⇒キャンパス見聞

☆続々・奥能登へ早春行

☆続々・奥能登へ早春行

  「金沢大学・タウンミーティングin能登」 (3月4日、5日・石川県能登町)では2日目に分科会があり、私は「食文化と地域資源」をテーマにした分科会のコーディネーターの役回りをつとめた。前述の星野さんを始め6人のパネリストの協力をいただいた。その分科会では、ある一つのテーマで意見が相違した。

   能登の食文化や食材を使って何をやるのか、である。星野さんは「能登に生きる人たちがその豊かさを自覚し、目が輝くことが大切だ。里山や自然をビジネスで考えるな」との持論を述べる。一方、輪島市の名勝、千枚田の近くで天然塩をつくり、「塩千俵」のブランドで売り出している山下昌展さんは「能登の食材や資源を使って魅力ある地域ブランドを生み出し、それぞれでビジネスモデルをつくり、たくましく能登で生きてこそ」と訴える。

   もう少し説明する。山下さんの塩は東京の代理店のネットワークを通じて、フランス料理で有名な三國清三氏や、京都の茶懐石「辻留」が使うようになった。それがきっかけでネット通販などでも有名商品となっている。奥能登の天然塩をブランド化し、ネット通販で全国に販売するというビジネスモデルをつくり上げた。小泉総理が有名にした「米百俵」をとらえて「塩千俵」をネーミングにし、全国で知られる千枚田の横に製塩所を置くという発想はかなり練り上げられたものだ。

   星野さんは前回の「続・奥能登へ早春行」で記したように、自分の語りや食文化で能登をアピールしている。能登の魅力を知ってほしい、訪ねてほしいと願っている。人が能登に来て土地の触れて、能登の人の目も輝く。それが能登の活力になるというのだ。

  星野さん、山下さんとはまた違った意見を持つある人の意見を聞きたかった。高市範幸さん。山中でそばを打ち、豆腐の燻製を「畑のチーズ」との商品名でネット通販をするほか、ブルーベリーワインや魚しょう油「牡蠣(かき)いしり」などオリジナル商品を持つ。元々、地域振興を指導する村役場の職員だったが、職を辞して自ら実践をしている。分科会ではパネリストとしてお招きしたものの、身内に不幸があり、急きょ深夜にUターン。コーディネーターの私にすればハプニングとなった。後日意見をうかがうことにする。

    で、相違する意見はまとまったのかというと、別にまとめようという主旨のタウンミーティングではない。おそらく永遠に続くテーマではある。

⇒8日(水)朝・金沢の天気  くもり

★続・奥能登へ早春行

★続・奥能登へ早春行

  今回の「金沢大学・タウンミーティングin能登」 (3月4日、5日・石川県能登町)では、地域起こしのリーダー的な存在の方々にも多数参加いただいた。その一人、輪島市の門前(旧・門前町)で「手仕事屋」=写真=という看板の店を出している星野正光さんの話は面白い。豆腐をつくり続けて40年。店ではそばと豆腐のセットメニュ-が好評。挽きたて、打ちたて、ゆでたての「三たて」にこだわる。そして「豆腐に旅は禁物」とその日に食する人だけに売る。

  星野さんたちの仲間26人が共同出資で「のとだらぼち」という郷土料理の居酒屋を東京・銀座5丁目に開店させた。99年11月のこと。「銀座に能登の玄関を」という触れ込みだ。この「だらぼち」というのは能登の方言で愚直なヤツという意味である。地酒や能登の旬の食材を出していて結構評判がいい。ここで店の会員を集めての月例会があり、星野さんたちが交代で出張っていき、能登の話題を酒の肴とともに供している。

  次第に会員の輪も広がり、星野さんはいつしか「能登のおやじさん」と呼ばれるくらいにファンも増えた。そこで今月21日から2泊3日で「雪割り草ツアー」という会員の能登旅行を企画した。28人が参加する。このツアーに参加する人たちも元学長夫妻や漫画の原作者ら多士済々だ。人を引き寄せる星野さんの魅力である。

