⇒トピック往来

☆イフガオへ-上

☆イフガオへ-上

  フィリピンのマニラにいる。これからルソン島北部の山脈にあるイフガオに向かう。今回で3度目のイフガオ訪問だ。2012年1月、翌年2013年11月、そして今回だ。マニラから車で移動すること9時間余り。昨日も、正午すぎに小松空港から韓国・仁川空港へ、そしてマニラ空港に着いたのが夜中の11時ごろだった。つまり、2日がかりで現地に入ることになる。

           イフガオを支援する意義は何なのか

  金沢大学が7年間、能登半島で培ってきた里山の人材養成(「能登里山里海マイスター」育成プログラム)のノウハウをイフガオ棚田(FAO世界農業遺産、ユネスコ世界文化遺産)の人材養成に活かすプロジェクトが、国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)として採択された。

  このプロジェクトを促進するため、同じ世界農業遺産の能登と佐渡を中心とした「イフガオGIAHS支援協議会」の設立総会=写真=が3月8日に能登空港で開催された。設立総会と記念ワークショップには、フィリピン側からアティ・デニス・ハバウェル (イフガオ州知事)、グレース・ハビア・アルフォンソ (フィリピン大学オープンユニバーシティ学長)、セラフィン・L・ゴハヨン (イフガオ州立大学長)の3氏が参加。金沢大学からは中村信一学長、山辺芳宣能登地域GIAHS推進協議会(羽咋市長)、石川県の堀畑正純環境部長らがホストだった。

  なぜイフガオ支援なのか。世界遺産遺産にも認定されている世界的に有名な棚田だが、近年、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念されるほか、地域の生活・文化を守り、継承していく人材の養成が急務となっている。そのため、同様の課題を有する日本の世界農業遺産認定地域(能登・佐渡含む5サイト)が協力し、金沢大学の持つ地域と連携した人材育成のノウハウを移転し、同地において魅力ある農業を実践し、地域を持続的に発展させる若手人材を養成するプログラムの構築を支援することになった。また、GIAHS 理念の普及を通じた国際交流・支援を実施することにより、国内のGIAHSサイトにおいて、国際的な視点を持ちながら地域の課題解決に取り組むグローカル(グローバル+ローカル)な人材の育成にもつなげていきたいとの思いもある。

  ピロジェクト代表の中村浩二特任教授の司会のセンションが「イフガオの現状と期待」と題して行われた。「能登と佐渡、そしてイフガオが抱える若者と農業の問題は世界の問題。この解決モデルを共に創りましょう」とハバウェル知事が訴えた。

  そしてあす25日、イフガオで「イフガオ里山マイスター養成プログラム」の開講式がある。いよいよプロジェクトが始動する。

⇒24日(月)朝・イフガオの天気   くもり

★3月の「大雪」

★3月の「大雪」

 きょうの朝(10日)起きて驚いた。一面の銀世界。さっそく自宅前の道路の「雪すかし」を行った。20数㌢の積雪だ。「雪すかし」は先のコラム(2月9日付)でも紹介したように、金沢の町内会の伝統的な暗黙のルールとも言える。一方で、朝の通学の児童たちのために道を確保するという、ちょっとした「思いやり」を持って除雪にあたっている人もいるかもしれない。

 ただ、今朝の雪はとても重く感じられた。雪をかいて溝に運ぶスコップがずしりと腕と肩にくる。よく見ると屋根の雪もすでに落ちているところもある。外気温は3度。湿り気のある雪なのですでに溶け始めている。つまり、水分をたっぷり含んだ雪なのだ。ここで気になるのが、庭木の枝である。「雪つり」をほどこしている樹木はよいが、そうでないたとえば、ツバキやキンモクセイなど(それぞれの家庭によって異なる)はとても重そうで、枝がいまにも折れそうだ。そんなことを思いながら、子どもたちの声が聞こえ始める7時ごろまでに自宅前の雪かきを終えた。

