⇒トピック往来

★炎天下で参院選、石破総理あす能登で遊説 復興具体策どうする    

★炎天下で参院選、石破総理あす能登で遊説 復興具体策どうする    

きょうは参院選の公示日ながら、金沢の街中はえらく静かだ。そもそも選挙の争点が見えない。きのう(2日)午後、NHKで放送していた与野党の8党首による討論会(日本記者クラブ主催)を視聴したが、なんとなく見えた争点は、物価高対策として現金給付なのか消費税の減税なのか、だろうか。

「バラマキの2万円はいつ配るのか。財源は足りるのか」。国民民主の玉木氏は与党の現金給付案について自民の石破氏(総理)に突っ込みを入れた。これに対し、石破氏は野党の消費税減税案について、「恩恵を受ける対象が誰なのか重点化せずに減税するのは、むしろバラマキに近い」などと応酬していた(コメントは意訳)。石破氏は「一番重要なのは賃上げ」とも強調していた。

このやり取りを有権者の目線で見れば、自民の現金給付は一時的な家計支援であり、野党の消費税減税の方が国政選挙の争点として価値があるのではないか。それよりもっとスケール感のある与野党の論争を聴きたいものだ。たとえば、「身を切る改革」として、衆院と参院の二院制のそのものの是非論を争点にしてはどうか。(※写真は、参院選石川県選挙区のポスター掲示板。5氏が出馬し1議席を争うが、うち4人のポスターが貼られていた=金沢市泉野出町3丁目の金沢市総合体育館横、午後4時ごろ撮影)

きょうの地元新聞の5段広告で「明日7月4日 石破総裁来る! 石川能登の復興のために 街頭遊説13時45分~ 場所能登空港・第2駐車場」と掲載されている。能登の有権者は、能登復興の具体策をこの場でぜひ示してほしいと期待しているに違いない。

話は変わる。前回ブログで能登半島地震で被災した輪島市で最大のホテル旅館が閉鎖、その原因の一つが観光需要が見込めず、再建に向けた投資がままならないことだ、と述べた。以下、それを裏付けるような話。金沢国税局が今月1日に公表した2025年分の路線価(1月1日午前0時時点、平方1㍍当たり)によると、輪島市河井町の朝市通りは昨年比で16.7%減の3万5000円となった。地震前の評価だった前年は4.5%減だったので、地震で下落率が一気に拡大したことになる。この16.7%減は全国で最大の下落率だった(メディア各社の報道)。不動産需要を見いだし難い輪島の現状が数字として表れてきた。

もう一つ。石川県は去年1月1日からことし6月1日時点の県内の人口と世帯数の推移を発表した(今月1日)。輪島市は去年1月の2万1903人から2823人減り、1万9080人(減少率12.9%)。減少数は能登の9市町で最も多かった。地震による人口減少や観光客の入込数が見込めない状況がいつまで続くのか。暗い数字の話が続いた。

⇒3日(木)午後・金沢の天気  はれ

☆大の里横綱昇進パレードは沸き、チェロとワインに酔いしれる

☆大の里横綱昇進パレードは沸き、チェロとワインに酔いしれる

あの輪島以来52年ぶりに石川県から大相撲の新横綱に昇進した大の里関の祝賀バレードがきのう(29日)午後、出身地の津幡町で開催された。同町に住む親せきが自宅の2階から撮った写真を送ってくれた。オープンカーに二所ノ関親方と大の里関が乗り、こちらに向かって手を振ってくれている=写真・上=。1.2㌔のルートを30分ほどかけて進み、沿道の町民やファンが「おめでとう」「唯一無二」などと声援を送っていたようだ。祝賀パレードは去年夏場所の初優勝を記念して7月に催されていて、今回で2回目となった。

横綱昇進後、初めて故郷に凱旋した大の里関には栄誉も贈られた。パレードの到着点の町文化会館シグナスで報告会が開かれ、馳知事から県民栄誉賞が、矢田町長から町民栄誉賞がそれぞれ授与された。7月13日に初日を迎える名古屋場所でのさらなる奮闘を期待する声に、大の里関は「お祝いムードはきょうで終わり。あすから切り替えて稽古して、頑張りたい」と決意を新たにしていた(メディア各社の報道)。

