⇒トピック往来

☆日常生活にクマ出没 駆除に自衛隊出動という非日常

☆日常生活にクマ出没 駆除に自衛隊出動という非日常

クマの駆除に陸上自衛隊が派遣された。前代未聞のことだが、まさに過疎化する日本を象徴する出来事ではないだろうか。メディア各社の報道によると、クマによる人身被害を防止するため、秋田県と陸上自衛隊第9師団(青森市)は5日、クマの捕獲に向けて協定を結んだ。自衛隊は箱わなの運搬などで県内市町村を支援する。きのうからさっそく、秋田駐屯地(秋田市)の隊員が鹿角市で活動を始めた。支援は自衛隊法100条(土木工事等の受託)などに基づき、①箱わなの運搬、②箱わなの設置や見回りに伴う猟友会員らの輸送、③駆除したクマの運搬や埋設のための掘削、④情報収集――の4項目。武器による駆除は対象外となっている。支援期間は今月末まで。

クマの市街地での出没や人身事故は秋田県だけでなく、全国的な問題となっている。近年その傾向が強まったため、政府はことし4月、クマやイノシシが市街地に出没し、建物内に立てこもったり、木の上に登ったりするなど膠着状態が続いた場合、それぞれの自治体の判断で発砲できるようにする「改正鳥獣保護管理法」を成立させた。そこで問題となっているのが、クマ対策に関わる人材の不足だ。山奥から人里に入って来るクマを途中で阻止するために仕掛ける箱わなは重さが200㌔のあり、それをクマの通り道を推測して各所に設置するというのは、人材不足で地方では手が回らない、というのが現実のようだ。

クマの出没は地方だけの話ではない。最近では「アーバンベア(都市型クマ)」と呼ばれ、市街地周辺で暮らし、街中に出没するクマも増えている。金沢市の野田山は加賀藩の歴代藩主、前田家の墓がある由緒ある墓苑だ。市街地と接しているが、供え物の果物を狙って出没する。野田山では「お供え物は持ち帰ってください」との看板が随所にかかっている。中心街にも出没する。周辺にオフィスビルなどが立ち並ぶ兼六園近くの金沢城公園で、たびたび出没したことから、捕獲用のおりを仕掛けたところ体長1㍍のオスがかかったこともある(2014年9月)。(※クマ出没に注意を呼びかける石川県自然環境課によるポスター)

環境省公式サイトの「クマに関する各種情報・取組」によると、今年度の上半期(4-9月)の全国のクマの出没件数(速報値)は2万792件だった。昨年度同時期の1万5832件を大幅に上回り、統計の残る2009年度以降で最悪のペースとなっている。これだけ出没が頻繁になってくると懸念されるのは人身被害もさることながら、動物から人に伝染する「ズーノーシス」(Zoonosis=人獣共通伝染病)ではないだろうか。人間の活動領域と野生動物の領域が混じり合いことで、間接的であったとしても野生動物との接触度が増えることで感染リスクが高まる。欧米を中心にかつて広まった感染症「サル痘」やエボラ出血熱などはズーノーシスとされる。

少々乱暴な言い方になるが、日本でもズーノーシスが起きるのではないか。感染したクマが人里や住宅街に頻繁に入ってくることで、人々に感染症をもたらすかもしれない。そんなことを懸念する。

⇒6日(木)夜・金沢の天気   はれ

☆季節の変わり目に体を労わる一杯「薬膳ラーメン」のこと

☆季節の変わり目に体を労わる一杯「薬膳ラーメン」のこと

年齢を重ねると妙に「薬膳」という言葉が気になる。地元新聞の企業商品の紹介記事で「薬膳ラーメン」とあったので、昼食にちょうどいいかと思い、ラ-メンチェーン店に行ってきた。「8番らーめん」。地元石川県発祥のチェーン店で、ある意味でソウルフードとして地元では親しまれている。もともと石川県加賀市の国道8号線沿いで創業したラーメン店で、屋号は「国道8号」にちなんだネーミングといわれる。自身がこのチェーン店に初めて入ったのは55年も前のことで、長らく親しんできた味ではある。。

