⇒トピック往来

☆クマモトを訪ねる-下

☆クマモトを訪ねる-下

   熊本を訪れた8日、現地では大変なことが起きていた。午前1時46分ごろ、阿蘇山の中岳で大噴火があった。このことを知ったのはJR「サンダーバード」車内の電光ニュース速報だった。阿蘇山では36年ぶりの「爆発的噴火」だという。噴煙は高さ1万1千㍍まで上がり、広範囲に噴石が飛び散っているという。熊本市内でも灰は降っているのだろうか、そんなことを思いながら熊本に向かった。

   熊本に着いて、熊本城の被災状況を見た後、チャーターしたタクシー運転手に「阿蘇山まで行って」と頼んだ。すると運転手は「ここから50㌔ほどですが、おそらく行っても、帰る時間は保障できない」と言う。聞けば、熊本市内と阿蘇を結ぶ国道57号が4月の地震で寸断されていて、迂回路(片側1車線、13㌔)は慢性的な交通渋滞になっている。さらに、今回の噴火で渋滞に拍車がかかっている、という。プロの運転手にそこまで言われると、無理強いもできない。「それでは益城(ましき)町へ行ってほしい」と方針を変えたのだった。

   ともとも益城町へ行く予定だった。4月14日の前震、16日の本震で2度も震度7の揺れに見舞われた。今はほとんど報道されなくなったが、現状を見て愕然とした。新興住宅が建ち並ぶ中心部と、昔ながらの集落からなる農村部があり、3万3千人の町全体で5千棟の建物が全半壊した。実際に行ってみると街のあちこちにブルーシートで覆われた家屋や、傾いたままの家屋、解体中の建物があちこちにあった。印象として復旧半ばなのだ。

   とくに被害が大きかった県道沿いの木山地区では、道路添いにも倒壊家屋があちこちにあり、痛々しい街の様子が。タクシー運転手は「先日の新聞でも、公費による損壊家屋の解体はまだ2割程度しか進んでいないようですよ」と。そして農村部では倒壊した家の横にプレハブ小屋を建てて「仮設住宅」で暮らしている農家もある。益城ではスイカ、トマトなどが名産で、被災農家は簡単に自宅を離れられないという事情も想像がつく。

   またまた8日付の地元紙、熊本日日新聞を購入して広げると、「益城町の復興計画骨子案」が一面で掲載されていた。市街地の北側に新たに「住宅エリア」を、熊本空港南側には新たな「産業集積拠点」などを設けるとしている。骨子案は12月に取りまとめ、県や国にも説明してその後3月議会で採択、それから土地の買収交渉などの長い道のりが想定される。

噴火と震災のクマモト。言葉で「復興」「復旧」「再生」は簡単だが、それを実施する行政的な手続き、復興政策の策定には時間がかかる。時間と戦いながら丁寧な行政手続きを進める、日本型の復興モデルになってほしいと心から願った。

⇒9日(日)午後・熊本の天気   はれ
   

★クマモトを訪ねる-上

★クマモトを訪ねる-上

    ことし4月16日の本震で震度7の揺れに2度も見舞われた熊本。その後も震度4以上の余震が115回も起きている。震災から6ヵ月後となるきょう8日、熊本市、そして隣接する益城町の被災現場を訪ねた。

    金沢から熊本へは、JRの「サンダーバード」で新大阪へ。新大阪から山陽新幹線で博多へ。さらに博多から九州新幹線に乗り継ぎ、熊本に到着した。朝8時すぎに金沢駅を出発したので、かかった時間は6時間ほどだ。被災地を訪ねるの目的の旅だが、熊本駅に到着すると出迎えてくれるのが、あの「超」有名な「ゆるキャラ」の「くまモン」だった。くもモン駅長室などこれでもかとあのゆるキャラが存在感を見せつけている。ここまでくると、おかしくて滑稽な感じがして、心が緩む。2011年3月の九州新幹線全線開業をきっかけに誕生して、5年間、知名度で言えば、ジャーニーズ事務所のタレントを凌ぐかもしれない。駅近くのホテルにチェックインしたが、部屋に入ってびっくり、大小のくまモンの縫いぐるみがベッドの上やソファに10個もある。これには、「参った」。

