⇒キャンパス見聞

☆京都の森で考えたこと

☆京都の森で考えたこと

  「汗をかくことが嫌い」という若者が増えている。しかし、汗をかきながら野や森を歩けば何かが得られるものだ。今月18日と19日に京都女子大学で開かれた交流会に参加した。「里山」をテーマに参加したのは九州大、神戸大、龍谷大、金沢大、それに京都女子大の学生や社会人ら合わせて21人。発表会やフィールドワークが繰り広げられた。   

   フィールドワークは大学から30㌔、京都市左京区の大原の森であった。宿舎となったのは、市有林にある市営ロッジだ。このロッジの前を一本の山道が続いている。大原の奥山で暮らす下坂恭昭さん(77)によれば、この道は昔から越前小浜に続く「鯖(さば)街道」と呼ばれてきた。塩鯖を入れたカゴを前と後ろにくくりつけた天秤棒を担いだ小浜の人たちがよく往来したという。小浜でも「京は遠くて十七里」との言葉が残る。およそ70㌔の山道である。

   人間だけではない。1408年、南蛮船が小浜に着き、時の将軍、足利義持にゾウが献上された。「そのゾウはこの道を歩いて京に入った可能性もある。文献での確証はないが・・・」と、今回の交流会の主宰者である高桑進教授は推測する。初日の夕食、若狭湾の名物「鯖のへしこ」(塩鯖のヌカ漬け)を肴に学生たちと焼酎を酌み交わした。この夜は中秋の名月だった。 

  翌日、市営林の背中合わせにある京都女子大所有の山林(通称「京女の森」)にフィールドワークに出かけた。24㌶ある京女の森には手付かずの自然が残る。その中に、「女王」と呼ばれる赤マツの大木がある。樹齢500年を生きた。過去形にしたのは2年前、枯死したからだ。その姿をよく見れば、急斜面によく立ち、雷に打たれ裂けた跡もある。500年もよく生きたと、感動する。むき出しになった根の部分を切ってみると、琥珀(こはく)色の松ヤニが上品な香りを放った。

  尾根伝いに歩くと、金沢大の同僚の研究員N君が「ここのササは金沢のものに比べ小さい」とつぶやいた。ササはチマキザサのこと。京都では祇園まつりの時、このササで厄除けのチマキをつくるそうだ。しかし、四角形をした金沢の笹寿しを巻くには確かにこのササでは幅が足りないような気がした。標高800㍍ほど、チマキザサでもちょっと品種が違うのかもしれない。

   林道に出る。スズメバチにまとわりつかれた。スズメバチがホバリング(停止飛行)を始めた。「動かないで」の言われ、恐怖で体がすくんだ。ホバリングはスズメバチの攻撃態勢を意味する。その時、プシュッという音がした。N君がハチ駆除用のエアゾールを噴射してくれた。スズメバチはいったん退散したが、再度向かってきた、今度はエアゾールを手にとって自分で噴射した。スズメバチの姿が見えなくなったので、全員で足早にその場を去った。用意周到なN君のおかげで命拾いをした。後で聞くと、N君は刺された場合の毒の吸出しセットも持参していた。緊張感漂うフィールドワークだった。

   高桑教授はパソコンなどデジタルに慣れきった学生を見てこう指摘する。「自然環境で学生を学ばせることでバーチャルとリアリティーのバランスの取れた人間形成ができる。その場が里山だ」と。現代人は里山を離れ街に出た。しかし、人は癒しを求めて再び里山に入るときがくる。京女の森はそんなことを教えてくれた。

⇒22日(木)午前・金沢の天気  くもり 

★女子学生も悩んだ選挙

★女子学生も悩んだ選挙

   総選挙の公示の前々日だった。知人の新聞記者から金沢大学の学生を紹介してほしいという内容の電話があった。地元の大学生の目線で選挙をルポしてみたい、という。ただし条件が2つあり、金沢市出身(つまり石川1区)で選挙権があること。私自身も興味があり、この条件にかなう学生を探した。金大生の7割は県外出身者で、しかも金沢市出身の選挙権がある学生で、さらに「やってみよう」という意欲のある学生となると案外難しい。いてもアルバイトの方が実入りがあるのでそちらを優先されてしまう。

