⇒トピック往来

☆「ミドリムシ燃料」で空を飛ぶ

☆「ミドリムシ燃料」で空を飛ぶ

   バイオベンチャー企業「ユーグレナ」の社長CEO、出雲充氏の講演を金沢大学で聴いたのはちょうど2年前の2019年6月、トレードマークの緑色のネクタイを揺らせながら熱く語った=写真=。持続可能なエネルギー社会のため、ミドリムシをジェットエンジンの燃料に応用するプロジェクトを進めているという内容だった。そのプロジェクトが実装段階に入ってきたようだ。

   TVニュースによると、きのう29日、投資家所有のプライベートジェット機が、ユーグレナ開発のバイオジェット燃料を使い、鹿児島から羽田まで930㌔を飛んだ。 この燃料は、原料となるミドリムシが成長の過程で光合成し二酸化炭素を吸収するため、政府が2050年に目指すカーボンニュートラル実現に貢献できるとしている。 ただ、この燃料はミドリムシが由来となる成分はわずか1割しか含まれていない。ユーグレナでは今後、その比率を上げるとともに、現在1㍑当たり1万円の製造コストを4年後には200円以下にしたいとしている(6月29日付・NNNニュースWeb版)。

   講演のメモから、出雲氏がなぜバイオジェット燃料の開発に至ったのか、その志を再録してみる。1998年、大学1年の夏にバングラデシュのグラミン・バンク(銀行創設者のムハマド・ユヌス氏は2006年にノーベル平和賞受賞)にインターンシップとして入った。貧困層向けの事業資金として無担保で平均年収に相当する1人3万円ほどの融資を行う銀行だ。出雲氏はバングラデシュの子どもたちは腹を空かせひもじい思いをしていると思い込んでいたが、1日3食カレーが食べられる国で、飢えて苦しんでいる子どもはほとんどいなことに気がついた。カレーには野菜や肉はまったくなく、食べているのにやせているのはタンパク質不足による栄養失調が問題だと実感した。

   大学3年の時に、ミドリムシ(学名「ユーグレナ」)の存在を学んだ。ミドリムシはムシと名前がついているが、藻の一種の植物でクロロフィル(葉緑素)を有し光合成を行い、自ら動く動物でもある。0.1㍉以下の単細胞生物。植物と動物の両方の栄養素が採取でき、人に必要な動物性タンパク質やビタミンやミネラル、アミノ酸など59種類もある。「このミドリムシをバングラデシュの子どもたちに食べてもらえば栄養失調が解消できるかもしれないとひらめいた」(メモから)

   当時はミドリムシを産業として活かすための大量培養の技術はなかった。そこで、2005年8月に会社を設立し、12月に石垣島で屋外での培養に成功した。その後サプリメントや食品として販売実績を積み上げ、2012年12月に東証マザーズに上場、2014年12月に東証一部に市場変更をした。2013年10月に創業のきっかけとなったバングラデシュの首都ダッカに初の海外拠点となるバングラデシュ事務所を設けた。経営理念である「人と地球を健康にする」を実現するための第一歩として、パートナー企業からの協賛金と現地NGOの協力でミドリムシ入りクッキーを現地で生産し、栄養失調の小学生1千人対象を配布するプロジェクトを立ち上げた(2020年度は1万人を対象)。「貧しい国なのに栄養失調の子どもがいなくなれば、ミドリムシとは何だと世界中が驚くに違いない」(メモから)

   企業ビジョンとして掲げているのが「バイオテクノロジーで、昨日の不可能を今日可能にする」だ。エネルギーは石油からバイオ燃料へと移行している。気候変動をもたらすCO2も削減できる。アメリカではバイオ燃料としてトウモロコシが活用され、トウモロコシの価格は5倍に上がった。問題は天候や自然に左右さない安定供給だ。ミドリムシと廃食油でバイオ燃料をつくる、国内初のバイオジェット・ディーゼル燃料製造実証プラントを2018年11月に横浜市に完成させた。「環境問題、食糧問題、エネルギー問題、健康問題など、この星の困難を一気に乗り越えてくれるかもしれない生物がミドリムシ。このミドリムシが世界を変え、地球を救う時代が到来する」(メモから)と講演を締めくくった。

