⇒トピック往来

★道央走春-中-

★道央走春-中-

  道央自動車道を走り、登別から小樽に着いた(4日)。予約しておいた小樽運河沿いのホテルにレンタカーを停め、周辺を散策した=写真・上=。2007年8月にも家族で小樽に来ているので、5年9ヵ月ぶりになる。で、小樽はどうのように変わったのか印象を述べてみたい。

      どこか似てきた小樽と湯布院の街並み

  その前に小樽の成り立ちをたどってみる。大正12年(1923年)に完成した小樽運河は、かつて「北のウォール街」と呼ばれたこの地に莫大な富をもたらした。日本銀行のほか、大手銀行が支店を出し、総合商社も軒を連ねた。戦後、物流の機能を失った。保存論議の末に昭和58年(1983年)から埋め立て工事がスタートし、運河は幅が半分になり、道路ができた。小樽の観光戦略は旧銀行や倉庫、商家の建物が中心だ。街全体が「レトロな観光土産市場」という感じだ。ガラス細工、オルゴール、カニ、寿司、チョコレート…、オール北海道という感じは変わらない。ただ、一部はブランド化して新しい提案型のショップへと変貌しているものもある。街をそぞろ歩きしていると、中国語の会話をしながらワイワイと歩くグループとよく会う。海外からも観光客を呼び込む戦略も成功しているのだろう。

  個人的な印象を少々辛口で言えば、「小樽も湯布院も同じ」である。小樽観光のメインである静屋(しずや)通りが俗っぽい。観光客向けの全国どこの観光地にもある、雑貨店やギャラリー、カフェなど若者、女性向けのものが多く、個性のない店が多い。人力車も走り回っていた=写真・中=。これは昨年10月に訪ねた湯布院でも見た光景だ。さらに、小樽は寿司を売りにして、あちこちに寿司店がありにぎわっている。ただ、小樽の寿司の売りがなんだか理解できない。きょう入った寿司店で、メニューに目を凝らしたのだが、「運河にぎり」などとメニューにはそれらしいことは書いてあるが。結局のところ、マグロ、ウニ、イクラ、イカ、エビではないか。おそらく、ネタは新鮮で魚介類が豊富なことは間違いないだろう。だとすれば、北海道どこでも味わえるのではないか。その土地で磨かれた文化としての食はどこのあるのだろうか。

  ところで、奇妙な光景、小樽らしいといえば小樽らしい光景がある。ギリシャ建築様式の昭和初期の典型的な銀行建築。内部は銀行らしい回廊付きの吹き抜け。かつての財閥、旧安田銀行小樽支店(1930年に建築)だ。戦後、富士銀行が継承した後に地元の経済新聞社の社屋として使われた。それが今、和食レストランチェーンの店舗となっている=写真・下=。化粧室が金庫室内にある。小樽市の歴史的建造物に指定されているこの建物。金融の歴史遺産とロマン、今風の居酒屋、港町の潮の香りと魚臭さが混じり合って、何か今の小樽の姿を映すシンポリックな存在に思える。店自体は客待ちが出るほどにぎわっていた。

⇒4日(土)午後・北海道小樽の天気     あめ

☆道央走春-上-

☆道央走春-上-

  ゴールデンウイークを利用して、家族で北海道旅行を楽しんでいる。今朝(3日)小松空港を8時45分発のフライトで新千歳空港へ。佐渡上空を通過する日本海ルートで、1時間35分の空の旅だ。千歳空港に到着し外に出て、思わず「寒い」と口にした。北海道は1年4ヵ月ぶりだったが、前回も同じ言葉を口にしたのを思い出した。