 これまで3月中旬になってブログネタにした雪は「名残り雪」だった(2009年3月26日付)。ところが、きょうの雪は久しぶりの大雪といった風情の積もり具合である。こうしてブログを書いている間も降っている。ここ数日の冬型の気圧配置が居座っている。ただ、あすからは回復して晴れ間ものぞきそうだ。

 ことしの金沢は全般に「少雪」だった。東京で雪が降っても(2月14日)、金沢ではほどんど積雪がなかった。今回の「大雪」で少しは冬の名残をとどめた。そして、雪つりを施した甲斐があった、などと金沢の人は悠長に思っているのではないか。自分も含めて。

⇒10日(月)朝・金沢の天気   ゆき

☆ブラックアウト

☆ブラックアウト

これまでの携帯電話(ガラケイ)からスマホ(au「URBANO」)に替えた。そのときに携帯電話の取扱店からアドバイスされたのが、「落とさないこと」だった。確かに液晶画面がガラケよりも広く大きく、落とすと割れると思うと慎重になる。実は、これまでのガラケイも何度も落として、特に角がすり減ったようになっていた。

 過日、電器店でスマホのカバーを買った。全体のカバー(透明)と液晶画面の保護シート(フイルム)のセットだった。その翌朝から異変が起きた。スマホの液晶表示の画面が、電話の通話が始まると真っ暗にブラックアウトしてしまうのだ。それでも、相手と通話しているときには特に不自由もなかったので放っておいた。電話が切れると、液晶表示画面が回復すしたからだ。焦ったのは、相手が留守電なり、録音して切りボタンを押そうにも、ボランがどこにあるかわからないことだ。焦った。「3分間」延々と電話につながったままになった。

 その理由を「スマホ 通話になると画面が暗くなる」で検索し、調べた。するとauのイサイトでこんな質問・回答があった。「通話時に液晶画面が突然が真っ暗になる」。「ディスプレイに市販の保護シートを貼られていませんか。近接センサー等が誤動作している可能性があります。保護シートを一旦はがして、動作をご確認ください。」とういうものだった。

 近接センサーとは、本体に顔が近づいている状態で、スマホ本体から顔が離れた状態を検出して、自動的にタッチパネルのオンとオフを切り替える機能。顔を近づけるとタッチパネルをオフにして誤動作を防ぐのだという。すばらしい、近接センサーの機能なのだが、意外にも、保護シートで貼ることで、誤作動を起こし、通話が始まった段階でずっとブラックアウトしてしまうのだ。

 結局、せっかく1200円も払って買ったカバーセットだが、液晶画面の保護シート(フィルム)を外すことにした。落下によるスマホの損傷を防ぐために、保護シートを貼ったが、それが今度はスマホ本体の近接センサーの機能を阻害することになる。複雑な現代社会の一面がこのスマホに見て取れた思いだった。

⇒8日(土)夜・金沢の天気   くもり 時々 ゆき

★雪かきのご近所ルール

★雪かきのご近所ルール

  昨日、東京都内の知人に電話した。すると、「雪が降っていて、電車も止まって、とにかく怖いので外に出れない」との返事だった。雪が降るだけで、身震いしている様子が容易に想像がついた。きょう9日のテレビニュースでも、都心(大手町)の積雪が25㌢を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となったと伝えている。都心で20㌢を超える積雪は1994年2月以来、20年ぶりとか。気象庁は東京に大雪警報を発表している。こんな中、午前7時から東京都知事選の投票が始まっている。

  それに比べ、なんとも金沢らしくない天気が続く。自宅周辺は割と金沢中心部より積雪がある。数日前は降ったものの、積雪は20㌢に満たない。この冬は青空が多く、「(雪が降らないので)助かりますね」というのがご近所さんとの会話だ。きょうは朝から雨。さらに雪が溶けそうだ。

