⇒トピック往来

★解散・総選挙への一日

★解散・総選挙への一日

 きょう(14日)午前、石川県内のある市長と面談する機会があった。市長は元県議会議員で、「政局」を読むに敏感だと定評があるので、あえて水を向けてみた。「年末の解散、総選挙など政局はどう動きますか」と。即答だった。「結局、民主党は大分裂を起こして選挙突入だね」と。この後、午後の党首討論で「16日に解散してもよい」との野田総理の発言が出て、解散(11月16日)・総選挙(12月4日公示、16日投開票)の嵐が吹き始めた。

 市長が「大分裂」と言ったのは、決議支持率が低迷する中の解散・総選挙では民主の苦戦が必至で、すでに同党の一部議員による新党結成や、有力議員の日本維新の会への合流など離党の動きが出ている。そこで、13日の民主党常任幹事会で「党の総意」として年内解散に反対する方針で合意していた。にもかかわらず、野田総理は党の分裂を覚悟で、「16日解散」を表明したのである。市長の読みは的中したことになる。

 きょう午後の党首討論の様子をテレビで視聴して、どちらが役者が上か考えた。総理は衆院小選挙区の「1票の格差」を是正するための「0増5減」の法改正を今国会で成立させ、かつ来年の通常国会で「比例代表定数の40削減」(民主案)など大幅な定数削減を条件にあげ、それを自民党の安倍総裁が確約すれば「16日に解散してもいい」と提案したのだった。安倍総裁は即答できなかった。党首討論後に自民党は定数削減に関しても協力する考えを表明、これで解散の条件が整ったと言える。

 役者とすれば野田総理が上だろう。これまで「近いうち解散」を言いながら延び延びとなっていて、12日の衆院予算委員会では石破自民幹事長から「うそつき」とまで。そこまで言われて、総理は攻勢に出た。今度は、自民党に定数削減の確約を迫ったのである。解散は総理の専権事項であり、野田氏は主役を演じきった。それにしても異例の「解散宣言」だった。

 きょう午後8時前、知り合いの新聞記者からメールが届いた。「12月16日の晩」に選挙調査で学生を紹介して欲しいとの依頼だった。「開披台(かいひだい)調査」のアルバイトである。選挙でで出口調査は知られているものの、開披台調査は一般では聞きなれない。投票が締め切られる午後8時以降、各投票場から投票箱が続々と開票場に集まってくる。そして9時過ぎごろから実際の開票が始まる。投票箱が開けられ、票がばらまかれる台は「開披台」と呼ばれる。その票を自治体の職員が候補者ごとに仕分けしていく。調査のアルバイトはペアを組んで、その職員の手元を双眼鏡で覗き、どの候補者が何票得ているかカウントする。「A候補が50、B候補が40、C候補が10」というように、軸となるA候補が50になるまでカウントして、その他の候補の数字と比較する。

 こうしたペアが同じ開票場に10数組配置され、それぞれ異なった開披台を調査する。電話でデータ集計本部に連絡される。この調査では、A候補が2000になった時点で、実際の開票終了時との集計誤差はプラス、マイナス3%にまで高められるとされる。この調査に、大学生らが新聞-テレビの1系列で全国で数千人規模でアルバト動員される。

 総選挙になると、「元新聞屋・テレビ屋」の血が騒ぐ。2012年末まで政局は一気に走る。

⇒14日(水)夜・金沢の天気   雷雨

★現代版「竹取物語」

★現代版「竹取物語」

 新聞記者時代に新人研修として新聞用紙の生産現場を訪れたことが記憶にある。富山県高岡市にある中越パルプ工業伏木工場だった。1978年(昭和53年)のことだ。鉄製の狭い階段をアップダウンしながら工場をひと回りした。覗き込んだ大きなタンクの底にある白い液体、これが紙になるのか、と。日本の経済成長を支えてきたのは、ある意味で紙だ。新聞というメディア、紙幣だってそうだ、契約文書、書籍、チラシ、そしてテッシュペーパーやトイレットペーパーなど生活用品にいたるまで。しかし、紙幣や文書、書籍は別として、われわれのイメージとして、紙は「使い捨て」の代名詞でもある。

