⇒トピック往来

☆奥能登芸術祭は来年見送り 復興へ「珠洲と踊ろう!」  

☆奥能登芸術祭は来年見送り 復興へ「珠洲と踊ろう!」  

イスラエルによる空爆を受けたイランは報復として、150発以上のミサイルでイスラエルを攻撃。テルアビブにある高層ビルなどが被弾した。イスラエルもイラン各地への空爆を継続している。交戦状態に入り、攻撃の応酬に歯止めがかかる様子はない(マスメディア各社の報道)。それにしても、国連安保理の存在感がさらに希薄になった。ロシアによるウクライナ侵攻も同様で、ロシアは常任理事国で拒否権があるため、安保理は法的な拘束力がある決議を何一つ成立させていない。これでは世界の「国連離れ」がさらに進むのではないか。

話は変わる。このブログでも何度か取り上げた奥能登国際芸術祭は、3年に1度のトリエンナーレで開催されていて、来年2026年は4回目の開催となる予定だったが、主催者の珠洲市の泉谷満寿裕市長は来年の開催を見送る考えを明らかにした(6月8日付・地元メディア各社の報道)。今月7日に開催された芸術祭実行委員会総会で泉谷氏が説明した。能登半島の尖端に位置する同市は去年元日の地震と9月の「記録的な大雨」に見舞われ、営業を再開した宿泊施設や飲食店などが少ないこと理由に挙げた。

奥能登国際芸術祭は2017年に初めて開催され、2回目は2020年開催の予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響により2021年に延期。2023年に3回目が開催された。泉谷市長は先月5月10日に開催された「大学コンソーシアム石川」主催の講義=写真・上=で質問に答えるカタチで、「震災で宿泊施設の復旧もままならない状態なので2026年は見送り、2029年を目指す」と述べていた。

同市では復旧、そして復興を後押しするいろいろな動きが出ている。国際芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏は震災の復興支援を行う「奥能登すずヤッサープロジェクト」を立ち上げている。アーティストやサポーターで構成する有志グループで、被災したアート作品の修繕や再建、ボランティア活動などを行っている。

また、今月19日からは、コスチュームアーティストで知られるひびのこづえさんが「珠洲応援ダンスプロジェクト」と銘打って、魚の衣装とユーモラスな音楽での踊りや、ダンスで手を動かしながらポーチやカーテンをつくる手作りのワークショップを行う=写真・下、チラシ=。芸術祭を通して珠洲と深く関わったアーティストが思いを寄せて集まって来ているようだ。

⇒14日(土)夜・金沢の天気  くもり時々あめ

☆能登生まれのコウノトリ 巣立ちは間近か、もう飛び立ったか

☆能登生まれのコウノトリ 巣立ちは間近か、もう飛び立ったか

能登のコウノトリは間もなく巣立ちの日を迎える。もう、能登を飛び立ったかもしれない。この先月のブログ「★トキとコウノトリが運ぶもの 能登復興のささやかな願い」(5月7日付)で紹介した、能登半島の真ん中、志賀町富来に営巣するコウノトリの様子を先日(6月10日)再度見に行った。4羽のヒナは大きく成長していた=写真=。1羽は巣から離れて隣の電柱の上で周囲を眺めている様子で、いつでも飛び立つぞ意気込んでいる様子。そして、巣には親鳥1羽と若鳥3羽がいて、いつ飛び立とうかとまるで親子で話し合っているかのような光景を想像した。

この地で初めてコウノトリを見たのは2022年6月24日だった。成長したヒナ鳥と親鳥がいた。1ヵ月後の7月24日に再度訪れたとき、ヒナ鳥が羽を広げて飛び立とうとしている様子が観察できた。この場所はコウノトリのひなが育った日本での最北の地とされていて、能登の地での定着と繁殖を期待しながら巣を見上げていた。これがきっかで毎年、観察に訪れている。