  その星野さんの魅力の一つが独特の話し方のスタイルである。声は俳優の菅原文太ににているが、言い回しが禅問答のようなのである。「その食べ物に心はあるか」「過疎とは人数ではない。人の輝きの問題ではないのか」 といったような言い方をする。しかも話の入り口はたいてい辛口で突いてくるので、初対面の人は面食らう。私自身、20年ほど前に初めて会ったときは、斬られる思いをした。

  でも、最近その星野スタイルの理由が分かる気がしてきた。すぐ横の総持寺である。同寺は曹洞宗つまり禅宗である。これだけ近ければ幼い頃から雲水たちと接点があったろう。そして彼らの影響を受けたに違いない。そこら辺りを一度本人から聞いてみたいと思っている。

 ⇒7日(火)夜・金沢の天気  くもり   

☆奥能登へ早春行

☆奥能登へ早春行

 金沢大学が3月4日と5日の2日間にわたって開催した「金沢大学タウン・ミーティングin能登」の分科会のコーディネーターに指名され、奥能登に出かけた。私自身もこの地方の出身であり、何か心が騒ぎ、熱いものを感じた。そして集った人々が面白かった。そこで「自在コラム」は「奥能登へ早春行」と題してシリーズで。

  まず、会場の石川県能登町のホテル「のときんぷら」に着いた。これは能登の方言かと思ってしまうが、県の宿泊施設でかつては能登勤労者プラザと呼ばれていた。地元の人たちが愛称でキンプラと呼んでいたので「のときんぷら」をホテル名にした。ハプニングが起きた。会場入り口のタウンミーティングの看板を女性スタッフが見て大声を上げた。「こりゃダメだ。間違っている」

 地元の看板業者に発注した看板なのだが、開催期間が「3月4日(土)~3日(日)」となっていたのだ。これでは開催期間が365日になってしまう。急きょ、「3」の文字の上に紙を貼り「5」と修正した。その女性スタッフは「看板代金をきっちりとディスカウントさせます」と怒りが収まらない様子。これが波乱の幕開けだった。

  金沢大学のこの催しは「地域に開かれた大学」を合言葉に2002年度から輪島市、加賀市、白山市、珠洲市で開催していて今回で5回目。ことしのテーマは「能登の自然と文化を生かす途(みち)」。初日100人余りの参加があった。なかで、ひときわ声の大きな参加者がいた。安田宏三さん(62)、ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手の出身地である能美市の山間地で15年間、炭焼きをしている。

  顔見知りだったので、こちらから声をかけた。「安田さん、中国が木炭の輸出を禁止しましたが、国内産の炭の価格が上がって、儲かっているんでしょう」と。すると安田さんは「大手の貿易会社は確かに手を引いたが、日本の個人のバイヤーが中国の役人に鼻薬(はなぐすり)を効かせて地方の港からどんどん密輸しているんだよ。だから我々が期待したほど木炭価格は上がっていない。あの国は法律はつくってもザルやな、ガハハハ」と。

  今度は安田さんの方から。「ところで宇野さん。病院の救命道具に木炭が欠かせないって知ってた?」。「えっ、それって何か枕の下に置いて、ぐっすり眠るとかですか…」。「違うよ。救命道具には木炭を粉にしたものがあって、薬物自殺をしようとして運ばれた人に水で溶かして無理やり飲ませて一気に吐かせる。炭は薬物を吸着するから、胃の中を洗うって訳だ。どうだ、炭で命が救えるんだ」とテンションが高い。

  会議は午後1時半から5時半ごろまで、大学教授や地域起こしの活動家ら7人が能登の水産資源や森林資源の活用、バイオマス発電などさまざまな角度から話題提供をした。初日の会議が終わり、外を見ると夕日が山並に映えていた。

