⇒トピック往来

☆プラチナ社会への道

☆プラチナ社会への道

   金のようにギラギラとした欲望社会を目指すのではなく、プラチナのようにキラキラと人が輝く社会づくりを理念に掲げているが、まだ余り知られていない団体がある。「プラチナ構想ネットワーク」だ。会長は、小宮山宏氏、元東京大学総長で現・三菱総研の理事長でもある。日本を他国に先駆けて、たとえば少子高齢化、過疎化などの課題が顕在化している「課題先進国」と定義し、 この状況を困難であると同時にチャンスと捉え、国際社会で本来の競争力を持った国にするためにどう手を打つべきか、行政や経済界、学術関係の有志らが集うポータル的な団体組織だ。

   その解決の知恵を集めるのが「プラチナ大賞」制度。いろいろな創意工夫を通じて、過疎・高齢化などの地域の課題解決を目指す自治体や民間企業の取り組みを評価しようと、プラチナ構想ネットワークが2年前から実施している表彰制度だ。今年3回目となり、全国から57件の応募があり、昨日(23日)は最終候補に残った10件の審査発表会が東京・千代田区のイイノホールで行われた。その中に10件の中に、金沢大学が能登半島の珠洲市などと取り組んでいる、能登里山里海マイスター育成プログラムなどの大学連携(あるいは域学連携)のプログラムが残り、珠洲市の泉谷満寿裕市長と金沢大学の中村浩二特任教授が最終のプレゼンテーションに登壇した=写真=。

   発表のタイトルは「能登半島最先端の過疎地域イノベーション~真の大学連携が過疎地を変える~」。以下はその概要。珠洲市は日本海に突き出た能登半島の最先端に位置する。県庁所在地である金沢市まで約150㌔、車で約2時間余りかかるという地理的なハンディがあり、さらに奥能登地区(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)に大学などの高等教育機関がないことから、若い人は高校を卒業するとほとんどが市外に出てしまう。こうした中、昭和29年の市制施行当時(1954)、3万8千人だった人口は現在1万5千人に、年平均350人のペースで人口減少が進んでいる。高齢化率は44%を超える。

   2006年6月に泉谷氏が市長に就任したころチャンスがめぐってきた。金沢大学からの連携事業の提案があった。生物多様性をテーマとした環境保全プロジェクト「里山里海自然学校」(三井物産環境基金)だった。市内の空き校舎を双方で選定し、市側で改修整備し無償で貸与した。市民と大学の研究者が協働で調査するオープンリサーチセンターが誕生した。翌2007年、金沢大学、石川県立大学、奥能登の2市2町で「地域づくり連携協定」を締結し、連携を広範囲に広げて、「能登里山マイスター育成プログラム」の人材育成事業が始まる。金沢大学から、5名の教員スタッフが常駐し、主に45歳以下の若い方を対象に週末を中心としたカリキュラムを展開している。環境境保全型の農林水産業を実践的に学び、これまで9年間で、128名のマイスターが誕生した。この人材育成プログラムを受講するために、市外、県外から移住してくる若者も現れてた。珠洲市内だけでも、この事業を通して12名の若者が移住し、現在も定住している。東京から移住した女性はスイーツの製造販売と民家レストランを営んで、お年寄りに喜ばれている。同じく、東京から移住した男性は、和がらしの製造販売などの商品開発や、企画・デザインを生業として、インバウンドの能登旅行も手掛けている。最初、マイスターの活躍は点としての存在だったが、点と点が結びついて線となり、そして人数が増えるとともに、いまは面として、能登半島に活気をもたらしている。

   2011年には、「能登の里山里海」が国連の食糧農業機関から、佐渡とともに我が国初めてとなる「世界農業遺産」に認定されたが、その際にも、この人材育成事業が高く評価された。このような、域学連携や世界農業遺産の認定を受けて、市内のNPOなど民間団体による、生物多様性や里山里海を保全する活動も活発化している。金沢大学は、能登半島の先端という地の利を活かして、アジアの環境問題に関わる、大気観測も行っている。これからの高齢化社会を見据えた、自動運転システムの国内初となる公道での実証実験も珠洲市で実施している。さらに、珠洲市での人材育成事業のノウハウは、世界遺産であり、世界農業遺産にも認定されているフィリピンのイフガオの棚田で、JICA国際協力機構と連携した、人材育成事業へと展開している。