店に入り、タブレットで注文したのが「野菜辣醤麺(ラージャンメン)。税込990円。10月31日から1ヵ月ほどの期間限定。商品説明を読んでいると、「季節の変わり目に体を労わる一杯」と、なかなか味のあるキャッチコピーだ。とは言え、試験販売のようなもので売れ筋になりそうならば一般メニューに追加して並ぶのだろう、などと思いながら待っていると、野菜辣醤麺が運ばれてきた=写真=。テーブルに置かれる。ごま油やシナモンの香りが漂ってきた。まるで、「薬膳ラ-メンですよ、お待たせ」と語りかけてくるような。

さっそくすすってみる。野菜の旨味に、辛さ・しびれ・ほのかな酸味や、華やかな香りなどとても複雑な風味だ。まるで味のオーケストラのような。そして、体が内側から温まって来る。ネギや生姜などの香辛野菜のほか、唐辛子や山椒、コリアンダー、ヒハツなど薬膳効果がある食材が11種も入っているので、それぞれが楽器を奏でるように体内に伝ってくる。最後に、奥深い辛さの中にも、すっきりとした香りのアクセントを味わいながらラーメン汁をすする。楽しみが増えたような充実感だった。

これまで「8番らーめん」での定番は冬場の酸辣湯麺(サンラータンメン)だった。二日酔いに効くので以前から重宝している。独自のラー油「紅油」はゴマ油と赤唐辛子をベースに桂皮(シナモン)、陳皮(ミカンの皮)、山椒が加えてあり、額にうっすらと汗がにじんでくる。この瞬間から爽快感が出てきて、二日酔いが和らいでくる。それに比べ、野菜辣醤麺はシニアの老体を励ますコンセプトを感じる。1ヵ月限定とは言わずに、定番メニューに加えてほしい。付き合いの長いラーメンなので、勝手解釈を述べた。

⇒2日(日)夜・金沢の天気   あめ

★きょうから11月、冬の訪れ前に兼六園で「雪吊り」始まる

★きょうから11月、冬の訪れ前に兼六園で「雪吊り」始まる

きょうから11月。金沢に住んでいて、そろそろ冬の準備をしましょうと告げるのが兼六園の「雪吊り」ではないだろうか。毎年11月1日から雪吊りが始まり、唐崎松(からさきのまつ)などの名木に施される=写真、2022年11月撮影=。木の横にモウソウ竹の芯(しん)柱を立て、柱の先頭から縄をたらして枝を吊る。唐崎松には5本の支柱がたてられ、800本もの縄が吊るされる。まるで天を突くような円錐状の雪吊りはアートのようにも見える。

なぜ雪吊りを施すのか。金沢の雪はさらさら感のあるパウダースノーではなく、湿っていて重い。庭木に雪が積もると「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった雪害が起きる。そこで、金沢の庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」といった雪害対策の判断をする。唐崎松に施されるのは「りんご吊り」という作業で、このほかにも「幹吊り」(樹木の幹から枝に縄を張る)や「竹又吊り」(竹を立てて縄を張る)、「しぼり」(低木の枝を全て上に集め、縄で結ぶ)など樹木の形状に応じてさまざまな雪吊りの形式がある。

毎年の光景だが、雪吊り作業の様子をインバウンド観光の人たちが珍しそうに眺め、盛んにカメラを向けている。とても珍しい光景なのだろう。兼六園はミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得てから、インバウンド観光客が多く訪れるようになった。名木を守り、庭園の価値を高める作業ではある。兼六園では12月中旬ごろまで、800ヵ所で雪吊りが施される。

季節の話題をもう一つ。今月6日には北陸の冬の味覚の主役、ズワイガニ漁が解禁となる。石川県内の店頭ではオスの「加能(かのう)ガニ」、メスの「香箱(こうばこ)ガニ」が並ぶ。ズワイガニはご当地独自の呼びかたがあって、山陰地方では「松葉ガニ」、福井県では「越前ガニ」、そして石川県では「加能ガニ」と呼んでいる。ちなみに、加能とは、加賀と能登のこと。

「初物七十五日」という言葉がある。旬の時期に出回り始めた初物を食べると寿命が「七十五日」延びるという意味。 四季に恵まれた日本ならではの季節感で、それほど旬の食材を大切にしてきたということだろう。この11月は兼六園の雪吊りに始まり、ズワイガニ漁の解禁と続き、季節感が漂う。

