⇒トピック往来

★空も世情も「梅雨前線停滞」

★空も世情も「梅雨前線停滞」

    きょうは朝から能登へ乗用車で出かけた。途中大雨に巻き込まれた。雨がたたきつけるようにフロントガラスに当たり、ワイパー回転を一番速くしても前方が見えず、しばらく車を停車し小降りになるのを待った。出発すると、しばらくしてまたたたきつけるような雨に見舞われた。3度運転を見合わせた。車を運転していて、一時的な強い雨はこれまで経験はあるが、波状的な激しい豪雨はこれが初めてだったかもしれない。

    梅雨前線停滞の影響による激しい雨の情報は、車の中でNHKのAMラジオをチェックしていた。輪島市門前で7月の観測史上最高となる1時間53㍉の非常に激しい雨となり、金沢地方気象台は石川県内の広い範囲に大雨洪水警報や大雨警報を出した。七尾市の崎山川が一部氾濫、また同市の熊木川と中能登町の二宮川で氾濫危険水位に。このため2千世帯に避難勧告が出された。

    交通インフラへの影響も大きかった。JR七尾線の金沢ー和倉温泉間は43本が運転休止。北陸新幹線では午前11時ごろ、新潟県糸魚川市の雨量計が規制値を超えたため、富山―長野間の上下線で最大1時間45分にわたって運転を見合わせ、8700人に影響が出たという。目的地の珠洲市には金沢から3時余りかかった。普段は雨でも2時間10分だ。

    話は変わるが、夜、テレビでニュースを見ていたら、きょうの夕方に東京・秋葉原では「ゲリラ豪雨」があったようだ。都議会議員選挙の選挙戦最終日、JR秋葉原駅前で街頭演説した安倍総理(自民党総裁)に聴衆の一部から「辞めろ」「帰れ」のコールが起きていた。テレビ映像では、「安倍政権を許さない」などのプラカードを掲げた集団だったので、一般聴衆というよりも組織的な動員だろう。もし、「辞めろ」コールに他の聴衆も呼応するような大きなうねりになれば、都議選どころか即刻退陣表明となったかもしれない。

    ところが、映像を見ている限り、総理が「あのように演説を邪魔する行為を私たち自民党は絶対にしません。相手を誹謗中傷しても何も生まれない。こんな人たちに私たちは負けるわけにいかない」と声を高めると、演説に呼応する「そうだ」の大きな声援がわき上がり、「辞めろ」コールはかき消された。その反応を見て安堵したのか、総理はむしろ余裕の表情を見せていた。また、この街頭演説の会場に森友学園問題の籠池泰典氏の姿もあり、百万円の札束らしきものをコンニャクのようにビラビラさせて報道陣のカメラに納まる様子が映っていた。このゲリラ的なパフォーマンスには首をかしげる。

    なんだか世の中全体に梅雨前線が停滞しているような鬱屈した気分のこの頃だ。

※写真はカエルの木彫(金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」)

⇒1日(土)夜・金沢の天気   くもり

☆続々々・北ミサイルと「餓死」発言

☆続々々・北ミサイルと「餓死」発言

    26日、北朝鮮の弾道ミサイルの飛来を想定した住民の避難訓練が、石川県内では初めて、輪島市で実施される見通しとなった。当日のニュースによると、県庁として、輪島市役所に訓練の実施を打診していて、市側が同日正式に受け入れの意向を示したことで、今後、具体的な時期や場所、規模などについて本格的な調整が進められるという。これまで日本海側の自治体を中心に秋田、山口、山形、新潟、福岡などの県で実施されている。来月には富山、長崎でも行われる予定だ。

    報道によると、谷本知事は記者団に対し「これだけ毎週のようにミサイルが飛んでくるという事実があるから、どう対処するか考えなければいけない。 一度、訓練をしておいたほうがいいのではないか」と話したという。なぜ輪島市なのか。その理由について、県側は記者からの質問に対して、2007年3月の能登半島地震を経験した輪島市は住民避難の訓練をこれまで何度も実施しているとの説明だった。理由は果たしてこれか。

