⇒トピック往来

☆大前研一氏が説くAI時代の「新・教育論」 金沢の私学と連携

☆大前研一氏が説くAI時代の「新・教育論」 金沢の私学と連携

  経営戦略のコンサルタントで知られる大前研一氏のメールマガジン『Aoba-BBT BUSINESS REVIEW』 を読ませてもらっていて、何度かこのブログで記事を紹介している。2024年1月19日付で、能登半島地震で水道が断たれた被災地で重宝されている「水再生装置を用いたシャワーセット」を開発したベンチャー企業「WOTA(ウォータ)」(東京)についての記事(同1月12日付)を紹介した。普通のシャワーは100㍑だと2人しか浴びられないが、同社が開発した「WOTA BOX」は100人が浴びられる。このことをテレビで知った大前氏は同社CEOに連絡した。「私が彼に電話をすると、彼はまだ能登におりましたので、私はその施設を一つ寄付するので本当に必要とするところに置いてあげてくれと伝えました」「一刻も早く、彼らの技術で困っている(世界の)多くの人々を助けてくれることを願っています」

  メールマガジンの中では理路整然と酷評するとのイメージがある大前氏だが、被災者の気持ちに寄り添ったこの記事内容に別の一面を見た思いだった。その大前氏が創業した教育関連企業「Aoba-BBT」が金沢市のミッション系スクールとして知られる北陸学院と業務提携を結ぶことになったと、地元メディア各社が報じている。大前氏は1998年に株式会社「ビジネス・ブレークスルー」を設立し、インターネットを介して学ぶオンライン大学やインターナショナルスクール、社会人向けのリスキリング(学び直し)スクールを運営。2023年10月に社名を「Aoba-BBT」として、これまでの社会人向けの実践的マネジメント教育に加え、幼児教育から高等学校課程までの国際教育を加えた。

  北陸学院は1885年に創設された石川県内で歴史ある私立学校で、幼稚園から大学までキリスト教の理念に基づく教育を一貫して行っている=写真・上=。今後、少子化が進む中で生き残り策として、国際的に通用する教育プログラム「国際バカロレア(IB)」を導入するため、グローバル人材の育成に経験豊富なAoba-BBTと業務提携を結ぶことになった。IBを通じて世界を学ぶと同時に、カリキュラムを取得すると海外の大学の入学資格になるメリットもある。

  大前氏はメールマガジン『Aoba-BBT BUSINESS REVIEW』の中で、「新・教育論」と題して述べている=写真・下=。日本の学習指導要領は10年ごとの改変だが、フィンランドなど北欧は3ヵ月ごとに改変している。世界はAI時代になりテンポが速くなっているのに日本の教育はこれでいいのか、と。さらに、偏差値に生徒たちが縛られ、それが自分の人生のように思い込んでしまっていることも多い。21世紀に求められる教育は、AIには再現できない構想力と質問力、そして多様な環境に柔軟に対応するためのリーダーシップだ、と。北陸学院の新たな教育プログラムに大前氏の「新・教育論」のコンセプトが活かされることを期待したい。

⇒26日(水)夜・金沢の天気     くもり

☆能登で来年トキ放鳥へ 問題は場所選び、地域それぞれにトキへの想い

☆能登で来年トキ放鳥へ 問題は場所選び、地域それぞれにトキへの想い

  今季2度目の「最強・最長の寒波」はピークはいったん過ぎたようだ。きょうは断続的に雪は降っていたものの、晴れ間ものぞいた。昨夜からきょう夕方の金沢の自宅周辺の積雪は10㌢ほどだろうか。しかし油断大敵で、金沢地方気象台の予報によると、あさって21日から再び強い寒気が流れ込み、3連休にかけて平野部でも大雪になる可能性があるとのこと。春が待ち遠しい。

  残念なこともあった。能登半島の七尾市で温泉旅館を経営する知人がヒートショックで亡くなった。地元メディア各社の報道によると、17日夕方に和倉温泉総湯で入浴中に意識不明の状態で見つかり、急逝した。73歳だった。外の寒気と総湯の湯の温度差から血圧が上昇・降下して、心筋梗塞などが発生したのかもしれない。10数年ほど前、学生たちと「能登スタディツアー」で訪れたのがきっかけで、以降何度かお会いした。前向きな発想をする人で、能登地震で被災した自らの旅館の再建を進めるかたわら、能登の震災復興プロジェクトのリーダーとして旗振り役を担う、存在感のある人だった。冥福を祈る。