きのう午後はコンサートに出かけた。金沢歌劇座で開かれた金沢交響楽団の第75回定期演奏会=写真・中=。同楽団は1972年に結成され、教員など様々な職業の社会人や主婦、学生らにより運営されているアマチュア・オーケストラ。今回の演奏曲はブラームスの『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲』、そしてドボルザークの『チェロ協奏曲』。オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)からプロのバイオリン奏者・坂本久仁雄氏、チェロ奏者・大澤明氏が入り、指揮者は山下一史マエストロがタクトを振るという、ある意味で豪華な演奏会だった。

ドボルザークのチェロ協奏曲は、独奏チェロの技巧的な美しさと、ドラマティックとも言えるオーケストレーションが印象的な名曲でもある。情感豊かに奏でられ、客席で酔いしれていた。

さらに酔いしれたのが、コンサートの終了後に金沢で開催されたワイン・セミナーに参加したとき。「オーパス・ワンとロバート・モンダヴィの世界」をテーマに、カリフォルニア・ワインを楽しみ学ぶ会だった。「ワインとは私にとって情熱である。そして家族、友人である。それはまた、温かい心、寛大な精神でもある」は、カリフォルニア州ナパ・ヴァレーを拠点にワイン造りに生涯を捧げたロバート・モンダヴィの名言だ。

そのロバート・モンダヴィがこだわって造ったワインが「オーパス・ワン」=写真・下=。カリフォルニアの季節外れの低温、タイミングの悪い雨、収穫直前の熱波などの難しい気候にめげずに造り続けるヴィンテージの豊穣なストーリーに耳を傾けながら味わった。ちなみに、オーパス・ワンは、音楽用語で「作品番号1番」。唯一無二のワインとの意味が込められているそうだ。

⇒30日(月)午前・金沢の天気  はれ

☆万博そぞろ歩き(続)・・万博のシンボルは巨大な大屋根リング

☆万博そぞろ歩き(続)・・万博のシンボルは巨大な大屋根リング

万博の作品はパビリオンの中だけではなく、外にも飾られている。中でも、「インド」パビリオンの前にある大きな手のオブジェが目立つ。合掌する青色と肌色の手だ=写真・上=。「ナマステハンド」と呼ばれている。インド人は会ったとき、そして別れの挨拶に合掌して、「ナマステ」と言葉を発する。ナマスは敬礼・服従するという意味で、テは「あなたに」の意味がある(Wikipedia「ナマステ」)。インドのお国柄を象徴するような作品だ。

外から大屋根リングを眺めると、大勢が歩いている。エスカレーターで高さ12㍍の屋上「スカイウォーク」に行き、楽しそうに歩いている様子が見える=写真・中=。リングの全長は2025㍍なので、1㌔をゆっくりめの15分で歩いたとして、30分ほどで一周する。来月7月28日夕方には、スカイウォークで7000人が参加して盆踊り大会が開かれるようだ。

そして、大屋根リングは巨大な休憩所のような雰囲気が漂う=写真・下= 。リングの下は歩ける交通空間であると同時に、雨風や日差しなどを遮る快適な滞留空間として利用されている。EXPO2025公式サイトによると、リングは「多様でありながら、ひとつ」という会場デザインの理念を表すシンボルとなる建築物、と評されている。そして、構造が神社仏閣などの建築に使用されてきた伝統的な貫(ぬき)接合の工法を加えた建築で、和の風格がある。

大屋根リングは、最大の木造建築物としてことし3月4日にギネス世界記録に認定された。正式な英語記録名は「The largest wooden architectural structure」。万博会場を回っていて、万博のシンボルと言われるものはなんだろうかと考えると、やはり大屋根リングだろう。1970年の万博では、芸術家の岡本太郎氏がデザインした、あの「太陽の塔」がシンボルだった。ただし、大屋根リングは万博終了後に一部を残して解体されることになっている(EXPO2025公式サイト)。つかの間の万博のシンボル、そしてギネス世界記録の建築物はさっと姿を消すことになる。個人的には、心に残ればそれでよい。

⇒27日(金)夜・金沢の天気    くもり

★万博そぞろ歩き(下)・・オーストラリア館前でワニ肉ロールを食す

★万博そぞろ歩き(下)・・オーストラリア館前でワニ肉ロールを食す

「未来の都市」パビリオンの入り口付近に日本の伝統的な文様とされる「なまこ壁」が見えた。「万博らしくないな」と思いながらよく見ると、「くら KURA」と書かれた暖簾(のれん)が掛かっていた。「くら寿司」だ。順番待ちの長い行列ができていたので、列には並ばなかったが、万博のくら寿司は特徴があるようだ。ネットによると、寿司のほかに、70ヵ国・地域を代表する料理を再現した特別メニューがあり、各国の駐日大使館から協力を得て、限りなく本場の味わい近いメニューを再現した、とある。リトアニアのシャルティバルシチャイは「冷たいボルシチ」と呼ばれ、見た目も鮮やかなビーツを使用したスープで、この暑さで人気のようだ。