   ことし3月6日に北朝鮮が「スカッドER」と推定された中距離弾道ミサイル弾道ミサイル4発を発射し、そのうちの1発は能登半島から北に200㌔㍍の海上に、3発は秋田県男鹿半島の西方の300-350㌔㍍の海上に、いずれも1000㌔㍍飛行して落下したと推測されると日本政府が発表している。ただ、能登半島沖の落下について発表したのは3日後の9日午前だった=写真=。このタイムラグについて、事実を政府が伏せていたのか、伏せていたのならそれはなぜか、以下憶測である。

    能登半島の先端・輪島市の高洲山(567㍍)には航空自衛隊輪島分屯基地のレーダーサイトがある。このレーダーサイトには、航空警戒管制レーダーが配備され、日本海上空に侵入してくる航空機や弾道ミサイルを速く遠方でも発見するため24時間常時監視している。日本海は自衛隊の訓練空域でもっとも広く、「G空域」と呼ばれる。そのエリアに、しかも監視レーダーサイトの目と鼻の先に北朝鮮はスカッドERを撃ち込んだのだ。

    では、能登半島沖の落下がなぜ3日間遅れで発表となったのだろうか。北朝鮮は日本側の航空警戒管制レーダーが弾道ミサイルの「射程内」であると強調する意味を込めて撃ち込んだのだろうが、政府は当初、防衛上あえてその情報を出さなかった。が、これでは北朝鮮側に日本のレーダーの監視機能の精度は高くないと誤解を与えることになりかねないと、政府内部で議論の末に公表することにした、と推測する。何を言いたいかというと、弾道ミサイルが日本側に向けられた場合、その標的の一つが高洲山の航空警戒管制レーダーであると政府が認識しているということだ。高洲山は輪島市の中心市街地の北東部に位置し、能登町とも近い。地域行政としては上記のことを察知していても、国防上のことなので表立っては言えないのだろう。住民の不安心理をかきたてることになるからだ。

    28日、NHKニュースによると、政府は能登半島沖の排他的経済水域で北朝鮮などから来た漁船が違法操業を行っていることから、取締態勢を強化するため海上保安庁の巡視船を派遣する方向で調整に入った。とくに能登半島300㌔沖の排他的経済水域内の大和堆(やまとたい)は日本海側の有数の漁場でもある。これまでも水産庁が漁業取締船を出すなどして対応に当たってきたが、一部の漁船の乗組員が武装している恐れがあることから、海上保安庁の巡視船を派遣することになったようだ。

          空から弾道ミサイルが狙い撃ちで飛んで来る。海には違法操業の漁船が武装してやってくる。しかも、能登半島から200㌔、300㌔先でのことだ。そう考えると、谷本知事の「兵糧攻めで北朝鮮国民を餓死させなければならない」発言(21日・県町長会)は自身の切迫感をついさらけ出してしまったのか。案外これが顛末ではないだろうか。

⇒29日(木)夜・金沢の天気   あめ

★続々・北ミサイルと「餓死」発言

★続々・北ミサイルと「餓死」発言

   石川県の谷本知事が県議会一般質問(22日)で答弁していたころ、北朝鮮の弾道ミサイル発射に不安を募らせている日本海の漁業者らが農林水産大臣に対して安全確保を要請する陳情行動を行っていた。

   JF全漁連(全国漁業協同組合連合会)が同日、東京で緊急集会を開催。この中で、石川県漁業協同組合の笹原丈光組合長が参加者を代表して意見表明を行い、「先月29日にミサイルが落下した日本海の海域は石川県のイカ釣り漁師が操業する漁場に近い。それでも生活のために漁に出ざるをえない」と不安を訴えた(NHK金沢ニュース)。このあと、全漁連の関係者らが農林水産省を訪れ、山本大臣に対し、▼漁業者の安全を確保するため、あらゆる手段を用いて弾道ミサイルの発射を阻止することや、▼万が一、被害が生じた場合は国が救済策をとることを要請した。これに対し、山本大臣は「北朝鮮のミサイルが日本の排他的経済水域内に落下すると、漁業者が萎縮して、漁業が停止しかねない」と述べ、政府全体で対処したいの考えを示した(同)。

