末のギリギリに北朝鮮からニュースが飛び込んできた。19日に発表された金総書記の死亡。まず脳裏を駆け巡ったのは、拉致の主犯の死亡、そして拉致被害者らは帰国できるのだろうか、ということだった。

 19日のテレビで拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんが「私たちには大事な家族を強引に連れていった、拉致をした張本人。独裁者がいなくなって、ある意味でほっとした」と語っていた。また、新潟市で横田めぐみさん(1977年拉致)の父親の横田滋さんは「次に北朝鮮の政治を担う人が前の政権を否定して新しいことを始めるのか、混乱が続くのかわからない」と複雑な心中をのぞかせていた。

 ヨーロッパの経済混乱、極東アジアの新たな火種になるかもしれない金総書記の死、そして東日本震災、原発事故、大きな課題を背負ったまま。2012年へあと10日余り。※写真は、金正日総書記の死亡を伝える20日付の各紙

⇒20日(火)朝・金沢の天気  くもり

☆生物と農業の多様性

☆生物と農業の多様性

  国際社会が協力して生物多様性保全に取り組む「国連生物多様性の10年」のキックオフシンポジウムの2日目(18日)、記念フォーラムが開催された。両日で繰り返し述べられた「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」について確認しておきたい。

 生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)での最大の成果は、名古屋議定書とともに、条約の今後10年間の活動の方向性を示す愛知ターゲットを採択したことだといわれる。名古屋議定書は、正式には「ABS(遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分)に関する名古屋議定書」との名称。以下が骨子となる。▽資源を利用する場合は、事前に原産国の許可を得る、▽資源を利用する側は、原産国側と利益配分について個別契約を結ぶ、▽資源に改良を加えた製品(派生品)の一部は利益配分の対象に含めることができる。対象に含めるかどうかは契約時に個別に判断、▽不正に持ち出された資源ではないかをチェックする機関を各国が一つ以上設ける。

 愛知ターゲットは略称で、正式には「新戦略計画2011-2020」。▽戦略目標 A…各政府と各社会において生物多様性を主流化することにより、生物多様性の損失の根本原因に対処する、▽戦略目標 B…直接的な圧力を減少させ、持続可能な利用を促進する、▽戦略目標 C…生態系、種及び遺伝子の多様性を守ることにより生物多様性の状況を改善する、▽戦略目標 D…生物多様性及び生態系サービスから得られる全ての人のための恩恵を強化する、▽戦略目標 E…参加型計画立案、知識管理と能力開発を通じて実施を強化する。以上の5つの戦略目標があり、さらに20の目標がそれぞれに分類分けされている。たとえば、戦略目標 Cでは「2020年までに、少なくとも陸域及び内陸水域の17%、また沿岸域及び海域の10%、特に、生物多様性と生態系サービスに特別に重要な地域が、効果的、衡平に管理され、かつ生態学的に代表的な良く連結された保護地域システムやその他の効果的な地域をベースとする手段を通じて保全され、また、より広域の陸上景観又は海洋景観に統合される」(目標11)と数値化された目標がある。また、戦略目標 Eでは「2020 年までに、各締約国が、効果的で、参加型の改訂生物多様性国家戦略及び行動計画を策定し、政策手段として採用し、実施している」(目標17)と国家戦略と行動計画の実施をうたっている。愛知ターゲットの実効性を確認するため、2014年に中間報告を行うことになっている。

 記念フォーラムでは面白い場面があった。パネル討論で、生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏が上記の名古屋議定書と愛知ターゲットについて話した後、国連食糧農業機関(FAO)土地・水貢源部長のパルビス・クーハフカン氏=写真・右=は「ジョグラフ氏とは兄弟のようなものだ」と自己紹介をした。この言葉が実はとても意味がある。パルビス氏は世界農業遺産(GIAHS)の事務局長もある。切り出した話が「生物多様性はすなわち食糧の多様性である」と。以下、話を要約する。現在世界の70%の人口は都市住民である。この傾向が強まれば、それだけ食べ物は単純化されていく。人類の栄養バランスは今後大きな課題となる。中国・雲南省のハニ族は140種類もの米をつくっている。一方で、農村は若者の人口の流失で耕作が維持できなくなりつつある。これは世界的な傾向だ。大規模経営の農業ではなく、世界の地域に根付き地域に必要な食糧や食材を提供してきた小規模経営の農業を見直す転換期にある。つまり農産物の遺伝子資源を守り、持続可能なかたちで発展させるということだ。日本で里山や里海の重要性が強調され始めているが、生物多様性の目指すところも、食物の多様性を目指すことも同じことである。

