⇒トピック往来

★世界農業遺産と持続可能な社会-下

★世界農業遺産と持続可能な社会-下

  和歌山県みなべ町で開催されている「第5回東アジア農業遺産学会(ERAHS)二日目のきょう28日はチャーターバスに乗ってのエクスカーション(視察)だった。日本や中国、韓国の参加者180人が4台のバスに分乗して、みなべ町の「県果樹試験場うめ研究所」「うめ振興館」、田辺市の「紀州石神(いしがみ)田辺梅林」「紀州備長炭記念公園」を巡った。

        紀州備長炭と南高梅の「共生」関係

     和歌山県の梅生産量は5万3500㌧で全国の62%を占める(平成29年農林統計)。うめ研究所によれば、その和歌山県の生産量のうち、みなべ町41%と田辺市35%だ。和歌山の梅生産の品種別割合でいえば全国で知られる「南高梅」が85%を占める。ちなみに「南高」というネーミングは、戦後に地元の優良品種の絞り込みが行われた際、南部高校園芸科の生徒たちが5年間の調査研究に協力して「高田梅」という品種を選び出したことから「南高梅」と命名されたという。ローカルから発した全国ブランドだ。

   その生産現場である紀州石神田辺梅林を訪ねて驚いた。急傾斜ですり鉢状の地形の底の石神集落を取り囲むように梅林が広がる=写真・上=。「ひと目三十万本」。その広さを説明してくれたのは紀州田辺観梅協会の会長、石神忠夫氏だった=写真・中=。30度から40度の傾斜地を上り下りしながら400年の歳月をかけて創り上げた世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」のシンボル的な場所だ。坂道を速足で歩く石神氏は77歳。参加者の一人が「健康の秘訣は何ですか」と尋ねると、「暴飲暴食をしないこと。この土地の人は皆心がけていますよ」と即座に。条件不利地で伝統的な農業を受け継ぐには「体が資本」と言うことか。

   山並みの上部には水源涵養(かんよう)や崩落防止の役目を果たすウバメガシやカシ、クヌギなどの薪炭林が広がっている。薪炭林にはニホンミツバチが生息し、山の中腹に広がる梅林の花の受粉を手伝っている。システマチックに形成された自然環境と生物多様性はまさに里山、そのふもとに人里(集落)が広がる。ニホンミツバチの巣箱や梅の天日干しが行われているビニールハウスの現場を見る。梅の花が一斉に咲く2月の観梅期には地元に1万人ほどの来訪者がある。最近では台湾や中国からのバスツアーも増えた。「世界農業遺産のおかげですよ」と石神氏は目を細めた。

   ウバメガシを原料とする備長炭(びんちょうたん)もこの地域の主力産業の一つだ。紀州備長炭記念公園を訪れると、「炭琴」の演奏で歓迎してくれた=写真・下=。備長炭は鉄のように硬く、澄み切った音が響く。地元の女性たちで構成する「秋津川炭琴サークル」による 「上を向いて歩こう」「さくらさくら」の演奏に聴き入った。グループの中に20代の若さの女性がいた。演奏後に尋ねると、地域おこし協力隊のメンバーで去年3月に移住し、炭琴サークルに誘われて入った。「心に響く音色ですね」と水を向けると、「備長炭は湿気を吸って音程が変わるので、調律をしなければならないデリケートな楽器なんですよ」と。

   炭焼き窯に行くと、若夫婦が炭の窯出し作業を行っていた。窯の中で高温で蒸し焼きにし、窯から出して、素灰と呼ぶ灰を掛けて消火する。このため「白炭」とも呼ばれる。今月12日にウバメガシの原木を窯に入れ、きょう窯出しなので17日間の作業だ。3㌧の原木を入れて、製炭量は350㌔ほどになる。

   炭焼き業者は梅林の上にある薪炭林の中から太い幹だけを伐採する契約を梅栽培農家と結び原木を調達する。農家にとっても間伐は薪炭林の保全に必要だ。全国ブランドである紀州備長炭と南高梅はこうした「共生」関係にある。「梅システム」恐るべし。