ことしは、志賀町から以北のいわゆる「奥能登」とされる珠洲市と能登町、穴水町でもコウノトリの営巣が確認されていて、コウノトリたちの行動範囲がずいぶんと広がっている。もし個体識別用の足環があれば、孵化した場所や日付、巣立ちの年月日、親鳥などが分かるので調べを待ちたい。2022年に志賀町で初めて営巣した親鳥は兵庫県豊岡市で生まれたオスと、福井県越前市生まれのメスであることが足環から分かっている。ことしで4年連続の営巣とされる。知りたいのは、新たに営巣を始めた珠洲市と能登町、穴水町でのコウノトリたちの出自だ。もし、志賀町生まれならば、「ふるさと帰り」ということになる。

ただ、これまで能登で生まれたコウノトリが確認された場所は台湾だ。2022年7月中旬、志賀町で初めて生まれた3羽に足環が装着され、その後8月5日に巣立った3羽のうちの1羽(オス)が10月31日に台湾の屏東県車城(海沿いの村)などで確認されている。能登半島から飛んで渡ったとすれば、直線距離にして2000㌔におよぶ。このコウノトリが能登に帰り、営巣していることが確認されれば、「Uターンのコウノトリ」として、重宝されるのではないだろうか。

⇒12日(木)午後・金沢の天気  はれ

★フィンランドから能登にずっと心を寄せ、訪れた大統領夫人

★フィンランドから能登にずっと心を寄せ、訪れた大統領夫人

前回のブログで金沢神社での「お花寄せ」で、社務所の床の間に掛けられていた雪舟筆の掛け軸の話をした。「南無天満大自在天神」。いかにも禅僧らしく力強い筆致で、最後の文字の「神」の字の終りを上へはね上げて梅の枝とし、花を描いているところが面白い、と述べた。すると、ブログを読んでくれた知人から、メールが届いた。「その面白い部分を見せてくれ」と。確かに、ブログの文字だけでは読み手に伝わらない。そこで、その部分の画像をアップにして掲載=写真・上=。文字から絵へと繋ぐ遊び心はいかにも雪舟らしい。

話は変わる。きょう9日の地元紙の北國新聞夕刊で興味深い記事が掲載されていた。北欧のフィンランド大統領の夫妻が能登半島の中ほどに位置する中能登町の鹿西高校を訪れた、との記事だ。大阪・関西万博の行事に参加するための来日だったが、なぜ能登に足を延ばしたのか。大統領夫人のスザンヌさんは1992年7月から1年間、鹿西高で外国語指導助手(ALT)として勤務した経験があった。

その後、いまのストゥブ大統領と出会い、1998年に結婚した。ところが、去年元日の能登半島地震で学校はどうなっているのかと心配していたようだ。そこで来日の折、わざわざ能登に足を延ばして鹿西高校を訪れた。スザンヌさんは「ここに戻ってくることができ、とてもうれしい」と話し、能登の早期復興を願っていたようだ。

鹿西高校では歓迎行事が催され=写真・下、鹿西高校公式サイト=、生徒による琴の演奏でもてなし、地元特産の能登上布でつくった扇子を贈った。それにしても、北欧から気にかけ、ずっと思いを馳せていた。「心を寄せる」とはこのことなのだろう。記事を読んでうれしく、そして大統領夫人スザンヌさんの心根の深さにはホロリとする。

⇒9日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆「百万石まつり」金沢を歩けば花3題~花寄せ、友禅、花手水~

☆「百万石まつり」金沢を歩けば花3題~花寄せ、友禅、花手水~

金沢で開催されている「百万石まつり」(6月6-8日)は晴天に恵まれたこともあって、例年になくにぎやかな雰囲気を醸し出した。きのうはメインイベントの「百万石行列」があり、主役の前田利家公役を 俳優の石原良純氏が、正室のお松の方役を女優の北乃きいさんがそれぞれ見事に演じ、沿道から喝采を浴びていた。