   23日朝、新聞紙面を開くと広告欄(5段)で「弾道ミサイルが日本に落下する可能性がある場合、Jアラートを通じて屋外スピーカーなどから国民保護サイレンと緊急情報が流れます」と背景が黄色の目立つ広告が目に入った。政府広報で「弾道ミサイルが日本に落下…」という文字がいろいろ想像を掻き立てる。テレビでもCM(30秒)が流れている。普通に考えれば、その緊急性が迫っているとも受け取れる。政府は予めアメリカなどから情報を得て、「6月下旬が危ない」と。しかし、露骨に情報開示をすると、国民がパニック状態に陥る。そこで、政府広報でワンクッション置くカタチで国民に周知をしている。でなければ、税金を使ってこのような大々的な政府広報を打つだろうか。まったく勝手な想像だが。

   谷本知事が22日の県議会一般質問で、自らが発した発言「兵糧攻めで北朝鮮国民を餓死させなければならない」(21日・県町長会)を撤回した。23日、在日本朝鮮人総連(朝鮮総連)の石川、福井、富山の3県本部の役員が石川県庁を訪れ、知事あてに抗議文を提出し、謝罪を求めた。抗議文では「前代未聞の暴言であり、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺や関東大震災時の朝鮮人大虐殺を彷彿とさせる」と記している(24日付・朝日新聞石川版)。

   北朝鮮の弾道ミサイルをめぐる一連のニュースの流れをどう読むべきなのか。今回の知事発言はもともと一般の支持を得られるような内容ではない。一方でこのような報道もある。県庁にはメールや電話での意見が相次ぎ、23日午後4時時点で290件に上っている。「少し問題じゃないか」などと批判する意見がある一方、発言に賛同する声もあり、賛否は半々という(24日付・北陸中日新聞)。

   この記事に、オックスフォード英語辞書が選んだ2016年の言葉「post-truth(ポスト真実)」を思い出した。この単語は、客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を示す形容詞だ。ニュースは新聞、テレビだけでなく、インターネットなど多様化している。むしろ、若い世代の情報源はソーシャルメディアが多い。すると、これまでの新聞やテレビなど既存のメディアが提供する事実に対して不信感を高めることにもなるという現象が起きる。知事の発言内容より、「知事はそれだけ心配しているのだ」との同情が賛同への言葉となる。post-truthはメディアの曲がり角を表現する言葉でもある。

⇒25日(日)朝・金沢の天気   あめ

★続・北ミサイルと「餓死」発言

★続・北ミサイルと「餓死」発言

      22日午前10時から始まった石川県議会一般質問の午前の部が終わり休憩に入る。谷本正憲知事は知事室に向かう途中、議会庁舎と行政庁舎との連絡通路で報道陣に囲まれ、ぶら下がり取材に応じた。11時35分だった。

   「兵糧攻めで北朝鮮国民を餓死させなければならない」(21日・県町長会で発言)の真意について記者から説明を求められ、知事は「県民の命を預かる立場からすると経済制裁を実効性があるものにしないといけない。ミサイル発射を止めることが大事だという趣旨だった」と述べた。さらに、別の記者から「発言を撤回するのか」と尋ねられ、知事は「撤回が要るなら撤回する」「過激派な発言は反省しなければならない」と述べた(23日付・新聞各社)。

  午後0時4分、知事室に戻り、再び本会議場に知事が入ったのは同0時52分。

  午後1時、県議会一般質問が再開され、発言に立った共産党の議員が「経済制裁の強化は必要だがその目的は対話ではないのか」「問題に向き合う姿勢においても、表現の面としても適切さを欠いたもの」などと発言の撤回を求めた。知事は「発言そのものが過激だったのは否めず、人命無視と受け止められかねないので撤回したい」と述べ、「漁業者から安心して操業できる環境をつくってほしいという悲痛な叫びが届いており、あの発言をした」と釈明した。また、自民党の議員からは「北朝鮮には拉致被害者や日本人妻など同胞も多くいる。発言には配慮を」と忠告する発言もあった(23日付・新聞各社)。

  午後4時5分、議会庁舎と行政庁舎との連絡通路で再び報道陣に囲まれ、知事は「ありがたい。忠告をしっかり受け止める」と述べた(22日付・北陸中日新聞)。

  22日午後4時までに、県公報広聴室には知事の「餓死」発言について150件の電話やメールが寄せられた。賛否いずれの意見もあるという(22日付・北國新聞)。きょう23日は在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)北陸3県の本部が知事に抗議文を渡す(22日付・北陸中日新聞)。