   講演の後、同じ6月に開催されたG20サミット関連会合「G20持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会合」(長野県軽井沢町)でユーグレナのバイオ燃料を使ったバスが運行したことがきっかけで、その後、横浜・鶴見区を走る臨港バスや西東京市を走る西武バスにも導入されている。

   メディア各社によると、今回ユーグレナのバイオジェット燃料は約200㍑で、従来のジェット燃料を混ぜて生成した。同社は2025年をメドに、生産能力2000倍以上の商用プラントを建設する予定だ(6月29日付・日経新聞Web版)。コロナ禍後には、世界的な脱炭素の流れでバイオジェット燃料の需要はさらに高まってくるだろう。また、代替プラスチックなどへの応用にも期待が集まるのではないだろうか。
   出雲氏の著書に『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』(ダイヤモンド社)がある。量産化など課題を抱えながらも、夢を一つ一つ実現していく有言実行の企業家としての姿には感服する。

⇒30日(水)午前・金沢の天気      はれ

☆「北斎」の次は「ダヴィンチ」 中国のおちょくり

☆「北斎」の次は「ダヴィンチ」 中国のおちょくり

    中国は名画で風刺する広報戦略をとっている。ネットのニュースでみつけた記事(6月16日付・FNNプライムニュースWeb版)=写真・上=によると、G7首脳会議に中国が反発を強める中、ネット上で拡散されている『最後のG7』と題したイラストを、中国共産党系のメディア「環球時報」英語版が報じた。G7の国々に、オーストラリア、インドを加えた9ヵ国を動物に模し、テーブルには中国の地図が描かれたケーキが置かれている。

   レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」を模したものだ。図をよく見ると、日の丸の帽子をかぶった犬が、ヤカンからグラスに緑色の液体を注いでいる。この液体は福島第一原発の処理水を意図しているのだろう。 アメリカの国鳥のハクトウワシを中心に動物たちが囲んでいる。芸が細かいと思うのは、ワシの前ではトイレットペーパーをドル紙幣にプリントするような図柄。金融緩和と称して、価値のないドル紙幣を刷りまくり世界にバラまいているとでも言いたいのだろう。

   風刺画やパロティー画は思わず笑ってしまうものだが、それを中国が発信するのでは笑えない。香港やマカオの近くにある広東省の原発で放射能漏れが起きているという報道(6月15日付・CNNニュースWeb版日本語)もあるので、中国にとって、タイミングが悪いのでは。

   パロディー画と言えば、2ゕ月前にもあった。日本政府が東電福島第一原発で増え続けるトリチウムなど放射性物質を含む処理水を海へ放出する方針を決めた(4月13日)。すると、中国と韓国が反発し、中国外務省の趙立堅副報道局長が同月26日付のツイッターで、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を模したパロディー画像を投稿して批判した=写真・下=。富士山を原発とみられる建物に、そして、防護服を着た人物が船からバケツで液体を流す様子が描かれている。

   他国を揶揄するような風刺画の投稿がネットで相次ぐ。おそらく、作者は中国御用達のイラストレーターだろう。それにしても見た人を思わずクスリと笑わせるセンスがない。単なる「おちょくり」にしか見えない。

⇒16日(水)夜・金沢の天気      くもり

★「まん延防止」解除の夜

★「まん延防止」解除の夜

   金沢市に適応されていた飲食店での時短や酒類の提供自粛などの「まん延防止等重点措置」がきのう14日に解除された。夜の街の様子を見たかったのと、「家飲み」には少々飽きが来ていたので、さっそく繁華街に出てみた。写真はきのう午後7時45分ごろの金沢の繁華街、片町のスクランブル交差点の様子だ。月曜日なのでもともと人通りは多くない。

