⇒キャンパス見聞

☆「山一つ」「海二つ」曳山の醍醐味-上

☆「山一つ」「海二つ」曳山の醍醐味-上

   この季節、能登でよく使われる言葉がある。「盆や正月に帰らんでいい。祭りには帰っておいで」と。これは古里を離れて都会などで暮らす子どもたちに対して親が使う。この言葉には2つの意味があると土地の人たちから教わった。能登の夏祭りや秋祭りでは「キリコ」と呼ぶ高さ10㍍ほどの奉灯(ほうとう)や、曳山(ひきやま)を動かす。祭りは地域や集落ごとに執り行われ、それぞれの家では親戚などを招いてご馳走でもてなすヨバレがある。年に一度の「我が家のビックイベント」でもあるので、子どもたちにも参加を呼びかける。

       粋な能登の祭り「黒島天領祭」に学生と行く

  もう一つの意味がキリコや曳山を動かす担ぎ手としての役割である。担ぎ手は1軒ごとに2人、あるいは3人と割り当てがある。かつては大家族だったので担ぎ手には不自由しなかったろう。今では能登でも核家族化が進み、さらに少子化でどこの地域や集落でも若い担ぎ手が不足している。この「盆や正月に帰らんでいい。祭りには帰っておいで」は親の願いであり、地域の願いでもあるのだ。

    輪島市門前町黒島の祭礼「黒島天領祭」(17、18日)に学生43人を連れて参加した。かつて北前船船主が集住した黒島は貞享元年(1684)に江戸幕府の天領(直轄地)となり、立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝って始まった祭礼とされる。祭りはキリコを担ぐ能登のほかの祭りとは異なり、都(みやこ)風な趣がある。2基の曳山は輪島塗に金箔銀箔を貼りつけた豪華さ、「百貫」(375㌔㌘)の神輿(みこし)、小学生による奴(やっこ)振り道中など。地元の人たちは麻の黒い半纏(はんてん)を粋に羽織っている。

   2011年から黒島天領祭にかかわってる。きっけは2007年3月の能登半島地震だった。奥能登を中心に家屋が多く損壊し、過疎化に拍車がかかった。11年3月に奥能登の2市2町(輪島、珠洲、穴水、能登)と大学(金沢大、県立大学、看護大、星稜大)で構成する能登キャンパス構想推進協議会を発足させ、事業テーマの一つとして学生たちが能登の祭りを支援すると同時に祭りを通じて能登の歴史文化を学ぶことを掲げた。すると、黒島の祭礼実行委員会から真っ先に「学生のチカラを借りたい」とSOSの手が上がった。それ以来のかかわりとなった。

⇒18日(土)夜・金沢の天気     はれ

★マスメディア論と学生たち-5-

★マスメディア論と学生たち-5-

        そもそも学生たちのマスメディア(新聞・テレビ)への接触度はどの程度なのか。そこで、第1回「マスメディアの成り立ち」(6月13日)でアンケートを実施した。「あなたは新聞を読みますか 1・毎日読む 2・週に2、3度 3・まったく読まない」「あなたはテレビを見ますか 1・毎日見る 2・週に2、3度 3・まったく見ない」の簡単な項目。102人の学生から回答があった。そこから見えてきたこと、とは。

     下げ止まった「新聞離れ」、加速する「テレビ離れ」・・・アンケートから

    まずは新聞から。「毎日読む」10%、「週に2、3度」15%、「まったく読まない」75%だった。予想した通り、新聞への接触度は低い。その理由で目立ったのは「一人暮らしをしているため(実家にいる時には毎日読んでいた)。新聞はお金がかかるから。携帯のニュースで社会の出来事はある程度わかるから」(法・1年)や「テレビと違って、新聞は『ながら』で読むことができないので、読む時間を確保しなけらばならない」(学校教育・1年)、なかには「活字を追うのが苦痛」や「手が汚れる」といった生理的な拒否反応もある。一方で、「時事問題に強くなりたいと思っている。法学類なので、法案の改正や裁判の判決、政治の問題にも興味がある」(法・3年)と積極的な活用派もいる。

