⇒トピック往来

☆雑草をめぐる人々の価値観

☆雑草をめぐる人々の価値観

   冬の季節の話題としてはふさわしくはないが、趣味の一つが「草むしり」である。庭にはスギナ、ヨモギ、ヤブカラシ、ドクダミ、チドメグサなどが顔を出す。こうした雑草を無心で抜き取る。草むしりはまるで雑念を払う修行のようなものだ。きょう19日午後、石川県立自然史資料館で開催されたシンポジウム「石川県の雑草」を聴講してきた。雑草についていろいろ考えさせられた。

   昭和天皇のお言葉に「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」という有名なフレーズがある。その雑草の定義は何だろうか。話題提供の一人、本多郁夫氏(県地域植物研究会)がこう述べていた。「雑草は許可なく生える草と定義されることがあり、迷惑な草と思われがちですが、食料になったり、薬草になるなど有用なものが多くあります」と語り、コナギ、ミズオアイ、ホテイアアオイ、スギナ、セイタカアワダチソウを題材にその有用性について説明した。植物研究者の古池博氏(同)の話は哲学的だった。人間の都合で道路雑草、農耕雑草、すき間雑草などと呼ばれ、人々の暮らし方の変化にともない、雑草と呼ばれるようになった。反対に作物として利用されていたのに雑草になったものもある。雑草は人の価値観にもとづく定義である。

   確かに雑草であるか、花であるかは人の価値観でもある。5月に花咲く、シランはラン科の多年草で紫紅色の花が目をひきつける。このころになると、茶花としてシライトウやシマススキとともに床の間に飾ったりもする=写真=。でも、切り花として出回るような植物ではない。ヒメリュウキンカ(キンポウゲ科)は園芸用として国内に持ち込まれた外来種といわれる。春に黄色い花をつけ、そのあざやかさは50年ほど前まで金沢ではこの時節のあこがれの花だったと説明されていた。湿潤な土地を好み、繁殖力が強いのが特徴で金沢城公園の二の丸広場では駆除作業も行われているとのこと。あこがれの花が雑草化した事例ではある。

   マメ科のクズは「秋の七草」の一つ。なじみのある植物だが、樹木をすっぽり覆うほどのたくましさに驚かされることもある。当初、土砂崩れ防止の目的でアメリカに渡ったクズは、いまでは「モンスターKudzu(カズ)」と増えすぎが現地でも嫌がれているという。前述の古池氏は雑草の定義をこう述べていた。「人類とともに進化してきた植物のうち、人の統制・管理に従順には従わない一群」と。言い得て妙。まさにモンスター植物だ。

⇒19日(日)夜・金沢の天気      はれ

★兼六園の未来にスタンバイ 名木の後継木

★兼六園の未来にスタンバイ 名木の後継木

   先日兼六園に立ち寄った。本格的な冬を迎える前にすでに雪吊りなどが施されていた。国の特別名勝である兼六園。ミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得ている。広さ約3万坪、兼六園の名木のスターと言えば、唐崎松(からさきのまつ)だ。高さ9㍍、20㍍も伸びた枝ぶり。冬場の湿った重い雪から名木を守るために施される雪吊りはまず唐崎松から始まる。加賀藩の第13代藩主・前田斉泰(1811~84)が琵琶湖の唐崎神社境内(大津市)の「唐崎の松」から種子を取り寄せて植えたものと伝えられ、樹齢190年と推定される。近江の唐崎の松は、松尾芭蕉(1644-94)の「辛崎( からさき )の松は花より朧(おぼろ)にて」という句でも有名だ。

   兼六園の名木のスターであっても、植物はいつかは枯れる。あるいは、台風で折れたり、雷が落ちれば名木の寿命は尽きる。跡地には次なる唐崎松が植えられることになる。兼六園の管理事務所の隣地に唐崎松の世継(よつぎ)がすでにスタンバイしている=写真・上=。事務所では後継木(こうけいぼく)と呼ぶ。幹の根の辺りがくねって、すでに名木の片鱗を感じさせる。この後継木は、かつて加賀藩主がそうしたように、大津市の唐崎の松の実生を植えたもの。「本家」の世継でもある。