   発表時間は8分。大学と自治体が連携して多様な事業展開がここまで高まったことが評価され、見事に大賞・総務大臣賞を射止めた。泉谷市長は表彰の挨拶で、「人口の減少を食い止めることは並大抵ではなく、とても難しいことだ。しかし、大学との連携を通して地域の質と魅力を高め、プラチナ社会を、そして未来を切り開いていきたい」と述べた。

   同じく大賞・経済産業大臣賞は積水ハウスの「5本の樹で命あふれる笑顔のまちを」が選ばれた。生態系の保全などにつなげるため、クヌギやコナラなど地域の気候風土にあった在来種の植物を住宅の庭木などに植える取り組みを進めている。

⇒24日(土)午前・金沢の天気    はれ

★銀座の巨大なツル

★銀座の巨大なツル

   今月22日、北陸新幹線で東京に出かけた。銀座でホテルを予約したので、夜久しぶりに7丁目の銀座ライオンに入った。テレビ局時代、テレビ朝日で会議があり、系列の仲間たちと訪れて依頼、20年ぶりだろうか。ただ、今回は5階の音楽ビアプラザに。今回飲み仲間はいなかったので、ジョッキ片手にビアソングでも聴こうと。一歩入ると、そこは別世界。懐かしいアルプホルンの響きやアルプス民謡、思わず手を手拍子を打った。アルプホルンが順番に回ってきたので、つい調子に乗って、ラッパの口にご祝儀(1000円)を入れた次第。

   ふと5階の窓から外を眺めると、巨大なツルの影が3羽、窓の外にいるかの錯覚に捕らわれた。工事現場だ。ツルの影は銀座の夜景に映えた大型クレーン。6丁目の1区画全部が工事中だ。巨大なビルが再開発されているようだ。降りて、工事フェンスの工事広報看板を確かめると、敷地は9077平方㍍、地上13階・地下6階の巨大な複合施設が来年2016年11月には完成するようだ。「銀座6丁目プロジェクト」と名付けられているこの再開発工事は森ビルなどが「設計プロジェクトマネージャー」として名を連ねている。そこで、森ビルのホームページからその概要を以下拾ってみる

   「松坂屋銀座店」跡地を含む街区と隣接する街区の2つの街区、約1.4haを一体的に整備する再開発事業となっている。「Life At Its Best~最高に満たされた暮らし~」をコンセプトにしたリティの高い商業施設や、都内で最大級の1フロア貸室面積6100平方㍍の大規模オフィスも予定されている。さらに、「観世能楽堂」など文化施設も入る。「銀座エリア最大級となる大規模複合施設を計画しています」「銀座エリア全体のさらなる魅力と賑わいを創出するとともに、国内だけでなく、世界中の人々を惹きつける複合施設として、東京の国際競争力強化に貢献します」と誇らしげに書いてある。

   翌朝、今度はホテルの7階窓から眺めていると、6丁目だけではない、銀座界隈で巨大なツルがここを含めて4ヵ所で確認できる。どこかで見たことのある光景、そう、20数年前のバブル時代の光景ではないかと思った。銀座だけではない。JR有楽町駅から隣の東京駅まで電車に乗っても、車窓からは巨大なツルがあちこちにいる。

   バルブの光景と称したものの、日本の経済は「バブル経済」ではなく、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けた開発など実需要に支えられたものだ。投機ではない。この銀座の光景が日本の各地に波及するのかどうか…。