          登別温泉から見えるアジアの観光地・北海道

  昨年1月11日から16日にフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田(1995年世界遺産、2005年世界農業遺産)を調査研究に訪れ、気温が30度余りの中をあちこち歩き、帰国後に北陸の寒さに少々体調を崩した。そして、9日後の25日に北海道の帯広市をシンポジウム参加のため訪れた。この日の帯広の最低気温はマイナス20度だった。フィリピンと帯広の気温差は50度。これが決定的となったのか、熱が出るやら咳き込むやらで体長不良に陥った。季節は春とは言え、今回の寒さは、地元紙の北海道新聞にも「札幌 21年ぶり5月の雪観測」(3日付)と1面の見出しで、2日夜に札幌でみぞれが降り、積雪(1㌢未満)を観測した、季節外れの戻り寒波を記していた。タマネギやジャガイモを作付する道内の農家が「寒い春」の影響で低温と日照不足を案じる声も記事にされていた。

  今回の3泊4日の北海道旅行はレンタカーで移動する。千歳空港のカウンターで予約していたレンタカーの手続きを取り、マイクロバスで「モータープール」に車を受け取りに行った。そのマイクロバスの車中でのこと。家族連れのグループの小学校低学年とおぼしき女の子が母親に尋ねている。「あの看板の人は誰なの、北朝鮮の人なの」と近いづいてきたレンタカー会社の屋上看板を女の子が指差しているのである。私も「北朝鮮」の言葉がはっきりと聞こえたので、不可解に思って指差す方向をつい見てしまった。

  確かに、このところニュースで頻繁に出てくる北朝鮮関連のニュース映像に出てくる英雄の像のポーズとよく似た人物像が写真の看板が掲げられている。その人物像はひげを蓄え、コートを羽織って、右腕を上げて革命を指導している姿にも見える。ただ、女の子が「誰なの」と母親や家族に問うているのに、しばらくは沈黙が続いた。私自身もその看板を見ただけでは分からなかった。すると、その家族の後部座席にいたシアニ世代の男性がその様子を見かねたように、「あれはクラーク博士ですよ」と教えてくれた。すると、女の子の父親が「そうか」と文字通り膝を打って、男性にお礼を言い、女の子に言い含めるように「あの人は、少年よ大志を抱け…」などと説明を始めたのだ。しかし、あの英雄的なポーズから人物名を言い当てる日本人はどれほどいるだろうか。ただ、看板になるくらいだから、当地の人にとっては見慣れたポーズなのだろう。

  レンターカーを受け取り、道央自動車道を今夜の宿泊地である登別に車を走らせた。道路の路のサイドがずっと黄色になっていた。春の季語で「竹の秋」がある。モウソウチクなど竹類の葉が5月から6月に黄葉して落葉する時節を指す。道路から見えるイエローベルトは竹ではなく笹、おそらくクマザサ。季節の移ろいを感じさせる光景だ。

  登別温泉に到着して。さっそく地獄谷を見学に行った。硫黄のにおいが立ち込め、いまも水蒸気を噴き上げている。「地熱注意」の看板も目につく。下に降りると、薬師如来の御堂がある。看板が書きに江戸時代に南部藩が火薬の原料となる硫黄を採取した、とある。そしてところどころに、閻魔大王の像やら漫画風のキャラクターが温泉街を彩っている。そして、楽しそうに写真を撮影しているグループの中には中国語が飛び交っている。

  昼食を食べようと入った店が「地獄ラーメン」を売りにするラーメン店だった。満員状態だ。我々の後に入ってきたカップルは中国語だった。間もなく店員が近づいて注文を取りにきた。地獄ラーメンを注文した。横のカップルに店員が「Where you come from ?」と声をかけ、「Taiwan」と聞くと、さっと中国語の閻魔帳(メニュー表)を持ってきた。そして、メニュー番号を尋ね、チャーシュー麺をカウンターの料理人に告げた。その一連のやり取りがスムーズなのに驚いた。相当慣れているとの印象だ。北海道は中国、韓国からの旅行者に人気が高い。アジアの観光地としての北海道、そんな心象をここ登別温泉で得た。

