⇒キャンパス見聞

☆「漢字&カタカナ」仕事の名刺

☆「漢字&カタカナ」仕事の名刺

  私の仕事もカタカナ職業の一つだ。しかも初めに4字の漢字がつき、合わせて12文字にもなる。名刺を交換すると、「地域連携コーディネーターってどのような仕事ですか」とよく問われる。当初、返答に窮した。なにしろ、金沢大学の制度としても新しく、手本となる先輩もいない。手探りの毎日である

   所属する金沢大学社会貢献室には3人の地域連携コーディネーターがいる。私は民間のテレビ局を途中退社した転職組、石川県庁OBで農業関連のスペシャリスト、そして県内の私学の理事が「出向」というかたちで派遣されている。この顔ぶれだけでも国立大学法人としては異色と映るだろう。

  では、具体的にどのような活動を行っているのかというと、大学の社会貢献の柱の一つ、「里山プロジェクト」をケースに紹介したい。このプロジェクトは、かつて金沢の里山でもあった角間キャンパス(201㌶)の一部を地域の人たちに開放し、社会教育や子どもたちの活動の場として使ってもらおうという事業だ。これまで650人余りが登録し、自然観察や農業体験、森林や竹林の整備、藍染などと幅広く活動を展開している。これらの活動を総称して「角間の里山自然学校」と呼んでいる。

  先日、ひきこもりの子どもたちをサポートしているNPOのスタッフが子どもたちを連れて里山自然学校にやってきた。「活動に参加させてほしい」という。子どもたちはコンピュータに興味があるというので、コンピュータ・グラフィックス(CG)でバッタのジャンプを再現している大学院生に頼んで研究室を案内してもらった。研究室から帰ってきて、寡黙だった子どもたちが少し話すようになっていた。11月初めにあった大学祭では、里山自然学校が出店するドングリを使った工作の店を手伝ってもらった。随分と忙しい思いをしたらしい。

   かつて金沢城内にあった金沢大学の教員や学生は旧制四高の時代からの気風を受け継ぎ、地域の人たちとよく交わった。それが平成に入り総合移転した。金沢大学がいち早く社会貢献室を組織して地域の人たちと接点を持とうとしているのは、疎遠になりがちな地域とのよき関係を続けたいとのアピールである。大学に対する地域のニーズは限りない。われわれコーディネーターはその「橋渡し」を担っている。ただしマニュアルはない。

   (※今回の「自在コラム」は週刊「教育資料」2005年11月14日号で掲載された記事に一部加筆して転載した)

  ⇒19日(土)朝・金沢の天気  くもり 

☆会議をメディア化する

☆会議をメディア化する

  何事も新しい技術や挑戦がなければ進歩というものがない。霊長類学者の河合雅雄氏を招いて開くシンポジウム(12月17日・朝日・大学パートナーズシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森―里山を『いま』に生かす」)=金沢大、龍谷大、朝日新聞社共催=ではどのような新しい挑戦があるのかというと、仕掛けは「テレビ会議」である。このシステムにはいろいろな意味が可能性が込められている。

   シンポジウムは京都・龍谷大学と金沢大学の2会場で同時開催だ。2つの会場を光ファイバーの高速回線で結び、中継で基調講演、そしてパネルディスカッションと進める。つまり、双方の会場がやりとりをしながら進むのだ。ちなみに、河合氏には金沢会場で基調講演をしていただく。これを同時に龍谷会場の参加者も聴くことになる。これにはテレビ局の中継という手法が必要だ。あからじめ進行のシナリオ台本を作成し、これをもとに双方の会場のカメラマンが次のシーンを想定して画面を構成していく。ちょっとした生番組なのだ。

   これを収録しておけば、記録映像として使え、デジタル加工すれば教材用のDVDにもなる。もちろん、リアルタイムのストリーミング配信をすることでインターネット中継も可能となるが、今回のプログラムにはない。言いたいのは、シンポジウムにテレビカメラを入れることで、シンポジウムがさまざまにメディア化するということだ。

