⇒ドキュメント回廊

★「里山海道」への道~上

★「里山海道」への道~上

   先にこのブログで紹介した、能登有料道路が「のと里山海道」=写真・上=に生まれ変わり2週間がたった。さっそく車で走行した知人たちと話していると、無料化のことより、案外と「のと里山海道(さとやまかいどう)」のネーミングが話題となっている。「季節が冬から春になったせいもあるが、走りの感覚と、里山海道の語感がぴったりとくる」と。全長83㌔は信号機もなく、料金所という停止のバリアもなくなり、時速80㌔での走りは確かに爽快である。

  滑り出しは上々かもしれない。パーキングエリア(PA)がどこもにぎわっている。先日、志雄PAで地域の名物として売り出し中のオムライス弁当を買おうとしたら売り切れていた。西山PAでは、駐車場(収容20台)が満杯で停めることができなかった。逆に、のと里山海道に利用客を奪われた国道249号や159号沿いのレストランやコンビニエンスストアは悲鳴を上げているに違いない。

   ところで、この「のと里山海道」のネーミングの由来にについて考察したい。名称は公募で選定されたものだが、おそらくこのネーミングのモチーフ(主題)にあるのは「能登の里山里海の道」ということだろう。「里」の字の重なりを避け、「海道」を充てることで上手に短縮した。「のと」としたのは「能登里山海道」では漢字ばかり6字も並んで読み難い上、硬いイメージを避けたいとの配慮からか。「能登の里山里海」は間違いなく、2011年6月に国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)によって世界農業遺産(GIAHS、Globally Important Agricultural Heritage Systems)の認定名「Noto’s Satoyama and Satoumi」=写真・中=から由来している。

   では、GIAHSの認定名となった「能登の里山里海」についてさらに考えをめぐらす。能登には「農山漁村」はあったが、「里山里海」という概念はなかった。能登に初めて「里山里海」の言葉と概念を持ち込んだのは金沢大学の中村浩二教授だった。今から7年前の2006年10月、能登半島の北端の珠洲市三崎町で「能登半島 里山里海自然学校」という環境保全プロジェクトを中村教授が中心となって立ち上げた=写真・下=。三井物産環境基金の支援資金を得てである。

    生態学者である、中村教授は生物多様性を育む里山や里海という概念に注目していた。里山里海自然学校では、博士研究員が現地に常駐し、地域住民の協力を得ながら生物多様性調査を行うことをメインに、地域の子供たちへの環境教育も実施した。主な取り組みを整理すると3つになる。1)里山里海の生物多様性や人々の生業についての現状調査、2)地域や大学,都市住民のボランティアによる里山里海の保全活動、3)地域の小中学校,高校や大学,地域住民を対象とした環境教育。能登では、単発的に研究者が訪れ調査をしていく、いわゆる「訪問型研究者」による調査研究がされてきた。しかし、里山里海自然学校の設置により、地域社会の中に定住して研究を行う「レジデント型研究者」を置くことになる。これが地域にインパクトを与えた。博士研究員(生態学)が「里山里海自然学校」の名刺を持ち地域と交流を重ねることで、生物多様性を包含した里山里海の言葉の意味が徐々に地域に浸透していくことになる。

   そのインパクトは、学術面でも現れる。博士研究員の専門はキノコ類である。地域の人たちと山歩きをする中で、コノミタケと呼ばれるホウキタケの仲間があり、すき焼きの具材として能登で珍重されていることを知る。鳥取大学の研究者とDNA解析をすること新種であることが分かり、「ラマリア・ノトエンシス(能登のホウキタケ)」(和名:コノミタケ)と学名を付けることになった。現場に足を運んで得られた臨地的研究の一つの成果であり、地域にとっても能登の名が冠せられた学名は誇りともなった。

   活動拠点となったのは旧小学校(小泊小学校)の廃校舎である。かつて地域住民が親しんだ、思い出の詰まる場所だけに、大学の活動拠点という「敷居の高さ」は低くなり、気軽に地域の人たちとの交流の場ともなった。それが地域に活動が浸透していくことに役立った面もある。

