☆あれから4年,街は
この表現はお叱りを受けるかもしれないが、街の様子を眺めて「がっかりした」が第一印象だった。何しろ、震災から2ヵ月後の街並みの記憶とそう違わない。今でも街のあちこちでガレキの処理が行われているのである=写真・上=。もう街並みは復興しているものだとばかり思っていたので、その視覚のギャップが大きかった。
2011年5月の気仙沼訪問で目に焼き付いていた、津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船「第十八共徳丸」(330トン)=写真・下、2011年5月撮影=を見ようと現場に行った。が、すでに解体されていた。その後のニュースでは、気仙沼市は「震災遺構」として共徳丸の保存を目指していた。ところが、所有する水産会社が市側に解体の意向を市に伝えていたようだ。最終的に2013年7月に市側が市内の全世帯6万5千人(16歳以上)を対象に、漁船を震災遺構として残すことへの賛否を尋ねるアンケートを実施したところ、回答数1万4千のうちおよそ68%が「保存の必要はない」
で、「保存が望ましい」16%を上回った(以上、気仙沼市ホームページより平成25年8月5日の記者会見資料より)。被災住民とすれば、日常の光景の中でいつまでも被災の面影を見たくはなかったのだろう。こうした住民の意向を受けて、市側は漁業会社の解体に同意し、共徳丸は同年10月に解体撤去された。
それにしても、なぜ復興工事が進んでいないのだろうか。同じ市役所のホームページに、「気仙沼市震災復興推進会議について(開催概要)」とするPDFが上がっている。住民と行政側が復興の現状について意見を交わした議事録だ。この中で気になったいくつのケースを拾ってみる。たとえば、市役所の職員確保の状況について説明を求めた質問では、「全国の自治体に即戦力となる自治体職員の派遣を依頼する一方で、本市で雇用する職員募集をかけている。任期付職員については、専門性を必要とする土木・建築職員に関して地元の応募が得られず、今年から首都圏でも募集をかける予定である。」(2014年7月の第10回会議)との回答だ。全国から行政職員の応援をお願いしているが、それでも土木・建築系の職員が地元では集まらないという現実があるようだ。行政のマンパワーだけでなく、被災地は建設工事ラッシュなので、漁港施設、海岸、道路、河川、土地区画整理、宅地造成、下水道等の工事が同時進行している。しかも、国や県、各自治体が一斉に工事を発注するので、建設会社の落札に至らないというケースがあるようだ。したがって、工事ができず、さらに工期が伸びるとうい悪循環が起きていることが察せられる。
しかも、全国総合開発をほうふつさせるアベノミクスの「国土強靭化計画」で全国で工事ラッシュだ。そうなると、優先されるべき被災地でも現場の作業員が不足するだろう。資材(採石、生コン、コンパネなど)や建設機械(ダンプトラックなど)の不足もあるだろう。工事に着手したとしても、工事が進まない、そんな気仙沼市の市街地を眺めながら、進まぬ復興の現実を考えさせられた。
⇒8日(日)午後・金沢の天気 はれ
も家業のカキ・ホタテの養殖に従事している。畠山氏を訪ねたこの日、湾内は青空が映えて、なんとも静寂で、まるで鏡のようだった=写真=。
角間氏は食品・酒類の総合商社「カナカン」の元会長。2001年から07年まで北陸朝日放送の社長をされ、その間、私は同局の報道制作局長として在任したことがあり、仕事上も人生の先輩としても教えを乞うた。そのとき感じたことは人脈の広さだった。金沢商工会議所副会頭、全国法人会総連合会筆頭副会長といった名誉職だけでなく、食品など手がけるビジネス上の深いつながりというものを感じた。こんな話をしてくれたことを思い出す。「私は金沢の郊外の角間(かくま)という山間地に実家があって、幼いころ近所のおばさんたちが柿やナシなど道行く人に売っていた。そのとき、柿10個を売る際に値引きをするのではなく、2個おまけをつけるという販売方法だった。売価を下げず、インセンティブを与えるやり方だった。そんな姿を見て、ビジネスに興味を持った」と。人の話によく耳を傾け、自らの言葉で語る人だった。
金沢市内の文教地区と称される一等地でテナントビルが解体されて空き地になっていたが、年末に「APA マンション・プロジェクト始動」という看板が立った。あのアパグループの帽子の女性社長の顔写真つきだ=写真=。「マンション・プロジュクト始動」との謳い文句なので、それなりに立派なマンションが建設されるのだろう。素人の見立てで、敷地はざっと1000坪ほどだろうか。金沢といえば、マンション需要より戸建て需要が強いのだが、いったい誰が買うのだろうか。
政治・選挙からマスメディア、金沢大学のキャンパスでのことなどいろいろとネタにしてきた。それでも、ネタのトレンドというものがある。たとえば、2006年からは、能登に関することが増えいる。これは私の大学での業務が能登と関わることになったかからだ。これに関しては、2014年12月28日付の「★2014 ミサ・ソレニムス~5」で経緯を紹介した。「能登半島 里山里海自然学校」や「能登里山マイスター要請プログラム」などがキーワードとなる。