    大粒の雨が降って来たので、タクシーをチャーターして熊本城に向かった。雨にもかかわらず「熊本城坪井川園遊会 秋の宴」というイベントの真っ最中で大勢の人が集まっていた。女の子たちが扮する花魁(おいらん)道中やフラダンスのイベントもあり、華やかな雰囲気だ。そんな中、ちょっと気が引けたが、ボランティアの女性に「被災した熊本城でかろうじて残った縦一列の石垣で支えらた城はどこから見えますか」と尋ねた。すると、「湧々座(わくわくざ)の2階からだったら見えますよ」と丁寧にも施設に案内までしてくれた。石垣が崩れるなど恐れからいまも城の大部分は立ち入り禁止区域になっている。

    2度の震度7の揺れで石垣が崩れるなどの大きな被害を受けた熊本城。かろうじて「一本足の石垣」で支えられた城跡は「飯田丸五階櫓(やぐら)」と呼ばれている名所。応急工事が施されていた。ボランティアの女性の説明によると、高さ10㍍の「コ」の字形の鉄骨の架台で櫓を支え、一本足の石垣の倒壊を防いでいるのだという。熊本城の周囲をぐるりと一周したが、飯田丸五階櫓だけでなく、あちこちの石垣が崩れ、櫓がいまにも崩れそうになっている。

    ふと思った。これが金沢城だったらどうか。おそらく、「金沢城が復旧するまで」と一切のイベントなどは実施されないかもしれない、と。でも、熊本の人々の心根は強い。「あたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ・・・」、「おてもやぁ~ん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな~」。復興途中でありながらも逆境にめげず、踊り歌う地域性がむしろ感動を呼び起こす。くまモン、そして駅前にある「おてもやん」の少女像。クマモトらしいと感じた。

⇒8日(土)夜・熊本市の天気   あめ

☆いざ、鎌倉-下

☆いざ、鎌倉-下

  3日目に拝観に訪れたのは、鎌倉の大仏さん。小学校の教科書の写真などで幼少よりなじみのあるポーズだが、こうして実際に観るのは初めて。青い空、周囲の樹木と映え、ここに座して760年余り、古都鎌倉のシンボル的な仏教美術、国宝でもある。パンフなどによると、完成当時は全身に金箔が施され、大仏殿に安置されていた。ところが、大仏殿は2度の台風で損壊し、露座の大仏になったとされる。地域の災害の歴史を刻んだ歴史があり、含蓄のあるお姿と察した。

  大仏の裏側にまわると、「胎内拝観」という文字が目に入ってきた。鎌倉の大仏は中に入れるようになっている。拝観料はわずか20円。内部を見ると、鋳造の木枠の跡が見えるが、よく解らない。首の部分を見ると強化プラスチックのようなものが重ね貼りされていて、頭を支える部分が補強されていることがうかがえた。歴史ある鎌倉の大仏となれば、なおさら補強が必要なのだろう。かつては金色に輝いていたであろう大仏は青銅製、現在は酸性雨などの影響で変色しつつあり、メンテナンスが大変であることは想像に難くない。

  鎌倉文学館を訪れた。夏目漱石や川端康成など鎌倉にゆかりのある文豪や文学者に関する原稿など資料を収集・展示している。万葉集や平家物語などの当地にまつわる古典作品も紹介している。

  本館は、旧前田侯爵家の鎌倉別邸(本邸は東京・駒場)だった。加賀・前田家15代、16代の2代にわたる当主が建てた、と説明書きにある。完成したのは昭和11年、レトロな格調をそのままに残した洋館。国の登録有形文化財にも指定されている。内部は、アールデコ様式が随所に見られ、大理石の玄関や暖炉、飾り窓の装飾とステンドグラスが建物の重厚さを伝えている。真ちゅうの緻密な細工を施した照明器具が妙に部屋とマッチしている。文学資料よりも洋館の造りに見とれてしまった。