⇒3日(金)午後・北海道登別の天気  くもり時々あめ

★春の霰(あられ)

★春の霰(あられ)

  昨日から金沢では時折、雷が鳴り、荒れ模様の天気となった。そしてきょう27日は先ほど7時50分ごろに激しく「あられ」が降った。数分間だったが叩きつけるような激しい降りだった。金沢地方気象台の気象予報では、きょう27日は、上空に強い寒気を伴う気圧の谷が本州付近を通過するため、石川県では昼前まで雨や雷雨となる所がある、と。

  ゲリラ的な雷雨だったのだろうか、霰(あられ)が降ってきたので、カメラを持って、外に飛び出した。その一枚の写真である。自宅の敷地が一瞬白く覆われた=写真=。まもなく天気が回復して消えた。

  春のあられは何も珍しいことではない。俳句の季語にも登場する。「春の霰(あられ)」のほか、「春の霜(しも)」「春の霙(みぞれ)」など。ただ、不思議なことに、この時期に降るあられは粒が大きく感じる。そして、やっかいなのは木の芽や若葉を傷めることである。先日、モクレン科の受咲大山蓮華(ウケザキオオヤマレンゲ)とバラ科の利休梅(リキュウバイ)の幼木を植えたばかり。木の芽が出ていたので、芽が育つかどうか気がかりになってきた。

⇒27日(土)朝・金沢の天気  雷雨

☆キーパースン

☆キーパースン

   きょう13日の朝日新聞の天声人語の書き出しは、ジョージ・オーウェルの『動物農場』だった。豚をはじめとする動物たちが飲んだくれの牧場主に反乱を起こし、解放される。しかし、やがて豚が特権階級となって専制支配を築き、ほかの動物たちを服従させる。アニメや映画にもなった有名な寓話だ。

  オーウェルの意図は旧ソ連のスターリン体制への批判だった。人間の歴史にとって進歩的な動きと見える現象が、時を経て大きなマイナスをもたらしている事実が洋の東西を問わずままある。いまでいえば北朝鮮のこの事態だろう。国内の人民を虐げ、貧困に落とし込んで、周辺国まで恫喝する。人類に苦痛を与えている、と言ってよい。

  哲学者・市井三郎(1922-89)の言葉を思い出す。「歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される」と。北朝鮮の人民は、明らかに自らの責任で苦痛を受けているわけではない。体制側からの圧迫である。脱北者が後を絶たないほどの人々の苦痛、隣国への圧迫、これをいかに減らせばよいのか。

  学生時代に覚えた言葉なので定かではないかが、市井はこうも言っている。「不条理な苦痛を軽減するためには、みずから創造的苦痛を選び取り、その苦痛をわが身にひき受ける人間の存在が不可欠なのである」と。市井はこのような歴史的な転換期、ダイナミズムに決定的な役割を果たす人物のことをキーパースン(key person)と呼んだ。

  周辺国をも圧迫する北朝鮮のこの事態について、苦痛を受ける割合を減らす「歴史の進歩」が必要であるのは言うまでもない。ただ、その苦痛をわが身にひき受けるキーパースンが見当たらない。国内、あるいは国外なのか分からない。国外だとしたらアメリカのオバマ大統領なのか、中国の習近平国家主席なのか、と思いがちだが、意外と国内なのかもしれない。というもの、国外だったら国と国との単なる戦争である。市井が言うような「創造的苦痛を選び取る」国内の人材が不可欠だ。1968年に起こったチェコスロバキアの変革運動「プラハの春」や、2010年から2012年にかけてアラブで発生した反政府、民主化要求、抗議活動「アラブの春」などを先導した指導者たちをイメージする。

  しかし、彼の国では素朴な人間進歩への信仰はすでに崩れて去って、進歩をはかる価値観すら忘れ去れてしまっているかもしれない。話は青臭く、とりとめないものになってしまった。

