⇒キャンパス見聞

☆能登の里山里海マイスター、人材育成の10年

☆能登の里山里海マイスター、人材育成の10年

   金沢大学が能登半島の先端で取り組んでいる人材養成事業「能登里山里海マイスター育成プログラム」の卒業課題研究の発表会が来月3日に大学の金沢能登学舎(珠洲市三崎町)で行われる。受講生30人のうち21人が発表会に向けて仕上げの段階に入っている。卒論にチャレンジする受講生は30歳代前半で、キャリアも多彩だ。日系アメリカ人の女性は里山での農業を通した国際交流をプランニング、介護福祉士の男性は介護施設における園芸福祉活動をテーマに、弁護士の男性は「比較法の観点で見る日本林業再興のための考察~能登から変える日本の林業~」と題して、所有者が判明せず、境界不明など日本の森林の課題を諸外国の法律と比較しながら解決策を探る。

   同プログラムがスタートしたのは2007年、「能登里山マイスター養成プログラム」(科学技術振興機構「地域再生人材創出拠点の形成」補助事業)として5年間、2012年からはその後継事業として「能登里山里海マイスター育成プログラム」(大学と自治体の共同出資)を実施し、現在に至っている。今年11年目、これまで144人のマイスターを輩出。ここに来て、栄誉ある賞をいただいた。全国の大学や産業支援機関でつくる「全国イノベーション推進機構ネットワーク」による表彰事業「イノベーションネットアワード2018」で最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。先日23日に東京で表彰式があった=写真=。

   評価されたのは、人材育成や移住者の定着促進に向けた取り組みを通して、過疎高齢化などの課題解決と向き合っているという点だった。表彰式の後、記念フォーラムが開催され、演台に立った。以下、能登里山里海マイスター育成プログラムの取り組みの概要を説明した。

                ◇

   金沢大学が能登半島で廃校となった校舎を活用して実施している里山里海マイスター育成プログラムはとても地味な活動ですが、高い評価をいただき、このような栄えある賞をいただけたこと、感謝いたしております。このプログラムはことし11年目に入ります。その継続性についてはポイントが4つあります。

   一つ目は、地域と大学が何のために連携するか、自治体や地域のみなさんと議論を深め、能登に必要な人材養成を継続してやっていこうという明確な方向性が打ち出せたことです。昨年からは、地場の金融機関とも連携するなど、人材養成のプラットフォームとして定着してきました。

   二つめは人材養成のカリキュラムの内容です。「大学でしかできないことを、大学らしからぬ方法でやろう」とのスタンスです。受講生には卒業するための課題研究を課しています。12分間のプレゼンテーションと論文の提出が必須です。これは社会人にとって自己啓発の場でもあり、それに耳を傾ける同じ受講生にとっては相互啓発の場ともなっています。マイスターの学びのプログラムはすべてオープンで行っており、地域の潜在的なクリエーターの発掘や、「ものづくりのマインド」をもった人材を呼び込むベースになっています。

   三つめは、受講生は社会人であり、それぞれ専門性をもっていて、卒業後も情報共有や技術共有のネットワークづくりが活発です。こうした修了生たちの動きは、能登に移住してくるIターンやUターンの若者を巻き込んで、地域社会にいろいろな化学変化を起こしています。

   最後四つめは国際的な評価です。2011年6月に国連の食料農業機関(FAO)から生物多様性や持続可能社会をテーマにした人材養成のカリキュラムについて視察があり、翌11年6月にFAOが「能登の里山里海」を世界農業遺産に認定するきっかけとなりました。さらに、このことが契機となり、2014年にフィリピンの世界文化遺産であるイフガオの棚田で、JICAの支援を受け、イフガオ里山マイスター養成プログラムを実施しています。昨年からは能登とイフガオのマイスター、あるいは自治体職員が米づくりやエコツーリズム、棚田のオーナー制度などをテーマにした技術的な交流も始まっています。

                  ◇

   人材育成プログラムのカリキュラなどの詳細については同行した准教授がプレゼンを行った。うれしかったのは、会場での講演を聞き、ぜひ3日の卒業課題研究の発表を聞きに能登に行きたいとのオファーを2件もいただいたことだった。

⇒25日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆里海と子どもたち

☆里海と子どもたち

   能登半島の先端、能登町に一般社団法人「能登里海教育研究所」がある。今月6日に同研究所などが主催する「里海科研究発表会・能登の海洋教育シンポジウム~里海と地域連携教育~」が開催され、聴講に出かけた。この一般社団法人が設立する際に関わったこともあり、どのような教育活動がなされているのか関心があった。