 その紙から、里山の問題を考えさせるセミナーが昨日(10月31日)、金沢大学角間キャンパスであった。企画したのは香坂玲准教授。講師は、中越パルプ工業の西村修・企画営業部長。同社は、竹紙(たけがみ)を生産している。竹の伐採や運搬、原料チップの加工など、竹は木材に比べ効率が悪く、コスト面で不利とされてきたが、あえてそれに挑んだ。地域の住民や、チップ工場などの協力を得ながら集荷体制を築き、竹パルプ10%配合の製品を開発。さらに工場設備を増強し、2009年は国産竹100%の紙を販売。封筒やはし袋、コップといったほかに、パンフレットやカレンダー、名刺やノートなど使用用途を広げるために工夫をこらしてきた。現在、年間で2万㌧(67万本相当)の竹を使う。日本の竹のみを原料とする紙を「マスプロ製品」として生産する唯一の会社といってよい。

 では、なぜパルプ原料を竹にこだわるのか。モウソウ竹などは、タケノコなどの食材や、竹垣など家屋、また工芸品などとして現在でも広く使われ、日本人の食と生活、文化に密接している。が、そうした「竹の需要」は全体的に減っている。また、竹林を管理する人が高齢化し、後継者も少なくなっている。その結果、放置された竹林が森林を侵食して荒廃させる問題が全国的に起きている。金沢大学の山林でも、竹林は年間6㍍のペースで広がっていると指摘する人もいる。さらに、金沢のかつてのタケノコの産地だったいくつかの山々はすっぽりと竹に覆い尽くされてもいる。根が浅い竹林では豪雨による土砂崩れの事例も聞く。

 竹林を放置するのではなく、活用できないか。西村氏は「竹の活用用途を考えた場合、多くは量的に期待できない。紙原料だったら、竹を大量に使う」と同社が社会貢献としてこの事業に取り組んでいることを強調した。ただ、難点はまだ生産コストが高いこと。普通紙の倍以上はかかる。同社では、寄付金付き国産材活用ペーパーとして「里山物語」を商品化している。用紙価格に上乗せた寄付金を、NPO法人を通じて里山の再生と保全活動をサポートするために使っている。使い捨ての紙であるがゆえに必要とされる大量の竹、その薄い紙に込めた製紙会社の里山保全への想いが伝わってくる。現代版「竹取物語」といえないか。

⇒1日(木)朝・金沢の天気  雷雨

★愛されるキノコ

★愛されるキノコ

 能登半島の秋はキノコのシーズンだ。けさ(13日)、金沢から能登有料道路、主要地方道「珠洲道路」を経由して、半島の先端・珠洲市に着いた。沿道のあちこちに車が止まっていた。おそらくキノコ狩りの車だ。また、沿道近くの山ではビニールテープが張り巡らされている。これは、ナワバリ(縄張り)と言って、山林の所有者が「縄が張ってあるでしょう。立ち入ってはいけません」とキノコ狩りに人々に注意を促すものだ。つまり、マツタケ山の囲いなのだ。

 キノコ狩りのマニアは、クマとの遭遇を嫌って加賀地方の山々を敬遠する。そこで、クマの出没情報が少ない能登地方の山々へとキノコ狩りの人々の流れが変わってきている。本来、能登地方の人々にとっては迷惑な話なのだが。

 能登の人たちが「山のダイヤ」と呼ぶキノコがある。コノミタケだ。ホウキダケの仲間で暗がりの森の中で大きな房(ふさ)がほんのりと光って見える。見つけると、土地の人たちは目が潤むくらいにうれしいそうだ。「ありがたや」と拝むお年寄りもいるとか。1㌔7000円から1万円ほどで取り引きされ、マツタケより市場価値が高い。高値の理由は、コノミタケはスキヤキの具材になる。能登牛(黒毛)との相性がよく、肉汁をよく含み旨味で出て、香りがよい。能登の人たちは、キノコのことをコケと呼ぶが、コノミタケとマツタケをコケと呼び、それ以外はゾウゴケ(雑ゴケ)と呼んで区別している。加賀からキノコ狩りにやってくる人たちのお目当ては、シバタケだ。アミタケと呼ぶ地域もある。お吸い物や大根のあえものに使う。でも、能登に人たちにとってはゾウゴケなのだ。コノミタケへの思い入れはそれほど強い。