⇒28日(火)夜・和歌山県みなべ町の天気    はれ

☆世界農業遺産と持続可能な社会-上

☆世界農業遺産と持続可能な社会-上

   きょう(27日)から和歌山県みなべ町で「第5回東アジア農業遺産学会(ERAHS=East Aisa Reserch Association for Agricultural Heritage Systems)が開催されている。2011年6月に「能登の里山里海」が世界農業遺産(GIAHS)に認定され以来さまざまな場面で関わっているが、今回は中国、韓国、日本の行政のGIAHS担当者や実践者、研究者を交えた学術学会に参加している。
    
       伝統的な知識とサイエンスをいかに統合していくか

   GIAHSは農業の大規模化や品種改良、肥料や農薬の使用などの近代化で失われつつある世界各地の伝統的な農業や農村の文化や景観、生物多様性に富む生態系を次世代に継承すること目的に、国連食糧農業機関(FAO、本部・ローマ)が2002年に始めた認定制度だ。現在21ヵ国52の認定地(サイト)がある。

   開催地のみなべ町は2015年に認定された「みなべ・田辺の梅システム」のサイト。養分に乏しい斜面の梅林周辺に薪炭林を残し、水源涵養や崩落を防止しながら薪炭林を活用した紀州備長炭の生産と、ミツバチを受粉に利用した梅栽培を行うことで評価されてる。400年の歴史があり、梅栽培は国内50%の生産量を誇る産地でもある。開会挨拶で和歌山県知事の仁坂吉伸氏は「梅の養分の機能性が世界で見直されつつある。これはGIAHS認定の効果ではないか」と。

   基調講演でFAOのGIAHS事務局長の遠藤芳英氏が「GIAHSをめぐる最近の動向」と題して3つポイントを述べた。一つは、ヨーロッパで初めて2017年にスペインの「アクサルキアのレーズン生産システム」と「アナーニャの塩生産システム」が認定されたのをきっかけに、イタリアやポルトガルでもエントリーが相次ぎ、GIAHSの地理的な拡大になっている。二つ目は、国連教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産とGIAHSの連携を図るため共同会議や連携作業を進めていく。三つ目は、GIAHSの次なるステップとして学術分野との連携。千年、2千年と続くGIAHSサイトには地球規模の気候変動に耐え、農法や伝統知識を伝承した知恵がある。科学的、経済的、社会的な分析を施すことで価値を共有したい。

   国連大学サステイナビリティ高等研究所上席客員教授でERAS名誉議長の武内和彦氏は「GIAHSとパートナーシップ」というテーマで、国連の持続可能な開発目標(SDGs)と足並みをそろえることの重要性を訴えた=写真=。SDGs目標 17「パートナーシップ」の意義は、「GIAHSのリソース(経営資源)は限られているものの、多様なパートナーシップを形成することで広がり、持続可能性が担保される」と述べた。

   GIAHSサイトにはそれぞれの歴史や伝承の知恵が詰まっているがゆえに、パートナーシップと言っても簡単ではない。ただ、共通価値を互いに見出すことでそれは国際的に広がり(ネットワーク)を形成できる可能性がある。武内氏のスライドには面白い提案があった。GIAHS「能登の里山里海」(FAO)、金沢の文化創造都市(UNESCO)、岐阜・白川の世界文化遺産(UNESCO)、GIAHS「岐阜・長良川」(FAO)を結ぶ「文化回廊(コリド-)」だ。広域でパートナシップを結ぶことで、新たなツーリズムルートが開発できるのではないか。ERAHSには行政担当者や地域の実践者、研究者が集まる。ごちゃ混ぜにして、伝統的な知識とサイエンスをいかに統合していくか、学会の狙いでもある。

⇒27日(月)午後・和歌山県みなべ町の天気    はれ

★「能登のSDGs」動き出す

★「能登のSDGs」動き出す

   国連が掲げる持続可能な開発目標「SDGs」という言葉はなかなか理解し難い。「エスディジーズ」の発音も一回や二回ではなかなか言葉として出てこない。ましてや、その意味となると難問のように思える。さらに言葉より、それを実践するのはもっと難しい。でも、それを能登半島の最尖でチャレンジしている。先月(6月)「SDGs未来都市」に選定された珠洲市だ。人口1万4500人、全国で一番人口規模が小さい市でもある。