    会場は同町立小木(おぎ)小学校。この小学校は文部科学省の特例校に指定されている。この特例校というのは、学習指導要領によらない教育課程を編成して実施することを認める制度で、同小学校は独自の「里海科」を持っている。小学校がある小木地区はイカ釣り漁業が盛んで、地域の生業(なりわい)を初等教育から学ぼうと3年前に開始した。一般社団法人はそうした町教育委員会の動きを支援しようと金沢大学の教員や地域の有識者が構成メンバーとなり、日本財団からファンドを得て設立された。

   同小学校では、たとえば5・6年生の里海科では35時間を使って、漁師の仕事と水産業、海運業、海洋資源、海の環境保全など学ぶ。シンポジウムでは前半に公開授業が、5年生の教室では「日本の水産業」、6年生の教室では「漁師の仕事」をそれぞれテーマに児童たちの話し合いも行われていた。子どもながらイカ釣り漁業の作業工程などしっかりと話しているという印象があった。子どもたちは日頃から父親や祖父から生業について聞いてる。それを授業で語り合うとなると、子どもたちも自然と語り口調にチカラが入るのかもしれない。熱い語りぶりに思わずほくそ笑んだ。

   シンポジウム後半は体育館で、「海洋教育の実践~豊かな自然とアクティブラーニング~」をテーマにポスターセンション、続いて「海洋教育の未来像:学校と地域の連携」をテーマとしたパネルディスカッションがあった。小学校だけではなく、中学や高校の教諭らが能登の豊かな自然環境をハイレベルな海洋教育の実践の場として活用していることが実感できた。

   ただ個人的にはパネルディスカッションなどを聴いていて何か物足りなさを感じていた。シンポジウムの締めの挨拶に立った同小学校の校長の話を聞いてその思いが晴れた。話の中ほどにさりげなくこう触れた。「小木のイカ釣りですが大和堆では北朝鮮の漁船が近寄ってきてイカ漁をするのでうまくいっていない現実もあります」と。

    日本の排他的経済水域(EEZ)の大和堆に北朝鮮の木造船が群れでやってきて、イカの集魚灯を照らす日本のイカ釣り漁船に近寄り、網でイカを採る。イカ釣り船はその網が船のスクリューに絡まって船が破損しないか警戒している。現実に大和堆での漁を断念する漁船が続出している。校長はその現実に触れたのだ。

   教育の現場でいつも問われるのは現実感覚ではないだろうか。子どもに現実を教えても教育にはならないと考えるプロは大半だろう。ところが、小木の漁師の家庭の子どもたちは父や祖父から実際に北朝鮮の話を聞いて知っている。その憤慨して語る姿を目の当たりにしているのだ。締めの挨拶とはいえ、校長がその現実にあえて触れたことは意味があると思った。里海科に日本海で起きているイカ釣り漁の現実をテーマに、漁業をめぐる国際問題を話し合ってみたらどうだろうか。小木の子どもたちは意外と領海、EEZ、安全保障など熱く語るかもしれない。

⇒12日(木)朝・金沢の天気   あめ

★優しきジンベイザメ

★優しきジンベイザメ

   学生・留学生と巡る「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」の3日目。最終日のテーマは「里海の生業と生物多様性だ。能登町のリアス式海岸、九十九(つくも)湾に日本有数のイカ釣り船団の拠点・小木漁港を訪ねた。一般社団法人・能登里海教育研究所の浦田慎研究員から、イカ釣りの生業(なりわい)について講義を聴いた。「一尾冷凍」のニーズに取り組んだ進取の気質、イカ釣りという里海資源に配慮した漁法など印象に残る内容だった。この後、サプライズがあった。浦田研究員から「それではイカの冷凍庫がどのようものか見学しましょう」と提案があった。小木漁協の好意で冷凍庫を開けてくれるというのだ。「どうぞ」を漁協の職員が入るように促してくれたマイナス28度の空間、半袖で入ったせいか数秒で身震いが始まり、外に出た。するとメガネがいきなり真っ白になった。ハンカチで拭いても、また真っ白に。こればかりは数字では理解できない、体験して初めての実感だった。

    学生からさっそくこんな質問が飛んだ。「冷凍庫に冷凍イカを出し入れする際にどのような服装で入るのですか」と。すると漁協職員は「普段着ですよ」と。冷凍イカは箱詰めされていて、フォークリフトで出し入れする。そのフォークリフトの運転席は個室タイプになっていてドアを閉めて暖房を入れることができる。すると普段着でもマイナス28度の冷凍庫に入ることができる、というわけ。ニーズに応じたフォークリフトがあるのだ。

    この後、さらにイカの加工工場へ。魚醤の生産工場だ。イカの内臓やイワシを発酵させたもの。能登では伝統的に「いしる」と呼ばれる。ヤマサ商事の山崎晃一氏の案内で貯蔵庫を見学させてもらった。貯蔵庫入口のドアを開けたとたんに発酵のにおいに包まれた。発酵のにおいは不思議だ。「ヤバイ」と言いながら鼻をふさぐ者もいれば、「どこか懐かしいにおいですね」と平気で入る学生もいる。フランス人の女子留学生は逃げるようにして遠ざかった。発酵食の原点でもある魚醤のタンクがずらりと並ぶ。日本料理やイタリア料理の隠し味としてニーズがあるようだ。「イタリアから問い合わせもあります」と山崎氏。「能登のいしるがヨーロッパ進出」というニュースを期待したい。