   このテレビ会議はシンポジウムのあり様も変える。大学間で共通テーマを論じる際、一つの会場に集まる必要がないからだ。北海道と九州の大学が「ラーメンと地域経済」を論じる、とする。主催者側からすれば、一つの会場より参加者を多く集めることができるというメリットがある。もちろん一つの会場に集まる旅費などを考えた場合、コストカットできる。国立大学法人であれば、すでに大学間は光ファイバーで結ばれているので通信コストも気にする必要がない。

   「テレビ会議」というと、いまテレビで流れている日本アイ・ビー・エムのCMような大手企業の会議をイメージするが、それだけでは狭い。ましてや、インターネットのためだけに光ファイバーがあるのではない。もっと大学間の授業やシンポジウムなどアカデミックに使われていい。テレビ会議システムと光ファイバーを使いこなすことでシンポジウムを面白く価値あるものに演出できるのはないか、そう手ごたえを感じている。

 ⇒17日(木)朝・金沢の天気  くもり

★続・「伝説の天才」に会う

★続・「伝説の天才」に会う

  15日付の「自在コラム」で紹介した霊長類学者、河合雅雄氏は現在、NHK教育の番組「知るを楽しむ」の月曜企画「この人この世界」(8回シリーズ・午後10時25分-50分)に出演中だ。これまでの番組で、1953年、宮崎県の幸島(こうじま)で「イモ洗い」のサルが発見され、その洗いの行動が食物カルチャーとしてサル集団に定着する様子を観察し、世界的な評価を受けたことなどが紹介された。その河合氏がいま一番気にかけて取り組んでいることが2つある。里山と子どもたちのことだ。

  朝日・大学パートナーズシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森―里山を『いま』に生かす」に講演をいただくために、先日、兵庫県篠山市の自宅を訪ねた。その折りも、河合氏はこう話した。「いまは里山というのが一種のブームで、里山の復元などの活動が行われていて、それはそれで結構なことだ。しかし、里山を何のために復元するかという理念がいまひとつはっきりしない」といぶかった。続けて、「日本人はもっと森あそびをすればいいのに」と。「あそぶ」ことでカルチャーとして定着する。自然保護や環境保全のためという目的だけでは息苦しい、長続きしない、との意味に私は受け取った。河合氏の基調講演のタイトルはこの「森あそび」の話からつけた。

  子どもたちと自然とのかかわりについても関心を寄せ、 「子どもたちから自然を取り上げたのは大人。子どもたちに自然を返してあげる努力を大人がしなければ…」と。その試みの一つが自らのアイデアで始めた「ボルネオジャングル体験スクール」だ。館長となった兵庫県人と自然の博物館の取り組みとして1998年から続けている。同博物館と提携したマレーシアの大学の原生林保護区でのキャンプに子どもたち20人余りを連れて行く。漆黒の闇を遠足したり、80㍍もある木登りも自由にさせる。ある種のショック療法だが、「子どもたちは確実に変わるよ」と目を細めた。81歳。草山万兎(くさやま・まと)のペンネームで子ども向けの本も書き続けている。

  NHK教育「知るを楽しむ」の7回目(11月21日放送)は「里山復興と宮沢賢治」、最終回となる8回目(11月28日放送)は「シートンと私の動物記」がテーマだ。夢多き宮沢賢治とシートン、そして「天才」河合雅雄氏の夢もまた枯れてはいない。

 ⇒16日(水)朝・金沢の天気   くもり

☆里山ハクビシン物語

☆里山ハクビシン物語

   きのう(10月18日)、金沢大学の五十周年記念館「角間の里」では、ちょっとした騒動があった。その騒動の主はハクビシンだ。

   館の前を流れる角間川の橋の下で、学生が仕掛けたカゴに体長50㌢ほどのハクビシンがかかった。尾の長さも40㌢ほどある。仕掛けのエサはバナナだった。ハクビシンはこの雑食性がたたって、里に出てきてはナシやカキを食い荒らす。「鳥獣保護及び狩猟に関する法律」では狩猟獣にも指定されている。一昨年前、新型肺炎である重症急性呼吸器症候群(SARS=サーズ)の感染源ではないかと疑われ、ジャコウネコ科のこのハクビンを食す習慣がある中国では一説に2万匹が捕殺されたとのニュースも流れたと記憶している。