 能登で愛されるコノミタケは能登独特の呼び名だ。でも詳しいことは分かっていなかったので、金沢大学の研究員が調べた。能登町や輪島市の里山林に発生しているコノミタケの分類学的研究を行ったところ、ホウキタケの一種でかつて薪炭林として利用されてきたコナラやミズナラ林などの二次林に発生していることが分かった。研究者は鳥取大学附属菌類きのこ遺伝資源研究センターや石川県林業試験場と協働で調査を進め、表現形質の解析および複数の遺伝子領域を用いた分子系統解析を進めたところ、コノミタケが他のホウキタケ類とは独立した種であることが確認されのである。そこで、ラマリア・ノトエンシス(Ramaria notoensis、能登のホウキタケ)という学名を付け、コノミタケを標準和名とすることを、2010年5月に日本菌学会第54回大会(東京)で発表した。

 学名は付いた。しかし、コノミタケは発生量が減少傾向にある。発生地である薪炭林の老齢化や荒廃化により生息地が縮小しているのだ。

⇒13日(土)朝・金沢の天気   はれ

☆イチゴと給食問題

☆イチゴと給食問題

 ヨーロッパでのスローフードや村づくりに関するコラムをこれまで2回書いてきた。それに関連して、10日付の新聞各紙の紙面やWebで目に留まったニュースを一つ。

 ドイツで9月25日から28日にかけて、東部のブランデンブルグ州やザクセン州計5州の学校や幼稚園で園児や小学生1万1千人以上が給食の食材からノロウィルスに感染し、下痢や吐き気などの症状を訴え32人が入院する過去最大規模の食中毒事件が起きた。ドイツ政府がロベルト・コッホ研究所などに委託した調査で、給食に使われた中国産の冷凍イチゴからノロウィルスが検出された。

 ドイツの連邦消費者保護・食品安全庁の調査によると、給食は世界最大手の給食業者であるフランスのソデクソ社が提供したもので、イチゴはドイツ国内の給食センターで砂糖煮に調理された。しかし、加熱が不十分だったためノロウィルスが死滅しなかったのが原因と分かった。当初食中毒の関連を否定していたソデクソ社は「子どもたちの回復を願う」として陳謝し、補償として被害者に計55万ユーロ(5500万円)相当の商品券(1人5000円相当)を送る予定という。問題のイチゴは回収が進み、被害の拡大は食い止められたが、「中国産」がクローズアップされ政治の舞台でこの問題が取り上げられた。

 現在のイチゴは、18世紀にオランダで南アメリカ原産のチリ種と北アメリカ原産のバージニア種が交配されて生まれ、さらにフランスやイギリスで品種改良された(農水省ホームページより)。いわば、ヨーロッパ人の知恵と工夫で栽培された果物である。イチゴのシャルロッテはドイツ人が考案した子どもも大人も好きなデザートだ。今回問題となった「中国産」を、連合・緑の党がやり玉にあげた。「なぜ子どもたちが中国産イチゴを食べているのか。この季節、新鮮な地元のリンゴの砂糖煮を食べればよいのではないか」(エズデミル代表)と。これに対し、政府の食料・農業・消費者保護大臣は「地元の食材を食べるべきだ」と同調した(10日付・中日新聞記事より)。

 上記記事の簡略化された発言内容では前後の言葉のニュアンスが使わってこないが、ドイツの政治関係者がショックを受けているのは、輸入食品の安全性もさることながら、子どもたちに与える給食の食材をなぜわざわざ、東アジアの中国から輸入しなけらばならなかったのかという点だろう。しかも、季節外れの食材をなぜ、と。学校給食の食の在り方を論じている。これは健全な議論である。給食は、栄養価と大量仕入れがカギとなる。レモンを上回るとされるイチゴのビタミンCを摂取し、しかも大量仕入れとなると、旬の地元のリンゴより、中国産の輸入イチゴにドイツの給食業者は魅力を感じたのだろう。スローフード、反ファストフード、反・食のグローバル化の意識が広がるヨーロッパでも、これが足元の学校給食の現実なのかもしれない。