   人口が少ないだけではない。高齢化率は47%と高く、地域経済を担う若い人材も不足している。持続可能な地域としての活力を保つために「2040年に人口1万人維持を目指す」と目標を定め、人口減少対策に必死に「もがいている」自治体でもある。その珠洲市がSDGsに挑戦している。きのう(27日)このような動きがあった。市と市内の10の郵便局がSDGsの目標達成に向けて協力する包括連携協定書を交わした。

   「なぜ郵便局と」と思われるかもしれないが、郵便局はすべての世帯に郵便物を届けるという使命感がある。その郵便局のネットワークを活かして、地域の見守り活動や災害時の支援、広報など行政の取り組みを支援していく。これは、SDGsの「誰一人取り残さない」社会の理念と実に合致する。経済や社会、環境の3つの分野で賛同者とSDGs実践に向けてプロジェクトを積み上げて、壮大な「SDGsプラットフォーム」を構築していく。珠洲市の戦略だ。

   では、大学の役割はどうか。来月8月18日、「能登SDGsラボ」の開設に向けて、運営委員会が発足する。ラボは金沢大学能登学舎(同市三崎町)に開設される。このSDGsラボには金沢大学のほか、国連大学サスティナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわ・オペレーティングユニット(OUIK)、石川県立大学、石川県産業創出支援機構(ISICO)、地元の経済界や環境団体(NPOなど)、地域づくり団体、企業や市民が幅広く参加する。

   ラボでは産学官金(産業界、大学、行政、金融業界)のプラットフォームを念頭に、大学側の研究シーズと地元企業のニーズとのマッチングをはかっていく。たとえば、現地で実証実験が行われている自動運転を「スマート福祉」として社会実装する。SDGsを取り込んだ学校教育プログラムの開発、世界農業遺産(GIAHS=2011年FAOが「能登の里山里海」認定)の資源を活かした新たな付加価値商品や、「奥能登国際芸術祭2020」に向けた参加型ツーリズムの商品開発を進めていく。国連大学と組んで過疎地域から発信するSDGs国際会議の開催や、県立大学との地元企業のコラボによる新たな食品開発など実に多様なプランだ。
    
   きのう郵便局との連携協定締結を終えた後で、市長の泉谷満寿裕氏と面談するチャンスを得た。「SDGsはまさにチャレンジですね」と率直に尋ねると、市長は「SDGsはどんなことにも本気でチャレンジする人を支える仕組みづくりです。新たな技術や知恵を持った大学の研究者や学生のみなさんは大歓迎ですよ」と。

   さかのぼれば、市長1期目の2006年10月に大学との連携による廃校舎の利活用、2期目の2010年7月に地上波テレビのデジタル化を全国に先駆け1年前倒し実施、3期目の2017年9月の奥能登国際芸術祭など、チャレンジの連続だった。ことし6月に4期目に入り、SDGs未来都市への挑戦だ。「ここは半島の尖端ですよ。チャレンジしながら可能性を探る。いつもそう思っています」。条件不利地というリスクを抱えるがゆえの地政学的なチャレンジ精神、そう表現したらよいのだろうか。

⇒28日(土)夜・金沢の天気     はれ

 

☆若冲「バイオアートの世界」

☆若冲「バイオアートの世界」

    きのう(18日)大学でのメディア論の講義を終え、少し時間をつくることができたので、石川県立美術館(金沢市出羽町)で開催されている江戸時代の絵師、伊藤若冲の特別展に足を運んだ。到着はちょうど午後5時、受付係の人から「午後6時に閉館ですのでよろしくお願いします」と言われた。60分で若冲の真髄をどこまで堪能できるか、急ぎ足で「若冲の世界」に入った。

    ヘチマに群がる昆虫などを描いた「糸瓜群虫図」=写真・上・図録「若冲と光瑤」から=は圧巻だった。掛軸の上から下を見て順に、カタツムリ、モンシロチョウ、クツワムシ(あるいはキリギリス)、イモムシ、オオカマキリ、ギンヤンマ、クサキリ、アマガエル、ショウリョウバッタの9種が見て取れた。図録では11種とあり、まるで絵解きのパズルのようで面白い。

