⇒トピック往来

☆能登半島地震から1年7ヵ月 文化財レスキューで新たな発掘と発見

☆能登半島地震から1年7ヵ月 文化財レスキューで新たな発掘と発見

前回ブログの続き。金沢市の石川県立歴史博物館で開かれている特別展『未来へつなぐ~能登半島地震とレスキュー文化財』ではこれまで知られた文化財だけでなく、被災した民家や蔵などでのレスキューで新たに発見された名画などもある。

林景村筆『猿猴図額(えんこうずがく)』=写真・上=。能登半島の中ほどにある中能登町能登部の被災家屋で見つかった。説明書きによると、被災家屋は個人宅で、解体前に所有者が同館に所有する美術品などの取り扱いについて同館に相談に訪れた。去年3月22日に現地調査し、7月23日にレスキューを行った。猿猴図額はその中の一つ。松の木に登る手長猿が描かれた額だ。作者は林景村とあるが不明の人物だった。そこで、同館が戦前の美術名鑑を調べると、能登で活躍した画家の貴重な作品であることが分かった。

景村は明治40年(1907)生まれ。さらに現地での聞き取り調査から、元の所有者が申年生まれであり、それにちなんだ作品でもあることが分かった、と説明書きにある。この作品を見て、時代は違うが同じ能登出身の安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1539-1610)の『松林図屏風』(国宝)を思い出した。靄(もや)の中に浮かび上がる浜辺のクロマツ林。能登の絵師にとって松の風景は絵のモチーフなのだろうか。

能登半島の尖端、珠洲市で中世を代表する焼き物、珠洲焼がある。室町時代から地域の生業(なりわい)として焼かれ、貿易品でもあった。船で運ぶ際に船が難破し、海底に何百年と眠っていた壺や甕(かめ)が漁船の底引き網に引っ掛かり、時を超えて揚がってくることがあり、「海揚がりの珠洲焼」として骨董の収集家の間では重宝されている。一方、山林から出土する壺もある。多くは骨壺だ。今回展示されているのは『珠洲叩壺・珠洲刻文叩壺』(鎌倉時代末期~南北朝時代、14世紀のもの)。所有者の珠洲の実家にあったが、被災したため、去年3月4日に同館に持ち込まれた。

そのほか、能登ならでの道具がある。『岩ノリ採りの道具』(昭和20年代に製作)。岩ノリの採取や加工に用いられた竹細工の数々だ。志賀町笹波や前浜地区では戦前まで全戸が副業として竹細工を営んでいた。戦後は捕鯨船の船員となり竹細工の副業から離れ、現在では1人のみがその技術を伝えている。「亡き父が作った竹細工がある。資料になるなら」と所有者から同館に声掛けがあり、去年10月10日に救出した。

発災から1年7ヵ月、震災の公費解体に伴いこうした希少な技術の作品や文化財が消滅する恐れがあると同館ではいまも文化財のレスキューを続けている。

⇒2日(土)午後・金沢の天気  くもり

★能登半島地震から1年7ヵ月 「未来につなぐレスキュー文化財」展

★能登半島地震から1年7ヵ月 「未来につなぐレスキュー文化財」展

去年元日の能登半島地震で被災した住居や蔵、寺社などから救い出された文化財などを展示した特別展が金沢市の石川県立歴史博物館で開かれている。展覧会のタイトルは『未来へつなぐ~能登半島地震とレスキュー文化財』=写真・上=。同館では国の文化財防災センターと連携して学芸員がレスキュー隊を編成し、震災があった翌2月から被災地に入り活動を行っている。ここで言う文化財は地域の歴史を伝える有形文化財や有形民俗文化財を指すものの、指定の有無は問うてはいない。特別展では救出された文化財の中から107点を展示している。

展覧会場で目を引いたのは仏像だった。震源地と近い珠洲市長橋町の古刹・曹源寺は寺の本堂の屋根が建物を押しつぶすカタチで倒壊した。その中から引き出された阿弥陀三尊像の一つ、阿弥陀如来挫像は体の部分と足腰の部分、手首の部分が分離した状態となっていて、震災のすさまじさを物語っている=写真・中=。平安時代の12世紀につくられ、石川県の指定文化財でもある。