   土壇場になって1人現れた。女子学生でマスコミに関心があるという。さっそく記者に連絡、取材が始まった。学生がさらに友人を誘って2人が取材に協力することになった。彼女たちはのべ3日間、記者といっしょに公示の日の候補者の第一声や選挙カーでの地区回り、ミニ集会などをつぶさに見て、若者の視点から感想を述べる、記者はそれを記事にするという手法で「【総選挙05】大学生は見た!」の選挙企画になった。

   その触りを紹介する。10日付は選挙終盤の様子だ。以下は抜粋。「台風一過の8日、選挙カーの後ろについて回った。公示日と比べて、候補者の印象は変わったか。大勢の応援弁士と一緒に話していた第一声に比べると、各候補とも少人数で回っていた。住宅地の小さな路地まで入り込み、わずかな人の前でもマイクを握る候補者を見て、『意外と地道な活動なんだ。高いところからでなく、同じ目線で話すと、どの候補も身近に感じる』と感心した様子。」。彼女たちが見た路地裏の候補者たちの様子である。

   その後、2人の学生はそれぞれの政党のマニフェストを比べて感想を述べ合ったりと選挙の争点について考えていく。そして考えれば考えるほど深みにはまり、2人は「1人の候補を選ぶのって大変なんだ。誰を選ぶか、考えれば考えるほど、一票の重みを感じる」と感想を漏らすに至る。記事のクライマックスはここにある。記者は彼女たちのこの一言を待っていたのだ。もう一度、「一票の重みを感じる」。

   そう、選挙(選択)は真面目に考えればそれだけ難しくなる。そして我々の生活や未来のことを想えばまた一段と難しくなる。「一票は重い」のである。

   学生が選挙を通じてメディアと接触したことで、人間社会のもっともリアリティのある部分(戦い)というものを目の当たりにした。ここで選挙と政治を考察したり、投票行動における人間心理というものを考えたり、あるいはマスメディアの取材手法そのものに興味を持ったかもしれない。選挙を通じさまざまな知的な欲求の端緒を見出してくれればよい。私が彼女たちを記者に紹介した理由はこの一点だ。

   総務省が発表した9日現在での期日前投票者数(小選挙区)は672万5122人になった。過去最高だった前回衆院選(2003年11月)の不在者投票の669万人をすでに上回り、最終的な投票者数は前回比25%増の836万人(有権者全体の8.1%)に達する見通しという。大変な盛り上がりだ。「政治を変えてやる」という有権者の意識の現れと、私はこの数字を見る。今回のコラムの結論はない。ただ、「9月11日」で日本の政治史の1ページが書き換えられるような気がしてならない。

⇒11日(日)朝・金沢の天気  曇り

☆古民家とハワイアン

☆古民家とハワイアン

   この夏は劇的な変化だ。転職した先の職場には冷房エアコンがない。扇風機とうちわで十分しのげる。特に玄関から入った土間は下が地べたのせいか涼しささえ感じる。データーロガー(温度測定レコーダー)で調べればこの家の持つ「天然エアコン」機能が立証されるのではないかと同僚らと話し合っている。古民家を再生して造った金沢大学五十周年記念館「角間の里」での職場ライフのひとコマである。

  これまでの職場(テレビ局)は寒いくらいの冷房で、夏によく風邪をひいた。というのも、テレビ局の冷房というのは人間のためというより、熱を帯びた放送機材を冷やすための冷房で、通常のオフィスの冷房に比べ、体感温度で2、3度低い。古民家の現在のオフィスに冷暖房エアコンがないのも、実は家そのものの耐久性を高めるためにあえて自然のままの乾燥と湿気を取り入れることにしたのだとか…。ともあれ職場環境が一転したのである。 