 日本でも同じように学校給食が問われている。食糧自給率が40%の日本で、せめて子どもたちの学校給食だけでも地産地消をと頑張っている自治体もある。しかし、それでも「地産地消率」40%を超えるところは全国的に見ても多くはない。ドイツと同じ問題が起きる要素は日本の方が十分はらんでいる。

⇒10日(水)夜・金沢の天気   はれ

★ドイツの美しき村

★ドイツの美しき村

  ドイツも田園景観に力を入れている国だ。4年前(2008年)に訪れたアイシャーシャイド村は、生け垣の景観を生かした村づくりが特徴だった。ドイツが制定している「わが村は美しく~わが村には未来がある」コンクールの金賞を受賞(07年)した、名誉ある村である。この制度は40年も前からある。

 人口1300人ほどの村が一丸となって取り組んだ美しい村づくりとはこんなふうだった。クリ、カシ、ブナなどを利用した「緑のフェンス」(生け垣)が家々にある=写真=。高いもので8mほどにもなる。コンクリートや高層住宅はなく、切妻屋根の伝統的な家屋がほどよい距離を置いて並ぶ。村長のギュンター・シャイドさんが語った。昔は周辺の村でも風除けの生け垣があったが、戦後、人工のフェンスなどに取り替わった。ところが、アイシャーシャイドの村人は先祖から受け継いだその生け垣を律儀に守った。そして、人工フェンスにした家には説得を重ね、苗木を無料で配布して生け垣にしてもらった。景観保全の取り組みは生け垣だけでなく、一度アスファルト舗装にした道路を剥がして、石畳にする工事を進めていた。こうした地道な村ぐるみの運動が実って、見事グランプリに輝いたのだった。

 この村には北ヨーロッパの三圃式農業の伝統がある。かつて村人は、地力低下を防ぐために冬穀・夏穀・休耕地(放牧地)とローテーションを組んで農地を区分し、共同で耕作することを基本とした。このため伝統的に共同体意識が強い。案内された集会場にはダンスホールが併設され、バーの施設もある。ここで人々は寄り合い、話し合い、宴席が繰り広げられるのだという。おそらく濃密な人間関係が醸し出されていた。ベートーベンの6番「田園」の情景はアイシャーシャイド村そのものである。第1楽章は「田舎に到着したときの晴れやかな気分」、第2楽章「小川のほとりの情景」、第3楽章「農民達の楽しい集い」・・・。のどかな田園に栄える美しきドイツのコミュミティーなのである。

 当時、村長から「日本の村はどうだい」と尋ねられたが、ちょっと言葉に窮した。日本の村では、個々の家で生け垣は残るものの、村の景観を地域ぐるみで美しくしようという運動は当時認識が浅かったせいか、聞いたことがなかった。前回紹介した『なぜイタリアの村は美しく元気なのか~市民のスロー志向に応えた農村の選択~』(宗田好史著・学芸出版社)によると、農村振興を狙いとした「美しい村」の認定制度は日本にもある。

 ただ制度は国によって異なる。フランスの場合は、人口2000人未満の地域、最低2つの文化遺産があること、土地利用計画で規制があることなどをクリアしなけらばならない。現在150余りの町村が認定されている。ドイツのアイシャーシャイド村の場合、まず景観を良くする、次いで伝統文化の保全と食文化を振興するという村長の話だった。これは私見だが、美しい村へのアプローチは、「文化から入るイタリア」、「景観から入るドイツ」、「制度から入るフランス」と多様な価値観があって面白い。

⇒8日(月・祝)朝・金沢の天気   はれ

★能登の栗物語

★能登の栗物語

 俳句の同好会に参加していることは以前述べた。俳句は「5・7・5」という字数の決まりごとがあり、季語を入れる。心象風景などを表現するが、面白のは同じものを見ても、見る人によってその心象が違うことだ。自我流の俳句だが、いくつか紹介する。今回は能登に関するものがテーマだ。