兼六園周辺を歩くと、金沢神社の入り口に「お花寄せ」の看板が目に留まった。茶道では、季節の花や枝を茶席に置かれたいくつかの花入れに選んで飾る作法のこと。主催者が「石川県華道連盟」とあるので、いわゆる華展が開かれていると思い、見学に入った。社務所の和室には華道家が寄せた30点の作品が並んでいた。係りの人に尋ねると、県内の華道6流派から提供された作品とのこと。アジサイやギボウシなど初夏の花材が季節感を感じさせる=写真・上=。

床の間には室町時代の画僧として知られる雪舟の筆による掛け軸がかかっていた。「南無天満大自在天神」。いかにも禅僧らしく力強い筆致だ。そして、面白いのは、「神」の字の終りを上へはね上げて梅の枝とし、花を描いている。文字と絵を繋いだ遊び心なのだろうか。落款は「備陽雪舟筆」。この掛け軸は1969年に県の指定文化財となっている。

その後、兼六園近くにある石浦神社に行った。参拝をする前に、柄杓で水をすくって身と心を清める手水舎(ちょうずしゃ)に行く。すると、手水鉢にはいろいろな花が浮かんでいた。家族連れで訪れていた女の子たちがワイワイと騒ぎながら清めを楽しんでいた=写真・中=。係りの人に尋ねると、毎年この季節には花を浮かべていて、「花手水(はなちょうず)」と呼んでいるそうだ。それにしても女子たちの着物姿と花手水がとてもマッチして華やかな光景だった。

最後に県立美術館で開催されている「伝統加賀友禅工芸展」に足を運んだ。加賀友禅の公募展の作品で、入選した着物や帯27点と会員作品の合わせて42点が展示されている。着物の部で最高賞の金賞に輝いた作品のタイトルは「藤鏡(ふじかがみ)」=写真・下の左の作品=。学問の神様とされる菅原道真を祀る、東京の亀戸天神社での「藤まつり」を題材にしたもの。着物の上は藤の花、そして下はライトアップされた藤の花が水面下に映り込んだものを表現しているようだ。

「百万石まつり」という一大イベントのおかげで、今回の街歩きでは行く先々で花との出会いがあった。

⇒8日(日)夜・金沢の天気  はれ 

☆「人間国宝」に日本酒の杜氏を選ぶとしたら・・・あの人

☆「人間国宝」に日本酒の杜氏を選ぶとしたら・・・あの人

歌舞伎や能楽などの伝統芸能や、陶芸や漆芸などの伝統工芸で特に価値の高いものを「重要無形文化財」、そしてその技(わざ)の保持者を「人間国宝」と称して、文化庁が認定している。きょう3日付の新聞各紙よると、文化庁は重要無形文化財の制度を見直し、芸能と工芸に「生活文化」を加える。具合的には和食の料理人や日本酒の杜氏といった食文化にかかわる人々を人間国宝に認定するという。

制度の見直しは1975年以来、50年ぶり。その背景には、ユネスコ無形文化遺産として2013年に「和食」が、2024年に日本の「伝統的酒造り」がそれぞれ登録されたことから、食文化の優れた技を保護して後世に継承する方向に文化庁は動き出したようだ。このニュースを読んで、能登杜氏の農口尚彦(のぐち・なおひこ)氏のことを思い浮かべた。

農口氏は御年92歳で現役の杜氏だ。日本酒ファンからは「酒造りの神様」、地元石川では「能登杜氏の四天王」と敬愛される。「山廃(やまはい)仕込み」を復活させた「現代の名工」でもある。その神業はNHK番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』(2010年3月)で紹介された。能登半島の尖端の能登町で生まれ育ち、16歳でこの道に入った。酒仕込みの冬場は杜氏として小松市の酒蔵に赴いている。

農口氏自身はまったくの下戸(げこ)で酒が飲めない。その分、飲む人の話をよく聴く。日本酒通だけでなく、学生や女性、そして海外から訪れた人からの客観的な評価に率直に耳を傾ける。それをまとめたノートは膨大な数に上る。まるで研究者のような姿勢で酒造りと向き合う姿に、オーナー(共同出資者)は酒蔵を「農口尚彦研究所」と名付けた。