   まん延防止の措置は5月16日から今月13日まで適応されていて、期間中に夜の片町のスクランブル交差点を自家用車で通過したことがあるが、これまでのきらびやかなネオン街とは打って変わって、まるで「ゴーストタウン」のようだった。それに比べれば、人影がいくぶん戻ってきたという感じだった。タクシーの運転手は、「人の通りがあるだけましな方ですよ。勝負は今週の金曜の夜ですね」と業界の見方を話してくれた。   

   タクシーを降りて街を歩くと、ガラス越しに見える飲食店も人影がボツボツと見えた。そして、行きつけのワインバーに入る。期間中はメインのワインが出せないので、本格的な中国茶とコーヒーの提供に切り替えて午後8時までの時短営業を続けていた。「普段のサービスに戻れてホッとしています」とオーナーソムリエは顔をほころばせた。カウンターの右隣りにいた客も「仕事がヒマすぎてつらかった。暇(ひま)疲れですよ」と。長かった「まん延防止等重点措置」の解除、カウンター越しにそれぞれに想いを語り合った。

   するとカウンターの右隣りの椅子に女性が腰かけた。地元新聞の記者で、「まん延防止措置」解除の夜を取材しているとのこと。オーナーソムリエはインタビューに「こんなににぎわうもの久々ですね」と無難に答えていた。そして、質問の矛先はこちらにも。きょうはある意味で解除を祝う席のようなもので、拒否するもの無粋と思い、記者に「家飲み」から解放された思いを語った。

   その後、ワインバーを出て大通りでタクシーを拾い自宅に向かった。片町のスクランブル交差点では電光ニュースが流れていた。「G7サミット 中国への圧力鮮明に 台湾海峡の平和と安定の重要性を強調」

   昨夜、記者に話したことがきょうの朝刊の記事になっていた。以下。「客の男性はほろ酔い気味で『家飲みはもう限界。家族もまた飲んでるのとけげんで、テレビのチャンネル争いをするようになってしまう』と目尻を下げた。」(6月15日付・北陸中日新聞)

   新聞の行数にして7行。自身の話しぶりに対する女性記者の印象は「ほろ酔い気分」で「目尻を下げた」ように見えた。つまり、うれしそうに飲んでいるように見えたのだろう。わがことながら思わず笑ってしまった。

⇒15日(火)午前・金沢の天気    はれ

☆バイデン大統領 就任100日目の演説

☆バイデン大統領 就任100日目の演説

   テレビニュース(4月29日)がアメリカ、バイデン大統領の施政方針演説の様子を報じていた。演説のキーワードは何かと思い、ホワイトハウスの公式ホームページをチェックする。「Remarks by President Biden in Address to a Joint Session of Congress」(バイデン大統領の上下両院合同会議での演説)と題するページに演説の全文が掲載されていた。

   「アメリカらしい」と感じさせたのが冒頭での言葉だ。「Madam Speaker, Madam Vice President — (applause) — no President has ever said those words from this podium.  No President has ever said those words, and it’s about time.  (Applause.) 」

   演壇に立ったバイデン氏はまず自分の後ろに並ぶナンシー・ペロシ下院議長と上院議長でもあるカマラ・ハリス副大統領にあいさつした。確かに、大統領の議会演説で後ろの上下院両議長がともに女性という光景はアメリカ史上初めてのこと。「Madam Speaker, Madam Vice President」で議場内は拍手や歓声で沸いたに違いない。

   演説で最初に触れたのは、「100年で最悪のパンデミックだ。大恐慌以来最悪の経済危機。南北戦争以来最悪の民主主義への攻撃だ」と表現したコロナ禍への対策だった。演説は就任100日目の日でもあった。「就任100日以内に1億回のワクチンを注射すると約束したのに、100日間で2億2000万回以上のワクチンを接種したことになる」と実績を。そして、アメリカの世帯の85%に1400㌦の救済小切手を送り約束を守ったと強調している。

