⇒キャンパス見聞

★「へんざいもん」の味

★「へんざいもん」の味

 金沢大学が能登半島で展開している「里山里海自然学校」は廃校となった小学校の施設を再活用して開講している。ここでは生物多様性調査や里山保全活動、子供たちへの環境教育、キノコ山の再生などに取り組んでいる。もう一つの活動の目玉が「食文化プロジェクト」だ。

   学校の施設だったので、給食をつくるための調理設備が残っていた。それに改修して、コミュニティ・レストランをつくろうと地域のNPOのメンバーたちが動き営業にこぎつけた。その食堂名が「へんざいもん」。愛嬌のある響きだが、人名ではない。この土地の方言で、漢字で当てると「辺採物」。自家菜園でつくった野菜などを指す。「これ、へんざいもんですけど食べてくだいね」と私自身、自然学校の近所の人たちから差し入れにあずかることがある。このへんざいもんこそ、生産者の顔が見える安心安全な食材である。

   地元では「そーめんかぼちゃ」と呼ぶ金糸瓜(きんしうり)、大納言小豆など、それこそ地域ブランド野菜と呼ぶにふさわしい。そんな食材の数々を持ち寄って、毎週土曜日のお昼にコミュニティ・レストラン「へんざいもん」は営業する。コミュニティ・レストランを直訳すれば地域交流食堂だが、それこそ郷土料理の専門店なのである。ある日のメニューを紹介しよう。

ご飯:「すえひろ舞」(減農薬の米)
ごじる:大豆,ネギ
天ぷら:ナス,ピーマン
イカ飯:アカイカ,もち米
ユウガオのあんかけ:ユウガオ,エビ,花麩
ソウメンカボチャの酢の物:金糸瓜、キュウリ
カジメの煮物:カジメ,油揚げ
フキの煮物:フキ
インゲンのゴマ和え:インゲン

  上記のメニューがワンセットで700円。すべて地域の食材でつくられたもの。郷土料理なので少々解説が必要だ。「ごじる」は汁物のこと。能登では、田の畦(あぜ)に枝豆を植えている農家が多い。大豆を収穫すると、粒のそろった良い大豆はそのまま保存されたり、味噌に加工されたりして、形の悪いもの、小さいものをすり潰して「ごじる」にして食する。カジメとは海藻のツルアラメのこと。海がシケの翌日は海岸に打ち上げられる。これを細く刻んで乾燥させる。能登では油揚げと炊き合わせて精進料理になる。

  里山里海自然学校の研究員や、環境問題などの講義を受けにやって来る受講生や地域の人たちで40席ほどの食堂はすぐ満員になる。最近では小学校の児童やお年寄りのグループも訪れるようになった。週1回のコミュニティ・レストランだが、まさに地域交流の場となっている。金沢大学の直営ではなく、地域のNPOに場所貸しをしているだけなのだが、おそらく郷土料理を専門にした「学食」は全国でもここだけと自負している。

 ※写真・上は「へんざいもん」で料理を楽しむ。写真・下は文中のメニュー。赤ご膳が祭り料理風で和む

 ⇒19日(金)朝・金沢の天気   くもり

☆人形は悲しからずや

☆人形は悲しからずや

 私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」にけさ(19日)出勤すると、室内に異様な光景が広がっていた。おびただしい数の人形やぬいぐるみが並んでいたのである。「これ一体なに」。思わず叫んでしまった。

  女性スタッフの話では、記念館の入り口左側にある薪(まき)棚に置いてあった。45リットルのゴミ袋4つ分もである。今月13日にぬぐるみの入った袋の存在は確認されていたが、誰かまた取り戻しにくるかも知れないとしばらくそのままにしておいたというのだ。それから1週間近く経つので開封して並べてみたというわけだ。薪棚には木々が積まれているので、ちょっと見るとゴミの貯蔵場所に見える。そんな状況から捨てられたものと判断した。

  数えて見ると、抱き人形5、大きなもの14、小さいもの70、合計89個。プーさん人形やディズニーのキャラクターのぬいぐるみも。中にはタグシールがついたものもある。女児を持つスタッフの話では買うと数千円するものもあるとか。でも、なぜぬいぐるみは捨てられなければならなかったのか。金沢には有名な人形供養のお寺がある。愛着があるものでも不要になれば、そのお寺に持っていく人が多いのだが。