⇒1日(土)夜・金沢の天気  あめ

★トランプ韓国訪問と言えば、6年前あのサプライズ会談

★トランプ韓国訪問と言えば、6年前あのサプライズ会談

トランプ大統領のアジア外交をメディアでチェックしていて、若いころによく使ったタフガイ(Tough Guy)という言葉を思い出した。マレーシアではASEAN関連首脳会談などをこなし、日本では天皇陛下との会見、高市総理と首脳会談、きのう(29日)は韓国で李大統領との首脳会談に引き続き、きょう午前11時すぎから韓国プサンの韓国空軍の施設で習近平国家主席との首脳会談を行っている。午後からは、あすから始まるAPEC首脳会議の関連行事のみ出席し、きょう中に帰国するようだ。

まさに4泊5日の強硬スケジュール。さらにここで想起するのが、2019年6月30日の「板門店会談」のような電撃的イベント。6月29日にG20大阪サミットで日本を訪れていたトランプ大統領はツイッターで「While there, if Chairman Kim of North Korea sees this, I would meet him at the Border/DMZ just to shake his hand and say Hello(?)!」(北朝鮮のキム主席がこれを見たら、握手してあいさつするためだけでも南北軍事境界線DMZで彼と会うかも?!)と、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長(当時)との面談をほのめかしていた。そして、30日午後3時45分、DMZ(韓国と北朝鮮の非武装地帯)での電撃的な会談が実現した。

同日午前11時、韓国を訪れていたトランプ大統領は文在寅大統領と首脳会談を行う。午後1時、会談後の記者会見でトランプ大統領は「DMZに行き、キム委員長と会う」と明言。ヘリコプターで午後2時45分ごろに現地の監視所に到着した。この1時間後の午後3時45分、板門店でトランプ大統領と金委員長が面会する。ここからの様子をホワイトハウスはX(旧ツイッター)で動画を公開している。両者はゆっくりと進み、軍事境界線を挟んで握手を交わし=写真=、その後、国境をまたいで北朝鮮側に入る。現職のアメリカ大統領として、初めて北朝鮮側に入った瞬間だった。

この後、韓国側の「自由の家」で午後4時ごろから米朝首脳会談が始まる。その冒頭で、トランプ大統領はこう語った。「とても特別な瞬間であり、2人の面会は歴史的なことだ。ソーシャルメディアでメッセージを送って、あなたが出て来てくれなければ、またメディアにたたかれるところだったが、あなたがこうして出てきてくれたので、2人ともそうならずに済んだ。そのことに感謝したい」(2019年6月30日付「NHKニュース」サイト)。まさにサプライズ会談だった。

トランプ大統領はきのうの記者会見で、韓国訪問中に金総書記との会談は行われないと明言しているので(29日付・AFP通信Web版)、今回、サプライズはなさそうだ。

⇒30日(木)午後・金沢の天気   はれ

☆田んぼ2題~児童の「田んぼアート」と千枚田のインバウンド観光

☆田んぼ2題~児童の「田んぼアート」と千枚田のインバウンド観光

能登の小学生たちがことしも「田んぼアート」にチャレンジした。描かれた作品は「のと」の文字だった。輪島市町野小学校の5年生と6年生の9人の児童がデザインを考えて、田植えから始めた。少し赤い色は古代米の赤米、緑の色は同じく古代米の緑米で、黄色い部分はコシヒカリの色だ。児童を指導したのは地元のベテランの農家の人たち。

きょう輪島市町野町に見学に行ったが、すでに田んぼの稲刈りが終わっていた。そこで、現地の関係者の方から写真を見せてもらった。左側の丸い顔のようなデザインが「の」、そして、すでに稲刈りが一部行われているが、右の部分が「と」の文字。面白いのは「の」を顔に動物の見立て、下が4本足の犬か猫のようなかわいい動物の姿に見える。(※写真・上は、地元の関係者からの提供)

児童たちの「田んぼアート」には歴史があり、2002年から始まった。最初は田植えと稲刈りを通じて、コメづくりの大切さを学ぶというコンセプトだった。コメは収穫期になると赤米、緑米、コシヒカリにそれぞれの色があることから、その色を利用して2004年から田んぼアートを行うようになった。