   その横に、これも名木のスターである根上松(ねあがりのまつ)の世継が植えてある=写真・下=。根上松は三本の幹をむき出しの根っこが支え、樹齢は210年といわれる。盛り土を徐々に取り除き、カタチづくった松だ。世継の松はこれから盛り土が除かれ、根上松の様相を現すのだろう。

   兼六園と命名したのは、日本史に出て来る「寛政の改革」で有名な松平定信とされる。定信が中国・宋の詩人、李格非の書いた『洛陽名園記』(中国の名園を解説した書)の中に、名園の資格として宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)の6つの景観を兼ね備えていることと記されていたのにヒントを得て「兼六園」と名付けたと伝えられる。

   兼六園の樹木は一代限りではない、何百年という歴史を考えて、未来の歴史を創らなければならない。それを創っていくのはまさに「人力」だ。今回歩いてそんなことを考えた。

⇒16日(木)夜・金沢の天気   あめ

★「田の神さま」をもてなす能登人のココロ

★「田の神さま」をもてなす能登人のココロ

   きょう(5日)奥能登の伝統的な農耕儀礼「あえのこと」を見学した。農家が田んぼから田の神を自宅に招いて、稲の実りに感謝してごちそうでもてなす行事。2009年にユネスコ無形文化遺産にも登録されている。能登町の柳田植物公園内にある茅葺の古民家「合鹿庵(ごうろくあん)」では毎年公開で儀礼を行っていて、今回も50人余りが見学に訪れていた。  

   田の神はそれぞれの農家の田んぼに宿る神であり、農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なり、夫婦二神、あるいは独神の場合もある。共通していることは、目が不自由なこと。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなど諸説がある。目が不自由であるがゆえに、農家の人たちはその障がいに配慮して接する。座敷に案内する際に段差がある場合は介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。演じる家の主(あるじ)たちは、どうすれば田の神に満足いただけるもてなしができるかそれぞれに工夫を凝らす。

   田の神のもてなし役は執行者と呼ばれるが、合鹿庵での執行者は近くに住む中正道(なか・まさみち)さん、70歳。中さんは町の「あえのこと」保存会の会員であり、前日に自宅を訪問して話を聞いた。開口一番に、「地元の人は『あえのこと』とは言いません。『タンカミサン(田の神さま)』ですよ」と。もともとこの農耕儀礼には正式な名称というものがなく、いまでも農家の人々はタンカミサンと呼んでいる。かつてこの地を訪れた民俗学者の柳田国男が「あえのこと」として論文などで紹介し、それが1977年に国の重要無形民俗文化財に、そしてユネスコ無形文化遺産の登録名称になった。「あえ」は「饗」、「こと」は「祭事」の意で饗応する祭事を指す。

   確かに、ユネスコ登録では宗教行事は回避されるため、「田の神さま」より「あえのこと」の名称の方が審査が通りやすかった。それでも、中さんは「あえのこと」の登録名称に今でも違和感があると正直に語った。また、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことを意識してか、農家では「素朴な感謝の気持ちより、儀礼を行うこと自体が目的となっているのではないか」と懸念する。調度品やお供え物が豪華になり、服装も羽織袴になった。
   
   さらに、伝統な供え物では「焼き物」は「田が焼ける(かんばつ)」につながり、「蒸し物」は「虫(害虫、イモチ病)」につながることから避けられてきた。それが、最近では「茶碗蒸し」を出す家もある。「伝統的な供え物には農家の心や願いが込められている。できるだけ正確に伝えることに、伝統や無形文化遺産の価値があるはず」と。中さんは地域の人たちや、両親、祖父母から聞いてきたことを冊子にまとめ、農家の後継者の人たちに「田の神さま」を伝えている。

(※写真は能登町「合鹿庵」で執り行われた農耕儀礼「あえのこと」行事。田の神さまにことしのコメの出来高を報告する中正道さん=写真・左=)