  話は変わる。今月15日付のブログで、環境省は国の特別天然記念物トキの能登での放鳥を2026年度上半期をめどに行うことを決めた、と述べた。能登は本州最後の一羽のトキがいたところ。トキの放鳥が来年と決まったことで、テンションを高めているのは石川県庁かも知れない。きょう用事があり県庁に行くと、1階ロビーに「祝 放鳥決定! 令和8年度 能登地域でのトキ放鳥」と大きな懸垂幕が掲げられていた=写真=。懸垂幕の上部にはトキが羽ばたく様子が描かれている。

  環境省では来年6月上旬ごろの放鳥を目指している。これから大きなテーマとなるが細長い能登半島のどこで放鳥するか、だろう。地元メディア各社の報道によると、ことし7月ごろまでに具体的な場所を、県と能登9市町などが選定する。この場所選びが難題だ。

  本州最後の1羽だったオスのトキ、愛称「ノリ(能里)」は1970年1月に能登半島の穴水町で捕獲され、繁殖のため新潟県佐渡のトキ保護センターに送られた。しかし、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。このような経緯があるので、穴水町では捕獲された場所で放鳥してほしいと主張するだろう。また、半島尖端の珠洲市の粟津地区には10年ほど前から佐渡で放鳥されたトキが飛来している。半島の中ほどにある眉丈山はため池が多くあり、ふもと中能登町や羽咋市には水田が広がる。1961年の記録で5羽のトキが確認されている。志賀町には毎年コウノトリが飛来して営巣が確認されているので、トキにも来てほしいとの想いがあるだろう。能登の人たちには地域それぞれにトキに対する思い入れがある。

  放鳥場所をどう選定していくのか。去年元日の地震で道に切れが入り、餌場とする水田に水を供給するパイプラインが破裂したところも相当ある。県のテンションの高さをリーダーシップとして、トキ放鳥の場所選定に活用してほしいものだ。

⇒19日(水)夜・金沢の天気    ゆき

☆「トキが舞う能登」を震災復興のシンボルに 環境省が本州で初の放鳥へ

☆「トキが舞う能登」を震災復興のシンボルに 環境省が本州で初の放鳥へ

  きょうの金沢は朝から晴天。予報だと、気温は10度まで上がった。そして、あす16日はさらに12度まで。雪国に住んでいるとうれしくなる数値だ。雪が溶けるから。朝8時ごろ、近所の人が一人、二人と出てきて、「積み雪くずし」が始まった。玄関の前などの除雪で積み上げた雪を今度は崩す作業だ。気温が10度に上がっても、積み上げた雪はそう簡単に溶けない。なので、スコップを入れてカタチを崩すことで、空気の熱が雪の表面に広く伝わり、溶けるのを加速させる。あるいは、太陽光で熱を帯びたコンクリートやアスファルトの表面に崩した雪を散らす。雪を溶かす作業は意外と楽しめる。

  話は変わる。環境省はきのうトキ野生復帰検討会を開催し、国の特別天然記念物のトキの放鳥を2026年度上半期をめどに能登地域で行うことを決めた(14日付・環境省公式サイト「報道発表資料」)。本州でのトキの放鳥は初めてとなる。環境省は本州における「トキと共生する里地づくり取組地域」にを目指す自治体を2022年度に公募し、能登と島根県出雲市の2地域を選定していた。今回のトキ野生復帰検討会で能登が野生復帰をするに足るだけの自然的、社会的環境と地域体制が着実に整備されていると認め、来年度の放鳥が正式に決まった。(※写真は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

  能登でのトキ放鳥は深いつながりがある。かつて、「本州で最後の一羽」と呼ばれたトキが能登にいた。「能里(のり)」という愛称で呼ばれていた。オス鳥だった。能登には大きな河川がなく、山の中腹にため池をつくり、田んぼの水を蓄えていた。そのため池にはトキが大好物のドジョウやカエルなどなどが豊富にいた。能登半島の中ほどにある眉丈山では、1961年に5羽のトキが確認されている。そのころ、田んぼでついばむエサが農薬にまみれていた。このため、1970年に能里が本州で最後の一羽となる。当時、新潟県佐渡には環境省のトキ保護センターが設置させていて、能里は人工繁殖のために佐渡に送られた。ところが、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。