  金沢の雪にまつわる「金沢のしきたり」の話を紹介する。「しきたり」とは暗黙のルールとでも言おうか、明文化された決まりではないが、「昔から(伝統的に)そういうことになっている」ことなのだ。ちょっとアカデミックに言い方をすれば、「コミュニティを存続させるための伝統的な集団行動(知恵)」となるかもしれない。前書きはさておき、雪が降った朝、金沢では持ち家の前の道路を除雪する。それを「雪かき」あるいは「雪すかし」と言う。「かき」は「掻き」で「押しのける」の意味、「すかし」は「透かし」は「取り去る」という意味だ。

  時間的には朝、それも学校の児童が登校する前に7時ごろだろうか。誰がするのかはその遺家々の人だが夫であったり、妻であったりと決まりはない。問題はタイミングである。ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと「掻く」あるいは「透かす」とそれが合図となる。別に当番がいるわけではないか、周囲の人たちがそれとなく出てきて、始める。「よう降りましたね」「冷え込みますね」が朝のご近所のあいさつとなる。

  「掻く」あるいは「透かす」の範囲はその家の道路に面した間口部分となる=写真=。角の家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪するのである。しかも、車道の部分はしなくてよい。登校の児童たちが歩く「歩道」部分のみである。雪をどこに「掻く」のか。それは、家の前の側溝である。そこにどんどんと押しのける、積み上げる。晴れて気温が落ち着くと、側溝に水が流れ、積み上げた雪が溶ける。冬場の側溝は雪捨て場と化す。

  「しきたり」破りに制裁はあるのか。とくにない。雪はそのうち自然に溶けて消える。誰も実害を受けることはないからだ。でも、ご近所の人たちは、その家の雪に関する対応意識(危機管理のガバナンス)など見抜いてしまう。「雪かきもできない。あの家は大丈夫か」と見透かされてしまうのだ。

⇒9日(日)朝・金沢の天気   あめときどきくもり 

☆2014年を迎えて

☆2014年を迎えて

  2014年元旦の金沢は雨ときどき曇りだった。家族で金沢神社に初詣に行き、帰りに東山の茶屋街に立ち寄った。街中は静かだったのに、ここは観光客でにぎわっていた=写真・上=。午前中だったが、店も一部は開店していた。店の前で芸子さんが姿を現すと、珍しげに観光客が集まった。「写真撮らせていただけませんか」とスマートフォンを構えている。芸子さんが「いいですよ」と微笑むと、ちゃっかりと「ツーショットと撮っていただけませんか」と横に並ぶおばさんもいた。

  話は前後するが、初詣をした金沢神社の隣に兼六園管理事務所がある。事務所横の庭には、まだ背の低い松などが植えてあり、雪つりまで施してある。本来ならば、兼けんろ六園の園外であり、名木でもないのにコストをかけてまで雪つり施す必要はない。理由がある。これらの松は、兼六園の名木たちの2世なのだ。兼六園といえども、強風や台風、大雪も、そして雷などの自然の脅威には常にさらされている。そして、いつかは枯れる。

  そのときのために名木の子孫がスタンバイしているのである。これは兼六園管理事務所の関係者から聞いた話だが、子孫とは、たとえば種子からとることもあるが、名木のもともとの産地から姿の似た名木をもってくる場合もある。兼六園きっての名木「唐崎(からさき)の松」。これは、滋賀県大津市の「唐崎の松」から由来する。歌川広重(安藤広重)が浮世絵「近江八景之内 唐崎夜雨」に描いた松である。その唐崎の松は2代目だが、第13代加賀藩主が2代目の種を取り寄せて植えた松が兼六園の「唐崎の松」である。

