⇒トピック往来

☆メディアの信頼度

☆メディアの信頼度

  きょう(5日)のコラムの内容は、新聞やテレビでは大々的に報じられていない話だ。扱ったとしても、新聞各社はとも控えめに、紙面の片隅に掲載されていた。「メディアに関する全国世論調査(2012年)」の記事だ。公益財団法人「新聞通信調査会」が毎年行っている調査。昨年11月24日に公表された調査結果(調査は9月)によると、メディアの情報を「全面的に信頼している」場合を100 点、「普通」50 点。「全く信頼をしていない」は0 点、として点数をつけてもらったところ、平均点が最も高かったのは「NHK テレビ」で70.1 点、次いで「新聞」が68.9 点、「民放テレビ」が60.3 点となっている。新聞は初めて70点を割り込んだ。

  前年(2011)に比べNHKは4.2点、新聞3.1点、民放テレビは3.5点それぞれ下げたことになる。新聞、テレビ、ラジオ、インターネットの情報信頼度が、いずれも調査を始めた2008年以来最低となった。気になるのはメディアとしてのインターネットは53.3点取っている。ラジオは58.6点なので、その差は5点。民放テレビとも7点差だ。年代別の結果で、20代、30代ではインターネットとラジオ・テレビの差がさらに縮まる。これは、テレビ・ラジオの経営者としてはショックだろう。「信頼度がインターネットとそれほど変わらないのであれば、われわれの存在価値はどこにあるのか」などと自問せざるを得ない。

  新聞にしても然りだ。百数十年の歴史を有し、報道の王道を歩んできた新聞各社が、60年のNHKの後塵を拝している。ただ、調査項目で「情報源として欠かせない」「情報が役立つ」「情報量が多い」の3つでは、新聞がNHKや民放テレビを上回っている。

  調査では、新聞離れ、テレビ離れが進んでいることも裏付けている。新聞の朝刊や夕刊を読む人は3.9点減少の79.2%で、初めて80%を切った。朝刊を読む人は70代以上を除く全ての年代で減っている。電子新聞の利用は前年より3.6点増の5.2%の増えている。新聞離れというより「紙離れ」なのかもしれない。「インターネットニュースを見るサイトは?」の問いでは、ポータルサイトが85%、新聞社の公式サイトは26%だった。

  今回初めての調査項目として原発関連があった。「原子力発電に関する新聞の報道は?」の項目で、「政府や官公庁、電力会社が発表した情報をそのまま報道していた」の問いで「そう思う」63%を占めた。逆に、「いろいろな立場の専門家の意見を比較できた」の問いで、「そう思わない」が47.6%を占めた。読者の率直な視線だろう。新聞と原発の在り様が問われいてる。

 調査内容は30項目。調査は18歳以上の5000人を対象に実施し、3404人(68.1%)から回答があった。調査方法は訪問留置法(調査員が対象者を訪問して調査票を渡し、後日再訪して記入済みの調査票を回収)。

⇒5日(土)夜・金沢の天気   はれ

★能登の「田の神」とイフガオの「ブルル」

★能登の「田の神」とイフガオの「ブルル」

   ユネスコ無形文化遺産に登録されている「奥能登のあえのこと」は、田の神をもてなす農耕儀礼として知られている。毎年12月5日、その家の主(あるじ)は田んぼに神様を迎えに行く。あたかもそこに神がいるがごとく身振り手振りで迎え、自宅に招き入れる。お風呂に入ってもらい、座敷でご馳走でもてなす。田の神は目が不自由であるとの設定になっていて、ホスピタリティ(もてなし)が行き届く丁寧な所作が特徴だ。もてなし方は土蔵で執り行うパターンなど、その家々によって流儀が異なる。田の神に恵みに感謝し、1年の疲れを癒してもらうコンセプトは同じだ。

  昨年1月に訪れたフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田にも田の神ブルル(Bulul)が祀られている。イフガオ族の人々に稲作を教えたのがブルルとの言い伝えがある。木彫りのブルルが田の畦(あぜ)に置かれ、米づくりをするイフガオの人々と稲の実りを見守っている。能登でもイフガオでも、稲作は神からの授かりものという概念に、モンスーンアジアにおける文化の共通性を感じる。

