⇒キャンパス見聞

★地域課題のキーワード「継業」と「就域」

★地域課題のキーワード「継業」と「就域」

   きのう(2日)金沢大学能登学舎(石川県珠洲市)で人材養成プロジェクト「能登里山里海マイスター育成プログラム」の卒業課題研究の報告会があった。審査員を依頼され、受講生の発表を終日聞くことができた。受講生は1年間の研究成果を発表12分・質疑8分で発表し審査を受ける。主査、副査、外部評価員の3人が(1)着眼点・問題設定力、(2)論理性・説得力、(3)具体性・実現可能性、(4)プレゼンテーション力(発表のわかりやすさ)、(5)質疑に対する対応力、(6)地域振興における意義の6つ評価項目でチェックをする。

   能登里山里海マイスター育成プログラムは45歳以下の社会人が講義、実習、先進地視察、課題研究に取り組む。ことしは農業者や行政職、地域おこし協力隊、工芸家、鍛冶師、建築家、JICAスタッフなど多彩な人材がそろう。1年かけて自己実現に向けて理論構築、実施プランを発表する。それが近い将来、職場や地域における働き方、新商品開発のイノベーション、創業・起業へとつながっていく。ことし12年目、これまで165人のマイスター修了生を輩出している。昨年2月には、実績が評価され、国が後援する「イノベーションネットアワード2018」において最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。

   話は卒業課題研究に戻る。報告会では、時代のトレンドを読む面白い発想や言葉が飛び出した。いくつか紹介する。自治体の移住コーディネーターとして移住・定住の窓口業務を担っている男性(地域おこし協力隊メンバー)の発表だ。彼は82世帯136人の移住者を担当し、「継業(けいぎょう)」を勧めている。事業継承は身内が生業や事業を引き継ぐことを指すが、継業は第三者(移住者・町民)が継ぐことをいう。「身内が引き継いでくれた方が安心であることは承知の上で、後継者がいなければ、第三者による新たな視点で事業を発展させてくれる可能性があれば継業を経営者に提案していきたい」と熱く語った。

   もう一つ、「就域(しゅういき)」。学生や若者の就職支援センター「ジョブカフェ石川」に勤務する女性が発した言葉だ。地域の中小企業と行政、金融機関などが連携して、地域ぐるみで若者を定着を支援する取り組みのことを意味する。これまで、同じ地域にいても利害が異なるため採用競合の状態だったが、地域振興を図るという共通の目的のために地域ぐるみで採用に取り組む。石川県の求人倍率は1.96倍と人出不足が慢性化し、北陸新幹線による「ストロー現象」も顕在化している。彼女は「とくに能登には就域が必要です。入ってみないと分からないという学生・若者の不安を解消し、お互いのミスマッチを防ぐことができれば彼らは能登に入ってきますよ」と語った。

   「継業」と「就域」、この場で初めて聞いた言葉だが、能登の未来可能性を語る受講生たちの厚い志(こころざし)が伝わってきてた。と同時に、能登をはじめ少子高齢化の地域が課題解決に向きあうキーワードだと察した。

⇒3日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆ボトムアップ型「イフガオの民」

☆ボトムアップ型「イフガオの民」

   先日(2月3、4日)このブログでも何度も取り上げているフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田の研究者たちを招いたワークショップが能登空港ターミナルビルで開催された。主催はイフガオと能登半島の世界農業遺産(GIAHS)を通じた交流を企画運営する「イフガオGIAHS支援協議会」(金沢大学、県立大学、能登の9市町、県、佐渡市、オブザーバーとしてJICA北陸、北陸農政局)。双方の研究者を招いた国際ワークショップは今回で5回目となる。イフガオ側からの研究者の発言を聞いていて、ここ数年のある変化を感じた。

   ワークショップの基調報告、大西秀之・同志社女子大学教授の講演は示唆に富んでいた。「生きている遺産としてのイフガオの棚田群:地域社会を基盤とする文化的景観保全の重要性」と題した講演の要旨は以下。