⇒23日(金)午後・東京の天気  くもり

★辺野古から-上

★辺野古から-上

   昨日(22日)、沖縄県の翁長知事がジュネーブでの国連人権理事会で、アメリカ軍基地の県内移設は「沖縄をないがしろ」と2分間のスピーチを行ったことは沖縄県の新聞各紙で朝刊一面の大見出しで伝えられた。一方、移設先の辺野古では連日100人ほどの基地反対派が移設作業が進むアメリカ軍基地キャンプ・シュワブのゲート前に集まり、集会を開いている。そんな、辺野古を様子をこの目で現場を見たいと思い、22日夕方に石垣島から410㌔㍍離れた沖縄本島に移動した。55分のフライトだった。23日午前、タクシーを借り切り現場に赴いた。レンターカーではなく、あえてタクシーをチャーターした。土地の人の話を聞きたかったからだ。

   キャンプ・シュワブのゲート前、現場はものものしい雰囲気が漂っていた。正門の道路を挟んだ向こう側には基地反対派のテントが張られて大音響で入れ替わり、立ち代わりアジテートの演説が行われている。タクシーでその前を走行すると、「辺野古新基地NO!」などのプラカードが車から見えるように道路側に差し出されるのである。正面で陣取っていた人がいた。「辺野古埋立阻止」のプラカードを持って、椅子に腰かけている。基地と歩道の境界線である黄色い線を超えないように、公道ギリギリのところでアピールしている=写真=。

   旗を見ると「○○民主商工会」や「ヘリ基地反対協」、「平和運動センター」、「平和市民連絡会」といった組織の名前が目立つ。地元辺野古の街中では目立った反対の看板が見当たらない。タクシーの運転手によると、地元の辺野古地区では条件付きで辺野古移設を容認している、という。地元と反対派は一体化していないようだ。

先日19日には現地でこのような事件も起きた。21日付の琉球新報によると、キャンプ・シュワブのゲート前で、抗議行動に不満を持つ男女の集団が19日午後10時半ごろから20日午前1時すぎにかけ、反対派らが設置しているテント内の机をひっくり返したり、移設反対のメッセージなどを記した横断幕をカッターではがしたりした。傷害容疑で逮捕された容疑者は酒を飲んでいた。現場を襲った集団は「テントをどかせ」「(基地を移設しないと)中国が攻めてくるぞ」などと言いながら、反対派ともみ合いとなり、現場は騒然とした。集団は「民族団体」を名乗り、19日昼すぎから断続的に現れ、挑発した。警察車両が7台前後が到着し、警察官ら15~20人前後が駆け付けて対応したが、しばらくもみ合いが続き、20日午前1時すぎに沈静化した、と。

   記事での続報がないので、現場で暴れた男女にどのような政治的な背景があったのかなどはわからない。沖縄に来なかったら、このような現地の騒乱はニュースとして目にとまらなかったかもしれない。

⇒23日(水)夜・那覇市の天気    はれ

☆石垣島から-下

☆石垣島から-下

   ラムサール条約登録の湿地「名蔵アンパル」を見学できるというので、隣接する「石垣やいま村」というテーマパークに立ち寄った。八重山の古い民家も移築して保存されている。沖縄の民謡を三線(さんしん)で生演奏している家などあり、にぎやかな雰囲気だった。入口から東に向かって、途中、カンムリワシのケージを横目で見て、さらに坂を下りていく。ウッドデッキがあってマングローブの群生林に入っていく。

   ちょうど潮が引いていた状態で、砂泥の中にマングローブの樹木が林立している。木の根っこのようものが泥の上にボコボコと出ている。ウッドデッキをさらに進むと途中で途切れ、広い川が見えくる。これが名蔵アンパル。不思議なもので、マングローブの群生林を見ただけで内なる冒険心がかき立てられる。この川でのカヤックツアー(大人4340円)もあったが、とりあえずこの目で見たことで満足感が漂ってきて、カヤックツアーはパスした。また、今回は西表島をコースに入れてなかったが、島のほぼ90%が亜熱帯ジャングルで覆われる西表島に渡島したくなった。石垣島は表玄関、西表島は奥座敷、そんな感じだろうか。今度は奥座敷へ。