    まったく同じ内容のアンケートを2016年から実施して、ことしで3回目なのだが、「まったく読まない」は16年78%、17年と18年が75%。「毎日読む」は16年6%、17年7%、18年10%だ。学生たちの「新聞離れ」が限りなく100%に近づいているのではなく、下げ止まっていて、「毎日読む」が若干だが増えているのだ。私見だが、インターネット上では、いわゆるフェイクニュースなどがさまざまな場面で問題になってる。信頼できるニュースや情報を求める雰囲気が学生たちの中で出てきたのではないかと、前述の法学類の学生のコメントなどから読み取っている。

    テレビの結果は新聞とは真逆で学生たちのテレビ離れが加速している。「毎日見る」49%、「週に2、3度」34%、「まったく見ない」17%だった。これは2016年では65%、23%、12%だった。2年のうちに「毎日見る」が16%も減り、「まったく見ない」が5%も増えている。「テレビは、スマホでドラマを見たり、ニュースを閲覧するので見ない」(経済・1年)というコメントが散見される。学生たちの間では、動画はネットで見るものという習慣になりつつある。これが、放送と通信の同時配信が進めばさらに加速するのではないだろうか。

    テレビのコンテンツだったスポーツ中継なども、たとえばJリ-グのようにネット動画配信サービスへとなだれ込んでいる。オリンピックイヤーの2020年でその流れがさらに加速するだろう。テレビの敵はもはやテレビではない。

⇒9日(木)朝・金沢の天気     あめ後くもり

☆マスメディア論と学生たち-4-

☆マスメディア論と学生たち-4-

        きのう(6日)大学からの一斉メールで注意文が届いた。学生と教職員にあてたものだ。「カルト団体・悪質商法などについて以前から注意を促しているところですが、夏休み期間は勧誘の動きが活発化する恐れがあります。そのような団体・活動に関わると、学業・生活が破綻するまで追い込まれてしまいます。つきましては、以下のことに十分ご注意ください。」と。

    オウム真理教事件の死刑執行、それでも「カルト」はなくならない       

   さらに引用する。注意すべき点として、●カルト団体・悪質商法などは、本当の姿を隠して、言葉巧みに皆さんに近づいてきます。●身分を明らかにしないで声をかけてくる人物には注意が必要です。(身分を明らかにしていても、勧誘のために声をかけてくる人物には注意が必要です。)●国際交流やボランティア、医療・福祉など、一見普通の話題で近づいてくるケースがほとんどです。アンケートの回答依頼をはじめ、勉強会・集会・講演会・合宿・施設見学の誘いや、 教材・機器のモニター依頼には十分注意してください。●電子メールやFACEBOOK、LINE、Twitterなどの各種SNSを用いた勧誘もみられますので注意してください。その際は、名前や住所・電話番号、LINEのID等個人情報を安易に他人に言わないよう、注意してください。

   キャンパス近くの路上で学生たちに誘いかけをしているグループを時折見かける。「国際ボランティア」と称する少し怪しげなチラシが貼ってあったり、置いてあったりする。注意文にもあるように、そうした動きが最近活発なのではないかと感じることがある。ひょっとして宗教ブームが再び起きているのか。

   「マスメディアと現代を読み解く」の第5回「取材し伝えるメディアの技術」(7月11日)で、オウム真理教事件の関係者7人の死刑執行(7月6日)について取り上げた。オウム真理教が盛んに信者を獲得していた1990年代初頭はまさしく宗教ブームだった。1991年9月に放送されたテレビ朝日「朝まで生テレビ」では「激論 宗教と若者」と題しての討論に麻原彰晃が生出演した。部下だった上祐史浩、村井秀夫らの論客も出演し、他の新興宗教と激論を交わして、無名に近かったオウム真理教が一気に注目されるきっかとなった。いわば、「メディアに乗った」のである。ただし、このとき1989年11月に横浜市で起きた、坂本堤弁護士一家殺害事件にオウム真理教が絡んでいたことはメディアも知る由もなかった。