    七尾市能登島の「のとじま水族館」を見学した。池口新一郎副館長の解説を聴く。近海の魚介類を中心に500種4万点を展示。水族館のスターは地元の定置網で捕獲されるジンベイザメだ。体の大きさの割には威圧感がない。ジンベエザメは和名だが、模様が着物の甚兵衛に似ているからとの説も。小魚やプランクトンがエサで動きがゆったりしているので、人気があるのだろう。体長が6㍍になると、GPS発信機をつけて、再び海に放される。ジンベイザメの回遊経路などがこれによって調査される。

    ツアーの最後は能登半島で一番高い山、宝達山(637㍍)に登った。「旅するチョウ」と言われるアサギマダラが宝達山の山頂をめざして飛来しているからだ。このチョウは春は日本列島の北の方へ、秋には南の方へ。その距離は2000㌔にも及ぶと言われる。宝達志水町職員でもある田上諭史氏たちはアサギマダラを捕獲、マーキングして放す。また、蜜がエサになるホッコクアザミを伐採しないなど保護運動につとめている。田上氏は白いタオルを回転させて、アサギマダラをおびき寄せようとしたが、風が吹いていたせいか、1匹しか捕獲できなかった。

それにしてもイカ、ジンベエザメ、そしてアサギマダラと、いろいろな人々が関わり合って、生業としたり、展示をしたり、保護活動をしたりと実に多彩だ。能登の生物多様性と人々の営みを理解する一助となった。宝達山頂から日本海の風景を堪能してツアーを締めくくった。

⇒16日(土)夜・金沢の天気   はれ

☆NOTOのアート

☆NOTOのアート

   学生・留学生と巡る「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」の2日目。テーマは「里山の生業と祭り文化」。午前中、輪島市三井町に移住したデザイナーの萩野由紀さんが主宰し、金沢大学の生物学者の伊藤浩二氏らが加わる調査グループ「まるやま組」が取り組む、農業と生物多様性について学んだ。講義で、これまで地域の300種の植物と123種の生物のデータベースを有する。そうした学びの中から、当地の農耕儀礼「あえのこと」(ユネスコ無形文化遺産)を自然の恵みへの感謝、「田の神さま」を生物多様性と解釈している、と。自然と農業の共生という意味を生物多様性という視点でとらえた新しい可能性だ。

    講義の後、稲刈りが終わって、はざ干しされた田んぼに出かけた。稲の言い匂いが漂ってきた。学生や留学生は始めてという。ただ一人、ベトナムからの女子留学生は「私も好きです。農村の匂いです」と。

   穴水町の「能登ワイン」を訪問した。収穫前のブドウ畑が広がっている。ワイナリーの見学の後、テイスティングを。すると、スペイン人の国連大学研究員は「私の田舎とよく似た風景ですね。おじいさんがブドウ畑を経営していました。3歳のころから赤ワインを飲んでいました。ワインと卵の黄身を混ぜて飲むと、とても栄養があっていいんです」と。本来、赤土(酸性土壌)はブドウ畑に適さないと言われてきたが、能登ワインでは畑に穴水湾で養殖されるカキの殻を天日干しにしてブドウ畑に入れることで土壌が中和され、ミネラルが豊富な畑となり、良質なブドウの栽培に成功している。白ワイン(シャルドネ)、赤ワイン(ヤマソービニオン)は国内のワインコンクールで何度も受賞している。個人的な感想で、「穴水湾の焼きカキは能登ワインのシャルドネにとても合う。気に入っている」と学生たちに話すと、フランス人の留学生は「それをマリアージュといいます。ワインに合う料理のことです」と、さらに、日本の女子学生は「海は畑の恋人ですね」と想像を膨らませた。そんな話をしながらテイスティングが盛り上がった。

    午後、珠洲市で開催されている「奥能登国際芸術祭」の会場を巡った。印象深い作品を2つ。塩田千春:作品「時を運ぶ船」(旧・清水保育所)=写真・上=。珠洲市の塩田村の近くに、塩田氏が奇縁を感じて作品に取り組んだと地元のガイドが説明してくれた。赤い毛糸を部屋の全方位に巡らし、下に佇む、ひなびた舟。この赤い空間と舟は、人々の血のにじむ屈折と労働、そして地域の歴史を支えてきた子どもたちを育んだ胎内を表現しているのだろうか。直接話が聞きたくて「作者の塩田さんはここにおられますか」とガイド氏に尋ねると、「体調を壊されましてドイツに戻っておられます」と。作品づくりについて直接話を聞いてみたい一人だ。