 ⇒6日(月)午後・金沢の天気 くもり   

★冬の名残に

★冬の名残に

 名残の雪というには少々多く積もった雪ではある。きょう3日の朝までの寒波は、冬物の衣装を仕舞いかけた人々の手を止めさせたのではないか。

  冬は最高のメーキャップ・アーチストである。雪というパウダーを山河に振りまき、その景色を一瞬に変えてみせる。この一年でいえば、春や夏や秋よりも、冬の方がずっとカメラの撮影回数が多かった。金沢大学のバス停からオフィスまで10分かかって歩いている坂道をこの日の朝は30分かけた。雪化粧に見とれていたのである。

  見慣れた風景が変わると、感情や感覚が異常に騒ぐ。そして行動までも変える。足元の道路のマンホールのフタが古墳時代の銅鏡のように見え(写真・上)、小さな河川の堰(えん)堤が何か遺跡のように見えたら(同・中)、心が騒がないほうがどうかしている。そして、山の竹やぶが巨大ダムの決壊を特撮した映画のシーンのように見えたら…(同・下)。まさに幻想の世界である。

  どう見えるか、想像はそれぞれにお任せする。冬という芸術家は何か意図を持って作品をつくっているわけではもちろんない。あれやこれやと鑑賞する人が楽しめばよいのである。その意味でこの冬は存分に幻想の世界を楽しませてもらった。

⇒3日(金)朝・金沢の天気 くもり

☆季節は移ろう

☆季節は移ろう

  私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」は春めいたとは言え、上の写真でご覧の通り、大屋根にまだ雪を頂いている。

   その上に見えるアベマキの枝の先端が赤みを帯びているふうには見えないだろうか。実物に目を凝らすと、枝先が赤紫色にけむっている。これまで堅く締まっていた冬芽が少しずつ膨らみ始めているのだ。まだ2月。でも、角間キャンパスの山々は冬の険しい表情から、優しい表情に変わりつつある。季節の移ろいを、木々の表情から実感するこの頃ではある。

   そしてきょう25日、人々の心は春を待ちきれないかのような光景があった。「角間の里」を拠点にボランティア活動をしている女性たちが七段飾りの雛(ひな)人形を組み立て始めたのだ。ワイワイとにぎやかな弾む声がすると思ったら、あっという間に組み上がっていた。

   階段を上り切って、ちょうど2階の正面に位置する。周囲の太い柱や梁(はり)とマッチしてどこかお城に飾られた雛人形のようにも見える。雛祭りは3月3日。ところで、金沢ではモモの花が咲く4月の旧暦まで雛人形を飾っておく習慣がある。そのことを聞いた関東出身の女性は「えっ、 3月3日過ぎても雛飾りを飾る女性はお嫁にいけないという言い伝えが関東にはありますが…」と雛人形を飾る時期に話題が弾んでいた。

  木々の芽が膨らみ、雛の心が騒ぎ出せば、三寒四温で春が来る。

⇒25日(土)午前・金沢の天気  はれ

★大雪を楽しむ

★大雪を楽しむ

  大雪にあって、雪を楽しむ。これほどぜいたくなことはない。金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」ではきょう27日から「雪だるままつり」が始まった。市民ボランティア「里山メイト」の面々や市民参加で思い思いの雪だるまをつくって楽しむという趣向だ。

  雪だるま、と言えば、北陸・石川県では白峰(現在・白山市)でのイベント。「角間の里」が白峰から移築した古民家(築280年)であることから、本家のイベントを盛り立てようと里山メイトの発案で企画された。参加を呼びかけると、市民100人、学生40人余りが参加する、大学では珍しいちょっとした大型イベントとなった。  

   その中で、凝った作品を一つ紹介する。「チョンマゲだるま」とでも名付けたらよいのだろうか、殿様の雪だるまである。これは髷(まげ)を雪で作るのがが難しい。そして顔の表情がとてもユーモラスである。