  谷本知事の座右の銘は「衆人皆師(しゅうじんかいし)」と聞く。自己中心的にならず、人々の声に謙虚に耳を傾けるという意味と解釈すればよいのか。

⇒23日(金)朝・金沢の天気   はれ 

☆北ミサイルと「餓死」発言

☆北ミサイルと「餓死」発言

    昨日(21日)のブログで、石川県は北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えた住民避難訓練を能登半島で検討しているとの知事の発言を伝えた。さらにこれが意外な展開を見せている。今朝の朝刊各紙によると、21日午前10時30分から金沢市のホテルで開催された県町長会の懇談会で、谷本正憲知事が北朝鮮の相次ぐミサイル発射に触れて、「兵糧攻めで北朝鮮国民を餓死させなければならない」と過激な表現で発言した、という。これが全国ニュースにもなっているのだ。

   上記の発言の前後を精査する。知事のこの発言は、参加者から「北陸電力志賀原発(能登半島の志賀町にある)がミサイルで狙われたら」との質問に答えたもの。発言後に、「挑発行動が止らない現状は国際社会の対話のによる圧力が限界に来ている、効果的でない」と指摘した上で、「北朝鮮の国民には申し訳ないが、生活に困窮するくらいの経済制裁で『今のリーダーではもうダメだ』と考えてもらう必要がある」と述べた(北陸中日新聞)。

    県町長会の会合の後、午後3時45分、県庁で報道陣から「餓死」発言の真意を問われた知事は「北朝鮮にはとんでもないリーダーがいる。北朝鮮国民を生活困窮に追いやれば内部から崩壊する。国民が痛みを感じる制裁を加えないといけない」と説明した。「過激な言葉にならざるを得ない」と述べ、「餓死」発言を撤回することはしなかった。それどころか、知事はミサイル対応訓練を挙げて、「われわれは避難訓練までしなければならない。これ自体、おかしな話。北朝鮮のやり方は暴挙をはるかに超えている」とむしろ非難の語気を強めたのだ。

    北朝鮮がことし3月6日に同時発射した弾道ミサイル4発のうち1発は能登半島から北に200㌔㍍の日本海上に、3発は秋田県男鹿半島の西方300-350㌔㍍に落下している(政府発表)。日本海と接する地域では北の脅威は現実になっており、知事発言に共感する部分もある。ただ、発言内容を吟味すると矛盾点がある。

    北朝鮮を兵糧攻めにする手段を日本が握っているわけではない。つまり、実行不可能なことを知事は発言しているのだ。「国民を餓死」という発言も人道上で問題がある。逆に北朝鮮はあと200㌔、ミサイルの距離を延ばせば能登半島に届く。実行可能なのだ。今回の知事発言を逆手にとって、北のリーダーが「わが人民を愚弄した。許せん」と能登半島に向けて発射ボタンを押さないか、むしろその方が不安である。

⇒22日(木)朝・金沢の天気  くもり

★北のミサイル、このタイミングの意味は

★北のミサイル、このタイミングの意味は

  今朝(8日)のテレビニュースによると、北朝鮮が複数の飛翔体を発射した模様だ。8日朝、北朝鮮の東部の元山付近から北東の日本海に向けて複数の飛翔体を発射した。韓国軍は地対艦ミサイルと推定していると伝えている。日本政府は北朝鮮が発射した弾道ミサイルが日本に飛来する可能性がある場合、Jアラート(全国瞬時警報システム)やエムネット(緊急情報ネットワークシステム)で国民に伝達するとしているが、現時点ではそうしたメッセージは出ていない。とうことは、朝鮮半島の近海に向けて発射したようだ。

   韓国軍が分析しているように、これが地対艦ミサイルということになれば、地上から敵艦艇を攻撃するミサイル、つまり、沿岸防衛が目的で、上陸作戦や海峡から陸上に近づく敵艦艇を攻撃するものだ。目標設定は定かではない。ただ、日本海で原子力空母「カール・ビンソン」と「ロナルド・レーガン」の2隻が今月1日から3日までの日本の自衛隊と共同訓練を行った。これを想定しての北朝鮮の発射だったのか。しかし、報道によると訓練を終えた2隻の空母は日本海をすで離れた。ロナルド・レーガンは沖縄東方の海域で海上自衛隊との訓練を続けている。