    能登半島は地理的にロシアや韓国、中国と近い。そして、日本海に突き出た半島の先端には隣国から大量のゴミが海流に乗って流れ着く。かつて海の彼方から漂着するものを神様や不思議な力をもつものとして信仰の対象にもなり、それが「寄(よ)り神の信仰」とも呼ばれた。現代の寄り神はゴミの漂着物だ。そのゴミを白くペイントして造ったオブジェが鳥居だ。深澤孝史:「神話の続き」(笹波海岸)=写真・下=はパロディーだ。最初は笑い、後に考え込んでしまう。

    能登の生業(なりわい)や地理的な条件、そして現代をモチーフにしたNOTOのアート。夜は珠洲市正院の秋祭りを見学。キリコの太鼓をたたく地域の人たちの豊かな表情に圧倒された、学生は「祭りそのものが最大のアートですね」と。

⇒15日(金)夜・金沢の天気    はれ

★自然の演出、窓岩の夕日

★自然の演出、窓岩の夕日

    今月13-15日の2泊3日で学生や留学生を27人を引率して、「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」を実施した。「ツアー」と称しているが、金沢大学の集中講義で単位科目(1単位)でもある。初日のテーマは「ランドスケープと特色ある歴史」。午前中は「雨の宮古墳群」(中能登町)を訪れた。

    国指定史跡である雨の宮古墳群は、眉丈山(びじょうざん)の尾根筋につくられた古墳群で北陸最大級。地元では古くから「雨乞いの聖地」として知られた。尾根を切り開いて造られた古墳は前方後方墳(1号墳)と前方後円墳(2号墳)を中心に全部で36基が点在している。全長64㍍の1号墳は、4世紀から5世紀の築造とされ、古墳を覆う葺石(ふきいし)も当時ままの姿。早稲田大学から参加したイギリス人の女子留学生は「まるでエジプトのピラミッドのよう。この地域の富と人々の知恵がなければ造れないですね」と考察した。山頂にあるこの古墳からは周囲の田んぼが見渡すことができる。この地域はコメの産地であり、海上交通・輸送の一大ルートだった。粘土で被われた石棺から、全国でも珍しい四角い鉄板で綴った短い甲、鉄剣、神獣鏡、腕飾形碧玉など多数出土している。古墳時代の能登がこの地でイメージできる。

    あの『東海道五十三次』で知られる歌川広重(1797-1858)は能登も描いている。晩年の作といわれる『六十余州名所図会』の一つ「能登 瀧之浦」。志賀町のリアス式海岸にある巌門(がんもん)と称される天然の洞門を見学した。幅6㍍、高さ15㍍、奥行き60㍍にも及ぶ。長年の波食によって描かれた自然の芸術でもある。江戸時代の当時からも観光スポットだったのだろう。広重は断崖絶壁の巌門をまるでいまでも襲いかかる、大きな口を開けた海獣のように描いているから面白い。

    曹洞宗の「修行本山」でもある総持寺祖院を訪ねた。総持寺は1321年に創建され、1898年の明治の大火で本山は横浜市鶴見に移された。その後祖院として残るが、2007年3月に能登半島地震があり、まだ復旧中だ。ドイツ人僧侶、ゲッペルト・昭元氏から話を聞いた。ドイツのライプツィヒ大で日本語を学んでいて禅宗に興味を持ち、2011年に修行に入った。「信仰ではない無我の境地、好き嫌いは言わない、与えられたものを素直にいただく、能登での人生の学びも7年になります」と。曹洞宗のきびしい修行を耐え抜いた言葉が重く、そして心に透き通る。開山大師の命日に当たる御征忌大法要の読経が境内に響き渡っていた。

    この日の締めくくりは輪島市曽々木海岸の窓岩の夕日だった。この時期、太陽は西に沈み、曽々木海岸の窓岩から夕陽が差し込む様はまさにパワースポット。学生たちとぜひ見てみたと思い、地元の作家・藤平朝雄氏に案内をお願いした。「昨日(12日)は見事に見ることができましたよ。時間は午後5時47分でした」と時間を予め聴いていたので、輪島市内を午後4時40分ごろ、バスを曽々木海岸に向かってもらった。ところが、午後5時過ぎごろ水平線に雲がかかり、5時20分ごろには雨も降ってきた。30分ごろから曽々木海岸で藤平氏の講義「能登の旅情と文学」を受けていた。雨は止んだが、水平線の雲は晴れない。45分ごろ、藤平氏が「おや、雲が晴れてきましたね」と。確かにそれまで覆っていた雲が随分と薄くなってきた。そして48分、なんと夕日が窓岩のバックを照らし出し、49分には窓岩に差し込んできたのだ。学生や留学生が「ミラクル、ミラクル」「オーマイ・ガッド」「奇跡よ、奇跡の夕日よ」と叫び始めた。