 確かに、これまで生物多様性は環境問題であるとの観念が強かった。農山村が荒廃することで失われた生物多様性も多々あることは生態学者が指摘してきた。地球課題となった生物多様性の保全と多様な農業の再生というベクトルをどううまく組み合わせるのかこれが人類の知恵の出しどころということなのだ。

⇒19日(月)朝・金沢の天気   くもり

★「歴史的な旅に出る」

★「歴史的な旅に出る」

 「国連生物多様性の10年」のキックオフイベントが17日午後、石川県立音楽堂(金沢市)であり、記念式典と基調講演に出席した。「国連生物多様性の10年」は去年10月の名古屋市で開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、NGOの提言をもとに日本政府が国連に提唱し採択されたもの。国連は今年から2020年までの10年間を生態系を守る集中的な行動期間と定めた。COP10では、生態系保全のためにそれぞれの国が2020年までに実行すべき目標を定めた「愛知ターゲット」を採択していて、金沢でのキックオフイベントで目標達成に向けてスタートを切ることになる。

 式典は30ヵ国から政府関係者が集まりにぎやかだった。でも、なぜ金沢で開催するのか、と疑問符がつく。歓迎レセプションで谷本正憲石川県知事と、武内和彦国連大学副学長(東京大学教授)がその理由を明かした。キックオフイベントは環境省と国連大学などが中心となって5月に東京で開催する方向で準備が進んでいた。ところが3月11日に東日本大震災、そして福島の原発事故などがあり、中止となった。「愛知ターゲット」を何とかスタートさせたいと思いを募らせた関係者に浮かんだアイデアが、昨年12月「国際生物多様性年クロージングイベント」を開催した金沢市でキックオフイベントができないか、だった。会場はどこでもよいという訳にはいかない。生物多様性という意味合いが地域で理解され、これに協力的で、国際会議の開催経験があり、しかもそれなりの開催費も負担する自治体となると絞られてくる。知事はどうやら武内氏らに懇願され最終的に引き受けたらしい。

 記念式典でアフメド・ジョグラフ生物多様性事務局長=写真=は「次世代を担う子どもたちの間でも生物多様性の認知度は低い。分かりやすく説明することから始める必要がある。日本の良寛は最後に残すことは何かと問われ『春の花、丘になく鳥、秋の紅葉』と言った。愛知ターゲットの達成に向けてこれから国際社会は歴史的な旅に出る。選択肢はない」と呼びかけた。また、2012年10月にハイデラバードでCOP11を開催するインドのヘム・パンデ環境森林省担当局長は「インドも生物多様性の恩恵を受けている。COP11のスローガンを『もし私たちが自然を保護すれば、自然は私たちを守ってくれる』としたい」と述べた。

 2008年5月にボンで初めてジョグラフ氏を知り、COP9とCOP10でのスピーチを、また金沢大学でもスピーチ(2009年5月)をいただいた。その中でも、今回のジョグラフ氏の「歴史的な旅に出る。選択肢はない」の言葉が一番強く印象を受け、覚悟のようにも聞こえた。

⇒18日(日)朝・金沢の天気  くもり

☆天からの雪便り

☆天からの雪便り

 昨夜から金沢でも雪が降り、きょう17日朝は自宅周辺で20㌢ほど積もった。北陸に住む感覚から述べると、「冬のご挨拶」だ。毎年この時期、12月半ばになると初回の積雪がある。これが「そろそろ雪を本格的に降らせますので、みなさん心の準備と積雪の備えをよろしくお願いします」という自然からの挨拶のように思える。

