⇒キャンパス見聞

☆続・サンマの煙

☆続・サンマの煙

 先に9月13日付で、金沢大学キャンパスにある創立五十周年記念館「角間の里」でサンマを焼いた話をした。この角間の里は、築300年の養蚕農家の古民家を白山ろくの旧・白峰村から移築再生したものだ。黒光りする柱と梁(はり)に歴史の風格というものを感じる。この建物を「角間の里山自然学校」という研究事業で使っていて、私はそのプロジェクトメンバーの一人だ。

 サンマの話の続きである。サンマを七輪コンロで焼いていると、この自然学校で藍(あい)染を研究しているのグループ(市民)がやってきた。日本の伝統的な染色「あい染め」を藍の種まきから栽培、葉の収穫、染めまでを研究する女性たちのグループだ。どうすれば藍をうまく栽培できるか,染めるときのコツなど試行錯誤を繰り返し、もう5年目になる。

 グループの活動開始は午後1時。サンマを焼くのに熱中していて、その時間を忘れていた。グループは寸胴の鍋で湯を沸かし、染めを始めている。その側で、サンマを焼いていたのである。ウチワを扇いでいた私にグループの一人が近いづいてきた。「あのう、いい匂いですが、染物ににおいが・・・」と遠慮しながら言う。

 うかつだった。焼くのに集中していて、周囲に匂いが立ち込めていることをすっかり忘れていた。確かに、サンマの匂いは布に付きやすい。新しく染めたものにサンマのにおいがついては台なしだ。そこで、「ごめんなさいね」と詫びて、七輪を30㍍ほど離れたサトイモ畑に移動し、焼きを続行したというわけだ。あのこうばしいサンマの匂いも場所によっては、迷惑になるというのがこの話のオチだ。

 ところで、女性たちが創作した染物は角間の里の長い廊下を使って干された=写真=。秋の日和に照らされ、廊下がまぶしい。念のためにサンマのにおいが付いていなか、こっそりと染物に鼻を近づけてみた。あの魚の生臭さはなく安心した。

⇒15日(土)夜・珠洲の天気  くもり

★サンマの煙

★サンマの煙

 「お昼にサンマを焼きましょう」。金沢大学「角間の里山自然学校」の同僚の研究員が言い出した。ことしはサンマが豊漁で安いらしい。スーパーでは1匹100円だとか。さっそく、外で七輪コンロを据え、焼き始めた。

 円筒形の七輪なので、そのままだとはみ出てしまう。サンマを胴で2つに切り、頭の部分と尾の部分に分けて焼く。ウチワであおぐと、サンマの脂が炭火に落ちて、煙が立ち上ってきた。あたりに焼き魚のこうばしい匂いが立ち込める。

 気の利いたスタッフは大根をおろし始めている。脂が相当にあるので、ポン酢で食することにする。こうばしい匂いをかぎつけたのか、空にはトンビが円を描いている。ネコはいないかと横目であたりを見渡しながら、さっそくいただく。「脂がのっているね」とサンマ焼きを実行してくれた研究員にお礼を言いながら、身と骨をほぐしていく。

 この身をほぐす作業はナイフとフォークではできない。和食ブームで、欧米人も箸を持つようになったとはいえ、この焼き魚料理を食べるまでには手先がついてこないのではないか、などと考えてもみる。

 幼いころ、「魚をきれいに食べる」とほめられたこときっかけで、いまでも丁寧に身をほぐしている。「ネコまたぎ」と言われたこともある。ネコもまたいで通り過ぎるくらいに身を残さず食べる、との意味だ。ほめ言葉ではないが、そう言われても悪い気はしない。この魚の身をほぐす技術は年齢とともに磨かれ、今では、ゆでカニだとズワイガニで1匹5分間で「始末」する。話は随分とサンマからそれたが、カニだとそのくらい集中できるから不思議だ。サンマはカニに次いで2番目、ホッケは3番目ぐらいだろうか、集中できるのは。

 しかし、私などはまだ「甘い」。すでに他界したが、父親はご飯茶碗にその骨を入れ、熱湯を注ぎ、醤油を少したらして、すすっていた。「これが一番うまい」と。いま考えてみると、確かに晩酌をしながら、酒の肴にサンマをつつき、食べ終えて口直しに骨湯をすするというのは理にかなっているかもしれない。そんなことが薄々理解できるということは、父親に近づいたということか・・・。