  兼六園管理事務所では、滋賀県の唐崎の2代目の種子で成長した低木を譲り受け、管理事務所で育てている=写真・下=。若いが枝振りもよい。これならば雪つりを施す価値があると個人的にも思う。ただ、この子孫の出番はいつか分からない。100年後か200年後か。ただ、名木の2世のスタンバイは永遠という時空をつけている。兼六園は四季の移ろいを樹木などの植物によって感じさせ、それを曲水の流れや、玉砂利の感触を得ながら確かめるという、5感を満たす感性の高い空間なのだ。その空間に永遠という時空をつけて、完成させた壮大な芸術品、それが兼六園。

⇒1日(水)夜・金沢の天気   くもり

☆時代のウインク

☆時代のウインク

  冬の仙台市をライトで彩る「光のページェント」を初めて見た。14日夜、訪れた。定禅寺通の660メートルのケヤキ160本に、60万球の発光ダイオード(LED)が一斉に点灯して浮かび上がる。ことしのテーマは、「あたたかな光が創り出す『よろこびと感動のステージ!』」。今月6日に点灯し、31日まで。

  この日の仙台市内は冬型の気圧配置に見舞われ、雪だった。市内は数センチの積雪だが、光と雪の競演ともいえる風情だ。点灯時間は17時30分から23時まで。じっと見ていると、18時ごろに一瞬ライトが消えた。周囲は消えてないので、照明機器の故障かと思った。すると1分くらいして点灯した。ウオーと歓声が上がった。光のページェントを見に誘ってくれた友人によると、これは「スターライト・ウインク」という一つの演出なのだそうだ。18時から20時の1時間おきに、1分間消灯した後に再点灯する。

  人は光が消えると一瞬不安になる。そこで再点灯すると感動に包まれる。言葉を付け足すと、暗闇という緊張と不安を感じるところに行き、そこで光を見るとなんともいえない安心感を覚えるという人間の心理を巧みに生かした演出だ。これを大がかりに都市の復興の仕掛けにしたのが、阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興への希望を託し、1995年に始まった神戸ルミナリエだろう。

  近隣外交を含めて、不安定な時代に一瞬に光を与え、人々に勇気と感動を与えてくれる「時代のウインク」とは何か、仙台の夜のページェントを見て、雪道を歩きながらふとそんなことを考えた。

⇒14日(土)夜・仙台の天気   ゆき

★イフガオ再訪-追記

★イフガオ再訪-追記

  イフガオの棚田には青年海外協力隊員2人が派遣されており、金沢大学の説明会があると聞いて訪ねてきてくれた。渡辺樹里さんは、棚田で食材として利用されるドジョウの養殖を、中島千裕さんは日本企業のCSRで設置された小水力発電を活かした地域開発に取り組んでいる。

        イフガオの地域開発に携わる2人の青年海外協力隊員

  28日20時過ぎにイフガオ州立大学のゲストハウスに到着した。渡辺樹里さんがまっていてくれた。たまたま、マヨヤオ町長あてに出した手紙の封筒に「金沢大学」の名があり、金沢大学のイフガオ入りを知った。渡辺さんは東京都まれ。水産高校と大学で7年間水産学を学んだ。2012年10月から青年海外協力隊員(任期2015年8月)としてイフガオ州マヨヤオ町の町役場の農業事務所に赴任した。同地では、稲作農家に対して「水田養殖の普及活動」に取り組んでいる。ドジョウ養殖の普及活動。これは、棚田における単一稲作農業が、農家の現金収入にならないことと、それに伴い、肉体労働を敬遠する若者が都市へ流出してしまう…という後継者問題の対応策として始めたプロジェクトだ。

  現在、イフガオ州では渡辺さんと中島さんの2人が活動している。協力隊の特徴は、現地の人たちと二人三脚で草の根レベルで活動していける、という点にある。今後、金沢大学のJICA草の根技術協力(地域経済活性化特別枠)「世界農業遺産(GIAHS)「イフガオの棚田」の持続的発展のための人材養成」に、協力隊員である渡辺さんたちが何らかの形で加わってもらうことで、プログラムがより現地に根差したものになる、そのような可能性を見出している。