   ルソン島のコルディリエラ山脈の2000㍍級の山岳地帯の少数民族はスペイン植民地時代を通して独自性を維持してきた。コルディリエラの棚田は「天国への階段」「世界の八番目の不思議」といわれる景観であり、1995年にユネスコ世界文化遺産に登録された。景観と伝統習慣はイフガオの先住民の知恵の中に持続可能性の鍵があり、まさに「生きている遺産(Living Heritage)」と言える。棚田の上から下に水を送る水路が張り巡らされ灌漑システムは人類の知恵である。しかし、市場経済との接合が加速し、現金収入を求める若年層の都市部への流出が止まらない。後継者不足による棚田の荒廃、全体の3割が休耕田と推測される。「経済か」「景観か」という単純な二者択一を迫る問いには限界があり、現地が無理なく持続的に行える取り組みが必要不可欠だろう。イフガオにはボトムアップ型の対応、つまり地域住民を中核とする合意形成がある。植民地ではなく、全ての民が棚田のオーナーとして田んぼづくりに関わってきた歴史を有するイフガオの民の知恵に期待したい。
          
        大西秀教授が述べたように、歴史上で独自性を保ってきた山岳地帯の民である。日本人の多くは地域は少子高齢化で廃れると思い込んでいる。ところが、イフガオでは農業離れによる棚田の存続という問題をグローバル化(NGOとの連携など)をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークをつくることで問題解決しようと外に向けて努力している。世界農業遺産をテーマとした能登との交流もその一環なのだ。それに参加する人たちは多様だ。性別、年齢、職業、学歴が異なる多様な地域住民の主体的な取り組みが特徴である。ボトムアップ型の対応、つまり地域住民を中核とする合意形成がしっかりしているとの印象だ。

   ワークショップで発表した国立イフガオ大学の研究者が地域活性化策を述べた。イフガオで求められることは、「農場・製品デモ」「米酒製造の商品化」「先住民の住宅保全計画」を着実に進めることだ、と。イフガオで収穫される米は食糧としてだけではなく、自家醸造の「ライスワイン」として各家庭で消費されている。そのライスワインの品質と瓶詰の商品ラベルを統一して共同出荷すればイフガオのビジネスになり、すでにその動きが出ている。地域資源の活用が若者の農業離れにブレーキをかける可能性がある、と述べた。そのため 「労働力の開発」「能力構築」の仕組みづくり、プラットホームをつくることなど、「やることがいっぱいある」と研究者は熱く語った。

   2014年に能登とイフガオの交流がJICA事業の一環としてスタートした。現地で人と会い、壮大な棚田を見上げて、「イフガオはいつまで持つのか」が第一印象だった。「ところがどっこい」である。女性たちがライスワインの共同販売を手掛けたり、若者たちが特産の黒ブタのブランド化に動いたりと、地域に根差したさまざまなアクティブな光景が目立つようになってきた。それも、トップダウン型ではなく、ボトムアップ型の動きなのである。イフガオの人々は「ボトムアップ民族」ではないかと考察している。

⇒9日(土)朝・金沢の天気     ゆき

★続・「どぶろく」携え「あえのこと」へ

★続・「どぶろく」携え「あえのこと」へ

   ユネスコの無形文化遺産で単独に登録されている農耕儀礼「あえのこと」は能登半島の中でも奥能登と呼ばれる輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の地域に伝承されている。「あえ」はご馳走でもてなすこと、「こと」は儀式や祭りを意味する。

   田の神は各農家の田んぼに宿る神であり、それぞれの農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったと諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちはその障害に配慮して接する。座敷に案内する際に階段の上り下りの介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる家の主(あるじ)たちは、自らが目を不自由だと想定しどうすれば田の神さまに満足していただけるのかと心得ている。