  本館を出て歩くと、芭蕉の句碑が目に止まった。「鎌倉は生きて出にけん初松魚」。初松魚は「はつがつお(初鰹)」のこと。江戸時代、鎌倉はカツオの産地として知られ、鎌倉でとれたカツオは早船で江戸に送られたという。魚河岸の初ガツオ、鎌倉ではピチピチしていたんだろうな、と。芭蕉は案外食通だったに違いない。

⇒3日(月)朝・金沢の天気  くもり

★いざ、鎌倉‐中

★いざ、鎌倉‐中

  鎌倉市の中心と言えば、鶴岡八幡宮あたりか。駅前から参道がまっすぐ伸びる。その長さは500㍍。1180年、鎌倉入りを果たした源頼朝は、先祖が創建した由比若宮を遷座して、鶴岡八幡宮を中心とした街づくりを始めたと言われる。参道を歩く。左右に老舗の商店や銀行などが並び、頼朝がプランニングした通りに、街の中心と実感できる。

  鶴岡八幡宮の入り口の旗上弁財天社前で観光ガイド氏が面白いことを説明してくれた。「鶴岡八幡宮の境内には白ハトがいます。白ハトは樹木の上にとまり、黒いドバトは地べたにいるのです」と。観察すると樹木に白ハトが数羽とまっていた。さらにガイド氏は「八幡宮の額の八の字は、神聖な神の使いとされる二羽の白ハトをかたどっています」と。確かに、本宮手前の楼門の額の「八幡宮」の八の字はハトをシンボリックに描いたものだった。参道沿いに鳩サブレーで有名な豊島屋の本社がある。そうか、鳩サブレーの原点は鶴岡八幡宮だったのかと合点がいった。

  鶴岡八幡宮で有名な樹木と言えば大銀杏(おおいちょう)だろう。1219年、鎌倉幕府三代将軍の実朝が僧侶に暗殺された際、僧侶が潜んでいた場所が大銀杏の木陰で、後に「隠れ銀杏」と呼ばれた。そのくらいの知識はどこかで得ていた。ところが実際に訪れて驚いた。その大銀杏は2010年の強風で倒れ、現在は根元を残して切られていた。かつて根回り6.8㍍、高さ30㍍、樹齢千年と言われた八幡宮のシンボルだった。倒れた大銀杏の根元は傍に移され、銀杏の若木が元の地で植栽されていた。銀杏版の式年遷宮と考えればその意義は大きい。この若木が鶴岡八幡宮のさらなる何百年の未来と共にするのだ。

  鶴岡八幡宮から歩いて15分ほど。参道から本堂前までシロバナハギが咲く宝戒寺に赴いた。「萩の寺」として知られている。赤い彼岸花も咲いている。周囲を街を見渡すと、黄色いキンモクセイもいたるところに咲いている。鎌倉は花のにおう街なのだと感じ入った。

  鎌倉で一番の古刹、杉本寺を訪ねた。鎌倉幕府が開かれる500年近くも前の平安初期の734年に創建された。仁王門を抜けるとコケむした石階があった。すり減った石段は長い年月をかけて多くの参拝者が訪れたことを物語っているかのようだ。本堂の屋根は茅葺(かやぶき)で風情がある。訪れたとき、毎月1日の護摩供(ごまく)が営まれていた。

  土曜日ということもあり、参拝者が多く訪れていた。見渡すと、若い女性が目立つ。護摩供が終わり、女性たちは御朱印帳を購入している。「御朱印ガール」たちだ。 御朱印は、寺や神社に 参拝したあかしとしてもらう押印のこと。「鎌倉三十三観音巡り」の一番札所が杉本寺なのだ。