   当時、北陸朝日放送の報道デスクを担当していた私は取材を通じてオウム真理教と2度関わることになる。一度目は1992年10月。麻原彰晃が突然、石川県能美市で記者会見を行った。油圧シリンダーメーカーの社長に就任するという内容だった。メーカーの前社長はオウム真理教の信者で、資金繰りが悪化したために麻原が社長に就いた。間もなく会社は倒産し、金属加工機械などは山梨県上九一色村の教団施設「サティアン」に運ばれていた。その後の裁判で、その金属加工機械でロシア製AK47自動小銃を模倣した小銃を密造しようとしていたことが分かった。

   二度目は1995年3月20日の東京地下鉄サリン事件の直後、林郁夫(無期懲役囚)らが能登半島に潜伏していた。林郁夫は4月8日に石川県内で逮捕された。当時、メディア関係者の間で、なぜ能登半島に逃れてきたのかと憶測が飛んだ。潜伏していた場所が穴水町の「貸し別荘」だったことから、こんな憶測があった。ロシアのウラジオストクと富山県の伏木港を結んで、北洋材を運ぶロシア船が行き交っていた。「ひょっとして、穴水町から船を出し、ロシア船に乗り込んで、ロシアに密入国をはかる計画ではなかったのか」と。オウム真理教のモスクワ支部ができたのは1992年9月。前年にソビエト連邦が解体され、混乱していたロシアで一時3万人ともいわれる信者がいた。

   逮捕された林郁夫の供述によって松本サリン事件や地下鉄サリン事件の全容が明らかとなっていく。麻原彰晃が逮捕されたのは林郁夫逮捕から38日後の5月16日。2006年に死刑が確定し、そして今回の死刑執行となった。一連の事件が起きた時、学生たちは生まれてもいない。講義後のリアクション・ペーパー(感想文)には、「オウム真理教のニュース(死刑執行)にはとても驚きました。ついにという感じがしました。私たちが生まれる前には事件はすでに落ち着いていましたが、日本の歴史に残る事件だったのですね」(法・1年)と淡々と書かれてあった。メディアを通じて生身のニュースを見てきた世代と、その後に生まれた世代とでは、今回の死刑執行のとらえ方は異なって当然と言えば当然なのだが。

⇒7日(火)夜・金沢の天気    くもり

★マスメディア論と学生たち-3-

★マスメディア論と学生たち-3-

       講義ではスポーツから気象までさまざまな話をする。第8回の講義「マスメディアはどこに向かって行くのか」(8月1日)では、夏の高校野球の話題を取り上げた。石川大会で星稜高校が決勝戦で本塁打7本、22点を挙げて甲子園大会への出場を決めた。星稜にとっては2年ぶり19回目の夏の甲子園。夏の甲子園といえば、大会歌として知られる『栄冠は君に輝く』だ。1948年に発表され、作詞は加賀大介、作曲は古関裕而。「ちょっと面白いことがある」と学生たちの耳目を正面に引く。