  こうしたいきさつから能登ではトキへの思い入れがあり、石川県と能登9市町は環境省の本州でのトキ放鳥に熱心に動いてきた。国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げている、県は能登でのトキの放鳥に向けた「ロードマップ」案を独自に作成。トキが生息できる環境整備として700㌶の餌場を確保するため、化学肥料や農薬を使わない水田など「モデル地区」を設けて生き物調査を行い、拡充を図っている。こうした取り組みが環境省で評価され、能登での放鳥の段取りがスムーズに進んだようだ。

  能登半島地震の災害からの復興のために石川県が提示した『創造的復興リーディングプロジェクト』の13の取り組みの中に、「トキが舞う能登の実現」が盛り込まれている。トキが舞う能登を震災復興のシンボルとしたい。その思いが動き出す。

⇒15日(土)夜・金沢の天気     はれ

☆大の里の大銀杏と化粧まわし 郷土のゲートウェイ飾る新たな等身大パネル

☆大の里の大銀杏と化粧まわし 郷土のゲートウェイ飾る新たな等身大パネル

  JR金沢駅の観光案内所には石川県の郷土力士の等身大パネルが設置されている。そのパネルの一つ、大関の大の里のものがきのう一新されたと地元メディアで報道されていたので、さっそく見に行った。等身大パネルは石川県観光企画課が設置しているもので、JR金沢駅のほか小松空港と能登空港にも置かれている。大の里(津幡町出身)のほか、遠藤(穴水町出身)、輝(七尾市出身)、欧勝海(津幡町出身)のパネルも並んでいる。

  今回新しくなった大の里のパネル=写真・上=と、これまでのパネル=写真・下、去年7月撮影=を比べてみる。大きく2点が異なる。一つは髪型の大銀杏の姿だ。これまでのパネルはざんばら髪だった。2023年12月に展示され、同じ年の秋場所で十両に昇進したときのものだ。2024年の夏場所からはちょんまげで土俵に上がり、同年の秋場所で2回目の優勝を果たして大関昇進を決めた。以降も髪型は変わらず、「ちょんまげ大関」と呼ばれていた。史上最速と称されたスピード出世に髪の伸びが追いつかなかったのかもしれない。大銀杏の姿を披露したのはことし1月の初場所だった。

  前のパネルと異なるもう一つが化粧まわし。これまでのものは青色を基調としたもので、ロゴには「上を目指す」「一番を」などの意味が込められていた。今回のパネルでは、墨絵で描かれたような龍の図柄だ。所属する二所ノ関部屋のX(旧ツイッター)によると、足立美術館に所蔵されている作品で横山大観の『龍興而致雲』(りゅうおこりてくもいたす)。「龍は雲を得て天を目指す」という意味で、乱雲と雷鳴の中でごつごつとした岩肌にもめげず激しい動きを見せる龍の気迫が表現されている作品という。確かに、並んでいる遠藤、輝、欧勝海と比べても、大の里の体は大きく、龍のような力強さを感じさせる。ちなみに大の里の身長は192㌢、体重185㌔だ。大銀杏と化粧まわしで生まれ変わったような力士の姿ではある。

  2023年夏場所に幕下で初土俵を踏み、所要9場所で大関昇進。賜杯を2度抱いて、怒濤のスピード出世。24歳の本人は決して満足してはいないだろう。横綱になって、また新たな等身大パネルが故郷のゲートウェイを飾ることを期待したい。

⇒13日(木)夜・金沢の天気    くもり

☆江戸時代の能登にタイムスリップ 時空を超えて人々の心根に触れるオペラ

☆江戸時代の能登にタイムスリップ 時空を超えて人々の心根に触れるオペラ

  『能登奇譚』というオペラを鑑賞してきた。能登を舞台にした初めてのオペラという触れ込みもあり興味がわいた。きょう午後6時から石川県文教会館(金沢市)での2時間余りの公演だった。タイトルの「奇譚(きたん)」という言葉は日常で使う言葉でもないので、辞書やネットで意味を探ると「奇談」「不思議な言い伝え」と出てくる。ますます好奇心がわいて客席に着いた。
 