   次に述べたのが経済の取り組みについての実績だ。「経済はこの100日間で130万人以上の雇用を生み出した。100日でこの数字は史上最多の雇用を創出だ」。そして、産業の内製化の方針を打ち出している。「考えてみてほしい。風力タービンのブレードを北京ではなくピッツバーグで製造できない理由はない」「だから皆さん、アメリカの労働者が電気自動車やバッテリーの生産で世界をリードできない理由はない。私たちの国には世界で最も聡明で訓練された人々がいます」と。産業の内製化はトランプ前大統領も強調していたが、主語を労働者に置いているところが民主党のバイデン氏らしい表現だ。

   中国との関係については、習近平国家主席のことを「autocrats」(独裁者)と称して、習氏との電話会談の印象をこう述べている。「彼をはじめとする独裁者たちは、民主主義が21世紀には独裁国家と競争することはできないと考えている。なぜなら、コンセンサスを得るのに時間がかかりすぎるからだ」と。

   富裕層への課税の話も具体的な数字で述べている。「私は時々、民主党の友達と口論する。あなたは億万長者にも百万長者にもなれるが、相応の分け前は払うべきです、と。昨年、アメリカの大手企業の55社が連邦税を納めなかった。これら55社の利益は400億㌦を超えた。スイスやバミューダ、ケイマン諸島のタックスヘイブンを通じて脱税する企業も多い。利益の海外移転に対する税金の抜け穴や控除の恩恵も受けている。それは正しくない」「2000万人のアメリカ人がパンデミックで職を失った。一方、アメリカの650人のビリオネアは純資産を1兆㌦以上増やした。今その増やした資産は4兆㌦以上の価値になっている」

   後半になって、中国への警戒感をあらわにしている。習氏との電話会談を再度持ちだす。「私は『われわれは、中国との競争を歓迎します。私たちは対立を求めているのではない』と述べ、アメリカの利益を全面的に守ることを明確にした。中国が行っている国有企業への補助金、技術や知的財産の盗用など、アメリカの労働者や産業を弱体化させる中国の不公正貿易の慣行に立ち向かう」「また、私は習氏に欧州におけるNATOと同じように、インド太平洋地域でも強力な軍事的プレゼンスを維持し、紛争を開始するのではなく予防するつもりだと伝えた」

   さらに、安全保障面での言及。「私たちは世界史上最大の戦闘部隊を持っている。私は、息子を戦争地帯で働かせることの意味を知っている40年ぶりの大統領だ」と。国内問題では、「銃暴力の蔓延からアメリカ国民を守るために私は全力を尽くすが、議会も行動を起こす時だ」と強調した。

  「We can do whatever we set our mind to do if we do it together.」(みんなが心を一つにして取り組めば、アメリカにできないことなど何もない)と述べて、66分の演説を終えた。バイデン氏の演説は数字を駆使して、具体的で実に分かりやすい内容だった。性格そのものが演説に表れているのかもしれない。ただ、アメリカ大統領の演説として、刺激的な言葉で国民に訴えてもよいのではないか。たとえば、ジョン・F・ケネディが「Ask not what your country can do for you―ask what you can do for your country.」と語ったように。(※写真は「The White House」公式ホームページより)

⇒30日(金)朝・金沢の天気     はれ時々くもり

★「花と生き物たちの楽園」小原古邨の世界

★「花と生き物たちの楽園」小原古邨の世界

    そこに描かれていた作品の数々はまるで「花と生き物たちの楽園」だった。作者は小原古邨(おはら・こそん、1877-1945)、明治末から昭和にかけて活躍した花鳥画の絵師だ。金沢出身で、初の「里帰り」展がきのう24日、金沢市の石川県立歴史博物館で開幕した。実は自身もこれまで名前すら知らなかった。きょう鑑賞に出かけた。

   作品を鑑賞して、動物たちの表情が印象的だった。展覧会のチラシにもなっている「蓮に雀」=写真・上=は、ハスの花が開き始める様子を、茎に舞い降りたスズメがじっと観察している様子が描かれている。ハスの花の線やスズメの毛並みまで実に細やかだ。