⇒13日(木)夜・大阪の天気   はれ

★「ホワイトシンドローム」

★「ホワイトシンドローム」

 その光景を見て、一瞬、季節はずれの雪かと錯覚した。エゴの木の白い花が一面に落ちていた。通い慣れた道でこれまで気にならなかったのに、今年は異常に花が多かったということか。

  地球温暖化のせいか、沖縄県の石垣島と西表島の間にある日本最大のサンゴ礁「石西礁湖(せきせいしょうこ)」で、「ホワイトシンドローム」と呼ばれる原因不明の病気が急速に広がり、新たな脅威となっているという(6月12日付・読売新聞インターネット版)。水温上昇の影響でサンゴの体から植物プランクトンが逃げ出す「白化現象」がそれ。

  金沢大学角間キャンパスで見た光景は、植物がさしづめ壊(え)死するという白化現象ではない。が、今年は異常に白い花が目立つという意味で、さしずめ「里山のホワイトシンドローム」と仮に名づけてみる。エゴの木ほかに、この季節はノイバラの白い花も例年に比べ異様に目立つ。

  少々ジャンルは異にするが、モリアオガエルのボールのような白い卵塊(らんかい)が今年は例年に比べ多いな気もするが、同僚の研究員の見立ててでは例年と同じくらい。そして、エゴの木も確かに去年は少なかったが、おととしは多かった、とか。ということは「里山のホワイトシンドローム」は気のせいか…。

  ことし3月17日にアル・ゴアの映画「不都合な真実」を見て以来、さして根拠のないことまで、何かにつけ地球温暖化現象と結びつけて考えてしまっているようだ。

 ⇒13日(水)午後・金沢の天気  くもり

★続・モンキーパワーを借りよう

★続・モンキーパワーを借りよう

 4月10日付の「自在コラム」で、能登半島地震で避難所生活を余儀なくされている被災者がストレスや疲労、エコノミークラス症候群などに罹りやすいので、なるべく外に出てリフレッシュしてもらおう、そのために、お猿さんのパワーを借りようという内容のコラムを書いた。今回はその続編である。

  なんとかお年寄りに外に出てもらう方法はないかと一計を案じ、ひらめいたのが周防(すほう)猿回しの伝統芸で全国を旅している「猿舞座」座長の村崎修二さん(59)=山口県岩国市=と、相棒の安登夢(あとむ)=オスの15歳=にひと役買ってもらおうというアイデアだった。それは4月21日に実現した。金沢大学が提供した慰問ボランティアというかたちをとった。

  公演会場の一つである輪島市門前町の諸岡(もろおか)公民館では、午後2時からの公演だったが、すでに30分も前から、お年寄りが玄関で一座を待ち構えていた。写真は、客寄せ太鼓が鳴り響く中、村崎さんとお年寄りがおしゃべりをしている光景である。村崎さんは以前、この地区で公演したことがあり、「お懐かしや」とお年寄りから歓迎されていた。

  公演では、安登夢が跳び上がって輪をくぐる「ウグイスの谷渡り」などの芸を披露。会場は歓声と拍手に包まれました。公演は30分余りだったが、お年寄りは帰らない。安登夢が次の会場への移動のために車の中に入るまで、じっと見つめていたのである。村崎さんの持論は「お猿とお年寄りは相性がいい」「猿回しの芸を一番喜んでくれるのはお年寄り、それもおばあちゃんが喜ぶ」「安登夢が棒のてっぺんに上ってスッと立つと、たいがいのお年寄りは『有り難い、有り難い』と合掌までしてしてくれる」とよく言う。そのモンキーパワーが今回も発揮されたようだ。

  村崎さんはこの日、観客の前で重大なことを言った。「安登夢は15歳、人間の年齢ならば還暦は過ぎている。来月(5月)、山口県に帰りますが、そこで引退の公演をします」と。安登夢の芸歴の最後に「被災地慰問」が加わったことになる。

