⇒トピック往来

★ジンベエザメと能登の海、そして水族館の共生

★ジンベエザメと能登の海、そして水族館の共生

   きのう(19日)オンラインでの講演会があり参加した。テーマは「能登の海の魅力とジンベエザメ」。のとじま臨海公園水族館の展示・海洋動物科長、加藤雅文氏が講演した。のとじま水族館は能登近海に回遊してくる魚類などを中心に500種4万点を展示している。その9割は能登の海で獲れたもの。水族館のスターは何と言っても、ジンベエザメだ。

   加藤氏の講演は、日本海を俯瞰する話から始まった。世界の海の広さから見れば、日本海は面積では0.3%に過ぎない。陸に囲まれているという立地から陸から流れてきた栄養分などが海底に積もっている。栄養素から植物プランクトンが発生し、動物プランクトン、そして多様な海洋生物が育まれる食物連鎖がある。地球規模から見れば、小さな海にブリやサバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのはそのためだ。

   能登半島をめぐる海の特徴として3つある。能登半島は海に突き出ているため、対馬海流の影響を受ける。塩分濃度が高く、時速4㌔の水流、そして暖海性の海洋生物が海流に乗って北上してくる。富山湾は岸から近い距離で一気に深くなり、1200㍍の水深となる。この「海底の谷」が海洋生物のかっこうの住処(すみか)となる。海そうが生い茂る場所を「藻場」と呼ぶが、能登半島は日本最大級の藻場の分布域でもある。この藻場によって、水質の浄化や生物多様性の維持、海岸線が保全される。

   こうした能登の海で、のとじま水族館は定置網漁などの漁業者と協力して、展示する海の生きものを得ている。2016年から5年間で漁業者から入手した生きものは598種類5万3117匹に上る。このうち、タケウツボやアオイガイ、ユウレイイカ、マンボウ、カスザメ、イトマキエイなど1匹しから見られない希少種も121種類あった。

   ジンベエザメの場合は、定置網で捕獲されると漁業者から連絡があり、スタッフが現場に向かう。定置網でのジンベエザメの大きさなど目測する。水族館の水槽は円形で高さ6.5㍍、直径20㍍ある。エサを与えると、ジンベエザメは立ち泳ぎして食べるので、体長が6㍍を超えるジンベエザメは水槽の底に尾ひれが触れてしまう。そこで、体長4.5㍍から5.5㍍のものでないと、水族館では引き取ることができない。

   スタッフが「じんべい丸」と呼ぶ、ジンベエザメ専用の細長い水槽を沖合に持って行き、定置網からこの水槽に入れる。じんべえ丸を陸揚げして水族館に運び、ジンベエザメ展示館の屋根に付けてある扉を開け、クレーン車で吊り上げて、そのまま降ろすと展示用の水槽に入る。

   水槽に入ったジンベエザメに対し、スタッフは「健康管理」と「馴致(じゅんち)」という作業を行う。健康管理は外傷の有無や遊泳行動の観察、そして血液性状の検査を御行う。馴致は水槽という環境になれさせるという意味で、水槽という環境に順応させるように最初はスタッフも水槽に潜り、いっしょに行動する。摂餌はエサやりの方法や場所をなれさせる。健康管理のため、定期的に採血も行う。

   ジンベエザメは体の大きさの割には威圧感がない。小魚やプランクトンがエサで動きがゆったりしているので、人気がある。ジンベエザメがいるので入館者数も増える。体長が6㍍になると、GPS発信機をつけて再び海に放す。回遊経路などがこれによって調査される。

   能登の海と水族館、そしてジンベエザメが共生する関係性が実によく見えた講演だった。

⇒20日(土)午前・金沢の天気   あめ

☆「札キリコ」と「祭りキリコ」のこと

☆「札キリコ」と「祭りキリコ」のこと

   石川県内ではきょう新たに確認された新型コロナウイルス感染者は1995人となった(石川県庁公式サイト「医療・福祉・子育て」)。今月10日から12日までは2000人台に達していて、最多レベルの感染が続く。このような中、お盆の時季でもあり、金沢の街中や道路などは混雑している。3年ぶりに行動制限のないUターンラッシュだ。