8時すぎ、近所の方々の「雪すかし」が始まった。雪すかしは除雪のこと。スコップで敷地や玄関先の道路を除雪する。平面に積もった雪を空き地に立体的に積上げるのである。「おはようございます。ことしも一年よろしくお願いします」と新年のあいさつを兼ねたあいさつだ。こういう近隣のあいさつは近所付き合いの上で大切なので、当方ももちろん通りに出て、雪すかしのあいさつをした。「ことしもよろしくお願いします」(当方)、「それにしもよく積もりましたね」(近所)、「天気予報では10年に一度の大雪とか言ってましたが、その通りになりましたね。3日ごろまでこんな感じで降りそうですよ」(当方)、「いつもの雪より軽くて楽やけど、ことしの正月三が日は雪すかしで終わりやね(笑い)」(近所)、「本当ですね。ことしもよろしくお願いします(笑い)」(当方)
金沢から輪島に向かう縦貫道「のと里山海道」(全長83㌔)を走る。金沢から向かうので当然、積雪は金沢よりも多いと判断しがちだが、そうではない。「金沢が大雪でも。能登は小雪」ということもままある。そこで、9時ごろに目的地に電話を入れた。輪島市内の山間部でさぞかし大雪と思いきや、「20数㌢ほど。軽四でも大丈夫」との返事。「チェーンもスコップもいらない。スノータイヤで大丈夫」と安心し、車を走らせた。雪国に住んでいると日常的にそんなことをついつい考える。
この日、もう一つ仕事が残っていた。21時30分、金沢市の開票作業始まるのに合わせて、金沢市営中央市民体育館(同市長町3丁目)に出かけた。学生たちを激励するためだった。新聞社からの依頼で、学生たち何人かに開披台調査の選挙アルバイトを勧めた。この調査は、双眼鏡で開票者(自治体職員)の手元を覗きながら、小選挙区の候補者名をチェックしていく。投開票日のその日には、テレビ新聞メディアは投票所では出口調査が、開票所では開披台調査を実施する。出口調査で大差がついていれば、20時からの選挙特番で「当選確実」の予想は打てるのだが、小差ならば開披台調査で当落を判断することがある。
14日、イフガオ里山マイスター養成プログラムの第6回の講義がイフガオ州大学で行われた。今回日本からのイフガオに訪れた講師陣は多彩な顔ぶれだった。能登里山里海マイスター育成プログラムの教員、小路晋作特任准教授とシュクル・ラフマン教務補佐員、国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)のイヴォーン・ユー研究員の3人が講義を行った。
開会挨拶のなかで、イフガオ州大学のセラフィン・ゴハヨン学長が、イフガオの棚田を保全する人材養成を支援するための学内組織「GIAHS支援センター(仮)」の設置を表明した。続いて、JICA事業「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」の日本側実施責任である金沢大学の中村浩二特任教授が能登里山里海マイスター育成プログラムの取り組みの進捗状況を説明。イフガオ州大学のダイナ・リチヤヨ教授がイフガオ里山マイスター養成プログラムこれまでの活動状況(6回の講義、能登研修など)を報告した。その後、受講生の中から選ばれた5人が課題研究の中間報告をプレゼンし、イフガオに伝わる農耕や文化資源の価値を再評価し、現代の視点で活かす試みを披露しました。この協議会のハイライトは前回のコラムでも掲載し
たように受講生たちの課題研究のプレゼンだ。
イフガオの棚田は1995年にユネスコの世界文化遺産、2005年には国連食糧農業遺産に認定されている、壮大な棚田だ。その面積はざっと1万7000㌶、東京ディズニーランドとディズニーシーを合せた面積が100㌶なので、その170倍も広がる広大な棚田だ。さて、そのイフガオの棚田で起きている現実はこれまで何度かこのコラムで述べてきたように、若者の農業離れだ。現地の人が言うには、最近は若者だけでなく、中高年の田んぼ離れも広がっている、と。世界遺産でもある地域の文化を今度どう守って、継続的に発展させていけばよいのか、まったく日本と同じような、いや世界で起きているこの若者の農業離れという問題に向き合えばよいのか。そこで、金沢大学が国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業で実施しているが、「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」、別称「イフガオ里山マイスター養成プログラム」。フィリピンでのカンターパートナーはイフガオ州大学、フィリピン大学オープン・ユニバーシティだ。
文化が南に伝播してイフガオに、そして北に伝わり能登など日本に。そんな農耕文化のダイナミックな広がりを感じさせるのだ。ヴィッキーさんは「イフガオの民俗資料をまとめて文化遺産の価値や誇りを未来に伝えたい」と意欲を持っている。