  「白鼻芯」の当て字がある通り、額から鼻にかけて白い線がある。よく動き回るので写真ではうまく撮影できなかったが、なかなか愛嬌のある顔をしている。調べてみると、これだけ大きく目立つ動物でありながら、国内に生息しているという最初の確実な報告は1945年の静岡県におけるものが最初で、それ以前の古文書での記載や化石の記録もない。でも北海道の奥尻島に生息しているとの報告もあり、日本の固有種なのか外来種なのかはっきりしてない。

  ところで今回の捕獲は大学院生の研究でもある。ところが実際に捕獲したものの、どのように処置すればよいか四苦八苦だ。目的は発信機をつけることなのだが、動き回るハクビシンは難物だ。ようやく首に発信機をつけて放すことに成功した。今後、生息圏の調査をする。でも考え方によっては、発信機がついていれば他の場所で捕獲されても、学術調査の研究対象ということでまた放される可能性がある。つまり狩猟獣でありながら、「生存特権」を得たようなものだ。「大学の里山で幸運を得たハクビシンのセクセスストーリー」は言い過ぎか…。

⇒19日(水)朝・金沢の天気    はれ

★里山の奇観

★里山の奇観

  「自在コラム」で紹介している金沢大学五十周年記念館「角間の里」を向かいの山から眺めると、ちょっと絵になる。バックの林、館の前の畑など実に納まりのよいアングルだ。

  この角間という地区は1600年代の前半、この上の戸室山から切り出された石を金沢に運ぶルートのひとつだった。石は築城に使われた。3代藩主の前田利常がここまで何度かわざわやって来て、石を運ぶ人たちにだんごを振舞って励ましたことから「だんご坂」ともそのルートは呼ばれた(森田柿園著「加賀志徴」から)。

  「角間の里」とは別の方角に目を転じると、モウソウ竹が勢いを増して里山を随分と侵食しているのが見える。竹林の茂みのあちこちでコナラが立ち枯れている。竹林の茂みができると森は暗くなり、養分がなくなってコナラなどは枯れるのだ。もともとモウソウ竹は人がタケノコ栽培のために植えたものだ。管理されていた時分は、「角間のタケノコ」と呼ばれたくらいにおいしいタケノコとして有名だった。それがいつしか里山に人の手が入らなくなって、モウソウ竹がのさばりだした。そしてタケノコの味も落ちた。

  これは竹のせいか、人のせいか…。植えたのは人だ。竹林が里山の問題点を象徴している。ついでに話をクマの出没問題に移す。クマは手つかずの奥山で生息している。 ところが里山に手入れがなくなりうっそうとした茂みとなると、 奥山と里山の境がなくなってしまう。 いわばクマが里山に迷い込んでくることになる。そして人に発見され、射殺される。 この意味でクマ問題も里山の象徴的な問題なのだ。これが国土の7割を占める山間地の「いま」の風景だ。能登半島の里山に育った私には奇観に映る。

 ⇒18日(火)午前・金沢の天気   くもり

☆ダイコンの菜は青々と

☆ダイコンの菜は青々と

   およそ1カ月前、あの総選挙はまるで死屍累々の関が原の戦いを見た思いだった。東軍の将(小泉総理)が圧勝し、天下を治めた。その戦の熱気が日本全体を覆っていたころ、金沢大学の五十周年記念館「角間(かくま)の里」の前の畑にダイコンの種がまかれた。その種が芽吹いて生長し、いまは青々とした菜っ葉が茂る。季節は確実に冬へと移ろっている。

   季節感を醸しているのは植物だけではない。昆虫もまたしかりである。カメムシがこの記念館の周囲を散策し始めた。越冬の準備のため、しかるべき「すきま」が家屋にないかウロウロとしている。このカメムシとはこの春、随分と気が合った。踏まぬよう、踏まれぬようと互いに気づかった仲である。カメムシとは対話もした。「カメムシ君よ、ちょっと臭いよ」、「アンタかて私を踏んだやろ」、「そらすまんかったな。これから気つけるわ…」