   あえのことを見ていると「ユニバーサルサービス(Universal Service)」という言葉を連想する。社会的に弱者とされる障害者や高齢者に対して、健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する公共空間が創られる。「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。初めて能登を訪れた旅の人(遠来者)の印象としてよく紹介される言葉だ。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれる。それが「能登はやさしや」という意味合いだろうと解釈している。能登人のその所作のルーツはあえのことではないだろうか、と推察している。

   初日にどぶろくを頂いて、「あえのこと」スタディツアーは5日、輪島市の民家を訪ね、農耕儀礼を見学させていただいた。午前9時、どぶろく(1升瓶)を託されたドイツからの男子留学生は家の主に「天日陰比咩神社からの預かりものです。田の神さまにお供えください」と手渡した=写真・上=。主人は甘酒も用意していたが、別御膳で神酒用の銚子と徳利で供えてくれた=写真・中=。「大役」を果たした留学生はあえのことを見終えて、「神様に拝むことはあるが、自宅に招き入れるという神事はとても新鮮に感じた。まさに、もてなしの心だと思いました。田の神がどぶろくを堪能してくれていると想像するとうれしい」とメディアのインタビュー取材に答えていた。

    どぶろくはもう1本預かっていた。それを能登町の合鹿庵で執り行われたあえのこと行事にお供えした=写真・下=。どぶろくを携えたスタディツアーは滞りなく終了した。チェコからの女子留学生は「チェコでガイドブックを手にした際に能登のことを知り、あえのこと神事に興味を抱いた。最初に訪れた(天日陰比咩)神社の雰囲気を感じたときに、日本人と自然の近い関係性を感じた。大切な習慣、考え、儀式はこれからも日本で残されていってほしい。チェコではこうした儀式や伝統文化ははなくなりつつある」とチェコの現状にも触れた。中国からの男子留学生は「自分は中国の少数民族(チワン族)出身で、田の神は祭られている。しかし、能登のように田の神の存在はそれほど大きなものではない。今回のツアーを通して、人として自然への尊敬を持たなくてはならないと感じた」と感想を語った。

   「どぶろくが119年ぶりに飲めてよかった。来年も来てくれよ」。そんな田の神の声を想像しながら、金沢への帰路に就いた。

⇒7日(金)午前・金沢の天気     はれ  

☆「どぶろく」携え「あえのこと」へ

☆「どぶろく」携え「あえのこと」へ

  「どぶろく」という酒を初めて飲んだのは2011年10月のことだ。世界遺産の合掌集落で知られる岐阜県白川郷の鳩谷八幡神社のどぶろく祭りに参加し、神社の酒蔵で造られるどぶろくをお神酒としていただいた。蒸した酒米に麹(こうじ)、水を混ぜ、熟成するのを待つ。ろ過はしないため白く濁り、「濁り酒」とも呼ばれる。どぶろくは簡単に造ることはできるが、1899年(明治32年)、自家での醸造酒の製造を禁止した酒税法により一般家庭では法律上造れない。

  白川から6年後、どぶろくを能登で堪能することができた。中能登町の天日陰比咩(あめひかげひめ)神社は毎年12月5日の新嘗祭で同社が造ったどぶろくをお供えし、お下がりを氏子らに振る舞っている。地域の伝統的な神事が広がり、昨年(2017)12月に初めて同社でどぶろく祭が開催された。関西や関東方面からも「どぶろくマニア」が訪れていた。国の「どぶろく特区」の認定を受けた中能登町にどぶろくを造りたいというIターン者が移住してくるようになり、中能登町はどぶろくで盛り上がりを見せている。

  天日陰比咩神社で新嘗祭が行われる12月5日は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、奥能登の農耕儀礼「あえのこと」が執り行われる日でもある。この日、輪島市など奥能登2市2町で伝統儀礼を引き継ぐ稲作農家の家々では、田の神をお迎えしてご馳走でもてなす日である。神事の新嘗祭は、その年の新米を神に捧げて収穫に感謝し、併せて翌年の豊穣も祈る祭儀。つまり、あえのことは家々で執り行う「農家版新嘗祭」と言ってよい。