  年の瀬。経済不況を伝える殺伐としたニュースが日々流れる。おそらく、やむを得ずにこっそりと捨てられたものと想像する。というもの、女の子の名前が記されたぬいぐるみもいくつかあった。名前を消す余裕もなかったのだろう。ともあれ、このまま廃棄物として出すには忍びないと、女性スタッフたちは記念館の縁側に並べ=写真=、しばらく飾っておくことにした。

⇒19日(金)昼・金沢の天気   はれ

☆病める森林に希望が

☆病める森林に希望が

 昨日(11月14日)聴講した森林をテーマにした講義に思わずのめり込んだ。「面白い。山にも希望がある」。金沢大学が主催する「能登里山マイスター」養成プログラムの「地域づくり支援講座」(能登空港ターミナルビル)。地域の再生をテーマに各界のスペシャリストを呼んで講義を聴く。今回、15シリーズの13回目は「環境に配慮し地域に密着した組合を目指して」と題しての有川光造氏の講義だった。

 有川氏が組合長を務める「かが森林組合」は日本海側で唯一FSC認証を取得している。FSC(Forest Stewardship Council=森林管理協議会)は国際的な森林認証制度を行なう第三者機関。この機関の認証を取得するには4000万円ほどの経費がかかり、毎年、環境や経営面での厳しい査察を受ける。林業をめぐる経営環境そのものが厳しいのにさらに環境面でのチェックを受けるは、普通だったら資金的にも精神的にも体力は持たない、と思う。ところが、その「逆境」こそがバネになるというのが今回の講義のポイントなのだ。

 初めて聞く言葉をいくつか紹介すると。「渓流バッファゾーン」。谷川に沿って植林がされると樹木の枝葉が茂り、谷川には光が差し込まなくなる。すると、渓流の生態系が壊れるので、川べりから5㍍は枝打ちや間伐を行い光を入れる。FSC基準ではそのバッファゾーンの毎年植生の変化を確認するという継続調査を行う。かが森林組合でも小松市や加賀市の4カ所で林内照度や植生変化の調査を行っている。次に、「境界管理」。森林には私的所有権が設定されているが、実のところオーナーが健在である場合、その隣地との境界は代々からの言い伝えで分かるが、代を重ねるごとにあいまいになり、分からなくなる。これが日本の山林の大きな問題となっている。そこで有川氏らは、GIS(地理情報システム)を導入して、GPS(人口衛星)測量を行っている。全体の図面は引けなくても、所有地の入り口だけでも何点か分かれば、あとは植林の樹齢などによってだいたいの境界の検討がつくという。これを組合が一括管理していれば、集団間伐や出荷のための伐採にはオーナーにもメリットがある。

 ロシア産の外材など海外の安価な木材の輸入で国内の林業はここ30年で低迷し疲弊した。スギ花粉などアレルギー源として都会人から森林は嫌われた。山に一歩入れば家電ゴミの不法投棄。さらに、最近のクマの出没で森林は一気に危険、暗闇の心象が広がった。こんな所には若者も来ない。経済価値もどん底。そんな病める山林、負のスパイラルが起きていた。ところが、いったん落ちた森林の価値が国際的な資源の争奪戦(経済)の中で再び起き上がってきた。ロシアが丸太の輸出に高い関税をかけ、加えて、丸太のままでは輸出しないといい始めてきた。また、インドと中国を巻き込んで、資源としての木材争奪戦が繰り広げられている。そこで、国内の木材価格がじわりと上昇している。柱となるA材はもちろんのこと、少々曲がりのあるB材でも引き合いが来るようになり、C材でもチップ化すれば製紙会社が引き取るようになった。不安定な外材より、安定供給が見込めるならば国内産のものを確保しておきたいという意識が働くようになった。

 さらに、有川氏の話で興味深かったのは、「使い物にならず野積みされている木の皮にも引き合いがくるようになってきた」と。石炭と混ぜて燃焼させることによって燃焼効率が高くることに国内の火力発電所などが注目し始めているのだ。「今後、この木の皮も市場取引される時代がくるかもしれない」と。そして、有川氏は「山には捨てるものがない。そんな時代がきたのです」と締めた。山に風が吹き始めている。