⇒2日(日)朝・鎌倉の天気   はれ

☆いざ、鎌倉-上

☆いざ、鎌倉-上

    一度ゆっくり散策したみたいと思っていた場が鎌倉だった。その思いが叶った。9月30日正午すぎにJR横須賀線鎌倉駅東口に降り立った。駅前には有名なハンバーグ店などありにぎわっているが、これがあの「古都・鎌倉」かと少々拍子抜けした。ただ、後ろを振り返ると、駅舎が屋敷風の形状でその存在感を強調しているようにも思えた。

    駅前の広場を抜け大通りに出ると、鶴岡八幡宮の裏参道がまっすぐ伸びていた。鶴岡八幡宮は後で行くことにして、タクシーで報国寺に向かった。禅宗のこの寺は1334年にこの地で開山された。境内の本堂裏には「竹の庭」があり「竹の寺」とも称される。竹はモウソウ竹で上にまっすぐ伸びている。あいにくの曇り空だったが、これが青空だったら日が差し込む光景は格別かもしれない。逆にしっとり雨が降っても場は和むかもしれないと思ったりもした。

    この竹林を眺めながら、茶席「休耕庵(きゅうこうあん)」で抹茶(薄茶)をいただいた。「いざ鎌倉」という言葉がある。功名手柄をたてたいと、どれほどの武士(もののふ)たちがこの鎌倉の地に馳せ参じたことだろうか。新田義貞による鎌倉攻め(1333年)、多くの武士たちが「いざ鎌倉」と戦い散っていった。その翌年に開山された報国寺の境内にも当時の供養塔が多くあった。耳を澄ますと、竹林を通り抜ける風の音がサラサラと。その切ない音に、武運なく散っていった武士たちの魂の行き交いを感じたのは私だけだろうか。

    それにしても、境内には苔(こけ)が清く整えられ、気持ちが良い。報国寺は観光地の格付けを行うミシュランで三ツ星を獲得している。インバウンド(海外観光客)が境内に目立った。

   次に「鎌倉市雪ノ下」という地名に、鎌倉投信株式会社を訪ねた。昨年5月にNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にファンドマネージャーとした出演した新井和宏氏(同社資産運用部長)に会うためだ。実は昨年8月に金沢大学で講演会があり、その折、あいさつをさせていただいた。今回は2度目となる。金融というと、経済状況がよいときは盛んに投資を勧め、悪くなるとさっと逃げてしまうという印象がある。講演で初めて新井氏の話に耳を傾けて、「この人は逃げない」と思った。その人のオフィスをぜひ訪ねてみたかった。

   新井氏はツムラやカゴメ、ヤマトといった大手企業から、赤字や非上場の中小零細まで、新井氏が「いい会社」を発掘して長期で投資している。ある1社の株が暴落しても、ダメージを受けないようにする、リスクヘッジでもある。どのような方法で「いい会社」を探すのか。先の講演会の休憩の合間に、名刺交換をさせていただいたが、その名刺にヒントがあった。点字付きなのだ。新井氏は、著書「投資は『きれいごと』で成功する」(ダイヤモンド社)にこう述べている。「本当に彼ら(障がい者)を活かせる会社は、『時間がかかる』を『粘り強い』と読みかえ、能力が最大化される場を見つけて配置します。そして自分の場所を見つけたら、人はキラキラと目を輝かせて働きます」。ファンド・マネージャーが点字付きの名刺を持っていることの意味も改めて聴いてみることにした。

   証券取引の後場が終わった午後3時すぎに会社を訪問した。築90年余りの古民家だが、造りがしっかりしている。トレードルームからは和風の庭が見える。一帯の山林も含め敷地は750坪もある。仕事が終わった若手社員が山の斜面で花壇づくりに励んでいた。いにしえの文人でも出てきそうな古風な玄関、そして座敷に案内された。床はフローリングにして、応接室に仕立ててあった。ここで新井氏の近況を聴いていると、一つ感じたことがあった。昨年の講演の趣旨とまったくぶれてはいない、とういことだ。丁寧に会社を訪問して話を聞く。投資先の企業価値を社会性や現場力といった基準で自ら選ぶ。格付け会社の評価など最初からあてにしない。そして、新井氏の言葉からは、投資先の企業と「苦楽とともにする」心構えを感じた。

