⇒ドキュメント回廊

★「ミクロ」の輝き3

★「ミクロ」の輝き3

 去年5月のこと。映画監督を名乗る31歳の女性が珠洲市にある製塩施設「塩田村」を訪ねてきた。人と塩をテーマに映画をつくりたいという。聞けば、スポンサーとなる映画配給会社や広告代理店もない。地元の人は当初、疑心暗鬼だった。でも、近くの民家を間借りして、撮影が始まった。監督自ら炊き出しをしながら(地元からいただた魚や海藻で)、カメラや音声のスタッフとともに炎天下の塩づくりを熱心に撮影し続けた。

          「ひとにぎりの塩」が問う、現代人の忘れもの

 能登の製塩方法は「揚げ浜塩田」と呼ばれる。塩をつくる場合、瀬戸内海では潮の干満が大きいので、満潮時に広い塩田に海水を取り込み、引き潮になればその水門を閉めればいい。ところが、日本海は潮の干満が差がさほどないため、満潮とともに海水が自然に塩田に入ってくることはない。そこで、浜から塩田まですべて人力で海水を汲んで揚げる。揚げ浜というのは、人力が伴う。しかも野外での仕事なので、天気との見合いだ。監督のCさんが魅せられたのは、条件不利地ながら自然と向き合う人々の姿だった。

 今では動力ポンプで海水を揚げている製塩業者もいるが、かたくなに伝統の製法を守る塩士(しおじ、塩づくりに携わる人々)もいる。人がそれこそ手塩にかけてつくる塩、それは人が生きる上で不可欠にして量産には限度がある。これこそ人がつくり出すモノの「最高傑作」ではないのかと、Cさんは気づく。これを数百年間つくり続ける能登の人々。ひとにぎりの塩をつくるために、人はどのように空を眺め、海水を汲み、知恵を絞り汗して、火を燃やし続けるのか。現代人が忘れた、愚直で無欲でしたたかな労働とは何か、と問い続けた。

 さらにことし3月11日、東京で大地震に遭った。電気が止まり、バスや電車がストップした。都市基盤の弱さ。なすすべなく、黙々と歩くしかない人々。Cさんは思った。「脆(もろ)い」。現代文明は市場で約束されたことしかできない。売り買いが成立しなければ、生活すら危うい。それに比べ、能登で目にする人々の生活は売り買いの契約ではなく、「贈与」にあふれている。野菜を魚を、互いに裾分けして助け合う。似ているが物々交換とも異なる。強いていえば、無償の隣人愛なのかと。

 足かけ2年、つい先日、映画は完成した。ドキュメンタリー映画「ひとにぎりの塩」。私はまだ映画を観ていない。ただ、Cさんとの会話から、映画のストーリーを勝手に脳裏に浮かべている。映画には英語字幕もつける予定で、作品を世界に問う。ひょっとして、この映画、現代文明への大いなる問いかけにかるかもしれない。そして、日本人が「能登が日本にあってよかった」と感想を漏らすかもしれない。先行上映会が10月8日に珠洲市である。楽しみにしている。※写真は、「塩田村」のホームページから

⇒4日(火)朝・金沢の天気   はれ

☆「ミクロ」の輝き2

☆「ミクロ」の輝き2

 講演会のチラシなどで、ソーシャル・ビジネス(SB)という言葉を最近よく目にする。地域社会の問題をビジネスを通して解決していくという意味合いだ。では、過疎・高齢化が進む地域ではどのようなビジネスを新たに興せば、その地域が活性化していくのだろうか。これから示す例がSBに当たるかどうか分からない。が、お年寄りたちの目が輝き始めている。

      お年寄りの目を輝かせたい、能登の「サカキビジネス」 

 Bさん(28)は金沢市内の生花店に勤める男性だ。週2日ほど能登半島の北部、能登町で借りている家にやってくる。今年2月に発表された国勢調査の速報値でも、能登半島の北部、「奥能登」と呼ばれる2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)は軒並み5年前の調査に比べ、人口が10%減少している。高齢化率も35%を超え、人手が足りなくなった田畑の耕作放棄率も30%を超える地域だ。

 奥能登では、Bさんの仕事は「サカキビジネス」と呼ばれている。里山の集落を回って、サカキの出荷を呼びかけている=写真=。サカキは、古くから神事に用いられる植物であり、「榊」という漢字があてられる。家庭の神棚や仏壇に供えられ、月に2度ほど取り替える習わしがある。このサカキは金沢などでも庭先に植えている家庭が多い。種類は、ホンサカキとヒサカキの2種がある。