   会場で鑑賞者が多く足を止めていたのが「踊る狐」だった=写真・中=。ハスの葉を被って、まるで踊っているように面白く描いた作品だ。この作品を眺めていて国宝の「鳥獣戯画」のワンシーンを連想した。生き物たちのユートピアだ。緊張感のある絵もある。「金魚鉢に猫」=写真・下=は、鉢の中の金魚をじっと見つめて狙っている。このネコの姿は現代も変わらない。こうした鳥や動物、花といった身近な自然を木版画で写実している。

   いわゆる江戸時代の浮世絵と同じようには見えない。伝統的で高度な浮世絵の技術をベースにまるで水彩画のように美しい色合いで表現することで、明治、大正、昭和と生き抜いた画家だったのだろう。大正末期からは「祥邨」の号を用い、華やかな色とモダンな画面構成の作品はアメリカやポーランドなど欧米で展示されるようになった(チラシ文より)。

   「お帰りなさい。楽しませてくれてありがとう」と言いたい。県立歴史博物館の「小原古邨 海をこえた花鳥の世界」展では版画を中心に200点が展示されている。6月27日まで。(※写真の中と下は会場で販売されている絵葉書より)

⇒25日(日)夕・金沢の天気     くもり

☆東京オリンピックまで90日 見えてきた課題

☆東京オリンピックまで90日 見えてきた課題

   7月23日の東京オリンピック開幕式まであと90日に迫った。やはり思うことは、コロナ対策として果たして準備できているのだろうか、そして何を準備する必要があるのか、大会組織委員会から国民に向けたメッセージが聞こえてこない。

   3月20日の大会組織委員会と政府や東京都、IOCなどの5者会談で現在のコロナ禍の状況では海外から日本への自由な入国を保証することは困難だとして、海外からの観客の受け入れを断念することを決めている。さらに、国内観客の入場制限について結論を6月まで先送りするようだ(4月21日付・NHKニュースWeb版)。その成り行きは、25日から5月11日まで実施される東京都などを対象にした緊急事態宣言の効果がどれほど上がるのか、その結果次第かもしれない。5月半ばまでに感染拡大が治まらなければ、当然7月も見通しが暗くなり、無観客とせざるを得ないだろう。

   それと同時に気になるのは医療サポートの体制が組めるのだろうか。選手が1万人以上、コーチなどのスタッフを絞ったとして5万人が集まるとされる。ところが、国内の現状として、ワクチン接種の注射をする医師が足りていない。そのような現状で、オリンピック医師団の体制をつくることができるのだろうか。

   そして、選手へのワクチン接種をどうするか、だ。自民党の下村政務調査会長は、東京オリンピック・パラリンピックに出場する日本選手への優先的な接種の必要性について、党内で検討する考えを示したと報じられいる(4月14日付・NHKニュースWeb版)。現在、選手や関係者にワクチン接種を優先する計画はないが、格闘技などで日本選手がワクチンを接種していないとリスクがあるとのこと。また、IOCのバッハ会長は、ワクチン接種を東京オリンピック出場の前提条件にはしないと発言している(4月8日付・AFP通信Web版日本語)。結局、選手へのワクチン接種は各国での判断となる。     

          あすから始まる緊急事態宣言は、GW中の人の流れを徹底的に抑制する17日間の短期集中型の対策だろう。この効果を見極めてのオリンピック対策なのだが、まさに実行性が問われる。

⇒24日(土)夜・金沢の天気     くもり

★満開の桜 兼六園に何思う

★満開の桜 兼六園に何思う

   金沢の兼六園は日本三名園の一つと言われ、国の特別名勝に指定されている。毎年この桜の時期に入園料を無料にしていて、今年もきのう27日から無料開放(4月2日まで)が始まった。きょう正午ごろ、兼六園へ満開のソメイヨシノを見学に行ってきた。時折小雨が降る、どんよりとした天気だったが、金沢城をバックに満開の桜は光彩を放っていた=写真・上=。