   あえのことでは、田の神は目が不自由であると伝承されていて、それぞれの農家は座敷に案内する際に介添えをしたり、供えた料理を一つ一つ口頭で説明する。「もてなし」をする家の主(あるじ)は、自らが目を不自由だと想定し、どうすれば田の神に満足していただけるもてなしができるかと想像を膨らませながら、一人芝居を演じる。

   新聞記者時代に何度かあえのことを取材した。輪島市のある農家の高齢の主のつぶやきを記憶している。「もっとおいしい甘酒を差し上げたいのだが」と。「もっとおいしい甘酒とは何ですか」と主に問うと、今は田の神が大好きとされる「甘酒」を捧げているが、明治ごろまでは各家で造っていたどぶろくを供していたと先祖から聞いたことがある、というのだ。田の神の好物は甘酒ではなくどぶろく、だと。明治の酒税法により家庭での醸造酒造りは禁止、どぶろくの代替えが甘酒になった。時代の流れを容易に察する。「それなら、田の神に本来の好物、どぶろくを捧げよう」と思い立った。

    留学生や学生を連れての「あえのこと」スタディ・ツアー(12月4、5日)に2016年から実施している。3回目となる今回、初日の4日に天日陰比咩神社をコースに組み入れた。ここで禰宜に事情を説明し、新嘗祭用のどぶろく2本を田の神に奉納することを約束にいただいた。この趣旨をよく理解してくれたドイツからの留学生がお神酒どぶろくを禰宜から受け取った=写真=。「どぶろくが119年ぶりに飲める。待っとるぞ」。そんな田の神の声を想像しながら、奥能登へと向かった。

⇒6日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆ササ刈りとパンダ

☆ササ刈りとパンダ

    金沢大学の角間キャンパスは中山間地にあり、200㌶と広い。学長が音頭を取って年に数回、学生たちと山の草刈りをする。題して「学長と汗を流そう!角間の下草刈りプロジェクト」。きょう(28日)午前中、そのイベントに参加した。傾斜地のささやぶを鎌で刈っていく作業だ=写真・上=。

    ササの種類はクマイザサで、葉の数が多いもので9枚もある。茎は一本ではなく、枝分かれしている。高さは1.5㍍ほどだろうか。幅広の葉は殺菌力があるとされ、当地では「笹ずし」といった食品加工にも使われている。学生たちの草刈りを指導してくれたNPOのスタッフが話題提供をしてくれた。ササとパンダの話である。

    パンダのかわいらしさは動作もさることながら、顔立ちにある。広いおでこと丸いあご。パンダは繊維質の多いササや竹を噛みつぶし、細胞に含まれる栄養分を取っている。これは堅いものを噛みつぶすときにあごを強力に動かす筋肉が頭蓋骨の上に付いているからなのだ、とか。そのためおでこが広く、あごが広く丸くなっている。ササや竹を食べる習性があの顔立ちをつくっているのかと納得した。

    初めてパンダをじっくり見たのは2008年1月のこと。中国・西安市の中心から70㌔ほど離れた「珍稀野生動物救護飼養研究センター」を見学した。研究センターにはパンダのほかトキやキンシコウ(「西遊記」のモデルとされるサル)など希少動物が飼育されていた。ここでササや竹をむさぼるように食べるパンダの姿=写真・下=が印象的だった。そのときに係員に質問した。「なぜパンダはササや竹を食べるのですか」と。即答だったことを覚えている。「パンダは(中国の)山岳地帯の奥地に生息していますが、それは生存競争を避けるためです。ササや竹は冬でも枯れず年間を通して豊富にあります。身を守るために食べ物には無理せず、質素なものを選んだ動物なのです」と。