⇒13日(土)朝・金沢の天気     はれ

★禍は西の空から

★禍は西の空から

   禍はどうやら西の空からやってくるようだ。中国大陸から飛んでくる黄砂、そして最近話題の微小粒子状物質「PM2・5」、そして鳥インフルエンザ。さらに、北朝鮮のミサイルだ。金沢市の老舗料亭「大友楼」の「七種(ななくさ)粥」の行事を思い出した。

 大友楼ではセリ(野ぜり)、ナズナ(バチグサ、ペンペン草)、五行=御行(ハハコグサ)、ハコベラ(あきしらげ)、仏の座(オオバコ)、すず菜(蕪)、スズシロ(大根)の七草を台所の七つ道具でたたく。面白いのはその口上だ。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトー」と。つまり、旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って日本へ悪い病気の種を抱えた鳥が飛んで来て、空から悪疫のもとを降らすというので、この鳥が我家の上に来ない様にとの願いが込められている。「平安時代からの行事とされる」と、加賀藩主の御膳所を代々勤めた大友家の7代目の大友佐俊さんは言う。

 ちなみに、「かち合せてボートボト」と言うのは、金沢の方言で「鳥同士を鉢合わせでドンドンと落とせ」という意味だ。禍や病魔をもたらす「唐土の鳥」とは、昔から西の空からもたらされる、と考えられてきた。

  北朝鮮からのミサイル発射の警戒感が高まる中、大学などの機関にお達しが文部科学省からあった。
1. 万が一、落下物らしき物を発見した場合には、決して近寄らず、警察・消防に連絡すること
2. 万が一、各機関において、落下物等による被害があった場合には、本件連絡先の被害状況連絡先に情報提供すること
1. If you find anything that is possibly a part of the missile, do not go near it, and report to the police and/or fire department
2. If there is any damage at the institution caused by the missile, such as falling missile parts, share the information with the contact office for damage situation

  まさか本当の撃ってこないだろうとの思いはあるものの、日常の微妙な緊張感が醸成されている。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトー」。口ずさみたくなる。

⇒11日(木)朝・金沢の天気    くもり

 

☆少子高齢社会の制度設計

☆少子高齢社会の制度設計

 能登半島の先端にある珠洲市役所を訪ねると、玄関を入って1階の左手が市民課になっている。その入り口で目に飛び込んでくるのが、市の住民登録人口の表記看板だ。「16,567人」(2月8日現在)。2006年夏に訪れた折は、19,000人ほどだったと記憶しているので、この7年でざっと2,500人の人口減になったことになる。13%減である。「先細り」と言えばそれまでだが、珠洲市の人々が元気をなくしているかと言えば、これは別の話である。

 3月27日公表された厚生労働省国立社会保障・人口問題研究所の「2040年の将来推計人口」データは確かに衝撃的だった。2010年の国勢調査との比較だが、日本は一気に少子・高齢化が進む。石川県内の人口は2010年の国勢調査で117万人だが、2040年には100万人を割り込み97万人に減る。小松市の2つ分の人口に相当する20万人近く減るというのだ。そして冒頭で述べた珠洲市など奥能登の2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では、人口がほぼ半減する見通しだ。

 詳しく奥能登の2市2町のケースを見てみる。2010年の国勢調査で2市2町の人口は75,458人だった。今回示された2040年の推計人口は36,889人と、27年間でほぼ半分以下になるとの予想だ。減り方は、2010年を100としたときの指数で能登町45.5、珠洲市45.9、輪島市51.7、穴水町52.2となる。高齢化率の数字がさらに際立つ。65歳以上の高齢者は、珠洲市と能登町は2020年で50%に達し、超高齢社会の現実が浮き彫りになる。

