☆高騰する金の価格 金を楽しむ金沢という街
金沢では金箔は体によいとされ、金箔を入れた日本酒、化粧品、金箔をまいたソフトクリーム、うどんもある。かつて、金沢の子どもたちが頭にたんこぶをつくると、金箔が熱の吸収によいことから膨らんだ部分にはっていた。
「金沢は金箔で持つ」と言われるくらいに、金沢は伝統的に金箔生産量を誇り、全国シェアは98%だ。金を極限まで薄く伸ばしたのが金箔であり、この「縁付(えんつけ)金箔」と呼ばれる製法は「伝統建築工匠の技」の一つとして、
2020年にユネスコ無形文化遺産にも登録されている。(※写真は、金沢金箔伝統技術保存会ホームページより)
その金の価格が高騰している。日経新聞Web版(8月29日付)によると、国内小売価格が税込みで1㌘1万円の大台に初めて乗せた。地金商最大手の田中貴金属工業が29日発表した販売価格は前日比28円高の1㌘1万1円と、連日で最高値を更新した。外国為替市場で円安・ドル高が進行し、円建ての国内金価格が上昇。世界景気の減速懸念から「安全資産」とされる金が選好されていることも後押ししている。
こうなると金箔生産が盛んな金沢では、業者は材料が難しくなるのではと思ったりもする。ところが、そうではないようだ。知人からかつて聞いた話。「金箔製造業者は潰れない(倒産しない)」と。なぜなら、インゴット(地金)の価格が安いときに大量に仕入れ、高くなれば売って経営を安定させる。「良質な金を見極める目利きであり、金箔業者は金のトレーダーだよ」と知人は妙にほめていたことを覚えている。
金沢では金箔製造業者の店舗は観光地スポットでもある。店に入ると、工芸品や化粧品、食用金箔、建築装飾、箔材料、観光などさまざまな商品が並ぶ。最近では「金継ぎ」が国内外で知られるようになった。東京パラリンピックの閉会式(国立競技場・2021年9月5日)でアンドリュー・パーソンズ会長が発した言葉だった。日本の金継ぎの技術について、「不完全さを受け入れ、隠すのではなく、大切にしようという発想であり素晴らしい」と述べて、金継ぎという言葉が世界でもトレンドになった。さらに、金継ぎは一度は壊れてしまった製品を修復するだけでなく、金箔を使うことでアートを施し、芸術的価値を高める。
金の価格高騰もさることながら、その金をどのように生活で使い、楽しみ、新たな価値を創造するか。金沢という街はそのショーウィンドーかもしれない。
⇒4日(月)夜・金沢の天気 くもり
地元の新聞メディアは「猛暑 記録ずくめの8月」の見出しで、石川県内の異常な暑さのさまざまなデータを掲載している。以下、北陸中日新聞(1日付)の記事の引用。
日中だけでなく、寝苦しい日も続いている。金沢では25度以上の熱帯夜が39日間連続している。これは、1994年に記録した27日間を大幅に更新している。
雲の面白いカタチは想像をたくましくさせてくれるが、積乱雲には気を付けたい。もう15年も前のことだが、「ダウンバースト」という現象が起きた。航空自衛隊がある石川県小松市。2008年7月27日午後3時半ごろ、突風が吹き荒れた。航空自衛隊小松基地が観測した最大風速は35㍍で、「強い台風」の分類だ。このため、神社の高さ4㍍の灯ろうが倒れたり、電柱が倒壊したり、民家70棟の窓ガラスが割れるなど被害が及んだ。このとき、小松基地が発表するのに使った言葉が「ダウンバースト」だった。積乱雲から急激に吹き降ろす下降気流。ダウンバースト、初めて聞いた言葉だった。
ただ、立場が異なればタカサゴユリは外敵、目の敵だ。国立研究開発法人「国立環境研究所」のホームページには「侵入生物データベース」の中で記載されている。侵入生物、まるでエイリアンのようなイメージだ。確かに、植えた覚えはないので、おそらく種子が風に乗って、庭に落ちて育ったのだろう。外来種だからと言って、すべて駆除すべきなのか、どうか。この花を見るたびにそんなことを思ったりする。