⇒15日(土)午前・珠洲の天気  はれ

★能登再生「待ったなし」

★能登再生「待ったなし」

 きょう(10月23日)、共通教育「公共政策入門Ⅱ」の授業で講義を依頼され、「大学と地域連携」をテーマに話した=写真=。学生は100人ほど。講義場所を古民家の創立五十周年記念館「角間の里」にした。ほとんどの学生はここを訪れたことがなく、「昔にタイムスリップしたみたい」「田舎のおじいちゃんの家(ち)みたい」「木のにおいがする」と天井を見上げたり、柱を触ったり。授業はこんな雰囲気で始まった。

  以下、講義の概要。大学の地域連携とは何か。国立大学の担当セクションを見渡してみると取り組み方法はインドア型とアウトドア型の2つのタイプに分類できそうだ。インドア型は、窓口を開いておいて来客があれば対応するというもの。持ち込まれた課題に関して、その課題の解決に役立ちそうな教授陣(教授や准教授)を紹介する。この方法は多くの大学で実施されていて、金沢大学でもさまざまな案件が持ち込まれる。多種多様な相談事が持ち込まれるものの、すべての案件に十分対応できるわけではない。さらに、仮に相談には乗ることができても、時間を割いて現場に足を運んでくれる熱意のある人材となるとそう多くはなく、もどかしさを感じることもままある。これは何も金沢大学に限った話ではない。

  だからといって、「大学の殻に閉じこもって、学生だけを相手にしている教授陣に地域連携なんてやれっこない」などと思わないでほしい。果敢に地域課題に取り組むアウトドア型もある。地域に拠点を設け、そこに人材を配置して課題に真っ向から取り組むタイプである。これから紹介するアウトドア型の取り組みは稀なケースといえるかもしれない。ひと言で表現すれば「大学らしからぬこと」でもある。そして、キーワードを先に明かせば、「連携効率」と「連携達成度」、そして「ビジョン」と「仕掛け」の4つである。

  能登半島の先端にある石川県珠洲市三崎町。廃校となった小学校を再活用した「能登学舎」で07年10月6日、社会人を対象にした人材養成プログラムの開講式が執り行われた。開講式では、受講生も自己紹介しながら、「奥能登には歴史に培われた生活や生きる糧を見出すノウハウがさまざまにある。それを発掘したい」「能登の資源である自然と里山に農林水産業のビジネスの可能性を見出したい」などと抱負を述べた。志(こころざし)を持って集まった若者たちの言葉は生き生きとしていた。あいさつと看板の除幕という簡素な開講式だったが、かつて小学校で使われていた紅白の幕を学舎の玄関に張り、地元の人たちも見守ってくれた。5年間に及ぶ金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムはこうして船出した。では、このプログラムは地域連携を通じて何を目指して、どのようなビジョンを描いているのか述べてみたい。

  まず、能登の現状についていくつか事例を示す。能登半島の過疎化は全国平均より速いテンポで進んでいる。とくに奥能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の人口は現在8万1千人だが、7年後の2015年には20%減の6万5千人、65歳以上の割合が44%を占めると予想される(石川県推計)。この過疎化はさまざまな現象となって表出している。能登半島では夏から秋にかけて祭礼のシーズンとなる。伝統的な奉灯祭はキリコを担ぎ出す。キリコは本来担ぐものだが、キリコに車輪をつけて若い衆が押している。かつて集落に若者が大勢いた時代はキリコを担ぎ上げたが、いまは人数が足りずそのパワーはない。車輪を付けてでもキリコを出せる集落はまだいい。そのキリコすら出せなくなっている集落が多くあり、社の倉庫に能登の伝統的な祭り文化が眠ったままになっている。

  さらに、07年3月25日の能登半島地震。マグニチュード6.9、震度6強。この震災で1人が死亡、280人が重軽傷を負い、370棟が全半壊、2000人余りが避難所生活を余儀なくされた。自宅の再建を断念し、慣れ親しんだ土地を離れ、子や孫が住む都会に移住するお年寄りも目立つ。能登の過疎化に拍車がかかっている。能登の地域再生は「待ったなし」の状態となった。(次回に続く)