 今回の公演に先立つ20日、奥能登のある旧家を村崎さんと訪れた。この旧家に江戸時代から残る猿回しの翁(おきな)の置き物を見せていただくためだ。チョンマゲの翁は太鼓を抱えて切り株に座っている。その左肩に子ザルが乗っている。村崎さんによると、古来からサルは水の神の使いとされ、農村では歓迎された。それを芸として、全国を旅したのが周防の猿回しのルーツである。この置き物のモデルはひょっとして、村崎さんの先祖かも知れない。

  ショーアップされたテンポのよい猿回し芸もあるが、村崎さんの芸は古来からの人とサルが一体化となった、どちらかというと「人の芸8割、サル2割」の掛け合い芸である。見せる芸というより、人を癒(いや)す芸なのだ。安登夢が突然、ストライキを起こしてふて寝することや、木の登ってなかなか下りてこない、村崎さんを引っかく、かみつくこともしばしば。観客はそれも芸の一つとして笑い、和む。

  村崎さんの一座は4月25日から5月2日まで金沢で公演する。そのうち、28日午前11時と午後2時の2回、金沢大学角間キャンパスで公演する。これが安登夢の金沢での最後の公演となる。

 ⇒23日(月)朝・金沢の天気   くもり

★泳げ鯉のぼり

★泳げ鯉のぼり

 金沢大学角間キャンパスにある私のオフィス、創立五十周年記念館「角間の里」では、鯉のぼりを上げている。青空に映えてなかなかの光景だ。

  先日、乳母車を押した女性が鯉のぼりを見物に来ていた。大学の長い坂道を乳母車を押して来たのだろう。金沢市内では鯉のぼりを上げるスペースを持った自宅となると、郊外などに限られてくる。確かに、いまどき金沢で鯉のぼりは珍しいのである。

  ところで、この鯉のぼりを上げるには、それなりのテクニックが必要だ。まず、風にぐらつかないポールを立てる。上げる順番を間違えない。一度、吹流しをうっかり最後に上げてしまい、やり直したことがある。吹流しは5㍍ほどもあるので、最後にすると、風がない場合、尾の部分が地面についてしまうのだ。ポールやひもに絡まって、上げ下ろしも結構時間がかかったりすることがある。雨が降ってきたらすぐ下ろすなど、気も使う。市民ボランティアの方から預かっている借り物だからだ。

  青空に映えるのは、真鯉(まごい)の黒を始め、緋鯉(ひごい)の赤などデザイン的に配色が鮮やかだからだ。春風にゆったりとそよいで、心が洗われる。5月下旬までの日曜日を除く毎日(※雨天は中止)上げる予定だ。

⇒17日(火)朝・金沢の天気  くもり

★奇跡の雪だるま

★奇跡の雪だるま

  1月の金沢は「雪なし暖冬」で観測史上の新記録。それが2月1日から雪が降り、きょう3日には金沢大学角間キャンパスで市民交流イベント「雪だるままつり」が開催できた。開催をめぐって、「雪がないのに雪だまるまつりができるのか」と論議をした1月の空模様に比べれば、ほぼ奇跡に近い。

  今回の雪だるままつりは、2日朝から雪を10㌧トラックで9台分も運ぶという仕込みがあって可能となった。この日の夕方、地元テレビ局が夕方のワイド番組で金沢大学から中継をした。「雪だるままつり雪輸送大作戦」。

 金沢市民にとって雪の感触は久しぶり。また、テレビ中継のPR効果か、きょうのイベントには次々と見学の家族連れが会場を訪れ、雪像の見学を楽しんだ。夜は雪だるまのお腹にろうそくを灯すライトアップの催しがあり、見学の人出は終日途切れることはなく、1000人余りの市民が訪れた。それほどことしは雪が珍しいのである。

 もう10年も前の話だが、テレビ朝日の「ニュースステーション」でピアニスト羽田健太郎氏のピアノ中継が金沢・東山茶屋街であった。江戸時代の花町の雰囲気を残す古民家の土間でのピアノ演奏。この年も暖冬だったが、番組中に雪がしんしんと降ってきて、ピアノ中継のラストカットは、和傘を差した芸妓さんが足元を気にしながら雪化粧した通りを楚々と歩くという、まるで映画のようなシーンになった。雪は雨と違って、ローケーションを一変させる劇的な演出効果がある。