    今にして思えば、生存競争を避ける選択があのかわいらしさを創っているのか。ただ、中国人の係員はこうも言った。「パンダは見た目はかわいいですが、よくみると目つきは鋭く、怖いですよ。うかつに近寄ると、鋭い爪ではたかれますよ」。パンダの意外な一面を知った思いだった。

    急斜面での草刈りの作業は進み、横に移動しようとしたとき、刈って下に置いたササの葉の上にうっかりと足を乗せてしまい、足を滑らせた。そのまま、3㍍下にころげ落ちた。軟らかな土壌だったのと岩石などがなかったことが幸いで、けがはなかった。その様子を見ていたスタッフがひと言。「コロコロと落ちる様子はまるでパンダのようでしたよ」と真顔で。たとえが絶妙で、我ことながら笑ってしまった。

⇒28日(日)夜・金沢の天気   くもり    

★「本庶論」からジャーナリズム論へ

★「本庶論」からジャーナリズム論へ

   金沢大学の共通教育科目「ジャーナリズム論」の講義がきょう(3日)から始まった。毎週連続8回で新聞・テレビの報道の現場からゲストスピーカーを招いて、「災害とジャーナリズムを考える」「生活・文化に関する報道について」「事件報道と実名呼称について」「デジタル化における新聞メディアの将来戦略」「体験的ドキュメンタリー論」などをテーマに講義していただく。初回は「民主主義とジャーナリズム」と題して私自身が講義を担当した。履修する学生は120人=写真=。

   話のつかみは、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった本庶佑氏(京都大特別教授)の記者会見(今月1日)からひねり出した。「研究を進める上で心がけていることは」と記者から尋ねられ、本庶氏は淡々と「一番重要なのは、不思議だな、という心を大切にすること。教科書に書いてあることを信じない。常に疑いを持って本当はどうなんだろうという心を大切にする」「つまり、自分の目で物を見る。そして納得する。そこまで諦めない」と答えた。ジャーナリストもまさに同じ発想だ。本庶氏は「教科書=科学の権威」を疑い、自分で納得するまで調べてみよと説いているのだ。これは「科学におけるジャーナリズム性」ではないだろうかと学生に投げかけた。

   ここから、記者自らが納得するまで取材する調査報道はジャーナリズムの原点であることを論じる。調査報道の基本は、政府や省庁、役所や企業の公式発表に頼らず、独自の取材活動により、隠された事実や問題を報道することだ。発表に頼らず、独自に掘り起こすニュースがなければ、報道機関としての存在意義がない。調査報道のモデルケースとして講義の中でよく引用するのが、2010年9月21日付の朝日新聞がスクープした、大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件だ。

   事件の発端は、ある意味で当地から始まる。2008年10月6日付で朝日新聞は、石川県白山市に本社を置く印刷会社が「低料第3種郵便物」割引制度(郵便の障害者割引)を不正利用してダイレクトメールを大量に発送していたことを報じた。1通120円のDM送料がたった8円になるという障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、実態のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件が明るみとなった。これによって、家電量販店大手などが不正に免れた郵便料は少なくとも220億円以上の巨額な金になる。国税も動き、さらに大阪地検特捜部は郵便法違反容疑などで強制捜査に着手した。

   事件の2幕は舞台が厚生労働省へと移る。割引郵便制度の適用を受けるための、同省から自称障害者団体「凛の会」へ偽の証明書が発行されたことが分かり、特捜部は2009年7月、発行に関与したとして当時の局長や部下、同会の会長らを虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴した。

  ところが、元局長については、関与を捜査段階で認めたとされる元部下らの供述調書が「検事の誘導で作成された」として、2010年9月10日、大阪地裁は無罪判決を下した。そして、同月21日付紙面で、大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)が改ざんされた疑いがあると朝日新聞が報じる。その後、事件を担当した主任検事が証拠隠滅容疑で 、上司の特捜部長、特捜副部長(いずれも当時)が犯人隠避容疑で最高検察庁に逮捕される前代未聞の事態となった。