⇒5日(日)夜・金沢の天気     はれ

★きょうから師走 寒波、コロナ禍への備えは万端か

★きょうから師走 寒波、コロナ禍への備えは万端か

   きょうから12月、北陸ではさっそく寒波がやってきた。けさから突風とともにあられが散発的に降って庭に積もっている=写真=。テレビ各社の昼のニュースによると、本格的な雪のシーズンに備え、金沢市役所では除雪作業本部がきょう設置された。大雪だった昨シーズンは道路で雪にタイヤがはまり、前にも後ろにも進まなくなるスタック(立ち往生)状態になるトラブルが市内各地の道路で相次いだ。このため作業本部では除雪計画を見直し、これまで15㌢以上の積雪で除雪車を出動させていたが、ことしからは10㌢以上積もれば除雪作業を行う。実際に雪道を車で走ると緊張感に包まれる。教訓を生かした「5㌢はやめ」の除雪はありがたい。

   自身も積雪の道路に備えるため、毎年今ごろに近くの自動車修理工場でタイヤ交換をしてもらっている。きょう午前中、電話予約を入れた。すると「2週間待ち」との返事だった。今月下旬となれば、積雪は少なくとも路面が凍結することもある。内心あせったが、仕方なく予約を15日に入れた。なぜ予約がこれほど殺到しているのか。長期予報で「ことしは大雪」との情報が流れている。北陸を含め雪国の人々は積雪情報に敏感だ。自身も予約をもう少し早めに入れるべきだったと悔いた次第。

   早めの対応といえば、岸田総理のコロナ対応は迅速だった。先月29日、WHOが変異ウイルス「オミクロン株」を「懸念される変異株」に指定したことを受け、水際対策として外国人の新規入国を「30日午前0時から、全世界を対象に禁止する」と発表した。そして、アフリカのナミビアから入国した30代の男性外交官がオミクロン株に感染していたことが確認された(30日付・内閣内閣官房官の記者会見)。オミクロン株による国内初感染だった。絶妙なタイミングだ。この後先が逆だったら、おそらく「決断が遅い」とメディアからバッシクングされていたに違いない。安倍、菅の両総理の二の舞いを避けようと岸田総理は早めの決断をしたのだろう。

   オミクロン株の登場で待たれるのがワクチン3回目のブースター接種だ。きょうから医療従事者を対象に全国で始まり、金沢市でも今月中旬からを予定している。医療従事者以外では、金沢市は来年1月から高齢者施設の利用者などへの接種を始め、2月からはそれ以外の65歳以上の高齢者への接種を開始すると広報で発表している。ブースター接種は2回目から8ヵ月を経過している人から順次なので、自身の場合は来年3月下旬となる。それまで第6波が来ないことを祈るしかない。

⇒1日(水)午後・金沢の天気      あめ時々あられ

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~下~

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~下~

   能登の世界農業遺産「能登の里山里海」が認定されて10年周年を記念する国際会議(11月25-27日)と連携して「GIAHSユースサミット2021 ㏌ NOTO」が26日に開催された。国連大学サスティナビリティ高等研究所OUIKが主催し、GIAHS認定サイトの能登地区から飯田高校、鹿西高校、日本航空高校石川、新潟県から佐渡総合高校、そして宮崎県から五ヶ瀬中等教育学校の5校が参加、生徒40人が集った。テーマは「世界農業遺産を未来と世界へ~佐渡と能登からつながろう~」。

        ユース宣言の力強さ、そして「知事の花道」

   ちなみに、OUIKのフルネームは「いしかわ・かなざわオペレーティングユニット」。国連大学サスティナビリティ高等研究所が世界に6ヵ所設けているフィールド研究拠点の一つで、2008年4月に金沢市で開設された。里山里海と生物多様性などを研究テーマとしている。

   生徒たちは8つのグループに分かれて世界農業遺産をテーマに生物多様性や農業の発展、産業の発展、伝統文化、食文化、教育、発信などについて、それぞれの地域(サイト)の特徴や課題を話し合った。その内容を「GIAHSユース宣言」(13項目)としてまとめた。以下抜粋。

   将来の農業に向けては「3. 小さなアクションが積み重なれば世界はかわっていくはずです! 地域経済をより身近なものとして、問題について考え続けます」「4. GIAHS地域に密着した商品やブログラムのアイデアを考えます」、認定地の大人たちへは「11. 私たちは、GIAHS地域の自然環境を守るために、開発の抑制や、その代替えとなる案を、共につくり出すことを希望します」、世界の認定地のユースへは「13. 私たちと一緒にGIAHSのことをもっと知り、地域とつながり、積極的に行動して、GIAHSの輪を広げて行きましょう」。生徒自らが作成した台本で宣言した=写真・上=。