     50分になると夕日が強烈に差し込んで来た。学生たちは窓岩を背景に自撮りを始めている。先ほどまで雨が降っていたのに急変して、5分間の夕日と奇岩のスペクタルショーを楽しませてもらった。「私が今回のスタディ・ツアーで一番感動したは窓岩です。空が丁度晴れ上がり、窓岩に夕日がすっぽり収まったときは思わずため息が漏れるほど美しかったです」(学生)。何とも心憎い自然の演出、目に焼き付くダイナミックな能登のランドスケープだった。(※写真は輪島市曽々木海岸の窓岩で。2017年9月13日午後5時51分)

⇒13日(水)夜・能登町の天気    くもり

★イフガオ里山マイスター巣立つ

★イフガオ里山マイスター巣立つ

   金沢大学が金沢大学がフィリピン・ルソン島イフガオで実施している国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」(通称:イフガオ里山マイスター養成プログラム)の第一期生の修了式が先月9日、イフガオ州大学で執り行われた。1年間の講義とフィールド実習、能登研修、卒業課題研究を学修した14人一人ひとりに修了証書が手渡された。

   イフガオ州大学(IFSU)体育館で修了セレモニーが挙行され、実施代表、中村浩二金沢大学特任教授、ハバウェル・イフガオ州知事、ゴハヨン・イフガオ州大学長らが出席。修了生14人は家族とともに出席し、自治体はじめ地域の関係者、IFSUの学生らも祝福を受けた。ハバウエル知事は祝辞で、同州でも地域活性化の人材養成はまったなしの課題になっているとイフガオ里山マイスター養成プログラムに期待を述べた。ゴハヨン大学長は式辞で、イフガオ里山マイスターの教員スタッフを個々に紹介するなどこの1年間の労をねぎらうスピーチを披露した。

   修了生を代表してビッキーさん(イフガオ州大教員)は、昨年2014年9月に受講生10名とともに能登で研修を行い、能登のマイスター受講生と地域の課題解決への方策を話し合った思い出などを謝辞として述べた。修了生たちは今後、相互のネットワークづくりに取り組むことになり、修了生14名で少額出資による共同組合を設立することを話し合っている。   

   イフガオ里山マイスター養成プログラムはフィリピンの他の地域からも注目され始めていて、今回の修了式には、ルソン島南部のケソン州ムラナイ町のオヘダ町長一行も参加。町長は、自然環境保全や持続発展に力点を置いたまちづくり、台風被害からの復興への協力依頼など、イフガオ里山マイスター養成プログラムを実施する金沢大学やフィリピン大学との連携を希望した。

   修了式の終了後、「イフガオGIAHS持続発展協議会」のスペシャル・ミーティングが開催され、ゴハヨン・イフガオ州大学長が進行役、ハバウェル州知事が司会をした。今後の協議会の運営には、修了生たちも関わり、活動のすそ野を広げていくことが確認された。修了生たちが地域活性化のリーダーの一員として仲間入りをしたのである。

⇒9日(木)朝・金沢の天気   はれ

   

★金沢大学と世界農業遺産

★金沢大学と世界農業遺産

  金沢大学里山里海プロジェクト(研究代表:中村浩二特任教授)は1999年の金沢大学角間キャンパスでの「角間の里山自然学校」の開設以来、生物多様性の研究を中心に地域連携による人材養成とさまざまに活動を広げてきた。特に世界農業遺産(GIAHS)「能登の里山里海」の認定にかかわるプロセスや、その後のGIAHSの国際連携についても貢献している。私はこれまで地域連携という立場で里山里海プロジェクトとかかわってきた。このほど、科学技術振興機構(JST)の機関紙『産学官連携ジャ-ナル』(2014年8月号)で、世界農業遺産をめぐるかかわりの経緯についてまとめたものが掲載されたので以下紹介する。

<世界農業遺産について>
世界農業遺産(Globally Important Agricultural Heritage Systems=GIAHS、ジアス)は、2002年に国際連合食糧農業機関(FAO)によって創設された。その背景には、現代農業の生産性偏重が、世界各地で森林破壊や水質汚染等の環境問題や地域の伝統文化や景観、生物多様性などの消失を引き起こしたことへの反省がある。GIAHSは、その土地の環境を生かした伝統的な農業・農法、生物多様性が守られた土地利用、農村文化・農村景観などを「地域システム」として維持し、次世代へ継承していくことを目的としている。