⇒14日(日)朝・金沢の天気    はれ

☆2012ミサ・ソレニムス~8

☆2012ミサ・ソレニムス~8

 きょう31日、金沢市内の商店街に買い物に出かけた。BGMは「第九」だった。おそらく日本人ほど第九が好きな民族はいない。その曲をつくった偉大な作曲家ベートーベンを産んだドイツでも、第九は国家的なイベントなどで披露される程度の頻度なのだ。それが、日本では年に160回ほど演奏されているとのデータ(クラシック音楽情報サイト「ぶらあぼ」調べ)がある。これは世界の奇観かもしれない。さらに、その奇観を鮮明にさせた人物がいる。指揮者の岩城宏之(故人)だ。世界で初めて、大晦日にベートーベンのシンフォニーを一番から九番まで一晩で指揮棒を振った人である。しかも2年連続(2004、2005年)。1932年9月生まれ、あのコーヒーのCM「違いの分かる」でも有名になった岩城宏之のことしは生誕80周年だった。

     マエストロ岩城の生誕80周年、「ベートーベンで倒れて本望」の偉業

 岩城さんとの初めての面識は17年も前だった。私のテレビ局(北陸朝日放送)時代、テレビ朝日系列ドキュメンタリー番組「文化の発信って何だ」を制作(1995年4月放送)する際に、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督で指揮者だった岩城さんにあいさつをした。初めてお会いしたので、「岩城先生、よろしくお願いします」と言うと、ムッとした表情で「ボクはセンセイではありません。指揮者です」と岩城さんから一喝された。そう言えば周囲のオーケストラスタッフは「先生」と呼ばないで、「岩城さん」か「マエストロ」と言っていた。初対面で一発くらわせれたのがきっかけで、私も「岩城さん」あるいは「マエストロ」と呼ばせてもらっていた。

 そのドキュメンタリー番組がきっかけで、足掛け10年ほど北陸朝日放送の「OEKアワー」プロデューサーをつとめた。中でも、モーツアルト全集シリーズ(東京・朝日新聞浜離宮ホール)はシンフォニー41曲をすべて演奏する6年に及ぶシーズとなった。あの一喝で「岩城社中」に仲間入りをさせてもらい、心地よい環境で仕事を続けた。

 「岩城さんの金字塔」と呼ばれるベートーベンの交響曲1番から9番の連続演奏に2年連続でかかわった。2004年12月31日はCS放送の中継配信とドキュメンタリーの制作プロデュースのため。そして翌年1月に北陸朝日放送を退職し、金沢大学に就職してからの2005年12月31日には、この9時間40分に及ぶ世界最大のクラシックコンテンツのインターネット配信(経済産業省「平成17年度地域映像コンテンツのネット配信実証事業」)のコーディネーターとしてかかわった。

 それにしても、ベートーベンの交響曲を1番から9番まで聴くだけでも随分と勇気と体力がいる。そのオーケストラを指揮するとなると、どれほどの体力と精神を消耗することか。2004年10月にお会いしたとき、「なぜ1番から9番までを振るのか」と伺ったところ、岩城さんは「ステージで倒れるかもしれないが、ベートーベンでなら本望」とさらりと。当時、岩城さんは72歳、しかも胃や喉など25回も手術をした人だった。体力的にも限界が近づいている岩城さんになぜそれが可能だったのか。それは「ベートーベンならステージで倒れても本望」という捨て身の気力、OEKの16年で177回もベートーベンの交響曲をこなした経験から体得した呼吸の調整方法と「手の抜き方」(岩城さん)のなせる技だった。

 2005年大晦日の演奏の終了を告げても、大ホールは観客による拍手の嵐だった。観客は一体何に対して拍手をしているのだろうか。これだけのスタンディングオベーションというのはお目にかかったことはなかった。番組ディレクターに聞いた。「何カットあったの」と。「2000カットほどです」と疲れた様子。カットとはカメラの割り振りのこと。演奏に応じて指揮者や演奏者の画面をタイミングよく撮影し切り替える。そのカットが2000もある。ちなみに9番は403カット。演奏時間は70分だから4200秒、割るとほぼ10秒に1回はカメラを切り替えることになる。

 「ベートーベンで倒れて本望」と望んだ岩城さんの願いは叶い、2006年6月に永眠した。インターネット配信では岩城さんに最初で最後の、そして最大にして最高のクラシックコンテンツをプレゼントしてもらったと私はいまでも感謝している。