   夏の甲子園、『栄冠は君に輝く』と「五打席連続敬遠」のレジェンド話

     作詞の加賀大介は石川県能美市(旧・根上町)生まれで、小さいころから野球少年だったが、16歳のときに感染症のため右ひざ下を切断し、野球を断念した。歌詞には甲子園の憧れが込められている。『栄冠は君に輝く』の発表から44年後の1992年の大会で、「甲子園のスーパースター」が誕生する。2回戦の高知・明徳義塾VS石川・星稜戦で「5打席連続敬遠」事件があった。星稜の松井秀喜選手に明徳義塾は5打席全てを敬遠するという作戦を敢行、一打逆転のチャンスもあったが、松井選手は一度もバックを振ることなく星稜は敗退した。甲子園では大ブーインが起きた。逆に松井選手はこの5打席連続敬遠でその名が全国に知られ、注目されることになる。私はこのとき北陸朝日放送(金沢市)の報道デスクをしながら、中継映像を見ていた。甲子園の取材記者に「山下(智茂)監督と松井のインタビュー(映像)をはやく送ってくれ」と興奮気味に指示していた。その後、松井選手は巨人軍、アメリカ大リーグ・ヤンキースへとスターダムにの上がっていく。

    この加賀大介と松井秀喜には「つながり」がある。二人とも根上町の生まれ。加賀大介は58歳のとき1973年6月に逝去。その1年後1974年6月に誕生したのが松井秀喜だ。学生たちに勧めた。「高校野球のパワースポットがここにある」と松井秀喜ベースボールミュージアムと『栄冠は君に輝く』歌碑へアクセスを教えた。

    きょう6日付の紙面では、きのう開幕した夏の甲子園大会(第百回全国高校野球選手権記念大会)の模様を報じている=写真=。第1試合の大分・藤蔭VS星稜戦で始球式で松井秀喜氏がボールを投げ、「(甲子園は)ボクの原点です」とインタビューに応えていた。甲子園のレジェンド(伝説)の話は学生たちの心を打ったかどうかは分からない。ちょっとした息抜きの雑学ではある。

⇒6日(月)朝・金沢の天気    くもり

☆マスメディア論と学生たち-2-

☆マスメディア論と学生たち-2-

   「マスメディアと現代を読み解く」の講義で学生たちに問いかけたこと、それは遺体の画像や映像をメディアはどう扱うべきか、だった。現状では、新聞もテレビも遺体の画像や映像の扱いには慎重だ。「震災とメディア」の講義(6月20日、27日)の中で、死者・行方不明者が1万8千人余りにもなるが、遺体が映された番組や記事を読者も視聴者も目にすることはない。

  遺体表象に慎重なメディア、学生は「現状でよい」71%、「見直してもよい」29%

   遺体の表象に関してはそれぞれのメディアがガイドラインを作成している。概ね以下のような内容だ。「事件や事故、災害などでは、死者の尊厳や遺族の心情を傷つける遺体の写真(あるいは映像)は原則使用しない」。原則使用しないのだが、私自身は特例的にも見たことはない。唯一、東日本大震災を特集した朝日新聞「アエラ」臨時増刊号(2011年4月30日)で掲載された、布団にくるまれた遺体の右足が露出した写真だった。一方で、アメリカのニューヨ―クタイムズのホームページでは東日本大震災の特集で、学校体育館が遺体安置所になり、並んでいる遺体の中から肉親を探す人々の様子の画像が掲載されていた。

    そこで学生たちにリアクション・ペーパーで以下のように問いかけた。「【あなたの考えを記述してください】日本のマスメデイア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していません。被災者や読者・視聴者の感情に配慮してのことだと考えられます。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載しています。以下の問いに答え、あなたの考えを簡潔に述べてください。遺体写真をめぐる日本のメディアの在り様は「1.現状でよい 2.見直してもよい」。89人の学生が回答を寄せ、「1.現状でよい」63、「2.見直してもよい」26で、パーセンテージはそれぞれ71%と29%だった。学生たちに対するこの問いかけは2011年の講義から毎年実施しているが、毎年ほぼ同じ70%と30%だ。

    「現状でよい」とする意見は多くは「見る側への心理的な影響(PTSD=心的外傷体験によるストレスなど)、とくに子供への影響が心配」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」といった内容だ。「見直してもよい」の意見は「現実や事実を報道すべき」「震災を風化させないためにも必要」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道をすべき」といった内容が多い。