 ただ、この挨拶も度が過ぎるというのもある。ちょうど6年前の2005年12月17日、いきなり金沢市内で50㌢という積雪に見舞われた。こうなると挨拶どころか、ケンカを売っているようにも思える。「人間ども見ておれ、自然をなめるなよ」といった感じだ。すると、人々は「ちょっと待ってくださいよ。二酸化炭素の排出などで地球は温暖化に向かっているのではないですか。それなのになぜ大雪なのですか」と思ってしまう。すると自然の声もさらに荒々しくなる。「地球温暖化は人間が引き起こしていると思っているようだが、オレに言わせれば、地球の寒冷期がたまたま温暖期に入ったわけで、これはオレが差配している自然のサイクルだ。今後雪を降らせないとか少なくするとかは一体誰が決めたんだ、それは人間の勝手解釈だろう。オレは降らせるときはガツンと降らす。2008年1月にはバクダットにも雪をプレゼントしてやったよ」と。北陸という土地柄では、冬空を見上げながら自然と対話ができる。1936年に世界で初めて人工雪を作ることに成功し、雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎(1900-62、石川県加賀市出身)は「雪は天から送られた手紙である」という言葉を遺している。

 さて、この時期、雪は生活の一部だ。積雪に備え庭の樹木に雪つりを施す。乗用車のタイヤをスタータイヤに交換する。除雪用のスコップを玄関に用意する。雪靴をゲタ箱に入れておく。慌ただしく準備をして、積雪期を迎える。きょうはさっそく除雪用のスコップの出番だった。道路に面した家の間口分だけ道路を除雪するのが暗黙のルールになっている。しかも、側溝付近の人が歩く側だけだ。不思議なもので、早朝近所の誰か始めると町内の人々が入れ替わりに出てきて除雪する。お昼ごろにはだいたい道路の歩道部分の除雪が終わっている。町内一斉の除雪というのもあるが、これはドカ雪で道路機能がマヒし、除雪車も来ないというときに、非常措置として町内会が音頭を取って実施する。5年か6年に一度ほどある。

 北陸の雪は長野や北海道と違って、湿り気が多く重い。五葉松などの庭木は雪つりがないとボキリと枝が折れる。写真は、きょう9時に撮影したもの。パラソルのように広がった縄が五葉松の枝を雪の重みから支えている。自然に対応する先人の知恵というのはかくも確かで、そのフォルムは美しい。

⇒17日(土)朝・金沢の天気  ゆき

☆九谷をまとった虫たち

☆九谷をまとった虫たち

 赤絵の小紋、金蘭(きんらん)の花模様、まさに豪華絢爛の衣装をまとったカブトムシ…。これらの昆虫を眺めていると、地上ではない、まるで別世界にジャンプしたような感覚になるから不思議だ。能美市九谷焼資料館(石川県能美市)で開催されている、陶器の置物展「九谷焼の未来を切り拓く先駆者たち~九谷塾展~」(11月20日まで)を見てきた。

 九谷焼の若手の絵付職人、造形作家、問屋、北陸先端大学の研究者らが集まり、現代人のニーズやライフスタイルに合った九谷焼をつくろうと創作した作品が並ぶ。九谷焼といえば皿や花器などをイメージするが、置物、それも昆虫のオブジェだ。

 体長9㌢ほどの7匹のカブトムシや3匹のクワガタ、18匹のカタツムリ。それぞれの作品に、金で立体感のある装飾を描く「金盛(きんもり)」や、四季の花で陶器を埋め尽くす「花詰(はなづめ)」、九谷焼独特の和絵の具で小紋を描く「彩九谷(さいくたに)」、小倉百人一首を書いた「毛筆細字(もうひつさいじ)」など九谷焼の伝統技法と色彩表現を結集させている。毛筆細字は九谷焼における、もっとも難易度が高い技法の一つといわれる。

 一般的に昆虫をモチーフとしたアート作品は写実的であったり、グロテスクであったり、アニメ風なのだが、昆虫の形状を忠実に再現し、その完成度の高いボディに九谷の技術を駆使することで、実物以上の存在感を引き立たせる。たとえて言えば、妙齢の女性が色鮮やかな友禅を羽織る、そんなイメージ。つまり色香を放つ。九谷焼の新たなアート分野を開拓しようという意気込みを感じさせる作品展だ。