 能登の里山里海とイフガオ棚田はともに国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に認定されている。世界に12あるGIAHSサイトの関係者が集っての国際フォーラムがことし5月下旬、能登半島で開催される。隔年開催の同フォーラムはこれまでローマ、ブエノスアイレス、北京で開かれている。フォーラムの開催にあたっては、昨年5月、石川県の谷本正憲知事がローマにあるFAO本部にグラジアノ・ダ・シルバ事務局長を訪ね、石川県での開催を提案し、受け入れられた。いわば、国際会議のトップセールスだった。ちなみに、前回(2011年6月)のフォーラムは、FAOと中国科学アカデミーなどが共同で北京で開催した。

 GIAHS国際フォーラムの目的は、各国のGIAHSサイトが国際的なパートナーシップを確認するとともに、それぞれのサイトが有する独自の伝統的な農業システムや農業の生物多様性や文化を互いに学ぶことにある。これによって、「小規模、先住民、地域社会」の単なる遺産として忘れ去られがちな独自の伝統的な農業システムが、歴史で磨かれた人類の知識と経験を国際的に意見交換するというグローバルな意義づけを持つことになる。

 もう一つ、この国際フォーラムでは、FAOが新たなGIAHSサイトを認定する。報道によると、800年の伝統を有する静岡の茶生産の伝統農法「茶草場」の認定に向けて、掛川市など5市町がFAO日本事務所(横浜市)に申請書を提出した(2012年12月29日付・中日新聞ホームページ)。また、中国では、雲南省の「プーアル茶」産地が認定に向けて動いている(2012年9月、浙工省紹興市で開催されたGIAHS国際ワークショップで中国側発表)。日本と中国の茶どころのほか、スペインのイベリコ豚の産地も希望している(2011年6月、北京国際フォーラムでの報告)。

 伝統的な農産品ブランドがGIAHSの仲間入りを目指す能登での国際フォーラムは国内外で注目を集めそうだ。冒頭で述べた、能登の農耕儀礼「あえのこと」とイフガオ棚田のブルルをテーマに文化交流や研究が進むことで、これまでと違った視点の文化価値が生まれることにもなる。そして能登地域にとっても、フォーラムを通じた国際発信という意味ではまたとないチャンスが巡ってきたといえる。

⇒3日(木)朝・金沢の天気    ゆき

★「2013」を見渡す

★「2013」を見渡す

  元旦の朝は雪かきで始まった。水気がたっぷり含んだ重い雪で、スコップですくうと腰にずっしりくる。その後、家族で初詣に出かけた。兼六園横の金沢神社。菅原道真公を祀っていて、予備校に通う高校生とおぼしき受験生が集団でお祓いをうけていた。神社のある小立野台から市内が一望できる。これは私の癖(くせ)で、その場に立つと左から右へ水平に見渡す。風景だけでなく、たまに「時空」が重なっても見える。「2013」という年を見渡すと、何と壮観なことか。経済から外交、そして地域、職場、家庭までその「在り様」がパノラマのように広がって見える。

 経済の在り様はすさまじい光景だ。特に海外。中国のGDP成長率は、2010年には12%台、2011年に9%台、2012年には7%台となった。「世界第2」の経済力を誇ったとしても、中国の経済成長にもはや「奇跡」はない。今後、4%、3%とうまくソフトランディングすれば見事だが、経済成長に乗り遅れた人々の不満が反比例して高まる。習近平総書記が年末に河北省の貧しい農村に足を運び、脱貧困と脱腐敗を誓ったと日本のメディアでも報じられているが、裏を返せば、格差の実態はかなり厳しい状況になっているのだろう。昨年9月に尖閣諸島の領有をめぐり中国で吹き荒れた反日デモで、日系のスーパーやデパートで略奪が起き、日本車を叩き壊す光景をテレビで見てしまった我々日本人は、格差を生んだ共産党政府に不満を持ち、将来に希望が持てず、居直り暴徒化する若者たちがこの国にこれほど多いのかとも実感した。