   能登の世界農業遺産は10年を経て、さまざま課題も浮き彫りとなっている。それは、少子高齢化と人口減少によって能登が持続可能な地域社会であり続けられるのかどうかだ。里山里海の保全や農林水産業の事業継承、祭り文化の担い手を養成していくことが課題となっている。しかし、高校生が授業で自分たちの地域の世界農業遺産について学ぶチャンスはほとんどないのが現状だ。OUIKが「ユースサミット」を企画した狙いは、GIAHS地域の「サスティナビリティ」を高めることだ。自身も同じ想いでユースサミットを傍聴していたので、生徒たちのユース宣言を聴いて、その力強さに心が励まされた。

   話は変わる。この国際会議開催の提唱者は谷本正憲県知事と県庁関係者から聞いている。前々回のブログで述べたように、2013年5月の「GIAHS国際フォーラム」の能登誘致も、知事がローマのFAO本部に事務局長を訪ね、直談判で開催にこぎつけた。今回の国際会議の基調講演で、「能登GIAHSは国内で初めて認定された。トップランナーとしてさらに深化させていく」と強調していた。政策としてSDGsやカーボンニュートラルを先取りして、能登GIAHSをバックアップしていくと具体的な政策を述べた。国際評価を得ても、情報発信を続けなければ価値はないとの趣旨だった。

   谷本氏は現在7期目。76歳。今月17日には来年3月の任期満了に伴う知事選には立候補せず、今期限りでの退任を表明した。今回の国際会議はある意味で、「知事の花道」のようにも思えた。うがった見方だが。(※写真・下は「GIAHSユースサミット」で生徒たちに国際会議の開催について述べる谷本知事)

⇒28日(日)夜・金沢の天気     はれ

☆「能登GIAHS」10周年の国際会議から~中~

☆「能登GIAHS」10周年の国際会議から~中~

   能登の世界農業遺産「能登の里山里海」が認定されて10年周年を記念する国際会議(11月25-27日)が七尾市和倉温泉の旅館「あえの風」で開催されている。FAOの駐日事務所ほか、政府関係者や農業従事者ら200人余り、そして、ペルーとセネガル、ブルキナファソの3ゕ国の駐日大使も訪れ、会場はにぎやかな雰囲気だ。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大に配慮して、FAOのローマ本部のスタッフや海外のGIAHSサイトの担当者はオンライン(通訳付き)での参加となった。

      セネガル大使は「私もノト出身です」と

   冒頭で3人の大使があいさつした=写真=。セネガルの大使の話には驚いた。「私もノト出身です。日本のノトに興味がここに来ました」と。会場が一瞬、「えっ」という雰囲気に包まれた。スマホで調べると、確かにセネガルの西の方にティエス州ノト市がある。スペルも「Noto」と書く。さらに検索すると、JICA公式ホームページに「地域は海沿いのため一年を通して気候が良く、また地下水が豊富にあるため、玉ねぎやジャガイモ、キャベツの野菜栽培に非常に適した地域であり、セネガルの80%の野菜生産量を担っている」と説明があった。イタリアのコレシカ島にも「Noto」というワイン用のブドウ栽培の産地がある。日本、イタリア、セネガルの「Noto」で姉妹都市が結べないだろうか、そんなことがひらめいた。

   本題に入る。この国際会議では、経済、社会の2つのテーマに分かれて分科会が開かれ、世界各国のサイトの代表や研究者ら12人が取り組みの成果や課題を発表した。発言の中で注目されたのは、やはり開催地である能登のGIAHS認定10年は成果はどのように評価されているのか、ということだった。

   注目された発表の一つが、能登半島の尖端にある珠洲市の取り組みだった。同市の企画財政課長が述べた。同市で少子高齢化や転出が進み人口減少が進んでいるものの、ことし2021年上半期(4-9月)は転入が131人、転出が120人で転入が転出を初めて上回った。この社会動態の変化の要因として、GIAHSとSDGsを両立させた取り組みを目指し、海洋ゴミや廃校をアートに昇華させた国際芸術祭、企業や大学と連携して自然環境を活かしたビジネス人材の養成など、過疎地をイノベーションの場として活用することに共感する人々が増えている、と述べた。「人口減少が進む能登は日本の地域課題のトップランナーだ。能登で課題解決を探りたい、実践したいという若者や企業が珠洲に集まってきた」と。