   きょう金沢市の南隣の野々市市と北隣の津幡町へ親戚の墓参に行ってきた。近隣であってもお盆の風習に違いがある。金沢市は7月中旬の新盆、野々市市と津幡町は旧盆での墓参りが多い。

   時季だけでなく、墓参りの仕方にも違いがある。金沢の場合は「札キリコ」を持参する。墓の前に札キリコをつり下げる棒か紐がかけてあり、墓参した人は棒か紐につるす。札キリコには宗派によって、例えば浄土真宗の墓地ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏の「進上」には墓参した人の名前を記す=写真・上=。この札キリコによって、その墓の持ち主は誰が墓参に来てくれたのかということが分かる仕組みになっている。

   これに対し能登・加賀では、札キリコを持参する風習はないが、墓参りの後にその家を訪ねて仏壇にも合掌をする。直接顔を見せる能登・加賀と、名前を札キリコに書き置きする金沢の違いがある。むしろ、金沢の方が独特なのかもしれない。以前、お寺の関係者から聞いた話だが、札キリコは江戸時代からあり、金沢では武家の間だけの風習だった。名刺代わりに札キリコに名前を書いて墓参した。それが、明治以降は庶民に広がったという説だった。

   キリコはもともと切子灯籠(きりことうろう)と呼ばれていて、行灯(あんどん)のようなカタチをしていた。金沢では、札キリコとしてコンパク化して名刺の役割を持つようになった。一方、能登ではキリコは巨大化した。能登各地で伝統的に催される夏祭りと言えば、祭りキリコ=写真・下=。神社の神輿の先導役として集落を練る。

   この祭りキリコは高さ10数㍍のものもあり、若集が数十人で1基を担ぎ上げる。鉦(かね)や太鼓が備えられ、祭りキリコが動き出すとにぎやかになる。では、なぜ巨大化したのか。祭りキリコは集落のシンボル的でもあり、輪島塗で装飾を施し豪華さを、あるいは、大きさを誇示することを繰り返して巨大化したとも言われる。

   「札キリコ」と「祭りキリコ」はもともと切子灯籠。地域によって用途が異なり、また独自の大きさとカタチに変化した。切子灯籠の進化論ではある。ただ、ルーツは同じなので「札キリコ」と「祭りキリコ」のカタチはなんとなく似ている。

⇒14日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆世界遺産めざす「佐渡金山」の価値とは

☆世界遺産めざす「佐渡金山」の価値とは

   ユネスコ世界文化遺産への登録を目指す「佐渡島の金山」をめぐって、ユネスコ側から推薦書類の不備が指摘され、来年の登録が困難になっている問題。さらに、霊感商法や献金強要によって巨額の金を集めが問題となっている「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)の名称変更をめぐる問題。所管する文科省と文化庁にとってはダブルパンチに違いない。

   去年10月、佐渡市で世界農業遺産(GIAHS)認定10周年記念フォーラムが開催され、個人として参加した。国連食糧農業機関(FAO)から2011年6月、日本で初めて佐渡と能登がGIAHS認定を受け、10年経ったことを記念するイベントだった。2泊3日のスケジュールの最終日にはエクスカーションがあった。

   ツアーのテーマは「佐渡GIAHSを形成したジオパークと佐渡金銀山、そして農村の営み」。佐渡の金山跡に入ると、ガイドの女性が詳しく説明してくれた。島内には55の鉱山があり、江戸時代から約390年間に産出された金は78㌧、銀は2330㌧に上った。佐渡金山は幕府直轄の天領として奉行所が置かれ、金銀の採掘のほか小判の製造も行われた。鉱山開発の拠点となった佐渡には国内各地から山師や測量技術者、労働者が集まった。最前線で鉱石を掘ったのは、「金穿大工(かなほりだいく)」と呼ばれた採掘のプロだった。