   鎌倉でこのような魅力的な人物と再会できたことに心が引き締まった。鎌倉という場は、今も昔も人を引き寄せる、流行りの言葉で言えば、パワースポットなのかもしれない

⇒1日(土)朝・鎌倉の天気    くもり

★環日本海を日露の外交モデルに

★環日本海を日露の外交モデルに

   日本海側に住む我々にとって、「環日本海」という言葉はとても響きがいい。大陸との経済的な交易をはじめ、相互に発展する余地がありながらも、まだまだ手が付けられていないという状況だ。それに少し明光が差してきた。今月2日と3日にウラジオストクにある極東連邦大学で開催された東方経済フォーラム(Eastern Economic Forum)で繰り広げられた日本とロシアの首脳による外交だ。

   東方経済フォーラムはロシア極東地域の経済やアジア太平洋地域の国際協力の拡大を目的として、2015年5月にプーチン大統領令で発足した年次開催の会議で、ことしが第2回となる。主な議題は、ロシア極東地域の投資とビジネスの現状を高めることだ。この経済フォーラムを安倍総理はうまく外交の場として活用した。

   3日のフォーラムで安倍総理は「私たちの世代が勇気を持って責任を果たそう。70年続いた異常な事態に終止符を打ち、次の70年の日本とロシアの新たな時代をともに切り拓こう」とスピーチしたこれは双方にまたがる領土問題の解決の糸口を開き、平和条約を締結することを強くにじませたものだろう。2日の首脳会談でも個別にプーチン大統領と話し合ったと報じられている。

  環日本海時代の幕開けを予感させた言葉が、安倍総理の演説にあった、年次開催される東方経済フォーラムを活用して、日本とロシアの首脳会談も年1回、定期的にウラジオストクで開くことをプーチン大統領に呼びかけたことだ。この定期的な会談は8項目の経済協力の進み具合を確認するためだ。その8項目の中で目を引くのが、「ロシアの健康寿命の伸長策では日本式の最先端病院を設立する」「都市づくりは人口100万人以上の中核都市で木造住宅建設や交通インフラの更新」「極東開発支援は農林水産業の輸送インフラ整備を通じロシア国内外への供給力を高める」など。

  安倍総理は演説の中でこうも述べている。「多くの国々が日本のカイゼンの手法に習熟するなか、ロシアはまだ日本企業と深く付き合うことで起きる生産思想の革新を経験していない。プーチン氏が目指す製造業大国へ至る道には近道がある。日本企業と組むことだ」と。

  こうした具合的な8項目の経済協力の提案について、プーチン大統領は「唯一の正しい道だと考えている」と高く評価した、と報じられた。経済協力とパッケージにした北方領土問題の解決案だ。これを「外交」と言うのだろう。日本は法的、歴史的観点から北方4島は固有の領土だとして一括返還を要求し、ロシアは第2次大戦の結果として4島統治の正統性を主張しきた。「返せ」「返さない」では外交交渉に進展はない。日本とロシアによる外交モデルとしての「環日本海」に期待したい。

⇒4日(日)朝・金沢の天気   くもり
 

☆N響と「体内メロディ」

☆N響と「体内メロディ」

  N響(NHK交響楽団)の金沢公演に出かけた。N響は1926年に結成されていて、今年で創立90周年になる。年間54回の定期公演(NHKホール、サントリーホール)をはじめ、全国各地で120回余りの演奏活動をこなしている。時折、NHK教育のクラシック・アワーで聴くが、やはりコンサートホールの方が胸が高鳴る。11年前にサントリーホールで聴いて以来だったので、今回の金沢公演を楽しみにしていた。