自身は去年初めて現地を訪れた。そのときの作品は「生きる」という文字と、ハートを抱きしめた人の姿が描かれていた=写真・中=。去年元旦の能登半島地震では家屋の下敷きになるなどして多くの人が亡くなった。田んぼアートに描かれた「生きる」というメッセージは、子どもたちが「亡くなった人たちの分も頑張って生きましょう」との想いを込めたのだろう。そして、ことしの「のと」は震災からの能登復興の想いを込めたのだろうか。そんなことを思い巡らしながら現地を後にした。

帰りに輪島市の白米千枚田に立ち寄った。稲刈りはすでに終わっていたが、多くの観光客が訪れていた。中でも目立つのインバウンド観光客だ。中には稲刈りの後の田んぼのあぜ道を歩いているグループの姿もあった。日本人の観光客の場合は展望台から眺める姿が多いものの、欧米からと思われるインバウンド観光客の場合は下りて間近に見学する行動パターンが多いように感じる=写真・下、ことし9月18日撮影=。

「ダークツーリズム(Dark tourism)」という言葉がある。戦場跡地や被災地などを訪れる欧米の観光スタイルを指す。危険な場所であったとしても、あえて現場に行く。ツーリズムそものが徹底した現場主義なのだろう。日本人の場合は「危ないところに行くな」と身内や周囲から止められるだろう。この違いは何だろう。

⇒24日(金)夜・金沢の天気    はれ

★震災の語り部による「能登のいま」 江戸時代の屋敷と庭は残った

★震災の語り部による「能登のいま」 江戸時代の屋敷と庭は残った

能登半島の中ほどに夕陽の絶景スポットとして知られる安部屋弁天島(あぶやべんてんじま)という陸続きの小さな島がある。夕暮れになると空と海と島が織りなす幻想的なシルエットが広がる。この光景を見続けることができる地域の人たちの穏やかな気持ちを察する。800年余り前の話。源氏と平家が北陸で戦った倶利加羅峠(くりからとうげ)の合戦で敗れた平家側の武将、平式部大夫がこの地にたどり着き、安寧の地と定めて定着した。憶測だが、そのきっかは弁天島の夕陽の光景だったのではないだろうか。その後、平家(たいらけ)の子孫は幕府の天領地13村を治める大庄屋となる。「復興応援ツアー」(今月15、16日)の2日目、弁天島の近くにある平家の屋敷と庭園を見学に入った。

屋敷を外から眺めると堂々としている。周囲の民家は屋根が崩れたままとなっていたり、公費解体を終えた家が目立ったものの、平家の屋敷や庭園は震災による被害を免れたようだ。茶室から庭が望め=写真・上=、書院の間から前庭が穏やかに広がっている=写真・中=。志賀町では最大震度7が観測され、住家・非住家含めた建物1万7600棟が損壊(うち全壊2400棟)に及んでいる。平家保存会の平礼子さんに被害がなかったのかと尋ねると、「昔の家なので柱と梁がしっかりしていてなんとか損傷は免れました。庭に亀裂が入ることもなった」との説明だった。

「大変なのは庭です」とのこと。庭園が1978年に石川県の指定名勝(面積750平方㍍)となったことから一般開放に踏み切り、入場料や自己資金で庭の維持管理をなんとか賄ってきた。しかし、コロナ禍や地震、記録的な大雨で観覧客が減り、維持管理費の支出が厳しくなり、「悩んでいる」という。確かに、庭木の剪定や苔の管理、落ち葉の清掃など並大抵ではない。こちらが「庭の掃除が大変ですね」と問いかけたことから、リアルな話になった。

その次に醤油蔵元「カヨネ醤油」を訪ねた。ここでも地震で崩れることなく、白壁と柱と梁が白と黒のコントラスを描いていた。カネヨ醤油は2026年に創業100周年を迎える。「カネヨの甘口」は能登の風土が育んだ味である。魚の刺し身に合う醤油だ。4代目の木村美智代さんから震災当時の話を聞いた。工場の建物は無事だったが、瓶詰めのラインは稼働できなくなり廃棄。醤油の浄化槽の横には大きな陥没ができた。さらに、店に買いに来る客はゼロになった。