   22日付の朝刊をホテルで読むと、琉球新報と沖縄タイムスの一面の見出しが躍っていた。琉球新報「新基地は『人権侵害』 知事、国連で演説 辺野古阻止 国際世論へ訴え」、沖縄タイムス「反辺野古 国連で訴え 知事、人権理で声明」と。沖縄県の翁長知事が21日午後(日本時間22日未明)、スイスの国連欧州本部で開かれている国連人権理出席し、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べ、アメリカ軍普天間飛行場の県内移設反対を訴えたという記事だ。両紙ともジュネーブに同行の記者を送っていて、署名記事だ。チカラが入っている。

   紙面を読むと、翁長知事は各国代表の外交官やNGOメンバーらを前に2分間、英語で発言した。沖縄に在日アメリカ軍専用施設が集中する現状を挙げ、事件や事故、環境問題が起きていると訴え、「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々と価値観を共有できるのか」と日本政府を批判した。普天間飛行場の辺野古への移設計画を「あらゆる手段を使って新基地建設を止める」と述べた、という。

  そして社会面も圧巻だ。沖縄タイムスの見出しは「沖縄差別 知事告発 政界から激励 次々」、琉球新報は「世界に沖縄伝えた 共感広がりへ期待」と。安保法成立でも、国連人権理事会演説でも、2紙は競うようにボルテージを上げている。この2紙の論調のたどり着く先はどこか。

⇒22日(火)夜・那覇市の天気   はれ

   
   

★石垣島から-中

★石垣島から-中

   石垣島の第一印象は、紺碧の空と海、そして赤土のサトウキビ畑だ。そして、東シナ海に面し、国境離島と称されるくらいに中国と接している。きょう(21日)は、とくに当てがあったわけでもないが、島を半周するつもりでレンタカーを走らせた。

   「唐人墓(とうじんばか)」の看板が目に入ってきた。観音埼という灯台の近くある。高台に上がるとすぐに中国伝統のカラフルな建物があった。碑文に刻まれてあった内容を以下要約すると。

   この唐人墓には、中国・福建省出身者の128人の霊が祀られていると記されている。1852年2月、厦門(アモイ)で集められた400人余りの苦力(クーリー・労働者)が、アメリカ船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中、辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行があり、堪えかねたクーリーたちが反乱を起こし、船長ら7人を殺害した。船はその後、台湾に向かったが石垣島沖に座礁し、380人が島に上陸した。石垣の人々は仮小屋を建て、クーリーたちを収容した。この蜂起を知ったアメリカのイギリスの海軍が3回にわたり島に来て、砲撃を加え、武装兵が上陸して捜索を行った。クーリーたちは山中に逃げ込んだが、逮捕、銃撃された。自殺者や病没者も続出した。

   当時、薩摩藩の支配下にあった琉球政府が事件処理に関する交渉と清朝側などと取り組み、翌1853年9月、琉球側が船2隻を用意し、生存者172人を福建に送還した。中国人が埋葬された墓は点在していたが、石垣市側が合祀慰霊するため、台湾政府や沖縄にいる華僑の支援を受けて、現在の唐人墓を1971年に完成させた、という。

   インターネットでなど当時のクーリーについて調べてみた。クーリーと呼ばれる中国人労働者は、労働奴隷として世界各地に送り出されていた。19世紀半ばに、アメリカ西海岸でゴールドラッシュが起こり、アメリカ大陸横断鉄道の建設もあいまって、大量のク-リーが送り込まれた。そのような時代背景があった。奴隷労働はアフリカだけではなかったのである。

   ロバート・バウン号事件を契機に、中国国内では「同胞を売るな」とのクーリー貿易反対の世論が盛り上がったという。日本の嘉永6年(1853)にアメリカのペリーが浦賀に来て、開国を求めた黒船事件はまさに石垣島で起きていた事件とほぼ同時進行である。そうすると、ペリーが開国を迫った意図には、中国では確保しにくくなったク-リーのような労働力を日本で確保する意味合いがあったのではないかと勘繰りたくなった。何しろ、アメリカでリンカーンが奴隷解放宣言を発したのは、ペリーが浦賀に来て10年後、1863年のことだ。国境離島の唐人墓で学んだ、知られざる世界史だった。