会場ではそのレスキューの様子を撮影した写真も展示されている=写真・下=。写真説明によると、救出されたのは震災から半年が経った7月1日だった。救出の際は、倒壊した本堂の屋根下に鉄骨などを入れ、これ以上本堂が崩れないように出入り口を確保して、仏像を引っ張り出す作業が慎重に進められた。

このほか、輪島塗の歴史を伝える貴重な資料も見つかっている。生産から販売を手掛ける塗師屋は江戸時代からそれぞれに取引する担当地域が決まっていて、今回見つかったのは三重県を取引先とした塗師屋の文書など。見本を送付するための木箱や見本画などが屋根裏の部屋に置かれていた。顧客とどのようにやり取りをしていたかを具体的に示す史料として貴重なもの。11月22日に救出された。

展覧会場には、小学生が手書きした新聞なども展示されている。輪島市の避難所に身を寄せていた小学生たちが貼り紙で生活のルールや食事の案内、生ごみの出し方などを表記したものなど。このほかにも避難生活者が書いた日記や手紙なども。避難所での日常生活を伝える貴重な文化財との位置づけで収集されている。レスキュー文化財の特別展は今月31日まで。

⇒1日(金)午後・金沢の天気  はれ時々くもり

★石動山ユリの花咲く姿 ひっそりと気品のあるやさしさ

★石動山ユリの花咲く姿 ひっそりと気品のあるやさしさ

能登半島の中ほど中能登町にある石動山(せきどうざん、標高564㍍)に登った。かつての山岳信仰の拠点の一つであり、最盛期の中世には院坊が360あり、衆徒3000人が修行を積んでいたと伝えられ、国指定の史跡でもある。この時季、「石動山ユリ」が見ごろで、きょう乗用車で山頂近くにある大宮坊の敷地まで行く。去年に続いて2度目だ。まさに白い華麗な花=写真・上=。よく見るヤマユリよりも大きく、ひとつの花で25㌢ほどだろうか。茎は点在していて、1茎に12の花をつけているものもある。

石動山ユリは、2007年に中能登町の町の花に指定され、いまでは130株ほどが植えられている。もともとは修験者が越後の国(いまの新潟県)から持ち帰って植えたヤマユリとの言い伝えがある。厳しい修行を見守っていた花なのだろう。

それにしても石動山へはところどころ急勾配で曲がりくねった険しい山道だ=写真・下=。今は乗用車で行くことができるが、かつては徒歩、あるいは馬に乗ってこの坂を上り下りしたのだろう。文献に出てくるのが、元禄9年(1696)に加賀藩の武士、浅加久敬が書いた日記『三日月の日記』だ。

浅加は馬に乗って、当時は「御山」と呼ばれていた石動山へ参拝に上った。七曲がりという険しい山道を、道案内をする地元の馬子(少年)が馬をなだめながら、そして自分も笑顔を絶やさずに一生懸命に上った。武士は馬にムチ打ちながら上るものだが、少年は馬を励まし、やさしく接する姿に感心し、日記に「されば・・・能登はやさしや土までも、とうたうも、これならんとおかし」と綴った。「能登はやさしや」はもともと加賀に伝わる杵歌(労働歌)に出てくる言葉だった。

話は戻るが、ヤマユリの花言葉の中に「飾らぬ美」「純潔」がある。気品ある姿や山野草としてひっそりと咲く誇らしい姿を表現している。ヤマユリの花言葉は「能登はやさしや土までも」にも通じるのではないだろうか。ひっそりと気品のあるやさしさだ。

⇒29日(火)夜・金沢の天気  はれ

★新横綱・大の里関のふるさと津幡に咲く35万本のヒマワリの大輪

★新横綱・大の里関のふるさと津幡に咲く35万本のヒマワリの大輪

金沢の北側に河北潟干拓地に2.3㌶におよぶ「ひまわり村」(無料開放)がある。毎年夏になると35万本のヒマワリが咲き誇りる。太陽に向かって満面の笑みを浮かべるように咲く姿は、元気でエネルギーにあふれる人の姿をイメージさせる=写真、27日午前9時ごろ撮影=。その花言葉も「あなたは素晴らしい」「あなただけを見つめる」「あこがれ」とじつに前向きだ。