   鉱山特有の難題があった。地下に向かって鉱石を掘れば水が湧き出るため、放っておけば坑道が水没する。そこで、手動のポンプ「水上輪(すいしょうりん)」が使われた。紀元前3世紀にアルキメデスが考案したとされるポンプを応用したもので、ヨーロッパで開発されたものが幕府経由で佐渡にもたらされた。水を汲み上げて排水溝に注ぐ水上輪だが、ハンドルを回すのは相当な力仕事。水上輪だけでなく、桶でくみ上げる作業も必要となる。そうした坑道の排水作業は「水替人足(みずかえにんそく)」の仕事だった。

   そこで、ガイドの女性に質問した。「水替人足はどんな人たちだったのですか。島流しの人たちですか」と。すると、ガイドは「佐渡金山は流刑の地ではありません。水替人足は無宿人(むしゅくにん)と呼ばれた人たちが行いました。無宿人は凶作や親から勘当を受けるなどさまざまな理由で故郷を離れ江戸や大阪にやってきた人たちで、江戸後期(安政7年=1778)から幕末までの記録で1874人が送られてきたそうです」と。重い罪で島流しになった「流人」とは異なる人たちだった。

   島の農民はコメに限らず換金作物や消費財の生産で安定した生活ができた。豊かになった農民は武士のたしなみだった能など習い、芸能も盛んになった。現在でも島内に能舞台が33ヵ所もあり、国内の能舞台の3分の1が佐渡にある計算だ。

   世界文化遺産「佐渡島の金山」として申請対象になっているのは「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」の2ヵ所。金銀の生産体制と技術に関して道具や記録、そして採掘された坑道が記録として残っている。さらに、鉱山と集落が「遺跡」として一体化して現存していることで世界遺産の価値が高まる。

   申請で問題もあった。対象時期を「戦国時代末~江戸時代」とした点だ。これまで報道があったように、この鉱山に戦時中、朝鮮半島からの人たちが強制労働をさせられたと韓国側からクレームがあった。もし、そのような歴史があるのであれば、無給で強制だったのか、有給だったのか、労働条件・待遇など、文書など記録を記載して、再申請すればよいのではないか。

   明治・大正、そして戦時下を経て、平成元年(1989)に資源枯渇のため長い歴史の幕を閉じた。最盛期の江戸時代だけではなく衰退に向かう歴史的事実もすべて説明したほうがよいのではないか。世界文化遺産は栄枯盛衰の歴史そのものに価値があるのではないだろうか。

⇒3日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆伊勢神宮で連綿と伝わる朱鷺色の美学

☆伊勢神宮で連綿と伝わる朱鷺色の美学

   東京にある地名の「赤羽」はトキの生息地が由来かもしれない。そんな話を聞いて、なるほどと目からウロコだった。先日(24日)、能登半島の七尾市で「能登地域トキ放鳥推進シンポジウム」があり、参加した。石川県は環境省が進めている国の特別天然記念物のトキの本州などでの放鳥場所について名乗りを上げていて、シンポジウムは能登地域トキ放鳥受入推進協議会(会長・馳浩県知事)が主催した。

      シンポジウムが開催された場所は、七尾市田鶴浜地区コミュニティセンターホール。田鶴浜は地名で、海辺の田んぼにツルが舞い降りるとしてつけられた縁起のよい地名でもある。

         基調講演で上野動物園の元園長、小宮輝之氏がトキの生態や人工飼育の歴史や現状について述べた。翼を広げて飛ぶトキを下から見上げると、朱鷺色と称される赤っぽい色をしている。江戸時代に書かれた文書には「紅鶴 千住」と書かれている。紅鶴は現代ではフラミンゴを意味するが、江戸時代に田んぼが広がっていた千住にトキをいたと考えられる。冒頭の赤羽もトキに由来する地名ではないかとの小宮氏の説だ。 