⇒21日(月)夜・石垣島の夜     はれ

☆石垣島から-上

☆石垣島から-上

  シルバーウイークを利用して沖縄県石垣島を訪れている。沖縄本島の那覇市との距離は南西に410㌔㍍、逆に台湾とは270㌔㍍だ。そしてあの尖閣諸島は行政区分では石垣市に属する。きょう(20日)午後、石垣空港に到着して、レンタカーを調達した。さっそくコンビニ店に入り、地元の新聞紙を買った。安保法の成立を沖縄の地元紙はどう伝えているのか。

  きょう(20日付)の沖縄タイムスの一面の見出しは「安保法成立 自衛隊任務拡大 新行動基準策定へ」だった。そして、準トップには沖縄県知事が国連人権理事会で演説するため、スイスのジュネーブに出発するとの記事だった。圧巻だったのは、琉球新報だった。「自衛隊活動 地球規模に 安保法成立 全国、続く抗議 高校生も」と。「自衛隊活動 地球規模に」という表現が違和感を感じる。本来の表現は「海外活動が可能に」だろう。それを「地球規模に」とすると、「地球防衛軍」のような別のニュアンスで感じるのは私だけだろうか。

  沖縄タイムスも琉球新報も410㌔離れた那覇市に本社がある。地元石垣市の八重山日報は「安保法成立 戦後政策転換 集団的自衛権行使可能に 部隊行動基準見直しへ」。八重山内毎日新聞は2面で「自衛隊活動拡大へ 安保法成立 日米同盟を強化 尽きぬ違憲論、残る不安」である。扱いと論調が沖縄本島に比べると冷静に感じる。

そして、安保法成立について、石垣市長(中山義隆氏)のコメントを掲載している。「尖閣諸島での中国公船による領海侵入が続くなど、国境離島ならではの危機感を持っている。石垣市を含め、わが国の安全保障をより確かなものにするためにも法案の成立は必要だと思う。政府には今後、運用に関しても国民への説明責任を果たしてほしい」と。

  「国境離島」という言葉を初めて目にした。実は国境の離れ島で、不審な土地取引などが起きていると一部国会議員らが訴えている。安全保障にかかわる国境離島などの重要な土地を規制できるようにする「国家安全保障土地取引規制法案」がそれだ。国境の離島であるがゆえに同じ沖縄でも本島と石垣島では微妙に意識を異にすると感じた。

⇒20日(日)夜・石垣島の天気    はれ 

  

☆ファンドマネージャー

☆ファンドマネージャー

   ことし5月11日に放送されたNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にファンドメネージャーとした出演した新井和宏氏(鎌倉投信株式会社資産運用部長)。ある意味で硬派な、この番組に金融関係者が主役になるのは珍しい。金融というと、経済状況がよいときは盛んに投資を勧め、悪くなるとさっと逃げてしまうという、怪しい印象がある。昨日(22日)金沢大学での講演会(「NPO法人角間里山みらい」など主催)で初めて新井氏の話に耳を傾けて、「この人は逃げない」と思った。

   番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、慈善家的なファンドマネージャーとして描かれていたが、講演ではその話しぶりからプロとしての人柄がにじんでいた。数兆円を運用していたそれまでの資産運用会社を体調を崩して辞め、7年前に仲間3人とともに金融ベンチャーを立ち上げた。鎌倉にある古民家を4人で修復して、オフィスとしている。現在8千人の投資家から140億円を託されている。資産運用部長として新井氏が株式を通じて投資しているのは46社だ。ツムラやヤマトといった大手企業から、赤字や非上場の中小零細まで新井氏が「いい会社」を発掘して、その全てに同じ金額を長期で投資している。ある1社の株が暴落しても、ダメージを受けないようにする、リスクヘッジでもある。