⇒31日(月)夜・金沢の天気  くもり

★2012ミサ・ソレニムス~3

★2012ミサ・ソレニムス~3

  今月22日付のブログ「メディアの当確の精度」を書いた。その中で、「選挙事務所の独自の票読み」について述べた。これを若干補足したい。当確ラインをテレビ局に頼らず、独自で集票や票の出方を分析する古参の選挙参謀という人たちがいる。私は記者時代(新聞・テレビ)にこれらの人たちに取材し、逆に選挙運動のノウハウや票読みを教わったものだ。どこそこの地域の支持が少ない、なぜか、どうすれば支持を高めることができるかといった分析をして手を打つ人たちである。ところが、若くして立候補した人たちはそういった選挙参謀を必要としないと考えているようだ。有権者に直接訴え支持を得るのが選挙だと考えているからだ。こうした候補者は当落の予想を論拠立てて分析する手法を得てして有しない。つまり、蓋を開けてみないと分からない。だから、NHKや民放の開票速報をじっと待つということになる。

       衆院総選挙で有権者が選択したのは何だったのか

 さて、その総選挙を振り返る。自民が圧勝したのは、民主が経済対策を重視してこなかったからだ、との論調が目立っている。選挙後に株価が1万円台を回復し、円レートも84円台になったとか、日銀が国債など資産買い入れ基金の10兆円増額を決め、前年比上昇率2%のインフレ目標も次回の決定会合で検討するなど、自民の安倍総裁が求めに「満額回答」で答えたなどのメディアの報道が目立つようになった。

 12党1500人余りの候補者による総選挙は戦国時代か、関ヶ原の戦いのように、いくつもの合戦が同時に繰り広げられた観がある。では、本当の争点は何だったのだろうか、経済対策か原発か、外交か。朝日新聞が選挙前の12月14日付で掲載した世論調査で、投票先を決めるとき最も重視するのは何かを3択で尋ねている。それの回答では、「景気対策」61%が、「原発の問題」16%、「外交・安全保障」15%を大きく引き離していた。総選挙の公示日の12月4日、民主、自民、未来の3党首がそれぞえ福島県で選挙の第一声を上げた。民主と未来は「脱原発」を最初に訴え、自民は「被災地の復興を」とまず訴えた。

 ただし、自民の経済政策は、再び土建国家を復活させかのような印象で、借金(赤字国債)が無造作に増えても成長戦略で乗り切ろうという考えのように思えた。同じ印象を持ったのか、経団連の米倉会長は安倍氏の掲げる「大胆な金融緩和策」を、公示前(11月26日)に「無鉄砲」と批判していた。それでも、国民は脱原発の旗色を鮮明にすることで選挙を乗り切ろうとした民主に投票せず、「無鉄砲」と経済界からも批判された自民を選んだことになる。

  選挙後、民主が大敗したのは、有権者が「何やってんだ」とフラストレーションをぶつけた結果で、自民を「民主よりましな政党」と評価したにすぎない、とのメディアの論調があった。自省を込めての話だが、私もそのようにブログで書いた。が、果たして上記の自民の経済政策、有権者た求めた「景気対策」が合致した、さらに民主にお灸をすえたのが今回の選挙の特徴だったのか。

 それは比例の得票数を見れば分かる。自民は1662万票で、前回2009年の1881万票にも及ばなかった。得票率も27%で09年の26%とほぼ変わらなかった。投票率が09年より10ポイント低かったことも影響しているが、全国的に自民支持が広がったとは言い難いのである。ここから言えることは、有権者はこれまで以上に「党より人」を見究めようとしたのではないか、とうことである。選挙の風が吹くたびに「チルドレン」が量産されてきたことに、有権者は嫌気がさしていた。むしろ、争点はもちろんだが、その候補の実績や人柄を中心に厳しくチェックを入れ、人物を判断することになったのではないだろうか。

 上記の意味で、冒頭に述べた選挙参謀がいて、選挙事務所がしっかりしていて、政策だけを言いっ放しにするのではなく地域を細かく回り支持を訴えるというベーシックな選挙を展開した候補者が共感が得られた、とも推測できる。それが、小選挙区で自民が大勝した背景ではなかったのか。選ばれたのは党より、より信頼できる人柄だったのではないか。今夜、第二次安倍内閣が誕生する。