 Bさんのサカキビジネスをさらに詳しく見てみよう。能登では裏山にヒサカキが自生している。これを摘んで束ねて出荷してもらうのだ。サカキは摘みやすく、高齢者でも比較的楽な作業である。これを「山どり」と呼んでいる。さらに、Bさんは、計画出荷ができるようにと、耕作放棄地の田畑に挿し木で植えて栽培することを農家に勧めている。

 この能登産のサカキは、金沢市内では一束150円ほどで販売されている。実は、ス-パーなど市場に出回っているサカキの90%以上は中国産だ。「地元産のサカキに合掌したいというニーズもあるはず」と、Bさんは能登産に狙いをつけた。過疎や高齢化で進む耕作放棄地と、お年寄りの労働力があればビジネスは成立するのではないか、と。徐々に出荷するグループが増え、4、5人のお年寄り仲間で年間出荷額100万円を売り上げるところも出てきた。こんなグループが10できれば1000万円、100できれば1億円の売り上げになる。お年寄りにすれば「小遣い稼ぎ」ではあるが、点が面になったときに産地化する。

 山の葉っぱを集めて料理屋に卸す徳島県上勝町の「彩(いろどり)事業」は葉っぱビジネスとして知られる。上勝町が取り扱う、南天や紅葉の葉、柿の葉は320種類になる。この事業を支えているのはお年寄りだ。都会には季節感が薄く、料理屋からの葉っぱのニーズは高い。上勝町では町長らが音頭をとって支援している。能登産サカキも、最近になって農協(JA)がサカキ生産部会を組織して、集団で栽培に取り組むようになってきた。Bさんのまいたタネは広がっている。

 初対面はBさんが24歳のとき。話ぶりはぼくとつとして言葉も粗く、とても人前で話せるようなタイプではないと思っていた。ところが、最近ではパワーポントを使って説明会もこなしている。まだまだだが、確実に成長している。地域の活性化をしっかりと支えるのはカリスマではなく、むしろ若くぼくとつしたタイプなのかもしれない。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  くもり

★「ミクロ」の輝き1

★「ミクロ」の輝き1

 市井でオーラを放ち、その生き方に共感する人々に影響を与え続ける人こそ本来の輝きと私は思っている。人の輝きを見つめないと、いつまでたってもトレンドやマーケットに踊らされるばかりだ。人の活動の本質が見えてこない。私が知る、狭い範囲でも輝いている人は何人もいる。肩書きがつく偉い人ではない、マーケットを左右するような人でもはない。おそらく歴史の中で埋もれゆく人たちである。ただ、いま輝く人とはこのような人たちだ。ローカルの話である。題して「ミクロ」の輝き。

          CO2排出の収支計算をして変わった炭焼き人生

 自分の職業が環境にどのような影響を与えているだろうか。たとえば二酸化炭素。これを空中や社会にまき散らし、「儲かった、儲かった」と喜んでいる人たちは多い。環境に謙虚な気持ちを持つ人々ならこれを疑問に考えるだろう。それに真剣に取り組んでいる人の話だ。

 能登半島の先端・珠洲市に在住するAさん(34)。日本でも数少ない炭焼きの専業者だ。「自分の仕事は、巷間で言われているように本当にカーボンオフセットなのか。違うのではないか」。木炭は、二酸化炭素を吸収した樹木を焼くので本来ならば二酸化炭素の排出はゼロである。ところが、炭焼きという仕事となると、木の切り出しにガソリン使用のをチェーンソーを使い、運搬や出荷にトラックを使用するのでトータルでは二酸化炭素を排出していることになる。Aさんは悩んだ。そして大学の門をたたいた。

 大学の教員とともに、ライフサイクルアセスメント(LCA=環境影響評価)の手法を用い、自らの2004-2009年にかけての製造、輸送、販売、使用、廃棄、再利用までの各段階における環境負荷をコツコツと帳簿をひっくり返しながら計算することになる。さらに、自らの炭焼きよるCO2の排出量と、植林や木炭の不燃焼利用によるCO2固定量を比較することで、炭焼きによるCO2削減効果の検証を行った。また環境ラベリング制度であるカーボンフットプリントを用いたCO2排出・固定量の可視化による、木炭の環境的な付加価値化の可能性をとことん探った。仕事の合間で2年かけ、2010年2月に二酸化炭素の排出量の収支計算をはじき出すことができた。