  マエストロは高関健氏。1977年にカラヤン指揮者コンクール・ジャパンで優勝し、カラヤンのアシスタントを務めたことがあるベテランだ。開演でメンバーが入場、中でもコンサートマスターの篠崎史紀氏がバイオリンを持って入ってくると拍手が一段と大きくなった。演奏曲目はスメタナ「歌劇~売られた花嫁~序曲」、グリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調 作品16」、ドヴォルザーク「交響曲 第8番 ト長調 作品88」。

  よく知られるグリーグのピアノ協奏曲。ピアノを担当した児玉桃氏は赤いドレスで現れた。ティンパニーのクレッシェンドから雪崩落ちるようなピアノのフレーズで演奏が始まる。この出だし、映画やテレビドラマで主人公が絶望の淵に追いやられたときの効果音としても有名ではないだろうか。そして、ピアノが音階を駆け上がり、そして駆け下る。壮大に全楽器で演奏されて圧倒的なクライマックスで全曲を終える。

  この曲を聴いていて、映画で何度か視聴した松本清張の推理小説「ゼロの焦点」のシーンと曲のイメージがかぶってきた。児玉氏の赤いドレスが私の想像をたくましくさせてくれたのかもしれない。男は過去の記憶を消すことが出来ないが、女は上書き機能付きの記録回路を持っていて、割り切りで記憶をコントロールしてしまう。現在と過去が交差しない女と、過去の愛と現在の愛が両立してしまう男の欲望と執念の愛憎劇。北欧ノルウエーの作曲家の感性と、北陸の能登と金沢を舞台にした映画のロケーションが妙に合っているように思えてならない。

  ところで、第一楽章の真ん中あたりから、体内から「メロディ」が鳴っているのに気がついた。胃の上ありで、キュルキュル、グーグーとまるで曲に合わせるかのように腹鳴(ふくめい)がするのだ。普段でも腹鳴はめったにしないし、空腹でもなかった。そして不思議なことに、雪崩落ちるようなピアノのフレーズが三連符で表れて決然と曲を閉じて第一楽章が終わると、腹鳴もピタリと止んだのだ。

⇒28日(日)夜・金沢の天気   くもり

★タカサゴユリのしたたかさ

★タカサゴユリのしたたかさ

   「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」。女性の美しさとは、立っていても、座っていても、歩いていてもまるで花のよう、との言葉のたとえと自己流に解釈している。五月ごろ、山中の沿道に咲くササユリの横を通り過ぎると、そこはかとなく高貴な香りがする。「お守りして差し上げたい」と本能がくすぐられる。ところが、同じユリの花で姿、カタチはよく似ていても、香りがしないのが高砂百合(タカサゴユリ)だ。わが家でも5、6輪咲き誇っている=写真=。

    ただ、いつ植えたのか記憶が定かではない。というのも、ユリは種から育てると開花までに長い年月を要すると言われる。そのためユリを育てようと思ったら球根から育てるのが普通だ。としたら、球根を誰からかいただいたり、買ってきたりするものなのだが、その覚えがないのだ。

    3日前、そのナゾが解けた。今月18日、輪島市に所要で赴いた。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山里道」を走行していると、道路を切り開いた斜面地に白い花が咲いていたので、下車してよく見るとタカサゴユリだった。それもかなりの数だ。能登への道はよく走行するが、これまで気に留めていなかったせいか新たな「発見」だった。

    東西の斜面地にあり、日陰でも日なたでも同じように咲いている。確か、この辺りは11月ごろに一面に黄色い花を咲かせるセイタカアワダチソウの「名所」ではなかったと思い起こした。ということは、タカサゴユリは、あの嫌われものの外来種の雑草と同じ生活圏で生育する、いわば雑草化したユリだ。肥料分の少ない斜面地でもすくすくと繁殖できるチカラ強さがある。ということは、風に乗ってやってきた種がいつしか、わが家に落ちて育ったのだろう。