    この絵に目を凝らしていると、自身の思い違いも発見できた。絵の上部のヘチマの黄色い花の乗っている昆虫は最初バッタかと思った。ところが、触覚が長いのでキリギリスと自分なりに修正した。でも、さらに観察すると体の真横の図柄がわらじの底のように横幅に厚みがある。キリギリスはもう少し細長くスマートだ。とすると、触覚が長くて横幅の厚みがあるとなると、クツワムシではないのか、と。キリギリスなのかクツワムシなのか、両者は確かにとても似ているのだが、一体どちらなのか。ぜひ鳴き声を聞いてみたいものだ。キリギリスならば「スイー・チョン」と鳴き、クツワムシは「ゴチョゴチョゴチョ」と。描き方が細密であるがゆえに、想像を膨らませてくれる絵なのだ。

   この絵の最大の特徴は「虫食い」だと感じる。これだけの虫がヘチマに群がっていれば、葉は虫食い状態になり茶色に変色する。それが、写実的に描かれ、さらに昆虫たちの動きを鮮やかに引き立てている。植物と昆虫の相互関係が描かれるバイオロジー(生物学)が表現されている作品。まさに、バイオアートの世界だ。ここで足が止まってしまい、残り時間は25分となった。急ごう。

   次に足を止めたのは水墨画「象と鯨図屏風」だった。屏風の右に「ねまり」(座り)のゾウ=写真・下・図録「若冲と光瑤」から=、左に「潮吹き」のクジラ、陸海の巨大な動物を対比させるダイナミックな構図だ。図録には作品は寛政7年(1795)とあり、若冲が80歳ころのものだ。「人生50年」の当時とすれば、若冲は仙人のような存在ではなかっただろうか。にもかかわらず、ゾウの優しい眼の描きぶりからは童心のような動物愛を感じさせる。そんなことを思いながら、60分間の若冲の世界はあっという間に過ぎた。

   帰宅中の自家用車の中でふと思った。動物愛は実際に見たり触ったりして愛情が育まれるものだ。クジラは日本近海にいるので別として、若冲はゾウを実際に見たのだろうか。インターネットでゾウの日本上陸の歴史を検索してみる。長崎県庁文化振興課が運営するサイト「旅する長崎学」に以下の記述があった(要約)。8代将軍吉宗が注文したゾウは享保13年(1728) 6月、唐船に乗って長崎に到着。ベトナム生まれのオスとメスの2頭。メスはまもなく死んで、翌年3月オスは長崎街道を歩き江戸へと向かう。4月に京都に到着。「広南従四位白象」という位を授かったゾウは中御門(なかみかど)天皇と謁見した。

         このとき、京生まれの青物問屋のせがれだった若冲は13歳。京の街を行進して御所に向かうゾウの様子を実際に見物したに違いない。白いゾウのイメージはここで得た。「ねまり」はどうか。拝謁したゾウは前足を折って頭を下げる仕草をし、天皇を感動させた(「ウィキペディア」)とある。当時、ゾウが座して頭を下げる姿は京の街中にうわさが広がって、若冲はゾウの姿のイメージをさらに脳裏に焼きつけたのではないだろうか。このダイナミックな構図はそうした原体験から創作されたのではないのか、と想像した。

⇒19日(木)朝・金沢の天気    はれ

☆風は回る

☆風は回る

   風車にこれほど近づいたことはなかった。ゴッー、ゴッーと轟音が響かせ、ブレイド(羽根)が回っている。ここは能登半島の尖端、30基の大型風車がある「珠洲風力発電所」だ。2008年から稼働し、発電規模が45MW(㍋㍗)にもなる国内でも有数の風力発電所という。

   発電所を管理する株式会社「イオスエンジニアリング&サービス」珠洲事務所長、中川真明氏のガイドで見学させていただいた。ブレイドの長さは34㍍で、1500KW(㌔㍗)の発電ができる。アメリカのGE社製だが、最近は2MWや3MWのブレイドもあり、日本でも日立製作所が製造している。材質はFRP(繊維強化プラスチック)。発電の仕組みを教わった。風速3㍍でブレイドが回りはじめ、風速13㍍/秒で最高出力1500KWが出る。風速が25㍍/秒を超えると自動停止する仕組みなっているそうだ。羽根が風に向かうのをアップウインドー、その反対をダウンウインドーと呼ぶのだという。