 ⇒23日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆屋下に屋を架す

☆屋下に屋を架す

 金沢大学では地域連携推進センターのコーディネーターという仕事を頂いている。この仕事の前例やマニュアルはないので、すべて手探り、自らイマジネーションを膨らませて行動に移している。では地域連携とは何かを考えてみる。

   2004年の国立大学法人化をきっかけに、大学の役割はこれまでの教育と研究に社会貢献が加わった。大学によっては、「地域連携」と称したりもする。金沢大学もその担当セクションの名称を地域貢献推進室(02-04年度)、社会貢献室(05-07年度)、地域連携推進センター(08年度~)と組織再編に伴い変えてきた。民間企業だと、さしあたりCSR推進部といったセクション名になるだろう。CSRは企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)をいい、企業が利益を追求するのみならず、社会へ与える影響に責任を持ち、社会活動にも参加するという意味合い。しかし、よく考えてみれば、大学はもともと利益を追求しておらず、本来の使命は教育と研究であり、そのものが社会貢献である。金沢大学でも社会貢献セクションの設立に際して、「大学の使命そのものが社会貢献であり、さらに社会貢献を掲げ一体何をするのか」といった意見もあったようだ。

  同じことを旧知の新聞記者からも聞いた。「新聞社にはCSRや社会貢献という発想は希薄だと思う。もともと社会の木鐸(ぼくたく)であれ、というのが新聞の使命なので、仕事をきっちりやることがすなわち社会貢献」と。この意味で大学が社会貢献を標榜することは「屋下に屋を架す」の例えのようにも聞こえ、それより何より個人的には気恥ずかしさを感じる。むしろ、地域連携とうたった方がシンプルで分りやすいと思っている。

  他の国立大学を見渡すと、社会貢献あるいは地域連携にはまなざまなカタチがある。大別して2パターン。多くの場合は、地域から大学に持ち込まれた課題を専門の研究者に橋渡しすること。たとえば、金沢大学でも「砂浜が細った。よい手立ては」「特産の野菜は昔から糖尿病によいといわれてきたが、医学的な見地から分析してください」「過疎高齢化の地域の交通問題を解決したい。大学の教授に諮問委員になってもらいたい」などいろいろな課題が地域のNPOや自治体から持ち込まれる。橋渡し、あるいはマッチングで解決できない大きな問題もある。それは地域再生だ。地域全体を浮揚させる策である。もう一つのパターンはこれにがっぷり四つになって取り組むことだ。

  事例を紹介しよう。北海道のある工業大学は、国の公共事業が先細りになって土木建設業者が喘いでいるのを何とかしようと、ある提案を地域に投げた。土木機械の優れた操作技術を持った人材を農業人材に振り向けようという提案だ。現場監督クラスに農業の基本を教え、その機械と操作技術を農業に生かす試みである。試行錯誤を繰り返しながらこのプログラムは成功している。土木にはないと悲観していた若手が飛びついた。農業という新しい分野に進出できるチャンスがめぐってきたからだ。

  2パターンのうち前者をインドア型とすれば、後者は積極的に地域に打って出るアウトドア型である。では、金沢大学は何をしているのか。それは次回述べる。

 ⇒19日(日)午前・金沢の天気   はれ

★おいしい話

★おいしい話

 「地域のニーズ(要望)を研究のシーズ(種)に変える」。大学で社会貢献を担当する者にとってこんなにおいしい話はない。地域の課題解決そのものが大学の研究となって実を結ぶのだから一挙両得とも言える。

  先日、石川県から「ヘルスツーリズム」の研究委託を受けた准教授(栄養学)から相談があった。「能登の料理を研究してみたいのですが・・・」と。委託したのは県企画振興部で、健康にプラスになるツアーを科学的に裏付けし、新たな観光資源に育てるという狙いが行政側にある。キノコや魚介類など山海の食材に恵まれた能登は食材の宝庫だ。准教授の目の付けどころは、その中から機能性に富んだ食材を発掘し、抗酸化作用や血圧低下作用などの機能性評価を行った上で 四季ごとにメニュー化する。能登の郷土料理でよく使われる食材の一つであるズイキの場合、高い抗酸化作用や視覚改善作用が期待されるという。