    少数派ではあるものの「見直してもよい」の学生たちの方がボルテージは高い。「本来知るべき事実まで知ることができなくなってしまっているのは残念だ」(人文・1年)、「(遺体写真を見ることで)悲しみを日本全体で共有することになるだろうし、災害への対策意識や避難訓練はより真剣なものになるだろう。戦争も二度と起こしてはならないと考えるようになるだろう」(経済・3年)。

    この講義の終わりは、「遺体の表象については、視聴者の意見も別れるので、メディアは慎重だ。むしろ、現場では遺体を撮影しなくなっている。遺体を災害の記録として後世に残す使命は誰が担うのだろうか」と述べて締めた。(※写真は2011年5月11日・宮城県気仙沼市で営まれた慰霊祭。港町らしく大漁旗が掲げられた)

⇒4日(土)午後・金沢の天気     はれ

★マスメディア論と学生たち-1-

★マスメディア論と学生たち-1-

   金沢大学で担当している共通教育科目「マスメディア現代を読み解く」の講義はきのう(1日)最終回だった。6月13日に第1回があり、毎週水曜日の4限目(午後2時45分-4時15分)に震災、記者会見、著作権、インターネットとマスメディアの関わりをテーマに8回の講義(1単位)。受講生は112人で理系から文系、1年から4年の学生が聴講してくれた。最終日のリアクション・ペーパー(感想文)では、これまで8回の講義で印象に残っている言葉(キーワード)や画像、映像などを3点あげ、それぞれ一言のコメントを書いてもらった。

    「記事では形容詞を使わない」「インターネットは巨大隕石」って何だ

    講義の中で、学生たちの印象に残ったことの一番(44人)は「震災とメディア」(6月20日、27日)の講義の中で見てもらったノーカットの映像(KHB東日本放送制作「3・11東日本大震災 激震と大津波の記録」から)だった。KHB(仙台市)にも大きな揺れがあり、記録に残そうと必死にカメラを構える記者とデスク、悲鳴を上げながらもマスターカット(緊急放送)に備える報道フロアの様子がリアルに写し出されている。同じく、気仙沼市の支局カメラマンが津波が押し寄せる街中でカメラを回し続けている。足元に津波が押し寄せている。学生たちのコメントは「忘れかけていた震災をもう一度思い出させてくれ、自然災害の脅威を改めて感じました」(法・1年)や「命が危険な状況にあるにもかかわらず、報道するために津波の映像を撮っていた姿にいろいろ考えさせられた」(国際・2年)とショッキングだったようだ。

   二番(16人)は3つあった。「メディアも被災者である」「フェイクニュース」「インターネットは巨大隕石」。「メディアも被災者」は前述の講義の中で述べた言葉だ。東日本大震災のように広域な災害では、マスメディアの記者やカメラマンも被災者となる。しかし、報道し続けなければならないプロの論理がある。第8回「マスメディアはどこに向かって行くのか」(8月1日)で、フェイクニュースについてこのようなことを述べた。インターネットの社会でフェイクニュースはあふれるようようになってきた。では、ファクトチェック(事実確認)を行う機関はメディアなのか政府か、ヨーロッパでは意見が割れている。「現代こそフェイクニュースと向き合うメディア・リテラシーが必要な時代はない。そして、フェイクニュースと戦うのはマスメディアの使命ではないだろうか」と。「インターネットは社会に落ちた巨大隕石」は、ソニー元会長・出井伸之氏が述べたたとえ。6500万年前、ユカタン半島(メキシコ)に落ちた巨大隕石が地球上の恐竜を絶滅させたといわれるように、インターネットがマスメディアなど既存産業にも打撃を与えている。自らネット社会に応じた改革が出来なければ、メディアも恐竜がたどった道を歩む、と講義した。