  北朝鮮はすでに去ってしまったアメリカの原子力空母に向けて、デモンストレーションとして発射したのだろうか。先月、3種類の新型弾道ミサイルの発射実験を相次いで実施し、ミサイル開発を加速させる姿勢を示していた。これに対し、今月2日に採択された国連の安全保障理事会の新たな制裁決議では、弾道ミサイルの関連団体・個人が制裁対象に加えられていている。北朝鮮は今回の発射で、こうした制裁圧力に屈しない姿勢を改めて示したとでもいうのだろうか。それにしてもタイミングにずれている。あるいは、あえてタイミングをはずしたのだろうか。(※写真はアメリカ海軍のホームページより。6月1日の日米の共同訓練の模様)

⇒8日(木)朝・金沢の天気    あめ

☆「地方重視の外務大臣」

☆「地方重視の外務大臣」

   外務省が主催する「地方を世界へ」プロジェクトが今月3、4日の両日、金沢市で開催された。このプロジェクトは地方の魅力をグローバルに発信する新たな取り組みで、外務大臣とと駐日外交団が地方を訪れて、文化や産業を見聞することで、地方の魅力を世界に発信すると同時に地域の活性化を目指すものも。岸田大臣は駐日外交団(8ヵ国=ベネズエラ、ニカラグア、デンマーク、ニュージーランド、フィンランド、キューバ、オーストラリア、韓国)を伴って、金沢の日本酒や金箔のメーカーを訪れ、さらに同時に開催された金沢百万石まつりの時代行列などを見学した。

   一行が到着した3日午前中、国連安保理で北朝鮮に対する経済制裁を拡大する決議が全会一致で採択されたことを受けて、JR金沢駅で臨時の記者会見が設定された。以下、外務省のホームページから抜粋する。岸田大臣は今回の安保理の制裁決議をこう評価した。「今回の決議については、資産凍結、あるいは入国・入域の禁止、こうした対象を追加する、こうした内容のものです。国連安保理において、中国、ロシアをはじめ安保理の理事国全員で一致をし採択をした、このことの意味は大きい。国際社会が一致して、北朝鮮に対して強い内容を含む決議を採択することによって意思を示ししたという意味で重要であると認識をします」と。

   4日午前中、金沢大学十全講堂(金沢市宝町)で「北陸・石川県の魅力を世界に発信」と題してシンポジウムが開催され、その後に記者会見が開かれた。ここで地元の記者からリアリティのある質問が飛ぶ。

   「【記者】 北朝鮮のことについてなんですが、今回,宇出津事件から40年ということで言及もありましたが、今なお石川県では漁師の方がEEZの近くで操業されるとかということもあって、北朝鮮の脅威にさらされる土地柄でもあるんですが、こちらについての対応といいますか、対策、思いということをお聞かせいただけますでしょうか。」
   「【岸田外務大臣】 まず、石川県と拉致問題との関係で申し上げるならば、講演の中でも申し上げさせていただきましたが、久米裕さん当時52歳でいらっしゃいましたが、昭和52年(1977)9月19日に石川県宇出津(うしつ)海岸付近において北朝鮮の工作員によって拉致されました。政府としては北朝鮮に対し、久米さんの一刻も早い帰国、これを強く求めてきましたが、北朝鮮はこれまで久米さんの入境、要は、北朝鮮の国内に入ったということを認めていない。これが現状であります。捜査当局は、平成15年1月、主犯格である北朝鮮工作員・金世鎬(キム・セホ)の国際手配を行っており、政府としては、北朝鮮に対して、この同人の身柄の引渡しを求めているところです。久米さんの拉致から40年経ちました。これは一刻の猶予も許されない問題であると認識をしています。政府としては、対話と圧力、行動対行動の原則の下に、ストックホルム合意の履行を求めながら、久米さんを含む全ての拉致被害者の一日も早い帰国、これを実現するべく、全力で取り組んでいかなければならない。国の責任でそれを実現しなければならない。こういったことを強く感じています。」