   どのような方法で「いい会社」を探すのか。講演の休憩の合間に、名刺交換をさせていただいたが、その名刺にヒントがあった。点字付きなのだ。新井氏がこだわっているのは、社会的に意義があるなど、その事業に心から共感しないと、投資先にはしない。そして、その候補先の真価を見極めるため、社員面談を欠かさない。会社が苦境に陥ったとき、社員が踏ん張れるかどうか、その見極めは「社員の仕事に対する気持ちだ」と新井氏は強調した。社員と直接会うために、その社員が視覚障碍者であっても面談して、会社に対する気持ちを聞く。そのための点字入りの名刺だ。

   新井氏は、著書「投資は『きれいごと』で成功する」(ダイヤモンド社)でこう書いている。「人間には、健常者もいれば障碍者もいる。でもその区分けは、とても微妙だとも思います。たとえば、知的障碍者は、物事を処理するのに時間がかかります。でも、健常者との違いはそれだけ、とも言えます。」と述べて、エフピコを事例を紹介している。広島県福山市に本社がある同社は食品トレーや弁当・総菜容器最大手で、障害者雇用率は16.10%、人数にして369人(「CSR企業総覧」2014年版)。障碍者は、回収した使用済み容器の選別工場、折箱容器の生産工場を中心に、全国21カ所の事業所で雇用されている。単純作業と見えるかもしれないが、黙々と達成感をもって仕事をする彼らこその現場の戦略となっている。慈善やCSRで障碍者を雇うのではなく、「本当に彼らを活かせる会社は、『時間がかかる』を『粘り強い』と読みかえ、能力が最大化される場を見つけて配置します。そして自分の場所を見つけたら、人はキラキラと目を輝かせて働きます。」(「投資は『きれいごと』で成功する」)

   話はまた番組に戻る。番組の後半に、フェアトレードの代表者と新井氏が話し合う場面がある。代表が「融資というかたちで私たちの活動に参加して欲しい」と訴える。が、新井氏はそれに対しては返事をしない。もし、新井氏が視線が支援途上国の人たちの支援にあれば、おそらく「イエス」だろう。でも、新井氏はファンドマネージャーだ、当然、投資家に目線がある。社会的に意義のある団体や企業に投資することと、ボランティア団体への募金を一緒にしてはならない。ファンドマネージャーはあくまで投資対象の企業価値を見ている。投資家を慈善家にしてはならない。そんな厳然とした意志が見えた場面だった。

※写真は後援会のチラシ

⇒28日(日)朝・金沢の天気   はれ

  

☆「酒蔵の科学者」の引退

☆「酒蔵の科学者」の引退

 昨日の地元紙の朝刊に、酒造りの名人と言われた農口尚彦(のぐち・なおひこ)さん(82歳)が杜氏(とうじ)を引退したとの記事が掲載されていて、能登町のご自宅を訪ねた。金沢大学の共通教育授業として「いしかわ新情報書府学」という科目を担当していて、非常勤講師として農口さんに語ってもらったことが縁でこれまでご自宅や酒蔵を何度か訪ねた。

 日本酒の原料は米だ。農口さんは、米のうまみを極限まで引き出す技を持っている。それは、米を洗う時間を秒単位で細かく調整することから始まる。米に含まれる水分の違いが、酒造りを左右するからだ。米の品種や産地、状態を調べ、さらには、洗米を行うその日の気温、水温などを総合的に判断し、洗う時間を決める。勘や経験で判断しない。これまで、綿密につけてきたデータをもとにした作業だ。酒造りのデータを熱心に記録する姿を見て、「酒蔵の科学者」との印象を強くしたものだ。