 アメリカの有り様も異様な光景だ。減税の打ち切りと歳出カットが重なる「財政の崖」の突破の展望が見いだせない。むしろ気になるのは、この国に内在する人種問題だ。昨年11月の大統領選で、民主党のオバマ大統領が激戦州の大半を制し再選を果たした。その選挙は、「白人」対「黒人・テラィーノ」のまるで、人種的な分裂ではなかったのかと思わせるほどに支持層がくっきりと分かれた。昨年12月、コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件で、オバマ大統領が銃の所持規制を訴えると、共和党支持の全米ライフル協会(NRA)が、「すべての学校に、武装した警察官を配置すべきだ」と記者会見で反撃したのが印象的だった。1992年5月、黒人男性に集団で暴行した白人警察官への無罪評決がきっかけに、焼き打ちや略奪、銃撃戦へと連鎖し、60人以上ともいわれる死者を出したロサンゼルス暴動があった。この国の「人種問題の活断層」である。

 国内に視点を当てる。第二次安倍内閣は「右傾化」政権と国内外のメディアで報じられている。では、右傾化した政策を取るのかというと別の次元のように思える。かつて右翼の大統領で知られた、アメリカのニクソン大統領は1771年7月、電撃的に中国を訪問すると発表し世界を驚かせた。その流れで日本は中国との国交回復を実現したのは周知のこと。また、ニクソンは保守派が「まるでスイカ(外は緑、内は赤)」と嫌った環境保護庁を創設し、あのレーガン大統領は規制緩和や減税を大胆に進めた。安部内閣も案外、政策的には民主・野田政権時代よりもソフトではないか。外交面では協調姿勢を打ち出し、ロシアは森喜朗・元総理に、中国は高村正彦・自民副総裁に、韓国は額賀福志郎・元財務大臣に、そしてアメリカは大統領と面識がある安倍総理自身でフォローしようと手を打っている。

 ただ、経済では「モラルハザード」を案じる。銀行の株式保有の上限を定めた「5%ルール」をめぐり、金融庁が打ち出した規制緩和案。一般の事業会社への出資上限を10~15%に引き上げ、経営再建中の会社には全額出資も可能にすることが柱になっている。もともと、民主時代につくられた中小企業金融円滑化法(モラトリアム法)で、40万社に総額95兆円をばら撒きした、とされる。この融資によって数年後景気が回復して、経営が安定したときに返済してもらうというロジックだったが、1年の時限立法が2年延長され、ことし3月に期限切れとなる。倒産続出が予想されることから、金融庁が新たに「5%ルールの撤廃」を打ち出した。融資を受けている会社が返済不能の場合は、いわゆるDES(デット・エクイティ・スワップ)が行われ、「貸出」が「資本」に変わる。つまり、「債務の株式化」である。銀行の保有割合が100%になる可能もある。こうなれば、おそらく経営陣は「あとは銀行にお任せ」のモラルハザードが頻発し、銀行の「毒薬」になる可能性もある。

 地域の光景も見える。2015年春、北陸新幹線金沢開業で東京とは電車1本でつながる。年ごとに「新幹線開業」が地域の経済、政治、文化面のアイコンになっている。とくに経済はバラ色の夢を試算している。北陸経済連合会が昨年11月に出した「北陸新幹線 金沢-敦賀間の早期開業による経済効果」によると、同年時点では「金沢止まり」で北陸全体で交流人口が年2930万人見込め、新幹線が金沢から敦賀へと延伸すれば交流人口がさらに年間280万人増加する、と。

 北陸新幹線への期待は、地価調査(2012年9月)でも分かる。金沢市中心部の商業地(香林坊2丁目)は地価が5.4%上昇し、上昇率は全国の商業地の中で9位に入った。JR金沢駅周辺の商業地4地点でも地価が上がった。一方で地域間の競争も激化しそうだ。昨年10月、富山市と長野市が観光PRで協力する「集客プロモーションパートナー都市協定」を結んだ。「海の富山」と「山の長野」を互いにPRし、観光客の増加を目指す。その背景には、新幹線が当面「金沢止まり」であることを念頭に、富山と長野が途中駅として埋没しないようにとの狙いもあるようだ。

 北陸新幹線は40年ほど前に計画され、ようやく見えてきた。ただ、熱いのは北陸だけではないのか。東京など太平洋側から見れば、それほど魅力的に思えないのではないか。「何で今ごろ、新幹線は珍しくも何ともない」との声も聞こえそうだ。