    北朝鮮による久米裕さんの拉致は「拉致1号事件」とも呼ばれる。拉致問題が外交の最重要課題であり、シンポジウムの講演で、岸田大臣は当地と関連ある拉致1号事件にあえて触れたのだろう。記者会見での返答ぶりや自らが各国の大使クラスを連れて地域を訪問する様子はこれまでの外務大臣の印象と明らかに異なる。「地方重視の外務大臣」と評価してよいのではないか。(※写真・上は金沢市内の金箔メーカで、写真・下は外務省主催のシンポジウムで講演する岸田大臣。外務省ホームページより)

⇒5日(月)午後・金沢の天気  はれ

☆讃岐路を旅する-下

☆讃岐路を旅する-下

  「小豆島」から何を連想するだろうか。良質なオリーブが採れる島というイメージしかなかったが、一日限りの島めぐりでも多様な文化と歴史が匂い立っていた。

     「もろみ蔵」の黒、オリーブ畑の緑に彩られた小豆島

  4日夕方、高松港から土庄(とのしょう)港に着いた。港で待機していたホテルのマイクロバスで向かう。運転をしているスタッフは観光ガイドも兼ねていて、「いまから世界一幅の狭い海峡を渡ります」とアナウンス。実は着いた土庄港は前島という島にあり、それに接するように小豆島がある。説明によると海峡の全長は2.5㌔で最大幅は400㍍、最狭幅は9.9㍍で最狭の部分で橋が架かっている。どう見ても普通の川のようなのだがれっきとして海峡なのだ。1996年ギネスブックに申請する折に「土渕(どふち)海峡」と命名されたとか。よく考 えると小豆島は日本の縮図だ。大きな島と隣接する小さな島がより合わさって大きな島になっている。

  5日は朝からタクシーをチャーターして島めぐりをした。まず目指したのは「中山千枚田」=写真・上=。島の中ほどにあり、典型的な里山だ。8.8㌶の丘陵地に大小750枚ほどの棚田が折り重なるようにして曲線美を描いている。田植えが始まる前で、地域の人たちが田起こしや畦塗りに精を出していた。この棚田の上の湯舟山から豊富な湧き水が流れ、田を潤している。ただ、残念なことにざっと見て4分の1ほどはまだ耕作されていない。横にいた眺めていたタクシーのドライバー氏は「最近は棚田のオーナー制度で、都会の若い人たちが田んぼを耕しにやってきますので田植え前は間に合いますよ」と。棚田のオーナー制度は年間3万円の会費で、来月上旬の田植えや7月上旬の「虫送り」、9月下旬の稲刈り、10月の「農村歌舞伎」の鑑賞など農耕や伝統行事に参加できるのだと熱心に説明してくれた。確かに、それと思しき若い家族連れが何組か田んぼに入っていた。「おまけに棚田の新米20㌔がもらえますよ。お客さんもどうですか」と。北陸から来たのでと遠慮したが、それにしてもドライバー氏は優秀な「島の営業マン」だ。

  国指定の名勝、寒霞渓(かんかけい)をロープウエイで下る。4分50秒という短い乗車時間ながら、渓谷の絶景を楽しむ。途中、「あっ、おサルさんがいる」と子どもたちの声がしたので、思わずカメラを向けたが、「渓谷の猿」のシャッターチャンスは逃してしまった。

  小豆島のカタチは犬の姿にたとえられるそうだ。その後ろ脚の足の部分にあたることろに映画「二十四の瞳」(1954年)のロケ地がある。映画は1950年代日本映画の黄金期の名作の一つだが、幼いころにテレビドラマで見た程度で、正直、映画の題名や主演(高峰秀子)、原作者(壺井栄)をおぼろげながら覚えている程度だ。むしろ、1987年に田中裕子主演で再映画化されて、私より若い年代の方がこの映画を知っているのかもしれない。

  1954年版の撮影が行われた「岬の分教場」(旧・苗羽小学校田浦分校)を訪ねた。どこか懐かしい。自身が学童のころ通った木造校舎での思い出が蘇ってくる。木の机 >やイスに落書きをして先生からしかられ、前列の女子にちょっかいをかけて廊下に立たされた。そんな忘却の彼方に追いやられているような記憶が校舎という記憶の再生装置によって湧き上がってくるのだ。これって、認知症や脳のリハビリに活用できないだろうか、素人ながらそんなことを考えた。