   なぜ能登半島に立地したのか。しかも、半島の尖端に。「風力発電で重要なのは風況なんです」と中川氏。強い風が安定して吹く場所であれば、年間を通じて大きな発電量が期待できる。中でも一番の要素は平均風速が大きいことで、6㍍/秒を超えることがの目安になる。その点で能登半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件なのだ。1500KWの風車1基の発電量は年間300万KW。これは一般家庭の8百から1千世帯で使用する電力使用量に相当という。珠洲市には1500KWが30基あるので、珠洲市内6000世帯を使用量を十分上回る。

   いいことづくめではない。能登半島で怖いのは冬の雷。「ギリシアなどと並んで能登の雷は手ごわいと国際的にも有名ですよ」と中川氏。羽根の耐用年数は15年とされるが、「なんとか20年はもたせたい」とも。ただ、雷のほかに、黄砂や空気中のほこりで汚れる。全国では2200基本余り、石川県では71基が稼働している。最近では東北や北海道で風力発電所の建設ラッシュなのだそうだ。

⇒11日(水)午前・金沢の天気    くもり

  

★朝焼けのニッポン

★朝焼けのニッポン

   ワールドカップ決勝トーナメント・日本対ベルギー戦をNHKの生中継で観戦した。後半3分の原口のシュートがゴールに刺さり先制。さらに、同7分の乾のシュートがゴールに吸い込まれる。2点先制、これで初戦突破は間違いないと高揚感がみなぎってきた。

   ふと窓のカーテンを見ると赤く染まっていた。窓を開けると東の山並みが朝焼けでくっきりと浮かび神々しさを感じた=写真=。朝4時20分ごろだった。しばらく眺めていてソファに戻ると、後半24分でベルギー側からのヘディングシュートがゴールキーパー川島の頭上を越えてゴール。さらに同29分にもヘディングシュートをたたき込まれて同点に追いつかれた。その後、本田が投入され、一進一退の攻防が続いた。延長戦が目前に迫った後半49分にカウンター攻撃から決勝ゴールを決められた。

   グループリーグ第3戦の対ポーランドとの試合(6月28日)では、0-1でリードを許しながら、後半40分ごろから攻めることなくボールを回し続けた。自力突破で勝ち点を狙わず、警告数の差のみで決勝トーナメント進出を狙う。こんな試合運びでよいのか、サムライならば勝負に出るべきではないのか、などともどかしさを感じたこともあった。そして、きょうの決勝トーナメント第1戦。世界ランキング61位の日本が同3位のベルギーに立ち向かったのだ。

   日本は逆転負けを喫し、初のベスト8入りは果たせなかった。海外のメディアはこの一戦をどう評価したのか。イギリスBBCテレビのWeb版には以下の記載があった。

  ”Japan will regret the last two minutes because they threw everything forward and they were a little bit too open at the back,” said BBC One pundit Jurgen Klinsmann, a former Germany international. “In the 94th minute, the players are tired and they are thinking about extra time, and that is when mistakes happen.” (BBC解説者で元ドイツ代表監督のユルゲン・クリンスマン氏は「日本は最後の2分間を後悔するだろう。すべてを前方に持ってきて、後方がやや空きすぎだった」「(試合開始から)94分台になると、選手は疲れているし、延長のことを考える。ミスはその時に起きるのだ」と話した)

    後半戦で日本は鮮やかに先制したが同点に追いつかれ、最後の2分間の油断で負けた、ということか。冷静な分析かもしれない。そういえば、朝焼けにはジンクスがある。きれいな朝焼けの日ほど後半は雨が降る、と。