⇒ 華やかな マロングラッセや 能登の栗(2012年9月句会)
 金沢市内のデパートの食品売り場や高級洋菓子店で最近、「能登産栗」のマロングラッセが並んでいるのを見かける。能登の山の中で栽培された栗が大きく実り、都会に出てマロングラッセとして洋菓子になり、金紙や銀紙に包まれ華やかに店頭を飾る。まるでシンデレラの物語のようではないか。栽培現場を見ているので私自身もうれしい。ましてや、生産者はわが子のことのように誇らしく思っているに違いない。

⇒ 栗食ひをる 放牧の豚 丸々と(同上)
 能登半島の穴水町で養豚業を営む道坂一美さんは「のと猪部里児(いべりこ)」の商標登録を最近得た。エコフィード(食品残さ飼料化)による養豚を目指し、エサには多種類の野菜やワイン製造過程で出るブドウの搾りかすを使う。秋のこの時季になると放牧場と隣接する森に豚を放ち、落ちているドングリや栗を食べさせる。山のタンニンなどの栄養で肉質がしまる。「里山で生まれた高級食材として付加価値をつけて売り込んでいきたい」と道坂さんは話している。

⇒ カキ殻播く 畑の葡萄 赤々と(同上)
 同じ穴水町では「能登ワイン」のワイナリーやブドウ畑が見学できる。穴水湾で生産されるカキの殻を1年間天日干しにして砕きブドウ畑に入れる。すると能登特有の赤土の土壌が中和され、またミネラルが補強されて、ヤマソービニオンなど品質のよい醸造用ワインのブドウができる。最近、国産ワインのコンテストで銀賞を獲得するなど注目されている。そのブドウの搾りかすを道下一美さんたちが回収して豚に食べさせ大きく育てている。この循環が物語になり、ワインを飲んでも、豚を食べてもおいしく感じる。この話に感動した金沢のワインのソムリエ辻健一さんは、道下さんが生産した豚肉のバーベキューと能登のワインを楽しむ「マリアージュ・ツアー」(2012年11月11日)を企画している。念のため、マリアージュ(mariage)は、男女のお見合いではなく、ワインと食べ合わせのよい料理という意味で使っている。

⇒25日(火)朝・金沢の天気  はれ

☆世界農業遺産の潮流=7=

☆世界農業遺産の潮流=7=

  中国・浙江省紹興市で開催された「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」(主催:中国政府農業部、国連食糧農業機関、中国科学院)で意外だったのは、中国側からの「中国にあるGIAHSに対する誤った認識」(通訳)という言葉だった。中国では政府主導(中央政府、省政府など)でGIAHSを進めており、「誤った認識」など中国にはないという印象があった。  これについて触れたのは、閔慶文・中国科学院地理科学資源研究所研究員だった。

          GIAHSをめぐる課題の共有について

  閔研究員は、中国のGIAHSの特徴について、1)小規模の自家庭経済型、2)特殊な遺伝子保護型、3)多様性生物共生型、4)優れた景観生態型、5)持続的な水・土地資源利用型、と5つのタイプがあると説明し、中国ではGIAHS地域を奨励し保護するために、1)多主体参画の仕組み、2)動的保全の仕組み、3)生態や文化報償制度、4)有機農業、5)グリーンツーリズムやエコツーリズムなど観光産業を進めていると述べた。その上で、「中国の重要農業文化遺産(GIAHS)の保護に関する誤った認識もある」と述べた。その「誤った認識」とは「現代農業開発との対立」、「農家生活レベル改善との対立」、「農業文化遺産地の開発との対立」との3点だ、と。

  「現代農業開発との対立」とは、農業の生産性を高めるには大規模化や機械化など進める必要があるのにどうして伝統農業や生産性が低い農業を守らなくてはならないのか、という相対する意見。「農家生活レベル改善との対立」は、GIAHSで地域の伝統農業に誇りが持てたとしても当の農作物がブランド化して、農民たちの収入が増え、生活が良くなるのか、若者たちが魅力を感じてその伝統農法を継承してくれるのかという意見。そして、「農業文化遺産地の開発との対立」は、認定区域では伝統的な景観などにこだわり、新たな土地開発ができないのではないかという意見である。閔研究員は、「対話を重ね成果を上げればこうした対立した認識も薄まると思う」と述べた。