⇒3日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆古民家とハイテク車のコラボ

☆古民家とハイテク車のコラボ

 先日、このブログ「自在コラム」で紹介した金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」に設置した「炭ストーブ」。 かなり反響が大きく、ついにきょう(1月16日)、NHK金沢放送局が「角間の里」から生中継を行うことになった。リポーターはNHKの酒井菜穂子さん、角間の里山自然学校からは研究員と、キャンパスでの炭焼きを目指す学生サークル 「CLUB炭焼き」の代表が出演する。NHK金沢放送局の夕方のワイド番組「デジタル百万石」 で午後6時30分ごろ放送だ。

  それにしても、このNHKの中継車と記念館「角間の里」のアングルはなかなかのコラボレーションだ。「角間の里」は築300年の豪雪地帯・旧白峰村から譲り受けた再生古民家。そして、中継車は衛星回線で世界中に映像と音を伝送できる「SNG(Satellite News Gathering)車」と呼ばれるハイテク車である。ハイビジョンカメラの映像を、赤道上空3万6千㌔の通信衛星を介して、放送局に送る。写真では見えないが、車の中は映像と音をミキシングするオペレーションルームになっている。まさに、先端の放送と通信技術の塊(かたまり)だ。

  古民家は、玄関の入り口でパラボラアンテナを広げるハイテク車に決してものおじしていない。むしろ「ハイテクよ、よく来た」と出迎えているかのように堂々としている。アナログとハイテクの絶妙なバランスが見えて面白いのである。

 ⇒16日(火)午後・金沢の天気   くもり

★木炭ストーブで温まる夢

★木炭ストーブで温まる夢

 先日、私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」に設置されたストーブの話題を取り上げた。そのストーブにこの10日、いよいよ火が入った。

  かつて小学校にあった石炭ストーブではなく、炭を燃料としている。仕組みは ストーブに取り付けたタンク内で温まった水が、設置された配管内を循環し、部屋を暖めるというもの。当初、2005年8月ごろに、 金沢大学のOBで、バイオマス燃料の研究に取り組む北野滋さん(55)=明和工業社長(石川県能美市)=が炭ストーブの開発を大学へ提案。築300年の「角間の里」の木造の雰囲気と、そこを拠点に活動する「角間の里山自然学校」 のコンセプトとマッチしていたので、「角間の里」に設置が決まった。05年初頭の設置予定だったが、防災設備やスチームの配管、煙突の構造、 建物の外観とのすりあわせなどの問題をクリアーするのに遅れ、ようやく完成にこぎつけた。

   この炭ストーブにはちょっとした「夢」が託されている。現在は市販の炭を利用してスタートしたが、将来的には大学のキャンパスで活動する市民ボランティア「角間の里山メイト」や学生グループがつくる竹炭や木炭を利用することにしている。メイトがキャンパスの里山の保全活動(竹林整備、雑木林の管理など)に取り組んでくれているが、活動で出た間伐材(竹、木)の処理に一番頭を悩ませている。これらの材で炭(燃料)を生産し、ストーブで消費できれば、里山の保全活動と燃料の確保につながる。使用後の燃え残りの灰は肥料や土壌改良剤として山や畑にかえす計画。竹炭は市民ボランティア「竹ん子くらぶ」が生産中。木炭は、学生サークル「CLUB炭焼き」が現在炭窯を製作中で少し時間がかかる。

  大学キャンパスの限られた地域の中での木質バイオマスエネルギーとはいえ、持続可能なエネルギー循環のミニモデルなのだ。こうした仕組みは、これからの里山保全のモデルケースになるのではないかと思い描いている。

 ⇒12日(金)朝・金沢の天気  くもり

☆煙突が立った日

☆煙突が立った日

 私の自慢のオフィスは創立五十周年記念館「角間の里」。 白山ろくの豪雪地帯で築300年の養蚕農家を移築、いわゆる古民家を再生したものだ。去年4月に完成。黒光りする柱や梁(はり) のどっしりとしたたたずまいに、訪れた人は「和みますね。田舎の実家に来たようです」と好印象を述べてくれる。その記念館に先日、ストーブの煙突が立った。