  渡辺さんは学生時代から「途上国における環境保全型養殖」をテーマに取り組んでいる。「ドジョウ養殖」は、新たな産業の導入を自然と人の調和を壊さずに実践していくかという課題の解決のヒントになる。ドジョウ養殖はこれまで、フォンデュアン町のOTOP(One Town One Product)に指定され、州をあげて力を入れた開発プロジェクトだったが、技術が定着することなくお蔵入りとなっていた。しかし、ドジョウはイフガオ州の気候条件に適しており、フィリピンの他の土地では生産できない、いわばイフガオの特産品となりうるもの。北ルソンでは好んで食べられている。配合飼料を与えずに育てられるため、環境に悪影響を与えず、棚田の景観を崩さない。イフガオ州での生息数が激減していることから、販売されている魚の中で最も高値がついており、1㌔600ペソもする。目指すところは、「人々のライフスタイルと環境に適合・調和する養殖の導入」ではある。

  しかし、ドジョウ養殖が根付き、年月が過ぎたときに生産効率を上げることに注力し、人々が養殖池をつくって高密度養殖を始めてしまう可能性もある。これを未然に防ぐためにも、今から「SATOYAMA」という考え方を地域の人たちに地道に伝えていく必要がある。そこに金沢大学の人材養成プログラムの意義があると、渡辺さんは期待している。

※写真は、イフガオのドパップ相撲。日本の相撲と違うのは、片足で競い、両足を先に着いたら負け。

⇒9日(月)夜・金沢の天気

☆イフガオ再訪-6

☆イフガオ再訪-6

  11月28日夜にイフガオ州に入った。マニラからチャーターしたバンで8時間余り。29日にはイフガオ州立大学長のセラフィン・ンゴハヨン(Serafin L. Ngohayon)氏を訪問。ンゴハヨン氏は、「金沢大学とのパートナーシップを確立したい」と述べた。同大学では地域の人々にエクステンションプログラム(生涯学習)を実施していて、今回のプロジェクト用にオフィスと研修室を提供したい旨の提案があった。

      フィリピン大学長「インターナショナルなプラットフォームに」

  イフガオ州政府とバナウエ、ホンデュワン、マユヤオの3町の行政の代表が参加して、プロジェクトの説明会を開いた。質問として「15人の受講生を選ぶクライテリア(基準)」、「プロジェクトの出口として、何をもって成功するのか。それは経済効果などの指標か」、「受講生に対するアローアンス(手当)はあるのか」、「受講が修了時にはどのようなスキル(技能)」、「3年のプロジェクト終了後の見通し」など。要望として、「15人の受講生は3町それぞれ5人ずつにしてほしい」との声が上がった。

  行政などの紹介でイフガオの住民15人が集まり、説明会を行った=写真・上=。プロジェクト代表の中村浩二教授が世界農業遺産(GIAHS)の概要、金沢大学が取り組む「能登里山里海マイスター」育成プログラムの内容をスライドを使って説明した。質問・意見の中で、「日本からの援助は期間が切れると人もいなくなる。継続性をもって実施してほしい」、「コミュニティーに溶け込んだ人をトレーニングしないと成果が還元されない」、「受講した若者はコースを修了することが経済的な利益につながるのか」、「小さな耕運機でよいので棚田に機械が導入したい」など。住民説明会で飛び交う言語はタガログ語ではなく英語だった。

  JICA草の根技術協力事業「世界農業遺産(GIAHS)『イフガオの棚田』の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」を実施するにあたっての、JICA、金沢大学、フィリピン大学オープン・ユニバーシティ、イフガオ州政府、イフガオ州立大学は一連の協議を行い、プロジェクトを実施することで同意が成った。29日にイフガオ州知事、イフガオ州立大学長の署名を=写真・下=、30日にはフィリピン大学オープン・ユニバーシティ学長の署名を得た。30日にフィリピン大学オープン・ユニバーシティ学長のグレイス・アルフォンソ(Grace.Alfonso)学長を訪問。アルフォンソ学長は、金沢大学の人材養成プログラムが、イフガオで実施されることで「インターナショナルなプラットフォームなる」と期待した。