売り上げを支えたのは木村さんが始めたオンラインショップだった。もともとコンピュータ関連メーカーで働いていた経験があり、すばやく取り組んだ。商品を買って被災地を応援しようと注文が全国から相次いだ。その後、2月になって醤油造りを再開。瓶詰めからペットホトル詰めへと製造ラインを変更した。「能登の食文化と醤油づくりの未来を守ること」。震災を乗り越え、創業100周年への意気込みを語った。

⇒19日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆震災の語り部による「能登のいま」 自然の美と心の温かさ守る

☆震災の語り部による「能登のいま」 自然の美と心の温かさ守る

前回ブログの続き。「復興応援ツアー」(今月15、16日)の2日目は能登金剛を訪れた。ここで遊覧船の事業を営む木谷茂之さん・由己さん夫妻から話を聴いた。

能登金剛は志賀町富来海岸の一帯を指し、その中心となるのが能登半島国定公園を代表する景勝地、巌門(がんもん)である。松本清張の推理小説『ゼロの焦点』の舞台としても知られる。清張の歌碑がある。『雲たれて ひとり たけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅』。清張が能登で初めて見た荒海の情景。人は出世欲、金銭欲、さまざまな欲望をうねらせて突き進むが、最後には自らの矛盾や人間関係、社会制度に突き当たって一瞬にして砕け散る。ズドンと音をたてて砕ける荒海から、サスペンスのイメージを膨らませたのかもしれない。

木谷さん一家は初詣に向かう車の中で能登半島地震に見舞われた。大津波警報と避難勧告が出され、その後、避難所に身を寄せることになる。巌門の現地に行くと、所有する3隻の遊覧船のうち2隻は引き波に50㍍ほど流され、岸壁の堤防に引っ掛かった状態になっていた。自宅も土産店も倒壊は免れたものの、商品棚は倒れ、水道復旧には2ヵ月かかった。そして巌門に通じる道はゴ-ルデンウイークには間に合い店を再開。被災した2隻の修繕を終え通常運行を再開したのは7月だった。「人が戻り、笑顔が戻る。かつてのにぎわいを取り戻すには時間がかかります。そのためにも自然の美しさと人の温かさ守りたいですね」と語った。

能登は水産加工品の拠点でもある。加工会社を経営する沖崎太規さんを訪ねた。製造販売しているのは「丸干しいか」、「干しほたるいか」、「ほたるいか沖作り」、「いしりするめ」とイカにこだわった商品。スルメイカなどは日本海で獲れる。「干しほたるいか」は、親指ほどの大きさの生のホタルイカを、ひとつずつ並べ干していく。触腕と呼ばれる長いイカの足も一つ一つ手作業で伸ばす。また「丸干しいか」は「もみいか」とも呼ばれ、手でもみほぐし干すという伝統の製法を守っている。能登で醸造された「いしる」と称される魚醤が隠し味になっている。

沖崎さんは昼寝から覚めたところで、震度7の揺れが来た。自宅の倒壊は免れた。工場に駆けつけた。経験があった。前の能登半島地震(2007年3月25日)でダメージを受けていたので、今回は修復できるかどうか見極めたかった。「そこらじゅう傷んでいて、立て直すのは無理とそのとき思った」。ただ、唯一の救いが停電にならなかったため冷凍庫にあった商品がすべて無事だったことだ。その後、銀行の融資を取り付けて動き出したのが9月だった。修理をほぼ終えて製造ラインが稼働したのがことし3月となった。

西海水産公式サイトでは、消費者へのあいさつをこう結んでいる。「これからも、能登を愛し、いかを愛す。(中略)皆様に愛される商品作りを心掛けてまいります」

(※写真は上から、遊覧船事業を展開する木谷茂之・由己さん夫妻、海から眺めた巌門、水産加工品会社を経営する沖崎太規さん=人物写真は志賀町観光協会公式サイトから)