   きのう(13日)午後、スズメバチが1匹迷い込んできた。このハチのホバリング(停止飛行)は攻撃態勢を意味する。「やばい」と叫んだスタッフがハチ駆除用のエアゾールをブシュっと2度噴射した。スズメバチは撃退できた。問題はコストだ。噴射はまるで消火器のように1度で結構な量が出る。2度、3度でほとんどなくなってしまう。「これ1本いくら」、「2000円ほどです」、「そんなに高いんか、噴射するにも結構緊張するな」、「でも刺されたら、もっと高くつきますよ…」

⇒14日(金)朝・金沢の天気   はれ

☆アートな古民家

☆アートな古民家

     私のオフィスである金沢大学五十周年記念館「角間の里」にいろいろな才能を持った市民ボランティア「里山メイト」や大学のスタッフが集まる。中でも、女性たちがさりげなく創作している作品に見とれることがある。

    オフィスに入る際にくぐる「のれん」がある。里山メイトの女性グループがつくってくれた。ガーゼのような柔らかい布地に藍染めをほどこしたのれんだ。そののれんには、絣(かすり)などの古着の布でつくったトンボが3匹つけてある。のれんなのだが、私の目には秋晴れの空を泳ぐトンボを描いたコラージュ作品と映る。こののれんをくぐるとき、私は大空に飛び込むような気持ちになる。そして、柔らかな布地がほほに当たる感触はまるで雲に入ったような感じだ。そして癒される。

   「角間の里」の土間から見る部屋の前の廊下に、ひときわ香りのよいキンモクセイが生けられた。香りもさることながら、障子の板戸、キンモクセイ、甕(かめ)、藍染めの敷き物、柿渋で磨いた廊下を組み合わせ。この4つのエレメントで構成されるスケール感のある生け花だ。だから、美術館や会社の受付玄関に置いても見栄えはしない。土間のある築280年の古民家だからこそ華やぐ。

   こうした作品がさりげなく置かれるたびに、私は鑑賞する喜びを感じる。そして彼女たちも作品づくりが楽しそうだ。故・中川一政画伯の作品集「いのち弾ける!」(二玄社)の一文を思い出した。「目に見える形はかれる。目に見えない形はかれない」。作品より、創造への意欲や着想が湧き上がることが芸術にとって大切だ、との意味だろう。芸術論を語るつもりはない。「角間の里」という建物は、人の創作意欲や着想をちょっと刺激してくれる雰囲気のある空間だ、と言いたかったのである。

⇒9日(日)午後・金沢の天気  はれ   

☆実りは美しい

☆実りは美しい

  決して美しい棚田ではない。田も畦(あぜ)も草がぼうぼう。それでも収穫の喜びは格別である。

   金沢大学の里山自然学校ではきのう(1日)、角間キャンパスの北谷(通称「キタダン」)の棚田で稲刈りがあった。当初、稲刈りは9月24日を予定していたが生育を少し待って1週間遅らせた。

  普通の田とちょっと違っているのは冒頭の草ぼうぼうだ。3年前に市民ボランティア「里山メイト」の手で復元された棚田だ。田んぼは14枚あり、学術調査も実施されている。稲が植えられることでどのような昆虫や植物が棚田にやってくるのか、が研究テーマだ。土中や空中にトラップ(わな)を仕掛け調査が続けられてきた。だから、田植えの後はあえて草取りや農薬散布はせず、自然のままに保たれてきた。

   刈り取られた稲は五十周年記念館「角間の里」脇の稲はざにかけ、天日干しする。359束をすべてかけ終えると、作業に携わった人たちからパチパチと拍手が自然にわき起こった。収穫の喜びである。田起こしから始め、苗床づくり、田植え、ようやく稲刈りにたどりついた達成感だ。そして「実りは美しい」という実感もわいた。

   今回刈り取った稲はモチ米だ。それをどうするかと言うと、12月17日の「里山の収穫感謝祭」でもちつきをして皆で食べる。もちろん、ボランティアで参加してくれた市民や手伝ってくれた学生も招待する。収穫は皆で分かち合う。こんな美徳も農作業から自然と生まれたのであろう。田んぼに学ぶことは実に多い。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  くもり