 生産年齢人口(15-64歳)が減少することで、大幅な税収減となり、高齢者をケアする体制づくりも急務となる。さらに2市2町の75歳以上の人口割合は2040年には30%を超える。一方、0-14歳の人口割合は低下が続き、2010年時点の割合は2市2町とも9%だが、2040年には珠洲7.4%、輪島7.6%、穴水6.3%、能登が5.8%の「超少子・高齢化」の予測だ。

 モノには見方というものがある。こうした数字だけを見れば、奥能登は「少子・高齢化のトップランナー」でもある。むしろ、「超少子・高齢化」時代は確実にやってくるのだから、幸福づくり、生きがいづくり、新たな産業の可能性、社会の仕組みの再構成、健診モデルの構築など、超少子・高齢化の社会に向けた制度設計を能登をフィールドに見直したらどうだろう。

 実例を一つ上げる。能登半島の中央、七尾市中島町はカキ貝の産地で知られる。高齢化率33%(2011年3月)。この地域での要介護状態の原因の一つに認知症である。そこで、2004年から地域における認知症の早期発見と予防モデルの構築を目指した金沢大学医学部の調査研究が行われている。大学の医師、心理士らが家庭訪問。脳(もの忘れ)健診で、認知症を早期に発見するシステムを開発している。また、認知症を予防するための運動リハビリや認知リハビリをお年寄りたちに勧める。医師や心理士が率先して体操をして見せ、寸劇でもの忘れ健診の大切さを呼びかける。高齢化社会の到来を先取りして、認知症予防のモデルを確立する取り組みなのだ。

⇒7日(日)朝・金沢の天気   風雨 

★腑に落ちない

★腑に落ちない

  元プロ野球選手、松井秀喜氏のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井氏が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

  高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

  その松井氏がプロ野球で一時代を築いた長嶋茂雄氏と同時に国民栄誉賞を受賞することが確実となったと報じられている。両氏は、巨人時代の監督と選手の枠を超えて「師弟関係」にあり、「ミスター&ゴジラ」の国民栄誉賞ダブル受賞。だが、この時期になぜ国民栄誉賞なのか、腑に落ちない。長嶋氏に対してはその功績から、むしろ受賞するのが遅いくらいだろう。松井氏の場合は昨季現役を引退したばかりだ。ほかにふさわしい候補者がいたのではないか、と。

  調べてみると、これまでプロ野球選手として国民栄誉賞に選ばれたのは王貞治氏と衣笠祥雄氏だ。王氏は世界最多の756本塁打、衣笠氏は世界新記録の2131試合連続出場といずれも「世界一」の栄誉を浴している。賞を辞退したイチロー選手(現ヤンキース)も、大リーグでシーズン最多安打はじめ数々の記録を更新している。松井氏の功績もこれに匹敵するのだが、なぜこのタイミングなのか腑に落ちない。長嶋氏だけでもよかったのではないか。

  大リーガーのパイオニア的な存在という点ならば、野茂英雄氏だろう。新人王や2度のノーヒットノーランを達成している。松井氏は大リーグ移籍後、本塁打王や首位打者といった主要な個人タイトルは獲得していない。実績面では野茂氏と松井氏に勝るとも劣らない。

  松井氏の身上は「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と父親かから教わった言葉をそのまま体現した。本人がホームランの数より、連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。野球の天才というより、努力の天才なのだ。ここで国民栄誉賞をもらってしまっては、人生あとがなくなる。

⇒2日(火)夜・金沢の天気    くもり

☆道路の価値

☆道路の価値

金沢市から石川県穴水町までの能登半島を走る能登有料道路(82.9㌔)が3月31日正午から無料となった。道路の名称も、「ふるさと紀行 のと里山海道(さとやまかいどう)」として新たなスタートを切った。このほか、能登有料道路から七尾市の和倉温泉方面に向かう田鶴浜道路(4.8㌔)、手取川にまたがる川北大橋有料道路(4.8㌔)も同時にフリーとなった。