   では古民家はなぜ涼しいのだろうか。周囲を緑に囲まれ、しかも、前庭を下ると谷川もあって風通りがよい。特に土間を伝う風は心地よく涼感もある。また、床は板場なので見た目にも涼しげである。冬はまだ経験していないのだが、この分だと井戸水のように「夏涼しく、冬暖か」かと。

   昼休み、インターネットラジオの「アロハ・ジョー」を聞きながら、板場でちょっとの間横になる。蝉時雨とウクレレの音、頬をなでる風。贅沢な昼下がりのひと時をしばしまどろむ。

⇒4日(木)午後・金沢の天気  晴れ

★「いのち」弾む8月

★「いのち」弾む8月

    金沢大学角間キャンパスもそろそろ夏休みに入ります。下の写真をご覧ください。五十周年記念館「角間の里」の前庭の畑で、5月14日に植えた雑穀のアワがこんなに青々と大きく生長しました。この畑を横切ると、草いきれのムッとしたものを感じます。植物の生命力が迫ってくるようです。ここは市民ボランティア「里山メイト」が耕作してくれている畑です。アワのほかにトウモロコシ、キビ、サツマイモもあります。

    5月の日照りでは「本当に育つのか」と心配し、6月中旬の大雨のときは土壌が流され、倒れるのではないかと天を仰いだものです。その大雨の後、一気に生長したようです。穂先に青いものがついています。夏が過ぎ、キャンパスに学生たちが戻ってくるころ収穫の季節を迎えます。

    石川県ゆかりの故・中川一政画伯の作品集「いのち弾ける!」(二玄社)にこんな一文があります。「草となって草を描く時、草が見えた時、画家は自然と溶合する」。草木の息遣いを感じながら描くことの大切さを述べているのだと私は解釈しています。きょうから8月。「いのち」の弾む音、息遣い、におい。あなたは真夏の生命の躍動を感じていますか…。

(※「石川県ゆかり」と表現したのは、中川一政画伯の母親が旧・松任市出身という縁で、現・白山市には市立中川一政記念美術館=076-275-7532=がある)

⇒1日(月)午前・金沢の天気  晴れ

☆「クレーム」も集めてみれば…

☆「クレーム」も集めてみれば…

  4月に金沢大学に就職して、唯一「民間らしさ」を感じたのは金沢大学生協=写真=のスタッフの応対だった。レジ担当の言葉遣いや対応はまずまず、食堂も整然として清潔感がある。大学の周囲にはJUSCOを始め専門店が軒を連ねており、学生のニーズを取り込むことができなければ破綻してしまうから当然かも知れない。そのことを差し引いても、私の目には「生協は善戦している」と見える。なぜか、クレーム処理が巧みなのだ。食堂には「一言カード」の意見箱が備えられており、意見ごとの答えを「回答カード」にして、掲示板に貼り出す仕組み。さらに問答形式にしてまとめた冊子(「一言カード集」)にもしている。138ページ、1千件を超す膨大なクレーム処理集である。読んでみるとこれが面白い。以下、傑作選。

まずは「食べ物」のクレームからー。
Q:「キャビアとフォアグラを80円ぐらいで食べてみたいです。(工学・教職員)」
A:「ご意見ありがとうございます!トリフ1kg80000円-1人前10g800円、フォワグラ1kg10000円-1人前50g500円、キャビア(ベルーガ)50g6000円-1人前25g3000円。残念ながら無理ですね。僕も80円で食べられるなら家族皆連れて食事に来ますね。夢で食べてくださいね」

Q:「今日、ワサビ味のソフトクリームを罰ゲームで食べました。スゴイまずいです。なんであんなまずい商品をおくんですか?たくさん残ってたよ!!かわりに、ミックス(例えばチョコ+バニラ)を置いて。(法学・1年)」
A:「ご意見ありがとうございます。わさびアイスは、賛否両論ですね。以前出食した時はまずいと言われやめたんですが、再度出してほしいとのご意見で登場しました。食べ物ですので罰ゲームに使われるのは可哀相です(アイスが…)。また別のアイスを置くようにします。ミックスはメーカーにも問い合わせましたが、製造が不可能という回答でした。」