    香りはないものの、花の姿のしなやかで、お茶花としても生けられる。雑草の力強さ、そして床の間を飾る華麗さ。なんとも、したたかなタカサゴユリではないか。

⇒21日(日)朝・金沢の天気    はれ

☆夏の夜の睡眠不足

☆夏の夜の睡眠不足

地味なイメージがある陸上競技の競歩。かつて新聞記者時代に何度か取材した経験があり、そのくねくねした歩き方がテレビのモニターで映し出されると、つい目が止まってしまう。昨夜(19日)9時ごろからリオ・オリンピック種目の陸上男子㌔競歩をNHK-BSで視聴していた。3時間40分余りの長丁場、いつの間にかうとうと眠ってしまった。

    ところが夜中0時半ごろ、ふと目を覚ますと大変なことになっていた。日本勢でトップを走っていた荒井広宙(あらい・ひろおき)が3時間41分24秒の3着でゴールした後に妨害行為があったとして失格になっていたのだ。荒井はレース終盤の残り1.2㌔で、カナダの選手を追い抜く際に上半身が接触。カナダ選手はバランスを崩してよろけして後退した。これに、カナダ側が進路妨害だとして抗議し、審判長が受け入れて荒井を失格としたのだった。

    ネット上でその時のビデオが公開されていたので再生すると、荒井が追い抜く際に両者の肘が接触していることが確認できるが、それを「進路妨害」と決めつけるのには疑問符が付くのだ。その審判長の判定がひっくり返ったのは夜中の3時半ごろだった。今度は日本陸連の方がビデオを精査して「不可抗力の接触。カナダ選手の肘が先に当たっている」と判断し、国際陸連理事5人で構成する上訴審判に申立書(英文)を提出して審判長裁定の取り消しを求めたのだ。時間にすれば2時半ごろ。

    それから1時間後、上訴審判は協議の結果、日本側の訴え通り「その接触とカナダ選手の失速に因果関係はない」と判断。荒井は銅メダルを手にしたのだった。その時の第一声が日本人らしい一言だった。「お騒がせしてすいません。(相手に)当たらなければ良かったんですが…」。失格の悪夢を乗り越え、日本の競歩界に初のオリンピックメダルをもたらした喜びはいかほどのものだったか。また、日本陸連のスピーディな対応(抗議と上訴)にも拍手を送りたい。

    この夜、もう一つ注目した動きが同時刻ごろにあった。ジュネーブで開かれていた国連核軍縮作業部会だ。「核兵器の法的禁止を協議する会議を2017年に開くよう国連総会に勧告することに、広範な支持が寄せられた」との報告書が賛成多数で採択された。国連加盟国(193)の半数超に当たる100ヵ国が支持したとされる。今後、国連総会の場で、核兵器禁止条約づくりに向けた議論が本格化することになる。

    核軍縮の問題を国連の多数決で決めるべきではないとし、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有国側は作業部会の参加をボイコットしてきた。気になっていたは日本の立ち位置だ。採択は挙手による意思表明だったが、日本は棄権した。同じくアメリカの「核の傘」にいるNOTO諸国もだ。

    これと連動して、8月15日付のアメリカのワシントン・ポスト紙の記事が波紋を呼んでいる。オバマ大統領が進めているとされる「核兵器の先制不使用政策」を構想していることにし、安倍総理がハリス太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」と反対の意向を伝えたとスッパ抜いた。同紙を引用して日本の新聞メディア各紙も報じた。

    この記事だけを読めば、ことし5月28日に安倍総理はオバマ大統領といっしょに広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑を訪れ献花に臨んだのだから、今こそ「核兵器なき世界」に向けて安倍総理はオバマ大統領の先制不使用政策をサポートすべきなのに、なぜに反対なのかと考え込んでしまう。