⇒3日(火)朝・金沢の天気  はれ時々くもり

★「米粉 金時豆パン」の話

★「米粉 金時豆パン」の話

    金沢市内のスーパーで見つけた、最近お気に入りのパンがある。「米粉 金時豆パン」=写真=。金時豆はほの甘く、米粉のしっとり感となんともマッチしていて、つい、2、3個と買ってしまう。1個180円。還暦を過ぎて「豆パン」に入れ込むとは思ってもみなかった。では、これが米粉ではなく、小麦粉だったらどうだろうと考えてみる。

    小麦粉にはタンパク質のグルテンがあるので、出来上がりにはふっくら感がある。でも、金時豆との帳合い(バランス)を考えると米粉のしっとり感が味覚的にはあっているだろう。小麦粉パンだったら、レーズンの方が合っているような気がする。「米粉 金時豆パン」はあんパンほど甘くなく、金時豆の存在感を引き立てている。そんなストーリーを描いている。個人的な好みかもしれないが。

    米粉と言えば、以前、大学で講義をしていただいたパテシエの辻口博啓氏からこんな話を聞いたことがある。辻口氏の米粉を使ったスイーツは定評がある。当初、職人仲間から「スイーツは小麦粉でつくるもので、米粉は邪道だよ」と言われたそうだ。それでも米粉のスイーツにこだわったのは、小麦アレルギーのためにスイーツを食べたくても食べれない人が大勢いること気が付いたからだ。高齢者やあごに障害があり、噛むことができない人たちのためのスイーツもつくっている。辻口氏は能登半島の七尾市生まれ。実家はもともと和菓子屋を営んでいて、抵抗感もなくスイーツの業界に入った。

    辻口氏のエピソードと似た話をもう一つ。洋食のオムライスの発祥の地は大阪・浪速と言われる。1925年、通天閣が見える繁華街で洋食屋を開業した20代の料理人が、オムレツと白ご飯をよく注文する客がいることに気が付いた。客は胃の具合が悪いのだという。そこで、同じいつもメニューではかわいそうだと、マッシュルームと玉ねぎを炒めて、トマトケチャップライスにしたものを薄焼の卵でくるんで「特製料理」として提供した。すると客は喜んで「オムレツとライスを合わせて、オムライスでんな」と。これがきっかけで「オムライス」をメニュー化したのだという(「宝達志水町ホームページ」より)。料理人は北橋茂男氏(故人)、能登の人だった。生まれ故郷の宝達志水町では毎月23日を「オムライスの日」と定め、「オムライスの郷」プロジェクトを進めている。

   能登には人に気遣いをする文化風土があり、「能登はやさしや土までも」との言葉が江戸時代からある。ユネスコの無形文化遺産にも登録されている能登の農耕儀礼「あえのこと」は、目が不自由な田の神様を食でもてなす行事だ。そう考えると、食文化は「うまさ」というより、作り手の「やさしさ」から生まれるのかもしれない。

⇒21日(月)朝・金沢の天気     はれ

★「テレビ広告」終わりの始まりなのか

★「テレビ広告」終わりの始まりなのか

    「テレビ局は果たしていつまでもつのか」「護送船団方式と言われた時代が懐かしい」「テレビの広告収入はあと数年でネットに抜かれる」・・・。最近テレビ業界の関係者から、憂いなのか愚痴なのかこんな話をよく聞く。どうやらその「震源」は広告代理店「電通」が発表している調査リポート「2017年 日本の広告費」にあるようだ。

    遅ればせながら、2月に発表された調査リポートを読んでみる。日本の広告費は景気の上向きを反映して6年連続でプラス成長、総広告費は6兆3907億円(前年比101.6%)なのだ。ところが、テレビ業界の人たちが危惧するように、地上波テレビへの広告費は1兆8178億円と昨年比98.9%となっている。とくにスポット広告(同98.8%)は勢いはなく、一部の業種では増加したものの、全体としては低調。地域別では全32地区中27地区が前年実績を下回った。名古屋と福岡、長崎、熊本、大分の九州4地区の除けば、ローカル局の下落が顕著になっている。全体として「西高東低」の状況で、各地ばらつきはあるものの、長野県(民放4局)の場合は前年比マイナス5ポイント、当地の石川県(同)ではマイナス3.5ポイントだ。