  お腹のあたりに穴が空いているのは、夜にろうそくの明かりを入れて、ライトアップも楽しむという仕掛け。このイベントは29日まで。

⇒27日(金)夜・金沢の天気  ゆき   

★金沢大の名物「1㌔がんぎ」

★金沢大の名物「1㌔がんぎ」

   年末年始の慌しさに目を奪われていて、外の雪をしかと観察しなかった。ふと、雨戸を開けて改めて外を見やると、ことしの雪は簡単には消えず、むしろ積み上がっていることに気がついた。きょう4日は金沢大学でも仕事始め。周囲は積雪60㌢ほどになっている。スタッフは建物の周囲の雪かきでこの一年のスタートを切った。

   学内のメーラーを久々に開いてみると、「除雪も大変でしょう」と年賀メールが入っていた。メールは東京から。随分と心配をいただいているようだ。

   そこで、返信メールに一枚の画像を添付した。それがこの写真。金沢大学の各学部の棟や図書館、生協食堂にいたるまでこのような屋根のあるアーケード(新潟で言えば「がんぎ」)でつながっている。学内の歩道は積雪ゼロ。もちろん雨の日なども傘をささなくてよい。

   ちなみに金沢大学角間キャンパスは201㌶あり、2つの谷がある。それぞれの谷にブリッジを渡し建物群をつないでいる。その橋にも屋根が施されている。建物の端から端までのアーケードは総延長は1㌔にも及ぶ。だから、自宅から大学までバスで到着すれば、後は何とかなるという訳だ。ただし、乗用車で通勤している職員は大変だ。朝、駐車場に入れることができても、夜は車ごと雪で埋まっているということもままある。

   しかし、それを差し引いてもこれほど雪対策に恵まれている大学はない、と実感している。金沢大学の名物は意外と、この「1㌔がんぎ」かもしれない。

⇒4日(水)午後・金沢の天気   ゆき   

★外は雪、中では「知の集積」

★外は雪、中では「知の集積」

  雪のまぶしさを久しぶりに感じた朝だった。雪原の純白さと、空の青さがなんとも言えぬ透明感があった。透明に近いブルーなのだ。この光景が目にしみて涙が出た。

   私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」はご覧の通り雪と調和して悠然としたたたずまいを見せている。何しろこの家屋は豪雪地帯である白山ろくで風雪を刻むこと280年の古民家を移築、再生したものだ。雪中にあって風格を醸す堂々たる家屋なのだ。

    昨夜、深々と雪が降る中、この「角間の里」であるセミナーが開かれた。テーマは「新技術コグニティブ無線とアメリカの取り組み」。端末が自分で空いている周波数帯を探し出して通信を始めることから、ユビキタスネットやブロードバンドで広く応用が期待される「コグニティブ無線」について、電波の規制改革が進むアメリカの実情を知るのがその内容だ。講師は、米FCC(連邦通信委員会)法律顧問のジェームス・ミラー弁護士。冷え込んだ外とは対照的に、古民家の中は随分と参加者の熱気にあふれていた。

   きょうの新聞各紙で、金沢市内でことし雷を観測した日数は今月25日現在で71日に上り、統計を取り始めた1886年(明治19年)以来、史上最多となった、と報じている。この12月でもすでに17日、雷が鳴り止まぬ日はないといった感じだ。ちなみに、金沢のこれまでの最多記録は2002年の64日。金沢はもともと雷が多く、平年で37.4日でトップ、2番目が山形県酒田市の36.0日だ。

   しかし、雪が降ろうが雷が鳴ろうがそんなことはどうでもよい。雪はいずれ融ける。「知の集積」こそが貴いのだ。雪と「角間の里」の写真を撮りながら、ふとそう思った。

 ⇒27日(火)夜・金沢の天気   くもり

☆あるシンポジウムへの誘い

☆あるシンポジウムへの誘い

  12月17日に金沢大学ではシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森  ~里山を『いま』に生かす」を開催する。私は大学の「地域連携コーディネーター」としてシンポジウムの運営に携わっていて、先日、友人たちに誘(いざな)いの手紙を書いた。
                     ◇
  友人の皆様
  年末の気ぜわしいときに、シンポジウムの案内です。このたび朝日新聞社と共催で、里山をテーマにしたシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森 ~ 里山を『いま』に生かす~」を開催する運びとなりました。