  以前、能登半島にある珠洲市から食育事業に大学の知恵を貸してほしいとの依頼があり、郷土料理のレシピ集の作成をお手伝いした。金沢大学が設立した「能登半島 里山里海自然学校」の地域研究の一つとして、地元の女性スタッフが100種類の郷土料理を選び、それぞれレシピを作成するという作業を始めた。その手順は①普段食べている古くから伝わる家庭料理を実際に作り写真を撮る②食材や料理にまつわるエピソードや作り方の手順をテキスト化し、写真と文をホームページに入力する③第三者にチェックしてもらい公開する‐という作業を重ねた。普段食べているものを文章化するというのは、相当高いモチベーションがなければ続かない。スタッフは「将来、子供たちの食育の役に立てば」とレシピづくりに励んだ。それが1年半ほどで当初目標とした100種類を達成。それなりのデータベースとなり、同市の学校給食や、PTAによる食育イベントに生かされるようになった。

  准教授はこのレシピづくりの経緯を知って、県から依頼されたヘルスツーリズムの研究に生かしたいと協力を申し入れてきたのだ。こうして地域の食育事業の支援、郷土料理のレシピづくり、そしてヘルスツーリズムの研究へと一連の流れが出来上がった。こんな「おいしい話」ばかりだとよいのだが…。

 ⇒18日(土)午後・金沢の天気   はれ

☆こいのぼりと気球

☆こいのぼりと気球

 このところ、こいのぼりを揚げるのが日課になった。自宅ではなく、私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」のこいのぼりのこと。地域のボランティアの人たちが毎年この時節になると、こいのぼり用の掲揚ポール(竹製)を立ててくれる。昔揚げたというこいのぼりのお古をもって来てくれる。「あとは晴れたら、大学のスタッフのみなさんで揚げてね」という暗黙の了解がすでにできている。

 朝の日課なので、青空に映えるこいのぼりを見るとすがすがしい。通りがかりの学生たちが「こいのぼりをこんなに間近に見るのは初めて」とか「大学でこいのぼりを揚げているのは金大だけとちがうか…」などと言いながら見上げている。聖火リレーをめぐる騒ぎに比べれば、実にのどかな光景ではある。

 ところで、金沢大学では気球も上げる。金沢大フロンティアサイエンス機構の研究者たちが、能登半島・珠洲市で黄砂に関する大気環境のモニタリングの拠点づくりを計画している。日本海に面して大陸からやってくる空気をいち早くキャッチできる能登半島は黄砂研究には持ってこいという訳で、三井物産環境基金を得て、高度の大気観測を可能とする大気観測サイトを構築中だ。この研究プログラムを称して「大気観測・能登スーパーサイト」。運営が軌道に乗れば世界から黄砂研究者が集まってくる、そんな研究拠点となるはずだ。

 手始めとして、黄砂バイオエアロゾル研究チームによるサンプリング(気球による黄砂の採取)を行う。黄砂バイオエアロゾルというのは、黄砂にのって浮遊する微生物、花粉、有機粉塵などを指す。ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠から舞い上がった黄砂が日本海上空で水蒸気と絡まって能登半島辺りから落ちてくる。これをサンプリングして研究するのだ。さらに海に落ちた黄砂はどのように変容し、海洋生物に影響を与えるのか、などが研究対象となる。気球を上げる場所は、珠洲市三崎町の金沢大学能登学舎(旧・小泊小学校)のグラウンドで。5月7日から9日の時間を見計らって気球によるサンプリングが行われる。

 能登半島では、金沢大学の別の研究班がすでに生物多様性の調査を行っていて、「研究フロンティア能登」の様相を呈している。生物多様性も黄砂も環境がテーマである。そこでもう一歩踏み込んで、東アジアにおける「環境センサー」としての能登半島という役割があるのでは、と密かに思っている。青空に泳ぐこいのぼりから話がえらく飛躍した。