※写真は、金沢神社の初詣風景。1日午前9時30分ごろ

⇒1日(火)午前・金沢の天気   ゆき
 

★2012ミサ・ソレニムス~7

★2012ミサ・ソレニムス~7

ことし一年で目立った漢字を一字あげるなら、「脱」ではないだろうか。「脱原発」「脱法ハーブ」「脱会派」「脱獄アプリ」「デフレ脱却」など、政治から経済まで幅広く使われている。脱原発は衆院総選挙の公約にも使われた。この「脱」という漢字の意味はいろいろである。好ましくない状態から抜ける(「脱出」)、組織からや仲間から抜ける(「脱退」)、抜け落ちる{脱落})、身に着けてるものを取る(「脱衣」)、含まれているもの・つまっているものを取り除く(「脱臭」「脱水」)、原稿などを仕上げる(「脱稿」)など。では、これはどのような意味で解釈したらよいか。「脱亜」である。

       近隣とどう付き合うか、かみ合わない輔車唇歯の関係

 「近隣外交」という言葉ほど面倒なものはないと、日本人の多くは思っているのではないだろうか。尖閣諸島をめぐる中国側の執拗な動きは連日のように報道されている。「(日本)政府は29日、中国が東シナ海での大陸棚設定について、今月14日に国際機関の大陸棚限界委員会に申請した案を検討しないよう、同委員会に求めた。大陸棚は領海の基線から200カイリまでが基本だが、地形の特徴にもよる。中国は、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると主張。日本は、尖閣諸島が固有の領土であるため全く受け入れられないと表明した。」(12月29日付・朝日新聞ホームページ)

 127年も前、隣国に対する憤りの念を持った人物がいた。福沢諭吉である。主宰する日刊紙「時事新報」(1882年3月創刊)の1面社説にこう書いた。「・・独リ日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し・・」(1885年3月16日付、本文はカタカナ漢字表記)。全文2400字に及ぶ概要はこうだ。「日本は明治維新でアジア的な古いあり方を脱ぎ捨て、西洋近時の文明を取り入れた。”脱亜”の主義である。日本にとって不幸なことは、隣の支那(中国)も朝鮮も儒教主義にとらわれ近代化を拒否している。西欧文明が迫っている中で昔のまま変わらず独立を知らない」「日本を含めた3国は地理的にも近く”輔車唇歯(ほしゃしんし)”(お互いに助け合う不可分の関係)の関係だが、今のままでは両国は日本の助けにはならない。西欧諸国から日本が中国、朝鮮と同一視され、日本は無法の国とか陰陽五行の国かと疑われてしまう。これは日本国の一大不幸である」(鈴木隆敏編著『新聞人福澤諭吉に学ぶ~現代に生きる時事新報~』より引用)

 当時、日本は旧態依然とした「アジア的価値観」から抜け出した、つまり「脱亜」を果たした唯一の国だと福沢は評した。そして、輔車唇歯の関係にある隣国とどう付き合っていけばよいかと考えた末に、近隣との付き合いは「謝絶するものなり」と明け透けに述べたのである。その前年、福沢らが支援していた、朝鮮における「維新の志士」金玉均ら独立党が起こした武装蜂起「甲申事変」(1884年12月)が清国軍の介入で鎮圧され、独立党関係者が大量処刑されるといった時代背景があった。単なる傍観者ではなく、朝鮮近代化の思想的な支援活動をしてきた福沢の挫折でもあった。

 では現代における「脱亜」感情とは何か。それは領土問題だろう。領土問題は、イギリスとアイルランド間の北アイルランド問題や、カナダとデンマークが共に領有を主張しているハンス島問題など世界にあまたある。問題は、その解決方法だろう。武力ではなく、どう平和裏に解決するかだ。もちろん、当事国同士での外交で解決されるのが望ましいが、解決することが困難な場合には、国際司法裁判所 (ICJ) への付託ができる。ただし、国際司法裁判所への付託は、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行うことができない。

 前述したように、中国が国際機関の大陸棚限界委員会(CLCS:Commission on the Limits of the Continental Shelf)に、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると申請した。それだったら、同じように、中国は日本が尖閣諸島を実行支配しているのは歴史的にも根拠がないとICJに付託提案を日本にすればよいのではないか。おそらく日本政府は応じる。

 韓国が国際法上の根拠もないまま実効支配している竹島も同様だ。1954年9月、日本は竹島領有権問題のICJへ付託を初めて韓国に提案したが、韓国側は拒否。1962年3月にも日本から付託を提案したがこれも韓国側が拒否。そして、ことし2012年8月10日、韓国の李明博大統領が竹島に上陸したのをきっかけに、同月21日に日本が3度目のICJへの共同提訴を韓国に提案が、韓国側はこれも拒否した。