    それに比べ、インターネット広告費は勢いがある。媒体費と広告制作費は1兆5094億円で前年比115.2%だ。調査リポートは「前年に続き、動画広告が拡大。生活者のモバイルシフトが進み、メディアやプラットフォーマー側で動画広告メニューの拡充が行われた結果、市場が順調に拡大した。特に、運用型広告領域においては、モバイル向け動画広告が活況を呈し、成長をけん引した」と分析している。つまり、スマホの普及で手元で動画が見れるようになったトレンドを背景に、特定のユーザーに絞って広告を配信する「ターゲティング広告」の機能が向上し、広告主は効率的な広告運用が可能になっている。最近では、AIを活用して自動入札を行う広告主や代理店もいる。テクノロジーの進化が、ネットの広告市場を押し上げているのだ。冒頭の「テレビの広告収入はあと数年でネットに抜かれる」も間近になってきた。

           地上波テレビへの広告費は1兆8000億円と、広告全体のシェア28%を誇る、ある意味で最強のマスメディアとも言える。視聴率が正確性や公平性を担保するカタチで各テレビ局への分配の目安を担ってきた。ところが、広告媒体としてネットによる動画配信サービスなどが急成長している。これまでの広告宣伝は、マス(視聴者全体)へのアピールだけで役割が事足りてきた。AIなどのイノベーションにより、ネットでは一人ひとりのユーザーの特性に応じた「ターゲティング広告」が普通になってきた。さらに最近では消費者行動がシップス(SIPS)と称される、Sympathize(共感する)、Identify(確認する)、Participate(参加する) Share&Spread(共有・拡散する)のSNS時代を象徴するような動きが広がっている。マス広告からターゲティング広告へと加速する中で、地上波テレビ、とくにローカル局の経営戦略はどこに向かっているのだろうか。

    ちなみに、マス広告のさきがけである新聞広告費は5147億円(前年比94.8%)。新聞社は最近、ニュースをいち早くWeb版にアップロードするなどデジタルコンテンツにシフトする「デジタルファースト」の動きを加速させている。テレビ局も放送とネットの同時配信を加速、深化させるのか。マスメディアは大転換の時代に入ってきた。

⇒16日(水)朝・金沢の天気    はれ

    

☆季節は移ろう、庭の花

☆季節は移ろう、庭の花

     庭先を眺めると、いまでも今年2月のあの大雪を思い出す。屋根から落ちてきた雪が軒下いっぱいに積もった。あれから3ヵ月、季節は移ろい自宅の庭は花盛りだ。

     イチリンソウ=写真・上=は「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と称されるように、早春に芽を出し、白い花をつけ結実させて、初夏には地上からさっと姿を消す。春の一瞬に姿を現わし、可憐な花をつける様子が「春の妖精」の由来ではないだろうか。1本の花茎に一つ花をつけるので「一輪草」の名だが、写真のように一群で植生する。ただ、可憐な姿とは裏腹に、有毒でむやみに摘んだりすると皮膚炎を起こしたり、間違って食べたりすると胃腸炎を引き起こすといわれる。手ごわい植物なのだ。

     タイツリソウ=写真・中=は「鯛釣り草」と書く。面白い名前だ。花が枝にぶら下がった姿が何匹もの鯛が釣り竿にぶら下がった様子に似ていることからその名が付いたようだ。姿だけではなく、花の形も面白く、ピンクのハート形。そのせいか、ネットで検索すると花言葉は「心」に関係するものが多く、「恋心」「従順」「あなたに従います」「冷め始めた恋」「失恋」などいろいろと出てくる。実にイメージを膨らませてくれる。

     大物も咲き始めた。天に向けて咲くオオヤマレンゲ=写真・下=は「ウケザキオオヤマレンゲ(受咲大山蓮華)」との名前がある。花径は12㌢から15㌢あり、甘く芳香性のある白い花だ。私はむしろ「つぼみ」に気品を感じる。「まもなくデビューします」と言わんばかりの凜とした立ち姿は、出番を待つバレリーナのような姿だろうか。