●パルヴィスGIAHS議長の能登視察
2010年6月、国連大学高等研究所(当時)から視察の依頼があり、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラム(JST「地域再生人材創出拠点の形成」補助事業、2007~11年度)の取り組みを、研究所員や来日している国連食糧農業機関(FAO)の幹部に紹介することになった。プログラムの教員スタッフが、能登半島の先端での里山里海の地域資源を活用する地域人材の養成の仕組み、とくに生物多様性など環境配慮の水田づくりの実習カリキュラムなどについて説明した。すると、その話を聞きながら回覧された水田の昆虫標本をじっとのぞき込んでいたFAOのゲストが質問した=写真・上=。「この虫を採取したのは農家か」「ほかにカエルやヒルやミミズ、貝類の標本はあるのか、見せてほしい」と、熱心に質問をした。その人が世界農業遺産(GIAHS)の創設者であり議長(当時)であったパルヴィス・クーハフカーン氏だったことを知ったのは、その1年後だった。

●北京国際GIAHSフォーラム
2011年6月、北京でGIAHS国際フォーラムが開かれ、パルヴィス氏が議長であった。前年12月に日本から初めて申請した「NOTO’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」と「SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis(トキと共生する佐渡の里山)」がこの会議で審査された。フォーラムでは能登申請者の代表の武元文平七尾市長(当時)、高野宏一郎佐渡市長(同)が、それぞれ英語で15分ほど申請趣旨をプレゼンした。これに先だち、FAOの依頼により中村浩二教授(金沢大学、「能登里山マイスター」養成プログラム研究代表)が能登における里山里海の人材養成について発表した。その後のGIAHS運営委員会で、日本初(先進国としても初)の2件が認定された。パルヴィス氏はコメントで「生物多様性と農業に取り組む人材養成を大学とともに実施している能登は評価に値する」と述べた。

●人材育成による地域再生
能登の自然と文化はGIAHS認定されるほどすぐれているが、過疎化・高齢化の波は非常にきびしい。国際的な評価を背景に、能登では持続可能な農林水産業の人材育成こそが地域再生につながると、「能登里山マイスター」養成プログラムの事業継続が要望され、2012年10月から能登の自治体と大学の共同出資による「能登里山里海マイスター育成プログラム」が新スタートした。2013年3月には自治体と大学が共催し、パルヴィス氏を招いて「GIAHS国際セミナー」を能登で開催した。環境に配慮した農林業の新たなビジネスに取り組むマイスター修了生たちの発表に耳を傾け、一人ひとりにコメントしたパルヴィス氏は「ぜひマイスターのみなさんにはGIAHS大使として、世界に意義を広めてほしい」と期待を込めた。

●イフガオ棚田GIAHSとの連携
2013年5月、能登半島・七尾市でGIAHS国際フォーラムが開催され、日本から「静岡の茶草場農法」、「阿蘇の草原の維持と持続的農業」(熊本県)、「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」(大分県)の3件が新認定されたほか、GIAHS国際フォーラムとしては初めて、コミュニケ(共同声明)が採択された。その5項目のひとつに「先進国と途上国のGIAHSサイトの連携(Twinning)」が掲げられた。これを実行に移すため、金沢大学が7年間、能登半島で培ってきた里山の人材養成のノウハウをフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田(FAO世界農業遺産、ユネスコ世界文化遺産)の人材養成に活かすプロジェクトが、JICA国際協力機構の草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)として採択された(2013~15年度)。この促進のために能登と佐渡の自治体を中心とした「日本イフガオGIAHS支援協議会」をことし3月発足させた。現地のイフガオ里山マイスター養成プログラムの受講生たちは現在20人=写真・下=。9月後半には研修のため能登半島にやってくる。GIAHSをテーマにした新たな国際連携が始まっている。

⇒26日(火)朝・金沢の天気   あめ

☆「親聞」「報導」から考える

☆「親聞」「報導」から考える

  金沢大学の共通教育科目で「ジャーナリズム論」を担当している。先日、現役の新聞社記者
に取材の現場の話をしてもらった。その後、学生(150人)にリアクション・ペーパー(感想文)を書いてもらい、それをコピーして講師に送った。それを読んだ感想のメールが過日届いた。「理系の男子の字が汚いのが多かったですが、これは義務教育から高校にかけての問題でしょうか」と。

  これは授業の担当である自分自身が常日頃思っていることだ。リアクション・ペーパーを外部講師にコピーして送る際、いつも悩んでいる。学生の汚い字、内容のない文を送って、わざわざ時間を割いて大学に来てくれたのに失礼ではないのか、と。当初それを除外していた。しかし、3年目ほど前からそれも送ることにした。学生の実態・実情も感想の一つだと思い始めたからだ。

  もう少し詳細に述べると、誤字脱字が目立つのである。授業は7年目になるが、年々「親聞」や「報導」といった誤字が目立って多くなっている。固有名詞もたとえば、「大阪府の橋下知事」は「橋下」になっている。さらに深刻と感じるのは、文章を書く鉛筆の字が薄くなって読めないものもある。筆圧、筆力が感じらない。書こうという意欲が感じられない学生が増えているのを実感する。授業に魅力がなく感想など書く気になれないということならば、自分自身の責任なのだが、年々増えていると感じるところに、また、他の教員も同じことを嘆いているところに、問題性を覚えるのだ。