    なぜ元局長が無罪となったのか。報道してきた責任として検証しなければならない。浮かんできたのが主任検事による押収したフロッピーの改ざん疑惑だった。取材記者は元局長無罪の判決を受けて、疑惑を検事に向けて取材しなけらばならない。相手は政治家も逮捕できる検察である。その矛先が新聞社の取材そのものに向いてくる場合も想定され、一歩間違えば、「検察vs朝日新聞社」の対決の構図となる。被告側に返却されていたフロッピーを借りに行った記者に、被告側の弁護士は「検察そのものの取材に、あなたは本当に立ち入ることができるのか」とその覚悟の程を問うた、という。

  こうした伸るか反るか、取材者側のギリギリの判断がありながらも、権力の監視、チェックこそがジャーナリズム本来の使命と突き進んでいく記者たちの現場を学生たちに理解してほしい、そう思いながらきょうの講義を締めた。

⇒3日(水)午後・金沢の天気    はれ

☆「能登SDGsラボ」の可能性

☆「能登SDGsラボ」の可能性

  国連のSDGsとは「Sustainable Development Goals」。訳すると「持続可能な開発目標)」となる。このSDGsという言葉は国内にはまだまだ浸透していないので、分かりにくい。能登半島の尖端の珠洲市が率先して内閣府の「SDGs未来都市」に申請して、採択を受けたことは、とても意味がある。それは、これまでの地方創生の目標に加え、国際的に通用する「新しい物差し」で地域の課題に向き合うという意思表示を国内だけでなく世界に示したということになるからだ。 

  国連の持続可能な開発目標であるSDGsの基本原則は「誰も置き去りにしない」ということ。これは、立場の弱い人々に手を差し伸べて、負担を少なくする、あるいはどうすれば負担が少なくなるのかを福祉の観点だけでなく、環境や経済などの視点から前向きに幅広く考えて、地域のプラス成長にもっていくという発想でもある。SDGsについて学び行動することは、大学の研究者や学生、企業人、社会人、個人にとどまらず多くに人にメリットをもたらす。SDGsをきっかけに、自分と世界をつなげて考えることができる。それは、自分の視野を広げるばかりでなく、ビジネスにつながる発想にもなる。 

  SDGsはともすれば途上国のことだと考えがちだが、過疎化で地場産業の衰退を受けた地域をいかに再生するかといった日本の地方の問題でもある。珠洲市のSDGs未来都市には、行政だけでなく、金沢大学、国連大学、石川県立大学、地元経済界、県の産業支援機関など多くのステークホルダーが寄り集っている。きょう(1日)珠洲市におけるSDGsの取り組みの中核となる「能登SDGsラボ」のオープンセレモニーがあった。除幕式でその看板がお披露目された=写真=。SDGsという、掲げた旗のゴールターゲットは17色あり、鮮明でうつくしい旗の元にステークホルダーが集まったと言える。 

  能登SDGsラボは、地域の課題解決のワンストップ窓口であり、さまざまな専門家や有識者が集うシンクタンクの拠点機能を目指している。多くの研究者や学生にも参加してもらい、グローバルな視点で地域課題を考え、課題解決に参画するアクションの場となればと期待する。能登の先端からSDGsが世界に広がっていくことを願っている。

⇒1日(月)夜・珠洲市の天気    くもり時々あめ

☆「Noto」フォントを縁に

☆「Noto」フォントを縁に

   能登半島で初めて国の「SDGs未来都市」に選ばれた珠洲市では、「能登SDGsラボ」の開所式が10月1日に迫っている。オープニングセレモニーでは看板の除幕式があり、その看板のデザインをめぐって行政の担当者や協力する大学関係者で知恵出しをしながら進めている。まず、看板の文字をどうするか、難問が立ちはだかった。すると、関係者の一人がフォントで「Noto」があることが話題になった。以下メールでの情報共有。「グーグルが開発した多言語の『Noto』フォントというのがあり、名前もフォントも大変かっこいいので、サンプルも含め、情報共有いたします」と。