    そして、GIAHSツーリズムという変化をビジネスチャンスに受け止めていると話したのは能登町の一般社団法人「春蘭の里」の代表理事だった。2011年に能登がGIAHS認定され、「Noto」が世界に浸透するとヨーロッパなどからインバウンド観光客が増えてきた。新型コロナウイルスによるパンデミックの前の2019年ごろまでは年間1万人の宿泊客のうち、2000人余りがインバウンド客という年もあった。地域の46の民宿に分散して泊まり、春は山菜、秋にはキノコをインバウンドの人たちといっしょに採取して、夕ご飯に料理として出して喜ばれた。言語の問題は、自動通訳機「ポケトーク」を地域の人たちで共有することで乗り越えている。コロナ後のGIAHSツーリズムを前向きに述べていた。

    石川県の谷本正憲知事は基調講演の中で、「能登にはさまざまハンディがあるものの、それをメリットに切り替える工夫をしてきた。世界農業遺産の認定が地域の魅力を掘り起こすきっかけになった」と能登におけるGIAHS効果をまとめて話していた。

⇒27日(土)夜・金沢の天気   くもり時々あめ  

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~上~

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~上~

   「Globally lmportant Agricultural Heritage Systems」(GIAHS、世界農業遺産)についてこのブログで初めて取り上げたのは2010年12月19日付だった。この制度は国連食糧農業機関(FAO)が「持続可能な開発に関する世界首脳会
議」(ヨハネスブルグ・サミット)で提唱し設けた。ブログで取り上げた時は、能登半島の8つの市町の首長が連名で申請書をFAOに提出し終えたころだった。申請には当時国連大学副学長だった武内和彦氏(東大教授)らの支援があった。2009年9月に奥能登の農耕儀礼「あえのこと」がユネスコ無形文化遺産に登録されていた。この農文化の国際評価は、FAOのGIAHS認定を得るベースにもなりうるのではないかとの期待もあった。

       能登にグローバルな目線が注がれた2011年

   そのブログの締めくくりをこう記した。「正式な登録は来年夏ごろであり、登録が決まった訳ではない。が、動き出した。類(たぐい)希なる農業資産を祖先から受け継ぐ能登半島は過疎・高齢化のトップランナーでもある。このまま座して死を待つのか、あるいは世界とリンクしながら、生物多様性を育む農業を現代に生かす努力を重ね新たなステージを切り拓いていくのか、その岐路に立っている。」

   申請の翌年2011年6月10日、中国・北京で開催されたFAO主催のGIAHS国際フォーラムで、能登と当時に申請していた佐渡市の申請などが審査された。自身も北京に同行しその成り行きを見守った。審査会では、能登を代表して七尾市長の武元文平氏と佐渡市長の高野宏一郎氏がそれぞれ農業を中心とした歴史や文化、将来展望を英語で紹介した。質疑もあったが、足を引っ張るような意見ではなく、GIAHSサイトの連携についてどう考えるかといった内容だった。申請案件は科学評価委員20人の拍手で採択された。日本の2件のほか、インド・カシミールの「サフラン農業」など合わせて4件が採択された。日本では初、そして先進国では初めてのGIAHS認定だった。

   能登の認定タイトルは「Noto’s Satoyama and Satoumi」。GIAHS認定を受けてから、徐々に能登に変化が起き始める。一年おきに開催されるFAOのGIAHS国際フォーラムの開催が2013年5月は能登で決まった。この決定に関係各国は驚いたはずだ。北京でのフォーラム閉会式で、GIAHS事務局長は「次回はカリフォルニアで開催を予定している」と述べていた。カリフォルニアワインの代名詞となっているナパ・バレーはワインの産地だ。それがひっくり返って能登に。