Q:「消費者は串を3本欲しいものです。なので、1本100円は高いです。せめて60~80円がいいですね。(理学・1年院生)」
A:「回答が大変遅くなり申し訳ございません。今回使っている串カツには肉魚以外に野菜も割りと入っているボリュームがある食材を使ったため、若干高めだったかもしれませんが、これでも試験期間のゲンかつぎのための奉仕品として設定した価格です(通常は1本120円の設定です)。ボリュームをかなり落としたものならば80円くらいでご提供できるものがあるかもしれませんので、またフェアをする際には探してみたいと思います」

ちょっとした「人生相談」にもー。
Q:「最近授業が眠いんです。(理学・2年)」
A:「いつもご利用ありがとうございます。自分も学生だった頃(金大出身です)を思いかえすと…そういう時もありましたねえ。特に教養科目で。あの頃はまだ1年~2年前期まで教養学部に所属して、集中的に教養科目だけを履修する時代だったので、集中力を維持するのに苦労した覚えがあります。一時的な解消法ですが、眠気のある時には両方のこめかみを指2本でグッと押さえると取れます。ほんのわずかの間ですが、ぜひ一度お試しあれ。」

手厳しいのは「喫煙問題」ー。
Q:「毒物でもあるタバコを平然と販売することのおろかさを認識された方が良い。生協で販売することは大学にとっても恥でもある。ちなみに医学部では敷地内全面禁煙である。(医学・4年)」
A:「ご意見にあるように、医学部キャンパスは全面禁煙化に伴い販売を中止しました。他のキャンパスや学部では分煙(喫煙スペースを設けている)となっており販売しています。この間、喫煙派・禁煙派双方のご意見を受けて、キャンパス事務局とお話をさせて頂きながらキャンパスや学部毎に対応させていただいています。角間キャンパスでは根強い喫煙派の方も多く、現段階では販売中止に至っていません。基本的には大学の意向に沿って協議をしながら進めさせていただきます。」

  責任の所在を明らかにするため回答文の末尾には実名が記載されているが、「自在コラム」では省かせてもらった。生協利用者のさまざまな声にきちんと文書で対応していて、その表現が対話として成立しているという感じだ。中でも気の利いた回答をする担当者はちょっとした人気者で、ファンレター風に書かれた意見カードもある。柔軟な発想でクレ-ムをうまく処理する達人たちが生協にいるのだ。

  この「一言カード集」は毎年5月に開催される生協の総代会(会社でいう株主総会)で配布されているが、あとイラストを付ければひょっとして出版物として売れるかも知れない。本のタイトルをちょと刺激的に「生協の店長出てこんかい!」といったふうにでもすれば…。

⇒23日(土)夕・金沢の天気 晴れ

★プリンストン大生からの礼状

★プリンストン大生からの礼状

  達筆というより丁寧な字である。おそらく日本のペン習字でトレーニングを積んだに違いない。去る6月30日、アメリカのプリンストン大学で日本文化を学ぶ学生45人が金沢大学角間キャンパスの創立五十周年記念館「角間の里」を訪れ、金沢大の学生と交流した。先日、彼らからお礼状をもらった。私あてではない。餅つきやいろいろをお世話をしてくれた里山メイト(市民ボランティア)に対してである。以下、外国人学生が書いた礼状の文面である。

  「拝啓 梅雨に入り、あじさいの花がきれいな季節になりました。先日、私達プリンストン・イン・石川プログラム(PII)の学生四十五人は金沢大学を訪れた間、色々お世話になりまして、どうも有難うございました。現在、我々PIIの学生は日本にまいりまして、日本語を学習したり、日本の社会や伝統的な文化を体験したりしております。皆お漬け物などの日本料理が大好きですけれども、その作り方を教えていただいたり。おもちつきをしたりしたのは金沢大学を訪ねて初めてでした。お陰様で、金沢大学の学生達と交流するのも、日本の文化を一層に深く理解するのも、できるようになりました。皆様のご健康やお幸せをお祈り致しております。 敬具」