ツアーの同行者から誘われ、チャレンジしたのがワニの肉。「オーストラリア」パビリオンの前にショップがあり、「クロコダイルロール」と赤ワインを注文した。説明書きには「ワニの切り身・ネギ・レモンマートルマヨネーズ・ブリオッシュロール」とある。値段は1650円。オーストラリア人らしき女性販売員から「ワニ、オイシイデスヨ」と片言の日本語で手渡された=写真・中=。少々ドキドキしながら口にした。ワニの肉は硬いイメージだったが、鳥肉のような柔らかさだった。そして、これがオーストラリア産の赤ワインとぴったりと合う。まさにマリアージュ。ちょっとした海外旅行気分も味わえた。

「宴ーUTAGE」という外食パビリオンでは、大阪外食産業協会が新しい外食の在り方を提案しているというので館内をのぞくと、外食チェーン店や老舗菓子店が万博限定メニューや試食を提供していた。そんな数々のメニューの中で「SDGs冷麺」が目を引いた=写真・下=。冷麺を食べたいが、食物アレルギーが気になるという人のための冷麺のようだ。小麦粉を使わずに米粉100%麺、グルテンフリー、アレルゲンフリー、トマトソース、スーフード、とある。値段は1180円。

SDGsには「誰一人取り残さない」という原則がある。それを食の世界でも進めるというのが、 「天下の台所」「食い倒れ」の大阪らしい発想なのかとも思った。

⇒26日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆万博そぞろ歩き(上)・・鼓動する「iPS心臓」に未来医療の可能性

☆万博そぞろ歩き(上)・・鼓動する「iPS心臓」に未来医療の可能性

あのパビリオンをぜひ見てみたいとの意識はなかったが、誘われるままに「万博見学ツアー」に今月23、24日の両日参加した。企画したのは金沢市内のある生産者団体。金沢から大阪の万博会場まではバスで移動し、休憩が数回入って5時間30分で到着した。梅雨の猛暑と騒がれていたので熱中症を心配したが、大阪は両日とも曇り空でにわか雨もあり、日中の最高気温も30度前後だった。

入り口は西ゲート。結論から言えば、来た甲斐があったと思ったのは、iPS細胞で創られた「小さな心臓」が鼓動する様子を見たときだった。円筒形の容器の赤い培養液の中でドク、ドクと動いている。人には五感というものがあるが、それが強烈に刺激されたような感覚に陥った。人には心と体がある。その生命の源(みなもと)は心臓だと改めて思うと同時に、鼓動するその姿は生命の神秘を感じさせる。(※写真・上は「PASONA」パビリオンで展示されている「iPS心臓」)

説明書きによると、この小さな心臓は大阪大学のチームが作成したもので、コラーゲンの土台にiPS細胞由来の心筋細胞を植え込み、3.5㌢ほどの原型をつくった。血液を循環させる本来の心臓のような機能はない。そういえば、大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だ。まさに、この小さな心臓はテーマそのものではないか。この作品展示を見た次世代を担う若者たちが生命の可能性を信じて、「iPS心臓」を完成させる未来がやってくるかもしれない、と想像を膨らませた。

万博会場に来て初めて気がついたことは、実にさまざま企業や法人・団体が新技術を用いて作品展示を行っている。その一つがロボット。「未来の都市」パビリオンで展示されている川崎重工業が開発した四足歩行ロボット「CORLEO(コルレオ)」=写真・下=は、2050年の移動手段をイメージして開発した乗り物で、山岳地帯など険しい道での走行を想定している。体を動かしていろいろなポーズを取っていたが、まるで未来世界の映画を見ているような光景だ。ぜひ乗ってみたかったが、残念ながらまだ試乗はできないとのこと。