  時を超えるダイナミックなストーリーだ。主人公の能太(のうた)は不登校がちで頭を金髪に染めた14歳の男子中学生。教室で、今晩はキリコ祭りを見に行こうと話しているうちに気を失って、江戸時代の能登にタイムスリップする。170年余りの時を超えて能登のキリコ祭りで出会ったのが、大飯食らいで江戸に出て横綱になった阿武松緑之介。最初は、飯ばかり食べて相撲が上達しなかったため、親方から「お前は能登に帰れ」と言われ帰途に就く。が、「このままでは死んでも死にきれない」と一念発起して江戸に戻り、ひたすら稽古に励み、「天下に敵なし」と言われた横綱となる。花相撲で故郷に錦を飾った阿武松からそんな話を聞かされる。
 
  そして、「能登の親不知(おやしらず)」で知られた難所、曽々木海岸と真浦の断崖絶壁で道を開いていた麒山和尚と出会う。絶壁の海岸で命を落とす人が多くいた。近くの寺で禅修行をしていた和尚は、「何のために禅修行をしているのか」と悩み続けていたが、53歳のとき「寺で座るのも禅、安全な道を開くのも禅修行」と悟り、開道に必要な浄財集めの托鉢に奔走する。苦難の工事には西洋人の道具(ダイナマイト)を使っている、天狗のチカラを借りているといううわさも聞かされた。
 
  能太は能登に秘められた数々の物語を聴き、教室で目を覚ます。学校の仲間たちがいる。夢を見ていたのかと思ってふと手を見ると、夢の中で占い婆からもらったお守りを握っていた。そして能太の周りには江戸時代の人たちもいた。これでフィナーレとなる。ピアノやフルート、打楽器などによる生の演奏と歌や合唱と芝居が融合したオペラだった。原作と作曲、指揮は金沢在住の木埜下(きのした)大祐氏、そして時代考証は郷土史家の藤平朝雄氏が担当した。時空を超えて結びつく人々の絆と、そして「能登はやさしや土までも」といわれる能登のストーリーが忠実にそして見事に描かれていた。
 
⇒2日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆ 輪島塗の地球儀を万博で展示へ そもそも誰の発想だったのか

☆ 輪島塗の地球儀を万博で展示へ そもそも誰の発想だったのか

  前回ブログをチェックしてくれた知人から「日本列島の様子がよく見えない。その部分をアップした画像があったら見せてほしい」とのメールがあった。そこで再度、地球儀の画像を=写真=。パンフレットとビデオの説明によると、漆黒の地球儀に塗られた蒔絵と沈金によると金の明かりの部分は、人工衛星による撮影をベースにして制作されたもの。たとえば能登半島の北部、いわゆる奥能登では明かりの部分は明かりが少ない。また、朝鮮半島の北側の部分も暗くなっている。ここからも、忠実な描写であることが実感できる。

  この地球儀が大阪・関西万博で展示されることになった経緯を地元メディア各社が報じている。今月19日、万博の会場を訪れた石破総理が視察後の会見でこう述べた。「能登の輪島塗、地球儀もきょうはみることはなかったけどもここに来ないと見られないなというものがある。世界中の方々にそういう実感を味わっていただく」と地球儀を万博会場に展示する方針を明らかにした。伝統工芸である輪島塗を世界に発信することで、復興に向けて被災地を勇気づけていくという思いもあるようだ。また、万博協会も、この作品には対立や分断を超えて他者に思いを巡らすという思いが込められてるとして、万博の理念と合致すると判断した。去年12月に万博からの撤退を明らかにしたイランが出展を予定していたパビリオン内に展示する方向で調整しているようだ。

  それにしてもなぜ石破総理は輪島塗の地球儀を知っていたのか。石破氏は総理就任後の初の地方視察として去年10月5日に地震と豪雨の二重被災の輪島市を訪れている。このときに被害を受けた輪島漆芸美術館に立ち寄って地球儀を見学したのだろうか。そこで、きょう午前に同館に電話で確認した。「石破総理が漆芸美術館を訪れて地球儀を見られたことがありますか」と。するとスフッタは「石破さんはまだ来られたことがないです。岸田さんは首相だった去年9月19日に訪れて地球儀も見学されました」と返事だった。