   兼六園の桜はソメイヨシノだけではない。桜だけでも20種410本に及ぶ。一重桜、八重桜、菊桜と花弁の数によって分けられている桜だ。中でも「国宝級」は曲水の千歳橋近くにある兼六園菊桜(けんろくえんきくざくら)だ=写真・下=。学名にもなっている。兼六園菊桜の見事さは、花弁が300枚にもなる生命力、咲き始めから散るまでに3度色を変える華やかさ、そして花が柄ごと散る潔さである。兼六園の桜の季節を200本のソメイヨシノが一気に盛り上げ、兼六園菊桜が晩春を締めくくる。桜にも役どころというものがある。

   上記で述べた「国宝級」というのも、兼六園菊桜はかつて国の天然記念物に指定されていた。その初代の兼六園菊桜(樹齢250年)は1970年に枯れ、現在あるのは接ぎ木によって生まれた二代目だ。実は兼六園では「名木を守る」ため、台風で名木が折れた場合に備え、次世代の子孫がスタンバイしている。

   これは兼六園管理事務所の関係者から聞いた話だが、子孫とは、たとえば種子からとることもあるが、名木のもともとの産地から姿の似た名木をもってくる場合もある。たとえば、兼六園きっての名木である唐崎松。これは、滋賀県大津市の「唐崎の松」から由来する。歌川広重(安藤広重)が浮世絵『近江八景之内 唐崎夜雨』に描いた名木である。近江の唐崎松は2代目だが、第13代加賀藩主・前田斉泰(在位1822-1866)が近江から種子を取り寄せて植えたのが現在の兼六園の唐崎松だ。

   二代目の兼六園菊桜は桜の園を守る主役ではある。あと100年もすれば国の天然記念物に指定されるだろう。兼六園で桜を眺めながら四季の移ろいを感じ、曲水の流れや、玉砂利の感触を楽しんだ。人が変り、時代が変わっても、兼六園は変わらない。五感を満たす時空と空間、壮大な芸術作品、それが兼六園だ。

⇒28日(日)午後・金沢の天気     くもり時々あめ

☆ぱっと咲いて見事に散る桜の美意識

☆ぱっと咲いて見事に散る桜の美意識

    金沢地方気象台による「桜の開花宣言」がきのう23日発表された。同気象台の敷地にあるソメイヨシノが5、6輪以上の花をつけるのが開花宣言の基準になっている。リリース文によると、平年(4月4日)よりも12日早く、統計を開始した昭和28年(1953)以来、最も早い開花という。でも、なぜこんなに早咲きになるのか。地球温暖化が加速しているのだろうか。むしろ不気味に感じる。

   地球温暖化が桜の開花にどのような影響を与えるのか、ネットでチェックすると、ウエザーニューズ公式ホームページに興味深い記事(2020年4月12日付)があった。桜の花芽の成長には気温3-10度前後の低温による「休眠打破」(※園芸用語:寒気などの刺激により植物が活動に入ること)が必要となるが、暖冬だと休眠打破が行われず、成長が遅れる場合がある。開花しても満開にならない場合がある。

   上記のことから考えると、ことしの早咲きの原因には確かに理由がありそうだ。昨年12月と今年1月に強烈な寒波が北陸を襲った。とくに1月9、10日の寒波では自宅周辺でも70㌢ほど雪が積もって、市街地全体も「ホワイトロックダウン」状態だった。その後、2月に入ってからは雪もそれほど降らず、3月早々から春めいた天気が続いた。この寒暖の差が、金沢のソメイヨシノを刺激して早く咲かせたのだろうか。

   逆に言えば、このまま地球温暖化が進めば、冬場にシベリアから寒気団が来ない限り桜の開花は楽しめないということにある。仮に咲いたとしても、だらだらと咲くと満開にならない。楽しみにしているのは、桜の花のうつくしさだけではない。満開の桜だ。「ぱっと咲いて、見事に散る」、我々の心の中には桜に見る美意識というものがある。これが、人々に春の季節感や人生のモチベーションを高めてくれる。