iPS心臓や四足歩行ロボットを見て、ふつふつと未来社会のイメージが湧いてくる。それが万博の面白さかもしれない。

⇒25日(水)午後・金沢の天気   くもり

★のと・かが小話・・連日猛暑、金沢すいか、ドクターイエロー

★のと・かが小話・・連日猛暑、金沢すいか、ドクターイエロー

きのうきょうと金沢は猛烈な暑さだ。自宅近くの街路の温度計で35度、2日連続の猛暑だ=写真・上、22日正午すぎ、金沢市野田町の山側環状道路で撮影=。テレビニュースによると、金沢から南に位置する小松市ではきのう36.9度となり全国最高を観測、きょうも猛暑となっている。そして、石川県内ではきょう午後5時までに熱中症の疑いで11人が病院に搬送されたようだ。一方、能登半島の北部では午後から大気の状態が不安定となり、3市町(珠洲、穴水、志賀)には洪水警報が出された。ところによって1時間に30㍉の激しい雨が降る見込みで、金沢地方気象台では川の増水や土砂災害などに注意を呼びかけている。

早々と訪れた猛暑の日に合わせたかように、金沢市のJA販売所では「金沢すいか」の売り込みが始まっている。「夏到来 砂丘地より直送」との看板が出ていたので、店に入ってみた。Lサイズものでひと玉2200円。それにしても大玉だ。冷蔵庫に入るだろうかと思いながら見渡していると、4分の1にカットされた「カットすいか」=写真・中=が並んでいたので、これを2個買うことにした。1個780円。

金沢すいかは金沢港近くの砂丘地などで栽培されていて、ひと昔前までは「砂丘地すいか」などと呼ばれていた。それをブランド農産物として知名度を上げ、販路を広げようと生産者が奮闘しているようだ。この地域の農家では伝統野菜である「加賀野菜」の栽培も盛んで、サツマイモの「五郎島金時」や「加賀太きゅうり」、「源助だいこん」などがある。砂丘地だけに水の管理も大変だろうことは想像に難くない。

最近ちょっとした話題になっているのが、金沢市に隣接する白山市にある市立高速鉄道ビジターセンター「トレインパーク白山」で常設展示が始まった「ドクターイエロー」=写真・下=のこと。この黄色い列車は、走りながら線路のゆがみや電線の高さ、信号の動作などを細かく調べる役目を担っている。これらをチェックをすることで、新幹線が安全に走れるようなる。まるで医者の定期検診のような役目から、ドクター・イエローと呼ばれているそうだ。

白山市で常設展示されているのは東海道・山陽新幹線の点検車両として1979年に製造されたもので、2005年に引退した後は「リニア・鉄道館」(名古屋市)で先月まで展示されていた。ドクターイエローは運行ダイヤは不定期で、しかも非公表であるため、知る人ぞ知る列車でもある。このため、その黄色いボディは「幸運の黄色い新幹線」、「見ると幸せになれる」と鉄道ファンの評判を呼んでいた。きょう見学に行くと大勢の家族連れでにぎわっていた。3度目の鉄道人生を歩むことになったドクターイエロー氏、ようこそ北陸へ。

⇒22日(日)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

★のと・かが小話・・横綱大の里、コウノトリ、タチアオイ

★のと・かが小話・・横綱大の里、コウノトリ、タチアオイ

大相撲夏場所で4度目の優勝を連覇で飾り、横綱昇進を果たした大の里関を讃える祝賀ムードは故郷の石川県津幡町ではまだ熱い。町役場の入り口付近には「祝 横綱昇進 大の里関」「祝 幕内最高優勝 大の里関」の2本の懸垂幕が掲げられている=写真・上=。さらに庁舎の中には横断幕も飾られている。今月29日には町主催の祝賀パレードが行われる。パレードの後、文化会館シグナスで報告会が行われ、その後、町の町民栄誉賞、そして石川県の県民栄誉賞の授与式と続く。まさに、故郷に錦を飾ることになる。

ただ、大の里関にはちょっと不安もあるようだ。今月16日に二所ノ関部屋で稽古を公開した折にメディア各社のインタビューに答えていた。「29日に地元でパレードが行われるということで、石川県は雨がよく降るので、晴れてほしいな」と。日本気象協会「tenki.jp」公式サイトの予報では津幡町に隣接する金沢市の29日の天気は晴れ時々くもり、降水確率は30%となっている。ただ、北陸には「弁当忘れても傘忘れるな」との言い伝えがあるほど、予期せぬ雨に見舞われたりすることがある。大の里関はそのことが気になっているのかもしれない。