ひまわり村のスタッフの説明によると、ヒマワリは梅雨の時季に雨が降り過ぎると枯れやすくなるが、ことしは雨が少なく例年より高い2㍍にまで成長したものもあるとのこと。ただ、連日35度前後の暑さなので例年より成長が早く、今月25日に開村したばかりなのにほとんどが満開となっている。

「ひまわり村」ではヒマワリの迷路を散策するエリアもあり、8月上旬まで楽しめる。場所は津幡町湖東にあたる。津幡町と言えば、横綱・大の里関のふるさとでもある。その大の里は、3場所を連続制覇し、新横綱での優勝を目指していたが、今場所14日目までに4つの金星を与えてしまった。千秋楽を待たずに賜杯争いから脱落したことは無念の境地にちがいない。

ヒマワリの花言葉にもう一つ、「情熱」がある。厳しい夏の日差しに負けずに、ヒマワリが元気に咲きほこる様子に由来した言葉のようだ。「情熱」という言葉は「物事に対して激しく燃え上がる感情」を意味する。大の里の「唯一無二」の情熱を次の場所に期待したい。

⇒27日(日)午後・金沢の天気  はれ

★能登半島の尖端 華やかな曳山と山車の「燈籠山祭り」2年ぶり

★能登半島の尖端 華やかな曳山と山車の「燈籠山祭り」2年ぶり

能登半島の尖端、珠洲市できらびやかな山車と曳山が練ることで知られる「燈籠山(とろやま)祭り」が今月20日と21日に行われた。現地に行くと、町衆が木遣り歌『きゃーらげ』を大声で歌い、曳山が街中を巡行していた=写真・上=。去年元日の能登半島地震、そして9月の豪雨に見舞われ、2年ぶりの山車と曳山のお披露目とあって、市民や県内外からの大勢の見物客でにぎわっていた。

江戸時代に始まったと伝えられる珠洲市飯田地区の燈籠山祭りは、毎年この時期に地区にある春日神社で行われる祭り。祭りでは「えびす様」の人形を載せた高さ16㍍の山車「燈籠山」=写真・下=が夜になれば、こうこうと明かりを灯して、8基の曳山とともに市の中心部を往復する。

2022年からの群発地震に始まり、2023年5月、2024年元日と立て続けに大地震があった珠洲市では、道路の一部に損傷が残っていることから、例年よりルートを短縮して巡行が行われた。「ヤッサー、ヤッサー」と掛け声に合わせて、街中を練り歩くに能登の祭りの意気込みを感じた。

能登の祭りにパワーを感じる。ことし5月には、能登半島の中ほどの七尾市で2年ぶりに開催された「青柏祭(せいはくさい)」を見学に行った。「でか山」と称される、高さ12㍍あり、重さ20㌧にも及ぶ山車。平安時代から伝わる能登半島の代表的な春の祭りとされ、でか山が練り歩く「曳山行事」は2016年にユネスコ無形文化遺産に登録されている。

その後、今月4日に半島北部の能登町宇出津にキリコ祭りの先陣を切る「あばれ祭(まつり)」を見物した。地元でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を老若男女が担ぎ、「イヤサカヤッサイ」の掛け声が港町に響き渡っていた。熱気あふれるとはこの事をことを言うのだろうと実感した。絶好調になると、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。それを神が喜ぶという伝説がある祭りだ。

能登では「1年365日は祭りの日のためにある」、「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」という言葉があるくらい、人々は祭りにこだわる。その祭りを盛り上げる人々のパワーや地域のネットワークに「復興力」というものを感じる。

⇒22日(火)午前・金沢の天気  はれ

★参院選きょう選挙戦最終日 印象に残る光景3題

★参院選きょう選挙戦最終日 印象に残る光景3題

参院選の選挙戦最終日のきょう、候補者は街頭に繰り出して有権者に最後の訴えを行っている。17日間の選挙戦で印象に残っていることをいくつか。以下、あくまでも個人的な感想。最初は「総理見参」。選挙公示の翌日の4日に自民党総裁の石破総理が演説のため、輪島市の能登空港を訪れた。石破氏は遊説先の福島県からチャーター機で能登空港に降り立った。自身は能登町宇出津の夏祭り「あばれ祭」を見るために行く途中、空港に立ち寄ったところ、たまたま石破氏の演説が間もなく始まることを耳にして、演説会場に赴いた。