  能登有料道路の全線開通は1982年なので満30年となる。これまで片道で普通車1180円、大型車4210円(全線利用)がかかっていた。この道路は、石川県における能登地区と加賀地区の格差是正などを目的に県が建設した。1982年の全線開通以降は、1990年から県道路公社が道路を管理。総事業費625億円のうち、県から同公社への貸付金のうち未償還分の135億円を県が債権放棄するかたちで、無料化が実現した。

  ここで道路の価値というものを考えてみたい。というのも、債権放棄してまで無料化する意味とはどこにあるのか、という点である。新聞各紙が報じている、31日の無料化セレモニーでの谷本正憲知事の発言。「(無料化は)能登に足を運んでいただく交流人口を拡大し、能登から通勤する定住人口を増やす大きな足がかりを得て、企業立地の追い風にもなると思う」。県は独自に試算している。七尾市の横田料金所付近の1日の交通量について、これまでの約6000台から1.6倍増えて約1万台となり、利用増が見込まれる、と。この数字には注意する必要がある。というもの、「利用増」は平行して走る国道159号や249号の利用者が無料になったので機に利用するのであって、利用する新たな人々が増えるとは考えにくい。すなわち、交流人口の拡大とは意味合いが違うのではないか。能登から金沢方面へ通勤することで定住人口が増えるとの発言があったが、これもどうだろう。すでに、国道159号や249号を使って通勤している人はいる。また、企業立地の追い風になればよいが、無料化そのもので立地を決意したという話は聞いたことがない。

  無料化による経済効果は果たしてあるのだろうか。逆に、無料化で能登から金沢方面への買い物客が増え、能登中心に展開する食品スーパーなど小売業が苦境に立たされるのではないかとの報道も目立つ。

  むしろ価値があるのは「のと里山海道」というネーミングではないかと思っている。「里山」という名称の道路名は聞いたことがない。初ではないか。そして海道もなかなか響きが良い。瀬戸内の『しまなみ海道』や『とびしま海道』をほうふつとさせる。能登有料道路では沸かなかったイメージが膨らんでくる。能登半島は2011年6月に国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)によって世界農業遺産(GIAHS、Globally Important Agricultural Heritage Systems)に認定された。その認定名が「Noto’s Satoyama and Satoumi」 。つまり、海外から見れば、Satoyama and Satoumiの日本の代名詞が能登となる。そのSatoyama and Satoumiが道路名にも冠せられた、ということになる。そのように解釈すれば、さらにイメージは膨らむ。

  日本海に突き出た能登半島。さまざまな歴史と文化を背負ってきた半島。道路名が変わっただけで、イメージも変われば、これこそ新たな道路価値なのである。ただ、惜しむらくはところどころの道路看板にローマ字表記がほしい。そうすれば、Noto’s Satoyama and Satoumiの価値とつながる。

⇒1日(月)朝・金沢の天気    はれ

★看板の価値

★看板の価値

  先日、地元の新聞に掲載されたニュースだ。テレビの全国放送などでも取り上げられた金沢市の不動産会社の「名物看板」が市の屋外広告物設置基準に違反しているとして、是正指導を受けて今年秋までに撤去することになった。

  是正指導を受けたのは、私が通勤している金沢大学角間キャンパスの近くにある「のうか不動産」で、学生たちの評判はよい。学生たちが部屋のカギを紛失すると、合鍵を持参して夜中でも対応してくれるというのだ。問題となった看板は、人目を引く宣伝をしたいと2009年1月から設置を開始し、大学周辺を中心に40基ほどある。その看板は私自身も気にはなっていた。