  中国側のこうした懸念は実はそのまま日本にも当てはまる。日本では「対立認識」というわけではないが、ある意味、冷ややかな反応がある。「GIAHSは、昔の農業に戻れということか」、「GIAHS栄えて、農業滅ぶ」などは農業関係者からも聞く話である。化学肥料や農薬、除草剤を使わない農業を進めて、生産性が落ちて、それで生物多様性が高まったとして、それは誰のための農業ですか、その農業に未来はあるのですか、と。

  確かに、日本の食料自給率が40%に落ちている。日本の農業を再生させるのが優先なのに、「昔ながら里山の農業」を唱えてみても、どれほどの効果があるのか、「農業ミュージアム」なら理解できる。そもそも農業の大規模化など国際的な取り組みを奨励してきたのは国連の食糧農業機関(FAO)ではないか、と。

  話は変わる。2010年10月、生物多様性条約第10回締約国会議(CBD/COP10)が名古屋市で開催された。そのいくつかのセッションの中で、(財)妻籠を愛する会の理事長、小林俊彦氏の講演の言葉が印象に残っている。「生物多様性条約というのは国際版生類憐みの令だね」。「生類憐みの令」は五代将軍・綱吉が動物愛護を主旨とする60以上の諸政策、法令のこと。綱吉が「犬公方(いぬくぼう)」と陰口されたように専制的な悪法として定着しているが、その保護対象は「猿」「鳥類」「亀」「蛇」「きりぎりす」「松虫から」「いもり」にまで及んでいたとされる。また、捨て子禁止や行き倒れ人保護といった弱者対策が含まれていたという。日本を統一するための戦(いくさ)はとっくに終わっていたものの、あぶれた武士たちによる辻斬りや剣を互いにかざす殺伐とした世相を戒める法で、当時とすれば画期的だったと見直されてる。

  ことし7月、佐渡市で開催された「第2回生物の多様性を育む農業国際会議」(佐渡市など主催)の立食パーティーで地元の農業者の方と話す機会があった。農薬を減らし生き物を増やす田んぼづくりを率先している。「数年前までは反収(1反=約10㌃当たりの米の収穫高)を上げることばかり考えて農業をやっていた。今は生き物を増やす工夫をしながら、おいしいコメをつくることに専念している。トキがうちの田んぼにエサを突きにくることを楽しみにしている。本当の美田というのは生き物がいる、にぎやかな田んぼのことだと気がついた」

 GIAHSが単なる「農業ミュージアム」でないことは生物多様性をその評価の柱に据えていることからも分かる。田んぼを生産現場ととらえるのか、自然の恵みの場ととらえるのかによっても農業への視点は異なる。GIAHSの先にあるのは持続可能な農業、あと100年、500年の農業を展望をどう切り拓くのかである。今回のワークショップで日中で共通する課題の共有ができた気がする。

※写真の上、下とも中国・浙江省青田県で

⇒9日(日)朝・金沢の天気   くもり

★世界農業遺産の潮流=6=

★世界農業遺産の潮流=6=

 今回の中国・浙江省行きではいろいろと見聞きした。そのメモ書きからいくつかを紹介する。

 中国の3高 中国のマンションの建設ラッシュはピークを越えたと言われているが、地方ではその勢いは止まっていないと思った。中国・浙江省青田県方山郷竜現村の水田養魚を見学した(8月31日)。その山あいの村でも、マンション建設が進んでいた。さらに新築マンションの看板がやたらと目についた=写真=。中国人の女性ガイドがバスの中でこんなことを披露してくれた。「日本でも結婚の3高があるように、中国でも女性の結婚条件があります」と。それによると、1つにマンション、2つに乗用車、そして3つ目が礼金、だとか。マンションは1平方㍍当たり1万元が相場という。1元は現在12円なので円換算で12万円となる。1戸88平方㍍のマンションが人気というから1056万円だ。それに乗用車、そして礼金。礼金もランクがあって、基本的にめでたい「8」の数字。つまり、8万元、18万元、88万元となる。この3つの「高」をそろえるとなると大変だ。