  以下あくまで憶測だ。地球儀を万博で展示するという発想はもともと岸田氏のアイデアだったのではないだろうか。それを何らかのカタチで受け継いだのが石破氏だったのか。それにしても、万博展示を表明した石破氏のコメントは意味不明だった。「地球儀もきょうはみることはなかったけども」の部分だ。これを「自身もこれまで見たことはないけれども」に差し替えると意味が通る。ぜひ、万博展示の提案者として実物をぜひ見に来てほしいものだ。見ずして語るなかれ、だ。

⇒26日(日)夜・金沢の天気    はれ

★漆黒の地球に浮かぶ金の明かり 輪島塗「夜の地球」を大阪万博で展示へ

★漆黒の地球に浮かぶ金の明かり 輪島塗「夜の地球」を大阪万博で展示へ

  「漆黒」という言葉がある。真っ暗な状態を「漆黒の闇」と表現したりする。もともと漆で塗られた盆や椀などのつやのある黒さを表現する。その漆黒をベースに地球に見立てて制作された輪島塗作品がある。作品名は「夜の地球 Earth at Night」。この作品が大阪・関西万博(4月13日-10月13日)で展示されるとニュースで知り、おととい(23日)輪島市へ見学に行ってきた。

  作品は石川県輪島漆芸美術館で常設展示されている。同美術館は世界で唯一の漆芸専門の美術館で、輪島塗の伝統的な名品をはじめ、人間国宝や芸術院会員などの作品、アジアの漆芸作品なども所蔵している。「夜の地球」は正面入り口左側エントランスホールの特別展示室で公開されていた。高さ1.5㍍、重さ200㌔にも及ぶ地球儀。球体そのものは直径1㍍で、漆黒の地球に光るのは蒔絵や沈金で加飾され金粉や金箔で彩られた夜の明かりだ。地球儀そのももは直径1㍍で、周囲には東京、北京、ロンドン、ニューヨークの4都市の夜景パネルもある。輪島塗の漆黒と金の輝きの技で表現された宇宙に浮かぶ夜の地球、この幻想的な姿にロマンを感じたのは自身だけだろうか。(※写真は高さ1.5㍍の輪島塗地球儀。後ろの作品は画面右がニューヨーク、左はロンドンの夜景パネル=同館のポストカードより)

  「夜の地球」のパンフレットとビデオには製造工程が詳しく解説されている。制作は木地を作るところから加飾まで輪島塗技術保存会の職人37人が集まり、5年がかりで仕上げた。保存会会長の小森邦衛氏(髹漆の人間国宝)が陣頭指揮を執った。そもそも地球儀をつくるきっかけは、輪島市役所から「ふるさと納税」の寄付金で、輪島塗のブランド力を高める象徴的な作品を制作してほしいとの依頼だった。保存会で議論し、かつて創られたことがない、制作に困難なもの、国内外に通じる普遍性などをテーマに議論して地球儀をつくることになった。保存会では佐賀県武雄市を訪ね、同市に伝わる18世紀のオランダ製の地球儀を基に設計した。

  ビデオには球体の制作から始まる製造工程が紹介されている。材料は能登産のアテ(能登ヒバ)。薄板を曲げて接着し乾かす作業を繰り返し、大小295本の輪を6つのブロックに組む。それをろくろびきの技術者が丸く削り、中心軸に通して真球をつくる。球体に下地や中塗りを施した後、2回にわたり熱を加える。加熱すれば内側と外側の温度差や収縮が生じ、特殊な構造が壊れるリスクもあった。担当者は木材の乾燥施設で、状態を確かめながら数日かけて施設内の温度を最大70度まで上げ、球体を硬めた。仕上げは蒔絵と沈金。その表現には作り手の個性が出るものの、今回は試作を繰り返し、互いが歩み寄ることで統一感のある作品にたどり着いた。

  2022年春から輪島漆芸美術館に展示。去年元日の能登半島地震で美術館の展示用ガラスケースが割れるなどしたが、地球儀は数㌢動いたものの作品そのものに被害はなかった。ビデオで小森氏は「この地球儀は平和な世界になってほしいという思いを込めて制作した」とメッセージを発している。