   そして紹介されたのは、葛飾北斎が描いた『富嶽百景』の中の「写真の不二」。トキのような鳥が柱のてっぺんに止まって、富士山を眺めている様子が描かれている。

   さらに聞き入ったのは、伊勢神宮の神宝とされる「須賀利御太刀(すがりのおんたち)」に、トキの羽根が飾られていることだった。太刀は平安時代の法令「延喜式」で、柄にトキの尾羽をまとまわせるように記されているという。太刀は20年ごとの式年遷宮で調製される御装束神宝の一つで、平成25年(2013)に新調された太刀は、いしかわ動物園で飼育されいるトキの自然に生え換わった尾羽が使用されたとの小宮氏の説明だった。千年以上も前から、トキの羽に美学を感じ尊んできた人々のものづくりの感性には驚くばかりだ。

   写真は、東京国立博物館で開催された第62回式年遷宮記念特別展「伊勢神宮と神々の美術」(2009年7-9月)の図録から。須賀利御太刀の柄の部分には、上下にはトキの尾羽2枚が緋色(ひいろ)の撚糸(よりいと)でまとってある。太刀は昭和4年(1929)のもの。

⇒26日(火)午後・金沢の天気     はれ

★セミの合唱 祭りの心意気が夏を呼ぶ

★セミの合唱 祭りの心意気が夏を呼ぶ

   ようやく夏らしさを感じた。きのう庭先で雑草の草むしりをしていると、「ジージー」というセミの鳴き声が聞こえてきた。そのうち合唱となって夏を耳で感じた。北陸に住んでいると、夏はアブラゼミから始まり、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、そして夏の終わりのツクツクボウシ。

   ことしは梅雨が平年より25日も早く6月28日に明けた。その後、戻り梅雨のような空模様で季節感が途切れていた。ようやく夏は来ぬ、という感じだが、天気予報で傘マークはまだ続き、晴れマークが出て来るのは今月24日以降だ。ちぐはぐな季節感はもうしばらく続きそうだ。

   夏を呼ぶ祭りもある。能登半島の尖端、珠洲市の「燈籠山(とろやま)祭り」は毎年7月20、21日の両日催される。高さ16㍍にもおよぶ巨大な山車を、当地では「燈籠山」と呼ぶ。総漆塗りの山車が街を練る、鮮やかな祭りでもある。そして、地元の人たちが「キャーラゲ」と称する、独特の木遣り歌が街中に響き、祭りの情緒を盛り上げる。山車は深夜まで町の中を練り歩きます。別名はお涼み祭り、夏を告げる祭りだ。

   珠洲市では1ヵ月前の6月19日に震度6弱、翌日も5強の強い揺れがあった。祭りが行われる春日神社では鳥居が根本から倒れるなどの被害が起きた。同神社では、鳥居がなければ祭りにならないと、代替に「竹の鳥居」をこしらえ、本番に備えた。そして、祭りの山車には毎年異なった創作の人形が載せられるが、ことしは江戸時代の火消しが掲げられた。そのテーマは「火事場のばか力」。災害に負けない心意気が伝わって来る。

(※写真は珠洲市公式サイト「GO TO SUZU  飯田燈籠山祭り」より)

⇒20日(水)午後・金沢の天気    くもり

★能登の海 ジンベイザメは悠然と

★能登の海 ジンベイザメは悠然と

   きょうは18日は「海の日」。海の日が制定された1996年は「7月20日」だったが、2003年からは祝日法の改正で「ハッピーマンデー制度」が導入され、「7月の第3月曜日」となった。海の日でぎわっているのは、能登半島の真ん中、七尾市能登島にある「のとじま水族館」ではないだろうか。 

   ことしで開館40年となるのとじま水族館には最近まで毎年のように訪れていた。金沢大学の教員時代に、単位科目として「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」(2泊3日)を企画して、学生や留学生を連れて、能登の里山里海の生物多様性や文化多様性を学ぶフィールド実習に出かけていた。その目玉の一つがのとじま水族館だった。