 局地紛争化するのでなく、国際法に照らして決着するのが「一番すっきりする」と日本人の多くは考える。どのような判定が出されようが、日本はそれに従うだろう。それがルールだからだ。ただ、中国も韓国も領土問題を国際法廷に持ち込まないだろう。「ICJの判事(15人)の中に日本人がいる」などと理由をつけて。現状のままでは日本国内に「脱亜」感情が高まる。

※写真は、福沢諭吉像(慶応義塾大学三田キャンパス)

⇒30日(日)夜・金沢の天気  くもり

☆2012ミサ・ソレニムス~6

☆2012ミサ・ソレニムス~6

ニューヨーク在住のプロ野球、松井秀喜選手(38歳)が日本時間の28日、現役引退を発表した。同市内で記者会見した。会見の様子をテレビで見て、印象的だった言葉。「今の心境は」と追われて、「寂しい気持ちとホッとした気持ちと、複雑ですね。まあ、引退ということになるが、自分としては引退という言葉を使いたくはない。草野球の予定もあるし、まだまだプレーしたい(笑)」。正直者の松井選手らしい本音が出たと思った。市内のホテルの一室を借り切った会見は急だったにもかかわらず80人のメディア関係者が集まり、10台以上のテレビカメラが並び各局が生中継した。通訳をつけずに松井本人が1人で日本語で話した。アメリカのメディアの姿も見られ、会見時間は45分間だった。

     「野球の天才というより、努力の天才」 松井秀喜選手の引退

 松井選手のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井選手が星稜高校の時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

 高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

 数々の記録を持つ松井選手だが、彼の記録の真骨頂は何か考えた。2006年5月12日(日本時間)、ヤンキース-レッドソックス戦の1回表の守備で、レフトへの浅い飛球をスライディングキャッチしようとして左手首を負傷、そのまま救急車で病院に向かい、骨折と診断された。これで巨人入団1年目の1993年8月22日から続いていた日米通算の連続試合出場は前日までの1768試合(日本1250試合、米国518試合)でストップした。松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てたそうだ。「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。ホームランの数より、一見して地味に見える記録だが連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。松井選手は野球の天才というより、努力の天才なのだ。地元紙によると、来年3月に第1子が生まれるそうだ。新たな人生が始まる。

⇒29日(土)朝・金沢の天気   はれ

 

☆東京の青いバラ

☆東京の青いバラ

 衆院総選挙ともう一つ注目すべき選挙が東京都知事選だった。ダブル選挙で目立たなかったが、13年余り続いた「石原都政」の後継指名を受けた猪瀬直樹氏が圧勝した。得票は433万票、投票率は前回より5ポイント高い62%だった。テレビが早々と当選確実を報じた。午後8時過ぎ、猪瀬氏は青いバラの花束を受け取り、勝利を祝った。作るのが不可能とされていた青いバラは、14年の年月をかけてサントリーが開発した。花言葉は「夢 かなう」である。

 猪瀬氏のキャラクターが面白い。国にものを言う前職の石原慎太郎氏とイメージがだぶる。さらに、小泉政権時代に、道路公団の民営化で無駄を徹底的に追及した行動力と改革力は記憶に新しい。そして、今回の選挙では、勝利したにもかかわらず、あえて万歳はせず、「東京は日本の心臓。東京から日本を変える」「東京が日本沈没を防がないといけない」など、官僚や国の規制に立ち向かう姿勢を強調した。前例の踏襲を嫌うタイプという。

 400万票の迫力は人気というより、計算づくの大技だった。以下、各メディアが報じている。マーケティング理論とインターネットを駆使し、アメリカ大統領選挙のような選挙をやろうと、ソーシャル・メディア(SNS)やイメージアップ戦略の専門家らが加わり選挙プランを練った。その名は「プロジェクトi(アイ)」。告示8日前まで出馬について沈黙を続けたが、この時期に27万人のフォロワー(読者)がいるツイッターに頻繁に書き込み、ホームページには告示までに30本以上の動画をアップした。分析を待たねばならないが、こうしたネット利用で若者層の取り込みを図った。