    その次のキーワードは14人がマークした「形容詞は使わない」だった。第6回「マスメディアの技術」(7月11日)で、記事では形容詞は使わないのが原則と述べた。形容詞は主観的な表現であり、言葉に客観性を持たせるには、たとえば「高いビル」とはせず、「10階建てのビル」などと数字を用いて言葉に説得性を持たせる。これがメディアの技術だ、と。この言葉は学生たちにとって新鮮だったらしく、学生たちの反応は、「小さいころからうまい形容詞を使うとほめられたが、確かに新聞では形容詞を見たことがない。でも、形容詞を使わない文章って難しそうだ。大学の論文でも形容詞は使わないですよね、目が覚めました」(法・1年)と。何気なくマスメディアと接してきた学生たちにメディアからの学びとリテラシーを感じてほしいとこの講義を10年余り続けている。

⇒2日(木)夜・金沢の天気    はれ

☆「加賀百万石」いつまで通用するか

☆「加賀百万石」いつまで通用するか

   先日、大学の留学生たちと話す機会があった。インドネシアからの女性は流ちょうな日本語で「金沢はストーン(石)の王国なんですね」と。「そうだね、石川県というくらいだからね。確かに石の王国だね」と返事をし、「でも、なんでそんなストーン王国なんて言うのか」と逆に尋ねると、「だって加賀百万石って言うでしょう」と。「ええっ」と一瞬言葉に詰まった。

    留学生は以前、兼六園を散策に行き、そのときインバウンド観光客の団体を案内していた日本人のガイドが「カガ・ワン・ミリオン・ストーンズ」と言っていたのを聞いて、「加賀百万石」のことかとガイドの案内に耳をそばだて納得したようだ。そのとき、ガイドは金沢城の石垣を指さして説明していたので、とても腑に落ちたという。「百万個もの石を使って、お城を造り、そして金沢に用水をはりめぐらせた加賀のお殿様はとても有能な方だったのですね」と留学生。

   「加賀百万石」は土木工事のことだと誤解されていると考え、「石(こく)はストーンではなく、昔はコメ(米)の容量のことを意味していて、180㍑分のコメの容量のことを表現しているので、それは誤解だよ」と説明した。留学生はけげんそうな顔つきで質問してきた。「だって石と漢字で書いてあるでしょう。よく分かりません」と。確かにそうだ。今の日本では「石」を容量として教えてはいない。一石や一升といった、いわゆる尺貫法は戦後の計量法により使われなくなった。今一般で使われているのはせいぜいが土地の広さを表す「坪」ぐらいではないだろうか、あるいは、農家が田んぼの面積を「町(ちょう)」「反(たん)」と使うくらいだ。

    「加賀百万石」と聞くと、日本人は「コメの石高が高い、裕福なお殿様」というイメージがなんとなくわくが、「石」が容量なのか重さなのかを説明できる人がどれだけいるだろうか。ましてや海外の人に「石」はコメの容量を表現するものだと説明しても理解されないだろう。さらに「一石は昔の人が1年間に食べるコメの容量の目安」と説明しても、さらに話がややこしくなるだけだ。

    ところが、石川県や金沢市の観光パンフレットには「加賀百万石の歴史と文化」を強調する内容が多々ある。このキャッチフレーズはインバウンド観光には使えないのではないかと、懸念する。日本人であっても、おそらく次の世代には「加賀百万石」の観光キャッチは通用しなくなるのではないか。

⇒13日(日)夜・金沢の天気     あめ

★勉強になった過剰反応

★勉強になった過剰反応

    けさ(8日)大学当局から教員はじめ、職員に注意喚起のメールが届いた。「【文部科学省・周知】 Twitter利用におけるパスワード変更について(注意喚起)」とある。先月もイギリスのデータ分析企業がフェイスブックのユーザー情報を不正に入手していたことが世界的に問題となって、ついにツイッタ-もかと胸騒ぎを覚えた。メールの内容はこうだ。