 写真は九谷焼資料館のチラシを抜粋させてもらった。上が赤絵の小紋、金蘭の小紋・花模様、青粒(あおちぶ)が描かれ、下は金地に極小文字の毛筆細字のカブトムシ。1体の昆虫に九谷350年の技法を惜しみなく注ぎ込んでいる。実物を見れば、もっと衝撃を受ける。

⇒19日(水)朝・金沢の天気 はれ

★白川郷でどぶろくを飲む

★白川郷でどぶろくを飲む

 その酒のアルコール度は17度、ちょっと酸っぱさを感じる。杯(さかずき)で8杯飲んだ。足元が少々ぐらついた。16日(日)午後に訪れた岐阜・白川郷の鳩谷八幡(はとがやはちまん)神社の「どぶろく祭り」に参加した。

 世界遺産の合掌集落で知られる白川村。1300年続くとされる祭りは、秋の豊作を喜び、五穀豊穣を祈る祭り。酒造メーカーではなく、神社の酒蔵で造られるのがどぶろくだ。冬場に蒸した酒米に麹(こうじ)、水を混ぜ、春に熟成するのを待つ。ろ過はしないため白く濁るため「濁り酒」とも呼ばれる。その年の気温によって味やアルコール度数に違いが生じる。暖冬だとアルコール度数が落ち、酸っぱさが増す。村内にはどぶろくを造る神社が鳩谷を含め3ヵ所あり、祭りは出来、不出来の品評会にもなる。だからつい飲み過ぎて、腰が立たなく人が多ければ多いほど、どぶろくを造る杜氏(とうじ)はほくそ笑むらしい。「杜氏みょうりに尽きる」と。どぶろく一升(1.8㍑)飲めば、間違いなく三日酔いだとか。そんな話をしてくれたのは、腰かけた境内の石段の隣に座った村の年配男性だった。

 午後3時半すぎ、参拝者がゴザに座って陣取る。神社の拝殿の軒下では、酒だるのふたが開けられ、「どぶろくの儀」がしめやかに営まれた。キッタテという酌用の容器にどぶろくが移されると、かっぽう着姿の地元女性が注ぎに回る=写真=。この白のかっぽう着がなんともまぶしい。つい、もう一杯と杯を差し出す。

 どぶろくが回り始めころ。境内のステージでは、「白川輪島」という芸能が子供たちによって披露された。「輪島出てから 今年で四年 もとの輪島へ 帰りたい 山で床とりゃ 木の根が枕 落ちる木の葉が 夜具となる・・・泣くな鶏 まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の 生えるまで」。哀調を帯びた労働歌なのだろう。もともとは素麺(そうめん)づくりの「粉ひき唄」が五箇山や白川に伝えられたといわれる。どぶろくの振る舞いは30分も経つと絶好調になった。

 浴衣を着こんで妙に日本語が上手なアメリカ人が斜め向かいに座った。顔を真っ赤にして、杯を重ねる。「ロッキー(山脈)でワインを飲んだ感じだ。オレはパッピーだ」とかっぽう着の女性に投げキッスをするほどテンションが高い。「相当ヤバイことになりそう」と周囲の案じる声が聞こえた。こうして天下の奇祭「どぶろく祭り」の終宴が近づいた。

⇒17日(月)夜・金沢の天気   くもり

☆この「マクロ」の暗さよ

☆この「マクロ」の暗さよ

 なぜイギリスはEUに加盟していながら、通貨はユーロ圏に入らないのか、不思議だったが、いまにして思えば、ぼんやりとながら輪郭が描ける。経済はドミノ倒しのリスクがあるからだ。私自身、マクロ経済に関心があるわけでも、造詣が深いわけでもないが、こうも連日のようにギリシャの財政危機などが新聞などで報道されるとつい見入ってしまう。