⇒25日(土)夜・金沢の天気    あめ

☆能登震災をデジタルアーカイブに 復興へつなぐ「防災教育に」「未来へ」

☆能登震災をデジタルアーカイブに 復興へつなぐ「防災教育に」「未来へ」

  去年元日の能登半島地震と9月の記録的な大雨による避難者は合わせて145人(地震14人、豪雨131人)となっている(1月21日時点・石川県危機対策課調べ)。去年2月末の避難者は1万1400人余りだったが、その後に仮設住宅への入居も始まり、数はずいぶんと減った。そして公費解体なども進み、徐々にではあるが被災地の風景が変わりつつある。一方で思うのは災害の記憶の風化という現実だ。

  たとえば、新聞・テレビメディアによる被災地に関する報道の扱い。ことし元日には「あれから1年」の特集や特番があったが、それ以降は能登地震に関連する記事の扱いが小さく、そして掲載頻度も少なくなっているようにも思えるのだ。もちろん、地元メディアは連日のようにそれなりの扱いで報じているが。全国ニュースはいわゆる「トランプ2.0」に注がれていて、能登地震に対する日本人の記憶はこのまま薄れていくのではないか。

  そんな中で能登地震を映像や画像で残して将来につなげようという動きも出ている。地元メディア各社の報道(1月22日付)によると、被害やその後の復興の様子について、画像などで記録する「デジタルアーカイブ」のホームページが公開されているという内容だ。さっそくサイトをチェックした。「のと・きろくとまなびと」と名付けられたデジタルアーカイブだ。金沢大学の研究者などでつくる一般社団法人「能登里海教育研究所」(石川県能登町)がホームページで公開している=写真・上=。研究員や地域の人などが撮影した写真があわせて35点あり、撮影した日付のほか場所が地図で示されている。

  見る側のサイドに立った工夫もされていて、たとえば発災当時とその後の様子が比較できるようになっているものもある。能登町小木地区の九十九湾沿いの写真は、地震の翌日に撮影されたものと11ヵ月後に撮影されたものが掲載されていて、比較できるようになっている。直後の画像には陥没した海岸線に車が何台も落ちている様子がリアルに映っていて=写真・下=、自身も見るのが初めてだった。このほか、ドローンで被災地の様子を撮影した写真などもある。今後も随時、写真や動画などを増やしていくようだ。

  このデジタルアーカイブをつくった狙いはタイトルにある「まなび」から分かるように、掲載された画像を学校での防災教育などで活用してもらうことを想定していて、申請などの手続きもなく、ダウンロードして利用できる。教育研究所らしい発想でつくられたものだ。

  こうした動きに触発されたのか、石川県もデジタルアーカイブに動いている。馳知事はきのう(23日)県庁での記者会見で、地震と豪雨の被災状況や復旧の記録を残す写真や映像、文書などの資料を2万点を収集していると説明。デジタルアーカイブとして今月29日にまず500点、年度内(3月末まで)に追加で500点を公開する。馳知事は「震災の経験と記憶を記録し、未来へつなげたい」と語っていた。

  能登地震の被災状況を未来につなげたい、学校教育に活かしてほしい、さまざまな想いを込めたデジタルアーカイブが動き出している。多様な視点でこの災害を人々の記憶にとどめるツールとしてさらに広まってほしい。

⇒24日(金)午後・金沢の天気    はれ

☆気候変動対策「パリ協定」さっそく離脱 「トランプ様が戻ってきた」

☆気候変動対策「パリ協定」さっそく離脱 「トランプ様が戻ってきた」

  トランプ氏がアメリカ大統領に就任し、ホワイトハウスに入ったとのニュースが流れていたので、ホワイトハウス公式サイトをチェックする。すると、トップページは「AMERICA  IS  BACK」のタイトルで左手で指さすトランプ氏の得意のポーズが映っていた=写真=。この公式サイトを含めホワイトハウスの模様替えが大変だったようだ。メディア各社の報道によると、前任のバイデン氏の退去からトランプ氏の入居までのタイムラグは6時間で、その間にすべての部屋を掃除し、新たな主(あるじ)が好む執務室にしつらえ、好みのカーテンや家具をそろえ、お気に入りのシャンプーや歯ブラシまで用意したようだ。まさに、「AMERICA  IS  BACK」は「トランプ様が戻ってきた」と読める。