  最近、「学生の質の低下」が新聞紙面でも指摘されることが多くなってきた。「学力が低下」「海外に留学する意欲がない」など。現場の教員たちは、入試のあり方に問題あるのではないかと感じ始めている。高校生たちに学力で競い合わせている現在の入試制度では、大学に入ることが最大の目標になってしまい、入学した後では次なる目標を立てる意欲さえも失っているのではないか、と。「夢は、自己実現の課題は」と学生に尋ねても、「特にないです」が圧倒的に多い。ともすれば、大学は「学生の質の低下」を高校のせいにし、高校は中学のせいにし、中学は小学校のせいにし、小学校は親のせいにし、親は国のせいにする。

  全国の大学では最近、「とがった(尖った)」という言葉を使い始めている。個性ある、あるいは少々「やんちゃな」という意味合いもあるだろう。「とがった人材の発掘」。学力もさることながら、個性ある学生を集めたいとの思いからだろう。一発勝負のこれまでの学力重視の入試ではなく、面接重視の「推薦入試」(東大)、「特色入試」(京大)、「新思考入試」(早稲田大)などが今後導入されるようだ。

  とはいうものの、従来の推薦やAOでも面接は行われてきたのに、なぜ個性あふれる学生を発掘できなかったのだろうか。手短に言えば、大学教員が面接してきたので、AO入試はうまくいかなかったのだと反省すべきだろう。従来の推薦やAOと手法の違った推薦・面接入試のノウハウの開発を競っているようだ。おそらく、これからの面接重視の入試では、「とがった」経営者や芸術家、研究者に面接・審査員になってもらい云々ということになるのではないか。

  学生たちの間に漂う「だるい空気」は、大学に閉塞感があるからだ。「学生の質の低下」が問題なのではなく、学生の質を高める大学のシステムを開発することが急務だと思っている。学生の没個性をいつまでも問題視するのではなく、学生に人生の目標を見い出させ、モチベーションを高めれば、「とがった」DNAは目覚める。これまでそのような若者・学生を数多く見てきた。「とがった」人材を集め、育てるだけでなく、没個性をとがらせる。これが大学改革になればと願う。

⇒23日(土)午前・金沢の天気    くもり

★辻口博啓氏のこと

★辻口博啓氏のこと

  金沢大学の共通教育授業で「いしかわ新情報書府学」という科目を担当している。石川県が進めてきた「石川新情報書府」事業の授業版を県と連携して、2009年から導入して、ことしで5年目となる。受講する学生は200人を超える。石川県は日本列島のちょうど真ん中にあり、人口も面積も日本全体の1%という県でありながら、ある意味で「とがった県」だ。この場合は個性的と意味付けしたい。輪島塗や山中漆器、九谷焼、加賀友禅に代表される伝統工芸、能楽や邦楽、舞踊といった伝統芸能など世界に誇れる文化資源が豊富にあり、日本海に突き出た能登半島、霊峰と称される白山、そして加賀百万石と呼ばれた江戸時代の政治、経済、文化の名残が色濃く残る。

  石川新情報書府のネーミングは、江戸時代の儒学者・新井白石が加賀藩の文化の高さや蔵書の多さを絶賛して、「加賀は天下の書府なり」と称したことからこの事業名になった。この事業は、現代版の新情報書府を構築しようと県内の産業や文化や自然を映像化、デジタル情報化して次世代に継承する、あるいは世界に向けて発信するものだ。授業では、県が作成したDVDを学生たちに視聴してもらい、その後、映像に出演する関係者に講義をしてもらうという、映像と語りで学ぶ授業だ。先日、「とがった人」に講義に来ていただいた。パテシエの辻口博啓氏。辻口氏は、新情報書府の映像シリーズでは、『加賀〝茶の湯″物語』の作品で、スイーツと抹茶を融合した新たな茶会を提案している。昨年に続き、2度目の登壇。

  最初、講義出演の交渉した折、スイーツのことだけではなく、文化としてのスイーツを語ってください、とお願いした。その返事は明快だった。「スイーツという言葉は日本だけにしか通じない言葉なんです。でも、そのスイーツが香港などアジアに広がっています。日本人が創造するお菓子の概念を文化として広めてみたいと考えています。そのおおいなる試みに、金沢の茶道文化や和菓子がとても参考になります。授業では、そのような話をしたいと思います」