   文面通りに書いた。「てにをは」の間違いは許せる。短文ながら何の目的で来日し、日々どのような活動をしているのか、金沢大学での交流はどうだったのか、というポイントをきちんと押さえた文章である。手書きだから、緊張感も伴っただろう。

   想像するに、「お世話になった方々にお礼状を出さなければ日本のルールに反するのではないか」と彼らが話し合い、誰かが叩き台となるテキストを書いて、何人かが精査し、そして一番「達筆な人」が書いた。そのような共同作業のプロセスを経て、この礼状は書かれたのであろう。その証拠に、たとえば、第一人称では「私達」「我々」「学生四十五人」の表現が使われ、言葉の繰り返しを見事に避けている。一人で書いた文面はどうしても言葉の繰り返しがあるものだ。おそらく、「言葉の繰り返し表現は避けよう、日本語の文章表現のルールに反するのではないか」との意見で手直しされた、そのような共同作業の痕跡が文面から読み取れる。だからどうだ、と言うことではもちろんない。

⇒20日(水)午前・金沢の天気 晴れ   

☆大学とテレビ業界の接点

☆大学とテレビ業界の接点

   決してもったいぶるつもりはないが、私たちスタッフの日常を紹介しよう。きょうはNHK金沢放送局の取材があった。内容は夏休み向けの「昆虫採集」のノウハウについて。ここ金沢大学「自然学校」の研究員N氏が取材を受けた=写真=。200㌶もある大学のキャンパスは里山の絶好のフィールドでもある。このエリアに576種類(コケ、シダを除く)の植物、キツネやタヌキなど21種類の哺(ほ)乳類、72種類の鳥類、そして1000種以上の昆虫が生息する。このフィールドを駆けめぐっているN氏は慣れたものだ。クワガタの出そうなところ、スズメバチに注意、ウルシの木には気をつけてと細やかな説明をポンポンと。

   私の同僚のK氏は自然学校の代表(教授)と午後から石川県立大学でのシンポジウムに出席。そして、事務スタッフのK嬢は近くの小学校で開かれている「自然教室」のサポートに。そして私はというと、7月19日に設定されている講義のための「収録」の打ち合わせ。この収録というのは番組ではない。金沢大学の「E-ラーニング」の教材作成のことである。

   もうちょっと詳しく説明しよう。授業は講義しながら板書する。ある意味で一過性である。この授業を授業ごとデジタル保存し、自宅学習や遠隔学習を可能にするのがこの「E-ラーニング」だ。具体的に手順はいくつかあるが、私のケースだと。予め原稿を用意しブースで映像と音声を収録する。その語りの映像を子画面にして、パワーポイントで作成した資料を音声に合わせて親画面にタイミングよく出していく。さらに私は映像資料を10分ほどつけた。19日は、収録したもの(DVD)を前段で学生に聞いて見てもらう。さらにひと捻りして、後半はゲストと私で掛け合いのトークをする。それをデジカムで収録してもらい、最終的にパッケージ(DVD)にする。もちろんこれはあくまでも大学の教材である。当日の私の授業のテーマは「マスメディアから見た極東ロシア」。

   近い将来、この「E-ランニング」が授業の一端を担うはずである。テレビ業界出身の私はここでふと気がついた。この作業は、テレビ業界で言えば「完パケ」なのである。業界の人なら、「E-ラーニング」という教材を作成するためには、どういう段取りで何が必要か、そのポイントは何かが一目で理解できる。つまり、教授の講義の収録をアナウンサーのナレーション録りだと思えばいい。パワーポントは字幕スーパーである。それにプラスして生の掛け合いや、VTRの挟み込みがあると考えれば、まさに番組の収録と手順や基本的な考え方は同じなのである。

