★テレビはスターだった
たちが群がった。テレビは憧れの的だった」と。学生たちの反応は「信じられない」といった様子だ。
国産のテレビを最初に市場に送り込んだのはシャープだった。14インチで当時の価格は17万5000円だった。大卒の銀行マンの初任給が5600円の時代だ。庶民から遠い存在だったテレビが徐々に普及していった。NHKの「にっぽん くらしの記憶」のチラシ=写真=に掲載されている写真を見ると、子どもたちが大相撲の中継を夢中になって見ている。このチラシに写っているテレビがシャープ製の日本初のテレビだ。テレビが家庭に普及するとともに、シャープは家電事業の土台を固めて、成長の足場を築いたのだった。
日本でテレビ放送がスタートして63年後、そのシャープが「身売り」することになった。メディア各社の報道によりと、シャープは台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業に、「支援」といわれながら、実質的に買収されることになった。鴻海の郭台銘会長は、カリスマ経営者でワンマンと言われる。シャープの経営陣はどのように対応しているのだろうか。知る由もないが、向かう先は一つだろう。
鴻海はもともとアップルの下請け、その脱皮を狙っている。つまり、独自技術を手に入れ、自社ブランドを作ることにある。そのキーポイントが、シャープの液晶技術ということだろう。シャープの液晶技術は「主要ディスプレイ厚み20ミリ」「コントラスト比10万対1」などオンリーワンと言える。
シャープの創業者の早川徳次は立志伝中の人だ。シャープペンシルの事業を関東大震災(1923年)で工場を失い、その事業を社員に引き渡して、自らは身ひとつで大阪へ赴く。当時、政府は災害報道に速報性が必要だとラジオ放送の開局を急いでいた。ここ注目した早川徳次は、1925年に国産第1号となる鉱石ラジオを製造し、同じ年にテレビ放送が始まった。鉱石ラジオを真空管ラジオへ進化させていく。戦後になり、テレビの国産第1号を世に送り出した。シャープは常にメディアツール(ラジオ、テレビ)のパイオニアだった。
先端技術の流失などいろいろ議論はあるものの、鴻海とシャープが組んで次世代の画期的なメディアツールを開発してほしいと願う。
⇒2日(火)午後・金沢の天気 はれ
付金をすることによって税制上の措置を講じ、企業と地域の連携をはかるという。「一社一村」運動の様相だ。
者会見を50分余り視聴した=写真=。
昨夜、ガソリンスンダドに給油に行った。会員価格だが1リットル109円とさらに安くなっていた=写真=。原油価格が下げ止まらない。「米国指標のWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)は一時1バレル28ドル台を付け、12年ぶりの安値をつけた。原油安を受けて資源国通貨は急落」と日経新聞WEB版(19日付)は伝えている。世界の経済も大荒れだ。
穏やかな2016年の元旦を迎えた。金沢の天気は晴れ。積雪もない。外気温は8度(午前11時)だ。青い空を見上げながら、この2016年はどのような一年になるのだろうかと想像をたくましくしてみた。
とになる。しかし、北陸の地からこの選挙を眺めても、民意が読めない。
は故障していた。男はイカ釣り漁船の管理点検の業務に就いていて、不法入国ではなかった。日本海側では、北朝鮮の船が国内に漂着する例は毎年数十件確認されているが、生存したまま保護されるケースは珍しい。
示方法やツーリズムの組み立て方、エコツーリズム(生物多様性など)のノウハウなどに質問し、熱心にカメラを向けていた。
その能登半島の先端、珠洲(すず)市で金沢大学の研究チームによる、自動運転(オートドライブ)が実証実験プロジェクトが進んでいる。実証実験は今年2月に開始され、障害物や信号などを把握するセンサーやカメラなどを取り付けたトヨタ「プリウス」を使用して自動運転し、対向車や歩行者の複雑な動きも予測できるようデータを積み上げている。2020年をめどに高齢者の移動手段としての実用化を目指している。
ホールで行われた。その中に10件の中に、金沢大学が能登半島の珠洲市などと取り組んでいる、能登里山里海マイスター育成プログラムなどの大学連携(あるいは域学連携)のプログラムが残り、珠洲市の泉谷満寿裕市長と金沢大学の中村浩二特任教授が最終のプレゼンテーションに登壇した=写真=。