 その結論。彼の炭焼き工場の場合、不燃焼利用の製品割合が約2割を超えていれば、木炭の生産時に排出されるCO2量を相殺できるということを計算上で明らかにした。不燃焼利用とは、木炭を土壌改良剤や建築材として製品出荷すること。つまり、燃やさず固定するのである。彼はさらにカーボンマイナスへの可能性を探る。つまり、植林によって新たなCO2吸収源を拡大し、CO2 固定量を増やすのだ。このあたりから、Aさんの目は輝き始めた。自らの業(なりわい)に確信が生まれたのだ。

 彼は今、6000本を目標にクヌギの木の植林運動を進めている=写真=。クヌギの木は茶道用に使う「お茶炭」の材料となる。次なる目標は環境と経済の両立だ。付加価値の高い木炭を生産することで目標突破を目指す。彼の考えに賛同し、支援する人も増えてきた。来る11月6日(日)のクヌギの木の植林活動には手弁当で150人もの人たちが珠洲の山中に集まる。金沢や東京からも。

⇒29日(木)夜・金沢の天気  あめ

★佐渡とグアムの島旅5

★佐渡とグアムの島旅5

 水質調査をした訳ではないが、ジャングルの豊富な栄養分をタロフォフォ川が湾に注ぎ、川だけではなく、外洋の植物プロンクトンの増殖に影響を与えているのではないか。ガイド役のジョンは、川の流れが注ぐタロフォフォ湾には多くの魚が生息していて、「ちょっと深いところにはイルカもいる」と話した。湾は海の水と川の水が混じる汽水域(きすいいき)と呼ばれる。畠山重篤氏は著書『鉄は魔法つかい』の中で「川の水が注ぐ海、汽水域は、フルボ酸鉄が注ぎこむので海藻と魚介類が育ち、人間と生き物たちが交錯するところです」((P.190)と述べている。察するに、タロフォフォ湾やその周辺、さらにグラム島は古代より格好の漁場なのかもしれない。

            ~ 海の民・古代チャモロ人の姿をほうふつと ~

 グアム政府観光局のホームページは、グラムの豊かな海について紹介している。「海中を彩っているのは、魚達だけではありません。様々な形で海中に素晴らしい造型美を見せてくれるサンゴはもちろん、赤や黄色、白など、豊かな色彩で海中の花園を造っている、イソバナやウミンダ、妖しい美しさのイソギンチャクも。現在、グアムの海には約300種類のサンゴと、50種類におよぶソフトコーラル類が生息しています」と。

 では、「川は海の母」と語るチャモロ人は海とどうかかわってきたのだろうか。『Island Time(アイランド タイム)vol.17』というグアム情報誌に、「スピアフィッシング 先祖の暮らしを支えた海に今、再び潜る」という特集があり、そこにはチャモロ人の漁労の歴史が詳しく述べられている。かいつまんで紹介する。古代チャモロ人の生活は海からの恵みによって支えられていた。人々は海に潜ってモリ=チャモロ語でフィスガ=で魚を捕まえ、暮らしの糧としていた。モリの刃には動物の骨が使われていたが、1600年代にスペイン人がグアムに金属を持ち込み、金属製の刃が使われるようになって、モリで魚を仕留める技術は格段に進歩した。漁場では、ココナッツの葉などを燃やし、その灯りで魚をおびき寄せるスロという呼ばれる漁法も用いていた。チャモロ人は、必要以上には捕獲せず、その日の食べる分だけ捕獲し、食べ物を分け合うという精神を育んだ。先のグアム政府観光局のホームページでも、「グアムの漁師は、今でも古代チャモロ人が編み出した方法(投げ縄)で漁を行っています」と。伝統は脈々と受け継がれている。

 グアム国際空港で、古代チャモロ人の漁労のいでたちを描いたポスター=写真・右=が貼ってある。右手にフィスガを持ち、まるで戦士のような勇壮な姿である。ちなみCHAIFIとは「友達になる」というチャロモ語らしい。そして、タモン湾地区のマクドナルドの店では、古代チャモロ人のイルカ漁を描いた絵画=写真・左=が掛けてあった。丸木舟でイルカを追いかけ、若者が潜ってイルカを捕まえる。想像画ではあるが、海洋の民・チャモロ人の姿をほうふつさせる。
 
 グアムの旅の最終日(19日)、ホテル近くの水族館を見学した。海底を再現した巨大な水槽の下を歩く。その名も「トンネル水族館 アンダーウォーターワールド」。100㍍の「海底トンネル」からは、パンフによると「100種類4000匹」の魚が観察でき、中にはハタ、ウミガメ、サメ、エイなど大型の海洋生物なども見ることができる。立ち止まってよく見ると、海に沈んだ旧日本軍の戦闘機や沈没船とおぼしき残骸=写真=もあり、鑑賞する人によっては痛々しく感じるだろう。が、それらは魚たちの魚礁にもなっていて、複雑な思いだ。