 冬場は酒蔵に住み込む農口さんは、夜中でも米と向き合い、米を噛み締める。持てる五感を集中させて、手触り、香り、味など米の変化を感じ取る。そのため、40代にして歯を失った。次に行うべき適切な仕事とは何かを判断するためだ。農口さんは言う。「自分の都合を米や麹(こうじ)に押し付けてはならない。己を無にして、米と麹が醸しやすいベストな状態をつくらなければ、決して良い酒は出来ない」。酒造りに生涯をささげた人の言葉はふくいくとした深みがある。農口さんは全国新酒鑑評会で連続12回、通算27回の金賞に輝き、「四天王」や「魂の酒造り」「酒の神」と呼ばれるまでになった。

 農口さん自身は下戸(酒が飲めない)なので、酒の出来栄えや批評は、飲める人の声に耳を傾ける。それでも、「一生かかっても恐らく、酒造りは分からない。それをつかもうと夢中になってやっているだけです」と能登方言を交えた語りがいまでも耳に残っている。「魂の酒造り」のゆえんはここにある。日本酒は欧米でちょっとしたブームだ。ワインやブランデー、ウイスキーなどの醸造方法より格段に手間ヒマをかけて醸す日本酒を世界が評価しているのだ。

 授業では、農口さんを紹介するビデオを流し、「神技」とも評される酒造りの工程を学生に見せた。授業の終わりに、農口さんが持参した酒を何人かの学生にテイスティングしてもらった。「芳醇な香り」「ほんのり感が漂う」「よく分からないけど、のどを通るときにふくよかな甘さを感じる」。最近の学生は意外と言葉が豊富だ。「生きた授業」になった。訪れたご自宅ではそんな懐かしい話もさせていただいた。

 自宅を辞するとき、農口さんから「これ一本持って行きなさい。これで最後だよ」と生原酒をいただいた。名工の最後の一本、ありがたく頂戴した。(※写真は、金沢大学の授業で学生たちと語り合う農口尚彦さん=右)

⇒21日(祝)夜・金沢の天気    はれ

★「奇跡のイラスト」

★「奇跡のイラスト」

  今年度から小学校で使われている1年生の国語の教科書に、制作上のミスから腕が3本あるように見える女の子が描かれたイラストが掲載されていたとして、発行元の三省堂が自主回収と交換を始めたとニュースになっている。「まさか」と一瞬思った。文字一句でも厳しい、あの教科書検定のチェックをスルリとかいくぐって、である。※掲載画像と本文はリンクしていません。

  ニュースを総合すると、女の子が花輪を両手で持っているにもかかわらず、もう1本の手が背後の机にあり、腕が3本あるように見えるという不思議な状態になっていた。教科書は、東京都世田谷区などの小学校で使用されていて、世田谷区の教育委員会から5月に、「イラストの子供の腕が3本あるように見える」と三省堂に連絡が入り、イラストを調べたところ、下書きを消し忘れたままの状態で印刷されたことが分かった、という。

  三省堂では、文部科学省への訂正の申請を行い、誤りを正した教科書1万冊を、教科書を使用している地区・学校に連絡し、順次、新しい教科書への差し替えを行っていく予定だという。三省堂のホームページを調べると、真摯なお詫びのコメントを掲載されていた。以下。

      『しょうがくせいのこくご 一年上』イラストの誤りについてのお詫び

 このたび、弊社の国語教科書『しょうがくせいのこくご 一年上』5ページの絵に誤った箇所が見つかりました。教科書において、このような誤りを起こしてしまいましたことを衷心よりお詫びいたします。誠に申し訳ございませんでした。つきましては、文部科学省に訂正の申請を行い、誤りを正した新しい教科書をご用意いたしました。弊社の教科書をお使いいただいている地区・学校にご連絡して、順次、新しい教科書に差し替えさせていただく所存です。児童の皆さま、そして保護者の皆さまには多大なご迷惑をおかけすることになりますが、どうかお許しください。

 今後はこのようなことを起こさぬよう、全社をあげて慎重に編集作業に取り組んでまいりますので、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。

  以上がコメントである。とくに「どうかお許しください」「何卒ご容赦のほどお願い申し上げます」と丁寧に謝っているのが印象的だ。出版社は文字表現で生業(なりわい)を立てている。言葉でその真摯な気持ちが伝われなければ企業としての価値はないと思い、あえて謝罪のコメントをチェックした次第である。