 ギリシャ国債のデフォルト(債務不履行)が不可避の状況となってきたようだ。1年物国債の利回りは一時117%と急上昇した。つまり、1年で元本が倍になる金利を付けても購入されないということなのだ。同じユーロ圏の支援国のドイツとフランスは、ギリシャ救済に自国の税金が使われることに対する世論の反発が強いことを恐れ、思い切った打開策を打てないでいる。もちろん、ギリシアがデフォルトに陥れば、ギリシャの国債を有するヨーロッパの金融機関は巨額の損失が発生し、金融危機へと連鎖するだろう。そうなれば、同じく膨大な債務を抱えるイタリアやスペインの国債破綻へとドミノ倒しとなる。ちょうど3年前の9月に起きたアメリカ発のリーマン・ショックの欧州版となる。

 だからといって、イギリスのポンドがユーロ圏のドミノ倒しから逃れ、安定していのかと言えばそうでもなさそうだ。金利を上げ下げしながら、イギリス製品の輸出を刺激するためにポンド安をなんとか誘導している。要は、綱渡りの上手な国なのだ。もちろん、イギリス連邦(54ヵ国加盟)の宗主国としての通貨のプライドもあろう。
 
 では、アメリカはどうか。「政府が中心になって景気回復を」というオバマプランで膨大な出費をして経済対策を打ってきたが、手詰まりの状態に。そして、つい先日(19日)、今後10年間で3兆ドル(日本円にして230兆円)の財政赤字を削減する方針を示した。驚きだったのは、半分に当たる1兆5千億ドルを富裕層や石油会社などに対する増税による歳入の増加で賄い、さらにイラクやアフガニスタンからのアメリカ軍撤退によって軍事費を1兆1千億ドル削減するというのだ。結局のところ、これまでの、「ばらまき」で経済を刺激しても景気が回復する兆しは見えない。そこで、増税と軍事費の削減で財政の立て直しをやると宣言したようだ。ただ、大規模な増税を実施すれば、経済成長は望めず、財政赤字の削減にはつながらないというのは本来の見方なのだが。

 私見だが、アメリカにしてもヨーロッパにしても、政治家に悲壮感が漂っていて、気が気ではない。オバマにいたっては、最近言葉に張りすらなくなっているようにも思える。かつてのクリントンのように明るくなれないのだろうか。アメリカの魅力を世界に伝えれば、世界中からお金を集めることは可能だろう。たとえば、当時のアル・ゴア副大統領が情報スーパー・ハイウェイ構想をブチ上げた。だから新しい時代のアメリカに期待して金が集まった。ところが、「国が大変だ」と叫んで、ゼロ金利にしてお金をばらまくから逆にお金が逃げいていった。そんな感じだ。

 もちろん、日本も同じだ。失われた20年で経済はデフレに陥っている。金利を上げれば、お金は国債から離れるので、国はじっとしている。座して死を待つようなものだ。そして、「増税」の新聞見出しが日増しに大きくなっている。出口が見えないから国民は憂うつだ。マクロの視点から見た世界と未来はかくも暗い。それに比べ、「それはそれでええじゃないか」と個人の頑張りで輝いているミクロの動きが面白い。次回からそんな特集をつづってみたい。

⇒22日(木)午後・金沢の天気   あめ

☆畠山重篤さんのこと

☆畠山重篤さんのこと

 東日本大震災の後、NPO法人「森は海の恋人」の畠山重篤さん(宮城県気仙沼市在住)にお会いするのは2度目だ。最初は5月12日。有志から募った義援金を持参し、東京・八重洲で会った。このときの畠山さんは頭髪、ひげがかなり伸びていて、まるで仙人のような風貌だった。黄色いヤッケを着ていた本人は「ホームレスに間違われるかもな…」と笑っていた。この折に、9月2日に能登半島の輪島市で「復興と再生」をテーマにシンポジウムで講演をお願いし、了承を得た。そして今回、9月2日。畠山さんを輪島に招いての講演が実現した。さすがにこのときは講演を意識されたのか、頭髪もひげも整髪されていて、こざっぱりとした感じになっていた。

 「地域再生人材大学サミットin能登j。畠山氏をお招きしたステージだ。地域再生のための人材養成に関わる全国の大学関係者らが集った全国会議のシンポジウム。シンポジウムは一般公開としたので、市民も聴講に訪れ、定員1200人のホール(輪島市文化会館)はいっぱいとなった。講演は40分、気仙沼の漁師としての思い、森は海の恋人の提唱者としてのこれからを語ってもらった。