 15日の佐渡の天然杉の見学から始まって、19日のトンネル水族館まで、5日間の島旅は山と海の生態系、そして人の関わりを考えるよいテーマに恵まれた。

⇒20日(火)朝・金沢の天気 あめ

☆佐渡とグアムの島旅4

☆佐渡とグアムの島旅4

 グアム島の地図を眺めていると、ぽってりとした芋虫の這う姿に似ている。その西側はフィリピン海、東側は太平洋である。ホテルがあるタモン湾はフィリピン海に面している。18日午後から島の南、太平洋側に注ぐタロフォフォ川をさかのぼるリバー・クルーズのツアーに参加した。ここで思いがけず「グアムの森は海の恋人」を目の当たりにすることになった。

         ~ 「母なる川」と呼ばれるタロフォフォ川 ~

  クルーズのガイドはジョンとマンティギという先住民チャモロ人の血を引く男性2人だ。クルーズはジャングルの中を縫うように流れるタロフォフォ川をさかのぼり、途中、川沿いの古代チャモロ村落跡を訪ね、ラッテ・ストーン(建造物の土台)などの遺跡を見学するほか、ハイビスカスの乾木を使った伝統的な火おこしやヤシの葉編みのアトラクションを見学するという4時間ほどのツアーだ。

  川の流れはタロフォフォ湾に注ぐ、グアムでも比較的な大きな川だ。上流へとさかのぼるにつれ、うっそうとしたジャングルの樹木の枝が川面に垂れ、遊覧船はそれを押しのけるようにして進む。ジョンが「この川にはワニはいないけど、大きなマナズがいるんだ。あそこにうようよいる」と流ちょうな日本語で指をさした。そしてあらかじめ用意してあったパンをちぎって川面に投げると70~80㌢はあるナマズやサヨリに似た小魚の群れがワッと集まり=写真=、辺りが黒くなるほどだ。ブラックバスやウナギなどもこの川には豊富にいる、という。

  ジョンが「ヨコイはこの川の上流で28年間も自給自足の生活をしていたんだ。彼が発見されて、この川のナマズの焼いたのがうまかったと言っていたらしい」と解説した。クルーズに参加した10人のほとんどは若いカップルや家族で、おそらく若い世代にはヨコイは何者か理解できなかったはずだ。横井庄一(1915‐1997年)、元日本兵。終戦後も配属先のグアムに潜み、1972年にタラフォフォ川でエビを採っていたところを現地の猟師に見つかった。彼はグアムでは英雄だ。28年間も完全自給自足、究極のサバイバルに挑んだ男として。横井が暮らした穴居は「Yokoi Caves」として観光マップにも掲載されている。

  興味を持ったのは、ヨコイも漁をしたタロフォフォ川だ。この川の水はうす茶色だ。ジョンとマンティギに「上流で工事をしているか」と尋ねたところ、「昔からこんな色の川だ」との返事だった。そこで思い出したのが畠山重篤氏の『鉄は魔法つかい』の中で北海道・襟裳岬の「はげ山復旧事業」を紹介した下りだ。「うす茶の色は、まちがいなくフルボ酸鉄の色です。復活した森の中で生まれたフルボ酸鉄が、ゆっくり地下に浸透し、水路から海に流れ出しているのです。森の土は、粒子が細かく赤茶けていて、鉄分が多そうでした」(P.177)。川の水が茶色に濁っているのは、フルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)を多く含むからだ。そしてフルボ酸鉄は、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせない。この川にナマズやウナギ、エビなどの魚介類が多く見られるのは本来の豊かな川なのだと気がついた。そして切り立った川べりの土を見ると鉄分を多く含む赤土だった。

  そこでジョンとマンティギに聞いた。「この川は海にも恵みをもたらしているのではないか」と。するとジョンは「そうだ。チャモロ人は昔から母なる川と呼んでいるよ」と。グアムでは、「森は海の恋人」ではなく「川は海の母」なのだ。

⇒19日(月)朝・グアムの天気   はれ

★佐渡とグアムの島旅3

★佐渡とグアムの島旅3

  関西空港の出発ロビーはゴールデンウイーク並みにごった返していた。これも「超円高」のある意味で恩恵なのだろう。現地時間15時ごろ、グアム国際空港に着いた。そこからタクシーで10数分、島のほぼ中央の西側、タモン湾を臨むホテルに入った。観光名所となっている恋人岬(TWO LOVERS POINT)に近い。さらに北にはアンダーソン・アメリカ空軍基地(グアムはアメリカの準州)がある。