話は変わる。きのう(19日)能登半島の真ん中に位置する志賀町富来で4年連続で営巣するコウノトリを観察に行った。前回は今月10日だった。そのときは4羽のヒナが大きく成長していて、いつでも飛び立つぞ意気込んでいる様子だったので、もう巣立ちをしているかもしれないと思い、確認の意味で現地に向かった。コウノトリはまだいた。5羽確認できた。親鳥1羽と成長した幼鳥4羽。4羽のうち3羽は巣にいて、1羽は飛び立って近くの丘陵地にいた。そして、よく見ると幼鳥には個体識別用の足環を装着されていた=写真・中=。巣立ちを前に行政が付けたのだろう。コウノトリは国の特別天然記念物で生態が管理されている。

町の人も観察に訪れていた。「コーちゃんはずいぶん成長したね」と声をかけられた。「えっ、だれのことですか」と返すと、「コウノトリのことをコーちゃんと呼んでます」と。地元の人は身近に感じているのだとこのとき思った。そう言えば、前述の津幡町にもコウノトリが3年連続で営巣していて、町ではつがいの名称を公募し、オスをコウタ(幸多)、メスをコウリ(幸里)の愛称で呼んでいる。

富来のコウノトリを観察して山を下りた。すると、ふもとの水田は青々としていて、土手に直立するように咲いているタチアオイのピンクと赤の花が面と線の絶妙なコントラスを描いていた=写真・下=。梅雨の花のタチアオイが咲き誇っていた。

⇒20日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆能登半島の真ん中 10月5日にゆかりの一青窈コンサート

☆能登半島の真ん中 10月5日にゆかりの一青窈コンサート

能登半島の真ん中に中能登町(なかのとまち)がある。この町でコメづくりの歴史と文化に関する一大発見があった。1987年のことだが、「杉谷チャノバ タケ遺跡」という竪穴式住居跡から黒く炭化したおにぎりが発掘された。この化石(学術名「チマキ状炭化米塊」)は約2000年前の弥生時代のものと推定され、日本最古のおにぎりと話題になった。同町ではこの発見を記念して6月18日を「おにぎりの日」として定め、それがいまでは全国的に広がっているそうだ。

中能登町には、国の史跡「雨の宮古墳群」がある。眉丈山(びじょうざん・標高188㍍)の山頂にあるが、その山のふもとに一青(ひとと)という地名の水田地帯がある。そう、あの歌手で作詞家の一青窈さんの先祖の地でもある。彼女はこの町出身の母親と台湾人の父親との間で生まれた。前置きが長くなった。その一青窈さんがことし10月5日に開催される町祭に初めて出演することになった(今月17日付・地元メディア各社の報道)。

町祭は新型コロナ禍で2019年を最後に開催していなかったが、ことしは町制20周年でもあり音楽イベントとして6年ぶりに復活する。そのステージに町ゆかりの一青窈さんが立つことになった。今月16日に開催された町議会本会議の一般質問で町長が明らかにした(同)。

一青窈さんに対して町の人たちの思い入れを感じる。ヒット曲に『ハナミズキ』がある。中能登町では、JR西日本金沢支社に働きかけ、2015年にJR七尾線の駅で列車の接近を知らせるメロディーをこの曲に変更してもらった。町内にある良川、能登二宮、能登部、金丸などの7駅で、電車が通るたびにメロディーを聴くことができる。

そして同町には花見月(はなみづき)という地名の田園地帯がある。「づ」と「ズ」の違いはあるものの、発音は同じなので、『ハナミズキ』は母親の故郷にちなんだ曲なのかとも連想した。この件を町役場のスタッフに問い合わせたことがある。すると、「その話はこの地を訪れた人からよく尋ねられるのですが、以前ご本人に確認したところ、偶然ですという回答で、花見月を想定した曲ではないとのことでした」との返事だった。

6年ぶりに開催される町祭のステージ、町内外から注目が集まっているに違いない。とりとめのない話の流れになった。

⇒19日(木)夜・金沢の天気  はれ

★「酒蔵の科学者」農口杜氏に学ぶ 金沢大学生がコラボ酒 

★「酒蔵の科学者」農口杜氏に学ぶ 金沢大学生がコラボ酒 

このブログで何度か取り上げた日本酒の杜氏の農口尚彦氏は92歳にして現役だ。酒造りの手法は「神技」とも評される。日本酒の原料である米のうまみを極限まで引き出す技を使う。それは、米を洗う時間を秒単位で細かく調整することから始まる。米に含まれる水分の違いが、酒造りを左右するからだ。米の品種や産地、状態を調べ、さらには、洗米を行うその日の気温、水温などを総合的に判断し、洗う時間を決める。勘や経験で判断しない。これまで、綿密につけてきたデータをもとにした手法だ。