それにしてもなぜ公示翌日に能登に、と思い続けていた。なにしろ、4日の演説には候補者本人がおらず=写真・上=、候補者の妻が頭を下げていた。後で知ったことだが、石破氏は初日3日は神戸市で第一声を上げた。翌日4日の午前は福島、そして午後は能登。ということは、阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)、そして能登半島地震(2024年)の被災地がルートになっていたのか、と。ちなみに、熊本県には13日に入っている。ということは、石破氏が決めたルートで演説を行っているので、地元候補者への「応援演説」というより「地方遊説」だ。なので、肝心の候補者は日程調整がつかなければ不在でもかまわない。それが、4日の能登空港での光景だったと後になって理解した。

二つ目は「落書き」。掲示板に貼られている候補者の選挙ポスターが落書きされるケースが全国で相次いでいるようだ。この場合、公職選挙法違反(選挙の自由妨害罪)に問われる可能性がある。公職選挙法225条2号は、選挙の自由を妨害した場合、4年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金に処すると定めている。

今回の選挙で見た落書きは公示の3日に見た金沢市内の掲示板で、NHK党の候補者のポスターに描かれている党首の顔写真にマジックのようなものでメガネがいたずら書きされていた=写真・下=。周囲の掲示板にも書かれてないかチェックしたがなく、この掲示板だけだったようだ。数日たって再度この掲示板に目をやるとポスターは貼り換えてあった。

もう一つ印象にあるのは「鶴保失言」。自民党の参院予算委員長だった鶴保庸介氏が今月8日に和歌山市での応援演説で、去年元日の能登半島地震について「運のいいことに能登で地震があった」と発言したことだ。釈明会見をテレビで視たがすっきりしない。政治家の言葉の危うさは、言葉が独り歩きをしてどのように展開していくのか読めないことの危うさでもある。鶴保氏本人が能登に来て、失言の謝罪をするなど、行動でケジメをつけないと治まらないのではないか。あすはいよいよ投票日だ。

⇒19日(土)午後・金沢の天気  はれ

☆能登ゆかりの地にトキが舞う 来年6月の放鳥場所決まる 

☆能登ゆかりの地にトキが舞う 来年6月の放鳥場所決まる 

トキが能登に帰って来る。環境省が来年6月に予定している、国の特別天然記念物トキの放鳥場所が決まった。本州で初となる放鳥の場所は、能登半島の中ほどにある邑知潟(おうちがた)周辺=羽咋市南潟地区=。石川県や能登4市5町などで構成する「能登地域トキ放鳥受入推進協議会」では2022年に9市町によるそれぞれの「トキ放鳥推進モデル地区」を設定し、トキが生息しやすい減農薬の水田など環境づくりに取り組んできた。環境省の専門家による調査などを経て、きょう開かれた協議会で県が提案し、邑知潟周辺を放鳥場所と決めた。

選ばれた理由は大きく二つあるようだ。一つは、邑知潟を中心に羽咋市南潟地区には2㌔圏内の水田面積が1185㌶あり、放鳥が予定される15羽から20羽のエサ場としても十分な広さ。もう一つが、地形が佐渡の地形とよく似た場所だ。潟と平野を挟むように眉丈山系と石動山系があり、トキがねぐらをつくる場所として適している。また、新潟県の佐渡から飛来したとみられるトキの姿が2011年以降たびたび目撃されていて、2013年には5ヵ月間ほど住み続けたことなども評価された(16日付・NHKニュースWeb版)。

かつて能登はトキの生息地だった。眉丈山では1961年に5羽のトキが確認されている。ところが、田んぼでついばむドジョウやカエルなどのエサは農薬にまみれていた。能登のトキは徐々に減り、「本州で最後の一羽」と呼ばれたトキが1970年に捕獲され、新潟県佐渡の環境省トキ保護センターに繁殖のために送られた。ところが、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。(※写真・上は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

こうしたいきさつもあり、石川県と能登9市町は環境省による本州でのトキ放鳥を熱心に働きかけてきた。国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と独自に定め、県民のモチベーションを盛り上げてきた。冒頭の能登9市町による「トキ放鳥推進モデル地区」も独自の取り組みとして設けたものだ。一連の動きが環境省で評価され、来年の能登での放鳥につながっている。(※写真・下は、羽咋市南潟地区の邑知潟と水田。左の山並はかつてトキが生息していた眉丈山)