   そして私はこんなズルイことも考えた。原稿さえあれば、何も教授がしゃべらなくてもよい。実際、カメラに向かうと恥ずかしがる人は多い。そこで淡々と話し、声の通る人を起用する。その教材を聞いた感想やリポートを実際の教授にメールで提出し、その理解度をチェックしてもらう、あるいは教授からの返信メールでアチーブメント(到達度)テストをして、単位認定の判断材料にしてもらうのだ。恐らくそんなことをすでに始めている大学もあるはずだ。いや、遅いくらいかもしれない。

   きょうのNHKの収録をきっかけに、大学とテレビ業界の共通点を考えているうちに、話の内容がどんどんと日常から反れてしまった。

⇒13日(水)午前・金沢の天気  曇り

☆「宮本武蔵」がやってきた

☆「宮本武蔵」がやってきた

  金沢大学の五十周年記念館「角間の里」(再生古民家)にはいろいろなゲストが訪れ、そして言葉を残していく。この人の言葉も印象深い。大英博物館名誉日本部長のヴィクター・ハリス氏である。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人だ。日本語は達者である。「この家は何年たつの?えっ280年、そりゃ偉いね。大英博物館は250年だからその30年も先輩じゃないか…」

  ハリス氏はアジア・スポーツ研究会の招きで9日、金沢を講演に訪れた。会場の「角間の里」のセミナールーム=写真・右=は板の間である。床の間には山水画の掛け軸がかかり、宮本武蔵を語る雰囲気としては最適だ。テーマは「日本人の身体文化~ものつくりと美意識~」。その講演内容を簡単に紹介しよう。大英博物館はその歴史の中で、少なくとも2回「日本買い」に入った。一度は、江戸時代から明治維新に時代が変わったとき。あと一回は太平洋戦争の日本敗戦の直後である。時代が変わると人々の気持ちや価値観も変わる、その時が「買い」なのだという。明治維新のときは刀剣や浮世絵、陶磁器など。終戦後は鎌倉、室町時代の仏像などだ。

  「一外交官の見た明治維新」の著者として知られるアーネスト・サトウは写楽の浮世絵のファンだった。日本で買い集めた40点を持ってイギリスに帰国した。大英博物館はその40点をそっくり500ポンドで買い付けた。そのように個人から買い集めた美術品や、2度の「買い」などに得たコレクションはざっと2万点、1990年には大英博物館に日本館が完成し、いまでは日本人ツアー客の人気コースとなっている。広い意味で言えば、日本の美術文化を紹介するショーウインドーがロンドンにあると思えばいい。

   ハリス氏は、「己(おのれ)」を作品に入れない自然体にこそ日本の美術の本質がある、という。日本の刀剣も、鉄を焼き鍛えた、つまり、熱と鉱物元素が融合した究極のフォルムがあの独特の「そり」なのである。焼物にしても炎と土と灰釉のなせる自然の美である。これは、剣の道にも通じていて、宮本武蔵が死ぬ1週間前に書き上げた五輪書にも、「無念無想」、あるいは目の前から「くもり」を払って見える「空の悟り」を得て、人は「無敵」となる、との内容が書かれてある。そして、剣の最高の技も究極の自然のフォルムに仕上がっている。この先人が切り拓いた「カタ」を体得する、これが剣の修行の確かな道である、と。

   質問に応じたハリス氏は最後に苦言を呈した。日本の剣道は精神文化の一つの行き着く先でもある。それを、国際的なスポーツにしようと意識する余り、勝ち負けという小さな世界に押し込めるのはいかがなものか、と。「ヨーロッパで剣道を始める人のほとんどは、勝ち負けを超えた、その精神性にあこがれて入門している」とも。ハリス氏の言葉には「日本人よ、もっと自信を持て」とエールが込められているようにも聞こえた。