 「ろ&B」わさび 紹興市でも青田県のホテルはバイキング形式で刺し身のコーナーがあり、マグロは人気だった。醤油は少々甘口だったが、問題は「チューブ入りわさび」だった。これが、むせ返るほど辛い。半端ではない辛さだ。チューブには「S&B」とのマークが入っていたので、日本でおなじみにエスビー食品だと思っていたら、これが辛すぎする。何か変だと思いながら、涙目でよくロゴを見ると「ろ&B」=写真=とも読め、明らかに「S&B」とは異なる。辛味成分(アリル芥子油-アリルイソチオシアネート)の調合が明らかにおかしいと思いつつも、ただこの刺激が慣れてくるとなんと脳天に心地よい。周囲も「これ以上食べると脳の血管がおかしくなるかもしれないと」と言いながら食べていた。

 「国連」幼稚園 水田養魚の竜現村は、100年以上も前からヨーロッパや中南米に出稼ぎに出掛ける人多い。村は山や石も多いため、耕作を広げには限界があり、若者たちの多くはスペインやブラジル、イタリアなどの国に行き、中華料理レストランを開いたり、石彫りなどの商売をしているという。彼らの子どもは故郷の竜現村に戻り、祖父母が育てている。この村の幼稚園児は10ヵ国余りから来ており、そのため「国連」幼稚園と呼ばれているそうだ。

 榧子(ひし)の実 帰りの土産を買おうと、杭州空港で免税店に入った。視察に訪れた紹興市の会稽山(かいけいざん)の「古香榧林公園」でも食べたカヤの実が袋入りで売っていた。これが500㌘入り398元もする=写真=。日本円でざっと4800円だ。アーモンドチョコレートなどより格段に高い。確かに現地では、カヤの実を炒って粉末にしたものは寄生虫の虫下しや小児の夜尿症によいとされていると聞いたが、高額だと思った。榧の寿命は1000年に及ぶ。スギやヒノキと比べて成長が遅く、30cm伸びるのに3、4年かかり、直径1㍍ほどの成木になるまでには300年とも。「不老長寿」の木なのだ。そんな木から実ったものならばこそ当地では重宝されるのだろう。

⇒7日(金)夜・金沢の天気  くもり

☆世界農業遺産の潮流=5=

☆世界農業遺産の潮流=5=

 水田で養殖をしている魚が稲を突くと、稲についた害虫が田んぼの水面に落ち、それを魚がエサとして食べる。まさに稲と魚の共生、そんな光景を見学しようと「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」3日目(8月81日)と4日目の現地視察は、浙江省麗水市青田県を訪れた。紹興市からバスで4時間余り、直線距離にして230㌔ほど南に位置する。

           GIAHS認定第1号「青田県の水田養魚」の取り組み

 青田県の水田養魚は2005年5月、国連食糧農業機関(FAO)から初めてGIAHS認定を受けたグループの一つ。視察は3日目が青田県方山郷竜現村で、4日目は小舟山郷の2ヵ所で行われた。双方とも海抜300㍍から900㍍の山間。青田県の水田養魚は600年以上の歴史があるといわれる。水田に入り込んだ川魚が成長することはよくあるが、青田県の人々は600年にわたって。田んぼでの養魚に知恵と工夫を重ねてきた。

 水田の水温が10度以上になるころに、生石灰をまいて軽く消毒し、薄い塩水で洗った稚魚を放流する。魚に寄生虫が繁殖しないよう、山からクスノキや松の枝を拾ってきて水田に浸す。魚はエサを探すとき、水面を波立てて、泥を掘り返す=写真・上=。これよって養分や生長空間を稲から奪うコナギやタイワンヤマイやコナギなどの水田雑草を魚が食べる。また、このときに稲も揺らすので、葉についた害虫が落ちる。これも食べる。魚のふんは天然の肥料なる。病虫害駆除、水田の除草と代替肥料に役立ち、稲作のじゃまにもならず、一枚の水田からコメと水産品の両方を生産することができる。これまでの実践経験から、養殖が稲作の収穫量を、稲作が漁獲量を押し上げるという相乗効果も工夫している。こうしてGIAHSが認定する「稲と魚との共生システム」をつくり上げてきた。