                  ◇

  米Twitter社より、利用者のパスワードが米Twitter社のシステムの内部ログに暗号化されないまま保存されていたため、パスワードの変更を求める発表がされましたのでご連絡いたします。ご多忙の折恐縮ですが、情報発信等のため業務上でTwitterを用いている場合には、以下の対策を講じるようお願いいたします。

① Twitterで利用しているパスワードを変更すること。
② Twitterで利用しているパスワードと同じパスワードを使用している他の全てのシステムやサービスのパスワードを変更すること。

また、下記のような対応も、パスワード流出を防ぐ有効な手段となりますので、合わせてご確認よろしくお願い致します。 ■数字やアルファベットを織り交ぜた複雑な文字列など、他人が推測しにくいパスワード設定をする ■ブラウザでTwitterなどのサービスにアクセスする際に、パスワードを覚えさせない設定にする

            ◇

   いきなりツイッターのパスワードを替えろとの指示だ。私はツイッターをやっていなので、その切迫度は分からない。ただ、ツイッターと言えば、トランプ大統領はじめ3億人余りが利用しているSNSだ。大変なことになっているのでないかと思い、ツイッターを楽しんでいる友人に電話で尋ねた。「こんなメールが当局から来たんだけど、ツイッター愛好者は大混乱になっているんじゃないの」と。

          すると友人は「利用者にはもうツイッター社から案内があったよ。利用者が入力したパスワードにはマスク技術で文字が分からないようにしているのに、一部でマスクがかからない状態でパスワードが保管されているのが見つかったそうだ。別に外部にログ自体が流出したわけではない。できれば念のためパスワードの変更をお願いしますという程度の内容だったよ」と平然とした声で。「パスワードが外部に漏れたわけではないし、バグがあったということか」と念のため聞き質すと、「そうだよ。大した話ではないよ。むしろツイッターは親切だなと思うよ。それよりウノちゃんもツイッターやらないか」と友人。

    少々拍子抜けした。確かに大学からのメールをよく読むと、「情報発信等のため業務上でTwitterを用いている場合・・」とある。大学の関係者が個人的に利用しているツイッターのパスワードにまで変更を指示していわけではない。単なる私の過剰反応だったようだ。友人には朝から電話で迷惑だったかもしれないが、とても勉強になった。

⇒8日(火)朝・金沢の天気   くもり
    

☆尖った仕事、ニッチトップ企業への眼差し

☆尖った仕事、ニッチトップ企業への眼差し

   金沢大学のキャンパスで学生たちと話していると、学生の風潮が少し変わってきたのではないかと感じることがある。それは「将来は尖った仕事をしたい」とか「公務員や会社員はそのうちAIやロボットに取って替わるので、アート感覚の仕事がしたい」といった主旨の会話で盛り上がること増えた。インターンシップなどでも、独自の技術でグローバル展開する、いわゆる「ニッチトップ企業」への参加希望が目立っている。それまでは、就職難という時代もあり「親を安心させたいので」と上場企業や公務員志向が多かった。過去形ではなく、その志向の学生たちは今でも多いのは事実だが。

   今は売り手市場の時代なので、ある意味で「学生のわがまま」と言ってしまえば、そうなのかもしれないが、学生の志向は確実に「ナンバーワン」から「オンリーワン」へとシフトしているのではないかと直感している。先日も生態系を学ぶ学生と話をしていると具体的な企業名が話題となった。大量に廃棄される残さを乾燥・炭化処理するバイオマス炭化プラントを製造する「明和工業」という金沢市の企業だった。

   学生はその企業のことをよく調べていて、地球環境の改善に貢献することをCSR(企業の社会的責任)ではなく、本業として地球環境の課題解決に取り組む企業の姿にあこがれるというのだ。この企業はもともとは鉄工所からスタートだったが、環境改善に特化した機械装置を開発するため、大学と連携するなど「研究開発型のニッチトップ企業」でもある。学生は「この企業で学んで、自分も起業したい」とさらに自らの将来を見据えていた。