   能登の海にはジンベエザメやクジラ、エイなどが泳いでいて、海の生物多様性に優れているといわれる。のとじま水族館は能登近海に回遊してくる南方海域に生息する温水系の大型魚類などを中心に500種4万点を展示している。その水族館のスターは何と言っても、ジンベエザメだ。水族館のジンベイザメは能登の地元の定置網で捕獲されたもの。

   体の大きさの割には威圧感がない。ジンベエザメは和名だが、模様が着物の甚兵衛に似ているからとの説も。小魚やプランクトンがエサで動きがゆったりしているので、人気があるのだろう。体長が6㍍になると、水槽としては小さくなることから、GPS発信機をつけて再び海に放される。ジンベイザメの回遊経路などがこれによって調査される。東南アジアからの留学生たちは珍しそうに、食い入るように見学していた。

   それにしても、地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜジンベイザメやクジラ、イルカ、そしてブリやサバ、フグ、イカ、カニなど多様な生き物が生息するのか。一つの説だが、春になると大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠で舞い上がった大量の黄砂が偏西風に乗って日本海に注ぐことになる。3月、4月に「ブルーミング」と呼ばれる、海一面が白くなるほど植物プランクトンが大発生する。黄砂の成分といえるケイ酸が海水表面で溶出し、植物プランクトンの発生が促される。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという食物連鎖があるとの研究がある。

   話は冒頭に戻るが、海の日の趣旨は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことにある。能登半島から海を眺めると話は尽きない。

⇒18日(月)午後・金沢の天気     くもり

☆撮影禁止の威風堂々「百万石行列」

☆撮影禁止の威風堂々「百万石行列」

   新型コロナウイルス感染拡大の影響で3年ぶりの開催となった「金沢百万石まつり」(今月3-5日)が盛り上がって無事終わり、市民の一人として、めでたし、めでたしと思っていたが、ある問題が浮上している。メイン行事の百万石行列(4日)が行われた際、主役の前田利家役の竹中直人とお松の役の栗山千明の2人のタレントに対し、撮影禁止の札を持った数人の係員が大声で「写真を撮らないでください」と呼びかけていたようだ。自身は行列は見に行かなかったのでその場面は見ていない。
 
   いまの時代、沿道ではスマートフォンを掲げて写真を撮る人が多く見られる。これはごく普通の光景だ。わざわざ沿道に来てパレードを見学に来た観衆とすれば、見せ場を撮るなというのは解せないだろう。ツイッターでも相当な数が上がっている。「2022年6月4日の3年ぶりに開催された #百万石まつり 印象に残ったのは撮影禁止とSNSの投稿禁止を高らかに叫ぶスタッフの声でした、とても残念な印象だけが残った。周りので見てる方も困惑してた」(7日付)など違和感の声だ。
 
   金沢百万石まつり実行委員会の公式サイトをチェックすると、5月28日付で「百万石行列 観覧の方へ撮影・録画に関するお願い」と題して、「前田利家公役(竹中直人氏)、お松の方役(栗山千明氏)の肖像権保護のため写真撮影・録画及びSNSへの投稿をご遠慮ください」とある。さらに、31日付では「百万石まつり写真コンテストについて」と題して、「昨今、無断でSNSにアップロードするなどの肖像権に関するトラブルが多発しているという意見があることを受け、実行委員会として関係者等と調整した結果、中止の判断にいたりました」。屋外の公道をパレードするタレントに対し、撮影・録画を禁止し、さらに写真コンテストも中止の措置。前回2019年までは可能だったことがなぜ禁止に。

   そもそも、タレントの肖像権はどういう扱いなのか。いわゆる「人格権」としての肖像権はタンレント、有名人、一般人に関わらず誰にでも一律に認められている権利だ。ただ、「財産権」あるいは「パブリシティ権」としての肖像権は一般人には認めらず、タレント・有名人のみに認められている権利となる。では、街角でたまたまタレントをみかけて撮影し、その写真をSNSにアップしたとして、タレントが訴えるだろうか。多くの場合、タレント自身は「有名税」で済ませ、訴えたりはしない。タレント側としても裁判にかかる時間や経費、裁判所への出頭義務などから判断して、自分の写真を無断掲載されたからといって、その都度、告訴はしない。