⇒4日(水)夜・金沢の天気    くもり  

 

★イフガオ再訪-5

★イフガオ再訪-5

  イフガオに出発する前の11月27日と28日の両日、マニラにある政府機関・国際機関を訪問した。マカティ市にあるFAOフィリピン事務所長補のアリステオ・ポルツガル(Aristeo A.Portugal) 氏=写真・中央=を訪ねた。中村浩二教授が今回のJICA草の根技術協力の経緯を説明。ことし5月に能登半島で開催されたFAO主催のGIAHS国際フォーラム(閣僚級会議)の「能登コミュニケ」に盛り込まれた、先進国と途上国のGIAHSサイト間の交流促進に基づき前向きに取り組んでいると述べた。ポルツガル氏は、GIAHSでは農業における生物多様性や景観の維持、伝統文化の継承などが柱となっているので、ぜひ金沢大学とフィリピン大学、イフガオ州立大学が協力してイフガオの若者たちの人材育成に取り組んでほしい、と期待を込めた。

   政府機関・国連機関からアドバスを受ける

  JICAフィリピン事務所では、小豆沢英豪次長、佐々木まさき企画調査員、氏家陽子NGOコーディネーター、松田博幸、吉田徹の各氏らアドバイスを得た。事業に関して、人材養成の対象者の選定や、現地の教育実施に関するコスト分担などについて意見交換した。とくに、能登半島で実施している人材養成の教育プログラムをそのまま移転するのかとの質問があり、ステークホルダーミーティング(関係者協議)を積み上げ、フェイス・ツ・フェイスで現地のニーズに応じた育成プログラムを組み立てると実施側から説明した。フィリピン政府は、世界遺産や世界農業遺産の観光活用に注目しており、同政府の観光部局を訪問してはどうかとのアドバイスがあった。

  先住民族問題対策国家委員会(NCIP)統括局長マルレア・ムネツ(MarleaP. Munez)氏と懇談した。先住民族であるイフガオ族の権利と保護の観点からも、JICA草の根技術協力で人材養成プログラムが現地で実施されることは、生物多様性や地域資源を活用したビジネス、世代間の文化コミュニケーションを学ぶよい機会だ、と高評価。来年実施されるキックオフ・ワークショップへの協力の内諾を得た。外国団体が先住民族地区で教育・研究、企業活動などを行う際には、NCIPへの申請許可が必要となる。ムネツ氏は、先住民族地区でのABS(遺伝資源へのアクセスと利益配分)の重要性を強調した。

  環境天然資源省海外援助特別事業事務所(DENR-FASPO) を訪問(28日)。副所長のロメル・アベサミス(Rommel.Abesamis)氏は、「イフガオの今後の発展は人的資源の育成にかかっている。新たなJICAの草の根技術協力で人材養成が始まることを歓迎する」と述べた。今回のプログラムの遂行のために「必要ならば、FASPOのバギオ事務所を使ってほしい」との提案を受けた。

⇒2日(月)朝・金沢の天気   くもり

  

☆イフガオ再訪-4

☆イフガオ再訪-4

  ここで、イフガオに移出しようとしている、金沢大学の能登プログラムについて説明しておきたい。2011年6月、能登半島の農林水産業や関連する祭りなど伝統文化が『能登の里山里海』として国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS=Globally Important Agricultural Heritage Systems)に認定された。その中で、地域コミュニティーを持続的に維持する仕組み、あるいは自然の恵みに感謝する農林漁業とその文化が高く評価されている。同じ国連の機関であるユネスコが登録する世界遺産との違いは、ユネスコは遺跡や土地といった不動産であるのに対し、GIAHSは伝統的な農業の仕組み(システム)、つまり無形文化遺産なのだ。