  ドライバー氏から「醤油のもろみの匂いを嗅いだことありますか」と言われ、岬の分教場近くにある醤油の製造蔵=写真・中=に案内された。奥行きが100㍍もある立派な木造の「もろみ蔵」。ガラス越しに仕込みの樽の列が見学できる。換気口のような装置があってスイッチを押すと、蔵の内部の空気が流れてきて、「もろみ」の匂いを嗅ぐことができる仕組みだ。一瞬、黒いチョコレートのような重く香しい匂い、これが本来の醤油の匂いかと感じた。ドライバー氏から「もろみ蔵の屋根瓦がとても黒いでしょう」と言われ、周囲の家並みの屋根瓦と比べると、確かに各段に黒い。仕込み(分解、発酵、熟成)の過程で出るメラノイジンという物質の色で醤油が褐色なのもこの物質による。これが空気とともに上昇して、屋根瓦の熱で酸化して黒くな るそうだ。島には20軒余りの醤油メーカーがあるそうだ。「もろみ蔵」の黒の屋根、島のシンボルカラーかもしれない。

  タクシーでの小豆島めぐりの最終スポットは「オリーブの茶畑」=写真・下=だった。小豆島は日本のオリーブ発祥の地としても知られるが、オリ-ブオイルだけでなく、現地では葉をお茶として重宝しているそうだ。ここで、「島の営業マン」ドライバー氏が語る。「オリーブオイルは果実から非加熱で搾油できる唯一の植物油ですが、採れるオイルは重量の1%。100㌔の実か1㌔から絞れない。残りの99%はハマチの養殖や牛や豚の飼料として活用されています」。昨夜ホテルで食べた「オリーブ牛」のステーキは確かにオイルと肉の相性が引き立ち、赤ワインとの相性もとてもよかった。朝食の「オリーブハマチ」もオリーブ醤油で食するとこれもなかなかのものだった。

  復路は、土庄港から高松港へ、JR線で瀬戸大橋を渡り、岡山駅へ。新幹線で新大阪駅に行き、特急サンダーバードに乗り継ぎ。金沢駅に戻ると、時計は23時を回っていた。

⇒5日(金)夜・金沢の天気  はれ

★讃岐路を旅する-中

★讃岐路を旅する-中

   きょう(4日)はJR高松駅から予讃線に乗って琴平駅に向かった。金刀比羅宮こと、「こんぴらさん」に詣でるためだ。2012年5月のゴールデン・ウイーク(GW)にも旅しているので、あれからちょうど5年だ。今回はちょっと思惑があった。5年前は本宮までの石の階段785段を二段飛びしてのぼった。62歳になり、もう一度チャレンジしたいという野心があった。

     こんぴらさんの1368段、二段飛びで挑戦

 列車内ではやはりこの歌を口ずさんでモチベーションを上げた。「こんぴら船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山こんぴら大権現 一度廻れば…」。琴平駅に着いたのは11時09分。そこから参道口に向かって歩き、石段のぼりの開始は11時30分だった。

   前回と同様に杖はあえて持たず。ひたすら二段飛びをする。旭社あたりで500段以上のぼったことになるが、さすがに脚が重くなってきた。少し休息を入れて、本宮を目指す。前に立ちはだかる急な階段「御前四段坂」に=写真・上=。652-785段に当たる。ここを一気にのぼれば本宮だ。御前四段坂を半分のぼったところでストップすることになる。GWで参拝客があふれ、階段にまで列をつくっていて、進めないのだ。ここで10分ほどかけて一段一段のぼり本宮に到着。11時55分ごろだった。

  ただ、二段飛びで785段をのぼるという当初の目的の達成感はなかった。最後の10分余りは休息のようなもので、しかも一段一段だ。余力もあったので、ここでさらに奥社までのぼることを決めた。本宮から奥社(厳魂神社)までは距離にして1㌔、石段は583段だ。奥社まで目指す人はまばらだ。その分、進みやすくなった。ただ、北原白秋の歌碑があるあたりで足腰が急に重くなるのを感じ、参道をゆっくり目でのぼる。「守れ権現 夜明けよ霧よ 山はいのちのみそぎ場所」(歌碑)。「イノシシ出没注意」の看板も横目で見ながら。