⇒18日(土)夜・金沢の天気   あめ

★震災の語り部による「能登のいま」 復興ツーリズム

★震災の語り部による「能登のいま」 復興ツーリズム

去年元日の能登半島地震の現場を訪ねる「復興応援ツアー」(今月15、16日)に参加した。震度7の揺れが起きた、半島の中ほどに位置する志賀町の一般社団法人「志賀町観光協会」が企画した。震災を体験した地域の人たちが「語り部」となり、「能登のいま」を共に考える意義深い1泊2日のツアーだった=写真・上=。

このツアーは観光協会の事務局長、岡本明希さんが企画した。岡本さんは能登地震で志賀町の自宅で被災した。初詣を終えて台所で正月のお膳の準備をしていた午後4時すぎに強烈な揺れに見舞われた。地域の小学校で避難生活を経験し、その後、羽咋市の親戚宅にいまも身を寄せている。この経験を踏まえ、復興の歩みや地域の現状を全国に発信したいという想いからツアーを企画した。「きのうは変えられない。でも、あすは変えられる」。自らもいまと未来を語り続けている。

ツアーの初日の語り部は、北前船の寄港地だった福浦港と航海安全を祈願した絵馬が並ぶ金比羅神社の歴史について語った松山宗恵さん=写真・中、志賀町観光協会公式サイトから=。語り口調が穏やかで、言葉を選んで話すので分かりやすい。福浦港近くの街中にある福専寺の17代目の住職とのこと。語りに慣れている。震災についての体験も身振り手振りで語った。

去年元日は帰省した娘や孫たちと過ごしていた。「ちょうどトイレに行って手を洗っていたら、ガタガタとものすごい揺れだった」。トイレのドアが開かなくなり、足で蹴破って出て、子どもや孫たちとテーブルの下に潜り込んだ。そして、大津波警報のアラームが街中に鳴り響き、家族とともに高台にある旧小学校に避難した。津波は寺の目の前まで押し寄せていて、本堂は本尊が一部損傷し、中規模半壊(後の判定)だった。その後、金沢市に住む三女の家に避難し、毎日のように福浦に通った。被害があった墓地の現状を確認し門徒に報告した。そして、真宗大谷派から届いた毛布や食糧、灯油、水などの救援物資を門徒や地域の人たちに届けた。

松山さんは地域の歴史や文化、伝統工芸などの魅力を、この地を訪れる人々に伝える「いしかわ文化観光スペシャルガイド」でもある。先に述べた金比羅神社脇の細い坂道を登っていくと、木造の白い建物が見えてくる。日本最古の西洋式灯台、旧・福浦灯台=写真・下=。現在の灯台は1876年に明治政府によって建てられたが、起源は1608年にさかのぼる。北前船の歴史が金比羅神社とつながる、分かりやす説明だった。

地域の歴史の文化と同時に語る、自身が体験した地震や津波のリアルタイムな話だ。防災教育に訪れる高校生たちは被災地の現状を学ぶと同時に地域の観光資源を活かした復興ツーリズムの可能性についても学ぶ。「地震と復興の語り部」でもある。

⇒17日(金)午後・金沢の天気   はれ

☆「真っ赤なバラのようであれ」 毅然と立ち向かうトゲを持て

☆「真っ赤なバラのようであれ」 毅然と立ち向かうトゲを持て

金沢にバラの名所があり、秋咲きのバラが見ごろを迎えている。自宅近くにある金沢南総合運動公園内にあるバラ園にはきょうも朝から市民が観賞に訪れていた。このバラ園には170品種・1800本ものバラが植栽されている。公園を管理する公益財団法人「金沢市スポーツ事業団」の公式サイトによると、このバラ園は、金沢市で議決された「緑の都市宣言」(1974年)の10周年を記念して、1984年に整備された。ことしでオープン41年となる。きょうはあいにくの曇り空だったが、鮮やかな赤色のアレックスレッド=写真=や。濃い紫色のオクラホマなどが競うように咲いている。今月中旬ごろまでが見ごろのようだ。

話は変わる。メディア各社の報道によると、自民党の高市早苗氏が総裁に選出されたのを受け、共同通信社は全国緊急電話世論調査(今月4-6日、回答1061人)を実施した。それによると、高市氏に「期待する」との回答は68.4%だった。一方で、総裁選で派閥や旧派閥の影響力を感じたかを尋ねた項目では、「ある程度」と「感じた」が81.1%に達し、微妙に評価が揺れている。