なので、農口杜氏は「酒蔵の科学者」とも評される。農口杜氏の酒蔵が「農口尚彦研究所」との名称なのも、このためだ。その研究所に、金沢大学の学生プロジェクトのメンバー14人が通い、酒造りの技術について研究を始めたのは去年1月だった。農口杜氏の指導で学生たちがチャレンジしたのは、有機米と伝統的な手法である「山廃仕込み」の組み合わせ。学生たちは農口杜氏の酒造りの技を数値化し、データ解析も行った。

去年12月には日本酒などの「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録され、酒造りに弾みがついたことは言うまでもない。その酒が初しぼりを終えて瓶詰され、今月10日にお披露目された(メディア各社の報道)。名称は「志(こころざし)」とし、金沢大学の和田隆志学長が揮毫した=写真・上=。あくまでも学生たちの学びを通した醸造なので、一般の酒店での販売はない。金沢大学の生協のみで販売されている。

このことをニュースで知って、さっそく生協に買いに行った。すると、大学関係者や市民からすでに40件の予約が入っていて、後日になるとのこと。手に入ったのは1週間経ったきょうだった。農口杜氏と学生たちのコラボレーションで造られた酒は720㍉㍑で税込み5500円。

 農口杜氏は学生たちとの相性がいい。自身が金沢大学で教員をしていたときに担当していた地域学の講義に、非常勤講師として酒造りをテーマに講義をお願いした。毎回自ら醸造した酒を持参して、講義の終わりには学生にテイスティングしてもらい、学生たちの感想に熱心に耳を傾けていた=写真・下=。農口杜氏はまったくの下戸(げこ)で飲めない。その分、飲む人の話をよく聴く。酒通だけでなく、学生や女性、そして海外から訪れた人からの客観的な評価に率直に耳を傾ける。それをノートにまとめ、「研究室」に積んでいる。チャレンジする学生たちの志とぴったりと合うのだ。さて、この「志」をいつ賞味しようか。

⇒17日(火)夜・金沢の天気   はれ

★能登復興テーマに対話集会 知事案「国際芸術祭を6市町で」

★能登復興テーマに対話集会 知事案「国際芸術祭を6市町で」

きのう14日、能登空港敷地内の施設で経済同友会(東京)が主催する、能登の復興に向けた対話集会「のとマルチセクター・ダイアローグ」が開催され、会員企業やNPO、自治体の関係者ら100人が参加し、「食」や「観光」、「復興拠点・アート」、「災害対応の訓練施設」など6つのテーマごとに分かれて話し合った(15日付・地元新聞各社)。

この中で、石川県の馳知事は、奥能登国際芸術祭を珠洲市の単独開催から震災で被害を受けた能登6市町(珠洲、輪島、能登、穴水、七尾、志賀)に広げる案を示した。今後、県議会での同意を踏まえて進め、開催時期に関しては「復旧復興に時間がかかっているので、タイミングを見ながら」としている(15日付・北國新聞)。(※写真は、奥能登国際芸術祭のシンボル的な作品、塩田千春氏作『時を運ぶ船』。能登地震での被災は免れた=2023年8月23日撮影)

奥能登国際芸術祭について、主催する珠洲市の泉谷市長は今月7日の実行委員会総会で、去年元日の地震や9月の「記録的な大雨」の影響から、来年予定していた開催を見送る意向を示していた。上記の知事提案はこれを受けたカタチで、国際芸術祭は一度は休止するものの、発展形として6市町に開催地を広げて再開すれば、県が進めている「創造的復興策」として繋がるという想定なのだろう。

マルチセクター・ダイアローグに参加した経済同友会の新浪剛史代表幹事は、報道陣に対して、能登空港を拠点に災害対応の訓練施設(ディザスターシティ)を設ける案を示し、「各地で災害が増えることを想定し、訓練の場を社会として残していかないといけない」と話した(14日付・日経新聞web版)。

今回のマルチセクター・ダイアローグは去年11月に続き、2回目の開催となった。次回はことし11月で、復興に向けたプランの発表が行われる。

⇒15日(日)午後・金沢の天気  あめ