農口氏と自身が初めて接触したのは2009年だった。金沢大学で教員をしていたときで、担当していた地域学の非常勤講師として酒造りをテーマに講義をお願いした。それから3年連続で講義をいただいた。毎回自ら醸造した酒を持参され、講義の終わりには学生にテイスティングしてもらい、学生たちの感想に熱心に耳を傾けていた=写真=。

講義以外でも時折酒蔵を訪ねた。いまでも印象に残る言葉がある。「ブルゴーニュワインのロマネ・コンティをイメージして造っているんだよ」。その説明を求めると、「のど越しのキレと含み香、果実味がある軽やかな酒。そんな酒は和食はもとより洋食に合う。食中酒やね」と。洋食に出す日本酒を意識して造っているというのだ。確かに、農口氏の山廃仕込み無濾過生原酒は銀座や金沢だけではなく、パリ、ニューヨークなど世界中にファンがいて、すでに22ヵ国に輸出されている。「世界に通じる酒を造りたいと思いこの歳になって頑張っております」。この話を聴いたのは7年前のことだ。

いま思えば、ユネスコ無形文化遺産に日本の酒造りが登録されたが、それに貢献した一人が農口氏ではないだろうか。自身にとっても、日本酒通にとってもまさに「人間国宝」のような人物なのだ。

⇒3日(火)午前・金沢の天気   あめ

☆本州のトキ絶滅から半世紀 能登で復活願い「トキの日」制定

☆本州のトキ絶滅から半世紀 能登で復活願い「トキの日」制定

きょう5月22日は石川県が独自に制定した「いしかわトキの日」だ。来年6月から能登半島で放鳥が始まるのを記念して、「国際生物多様性の日」でもあるこの日を「トキの日」とした。今週24日にはいしかわ動物園や能登空港など県内5ヵ所でイベントが開催されるようだ。

能登の人々と対話していて、トキに対する愛着心というものを感じることがある。もう半世紀以上も前の話だが、1970年1月、本州最後の1羽のトキが能登半島の穴水町で捕獲された。トキは渡り鳥ではなく、地の鳥である。捕獲されたトキはオスで、「能里」(のり)という愛称で地元で呼ばれていた。能里の捕獲は繁殖のため新潟県佐渡市のトキ保護センターに移すためだった。

能里の捕獲と佐渡行きについては当時、地元能登でも論争があった。「繁殖力には疑問。最後の1羽はせめてこの地で…」と人々の思いは揺れ動いた。結局、トキ保護センターに送られることになる。論争がありながらも最後の1羽を送り出した能登の人たちの想いはまだ記憶されている。穴水町に行くと、今でも「昔、能里ちゃんはここら辺りを飛んでいたよ」と話すお年寄りがいる。「ちゃん」付けに能里への想いがこもる。

その能里は翌1971年に死んで、本州のトキは絶滅した。その後、能里は剥製となって石川県に里帰りし、毎年の愛鳥週間(5月10-16日)に期間限定で県立歴史博物館(金沢市)で展示されている=写真=。来年6月からの放鳥で再び能登がトキの里として復活することを県民の一人として願っている。

⇒22日(木)夜・金沢の天気    くもり

★愛子さま金沢到着に歓迎の列/SNSを断った知人のこと

★愛子さま金沢到着に歓迎の列/SNSを断った知人のこと

きょう正午ごろ、JR金沢駅東口の前の通りを車で行くと、通りに人が行列ができていた。移動ではなく、出迎えという様子で警察官が列を仕切っていた。思い出した。皇室の愛子さまがきょうから能登半島地震の被災地を訪ねるため、間もなく金沢駅に到着されるのだ、と。それにしても愛子さまを一目見ようと長い行列だ。100㍍余りだろうか。列の長さは愛子さま人気のバロメーターなのかもしれない。

話は変わる。東京在住の知人からメールがあり、15年ほど続けてきたX(旧Twitter)のアカウントを削除したと書かれてあったので、「どうして」と返信すると、長文のメールが届いた。以下、本人の了解を得て要約したものを紹介。