もう一つ微妙に評価が分かれるのが政党支持率。今回調査で自民党の政党支持率は33.8%となり、前回調査(9月11、12日)の23.5%から10.3ポイントも上昇した。一方、高市氏の総裁就任による自民党の信頼回復は「できる」45.5%、「できない」48.5%で拮抗しているようだ。そして、派閥裏金事件に関与した議員の党役員や閣僚など要職への起用に「反対」は77.5%に上っている。高市氏は、萩生田光一元政調会長を幹事長代行に起用している。萩生田氏をめぐっては、政策秘書が政治資金収支報告書に派閥からの寄付金を記載しなかったとして略式起訴されている。萩生田氏の起用を世論はどう見るのか。

衆参両院で過半数を持たない与党がどの野党に協力を求めるのが良いかの問い(複数回答)では、国民民主党が34.4%で最多で、日本維新の会28.0%、立憲民主党26.9%、参政党17.2%と続いている。高市氏はどのように国民民主と向き合うのか。

高市氏はサラリーマンの父と警察官の母の間で育った。母親からは「真っ赤なバラのようであれ」と言われたそうだ。女性らしい華やかさを失わず、間違ったことには毅然と立ち向かうトゲを持つように、という意味のようだ。ゆがんだ自民党政治の「解党的出直し」を有権者も求めている。真っ赤なバラのような政治家としてひと花咲かせてほしいものだ。

⇒8日(水)夜・金沢の天気   くもり

★神棚や仏壇に供える「榊」についてあれこれ・・・

★神棚や仏壇に供える「榊」についてあれこれ・・・

近所のスーパーの花売り場では仏花などが並べられているが、以前から気になっていることがあった。サカキは家庭の神棚や仏壇に供えられる。古来から神事などに用いられる植物であり、「榊」という漢字があてられる。気になっていたというもの、生花店は別として、コンビニやスーパーで見かけるサカキのほとんどが「中国産」なのだ。買った人は、外国産のサカキを神棚に供え、合掌することに違和感を感じないのだろうか。そんなことを思ったりしていた。ちなみに、自身は生花店で国産を購入している。

きょう近所のスーパーに行くと、中国産の横に国産のサカキが並んでいた=写真=。これまで自身の見逃しもあったかも知れないが、この店で初めて見る国産サカキだった。ただ、値札をよく見ると、「国産ヒサカキ」と記されている。サカキとヒサカキはどう違うのか。以下、ネットで調べてみる。

サカキ(学名:Cleyera japonica)は、モッコク科サカキ属の常緑小高木。日本の神道においては、神棚や祭壇に供えるなど神事にも用いられる植物。語源は、神と人との境であることから「境木(さかき)」の意であるとされる。縁起木として扱われるため、常緑を活かした庭木としても使われる。本州の茨城県・石川県以西、四国、九州、沖縄に分布する。花言葉を、「神を尊ぶ」とする文献がある(Wikipedia「サカキ」から)。

ヒサカキ(学名:Eurya japonica var. japonica)は、モッコク科ヒサカキ属の常緑小高木。墓や仏壇へのお供えや玉串などとして、神仏へ捧げるため宗教的な利用が多い。これは、サカキが手に入らない関東地方以北において、サカキの代用としている。ヒサカキという名前も榊でないことから非榊であるとか、ひと回り葉の大きさが小さいので姫榊が訛(なま)ったとかの説がある。花言葉は、「神を尊ぶ」である(Wikipedia「ヒサカキ」から)。

サカキ、そしてヒサカキは国内では植栽分布が異なるにしても、日本では縁起の良い木として扱われてきた。冒頭から話はずれた。スーパーでの価格だが、中国産は一束が税込み174円、国産ヒサカキは一束が税込み262円となっている。値段は国産のヒサカキの方が高いが、輸入品は防疫の消毒液がかかるため、長持ちするのは国産ものだといわれている。それにしても、外国産のサカキを神棚に供え、合掌することに違和感を持つ世代はもう少数派になったのだろうか。取り留めのない話になった。

⇒7日(火)夜・金沢の天気   はれ