トキのゆかりの地でもある眉丈山と邑知潟に再びトキが舞う日がやってくる。能登半島地震の災害からの復興のために石川県が策定した『創造的復興リーディングプロジェクト』の13の取り組みの中に、「トキが舞う能登の実現」が盛り込まれている。トキが舞う能登を震災復興のシンボルとしたい。その思いが動き出す。

⇒16日(水)午後・金沢の天気  はれ

★参院選は終盤へ 石川の5候補、能登地震復興への想いとは

★参院選は終盤へ 石川の5候補、能登地震復興への想いとは

参院選も後半戦に入ったが、それにしても静かな選挙選だ。「お願いします、お願いします」と連呼する選挙カーが金沢の自宅近くをたまに通る程度。石川選挙区(定数1)は全県が選挙区なので、金沢や能登、加賀を巡るのに時間がかかるのだろうか。ただ、後半から終盤にかけて金沢に集中してくるので、1議席をめぐる戦いはこれから激しくなるのかもしれない。

今回の選挙で自身が注目するのは、去年元日の能登半島地震の復旧・復興にそれぞれの候補者がどう向き合い、何を訴えているか、だ。そこで、候補者の公約や地元メディアでのインタビュー記事などから拾ってまとめてみた。以下、5人の候補を届け出順に。                    

◇共産党・村田茂候補(62):医療費と介護費の免除はことし6月まで延長されたが、さらに少なくとも9月まで延長させる。住宅再建で家を建てるには300万円の支給だが、少なくとも600万円に引き上げるべき。仕事の問題と住宅の問題は急を要している

◇自民党・宮本周司候補(54):まずは社会のインフラ整備。生活の再建と同様になりわい再建にまだ判断を迷っている多くの事業者がいる。復旧によって再生される街の雰囲気や街並みを具体的なイメージで語り合い、復興の姿を具現化し共有することが先決だ

◇国民民主党・濱辺健太候補(31):復興には仕事と教育環境を整える政策が必要だ。能登には空港があるので発着便を増やし、周囲を整備することで企業誘致や新しい産業を生み出す環境づくりを進める。そのための資金的な支援は国が後押しする

 ◇NHK党・小澤正人候補(49):コアとなる市の中心部を目に見えるカタチで復旧する。そうしたシンボル的なところが目に見えると、人々には安心感が生まれる。インフラ整備も急ぐ必要があり、各市町を結ぶ幹線道路が傷んでいるので復旧を加速させる

◇参政党・牧野緑候補(40):子育て世代が安心して暮らせる環境を整える。そのためには自給力が必要で、国として畑付きの住宅を整備したり、農業や漁業の人材を育成する学校をつくる。若者世代にもこうした学びを通して復興に参画してもらう仕組みを創る

能登の復旧・復興について、それぞれが考えを具体的に述べているので、実に分かりやすい。とくに、復興のシンボルづくりには共感する。ふと思ったことだが、ならば能登の復興をテーマに5人でパネル討論を開いて、互いに考えを深めてはどうだろうか。思いつきを述べたにすぎない。

⇒15日(火)午後・金沢の天気  はれ

☆能登地震で海底の地形変化か、舳倉島周辺のアワビが激減

☆能登地震で海底の地形変化か、舳倉島周辺のアワビが激減

前回ブログの続き。輪島の海女が2年ぶりにアワビやサザエの漁を始めた。ウエットスーツ、水中眼鏡、足ひれを着用して素潜り。輪島市や、49㌔沖合の舳倉島=写真・上=を拠点に170人ほどの海女たちがいる。

舳倉島は古くからアワビが採れる島として知られる。万葉の歌人・大伴家持が越中国司として748年、能登を巡行している。島に渡ってはいないが、輪島で詠んだ歌がある。『沖つ島 い行き渡りて潜くちふ あわび珠もが包みて遣やらむ』。沖にある舳倉島に渡って潜り、アワビの真珠を都の妻に送ってやりたい、との意味のようだ。この和歌から分かることは、少なくとも1277年前の昔からこの島ではアワビが採取され、いまでも連綿と続いているということだ。