  そのホワイトハウスでのトランプ大統領の初仕事の一つが、気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」から再び離脱すると発表し、大統領令に即日署名したことだった。パリ協定は2015年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で採択され、「産業革命前からの気温上昇を1.5度以内に抑える」という目標を掲げている。トランプ大統領は就任演説で「中国が平気で汚染を続けているのに、アメリカが自国の産業を妨害することはしない」と説明し、「不公平で一方的なパリ協定から即時離脱する」と宣言したのだった。第1次トランプ政権の2020年にパリ協定から離脱したが、2021年に就任したバイデン前大統領が初日に復帰。トランプ氏は大統領選でエネルギー開発の推進のため再離脱すると公約に掲げ勝利した経緯がある。

  EUの気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」は、2024年の世界の平均気温は初めてパリ協定の基準を超えて1.6度高くなったと発表した。徐々に進む気候変動はアメリカにも大きな被害をもたらしているとの指摘もある。今月中旬に発生したカリフォルニア州ロサンゼルス周辺の大規模な山火事について、NOAA(アメリカ海洋大気局)は「気温の上昇、干ばつの長期化、乾燥した大気などの気候変動が、アメリカ西部の山火事の危険性と範囲を増す重要な要因となっている」と述べている(1月14日付・BBCニュースWeb版日本語)。  

  この山火事について、トランプ氏はこれまでSNSなどでカリフォルニア州の知事(民主党)の不手際で被害が拡大していると、「知事の責任」を印象付けるかのように強調していた(同・読売新聞Web版)。本来なら大統領として山火事について気候変動の側面からも取り組むべきで、パリ協定と真摯に向き合うべきだと思うのだが。次に火の粉をかぶるのは自身ではないだろうか。

⇒21日(火)午前・金沢の天気     はれ

★能登の文化遺産の保護訴え 世界に広げるレジリエンス支援の輪

★能登の文化遺産の保護訴え 世界に広げるレジリエンス支援の輪

  歴史的建造物などの保存に取り組むアメリカの非営利団体「ワールド・モニュメント財団」(WMF・本部ニューヨーク)は16日付の公式サイトで、緊急に保存や修復が求められる「ウオッチ」(2025年版)のリストに能登半島地震で被災した能登地域の文化遺産を掲載している。その主旨をこう説明している。

「After a devastating earthquake in January 2024, restoring historic buildings in this hard-hit region can spur cultural, social, and economic recovery. Inclusion on the 2025 Watch will support the Noto Peninsula Heritage Sites’ transformation into a model for community resilience.」(意訳:2024年1月に発生した壊滅的な地震の後、この大きな被害を受けた地域の歴史的建造物を修復することで、文化的、社会的、経済的回復に拍車をかけることができます。ウオッチ2025への掲載は、能登半島の遺産がコミュニティのレジリエンスのモデルへと変貌するのを支援するものです)

  ウオッチ2025では世界各地の25の文化遺産に支援が必要と訴えていて、「Noto Peninsula Heritage Sites, Japan」はその一つ。能登のページに掲載している写真は、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されている輪島市門前町の黒島地区。被災した古民家が崩れかけている。黒島地区は江戸時代に北前船船主が集住した地区で、貞享元年(1684)に幕府の天領(直轄地)となるなど歴史ある街だ。幕府から立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝い始まった祭礼とされる「黒島天領祭」(8月17、18日)は連綿と続いていて、自身が大学の教員時代に学生たちを連れて何度も祭りに参加した。

  元日の震災後、現地を見たのは去年2月5日だった。黒島の中心にあった旧・角海家住宅(国の重要文化財)などは全壊の状態だった。かつて北前船が寄港した黒島の港は海岸が隆起して陸地となっていた。WMFが世界に呼びかけ、寄付金を募って危機にひんする能登の文化遺産を保護する支援するプロジェクトだ。被災地の文化遺産は時間とともにさらに劣化していく。世界に復興支援の輪が広がることを期待したい。

⇒17日(金)夜・金沢の天気     くもり