           ~ 和モダンとミクロネシアの海辺 ~

 グアム旅行は昨年10月に続き2度目なのだが、最初家人が行こうと提案したとき、余り乗り気ではなかった。正直言って、使い古された南国のリゾ-ト地という、さびたイメージがあったから。もっと悪く言えば、ショッピング(免税)とゴルフの島なのだ、と。個人的には双方とも縁がない。それでも家人は気に入ったらしく、2度目も「家族孝行」と思いやってきた。

 ところが、ホテルに到着して、ちょっとイメージが変わった。このホテルは初めてなのだが、3年前に改装したという。フロントがあるロビーが何かモダンな感じがした。さびた感じのミクロネシアのリゾ-ト地らしくないのである。和模様のイス、屏風を思わせる壁面。和風モダンなのである。漆を塗った竹編みのかごもさりげなくインテリアとして並べてある。ロビーを抜けて海岸に向かって歩くと亜熱帯の植物が配され、池にはニシキゴイが泳ぐ。そしてビーチに出ると、そこは間違いなく、ミクロネシアの海が広がる。

 これは発見だった。この和モダンとミクロネシアの海辺の絶妙な空間デザインは誰の手によるものだろうか、建築デザイナーの名前が知りたくなった。

⇒18日(土)朝・グアムの天気  はれ

★佐渡とグアムの島旅1

★佐渡とグアムの島旅1

 きょう(15日)、新潟県佐渡市に渡った。波も穏やかで、新潟港からのジェットホイル(高速旅客船)は滑るように走った。この船は、船外から大量の水をポンプで吸い込み、高圧で水をジェット噴射して進む。時速計を見るとおよそ80㌔で走行している。滑るような感覚は、海面より浮上して航行するので、波で揺れないということらしい。船酔しやすい体質の自分にとっては快適だった。船旅は60分余り。12時30分すぎに、佐渡・両津港に着岸した。快晴、気温は30度。島に来たという、ある種の爽快感があった。引き続き17日から家人とともにグアムを旅する。グアムも島。この2つの島めぐりを「佐渡とグアムの島旅」と題して、紀行で見たこと聞いたことを記したい。

          ~ 佐渡で見た天然杉の凄み ~

 佐渡行きは、新潟大学「朱鷺の島環境再生リーダー養成ユニット」の特任助教、O氏から講義を依頼され引き受けた。同大学は佐渡に拠点を構え、社会人を対象とした人材養成にチカラを入れている。同大学にはトキの野生復帰で培った自然再生の研究と技術の蓄積があり、これを社会人教育向けにカリキュラム化し、地域で生物多様性関連の業務に従事する人材を育てることで、地元に役立ちたいと願っている。金沢大学が能登半島の先端・珠洲市を拠点に実施している「能登里山マイスター」養成プログラムと同じ文部科学省の予算(科学技術戦略推進費)なので、「兄弟プロジェクト」のようなもの。お願いされたら断れない…。

 そんな内輪の話はさておき、講義が始まる15時30分までは時間がある。O氏が気を利かせてくれて、大佐渡山脈の「石名の天然杉」に案内してくれた。大佐渡には金北山(1172㍍)や妙見山など1000㍍級の山があり、「天然杉の宝庫」とも言われる。O氏の解説で1時間ほど山歩きを楽しんだ。江戸時代に金山で栄え、幕府直轄の天領だった佐渡は、金山で精錬に使う薪炭を確保するため、山林も幕府が管理していた。明治に入って県が買い取って多くの山林が県有林となった。今回めぐった石名の天然杉の遊歩道はその中の一部。気温は低く風が強いという環境のため、建築材に適さなかった杉が切り出されることなくそのまま残っている

 標高は900㍍付近なのでもうすっかり秋の様相になっている。海辺で聞こえていたセミの鳴き声も聞こえず、辺りは静寂だった。今年5月に開通したという遊歩道を歩くと、「四天王杉」と呼ばれる巨木=写真・上=がひと際目立ち、風格を漂わせている。枝は下に向いて生え出し、幹も1本なのか4本なのかよくわからないほどに束なっている姿には、日本海の風雪に耐えて威勢を張る、ある種の凄みがある。幹周り12.6㍍、樹高は21㍍。7階建てのビルくらいの高さだ。推定樹齢は300年~500年。ほかにもマンモスの象牙のような枝をはわせる「象牙杉」=写真・下=、樹木の上の樹相が丸形の「大黒杉」があって、天然杉のミュージアムといった雰囲気だ。