   学生たちは初等教育のころから「点数主義」という計りにかけられ、ひたすらナンバーワンを目指してきた。点数主義を悪く言うつもりはない。ある意味で公正で透明な計りだ。ただ、この計りだと、人間としての多様性を育てることはできないのだ。一方で、「ナンバーワン省庁」とも言える財務省事務方トップを始めとして、いわゆるエリートとして評価を勝ち得てきた人たちの不祥事がさまざま場面で散見される。特にセクハラ、パワハラ、盗撮など。そして、業界ナンバーワン、あるいはトップの企業で相次ぐ組織ぐるみの品質データを書き換え、改ざん問題など。明らかに人として、企業としての在り様が歪んでいる。

   「尖った仕事」「ニッチトップ企業」にあこがれる今の若者たちの風潮はひょっとして、この点数主義に反旗をひるがえしているのではないかと思う。そのきっかけはAI、ロボットの活用時代という「Society 5.0」での価値感の大きな変化なのかもしれない。簡単に言えば、「点数主義の人間のする仕事なんて、そのうちAIやロボットが勝る時代が来る。AIやロボットでは絶対できない、新しい時代の仕事をみつけたい」と。自らの存在価値を確認する時代と言えるかもしれない。

⇒24日(火)夜・金沢の天気    あめ

☆大学の存在価値、それは

☆大学の存在価値、それは

    大学に勤めて12年目になる。いろいろな場面でこれまでよく質問された。「地域における大学の存在価値ってなんだと思いますか」と。私はもともと民間のマスメディアにいたので、あえてそのような言葉を投げかけてくれたのだと思っている。最初は正直言って言葉に詰まった。しかし、12年にもなると応えなければならない。

    「そうですね。私は金沢大学で地域連携コーディネーターという役割を担って12年目になります。この石川という地域を一つの価値ある研究フィールド、あるいは教育フィールドとしてとらえ、地域を活用して大学の研究力、教育力を伸ばしていく、そして、それを地域にお返ししていくことで地域の解題解決をはかる、あるいは新たな産業を興す技術を提供する。そのようなことが大学の使命、ミッションだと考えています」と。

    偉そうに聞こえるかもしれないが、地域に大学のリーダーシップというものがなければ、次の時代に地域はなくなるのではないかと考える。大学の研究力や教育力を上げるためにも地域連携や社会貢献が必要なのだと考える。社会は大きく変化してきている。たとえば、地域が人口減少や高齢化という問題に直面して、北陸では多くの市町は「消滅可能性都市」とまで言われている。社会の変化や技術の進歩など時代が大きく変化しているにもかかわらず地域が対応できていなかったということになる。むしろ、さまざまな課題に大学がイニシアティブを発揮できなかったということに等しい。

    地域の未来像を描きながら、大学が真剣に地域とタイアップすることが今ほど求められている時代はない。こんなランキングがある。日経新聞が発行する「日経グローカル」で発表された「大学の地域貢献度ランキング2017」で、国公私立大学の総合1位は大阪大学だった。同大学は文部科学省の「世界トップレベル研究拠点プログラム」(WPI)にも採択された屈指の研究大学だ。その大学が、研究だけでなく地域貢献においても、確実な成果を挙げているのだ。関西における存在価値として、多様な人材養成、世界的な研究そして地域との連携を深めている。見習いたい。ちなみに金沢大学は総合6位だった。
    
    根っ子にもう一つ大きな問題がある。大学の価値は教育力や研究力、専門性なのだが、一般的な評価はまったく異なる。その基準は偏差値が目安になっている。そして学生たちは3年も終わりになれば、就活が始まる。リクルートスーツに身を包んで会社の人事部の門をたたく。4年間の学びがいつの間にか3年間に「短縮」されている。日本の大学の在り様は果たしてこれでよいのかと考え込んでしまう。

⇒6日(火)夜・金沢の天気    くもり