  ところで、教科書は文部科学省の管理下にある。学校教育法により、小・中・高等学校の教科書については教科書検定制度が採用されている。教科書の検定は、民間で著作・編集された図書について、文部科学大臣が教科書として適切か否かを審査し、これに合格したものを教科書として使用することを認める制度だ。今回の教科書にしても、何人もの検定員の目で確認されているはずだ。その目をかいくぐって、世に出たイラストとなる。もう少しうがった見方をすると、文章表現は一字一句を細かくチェックするが、イラストなど図や写真に対してはそんなに厳しくないということか。

  それにしても、このイラスト、教科書検定制度下にあって、ある意味で奇跡のデビューを果たしたと言えなくもない。

⇒24日(水)朝・金沢の天気    はれ

☆USJ、見て歩き

☆USJ、見て歩き

  GW旅行の3日目は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行った。1日しか時間が取れなかったので、エクスプレスパス(税込7200)をあらかじめ購入して主なところを回った。ハリーポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニーやバックドラフト、バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド、アメージング・アドベンチャー・オブ・スパーダーマンTM・ザ・ライド、ウオーター・ワールドなど。

  東京ディズニーリゾートはこれまで計5回、かたや、USJは今回初めて。この2大テーマパークのコンセプトの違いは何だろうか。USJは、炎を使った演出が多い、ディズニーリゾートでも炎を使った演出はあるが、USJは過剰なくらいに演出がされている。もう一つが、サーカスと思えるほどの空中を舞うアクションの迫力さだ。ちょっとでもミスしたら惨事になりかねないと思えるほど。迫真の演技はディズニーリゾートではお目にかかれない。

  炎の演出は、バックドラフト。果敢な消防士の物語を描いた映画「バックドラフ」をテーマにしている。入場すると、3つの部屋に分かれていて、AD(アシスタント・ディレクター)と称する女性が案内してくれる。1番目の部屋では映画「バックドラフト」の説明を。2番目の部屋では「映画のロケとは何か」の説明を映画のキャストのVTRを交えて。そして3番目の部屋が「映画シーンの再現」だ。化学工場の火災を再現して、タンクや貯蔵庫などいろいろな場所から炎と火花が飛び散り、その炎の勢いは本物の火災のよう。最後に、頭上からパイプが落ちてきて、ガクンと実際の床が下がり、キャーと観客(ゲスト)の悲鳴がする。自分自身もちょっと肝をつぶした。

  迫真の演技は、ウォーターワールド=写真=。1995年のSF映画が題材で、地球温暖化によって北極と南極の氷が溶けて海面が上昇し、海だけが広がる海洋惑星となったとの想定。陸地「ドライ・ランド」の情報をめぐって、武装集団が押しかけて来るとのシナリオ。面白いのが座席の色だ。水色は前方、茶色は後方に設置されていて、水色は「濡れる危険が大」の座席で、茶色は「濡れる危険が小」の席となっている。水色の席に座るゲストはビニールのポンチョを頭からかぶっている人がほとんど。そして、仕掛けが大きい。飛行機がシアターに突っ込んでくるシーンもある。水上バイクがステージを勢いよく走り回り、その水しぶきが前列にいる水色の座席のゲストにかかるのだ。炎と水しぶき、USJのアトラクションを表現すればこれに限る。

  東京ディズニーリゾートとUSJの違いの気になったもう一つは再入場のこと。USJは再入場ができないのだ。その理由を考察すると、おそらく再入場を可能とすると、観客の多くはテーマパークの外の飲食街で食事を済ませてしまうからではないか。かたや、ディズニーリゾートは再入場は可能となっている。これはすぐ近くに飲食店街がないからだろう。もし近場にファミレスなどがあれば、再入場はNGになっていたかもしれない。儲けのためのシナリオも抜け目ない。

⇒4日(月)夜・金沢の天気   くもり