★そばとソバの間

★そばとソバの間

  ひいきにしている金沢のそば屋から「新そば」の案内はがきが届いた。「・・・今年も若草色の暖簾の季節がやって来ました。今年の新そばも九月十五日より北海道から始まります。」。この店は新そばの季節になると若草色の「のれん」を出す小粋な店なのだ。

  季節感を強調することは商品をブランド化する重要な要素である。その最近の成功例はワインのボージョレーヌーボーだろう。わざわざ解禁日まで設定している。日本海のズワイガニも例年11月6日ごろに解禁となる。この場合、資源保護のため禁漁期間が設定されているのだが、解禁日が設定されると自然保護の思惑を超えて待ち遠しくなるものだ。季節感も取り込んで「味」にする、そば屋も随分と商売上手になったものだと思う。ちなみに、ひいきにしているそば屋は金沢の繁華街・片町にあり、ご主人が私と同じ奥能登出身ということで気が合い、通っている。東京で修業を積んだ「更科そば」である。

  そばと言えば、私が勤めている金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」の周辺で栽培されているソバが真っ白な花をつけている。畑をよく観察すると、ミツバチやチョウが忙しそうに飛び交っている。秋空に映えるソバの白い花、その花に群れる昆虫・・・。別の言い方をすれば、太陽の日差しで植物が生長し、その周囲に昆虫も息づく、そんなマクロからミクロへと連続するダイナックな生態系がこのソバ畑で見て取れる。

  そのソバの実を収穫し、そばとして加工して販売する。また味覚を楽しもうと行動を起こせば、それが経済活動(生産と消費)になる。そばを食べる所作をつくれば文化になり、それを年代ごとに論ずれば歴史となる。また、地域としてそばとソバをテーマに取り組めば「村おこし」という行政的なテーマにもなる。そばとソバの間を行き交うとそうした眼差し(まなざし)が生まれる。

  「9・11」という激動の衆院選があった9月がきょうで終わる。名残を惜しんでいるのではない。脳裏に刻んでいるのだ。

⇒30日(金)午前・金沢の天気  くもり

★京都の街で考えたこと

★京都の街で考えたこと

   京都市左京区は広い。大原の三千院も、そして9月18日に訪れた「京女の森」も同じ区である。ここは民主党の新しい代表、前原誠司氏の地盤でもある。山奥の小さな集落にも前原氏のポスターがまだ貼ってあり、衆院選挙の余韻が残る。

   私は京都という土地を踏むたびに、幾多の怨念や無念が渦巻いた歴史のことを想像してしまう。新選組や坂本竜馬らが行き交い、そして血を流した土地なのだ。そして何より、地元の人が「前の戦争の時、この当たりは焼け野原やった」という場合、「前の戦争」は太平洋戦争ではなく、「応仁の乱」(1467年-78年)を指す。この地に息づく独特の歴史感覚に京都人の凄みを感じる。

   もう一つ、凄みを感じさせるのが、京都ならではの「権威」という存在感だ。街には「大本山○○寺」「宗教法人○○本部」「茶道○○家元」「華道○○流本部」「財団法人○○会」などの寺社、ビル、看板がやたらと目に付く。会員100万人を擁する茶道家元があったとする。本部に上納する年会費が1万円だと100億円が自動的に集まる。また、有名なお寺は拝観料収入が入る。拝観料は非課税だ。そのようなマネーがこの地に一体いくら吸い込まれているのか、おそらく税務署でも全体を把握するのが難しいのではないか。

     よい意味で解釈すれば、日本における「知的財産権」をいち早く確立したのが京都人と言えるだろう。教義と流儀と作法を全国に流布し、広く薄く定期的にお金を集める「集金システム」こそ、京都におけるビジネスモデルの真骨頂ではないか。国際観光都市は京都の表の顔だが、上納で潤う「権威の都」という別の顔を持つ。この地を歩きながらそんなことを考えた。

 ⇒23日(金)朝・金沢の天気  くもり