   すると同僚がさっそく調べた。以下メールを引用する。Notoというフォントの由来は「能登」とは無関係で、もともとはNo more tofu(豆腐はもうたくさん!)の略でNotoだそうだ。文字化けしたときに「□□□」のような長方形の図形がたくさん表示されることがある。この「□」がITプログラマーの間ではTofuと呼ばれている。図形から思いついた人の発想の豊かさが感じられる。

   文字化けを許さないグーグルの理念がNo more tofuで、その理念からNotoと名付けられたのが、このフォントというわけだ。さいはての能登半島から「誰一人取り残さない」世界共通の開発目標の達成の一翼を担う能登SDGsラボ。その看板に、このユニバーサルなフォントを用いることはとても意味があるのではないだろうか。実際、とても美しいフォント=写真・上=だと思う。能登=Notoという偶然の一致以外にもう一つエピソードが添えられたかっこうだ。

   このNotoフォントを歓迎しているであろう地域が世界でもう一つある。イタリアのシチリア島南部の町、Notoだ。ワインの産地で知られ、街には美しい装飾を施したバロック様式の建物が多く残る=写真・下=。ユネスコ世界遺産にも登録されている。ぜひ訪れてみたい。Notoフォントを縁に能登半島とシチリア・ノートで姉妹提携を結んではどうか、などと妄想している。(※写真・下はイタリア政府観光局公式サイトより)

⇒22日(土)午後・金沢の天気     くもり時々はれ

☆留学生が見たNoto

☆留学生が見たNoto

   先週13日から2泊3日で「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」(単位科目)を実施した。履修学生14人のほかに留学生6人も参加して日本と海外(ドイツ、中国、インドネシア、ベトナム)の目線で能登を語り合いながらツアーを楽しんだ。

   私自身も能登のことを「日本の中のアジア」と説明したりする。文化や風土で独特のアジアっぽいカラーがある。留学生が「アジアですよ」と思わず感想を漏らしたのが祭りだった。14日に能登半島の尖端、珠洲市を訪れ、地域の伝統的な祭礼「正院(しょういん)キリコ祭り」を見学した。能登半島では夏から秋にかけて祭礼のシーズン。キリコは収穫を神様に感謝する祭礼用の奉灯を巨大化したもので、大きなものは高さ16㍍にもなる。この日、輪島塗に蒔(まき)絵で装飾された何基ものキリコが地区の神社に集い、鉦(かね)と太鼓のリズムが祭りムードが盛り上がっていた。

   中国ウイグルからの留学生が「アジア」と指摘したのは、そのキリコを担ぐ青年たちがまとっている、地元ではドテラと呼ばれる衣装だった。「これアジアの少数民族が祭礼のときに着る衣装とそっくり」と。自らも少数民族であり、装束に関心を持っていた。地元に人に聞くと、もともと女性の和服用の襦袢(じゅばん)を祭りのときに粋に羽織ったのがルーツと言われていて、同じ能登のキリコ祭りでもこのドテラを着るのは珠洲の特徴という。色は青のほかに、赤、紫、黄など色とりどりで、それに花鳥風月の柄が入る。一人で数着持っている人もいるとか。

   そして、相撲の力士が身に着ける化粧回しのようなものが「前掛け」。これにも趣味があって、龍や獅子、波などの刺繍を施して、一着何十万円の特別注文のものもあるそうだ。派手な刺繍だけではない、この前掛けにはいくつもの鈴が装着されていて、歩くとシャンシャンと音がする。着ている物も派手なら、担ぐキリコもとてもきらびやか。確かにどこかアジアっぽい雰囲気が漂う秋祭りだ。留学生の要望でキリコの前で写真を撮らせてもらった=写真・上=。