    ネタ明かしをすると、2012年5月、ヨーロッパ視察に訪れた石川県の谷本正憲知事がローマのFAO本部にジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ事務局長を訪ね、能登での開催を提案していたのだ。FAOは次のフォーラム開催が1年後に迫っていたにもかかわらず変更を決断。「認定サイトの地で初めてのフォーラム開催」をFAOはうたった。それ以前は2007年がローマ、09年がブエノスアイレス、11年が北京だった。

   能登半島の七尾市和倉温泉で開催されたGIAHS国際フォーラム(2013年5月29-31日)には11ヵ国19サイトの関係者が集まった。能登では初の国際会議だった。そして、審査会では新たに日本の3サイト(熊本県「阿蘇の草原と持続可能な農業」、静岡県「静岡の茶草場農法」、大分県「国東半島宇佐の農林漁業循環システム」)など5サイトが新たに認定された。その後もGIAHS国際フォーラムは開催され、現在では22ヵ国の62サイトに。そして、イタリア、スペインなどヨーロッパにも認定が広がっている。

   2011年のGIAHS認定をきっかけに、能登にグローバルな目線が注がれることになり、「Noto」が世界に浸透していくことになる。(※写真は、2011年6月、北京で開催されたGIAHS国際フォーラムの認定状を手にする武元七尾市長=左=と高野佐渡市長)

⇒26日(金)夜・金沢の天気        あめ  

★夜空の部分月食 大晦日の「マツケンサンバⅡ」

★夜空の部分月食 大晦日の「マツケンサンバⅡ」

   さきほどまで金沢の夜空に浮かぶ部分月食(ほぼ皆既月食)を眺めていた。写真は午後6時9分ごろに自宅2階から撮影したもの。きょうの月の出は午後4時40分ごろで、日没と同じころだった。空が暗くなるに連れて月の欠け具合も進み、すっかり暗くなった午後6時3分ごろが食の最大となった。その後少しづつ月は元の姿と戻りはじめた。午後7時47分ごろに満月の姿に戻った。立冬が過ぎて夜空を見上げることはほとんどなかったが、きょうは珍しく終日晴天に恵まれ、夜までもった。おかげで天体ショーを観察することができた。

   きょうはもう一つ、夜空を見上げるような気持ちになったことがある。NHKの今年の大晦日の番組「紅白歌合戦」で、あの「暴れん坊将軍」の松平健が歌う「マツケンサンバⅡ」が決まったとテレビのニュース番組で紹介されていた。曲がリリースされたのは2004年だが、聴いたのはことし7月が初めてだった。オリンピック開会式のセレモニー楽曲を担当する作曲家グループの1人だった小山田圭吾氏が過去のいじめ告白問題で7月19日に辞任して大騒ぎになったが、そのとき、ヤフー・コメントなどで「マツケンサンバを開会式で」との書き込みを何度か目にした。検索して、「マツケンサンバⅡ」を動画で見て初めて見た。今回の決定もツイッターなどSNSでの「マツケンサンバ待望論」が巻き起こっていたことが背景にあるようだ。  

   サンバのリズムに乗ってテンポよく歌い踊る松平健の後ろでは、腰元と町人風のダンサーたちが乱舞する。サンバは肌を露わにしたダンサーが踊る姿をイメージするが、赤い衣装を着た腰元ダンサーの方がむしろ艶っぽくなまめかしい。さすがに、オリンピックの開会式では時間もなく無理だろうと思ったが、それ以来、家飲みのときにネットで楽しませてもらっている。

   紅白の特別企画での出演なので、おそらくネット動画以上に派手にステージで演出されるに違いない。新型コロナウイスルの感染拡大や東京オリンピックの開催問題、眞子さんと小室圭氏の結婚に絡む問題などいろいろあった2021年だが、「マツケンサンバⅡ」でパッと締めくくりたい。この曲を採用したNHKの番組プロデュサーの気持ちが読めるようだ。

⇒19日(金)夜・金沢の天気     はれ

☆立冬を染める「ころ柿の里」の風景

☆立冬を染める「ころ柿の里」の風景

   立冬の頃を色鮮やかに染める風景、それは紅葉やカニだけなく、吊るし柿もその一つだ。能登の「ころ柿」の産地で知られる志賀町をこの季節に何度か訪ねたことがある。渋柿の皮をさっとむき、竹ざおに吊るして、立冬のころの冷たい風にさらして乾燥させる。渋味が抜け、紅色の甘く、やわらかい干し柿となる=写真・上=。この時季に町を訪れると、農家の2階の窓際や軒先に柿が吊るされている様子がそこかしこで目に映る。