  看板の文言は実によく練られている。その特色をひと言で表現すれば、「場の表現」だ。たとえば、交差点では「右へならえの人生に疲れたあたなも右折してください」と。右折すれば40㍍でその会社がある。飲料の自動販売機の横にある看板では、「ノドが乾いたら、人生が乾いたら」と表現する。強烈なのは、警察の交番に隣接するビルでは、交番の真上部分に、「『苗加』を『なえか』と読んだ人、タイホします」と書かれた看板=写真=がある。金沢の名字で「苗加」を「のうか」と呼ぶ。交番を絡めたこの表現は、ある種のパロディではある。著作権上は問題ないのだが、警察への「おちょくり」ととらえる人もいるかもしれない。また、この表現で警察の気分を悪くしないかとおもんばかる人もいるかもしれない。その看板を見て、人々が微笑むか、考え込むか。良くも悪しくも、これが看板の価値というものだ。

  冒頭の全国放送というのは、2012年11月9日放送のフジテレビ「めざましテレビ」。兼六園の近くのコインパーキングに、「兼六園までほふく前進であと5分」と表記された同社の看板がある。実際の距離はおよそ300㍍。はたして5分で兼六園まで行けるのか、元自衛官のお笑いタレントが実際に匍匐前進を試みた。すると、結果は15分ほど、3倍もさばを読んでいた。そこで、同社の担当者に表記の数字と実際にかかった数字にかい離があると意地悪く質問するという設定。担当者は「まさか本当に匍匐前進する人がいるとは思わなかった。人の印象に残るような看板をつくりたかっただけ」と笑って答えた。もちろん、テレビ局側もそのリアクションを計算しての演出である。

  ところで、全国放送にもなった名物看板が金沢市の屋外広告物設置基準に違反しているとして今秋までに撤去することになった。言葉の表現が問題視されたわけではない。大きいものでは縦横4㍍ほどになる看板もあり、現在ある屋上看板や野立看板、壁面広告30件のうち、25件が設置面積や高さなどで基準を満たしていないというのがその理由。2年ほど前から撤去かサイズ変更の指導を受けてきたという。基準を満たさない屋外広告物は撤去費用が必要なため、新しい看板への更新時や老朽化した場合などに改善・撤去するケースが多い。ただ、同社の看板は有名すぎて、他の違反した業者が市の指導の折に「あの看板の場合はどうなんだ」と引き合いに出すケースがあり、市と同社が協議して撤去となったようだ。

⇒27日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆ウグイスの初鳴き

☆ウグイスの初鳴き

  きょう(25日)朝、自宅の庭の梅の木を見ると満開になっていた=写真=。金沢はすっかり春めいてきた。ただし、肌寒い。朝、青空駐車場の車のガラスは凍りついた状態になっていて、しばらく車を温めた。9時ごろだった。突然、ホーペケキョとウグイスの鳴き声が聞こえた。ぎこちない、初鳴きだ。

  以前、このブログでウグイスの鳴き声について書いたことを思い出して、検索すると、2006年5月4日のブログでヒットした。そのとき、こう書いていた。「五月晴れとはまさにきょうの空模様のことを言うのであろう。風は木々をわずかに揺らす程度に吹き、ほほに当たると撫でるように心地よい。今朝はもう一つうれしいことがあった。ウグイスの鳴き声が間近に聞こえたのである。おそらく我が家の庭木か隣家であろう。ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄な旋律として耳に入ってきた。」

  それてしても、日付が5月4日となっていて、ウグイスの鳴き声を話題に取り上げるには時期がずれていると思い、金沢地方気象台の「生物季節観察」のデータをネットで検索した。すると、ウグイスの初鳴の平年は3月24日、もっとも早いのは2月20日(2007年)、もっとも遅いのは4月23日(1984年)とある。ということは、当時、我が家の周辺で私が耳にしたのはこれが初鳴きではなく、たまたま初めて耳にしたのがこの時期ということになる。しかも「ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄…」と書いているので、ぎこちなさはすでに取れている。

  2005年4月28日にブログを開設してから2880日余り。ウグイスの鳴き声に季節を感じ、あれこれとブログに書けることは「幸い」である。ブログは人生の充実度を高めてくれている。

⇒25日(月)夜・金沢の天気   はれ