 方山郷の水田の稲穂を手に取って見ると、コシヒカリのようなジャポニカ米より少々長粒で大きい。10㌃当たり730㌔の収穫と説明があった。すると佐渡市からの参加者からは「うちは570㌔だ。これはすごい」と驚きの声が。水田で養殖する魚は「田魚」と呼ばれるコイの一変種で、色は黒、赤、黄、白の4種類。ウロコが軟らかい。活き魚で1㌔100元(現在1元=12円)、また「田魚干」として人気があるワラとヌカで燻し、さらに炭火で乾燥させたものは1㌔300から400元と贈答用としても人気がある、という。この村では田魚を嫁入り道具にする習わしがある。また、田魚の踊りもある。

 では、GIAHS認定で地域がどうかわったのか。小舟山郷=写真・下=の水田養魚組合の組合長から話が聞けた。郷では1980年代には4000ムー(畝=6.67㌃)もあった養魚の田んぼは2006年には2400ムーに激減した。そのころの養魚(生)の価格は1㌔20元だった。仲卸の業者が個別に買い付けにきていた。GIAHS認定を境に徐々に値上がりし今年2012年には1㌔100元となった。2006年に水田養魚組合を組織し、組合による農家からの買い入れや共同出荷、干乾しの加工も手掛けている。魚も住める安心安全な米として、米は1㌔6元(市場価格)で中国では高値だ。最近では菓子メーカーと契約話が進んでいる。養魚水田の面積を増やす方向だ。

⇒2日(日)夜・関西空港の天気    くもり  

★世界農業遺産の潮流=4=

★世界農業遺産の潮流=4=

 「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」の2日目(8月30日)と3日目は現地視察が行われた。最初に訪れたのが、紹興市が次のGIAHS認定に向け動いている会稽山(かいけいざん)の「古香榧林公園」。当地では、秦の始皇帝も登った山として知られる。ここでは昔から榧(カヤ)の木が植栽されている。ざっと4万本、中には樹齢千年以上のものある。カヤ(学名:Torreya nucifera)は、イチイ科の常緑針葉樹。材質は弾力性があり加工しやすい、樹脂が多く風合いが出る。碁盤や高級家具、木彫の材として用いられてきた。

        カヤの木、千年の知恵と活用

 また、種子は食用となる。当地では、そのままではアクが強いので数日間、灰汁につけてアク抜きしたのちに煎る。実際食べてみると、歯触り味ともにアーモンドのようなだった。果実から取られる油は高級な天ぷら油の食用として、虫下しの漢方にも用いられるという。間伐材や枝は燻して蚊を追い払うためにいまでも使われている。

 世界農業遺産(GIAHS)に申請する上での売りは、成長は遅いが寿命が長い、このカヤの木を接ぎ木などの方法で植栽する技術や、暮らしと密着した2次加工の知恵など「木と人の総合的なかかわり」である。FAOによるGIAHSの認定基準は農業生産、生物多様性、伝統的知識、技術の継承、文化、景観が対象となる。その評価基準からすれば、伝統的知識、技術の継承、文化などの評価点は高いのかもしれない。それにしても驚くのは、認定前からGIAHSを意識した公園整備やDVD、解説書の作成にかける周到な準備である。

 ここまで中国がGIAHSにかける意味合いは何だろう。中国には1958年から実施されている戸籍制度がある。すべての国民は「農業戸籍」(農村戸籍)と「非農業戸籍」(都市戸籍)に分けられており、社会保障や教育、医療などは、どこに戸籍があるかで変わってくる。行政サービスは戸籍地でなけらば受けられない。ところが、都市に産業立地が集中し、都市と農村の格差が広がっている。それでも人々の農村から都市への流失が起きている。これは日本でも同じだ。中国政府とすると、農村の生産基盤に付加価値をもたらすことで農村の生活基盤を安定させたい。おそらくそのような思いがGIAHSに傾注する一つの要因になっているのもしれない。

 この後、王羲之が書いた「蘭亭序」にちなんだ公園「蘭亭」(紹興市)に赴いた。353年、王羲之と当時の名士たち41人がこの地で集まり、曲水(曲がりくねった小川)の両側に座り、清流に流された酒盃が自分の前で止まったら即興で歌を詠むという宴会を楽しんだとされる。その様子が再現されて、人気スポットになっていた。竹林は京都のお寺のような雰囲気だった。

⇒1日(土)夜・浙江省青田県の天気 くもり