 自民は294席の大勝で過半数を制した。維新の会は54議席。猪瀬氏は自民、公明、維新の会の支持を得ての勝利である。「東の猪瀬、西の橋下、国会(維新の会)の石原」、この強烈な3人のキャラが連合すれば、本当に日本に変革をもたらすかもしれない。少なくとも、この3人が日本をかき回すだろう…。政治が面白い時代に入った。

⇒17日(月)朝・金沢の天気   はれ

★自民「まだまし」大勝

★自民「まだまし」大勝

 それにしても実に淡々とした選挙だった。国民に選択を迫るようなキャッチフレ-ズがあったわけではない。新たな時代の気分が醸成された訳でもない。自民が絶賛されるような公約を打ち上げわけでもない。第46回衆院選挙の投票率(小選挙区)は、59%前後となりそうで、前回(2009年8月30日)より10ポイントほど下落し、第41回(1996年10月20日)と並んで戦後最低水準に落ち込んだようだ。要は面白くない選挙だった。

 その理由のいくつかを考えてみる。民主が分裂したこと。さらに、政党の離合集散で12政党が候補者を出し、まさに多党乱立。前回の「政権選択」といった明確な選挙の構図に比べ、争点が分かりにくかったことだろう。

 自民は第44回(2009年9月11日)の郵政選挙以来の大勝で、単独過半数(241議席)を大幅に超えた。それほどに魅力ある公約を打ち出しての勝利だったのか。「民主政権はひどかった。自民の方がまだまし」というが、今回の大勝の背景ではないだろうか。

 私自身、選挙にはなるべく行くようにしている。そうしないと選挙の実感がわかないからだ。一票を投じると、その選挙がよく見える、選挙を考えるものだ。きょう午後1時過ぎに、自宅近くの投票場(小学校)に行った。毎回同じ時間に投票に行っている。駐車場の混み具合は前回並みだった。投票場は体育館だが、これまでは、入り口で上履きを脱ぎ、スリッパに履き替えて入場したが、今回はビニールシートが床の上にはってあり、上履きでも行けるようになっていた。周囲を観察すると、心なしか、高齢者の姿が少なかった。20代とおぼしき、若い人がいた。出口では地元のテレビ局が出口調査を行っていた。

 午後9時、金沢市の開票場となっている中央市民体育館に行った。同9時30分から開票作業が始まった。ここでは、2階の開票場の様子が3階から見渡すことができる=写真=。新聞社やテレビ局の調査スタッフがざっと60人近く開披台調査を行っていた。双眼鏡で開票者(自治体職員)の手元を覗きながら、小選挙区の候補者名をチェックしていく。石川1区(金沢市)の場合、自民の馳浩(はせ・ひろし)氏と民主の奥田建(おくだ・けん)氏、維新の小間井俊輔(こまい・しゅんすけ)氏、未来の熊野盛夫(くまの・もりお)氏、共産の黒崎清則(くろさき・きよのり)氏の候補者5人がいる。双眼鏡で覗くスタッフが「ハセ、ハセ、オクダ、ハセ、コマイ…」などと読み上げる。それを、別のスタッフが○でチェック記入して、多い候補者が50ポイントなるまで読み上げる。すると、「馳50、奥田23、小間井22、熊野7、黒崎6」などと数字が出てくる。この時点で、いったん終了し、別の開票者の手元をチェックする。

 午後9時50分に選挙管理委員会が開票速報の第1回をボードに貼り出した。各候補者はまだゼロとなっていた。が、この時点である新聞社と系列のテレビ局の合同の開披台調査では、「馳1000、奥田430、小間井400、…」の数字を掴んでいた。

 北陸は「保守王国」とも言われ、自民が比較的強い。ただ、石川1区(金沢市)の投票行動は選挙全体の縮図のようなところがあり面白い。石川1区の選挙結果(確定票)を分析してみる。当選の馳(自民)は99,544票、2番目の奥田(民主)47,582票、小間井(維新)41,207票、熊野(未来)10,6291票、黒崎(共産)8,969票だ。2009年の前回では奥田12万5千、馳11万7千だった。これまで3回の衆院総選挙では馳、奥田はそれぞれ10万票前後で競ってきた。つまり基礎票がそれぞれ10万なのだ。

 ところが、今回は奥田、小間井、熊野でほぼ10万票、ということは奥田のもともとの基礎票10万を3人で分け合ったカタチとなった。馳が伸びたのではなく、奥田が半減したのだ。乱暴な言い方をすれば、「自民まだまし、民主には幻滅、維新に少し期待」という有権者の思いが数字に表れた、とも言える。裏返しで言えば、自民は数字の上では大勝だが、これは敵失での勝利だ。むしろ、本格的な政変の始まりなのかもしれない。