  この建物はかつて村の文化財だったものを譲り受けたもので、なるべく本来の姿を生かすという建築思想のもと、冷暖房の設備は最初から取り付けてなかった。このため、夏はスタッフ一同でクールビズを徹底した。また、土間を通る風は天然のクーラーのような涼しさがあり、扇風機を緩やかに回すだけで十分にしのぐことができた。問題は冬である。今度はウオームビズで着込んではいるが、さすがに冷えるので事務室だけはエアコンを入れ、板の間の部屋には持ち運び式の石油ストーブを置いた。残るはこの建物の最大の空間である土間の暖房対策となった。

  環境ベンチャー企業の方から「この建物にふさわしいのはバイオマス・ストーブではないでしょうか」と提案があり、半ばボランティアでストーブを設置していただいた。バイオマス・ストーブは廃材や木炭など木質系を燃料とするもの。実は、大学ではモウソウ竹が繁茂しコナラを枯らすので頭を悩ませていて、市民ボランティアに竹林の整備をお願いしている。竹用の炭焼き窯もあり、結構この炭焼きが学生にも人気がある。整備と燃料の確保、消費のサイクルがキャンパスの中で循環すれば研究にも広がりが出来る。

  また、タインミングよく、学生サークルに炭を焼く「クラブ炭焼き」が誕生した。現在、メンバー8人が「角間の里」の背戸の山で炭窯を製作中だ。自分で焼いた炭で暖をとる学生たちの姿も目に浮かぶ。この館が持つ、どこか懐かしい里山のイメージがなければ企業の方からのストーブの提案がなかったわけで、その意味では「角間の里」に感謝しなければならないと思っている。今月10日、正式に火入れして完成を祝う。これはいわば、金沢大学における「木質バイオマス記念日」なのだ。

 ⇒6日(土)夜・金沢の天気   雷雨

☆黄涼とした風景

☆黄涼とした風景

 一面が黄色に染まっている。私はメガネをかけているが、それでも花粉のせいだろう、目が痛くなる。金沢だけでなく、能登半島でもことしはこの黄色が気になる。セイタカアワダチソウのことである。

  帰化植物(外来種)。北アメリカ原産の多年草で、土手や荒れ地、休耕田に群生している。植物に詳しいスタッフに聞くと、明治ごろに渡来し、観賞用に栽培されたものが野生化し、戦後急速に全国に広がったそうだ。北九州地方では炭坑の閉山にあわせて繁殖したので「閉山草」ともいわれているとか。花期は10-11月で、ちょうど今ごろ列島を黄色に染める。

  ところで、この外来種が在来種を押しのけて、どのようにオールジャパン化したのだろうか。再度フタッフに聞く。セイタカアワダチソウは、1本に5万個の種子をつけ、これらが風に飛ばされ生息地を開拓していく。もうひとつ勢力を拡大したは地下での攻防だ。冬の間に地下茎が地中を横に伸ばし、その先に新しい芽をつけるのだ。しかも他の植物が育つのに害となる物質(アレロパシー)を分泌する。つまり、他の植物の生長を妨げながら、空中と地下でローラー作戦を展開していくのである。この方法で百年余り、全国制覇を達成した。

  しかも、草丈も2-3㍍と高く、このことも他の植物の生長を妨げる原因となる。在来種を駆逐する勢いはまるで、戦後一躍、全国津々浦々に店を構えた外食チェーンの外資を彷彿させる。ちなみにアメリカでは、セイタカアワダチソウはケンタッキー州の州花だそうだ…。

  ところが、磐石かに見えるセイタカアワダチソウだが、在来種であるススキが自生していたところでは、一時群生したセイタカアワダチソウものちに劣勢になり、最終的にススキが巻き返すそうだ。その理由として自らが分泌したアレロパシーで自家中毒を起すことが考えられている。弱ったところで、ススキとの攻防が始まり、8年ぐらいでススキが優位を取り戻す。

  それにしても、在来植物たちをガッカリさせているのはミツバチの裏切りである。セイタカアワダチソウの黄色に目がくらみ、ハチが在来種に寄り付かなくなるのも、在来種が勢力を弱める原因といわれる。

  かつて手紙の季語で「ススキが穂を上げ…」と書いたものだ。が、「セイタカアワダチソウが野山を黄色に染め…」なんて、季語にはならない。近づいて観賞する気にもなれない。あの黄色には繊細さがないからである。

 ⇒29日(日)夜・金沢の天気  はれ