 
   むしろ、タレントの肖像権をめぐるトラブルはメディアとの間のトラブルだ。社会的反響が大きい場合、肖像が無許諾で使用されることがある。しかし、メディア側は肖像権よりも「国民の知る権利」を背景に公に報道することの方が優越的利益ととらえて掲載する。

   観衆が集まる公道での公の行事でタレントの撮影禁止は誰もが納得いくだろうか。ツイッターで
金沢市議の広田みよ氏が市役所の担当者にこの件を質問した際の回答を載せている。「昨今、無断でSNS投稿するなど肖像権に関するトラブルが多発しているという意見を踏まえ、百万石まつりでは同種のトラブルはこれまで起こってないが、実行委員会として関係者等と調整した結果、お二人の肖像権保護のため、撮影・録画及びSNS投稿をご遠慮いただくこととした」
 
   これまでトラブルがあって、今回はやむなく撮影禁止にしたというのであれば理由がつく。それもないのになぜか。得体の知れない大きな問題がそこに潜んでいたのか。来年も同じ措置が講じられるのであれば、百万石行列は体育館、あるいは県立野球場でクローズの状態で撮影禁止の念書にサインした観衆のみ入れるということになるのではないか。(※写真は、ことしの第71回金沢百万石まつりのPRポスター)
 
⇒8日(水)午後・金沢の天気     はれ

★渡り鳥シギが舞い降りる千里浜の風景

★渡り鳥シギが舞い降りる千里浜の風景

   きのう能登半島の「千里浜なぎさドライブウェイ」を久しぶりに車で走行した。波打ち際を車で走ると爽快な気分になる。乗用車やバスで走行できる海岸は世界で3ヵ所と言われる。アメリカ(フロリダ半島)のデイトナビーチ、ニュージーランド(北島)のワイタレレビーチ、そして能登半島の千里浜だ。砂のきめの細かさと、適度に海水を含んで引き締まっていることでビーチが道路のようになる。

   千里浜はもう一つの名所でも知られる。春と秋の波打ち際にシギやチドリといった渡り鳥の群れが次々と降りてきて、人々を和ませる。この日は、シギの一群が舞い降りていた=写真=。渡り鳥はオーストラリアから日本を経由してシベリアを往復する。この季節は、冬場をオーストラリア周辺で過ごした渡り鳥が夏場の産卵のためにシベリアで行うに向かう。その途中に能登半島に立ち寄る。

   シギのお目当ては全長5㍉ほどの小さなエビ、ナミノリソコエビだ。波が引いた砂の上に残るナミノリソコエビを次の波が打ち寄せるまでのごくわずかな時間でついばむ。このエビは環境に敏感なことでも知られる。砂質が粗くなり汚泥がたまると生息できなくなる。逆な言い方をすれば、シギやチドリが舞い降りる海岸はきれいな海のバロメーターでもある。

   いつまでも渡り鳥が舞い降りる千里浜であってほしいと願うが、難題もいくつかある。砂浜の浸食は以前から問題となっている。河川災害を予防するためにつくられた砂防ダムや、コンクリートの護岸が設置されて、陸からの砂が海岸に運ばれなくなった。とくに、金沢港に建設された長い堤防の影響で、砂を含んだ加賀地方からの海流がせき止められて、千里浜への流れが少なくなってしまった。県や関係自治体では2011年に「千里浜再生プロジェクト」を設置して対策を講じてはいる。

   砂浜の浸食だけでなく、能登半島の対岸の国で捨てられたポリタンクやペットボトル、食品トレー、医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の漂着が相次ぐ。海洋プラスティックごみによって、海岸の汚染が懸念される。さらに、地球温暖化による海面の上昇も気懸りだ。気象庁の調べによると、1960年から2020年までの海面水位の変化を海域別に見た場合、北陸から九州の東シナ海側で他の海域に比べ大きな上昇傾向がみられる(気象庁公式ホームページ「日本沿岸の海面水位の長期変化傾向」)。