⇒16日(日)夜・金沢の天気   はれ   

★スペースデブリ

★スペースデブリ

  何の利用価値もなく、地球の衛星軌道上を周回している人工物体のことをスペースデブリ(space debris)と呼ぶそうだ。debrisは破片または瓦礫(がれき)と訳される。つまり、宇宙ゴミのことだ。宇宙開発に伴ってその数は年々増え続けている。耐用年数を過ぎ機能を停止した、または事故・故障により制御不能となった人工衛星から、衛星などの打上げに使われたロケット本体や、その部品、多段ロケットの切り離しなどによって生じた破片など。多くは大気圏へ再突入し燃え尽きたが、現在も4500㌧を越える宇宙ゴミが残されている(「ウイキペディア」より)。

 昨日、北朝鮮が弾道ミサイルの技術を使って、自前の運搬手段で人工衛星を打ち上げた世界10番目の国になったと報じられた。最初に打ち上げたのはソビエト(当時、1957年)で、韓国も人工衛星を打ち上げているが、自前のものではなく、ランキング上では北朝鮮に抜かれた格好だ。

 今回のニュースで感じるのは「タイミング」ということである。韓国は11月29日に人工衛星「羅老(ナロ)」の打ち上げを中断した。その直後、北朝鮮は今月12月1日に、人工衛星「光明星3号」の2号機を搭載した銀河3号ロケットを12月10日から22日までの間に打ち上げると発表した。今年4月13日に同型ロケットの打ち上げ失敗しているので、今回の打ち上げは失敗の原因を分析し、性能を向上させた上での満を持した再チャレンジとも推測できる。発射時期のこのタイミングは単なる偶然か。

 韓国の「中断」、北朝鮮の「成功」で、政権を世襲した金正恩第一書記は今ごろ優越感に浸っているだろう。今年を「強盛国家」建設の年と位置づけているので、その求心力を高めることにも成功したことになる。

 それにしても、北朝鮮は今月10日、1段目のエンジン制御システムに技術的欠陥が見つかったとして、発射予告期間を29日まで1週間延長すると発表していた。その舌の根も乾かない2日後の短期間で発射できたのか。発射にまつわる情報操作だったのか、なぜそのようなことをしなければならなかったのか、など次々と疑問が浮かぶ。

 今回の北朝鮮の打ち上げ成功で、アメリカ本土にまで到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成に一歩近づいたとも言われ、世界の新たな脅威がまた一つ増えたことになる。そして、「衛星」については「実質的な衛星の役割をできない非常に初歩的な水準」とも指摘されている。つまり、スペースデブリがまた一つ増えたことになる。

⇒13日(木)朝・金沢の天気   はれ

★続・総選挙の新「第3極」

★続・総選挙の新「第3極」

 昨日のブログ「総選挙の新『第3極』」の続き。滋賀県の嘉田由紀子知事が27日午後に大津市で記者会見し、衆院総選挙に向けて、「卒原発」を基本政策に掲げた新党「日本未来の党」の結成を発表した。これに呼応し、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は合流を表明し、当日「生活」を解党した。新「第3局」が一気に創られた。

 昨夜のテレビ報道を見ていると、脱原発世論の高まりを背景に「今のままだと選ぶ政党がない」「党、または個人で手を挙げてくれる人に『この指止まれ』方式で呼びかけたい」と新党設立を理由を説明した。その、基本的な政策は「全原発廃炉の道筋をつくる『卒原発』」「消費税を増税する前に徹底的した行政の無駄を排除する『脱増税』「地域中心の行政を実現する『脱官僚』」を柱とすると述べた。ただ、嘉田氏自身は代表を務めるが総選挙には立候補せず、知事は続投する。あくまでも関西1200万人の水がめである琵琶湖の「守護人」との立場を崩さない。

 面白いのは、代表代行に飯田哲也氏が就いたことだ。飯田氏は、もともと日本維新の会代表代行の橋下徹氏(大阪市長)の脱原発ブレーンで「環境エネルギー政策研究所」所長である。橋下氏は石原慎太郎氏の「太陽の党」との合流の折に「脱原発」方針を後退させている。つまり、脱原発の橋下支持派を分断する。おそらくこの一連のシナリオを描いたであろう小沢氏は、脱原発をテコにして「橋下崩し」の一手を打った。