⇒29日(祝)朝・金沢の天気  はれ

★続・金沢-フィレンツェ壁画物語

★続・金沢-フィレンツェ壁画物語

 金沢大学で復元されたのはイタリア・フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂の壁画「聖十字架物語」の一部だ。もとのサンタ・クローチェ教会の壁画修復作業は金沢大学と国立フィレンツェ修復研究所、そして同教会の日伊共同プロジェクトとして進行している。金沢大学が国際貢献の一つとして位置づけるこのプロジェクトだ。昨年1月、プロジェクトの進みを報告するため、大学側の責任者として指揮を執る宮下孝晴・教育学部教授(イタリア美術史)をフィレンツェに訪ねた。

                  ◇

  壁画「聖十字架物語」の修復現場=写真・上=は足場に覆われていた。鉄パイプで組まれた足場は高さ26㍍、ざっと9階建てのビル並みの高さである。天井から吊られた十字架像、窓にはめられたステンドグラスなどの貴重な美術品や文化財はそのままにして足場の建設が進んだのだから、慎重さを極めた作業だったことは想像に難くない。平面状に組んだ足場ではなく、立方体に組んであり、打ち合わせ用のオフィス空間や照明設備や電気配線、上下水道もある。下水施設は洗浄のため薬品を含んだ水を貯水場に保存するためだ。それに人と機材を運搬するエレベーターもある。

  「さあ、歩いて階段を上りましょう」。現場に同行してくれた修復研究所壁画部長のクリスティーナ・ダンティさんがそう言って階段を上り始めた。エレベーターによる振動は壁画の亀裂や剥(はく)落の原因にもなりかねないので、測定機材などを運ぶ以外は極力使わないようにしているのだという。

  足場の最上階に上がると大礼拝堂の天井に手が届くほどの距離に達する。「壁画に触れないように気をつけて」とダンティさんは念を押す。宮下教授は「足場が出来る前までは下から双眼鏡で眺めていたのですが、足場に上がって直に見ると予想以上に傷みが激しく愕(がく)然としましたよ」と話す。ステンドグラス窓の一部が壊れ、そこから侵入した雨水とハトの糞で傷んだところや、亀裂やひび割れが目立つ=写真・下=。また、専門家の目では、70年ほど前の修復で廉価な顔料が施され変色が進んだところや、水分や湿気が地下の塩分を吸い上げ壁画面に吹き出した部分もある。

  修復研究所では、プロパンガスのファンヒーターを足場の床面に約2分間均等に照射し、間接的に壁画面の温度を上昇させた後に壁面から放射される遠赤外線量の違いを赤外線カメラで画像化するというサーマルビジョン(サーモグラフィ)調査を行っている。これだとまるでレントゲン撮影のように、壁画の奥深いところまでの状態を観察することができる。一方で、4人の修復士たちが「目による画面の状況確認」も行いながら、剥落や剥離がひどいところには応急処置として、傷口にバンドエイドを貼るように、小さく切った紙を慎重に貼って進行を防いでいる。専門家の目と検査器械による診断は人間ドックならぬ、「壁画ドック」とでもたとえようか。

  サンタ・クローチェ教会財産管理部の部長、カルラ・ボナンニさんは「この壁画はスケールが大きすぎて、修復のチャンスがなかなか回ってこなかったのですが、ようやく緒につき感謝しています」と金沢大学の協力を高く評価している。足場の工事看板にはアカンサスの葉を図案化した金沢大学の校章が真ん中に記されている。

 (※文は金沢大学地域貢献情報誌「地域とともに」(2006vol.4)に寄稿したものを再構成した)

 ⇒25日(日)午前・金沢の天気  はれ

☆金沢-フィレンツェ壁画物語

☆金沢-フィレンツェ壁画物語

 イタリアのフィレンツェはユネスコの世界遺産に指定されている歴史の都である。「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が庇護した街でもある。このフィレンツェの精神的な拠りどころがサンタ・クローチェ教会。何しろ、科学者のガレリオ・ガリレイや彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。そのサンタ・クローチェ教会の大礼拝堂の壁画の一部が金沢大学教育学部棟で復元された=写真=。