⇒10日(日)朝・金沢の天気 くもり

★クワガタにかまれる

★クワガタにかまれる

    何十年ぶりだろうか、クワガタにかまれた。金沢大学角間キャンパスで「里山自然学校」の研究員のNさんが捕ってきたノコギリクワガタ=写真=が珍しく、写真に撮ろうと思って手に乗せたところ、親指をガブリとかまれた。N氏は「相手も必死なんですよ」と笑っていたが、写真でも分かるように、角にノコギリのような鋭いギザギザがあり、刺すような痛さだった。
ノコギリクワガタ 
   Nさんがクワガタを採取したのも、実はテレビ出演の依頼からである。夏が近づくと、どうしても夏休みが話題となる。そして、夏休みと言えば、昆虫採取など夏休みの宿題向けの話題が定番だ。そこで、早々とテレビ局から電話があり、「夏休みの企画向けにご協力お願いします。ついでに実物もお願いしますね」と依頼され、Nさんがさっそく収録用にと捕獲してきたというわけだ。とうわけで、私がかまれたのもめぐりめぐって言えば、テレビ局にかまれたようなものだ・・・。(「自在コラム」のメディア時評で、私はテレビ局の悪口ばかり言っている)

   今回も取り留めのない話になりそうだ。私をかんだノコギリクワガタを見ていると、映画「スター・ウォーズ」の悪役ダース・ベーダーにどこか似た感じがあり、「コイツめ」と思ってしまう。憎んではいない。むしろ、クワガタにかまれる「ぜいたく」を楽しんだのだ。50歳。それを「ぜいたく」と感じる年代に入ったともいえる。

【追記】 …と、書いてブログを午前中にアップロードした。すると、研究員のNさんからは、「宇野さん、かまれて『ぜいたく』と書いていたけど、かんだのはオスで、もしメスがかんでいたらもっと違った内容になったかもしれないね。メスがかむと本当に痛いよ」と。これには返事のしようがなかった…。

⇒8日(金)午後・金沢の天気   晴れ

☆人生、ネジバナのように

☆人生、ネジバナのように

   金沢大学の入り口は長い上り坂になっている。自転車をこぐか、汗をかきながら歩くので、これまで余裕がなく気がつかなかったのだが、車路と歩道の分離帯にネジバナが数本咲いている。ネジバナとはよく言ったものだ。まるでコイルが幹に絡まるように可憐な花をいくつもつけている。花はラン科で、なるほどよく見ると花の一つひとつが端整な感じがして美しい。愛好家の間では「小町蘭」と呼ばれているらしい。

   このネジバナをいろいろと調べて見ると、どこか人間臭くて面白い。公園や工事現場や分離帯には咲くくせに、鉢植えで栽培しようとすると意外と苦労らしい。ようするに、人の手で育てられるより、広場の直射日光が大好きなのだ。もう少し詳しく言うと、ラン科の植物を種から育てるにはラン菌という菌がないとうまく育たない。従って、新しい鉢に新しい土を用意してそこに種をまいても発芽しないのだ。さらに、ネジバナが植えてあるプランター内で種から発芽というのが最も確実だが、ネジバナは同種での密植を嫌う。スペースが限られたプランター内では数は育たないのである。しかも、虫がいないと受粉できない。手がかかる。

   この気難しさがかえって愛好家を刺激して研究せしめ、このような栽培方法が編み出された。ラン菌がないと発芽しないので、愛好家は同じラン科のエビネの親株の根元にネジバナの種をまく。発芽後、子苗の根がしっかりとラン菌を保有したら、親株の根元から掘り取って別の鉢に植え替えるという方法だ。人間で言えば、自立できるまでは親の元で育てるが、親と対立する傾向が強いので、早めに独立させる、というわけだ。ただ、人もネジバナも独立させるタイミングが難しい。

   ともあれ、ネジバナは育てにくく個性が強い。そしてその個性にスネ者の人間臭さを感じる。「人生訓」風に表現すれば、ネジバナという花のイメージはこうなる。「同根より生ずれど、和して同せず。荒れ野を好み、陽を友とす。端整にして飾ることなし、人に好かれども、おもねることなし。一人一人生、ねじれたるを己が性分とし天道に咲く」。まるで、人生を漂泊する詩人のようではないか…。

⇒6日(水)朝・金沢の天気  曇り