 下山して、「トキ交流会館」に到着した。15時30分から、「朱鷺の島環境再生リーダー養成ユニット」の講義を始めた。市職員を4人を対象にした講義。テーマは「大学が地域と連携するということ」。そのレジュメ。1)世界農業遺産(GIAHS)認証を佐渡と能登が得た意義、2) 大学が地域と連携するということ、3) 能登の先端「サザエのしっぽの先」から何が見えるのか~ 地の利を考えると、東アジアを見渡す視点が広がる、4)まとめ:「里山と里海」の未来可能性を探る~大学と地域が連携し、半島と島から発信する持続可能な社会を、と話を進めた。

 佐渡市は、トキの野生復帰を契機として「エコアイランド佐渡」を標榜し、地域の自然再生や循環型農業、グリーンツーリズム型観光などを推進することによって先進的な循環型社会づくりを目指している。一方で、36%を超える高齢化率(人口に65歳以上が占める比率)や疎化が急速に進行している地域のひとつでもある。能登半島とよく似ている。ただ、考えようによっては天然杉のごとく、土地に根を張って生き抜いてきたしぶとさが人々にはある。流行を追わず、島や半島といった条件不利地に生きる逞しさこそ、現代人が求めているものではないか。O氏は言う。「山で採った山菜をおすそ分けしようとすると、そんなに貧乏ではありませんと断る気風が島にはあります」と。確かに、島の人々の語り口調には、淡々とした自尊の気風が漂う。

⇒15日(木)夜・新潟の天気  はれ

☆「老兵」は能登で復権

☆「老兵」は能登で復権

 愛車について。2004年に購入した「アベンシス」は、当時、トヨタがイギリスで生産している「欧州車」が売りだった。購入の動機は、デザインがよかったからだ。当時49歳という年齢でもあって、派手さはなく、どちらかと言えば渋めでトータルデザインが落ち着いて、飽きがこない車を求めていた。何台か見て周り、その中でアベンシスが一番しっくりときた。車体の色は濃紺にした。

  デザインだけではなかった。乗り心地もよかった。車の基本性能の面でも、シートはしっかりとしていて、操縦に安定性がり、遮音の良さ、ドアを閉める時にボンと心地よく響く。ただ一つ不満があった。それは燃費だった。レギュラーガソリンでの市内走行は、1㍑当たり7㌔がせいぜい。2、3年前からそろそろハイブリッド車にとの思いが募っていた。

 そのころから大学のブログラムを運営するために能登通いが始まった。当初は大学の共有車(プリウスやプレサージュなど)を予約を入れて使っていた。その能登通いも頻繁になる連れて、予約もままならぬようになってきた。そこで、昨年秋ごろから、アベンシスを能登の往復用に使うことにした。大学から能登半島の目的地までざっと150㌔の距離になる。往復で300㌔だ。6年目の「老兵」に、わが身をだぶらせながらムチ打つつもりで使い始めた。

 ところが、これがよく走る。金沢の山側環状道路から白尾インターチェンジを経由して能登有料道路を走るが、能登空港までの約100㌔は信号がない(料金所は4ヵ所ある)。さらに半島の先端・珠洲市まで主要地方道を使うが、信号は数えるくらいだ。セルフの石油スタンドで満タンにして往復し、また満タンにしてガソリン消費量と走行距離とを計算すると1㍑当たり20㌔なのだ。

 今ごろになって調べてみると、エンジンは直噴式ガソリン仕様の2Lエンジンとの説明がある。特徴は、排出ガスのクリーンさで、超-低排出ガスレベルを達成しているという。確かに欧州の排出基準をクリアしたとの「三ツ星」のステッカーが貼ってある。さらに、連続高速走行の多い道路では、抜群の安定感と燃費を発揮する、とある。つまり、金沢のような城下町の都市構造はクネクネとした、信号だらけの道路で、アベンシスが持っている本来の性能が発揮できないのだ。

 さらに、往復300㌔運転しても疲れないのだ。大学の共有車のプリウスで何度も通ったが、疲労感が出る。ところが、アベンシスはシートのしっかり感と、操縦の安定性、遮音の良さで体と精神への負荷が少ないことに気がついた。

 気づかなかった。見た目のスタイルだけで判断して購入していた。市内走行で燃費が悪いとグチッていた。本来の車の走りについてもっと知るべきだった、と今さらながら反省の弁だ。こうなると、不思議と「老兵」に対する敬意やら、いとおしさが出てくる。老兵は能登で復権したのだ。輸入採算性の悪化で、トヨタはイギリスからの輸入を2008年に停止すると発表している。もうしばらく、いたわりながら能登の往復300㌔を走らせてやりたい思っている。