  壁画は「聖十字架物語」という14世紀のフレスコ画。フレスコ画は、壁に漆喰(しっくい)を塗り、乾かないうちに顔料で絵を描く技法だ。復元された壁画の大きさは幅7㍍、高さ5㍍にもなる。学生、教員のほか、卒業生も加わって、32分割した壁画を1日一部分ずつ描き、今月23日までにほぼ描き終えた。顔料など多くの材料はイタリアで調達した。

  壁画復元に至る背景には金沢大学のサンタ・クローチェ教会壁画修復・調査研究プロジェクトがある。教育学部の宮下孝晴教授(イタリア美術史専攻)がNHK教育テレビ「人間講座」でルネサンス黎明期のフレスコ壁画を紹介したことがきっかけで、東京の篤志家から壁画修復のための寄付金(2億円)の申し入れがあった。金沢大学は国際貢献活動との位置づけで、大学として寄付金を管理、修復作業にあたっては国立フィレンツェ修復研究所、そしてサンタ・クローチェ教会の3者による日伊共同プロジェクトとしてスタートした。2005年から5年計画。修復の過程で、宮下教授らが復元を試みることで実践的な教育として生かせないかと昨年からプランを練ってきた。

  今回復元された壁画は、1380年代にアーニョロ・ガッティが描いた大作。実際の壁画は幅8㍍、高さ21㍍もある。7階建てのビルの壁面に絵が施されていると表現した方が分かりやすいかもしれない。そこには旧約聖書のエデンの園から始まり、7世紀の東ローマ皇帝ヘラクリウスの時代に及ぶキリスト教の黄金伝説が描かれている。今回金沢大学で復元された壁画は、キリスト教を国教として公認したコンスタンティヌス帝の母ヘレナの話。熱心なキリスト教徒であったヘレナはエルサレムを巡礼し、苦労の末にキリストがはり付けにされた十字架をゴルゴダの丘で発見する。しかし、十字架は3本あり、どれがキリストの十字架であるか分からない。そこで、通りかかった葬列に3本の十字架をかざすと、最後の一本で死者が蘇った。そこで、「真の十字架」が判明したという伝説が描かれている。

  ある意味で宗教色が強いので、論議の末、イスラム圏からの留学生が多い理系の建物を復元場所として避けるなどの細やかな配慮もなされ、実現にこぎつけた。

 ⇒24日(土)夜・金沢の天気  くもり 

☆デジタル寅さん

☆デジタル寅さん

 「宇野さん、寅さんみたいですね」と大学の同僚から言われた。通勤や出張の際、すべての道具をパソコンのキャリーバッグ一つに詰めて歩いている私の姿がなんとなく寅さんのイメージなのだそうだ。

 確かにキャリーバッグはよく入る。改めてどんなモノが入っているのかチェックしてみた。1泊の出張の場合である。一日分の着替え、パソコンのACアダプター、シェーバー、くし、財布、手帳、単四電池3本、プリベイト式の乗り物カード(北陸鉄道アイカ、スイカ、地下鉄用プリベイトカード)と大学職員証)、名刺入れ、ボ-ルペン2本、マーカー(ピンク)、メモリースティック、通信用のFOMAカード、書類、ICレコーダー、デジタルカメラ、携帯電話それにモバイルPCである。重さにしてざっと10数㌔だろうか。これに、会議資料が何十セットが加わると、さらに重くなる。でも、全部一つのバッグに収納できるから不思議だ。

 東京出張の場合は、スカイや地下鉄用プリベイトカード、それに大学職員証は欠かせない。文部科学省に用事がある場合は、入り口で必ず提出を求められるからだ。また、モバイル通信の環境は常に必要なので、FOMAカードは欠かせない。ただ、ACアダプターは意外と重い。いずれにせよ、出張とオフィス環境の確保という2つのコンセプトがこのバッグに詰まっている。

 モバイルPCは商品化される10数年前はラップトップPCを持ち歩いていた。これは重さが20キロ近くあった。このころキャリーバックはなく、旅行用バッグにPCを入れていた。その後、PCがノート化してキャリーバッグが開発され、それが旅行バッグ化した。格段の進歩である。

 自慢ではないが、PCのキャリー歴はもう10数年になる。そこで同僚に言い返した。「せっかくだったら、デジタル寅さんといってほしい」と。

⇒2日(金)午後・金沢の天気  はれ