  去年から相次いで起きた身近な山でのクマの出没騒動に端を発して、一体いま山で何が起きているのか不思議でした。でも、よく考えてみれば、山と言えば白山や富士山、ヒマラヤを思い浮かべ、海と言えば沖縄やハワイの海に恋焦がれてきた私たちです。しかし、身近にある海や山には見向きもせず、随分とほったらかしにしてきました。

   その放置してきた身近な山々が荒れて、いつの間にかクマが行き交う「遠い山」になっていたのですね。「汝の隣人を愛せよ」、ではありませんが、私たちが幼い頃に遊んだ近くの野山に足を向けてみようよ、というのが今回のシンポジウムの主旨です。この発想で足元の環境問題や、教育問題(子どもたちがいつの間にか自然を怖がるようになっています…)を考える糸口をつかみたいと思います。

   基調講演には、81歳にして「いまが旬」の河合雅雄氏(京都大学名誉教授、霊長類学者)をお招きします。かつて芋を洗うサル、あいさつをするサルを発見し、河合氏のお弟子さんたちが今、サルに言語学習を施しています。何しろ、このお歳で子どもたちをボルネオのジャングルに連れて行き、いっしょにキャンプをしている天才にして野の人です。人間が自然の中で遊ぶことの奥深い意義と洞察についてお話をいただけるものと思います。

   お手紙にチラシと聴講券を同封しました。ぜひ会場に足をお運びいただければ幸いです。

 ⇒8日(木)朝・金沢の天気  くもり

★DNAの騒ぎ

★DNAの騒ぎ

  金沢大学「角間の里山自然学校」はにぎやかだった(26日)。自然学校が拠点としている五十周年記念館「角間の里」の前の畑では、秋に植えたダイコンの収穫が行われた。市民ボランティア「里山メイト」が自主的に栽培したダイコン畑。雨上がりで土壌が軟らかかったこともあり、ダイコンは意外とすっぽりと抜けた。

  この作業を道路から見守っていたある市民がポツリと、「金沢大学に農学部ってあったの…」と。確かにこのにぎやかな光景を見れば、そう思うかもしれない。

   収穫されたダイコンは漬物用に「角間の里」の軒下につるされた。軒下のダイコンは古民家に似合う。この写真のアングルはぜひ撮影したいと前からイメージしていた。視覚だけではない。ダイコン干しは郷愁を誘う。

      軒下の ダイコン眩し 冬来る

               ◇   

  先日、石川県野々市町にある国指定史跡「御経塚遺跡(おきょうづかいせき)」を訪ねた。この遺跡は縄文時代後期-晩期(3500~2300年前)の大規模な集落遺跡で、昭和29年(1954年)に地元の中学生によって発見された。集落は、中心部に祀り(まつり)に使われた広場をもち、広場の周りには竪穴建物跡が並んでいた。復元された竪穴式住居をじっと見つめていると、「ヒトの営み」がイメージとして浮かぶ。

   古代人はヒトのDNAに組み込まれたプログラムに従って、自然の中で生をまっとうしたのだろう。労働し、収穫を分配し、子孫を残し…。自然の循環と歩調を合わせた永遠のサイクルのようにである。翻って現代人はどうか。資源を奪い合い、収穫を独り占めしようとする。子孫のことを考える余裕もなく、互いに競り合って生きにくくし、自殺者が年3万人もいる社会になった。

  竪穴式住居の中をのぞくと、焚き火のかすかなにおいが漂っているようにも感じられ、どこか懐かしい思いがした。DNAが騒いだのだろう。

⇒27日(日)午前・金沢の天気   くもり