   海岸の浸食や漂着物、海面上昇によって、ナミノリソコエビの生息環境が失われつつあるのではないか。そんなことを案じながらの、なぎさのドライブだった。

⇒17日(火)夜・金沢の天気     はれ 

☆トキが再び能登の空に舞うとき

☆トキが再び能登の空に舞うとき

   では、能登が放鳥候補地に選定されたとして、トキの生息は可能化なのか。2007年、金沢大学の「里山里海プロジェクト」の一環として、トキが再生する可能性を検証するポテンシャルマップの作成に参加したことがある。珠洲市や輪島市で調査地区を設定した。まず始めたのは生物多様性の調査だった。奥能登には大小1000以上ともいわれる水稲栽培用の溜め池が村落により維持されている。溜め池は中山間地にあり、上流に汚染源がないため水質が保たれている。ゲンゴロウやサンショウウオ、ドジョウなどの水生生物が量、種類とも豊富である。溜め池の多様な水生生物は疏水を伝って水田へと分配されている。

    また、能登はトキが営巣するのに必要なアカマツ林が豊富である。また、能登はリアス式海岸で知られるように、平地より谷間が多い。警戒心が強いとされるトキは谷間の棚田で左右を警戒しながらドジョウやタニシなどの採餌行動をとる。豊富な食糧を担保する溜め池と水田、営巣に必要なアカマツ林、そしてコロニーを形成する谷という条件が能登にあることが分かった。ただ、14年前の調査なので、その後の環境に変化はあるかもしれない。

   2011年6月に「能登の里山里海」が世界農業遺産(JIAHS)に認定されて10年になる。候補地に選定されることで、トキの放鳥が里山里海のあり様を描く次なるメルクマールになるに違いない。

(※写真のトキは1957年に岩田秀男氏撮影、場所は輪島市三井町洲衛)

⇒11日(水)夜・金沢の天気    くもり

☆ところ違えば重宝される「花はハス」

☆ところ違えば重宝される「花はハス」

   庭に「アメリカハッカクレン」が咲き競っている。ちょっと見ただけでは、どこに花があるのか分からない。ハスのような葉の下方に花を付けているので、近くで観察しないと分からない。漢字で表記すると「亜米利加八角蓮」。「八角蓮」は読んで字のごとく、八角形をしたハスの葉という意味のようだ。

   毎年この時節にアメリカハッカクレンを床の間に生ける。普通の生け方ではない。何しろ「蓮」なのだ。尊い花という意味合いの生け方になる。耳付き古銅の花入れ、そして敷板は真塗の矢筈板だ。掛け軸は『柳緑 花紅』(やなぎはみどり はなはくれない)、11世紀の中国の詩人・蘇軾の詩とされる。緑と白が浮かび上がり、凛とした感じで床の間を彩る。

   ハッカクレン はアジアでは中国や台湾が原産とされ、花は赤褐色。アメリカハッカクレンは名前の通り、北アメリカが原産で花の色は白い。学名は「Podophyllum peltatum」。英名で「May apple」。メイアップルは、5月に咲くこの花の後に付く実がリンゴの形に似ているので名付けられたようだ。さらにネットで調べる。ウィシスコン大学マディソン校の公式サイトで以下の説明があった。アメリカでは、山野草として扱われる。アメリカの先住民たちは根茎や根をポドフィルム根といい、下剤や除虫薬として重宝していた。別のサイトによると、悪性リンパ腫などの抗がん剤として研究も進んでいるようだ。   

   アメリカハッカクレンは他の八角蓮とは違って、葉の形がそれほど大きくないことから、茶花として重宝される。ふと思った。北アメリカでは単なる山野草なのだろう。しかし、日本では仏教の花「蓮」として格式高く扱われる。床の間の様子を北アメリカの人々が見たらとても不思議に思うかもしれない。メイアップルは日本では「聖なる花」なのだ、と。

⇒28日(木)夜・金沢の天気       くもり