 さらに面白いのは、記者会見で嘉田氏は「国民の生活が第一の小沢一郎代表が、連携する気持ちをお持ちならば、方向性としてはありうる」との表現で連携を呼び掛けたことだ。この表現は実に計算されている。嘉田氏を知る誰しもが抱く疑念はおそらく、「嘉田さんは、海千山千の小沢さんと本当にうまくやっていけるの…」という点だろう。だから、嘉田氏はラブコールの姿勢ではなく、ちょっと突き放した表現「よかったらどうぞ」で、あくまでも主導権は嘉田氏が執るとのスタンスを崩さなかったのだろう。

 この呼びかけを受けて、「国民の生活が第一」はこの日の夕方、常任幹事会を開き、解党を決めた。小沢氏は「『未来の党』と合流し、いっしょに選挙を戦う」と記者たちに表明した。小沢氏は、前衆院議員だけで50人の勢力を有する党を4ヵ月余りで惜しみなく解党し、これまで誰も予想だにしなかった嘉田氏という新しい党の顔を獲得した。平成5年(1993年)の衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創り出し、そこをバネに細川政権の樹立へと動いた当時と様相が似てきた。これが、小沢流の政治のダイナミズムなのだろう。 

 さらに「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」の河村たかし氏(名古屋市長)も合流する。「みどりの風」や、社民党の離党者、阿部知子氏らもこの日に参加を表明した。「女性の顔」と「脱原発」は日本を変えるか、小沢氏は次なる勝負に出た。

⇒28日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆総選挙の新「第3極」

☆総選挙の新「第3極」

 今朝7時35分ごろ、金沢市内の平野部で霰(あられ)が降った=写真=。自宅近くでも1分間ほど降り、登校の子どもたちが騒ぎながら小走りで学校へと急いだ。きょうの朝刊も騒がしい。「卒原発」を掲げる滋賀県の嘉田由紀子知事が、新党結成に動き出したことでもちきりだ。きょう27日午後、記者会見するという。

 各紙を読むと、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らとの連携を模索しており、脱原発を旗印とした「第3極」勢力の結集につながる可能性がある、と書かれている。仕掛け人は小沢氏だろう。ここで「小沢構想」を深読みすれば、2つのことが浮かぶ。1つ目は、第2次新党ブームともいうべきトレンドだ。

 平成5年(1993年)7月18日に実施された衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が前年に結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創りだした。それまでは、社会党が「土井たか子ブーム」を巻き起こしていたが、新党ブームに押されて議席数を半減(70席)させた。理念や政策、政治手法が異なった8つの党・会派をまとめるために、政界再編・新党運動の先駆者として国民的に人気の高かった細川氏を担ぎ上げて新政権を樹立したのは、新生党代表幹事だった小沢氏の功績だった。今回の選挙では、「安部」「石原」「橋下」の男の顔は見えるが、女性の顔が見えない、さらに狼煙が上がっている脱原発の顔が政治の舞台で見えない。そこで、政局のトレンドを読むことに長けた小沢氏は「新たな女性の代表」「脱原発」のシンボルとして嘉田知事を担ぎ上げようとしているのだろう。

 小沢構想の2つ目は「橋下崩し」だろう。嘉田氏は昨日の会見で、日本維新の会の橋下徹氏について、「太陽の党と合流して、私も『(卒原発の)仲間を失った』と述べさせていただいた」と、すでに連携できない関係にあることも強調している。嘉田氏は「関西の水」の守護者でもある。若狭の大飯原発で大事故が起これば、 関西1200万人の「水がめ」である琵琶湖は汚染され甚大な被害をもたらす、というのが嘉田氏の「卒原発」の柱だ。選挙戦でここを強調すれば関西の有権者は「嘉田新党」になびく、つまり勢いに乗じる維新の会を分断できると考えているのだろう。

 ある意味で、「小沢構想」は一義的に「脱原発」という争点のテーマを浮き上がらせた、つまり有権者に明確な選択肢を与えたことになる。月並みな言葉だが、新「第3極」は有権者の間で漂っていたもやもや感を随分すっきりさせてくれた。午後の記者会見が注目される。

⇒27日(火)朝・金沢の天気  あめ・あられ