「ツイッターでは新たな人間関係もできて、いろいろな反応や情報をもらったりして、最初は居心地が良く楽しかった。いつの間にか生活の一部ようになって、そのうちなんだか依存性のようになってきて、人から情報摂取を続けることがおっくうにも感じるようになった」「そこで、70歳になったのを機にやめたんだよ。人とのネットワークを失うことの抵抗感もあったけど、いまこそ断つべきと決断したよ・・・苦笑」

「最近SNSにまつわる事件が多いことも気になっているんだ。知り合いが海外で運営されているオンラインカジノに誘われていると言ってきたので、金を賭けてスロットやバカラに参加すれば、日本では賭博罪なるからやめとけと注意したんだ」、「毎日のように新聞やテレビで取り上げられているけど、SNSでもうけ話に誘われる投資詐欺も目立っている。恋愛感情につけ込んだロマンス詐欺も多くある。SNSがまるで『悪の温床』のようになっているよ」

知人からの文面で、人とSNSの15年間の変遷を垣間見た思いだった。情報の断捨離を経て、これから身軽で快適な生活を送られることを願う。自分自身はXなどSNSのアカウントは持ってない。これまで何度かSNSに誘われたものの、このブログ「自在コラム」だけでも十分に時間が取られるので断ってきた。ブログは人とのネットワークがコンセプトではないので、ある意味で楽だ。ブログとの付き合いは20年経つが、あとしばらく続ける。

⇒18日(日)午後・金沢の天気  くもり

☆コウノトリとトキの共生、能登で描くあるべき自然の姿

☆コウノトリとトキの共生、能登で描くあるべき自然の姿

能登でコウノトリとトキは共生できるのか・・・。きょう金沢市にある石川県立図書館で開催された生物多様性を考える集いで話題になったテーマの一つだった。能登半島では志賀町の山中のほか、金沢市に隣接する津幡町の平野でもコウノトリのヒナが誕生。また、奥能登の珠洲市と穴水町でも営巣が新たに確認されている。「コウノトリが住み着くと幸福が訪れる」「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」との伝承がヨーロッパにあるように、コウノトリが能登ににぎわいもたらすのではないかと話が弾んだ。

そして、環境省は来年2026年6月にも能登で放鳥を行うことをすでに決めている。具体的な放鳥の場所についてはことし7月ごろまでに決定し、1度に15から20羽ほどを複数年にわたって放鳥する計画のようだ。トキもコウノトリも国の特別天然記念物であり、全国的に注目される「国鳥の聖地」になるかもしれない。(※写真・上は、能登の電柱で営巣するコウノトリ=今月3日撮影)

トキもコウノトリもエサとしているのが、カエルやドジョウ、メダカなどだ。そこで出た話が、エサをめぐって鳥同士が争いをしないだろうか、という点。これについて鳥類の研究者の話。かつて、佐渡を訪れたとき、トキのエサ場にコウノトリ1羽が舞い降りた様子を観察したことがある。トキは数羽いたが、コウノトリがエサをついばんでも威嚇することもなく、「知らんぷりという様子だった」。しばらくして、コウノトリは飛び立っていった。

コウノトリの研究者の話。コウノトリ同士がエサをめぐって威嚇する様子をこれまで見たことがあるが、コウノトリがほかの鳥にちょっかいをかけたりすることは見たことがない、と。カラスがコウノトリを威嚇することもある、との話だった。(※写真・下は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

2人の研究者の話として、「コウノトリやトキに限らず、動物を野生復帰、そして定着させる際には、自然状態で十分なエサを捕ることができる環境が大切。エサをめぐって鳥同士がたとえ争っても、人が関わらないことが大切では」とのことだった。

⇒16日(金)夜・金沢の天気  くもり

☆「トキが来る田んぼに」 千枚田レジリエンスの田植え250枚 

☆「トキが来る田んぼに」 千枚田レジリエンスの田植え250枚 

去年元日の能登半島地震、そして9月の「記録的な大雨」の被害を受けた輪島市の白米千枚田で田植えが行われている。きょう現地を見に行った。地元の人たちと棚田のオーナー、そして支援ボランティアの50人ほどが裸足で田んぼに入り、苗を植えていた=写真=。