 【畠山重篤氏の講演要旨】 昨日、輪島に来て案内されたホテルの窓から眼下に海原が広がるので津波が来たら危ないと思った。部屋が8階と聞いて少し安心した。津波では、20㍍の高台にある自宅のギリギリまで波がきた。津波の怖いところは、生死がはっきりと分かれるところだ。津波で陸はすっかり様変わりしたしたが、1ヵ月ほどして、海が少しずつ澄んできた。ハゼのような小魚など日を追うごとに魚の種類も海藻も増えてきた。京都大学が海底の調査をしたところ、土壌もそれほど変化していないことが分かった。つまり大津波によって海が壊れたわけではない。生き物を育む海はそのままで、カキの養殖も再開できると思ったとき、勇気がわいてきた。
 海は森の恋人運動は、気仙沼の湾に注ぐ大川の上流で植林活動を20年余り続け、約5万本の広葉樹を植えた。赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで運動を始めた。スタート当時、科学的な裏付けは何一つなく、魚付林(うおつきりん)があるとよい漁場になるという漁師の経験と勘にもとづく運動だった。お願いした北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)によって、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることを解明された。漁師の運動に科学的な論拠を与えてもらった。このおかげで、大川上流のダム建設計画も中止となった。植樹活動には子供たちを参加させている。かつて植樹に参加した子供たちの中には、いま生態学者を志す者もいる。森と川と海をつなげる森は海の恋人運動は、漁師の利害ではなく、未来の地球の環境を守るための「人々の心に木を植える」教育活動だと考えている。

⇒3日(土)朝・輪島の天気   くもり

★フラッシュモブ

★フラッシュモブ

 アメリカでは「フラッシュモブ(flash mob)」と呼ぶそうだ。フラシュは瞬間の光、あるいは閃(せん)光、モブは暴徒、あるいはギャングの意味である。数十人から何百人もの集団がパッと押し寄せて、商店での略奪や通行人を襲撃する。新たな犯罪現象である。

 昨日のTBS系のニュース番組で紹介されていた。アメリカ・メリーランド州のコンビニエンスストアの防犯カメラがとらえた映像。店に突然、男女数十が入ってきて、次々に商品をつかむと、そのまま金も払わず店の外へと消えていく。集団が襲ったのは午前2時前、店員は1人で対抗措置を取ることができなかった。治安が悪い地区で起きているわけではない。静かなふつうの都市で起きている犯罪なのだ。

 メリーランド州だけではない。フィラデルフィアでは、この夏に数十人から200人もの集団が商店や道行く人を突然襲う事件が相次ぎ、重傷者も発生。ワシントンでは衣料品店が襲撃され、ラスベガスではコンビニが狙わた、と報じていた。フィラデルフィアでは、このフラッシュモブ犯罪が多発していることから、若者の夜間外出禁止令が発令された、という。

 このアメリカで起きている現象と、前回のブログで書いたイギリスでの「理由なき暴動」と重なる。見ず知らずの若者が集まり、略奪し襲撃するこの犯罪で取りざたされているのが、スマートフォンなど使われるツイッターやフェイスブックの存在だ。何者かが襲撃計画を多数に呼びかけ、犯行が行われた可能性がある。つまり、ソーシャルメディアが犯罪を扇動するツールとして使われている。前回のブログで「ハーメルンの笛吹き男」の寓話を紹介した。ソーシャルメディアが「笛」の役目を担い、「笛吹き男」が街のギャング(暴力的犯罪集団)だとしたら恐ろしい。

 では、このフラッシュモブ、日本での可能性はどうか。今は目立った動きはないが、起こりうる。現に、東日本大震災の発生時、得体の知れない情報にどれだけのチェーンメールが流され、人々が踊らされことだろう。さらに、オレオレ詐欺の集団が言葉巧みに電話で人を操っている。そのような集団がソーシャルメディアを使って、さまざまに仕掛けることは想像に難くない。犯罪に加わる若者もゲーム感覚で「みんなで渡れば怖くない」と。こうした軽い気持ちがフラッシュモブの萌芽になりうる。

⇒18日(木)朝・輪島の天気   あめ