   例年だと開花宣言後の週末、兼六園周辺の平地ではブルーシートを広げて宴会を楽しむ花見客の姿があちこちに見受けられ、季節の風物詩ともなっていたが、昨年はコロナ禍で閑散としていた。おそらく今年も感染防止で自粛だろう。金沢の満開は27、28日の週末だ。自粛ムードが漂う時代ではあるが、せめて桜の咲き乱れる兼六園の散策を楽しみたい。

⇒24日(水)午後・金沢の天気     はれ

☆4選の壁と匿名ポスターの威力

☆4選の壁と匿名ポスターの威力

   きのう21日、石川県では4つの市町選挙があった。小松市長選と中能登、宝達志水、能登の各町長選だ。ある意味で驚いたのは小松市長選だった。失政もなく、69歳という年齢は「まだいける」、そして内閣府の「SDGs未来都市」に選定され、3年後に控えた北陸新幹線小松駅の開業など、ある意味で順風満帆の現職市長が新人の41歳、元市会議員に敗れた。この選挙結果から読み取れるトレンドは何か。

  小松市は建設機械の最大手「小松製作所」の発祥の地でもあり、主力工場などが同市にある。和田慎司氏は大学卒業後に同製作所に入社し、産業機械事業本部副部長をつとめ、2009年に初当選した。今回は4期目を賭けた挑戦だった。一方、初当選を果たした新人の宮橋勝栄氏は大学卒業後に大手ドラッグストア「クスリのアオキ」など経て、2011年4月に小松市議選に初当選。2期目の2017年に市長選に立候補して敗れ、再挑戦だった。

  選挙戦では、和田氏は3期12年での財政健全化の実績を強調し、北陸新幹線小松駅の開業を見据えた駅周辺へのホテル誘致を訴えていた。逆に宮橋氏は緊縮財政で小松市の活気が失われたと批判し、市長退職金(2000万円)の全額カットを公約、さらに小中学校の給食無償化や音楽ホールやカフェを備えた複合型図書館の建設なども公約に掲げた。

   選挙戦では和田氏が自民、公明、立憲民主の推薦を得て、宮橋氏には市議の自民党第二会派などの支援を得ていた。また、小松出身の2人の自民党県議がそれぞれに支援に回るという「保守分裂」の状態だった。ローカル紙の情勢分析をチェックすると、3月14日告示の選挙序盤では、「和田氏を宮橋氏が追う」という論調だったが、中盤17日ごろからは、「和田氏を宮橋氏が激しく追い上げ」「激戦」などとの論調に変わってきた。

   選挙戦の激しさを象徴するかのように、市内265ヵ所の選挙ポアスター掲示板のほかに、匿名ポスターがあちらこちらに貼られた。この匿名ポスターというのは候補者を支援する団体として選管に届けて認められた確認団体が出すもの。ただし、候補者の名前と写真が掲載しないという条件がつく。公選法では市長選の場合、候補者1人つき1000枚のポスターを作成できる。そこで、両陣営は「現職小松市長 再び。今が働き盛り」や「41歳に一票を 若さ 情熱 政策。」など工夫を凝らした匿名ポスター=写真=を貼った。さらにそれを有権者がSNSなどで拡散することで、選挙戦が盛り上がった。ちなみに、右側の歌舞伎の隈(くま)取りは毎年5月に開催される「お旅まつり」で屋台で子ども歌舞伎が上演されることから、祭りのシンボルとして使われる。

   今回選挙(投票率60%)の開票結果は宮橋氏2万8676、和田氏2万3731で、4945票差だった。前回(投票率59%)は和田氏2万7735、宮橋氏2万2678で5057票差だった。まさに5000票差の逆転現象が起きた。