     政治や外交と違って、自然の花を見ながら膨らませるイメージに罪はない。だから、ちょっとした気休めになる。

⇒1日(火)朝・金沢の天気     はれ

★「ペンタゴン・ペーパーズ」と報道の自由

★「ペンタゴン・ペーパーズ」と報道の自由

    輪転工場での鉛のにおいが立ち込めるような、見覚えのある懐かしいシーンが随所に出てきて印象に残る映画だった。きょう27日鑑賞した『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(スティーブン・スピルバーグ監督)はエンターテイメントではなく、社会派、そして実録映画なので話の流れが硬い、しかし少し涙がうるんだ。

   映画は1971年の「ワシントン・ポスト」紙の編集現場。今と違って当時はローカル紙だった。映画では、冒頭に述べたように鉛を使った活版印刷の輪転工場の様子や、編集局で作成した原稿や写真を筒に入れて制作現場に送るエアシューターが出てくる。私は1978年入社の元新聞記者なので、その当時の新聞社の現場が映画でリアルに再現されていて、つい身を乗り出してしまった。このワシントン・ポストが社運をかけた取り組んだのが、「アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史 1945-1967年 」という調査報告書(最高機密文書)を記事として掲載するか、どうかの実録のドラマだった。最高機密文書はペンタゴン・ペーパーズとも呼ばれ、国防長官ロバート・マクナマラが指示してつくらせた歴代大統領トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンのベトナム戦争に関する所感などとまとめた調査報告書だが、歴代の大統領はアメリカの軍事行動について国民に虚偽の報告したとする内容が含まれていた。

    「ニューヨーク・タイムズ」紙が6月13日付でスク-プ記事を出し、それを追いかけるようにワシントン・ポストも最高機密文書を入手する。ただ、タイミングが悪かった。社主で発行人の女性経営者キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が株式公開に動き出している最中だった。ニューヨーク・タイムズの記事は、6月15日にはニクソン政権によって国家機密文書の情報漏洩であり、国会の安全保障を脅かすとして連邦裁判所に記事の差し止め請求が出され、実際に法的な措置が取られた。

    後追いでペンタゴン・パーパーを入手したワシントン・ポストは6月18日付で記事にするか、しないかと決断に迫られた。ニューヨーク・タイムズと同様に記事が差し止めになれば株式公開、どころか経営が危うくなる。同社の顧問弁護士たちも記事掲載に反対した。そもそも4千ページにも及ぶ最高機密文書を入手からわずか一日で掲載することに、果たして精査された記事と言えるのかといった経営上層部からも懸念が発せられた。編集現場のトップ、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は抵抗する。「We have to be the check on their power. If we don’t hold them accountable — my god, who will?」(権力を見張らなくてはならない。我々がその任を負わなければ誰がやす?)と。

    最終判断は、社主で発行人のキャサリン・グラハムが下した。「ワシントン・ポストは祖父の新聞だった。そして夫の新聞だった。今は私の新聞」と言い、「私が決める」と掲載を決断する。ニューヨーク・タイムズが差し止め命令を受けた後にペンタゴ・ペーパーズを報道した最初の新聞となった。連邦裁判所はワシントン・ポストに対して政権側の訴えを却下した。さらに、同紙が後追いしたことで、6月30日、最高裁判所はニューヨーク・タイムズの差し止め命令を無効と判断した。ペンタゴ・ペーパーズを公表したことは公益のためにであり、政府に対するメディアの監視は報道の自由にもとづく責務であるとの判決理由だった。

    鑑賞を終えて、ふと思った。ワシントン・ポストの社主で発行人が女性ではなく、男性だったらどう判断しただろうか、と。おそらく「7:3」で掲載却下となっていたのではないか。男性はどうしても経営リスクの回避を優先するのではないか。では、なぜキャサリン・グラハムは掲載を決断したのか。おそらく、女性として、母親として、アメリカの若者たちをこれ以上、戦況が悪化するベトナムに送り込めないとの本能的な思いと、ジャーナリズムの社会的な使命への思いが合致したのかも知れない。

    映画のシーンでも、キャサリン・グラハムが孫たちに寄り添う姿がある。スティーブン・スピルバーグ監督の映画制作の意図はひょっとしてここにあるのか、とも思った。キャサリン・グラハムの判断が、その後にワシントン・ポストを一流紙の座へと押し上げた。

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