白米千枚田は4㌶の斜面に1004枚の棚田が広がり、2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。それが、去年の地震で8割の田んぼにひび割れなどの被害が出た。地元や棚田のオーナー、ボランティアの人たちが懸命に修復作業を行い、去年は120枚で田植えを行った。ところが、120枚の稲刈りを終えた9月21日に48時間で498㍉という「記録的な大雨」に見舞われ、棚田に土砂が流れ込むなどの被害が出た。これも3者で土砂の除去作業などが行い、ことしは250枚で田植えを行うとのこと(白米千枚田景勝保存協議会)。

現地で見学していると、地元の人が転枠(ころがしわく)を田んぼで回し、その後に棚田のオーナーやボランティアが苗を植えていた。近くの駐車場で停めてあった車のナンバーを見ると、「金沢」を始め「世田谷」などがあり、全国から集まっているようだ。一人から話を聞くと、「トキが来てくれるといいなと思っています」と。来年6月に環境省が能登でトキを放鳥することを意識して、千枚田にトキのエサとなるドジョウやメダカなどが繁殖するように、ことしは無農薬で有機肥料を使って田植えを行っているという。

2重災害にめげず、さらにトキが訪れる田んぼを目指して田植えをしている。千枚田を耕す人びとのモチベーションの高さには敬服する。6月に草を取り、9月に稲刈りを行う。

⇒11日(日)夜・金沢の天気  くもり

★トキとコウノトリが運ぶもの 能登復興のささやかな願い

★トキとコウノトリが運ぶもの 能登復興のささやかな願い

国の特別天然記念物のコウノトリの日本の北端の営巣地といわれる能登半島の志賀町富来に先日(今月3日)行ってきた。前回見に行ったのは4月18日だったので2週間ぶりだった。電柱の巣に親鳥1羽のほかにヒナの姿が2羽見えた=写真=。前回のときはヒナがいるようには見えなかったので、その後に孵(ふ)化したのだろうか。地元の人も見に来ていたので話を聞くと、ヒナは全部で4羽いるとのことだった。コウノトリには一度営巣した場所で毎年子育てをする習性があり、この巣でのヒナの誕生は4年連続となる。

このところ石川県内でコウノトリの営巣が増えている。地元メディアの報道によると、志賀町のほかに金沢市に隣接する津幡町でも3年連続でヒナが誕生。また、奥能登の珠洲市と穴水町でもこの4月に営巣が新たに確認されている。「コウノトリが住み着くと幸福が訪れる」「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」との伝承がヨーロッパにある。能登から巣立ったコウノトリが伴侶をともなって再び戻って定着すれば、繁殖地としての能登もにぎやかになるのではと夢を膨らませてしまう。

もう一つ膨らませる夢が、能登がコウノトリとトキの繁殖地になってほしいとの期待だ。トキも国の特別天然記念物であり、環境省は2026年6月にも能登で放鳥を行うことをすでに決めている。具体的な放鳥の場所についてはことし7月ごろまでに決定し、1度に15から20羽ほどを複数年にわたって放鳥するようだ。

これは自身が子どものころ、親戚の能登の爺さんから聴いた話だ。トキとコウノトリは兄弟のような鳥で仲がいい。コウノトリが兄貴分で、トキが弟分のような関係だと教えてくれたことを覚えている。以下は鳥の専門家でもない素人の思い付き。兄貴分はすでに能登で営巣しているので、弟分もこれを習うのではないか。なので、コウノトリの営巣地の付近でトキを放鳥してはどうか。志賀町の営巣地の周辺地には、カエルやドジョウ、メダカ、たくさんの虫たちがいて、同町ではトキ放鳥の受け入れ候補地として、県に申請している。

トキとコウノトリが舞う能登、そんな夢のような光景を見る日がやって来るのを楽しみにしている。

⇒7日(水)夜・金沢の天気    はれ