⇒ドキュメント回廊

★ブログと向き合った365日

★ブログと向き合った365日

 ブログを始めて丸1年になる。1年と表現すると感覚のデフレーションを起こしそうなので、あえて365日とした。事実、去年4月にブログを始めて一日一日の区切り、あるいは「けじめ」という充実感が日々あり、意味ある365日だった。

   ブログを始めたおかげで毎日の五感が研ぎ澄まされた。何かを文章表現しなければというある種の「知的な飢え」のようなものである。とくに視覚と言語感覚が連携を始めた。視覚、つまり撮影した1枚の画像から湧いてきた文章表現も多々ある。逆に文章表現によってこれまで視覚的に無視してきたモノに価値を持たせることができたケースもあった。

  「ブログを書く」という一つの行為が習慣を変え、習慣が変わることで思考方法が変わり、思考方法が変わることで人生観も変わった。これがブログを始めて一番大きな収穫ではなかったかと思う。「自在コラム」の365日を数字でまとめてみた。

  237 この1年間で書いた本数である。毎日書けば365本、これを100%とすると65%、つまり「ブログ化率」65%となる。始めたころは「意地でも毎日書こう」と張り切ったが、最近は「週3本ほど」を心がけている。私の書き方はタイトルでも銘打っているようにコラム形式を取っている。結論は出さないが、考え方を整理して書くという手法だ。日々のことを日記風に記録し云々という気負いはない。

  1187 週間のIPアクセス(訪問者)数で最高だった数字だ。「gooブログ」では毎日(7日分)と週間(3週間分)のアクセス状況(IPアクセスとページビュー)が表示される。3月19日から25日の1週間の間に1187人が訪れ、3665ページを見てくれたことになる。一時的だったがgooブログの50万サイトの中で700位ぐらいにランキングされた。この記念すべきヒット数の原動力となったのが「☆祈りの回廊‐野町和嘉ワークス」(3月20日付)だった。一日のIPアクセス数でも250を記録した。

  20 「自在コラム」では長文を避けるために1000字前後の文章を目安としている。このため、シリーズで小分けして書くことがままある。そのシリーズの最も長いのが20回。シリーズ名は「ブログの技術」。ブログ作成のノウハウをまとめたものだ。しかし、この企画は機会を見て再開しようと思っているので記録はさらに更新できそうだ。

 ⇒1日(土)午後・金沢の天気  はれ

☆祈りの回廊‐野町和嘉ワークス

☆祈りの回廊‐野町和嘉ワークス

 インターネット上ではすでに無数の動画があふれている。でも私自身これまで心を揺さぶられたとか、最後まで心して視聴したという動画は正直お目にかかったことはなかった。でも、きのう19日、初めて「感動もの」と言えるムービーとめぐり会えた。写真家、野町和嘉氏のサイトである。

  去年5月、金沢の知人の紹介で初めてサイトを見て、この「自在コラム」でリンクを勝手にはらせてもらっていた。きのう久々にサイトを訪問して動画の存在に気がついて視聴した。そして、目頭が熱くなった。

  野町氏はイスラム教のメッカ、カトリック教のバチカン宮殿、チベット仏教、ヒンズー教のインドと、それこそ彼自身が「祈りの回廊」と呼び、世界の宗教の祈りの現場を撮影に歩いた。死を迎えるため、200㌔も離れた村からインダス川のほとりにやってきた老女、マイナス10度のチベットの聖地を野宿しながら向かう人々、一日わずか15分しか日差しのない洞穴で祈りを捧げるエチオピアのキリスト教信者…。

  野町氏は「なぜ人々は祈るのか」を念頭に置き、撮影を続けてきた。その世界は、金で心も幸福も買えると信じている人々とはまったく別世界の人たちの姿である。そして、野町氏は「なぜ人間は祈るのか。それは人間のDNAかもしれない」と言う。自らの来し方行き先をふと振り返ってみると、余りにも慢心し敬虔さを失ってしまっている自分の姿が見えてくる。

  ストリーミングに引き込まれる。砂漠と天空のコントラスト、野町氏を受け入れ信者の目線と一体化したアングル。そこには自然と人間、生と死が活写されている。この映像をぜひとも文化遺産として残してほしいと思った。

 ⇒20日(日)朝・金沢の天気   くもり

★「理は利に勝る」

★「理は利に勝る」

   「山眠る」という言葉がある。季節が冬に移ろい、枯れ枯れとして精彩を失った山の様はまるで眠りこけたような静寂、との意味だろう。人の眠りは「死」と同意語だ。先日、人生の大先輩、Y・Sさんの訃報を受けた。

   前職のテレビ局時代、2年間にわたりY・Sさんから薫陶を受けた。酒は嗜まなかったが、部下の宴席によく顔を出し面倒見のよい人だった。ゴルフの腕前は全盛期のころはシングルの実力と他の人から聞いた。クラシックに造詣が深く、骨董もかなりの目利きと推察した。若いころ在阪のテレビ局の営業マンとして鳴らし、日清食品のカップヌードルをテレビCMという側面からメジャーに押し上げたアイデアマンだった。もはや「世界の日清」なので本来なら営業マン冥利に尽きる話である。その自慢話の一つもしたくなるだろうが、それを語ることはなく、ゴルフの腕前と同様に他の人から伝説の数々を聞いた。

   Y・Sさんから私が直接教えられた言葉が今でも忘れられない。「理は利に勝る」だ。山一証券や日本長期銀行の破綻が表面化した1990年代後半、テレビCMの売上は伸びず、ローカル局の営業マンは悪戦苦闘していた。薬事法などの法律に抵触しそうなものは論外として、公序良俗の面ではどうかと思われる物件がスポンサーから持ち込まれることもあった。その度にY・Sさんは「理に合わん」とそれらのCMの放送を却下した。テレビ局の収入部門を統括する立場にあったので、売上数字は喉から手が出るくらい欲しかったはずだ。しかし、「利を優先させたら、理が立たない。理が立たなければ会社も人も立たない」と譲らなかった。

   その後、他のテレビ局ではCMの間引きなどCMにまつわる事件が相次ぎ発覚する。コンプライアンス(法令遵守)という概念を今では各テレビ局が競うように取り入れるようになった。一般常識で考えておかしいと思うことを企業はしてはならないというは当たり前のことなのだが、利益を追求する企業の中でその当たり前が時として通用しにくい場合もある。それを全部飲み込んでY・Sさんは一途を通した。

   役員定年後に関西に戻り、ゴルフを存分に楽しんだようだ。ヤフーでそのお名前を検索すると、自宅近くのゴルフ場の運営委員にその名があった。享年69歳。

⇒20日(日)朝・金沢の天気   くもり