  今回の授業で、辻口氏は世界最大のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」(パリ・10月31日)でグランプリ「板チョコ5枚+☆」を獲得したことの裏話を披露した。同賞は、フランスの評論家らの団体が毎年6月に行う品評会で最高位格付け「板チョコ5枚」を獲得したチョコ職人20人の中から、特に優れた12人前後を表彰するもの。今回初出品の辻口氏の出品作はサンショウやユズといった素材を使用した。講義で話したことは、「これは日本のハイテク技術で得た、グランプリなのです」と。カカオ豆やそのほかの素材をナノの粒子にまで粉砕して、それをチョコにした。すると、歯さわり、ふくよかな香りが広がり、チョコの可能性をさらに高めた、という。まさに「ナノ・ショコラ」。チョコレートの伝統の技術に上に、さらに製造技術としてハイテクを駆使する。このイノベーションがグランプリに輝いた。「問題はコミュニケーション能力なのです。オレの腕が一番と職人技にこだわる必要はない。いかにスイーツの価値を高めるか、なんです。そのためにいろいろな人々と話し合い、工夫を凝らすことです」と。

  学生たちは驚いたのは、高齢者やあごに障害があり、噛むことができない人たちのためのスイーツを、小麦粉アレルギーの人々のために米粉のスイーツを製造していることだ。「能登はやさしや土までも」の文化風土で育まれた精神性、そしてその先進性が学生たちを感動させたいのは言うまでもない。

⇒20日(水)夜・金沢の天気     くもり

☆マヤと能登

☆マヤと能登

 世界遺産「コパンのマヤ遺跡」(ホンジュラス)などマヤ文明遺跡の遺跡管理担当者8人が今月から金沢大学に集まり、文化遺産の保存や活用の方策を考える研修を行っている。研修に参加しているのは、中米のグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルからのマヤ文明遺跡を有する国の行政官(世界遺産担当、観光担当)、技術スタッフ、運営管理責任者、調査保存修復担当者ら。研修参加者が遺跡を適切に管理し、それを活用した地域住民の生活向上につながる観光や地域開発計画の立案ができるようにと日本の事例などを参考に研修を積んでいる。12日はスタディツアーとして、能登町の縄文期の国指定史跡である真脇遺跡や中能登町の雨の宮古墳群に一行を案内した。

 マヤ文明遺跡は、メキシコのユカタン半島から中米の地域で栄えた都市文明。4-9世紀に全盛期を迎えたが、その後衰退した。世界遺産を含めた貴重な文化財が数多く残っているものの、保存管理への財政支援や、観光振興に結びつく活用などは十分ではないとされる。このため、遺跡を文化資源として生かし、地域開発につなげる道を探るため、金沢大学とJICA北陸が研修を企画した。研修を指導しているのは金沢大学国際文化資源学研究センターの中村誠一教授(マヤ考古学)。

 午前、真脇遺跡では町立真脇遺跡縄文館で土器や動物の骨などを見学した。新出直典・能登町教育員会学芸員から展示概要の説明を受けた。研修参加者の興味を引いたのは地層断面の展示品。樹脂で固めて自然の状態を保っており、「展示技術を学びたい」と盛んに写真を撮っていた。発掘現場に復元された遺構「環状木柱列」では、「太陽が昇る位地とどのような関係があるのか」「この木柱列は祭祀ではどのように使われていたのか」などの太陽暦とかかわる質問と祭祀について参加者から飛んだ。また、展示だけではなく、この遺構で住民たちがコンサートを開いているとの説明には、地域が参加した遺跡現場の活用事例としてメモを取っていた。

 研修参加者の一人、世界遺産ティカル国立公園(グアテマラ)の研究者のゴメス・オズワルド氏は「マヤ文明遺跡は規模が大きく、多様性に富んでいるが、修復や保存が追いついていない。実際、真脇遺跡のように海に近くにある遺跡で、巻貝のようなカタチをした博物館を建設中だが、資金不足で建設は中断したままだ」「真脇遺跡はとてもコンパクトに設計されていて、車イスの身障者でも発掘現場に行かなくてもおおよその内容がつかむことができる。この展示手法は見習うものが多い」と感想を話した。

 午後、参加者は輪島市町野町金蔵の仏教寺院「正願寺」を訪れ、松原洋住職(インド哲学者)から、地域の人々の仏教に対する帰依について話を聞いた。カトリック教徒の参加者からは礼拝について質問などがあった。その後、金箔に装飾された御堂や、木目を活かした廊下や板戸、欄間、調度品などを見学しながら、日本人の美意識や自然観についても説明を受けた。

 夕方訪れた中能登町の国指定史跡「雨の宮古墳群」。眉丈山(標高188m)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古墳群について、能登王墓の館管理人の山森仁左衛門氏から説明を受けた。北陸地方で最大級の前方後方墳(1号墳)では、副葬品の神獣鏡(しんじゅうきょう)などが出土した現場を見学。この地域は地溝帯であり、水上交通・輸送の一大ルートでもあったことから、5世紀には中央の王権(大和)と結びついた能登半島の中心地であったことが考察されると説明を受けた。

⇒12日(土)夜・金沢の天気  くもり