※写真は、輪島市曽々木海岸をバックにした愛車

⇒9日(木)夜・金沢の天気  雷雨

★ベートーベンの響き

★ベートーベンの響き

 おそらく日本人ほど「第九」が好きな民族はいない。その曲をつくった偉大な作曲家ベートーベンを産んだドイツでも第九は国家的なイベントなどで披露される程度の頻度なのだ。それを日本人は年に160回ほどこなしているとのデータ(クラシック音楽情報サイト「ぶらあぼ」調べ)がある。これは世界の奇観であろう。

  年末になると指揮者の岩城宏之さん(故人)=写真・上=を偉業を思い出す。2004年と2005年の大晦日にベートーベンのシンフォニーを一番から九番まで一晩で演奏した人である。世界で初めて、しかも2年連続である。それはCS放送「スカイ・A」で生中継、05年のときはインターネットでもライブ配信された。私は放送と配信の仕掛けづくりに携わった。

  意外な反響があった。そのCS放送を、帰国した野球の松井秀喜選手が自宅で見ていて、「(岩城さんは)すごいことに挑戦しているいる」と思ったという。また、当時岩城さんもニューヨークヤンキーズで活躍する松井選手に手紙を出すほどのファンになった。そして、岩城さんはオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で応援歌をつくり、世界へ発信する構想を温めていた。「ニューヨークで歌っても様になるように」と、歌詞は簡単な英語のフレーズを含むことも考えていた。この2人は会うことなく、06年6月に岩城さんは他界した。応援歌構想の遺志は引き継がれ、宮川彬良(須貝美希原作、響敏也作詞)/松井秀喜公式応援歌『栄光(ひかり)の道』とうカタチになった。曲の中の「Go、Go、Go、Go! マツイ…」というサビの部分は松井選手が出番になるとヤンキー・スタジアムに響いたのだった。

  話は岩城さんのベートーベン全交響曲演奏に戻る。このときは演奏者はN響メンバーを中心にOEKメンバーも加わった混成チーム「岩城オーケストラ」だった。指揮者も演奏者たちも、そしてその挑戦者たちを見届けようとする観客も一体となった、ある種の緊張感が会場に張り詰めていた。そして元旦を向かえ第九が終わるとスタンディングオベーション(満場総立ち)の嵐となったのは言うまでもない=写真・下、06年1月1日、東京芸術劇場=。岩城さんは演奏を終えてこう言った。「ベートーベンのシンフォニーは一番から九番までが巨大な一曲。だから全曲を一度で聴くことに価値がある」と。今にして思えば凄みのある言葉である。

  松井選手がことし11月、ワールドシリーズ第6戦で2ラン、6打点をたたきだしてヤンキースを優勝に導き、MVP(最優秀選手)に耀いたときのニューヨーク市民の歓喜の嵐と、岩城さんのベートーベン演奏のスタンディングオベーションが、私には今でも重なって聞こえる。

⇒22日(火)夜・金沢の天気  くもり

★おっぱいはお尻の擬態

★おっぱいはお尻の擬態

 動物行動学者の日高敏隆さんが逝去された(11月14日)。享年79歳。2度お会いするチャンスを得た。一度目は、06年8月30日、当時、総合地球環境学研究所(京都)の所長時代、その年の10月9日に開催した「能登半島 里山里海能登自然学校」のキックオフシンポジウムの基調講演のお願いをするための訪問だった。総合地球環境学研究所は京の森に囲まれた環境にあり、名称の印象から受ける威容さを削いだ洒脱な建物だった。日高氏の人柄もそのような感じの第一印象だった。

 お話をさせていただくと、専門の動物行動学の話になった。女性の下着メーカーのワコールが中心となって乳房(にゅうぼう)文化研究会を発足させ、なぜ女性のおっぱいは大きく丸いのかという形状を研究しているという。そのメンバーである日高氏は面白い話をしてくれた。いわく「おっぱいはお尻の擬態である」と。詳細は後段で記すが、目からウロコが落ちて、本人には失礼だったが笑ってしまった。本人も笑う姿を見て「どうだ参ったか」と言わんばかりにニヤリと。