    今回のスタディ・ツアーの感想でドイツからの留学生の言葉が印象的だった。「能登の探検には何度か来たことがあるが、今回は謎を解き明かしてくれる人々と出会い、デープな能登を知ることができた。アメリカの大都会から能登の里山に移住したキャロラインさんの生き方は印象的だった。里山を愛するその生き方にはとても勇気づけられた」

    キャロライン渡辺さんは能登の里山で珠洲焼に取り組むアメリカ出身の女性。窯を訪ね、話を聞いた=写真・下=。ニューヨークで陶芸を志す日本人男性と知り合い、1987年に能登にやってきた。コロンビア大学で日本文化を学び、日本文化研究で知られるドナルド・キーン氏との親交もある。移住10年後に夫は他界したものの、自身は里山生活とアート活動が気に入り31年目になる。「里山での生活は私の人生そのもの。焼き物の窯は作品をつくるというより、炎を楽しむ祭りの様なものね」と。里山を歩き、田畑を耕し、土をこねて、窯の燃料となる薪は自身でつくる。冬場の除雪も自分でする。「自給自足の生活は自分に向いている。子育てするには最高の環境だったし、夫とともに夢中になってつくった窯で焼き物をつくり続けたい」

    豊かな里山の自然、そして里山に人生あり。日本人が忘れかけていたことを、キャロラインさんの言葉で留学生たちが気付いてくれた。

⇒17日(祝)午後・金沢の天気    はれ

★「山一つ」「海二つ」曳山の醍醐味-下

★「山一つ」「海二つ」曳山の醍醐味-下

   学生たちが祭りで担う役割はとてもシステマチックに構成されている。曳山の運行で方向転換など担う「舵棒取り」に2基の曳山にそれぞれ男子学生10人が配置された。祭りの舞台となる黒島の街並みは重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されていて、しかも道幅は狭いところで4㍍ほどである。ここを曳山が巡行するので道路沿いの家の屋根部分に接触しないよう舵取りが必要となる。そこに学生たちの活躍の場がある。巡行する街路は山と海それぞれに平行に走っている。地元のベテランの舵取り担当が「山一つ」と声を上げると、学生たちが一斉に山側に舵棒を1回押す。すると、曳山の車輪は海側に10度ほど舵を切ることができる=写真=。「海二つ」と声が上がると、海側に2回押して山側に20度ほど舵を切る。この作業を繰り返しながら、曳山は曲線道路を器用に巡行する。

     祭礼の人出不足、その地域課題にどう向き合うか

   女子学生は行列の先頭で枠旗を持ちや奴振りの扇ぎ手を担当する。地域の子どもたちが扮する奴振り行列では、子どもたちに歌舞伎役者のような化粧が施される。ところが顔に汗が出ると化粧が崩れてくるためにウチワで顔を扇ぐ。獅子舞係の男子学生は地元の若手といっしょになって路上でパフォーマンスを演じる。とくに、「お立ち」と呼ぶ行列の出発を神輿の担ぎ手に催促したりする。

   祭りで学生たちがそれぞれの役割を演じると、活き活きとした表情になる。この意味で、学生たちが地域の伝統文化をフィールドで学ぶ、教育的な体験プログラムにもなっている。地域にとっても、今年5月に日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に追加認定されてから初めての天領祭だったので、妙に街全体が盛り上がっていて、参加者、見学者ともに例年に比べ多いように思えた。

   能登だけではなく、日本の多くの過疎地で祭礼の人手不足現象が起きていることは想像に難くない。一方で祭りが大好きな都会人や、日本で文化体験をしたいインバウンド観光客は大勢いるはずだ。人手不足の祭礼と、参加したい人たちとのマッチングをどう図るか、まさに課題解決型のプランが求められていると実感している。

⇒19日(日)午後・金沢の天気    はれ