   ある農家を訪れると、シニアの女性4人が忙しく作業をしていた。電動皮むき機を使って皮をむく人=写真・下=、30㌢ほどのビニールの紐の両端に皮をむいた柿のヘタの先の枝に紐をくくり付ける人。そのくくり付けた柿を作業場の中につくられた木の小屋に入れている人がいる。「いおうくんじょう」という作業。「硫黄燻蒸」。小屋では、硫黄粉末を燃やして発生させた二酸化硫黄の煙で燻す。密閉された状態で20分ほど。それを外に出して、今度は扇風機の風でさらす。こうすることによって、カビや雑菌の繁殖が抑えられ、柿の酸化防止と果肉色をきれいにする効果がある。二酸化硫黄の使用量や残留量は食品衛生上で問題のない量だという。

   その後に作業場の2階で竹ざおで吊るす。2階は風通しをよくするために四方に窓がある。ここで2週間ほど自然乾燥させて、1個ずつ手もみをする。さらに高温の部屋で乾燥させ、2度目の手もみをする。実をもむことで果実が柔らかくなり甘みが増す。

   原産の渋柿は「最勝(さいしょう)柿」。この農家では毎年1万5千個ほどのころ柿を生産している。10月下旬、作業が始まると金沢や遠方に嫁いだ娘さんたちも応援に来てくれ、にぎやかになる。ころ柿は贈答用が主で毎年11月下旬ごろから出荷される。立冬の頃を染める「ころ柿の里」の風景ではある。

⇒11日(木)午後・金沢の天気     あめ時々くもり

★ガソリン、散髪、修学旅行に見る「近場の経済」

★ガソリン、散髪、修学旅行に見る「近場の経済」

   このブログで何度か取り上げている近所のガソリンスタンドの価格。きょう行くと1㍑当たり169円となっていた=写真=。1月初旬で133円前後だったので、36円の値上がり、率にして27%だ。金沢市内の一部のスタンドではすでに1㍑171円のところもある。値上げの背景はOPECやロシアなどの産油国が景気の先行きが不透明なことなどから今月も増産を見送ったほか、新型コロナウイルスのワクチン接種が進んだことで世界的に経済活動が再開し、原油の需要が膨らんでいると報道されている。また、ドルと円の為替相場が円安にぶれていて、このところ114円前後が続いている。

   ガソリンの価格高騰は「増税」と同じだ。可処分所得が減る。農業や漁業など一次産業にもコスト高をもたらしている。さらに、産地からの輸送コストがそのまま食料品や資材の価格高騰に反映している。

   夕方、散髪に行ってきた。理髪店のマスターがこぼしていた。「コロナのせいで、常連さんたちの散髪の回数が減りましてね」と。これまで、2ヵ月ごとの散髪の常連客のほとんどが3ゕ月ごとの傾向が続いているようだ。確かに、人と会う機会を減らせば、身だしなみも気にしなくなる。そして、散髪の回数も減る。金沢市内では新型コロナウイルスの感染が治まりつつあるとはいえ、理髪店通いは元に戻るかどうか。

   景気の悪い話ばかりではない。午後に兼六園近くの通りを車で走ると制服を着た修学旅行生らしき若者たちが列をなしていた。さらに、人気スポットの金沢21世紀美術館も前の芝生にまで修学旅行生であふれていた。金沢は武家屋敷や忍者寺などの観光スポットが集中しているので一日で歩いて回れる便利な場所なので、修学旅行先に選ばれているのかもしれない。それにしても多い。

   きのう県内の高校の校長から聞いた話だ。この高校では2年生が9月に修学旅行を予定していたが、コロナ禍で延期とし12月に四国方面に行くことにしたという。父母から要請もあり、東京や大阪、沖縄など非常事態宣言が出されていた地域は避けたようだ。ということは、修学旅行の金沢ラッシュは、本来ならば人気の東京や大阪、沖縄などが回避されたことによる「特需」なのかもしれない。

⇒3日(水)夜・金沢の天気