石川県が独自に開発した品種であり、品種登録も行っているルビーロマンが韓国にもある。品種登録が韓国では行われていなかったことから、韓国に苗木が流出して栽培されたものと見られている。
誘ってくれたのは稲作専業農家の大田豊氏74歳。先祖代々からの里山の田んぼを受け継ぐ。標高220㍍の棚田に無農薬、そして無化学肥料のコメづくりに取り組み、2011年に「渡津蛍米」を商標登録した。いわゆる「生き物ブランド米」だ。兵庫県但馬地域の「コウノトリ米」や新潟県佐渡の「トキ米」が有名だが、大田氏も「生き物は田んぼの豊かさを示すバロメーター」が持論で、独学で田んぼと生物多様性について学んでいる。多彩なゲストを招いての勉強会もその一環。
秒間隔との内容だ。ゲンジボタルのミトコンドリア遺伝子につながる塩基配列を用い、全国108地域の個体間の遺伝的類縁関係を調べるなど調査した。その結果、進化の過程で遺伝的変異とともに、発光パターンが変化したとの解説だった。
確かに周囲5㌔ほどの小さな島で、大伴家持が能登を訪れてアワビのことを詠ってから1270年余りの間、連綿とアワビ漁が続いている。素潜りなので、一番深いところ18㍍ほどと採取エリアが限られている。そして、海女さんたちは自主的に厳しいルールをつくっている。アワビの貝殻の大きさ10㌢以下のものは採らない。漁期は7月1日から9月30日までの3ヵ月。海に潜る時間は午前9時から午後1時までの4時間と制限している。さらに、休漁日は一斉に休む。こうしたルールを互いに守ることで、持続的なアワビ採りの恩恵にあずかっている。
いまから、69年前の1954年にイタリアの文化人類学者で写真家もあった、フォスコ・マライーニ(1912-2004)という人物が舳倉島にやってきた。島で見たこと、聞いたことを、自ら撮影した記録映像でまとめ、本も出した。日本語版は『海女の島 舳倉島』(未来社、初版1964年)として出版されている。
日本語版の本を読むと、マライーニは海女さんたちのことを「日本のヴィーナスたち」と表現している。自身はヴィーナスと言えば、フランスのルーブル美術館にある「ミロのヴィーナス」をイメ-ジしていた。なので、マライーニのこの本を読んでからもずっと、海女さんをミロのヴィーナスに例えたのだと勝手に想像していた。
味だろう。この和歌から分かることは、少なくとも1270年余り前の昔からこの島ではアワビ漁が連綿と続いるということだ。
日本から4000㌔も離れた中国大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から偏西風に乗って黄砂はやってくる。きょうのような日に外出すると、目がかゆくなる。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすようだ。さらに、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。
「輪島キリコ会館」に入った。2015年3月にリニューアルオープンしている。展示スペースには、高さ10㍍規模の大キリコが7基と、5㍍ほどのキリコが24基展示されている=写真・上=。直方体のあんどんに、屋根や四本の柱、担ぐための棒などには輪島塗が施され、昇り竜の彫刻に金箔を貼り付けた飾り物などが際立つ=写真・下=。若い衆が激しく動かす祭りのときのキリコのイメージとは違って、まるで装飾品だ。
能登の他の地区では、祭りが終わればキリコの倉庫や、解体して神社の倉庫に仕舞われるが、輪島のキリコはキリコ会館で展示されいて、祭りになるとそのまま担がれて街を練る。祭りが終われば、また会館で展示され、観光客を呼び込むというシステムになっている。輪島でそれが可能になったのは、キリコ会館の周辺には奥津比咩神社大祭(8月22、23日)、重蔵神社大祭(同23日)、住吉神社大祭(同24日)、輪島前神社大祭(同25日)と祭りが集中して、展示にムダがないせいかと推測する。