    確かに、オバマ大統領の核兵器の先制不使用政策や、安倍総理の反対の立場もアメリカの有力メディアの伝えた話であって、本人が公に述べたものではない。空中で話が飛び交っている状態だ。ただ、火の気のないところ煙は立たず、である。今後、10月からニューヨークの国連本部に議論の舞台が移る。その場で、オバマ大統領が何を述べるのか。真夏の夜の出来事にますます睡眠不足に陥った…。

⇒20日(土)正午、金沢の天気   くもり

★続・グランドカバーの攻防

★続・グランドカバーの攻防

   庭にどのような樹木を植え、花を咲かせるか、楽しみの一つでもある。そのポイントは地面にどのような植物を生やすかによってもそのイメージが決まる。芝生であれば洋風ガーデンだが、コケ類だったら和風の庭だ。そのグランドカバープランツ(地べたに生やす植物)が雑草に覆われることがある。その手入れが大変だ。

   我が家の庭にはいろいろは雑草が生える。スギナ、ヤブカラシ、ドクダミ、チドメグサなどは通年で生えてくる。ことしはなぜかチドメグサの勢いが強い。これが我が家の芝生ゾーン、スギゴケ・ゾーンにびっしりと映えている。チドメグサは茎全体が横にはって、節から根を出し、どこまでも広がる。これが芝生ゾ-ン、スギゴケ・ゾーンに侵入し、急速に増殖しているのだ。これまではところどころで見かけたので、さほど気にはしていなかったが、ことしは勢いが随分と違う。専用の除草剤はあるのだが、なるべく使いたくないので手作業の草取りだ。

   手作業は地味だ。芝生ゾーンでは、芝生の根に絡まるようにして生えているので、芝生の根ごと除草することもある。スギゴケの場合、スギゴケをかき分けて、チドメグサの茎を捜し出して抜く。一人ではなかなか作業がはかどらないので、きょうは応援部隊を導入した。掃除代行サービスの「ダスキン」から5人のスタッフを派遣してもらった。ダスキンでは草取りも清掃作業の一つとして位置付けており、オーダーすると部隊を編成して派遣してくれる。10日前に担当者が下見をして、草取りの経験が豊富がスタッフをそろえてくれる。

   午前9時に5人の女性スタッフが帽子、手袋のいでたちでやってきた。気温はすでに30度を超えている。まず、芝生ゾーンの除草から始める。葉っぱを取るのではなく、網状になった茎を根こそぎ取る旨を説明し、作業に入った=写真=。作業スタッフの一人から「芝の根もむしってしまったのですが、よろしいですか」と声が上がった。「全然問題ありません。チドメグサの茎ごと取ってください」と返答。チドメグサとの闘いは本戦に入った。茎を縦横無尽に生やすチドメグサ、取っても取っても、切れた茎が残る。人海戦術による「根絶やし」作戦なのだが、そう単純ではない。

   2時間余りの攻防で、芝生ゾーンはなんとかすっきりした。続いて、スギゴケ・ゾーンに入る。スギゴケをかき分け、一本一本抜いていく。その作業の様子はまるでサルの毛づくろいのようだ。午前中3時間、契約の時間が終わった。作業量は20リットルのポリ袋で9個分の分量になった。

   炎天下の作業を黙々とこなしてくれた作業スタッフの皆さんには頭が下がる思いがした。ひょっとしてこうした地味な草むしりの作業をお願いできるは日本だけではないだろうか。そして、チドメグサを名指しで攻撃対象にする草取り作戦を展開するのは我が家だけか。旧盆前の「山の日」の休日、グランドカバーの攻防はひとまず終わった。しかし、茎は絶えてはいない。逆襲のチャンスをうかがっているだろう。次なる闘いが。

   と、友人にこの話をしたら、「雑草を非道の敵とみなして、闘い気分に浸るなんて、風車を巨人だと思い込んで突撃していくドン・キホーテのようだな」と軽く笑われた。

⇒11日(休)午後・金沢の天気   はれ