   同市内で住む何人かの知人にメールで選挙結果について尋ねた。すると、宮橋氏の勝因については、「市長になったら退職金を全額カットすると公示の日にアピールしていた。これはけっこうSNSでも話題になった。小中学生の学校給食の無料化もママ友の間では評判がよかった」と。和田氏の敗因については、「四選は長すぎると言う人(有権者)はもともと多くいた。周囲を固めている人もシニアな人が多く、守りの選挙だったのでは」と。

   四選の壁。和田氏の祖父・伝四郎氏は戦後の小松市長を4期(1947-63)つとめた。それ以来、小松市には四選の市長は出ていない。

⇒22日(月)夜・金沢の天気     はれ

☆「3・11」とクライストチャーチ

☆「3・11」とクライストチャーチ

    2006年8月に家族でニュージランドのクライストチャーチを訪れ、ここを拠点に3泊4日の旅を楽しんだ。19世紀半ばに4隻の船でイギリス人800人がこの島にやってきて、いまでは南島最大の35万人都市をつくり上げたとガイドから説明を受けた。すさまじい人口増の背景には歴史があった。ニュージーランドへの移民が始まって間もなく、サザン・アルプスの各地で金鉱脈が発見され、1860年代からゴールドラッシュが沸き起こる。これで、ヨーロッパやアジアからも人が押し寄せた。さらに、1870年代からはヨーロッパでウール(羊毛)の人気が高まり、ニュージーランドはその原料の主力供給基地へと実力をつけていった。

   このサクセスストーリーを背景に、街は活気にあふれた。1864年から40年かけて、街の中心部にイギリスのゴシック様式による大聖堂が建設された。クライストチャーチ大聖堂=2006年8月撮影=だ。見学でガイドからこの大聖堂は大きな地震に3度も見舞われながら40年の歳月を費やし1905年に完成したと説明を受けたのを覚えている。その大聖堂が2011年2月22日にクライストチャーチ近郊で発生した大地震で、シンボル的存在だった塔は崩れ落ちた。そして、「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街にがれきがあふれ、ビルの倒壊で日本人28人を含む185人が亡くなった。思い出のある街だけに、震災のニュースはショックだった。そして、17日後の3月11日に東日本大震災(マグニチュード9.0)が起きた。

   ニュージーランドの研究機関「GNSサイエンス」のホームページで、ガイドから聞いた大聖堂を造営する40年間で起きた3度の大震災を調べると、南島のクライストチャーチがある南島の北側では1868年10月19日にマグニチュード7.5、1888年9月1日に同7.3、1893年2月12日に同6.9の大きな地震が起きている。同じころ、日本でも濃尾地震(マグニチュード8.0、1891年10月28日)や明治三陸地震(同8.2、1896年6月15日)など大地震が8回も起きている。

   今月5日、ニュージーランド北島のマディック諸島付近でマグニチュード8.1の地震が発生した。先月2月13日、福島県沖で同7.3、震度6強の揺れがあった。日本とニュージーランドは同じで環太平洋火山帯(Ring of Fire)の真上にあるため地震が比較的多い国だといわれる。両国での地震に連動するような関連性があるのか、ないのか。

   GNSサイエンスによると両国の地震学者が研究を進めているとの記事「Japanese plate boundary findings have relevance to NZ」(2017年6月20日付)がある。この中で、「The Nankai Trough results are important for understanding the risk of large earthquakes and tsunamis generated at offshore plate boundary zones worldwide」(意訳:南海トラフの結果は、世界中の沖合プレート境界帯で発生する大地震と津波のリスクを理解するために重要である)。ボーリング調査や海底の震度センサーなど機器のデータを共有することで、地震学者によるネットワークの強化に期待を寄せる記事で、日本とニュージーランドで起きる地震の連動性については研究が始まったばかりのようだ。

   クライストチャーチ大聖堂はまだ再建途上だ。完成したあかつきにはぜひ訪れてみたいと思う。震災からの復興の意志を貫く人々を称えるために。

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