アワビ漁を守り続けるため、海女たちは自主的に厳しいルールをつくっている。素潜りを原則として、決してアクアラングなど呼吸器具を装着しない。アワビの貝殻の大きさ10㌢以下のものは採らない。漁期は7月1日から9月30日までの3ヵ月。海に潜る時間は午前9時から午後1時までの4時間と制限している。さらに、休漁日は一斉に休む。こうしたルールを互いに守ることで、持続的なアワビ採りの恩恵にあずかっている。まさにSDGsの手本とも言える。

ところで、きのう採れたサザエやアワビはきょう金沢の近江町市場に並ぶと聞いていたので市場に行ってきた。水産物店の店先にサザエ=写真・中=が並んでいたので、店主に「どこのサザエですか」と尋ねると、「輪島の海女採り」と即答で返ってきた。大きいサイズのものは1個200円、中小型のものは5個で600円の値段だ。

それにしてもアワビ=写真・下=が見当たらない。そこで、「アワビはないの」と尋ねると、「去年の地震の影響でいまほとんど採れていない。値段も2万円と地震の前の倍になっている」とのこと。確かにきのう輪島漁港の荷捌き場をのぞいた時もアワビは数えるくらいしかなかった。アワビはこれまで浜値で1㌔1万円が相場だったが、それが一気に2万円とは。アワビは海底の岩場にへばりくつように生息している。それが、地震による海底の隆起で地形が変化したため、アワビの生息場所も変化した。その場所を把握できていないため採取する量が減ったということもあるようだ。

どの水産物店にもアワビが見当たらない。先の店主に再度聞いた。「では、アワビはどこに流れた」。すると、「ほとんど東京だろうね」と。値段の高騰で金沢ではさばき切れないと判断した仲介業者が東京市場に流しているようだ。2年ぶりのアワビ漁、はやく「金沢市民の台所」近江町市場に戻ってほしいものだ。

⇒14日(月)午後・金沢の天気   はれ

★にぎわう能登の海辺 水上バイク全国大会、2年ぶりの海女漁

★にぎわう能登の海辺 水上バイク全国大会、2年ぶりの海女漁

きょう能登半島の千里浜(ちりはま)海岸へ海の景色を見に行く。この海岸の面白さは、全長8㌔のうち6㌔で車での走行が可能だ。「千里浜なぎさドライブウェイ」と称されている。波打ち際を乗用車やバスで走行できる海岸は世界で3ヵ所あり、アメリカ・フロリダ半島のデイトナビーチ、ニュージーランド・北島のワイタレレビーチ、そして千里浜海岸だ。

到着すると、大変な混雑に見舞われていた。そして、沖合では何台もの水上バイクが波しぶきを上げて走行している=写真・上=。掲げられている横断幕を見ると、「JJSA 全日本選手権 4th Stage 」とある。水上バイクの全国大会「オールジャパンジェットスポーツシリーズ」=写真・中=。大会の様子を見に来ていた地元の人に尋ねると、千里浜大会はきのうから始まっていて、全国5ヵ所で行われるシリーズ戦のうち第4戦目で、年間チャンピオンを決める重要な一戦のようだ。全国から集まった160人の選手が水上で熱いレースを繰り広げていた。

さらに半島を北上して輪島漁港に行く。このブログでは何度か取り上げた海女のアワビとサザエの漁が始まったので、その様子を見に行った。海女たちは魚介類や海藻を専門とするプロの漁業者だ。アワビやサザエのほか25種類も採取している。アワビは貝殻つきで浜値で1㌔1万円ほどする。よく働き、よく稼ぐ。新聞記者時代に取材に訪れたとき、「亭主の一人や二人養えんようでは一人前の海女ではない」という言葉を何度か聞いた。自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だった。「輪島の海女漁の技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されている(2018年)。

午後1時半ごろ、輪島漁港に海女の乗った漁船が次々に到着して、アワビやサザエを荷捌き場に次々と降ろしていた=写真・下=。1つの船に6人から8人の海女が同乗して、輪島港から49㌔離れた舳倉島周辺で素潜り漁を行っている。去年は元日の能登半島地震の影響で漁を控えたので2年ぶり。港では海女たちの明るい声が弾んでいた。漁は9月まで行われる。

⇒13日(日)夜・金沢の天気   はれ