 2度目にお会いしたのは、10月9日の珠洲市でのシンポジウムだった。日高氏の基調講演=写真=のタイトルは「自然界のバランスとは何か」。私はシンポジウムの司会者だった。講演の後、会場から質問が相次ぎ盛り上がった雰囲気となった。時間はオーバーしていたが、司会者の特権であえて「おっぱいはお尻の擬態」論に水を向けた質問をした。基調講演の締めくくりに会場から笑いを取ってやろう下心があった。日高氏も心得ていた様子で即座に乗ってきた。以下は、講演の録音テープから質問に答えていただいた部分の抜粋である。

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 変な話なのですが,進化とは何をもって進化というかということになるのですが,先ほど象という動物が鼻を大きくしたというお話をしましたけれども,なぜそのようになってしまったのかよく分かりません。
 鼻が大きくなったのも進化一つなのでしょうが,人間の場合は,京都にワコールというブラジャーの会社があります。あそこが中心となって,乳房(にゅうぼう)文化研究会というものをやっています。要するに,人間のおっぱいは子供に乳をやるための器官です。ところが,普通の動物の乳房は,大体哺乳類以外は細長く,乳首が長くて子供が乳を非常に吸いやすいようにできていますが,人間の女のおっぱいはそうではなく,丸くて非常に形が美しい。丸くて乳首が短くて,赤ん坊が吸うには非常に不便であるということです。
 私はやったことがないのであまり分かりませんけれども,初めて子供さんを持ったお母さんが病院で,自分の生まれて初めて持った赤ん坊に自分のおっぱいをあげようとしますと,大変だそうですね。なかなかうまく吸いつけないですし,吸いついてもあまり押しつけたりしますと,今度は乳首の丸いところに赤ちゃんの鼻がびたっとくっついてしまって息ができなくなって泣くことがよくあるそうです。随分皆さん困って,看護婦さんがこうするのですよと教えないといけないそうです。
 ところが,ほかの動物はそんなことにはなっておりません。人間だけがそうなっているのです。非常に丸くて,とにかく子供におっぱいをあげるためには非常に不便な哺乳器官であるということで,変なことなのです。それが一つです。
 もう一つ変なことは,これは哺乳器官で,赤ん坊におっぱいをあげるために進化してきた器官なのに,どういうわけか男がそれを好きで,見たい,触りたい。だからセクハラという話が頻繁に起こっているのはそういうことなのです。しかも,それは赤ん坊が生まれるずっと前のお話です。本当は赤ん坊に乳をやるための器官であったはずなのが,男に性的な信号を与えるような器官になっているのです。
 それはどういうことなのだということを昔からいろいろな人は研究していたわけです。デズモンド・モリスというイギリスの動物行動学者ですが,この人のことは「あんな話はインチキだ」という話もありますからあまりまともに信じなくてもいいのですけれども,その人はこのようなことを考えたのです。つまり,人間は要するに類人猿ですから,メスは,自分はいいメスだろうということを相手のオスに知らせたいのです。類人猿やサルの仲間は,皆その「メスであるぞ」という信号はおしりなのですね。おしりが赤いなど,いろいろなものがあり,四つんばいで歩いていますから,おしりを見せて歩いていると,オスも四つんばいになって後ろから来て,前にいるおしりを見て,「おっ,いいおしりしているな,いいメスだな」と思い,そのメスを口説きに行くわけです。
 ところが人間は,何を考えたかこれもよく分かりませんが,まっすぐ立ってしまったのです。そして,人と会うときは目を見て向き合うようになってしまったのですね。ですから,女がいて,男がいて,話をしているときに,この女が男のことを気に入っていれば,自分がいい女でしょうと口説かれたいですし,自分も口説きたいわけなのですが,もともとはオサルの仲間ですから,要するに女である信号はおしりなのです。おしりはこちらを向いているのです。当の男は前を向いています。こちら向きに「いい女でしょう」と言いたいのですが,それはおしりが言っているわけなのです。それでデズモンド・モリスは多分,何とか前向きに言いたかったので,エイヤとばかりにおっぱいをおしりの擬態にしたのです。おっぱいを大きくしておしりにしてしまったのです。それを向けるのが前にいるわけですから,それをこうやって見せれば,「いい女でしょう」と言えるわけです。それで結局,おっぱいはそのようなものになってしまったのだろうというお話なのです(笑い・拍手)。

(司会) どうもありがとうございました。日高先生のお話,この間京都でしていただきましたが,このようなお話がどんどん出てきますので離れられなくなるのですね。動物行動学の日高敏隆先生に,もう一度拍手をお願いいたします(拍手)。

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 シンポジウムの司会をこれまで何度か経験したが、講演者と司会が妙に呼吸が合って、しかも笑いが取れた講演は日高氏が初めてだった。一期一会の名講演だった。

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