 卯花谷休憩所からはさらに急な石段続きになる。二段飛びもだんだんとおぼつかなくなる感じで足がもつれそうになる。それでも段飛びをしていると、抜き去った後ろの方から「あの人、すごいね」と聞こえ、励まされた気になる。ただ、最後の100段ほどは無謀なことをしたものだと思いながら、今度は頭がぼやけてくる感覚に襲われた。12時15分、なんとか1368段を登り切り、奥社にたどりついた=写真・中=。

 海抜421㍍から眺める讃岐富士の美しいこと=写真・下=。うれしくなって賽銭箱に千円札を投げた。二礼二拍手一礼を済ませ、今度は石段を下る。実は下りの方が危険に感じた。そのまま下ると膝がこわばって前に転倒しそうになる。そこで石段を左斜め、今度は右斜めというふうにW字を描くように降段する。本宮に戻ってくるころには爽快感で満たされていた。

  それにしても1368の石段は人生そのものだ。登り切るには決断がいる。下りはもっと慎重になる。参道の店で食べた讃岐うどんがうまかった。夕方、高松港から小豆島に向かった。瀬戸内海を滑る様に高速船が走った。

⇒4日(木)夜・香川県小豆島の天気   くもり

    

☆讃岐路を旅する-上

☆讃岐路を旅する-上

  ゴールデンウイーク(GW)に四国・高松を訪ねた。プライベートな旅で高松は初めて。旅する感覚というのは風景が鮮やかに見えていい。松尾芭蕉や与謝野晶子が全国を旅しながら俳句や歌をよんだというのは、場の新鮮さが感性を揺さぶったのかもしれない。

      海城・高松城跡の堀に泳ぐクロダイの群れ

  JR高松駅に3日午後、到着した。駅近くのホテルにチェックインする。ホテル10階の窓からは、海や街、山のパノラマが広がる。街の中に緑のゾーンがあるのでよく見ると、城跡のようだった。さっそく行ってみる。高松城跡だ。現在は高松市立玉藻公園となっている。なぜ、タマモと疑問が湧いた。公園の料金所(入園料200円)で手にしたパンフによると、万葉集で柿本人麿が讃岐の国(香川)の枕言葉に「玉藻よし」とよんだことにちなんで、このあたりの海は昔から「玉藻の浦」と呼ばれていたそうだ。ホンダワラなど海藻が茂る豊穣の海。海辺の近くにある高松城もかつては「玉藻城」と。

 なるほど万葉集からの地名かと想像をめぐらせながら、入ると、さっそく案内看板から与謝野晶子が名前が飛び込んできた。各地の名所を旅すると、芭蕉か与謝野晶子の名が競うように出てくる。「わだつみの 玉藻の浦を前にしぬ 高松の城龍宮のごと」。とても美しい龍宮城のようだと称賛している。

  水門と看板がかかる大きな堀池があった=写真=。手こぎ舟で天守台などめぐる「城舟体験」を楽しんでいる家族連れの姿もあった。その池を何気なく覗いてみると黒っぽい大きなさかながウヨウヨといる。コイかと思ったが、水面上で口をパクパクと開ける様子もない。よく見ると磯の魚クロダイだった。堀池と表現したが、海とつながっているのだ。干潮で水位が下がらないように、水門で水位調整している。与謝野晶子が「龍宮」と歌に盛り込んだのも、海の魚が泳ぐ海城だと言いたかったのかもしれないと勝手に想像した。

  かつての城主、高松松平家は明治維新後もこの城を大切にして守っていたようだ。明治期に老朽化した屋敷「披雲閣(ひうんかく)」を松平氏が再建したのは大正6年(1917)とパンフにある。今年でちょうど100年だ。戦後は占領軍に接収され、その後は高松市が譲り受けた。今では茶会や華展の会場として利用されている。

  高松は茶道が盛んだ。高松松平氏の藩祖、頼重が茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家を総しての呼び名)の武者小路千家の始祖、千宗主を茶頭として招き、武家のたしなみとして茶の湯が地域に浸透した。ぜひ鑑賞してみたい茶碗があった。松平家が千利休に作らせたたといわれる楽焼茶碗「木守(きもり)」。ひょっとしてと思い、文化財や資料を展示する公園内の「陳列館」を覗いたが展示はされてなかった。思い付きでそう簡単に見ることができるようなお宝ではない…。いつか拝見したいものだと思い、高松城跡を後にした。

⇒3日(水)夜・香川県高松市の天気  はれ