 イフガオに移出する能登里山マイスター養成プログラム

  GIAHSに認定されたものの、現実問題として、能登は過疎・高齢化が進行している。特に、年代別の人口統計を見ても、20代、30代の若者が極端に少ない。能登の魅力や価値を再発見し、若い人たちが能登に住んでみたい、ビジネスを創造したい、そのようなことを学ぶ場として、金沢大学と能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)が連携して「能登里山里海マイスター」育成プログラムに取り組んでいる。

  スタートは2007年10月。文部科学省から予算を得て、「能登里山マイスター」養成プログラムを始めた。石川県珠洲市に廃校となった学校施設を借り受け、「能登学舎」として拠点化した。45歳以下の男女を対象とし、里山里海の豊かな自然資源を活かし、能登の地域課題に取り組む人材、自然と共生し持続可能な地域社会モデルを世界に発信する人材など、この地域の次世代のリーダーを育成した。国の助成金が終わる2012年3月までの4年6ヵ月間で、62人の「能登里山マイスター」を輩出した。これがフェーズ1。

  フェーズ2が始まったのは2012年10月。今度は国の助成に関係なく、金沢大学と地域自治体(石川県、輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)が共同出資して運営する「能登里山里海マイスター」育成プログラムをスタートさせた。これまで2年間のカリキュラムだったものを、今度は1年間のカリキュラム、月2回の集中講義に濃縮させ、3年間で60人の「マイスター」を養成を目指している。博士研究員ら5人を能登に常駐させ、受講生に基礎科目(講義や実習)と実践科目(ゼミナール)を指導している。修了要件は、基礎科目7割の出席と実践科目での卒業論文等の審査の可否となる。フェーズ2では新たなテーマとして、能登の世界発信プログラムも始まっている。ことし9月に1期の修了生は22人を輩出、10月には40人余りの新たな受講生を迎えた=写真・下=。フェーズ1と2でこれまで84人の「マイスター」を育成したことになる。

  では、どのような人材が活躍しているのか紹介したい。フェーズ1で学んだA氏(七尾市在住)は、企業参入における農業経営の課題について学んだ。勤務する水産加工会社が農業部門に参入、2012年に独立した農業法人会社では統括を担当している。耕作放棄地の再生農地を活用して約26haを経営、現在能登半島で100haを目指している。B氏(珠洲市在住)は、能登地域の製炭業(炭焼き)の希少な担い手で、付加価値の高い茶道用炭の産地化に取り組んでいる。平成22年度地域づくり総務大臣表彰(個人表彰)、若者の地域活動を顕彰する「2011いしかわTOYP大賞(金沢青年会議所)」を受賞するなど地域リーダーとして注目されている。行政マンのC氏(宝達志水町在住)は、オムライスの考案者が町出身者であったことをヒントに「オムライスの郷」構想を課題論文で練り上げ、現在、それを地域振興の目玉として実践している。女性では、Dさん(輪島市在住)がいる。家族で能登に移住したデザイナー。地元住民とともに土地の自然と文化を学ぶ「場」の創出を課題論文とし、修了後は、自らが媒介者となって人と人をつなぐこと、地域を「出会いの場」として創り出すことに貢献している。その仲間は50人余りに広がっている。

  ビジネスから地域起こし運動まで、自らが置かれた能登という「場」で新たな取り組みを始める人材が育っている。イフガオでは、「イフガオ里山マイスター養成プログラム」を来年から実施する。地域の自然環境や伝統文化の価値、2000年継がれてきた農業技術の価値を見直し、耕作放棄地が広がったイフガオ棚田に新風を吹き込むことができるのか、身震いするほどの壮大なテーマではある。28日夜、イフガオ州立大学のゲストハウスに到着した。

⇒28日(木)夜・イフガオの天気    あめ