⇒26日(水)朝・金沢の天気   くもり

☆2012ミサ・ソレニムス~2

☆2012ミサ・ソレニムス~2

 「地球は温暖化しているはずなのに、この寒さは何だ」と叫びたくなる。朝起きてみると、自宅に周囲は20㌢ほどの積雪だ。2005年12月の異常寒波を思い出す。当時、厳しい寒波の原因として気象庁や専門家が注目したのは「北極振動」と呼ばれる現象だった。北極振動(AO、Arctic Oscillation)。北極は寒気の蓄積と放出を繰り返している。蓄積中は極地を中心に寒気の偏西風は円状に吹くが、ひとたび放出に切り替わると、北半球では大陸の地形から寒気が三方向に南下し、日本列島を含むユーラシア大陸などを蛇行する。今回はサンタならぬ、クスマス寒波だ。さて、「2012ミサ・ソレニムス~2」は事件簿を振り返る。

     善良な市民であり、凶悪な警察官であり…

 ことし記すべき事件簿ならば、本来、兵庫県尼崎市の連続変死事件だろう。ところが、殺人と逮捕監禁容疑で逮捕されていた主犯とみられる角田美代子容疑者(64歳)は留置場内での自殺(12月12日)。周辺で6人の遺体が見つかり、なお3人が行方不明の事件の捜査はこれから本格化するところだった。事件すら、衆院総選挙ですっかりかすんでしまった。

 年末に驚く事件が報じられた。現職の警察官が殺人と放火という前代未聞の罪を犯した。富山県警が22日、警部補で休職中の加野猛容疑者=54歳、富山市=を殺人と現住建造物等放火、死体損壊の疑いで逮捕したと発表した。ただ、続報でも、その殺しの動機が一切伝わってこない。なぜだ。

 報じられていることをまとめると、加野容疑者は高岡署留置管理課に勤務していた2010年4月20日正午ごろ、富山市大泉のビル2階の住居で、会社役員(当時79歳)と妻(同75歳)の首を、ひもで絞めて殺したうえ、持ち込んだ灯油をまいて放火し、死体を損壊した疑い。容疑者はこの日休みだった。殺された夫妻は2004年まで容疑者の住む同市森地区に住んでいて、夫妻とは30数年来のつきあいがあった、という。容疑者は消費者金融などから200万円前後の借金があったとも伝えられている。

 殺害があった5ヵ月後の2010年9月、自宅で睡眠導入剤を大量に飲み、自殺を図ったこと。当時勤めていた高岡署の上司や家族に宛てた複数の遺書が見つかっていたが、自殺を図った動機を「健康問題や家族の悩み」と説明していたという。夫婦殺害には触れていなかった。容疑者は当時、殺害された夫妻とつきあいがありマークされてた。ことし10月と11月に2度、地方公務法(守秘義務)で2度逮捕されている。9月、勤務していた高岡署内で、留置人の差し入れに訪れた男性に、男性の知人の暴力団員が近く逮捕されることを、別の知人男性には覚醒剤事件の捜査情報を漏らした疑い。

 一方で、容疑者はことし4月から町内会長を務めていた。世話好きだったらしい。また、採集した昆虫の標本を地区の文化祭に出展したり、育てたカブトムシを子どもたちに配ったりして、「昆虫博士」として地域で知られていた、と。

 奇妙なキャラクターではある。自殺を図る心理状況と、町会長を引き受けるテンションの高さ。昆虫標本の作成と生物分類の集中力と、捜査情報をつい知人に漏らすルーズさ。善良な市民であり、凶悪な警察官、この2面性は何だろう。

⇒25日(火)朝・金沢の天気  ゆき 

★2012ミサ・ソレニムス~1

★2012ミサ・ソレニムス~1

 昨夜(23日)金沢市の石川県立音楽堂コンサートホールで開催された、荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)の演奏を聴きにいった。石川県音楽文化協会などの主催で、もう50回目となり、県内では季節の恒例のイベントとして定着している。80分の演奏時間は、高揚感と緻密で清明感にあふれる。決して「長い」とは感じなかった。年末に荘厳ミサ曲や「第九」が響く都市というのはどれだけあるのだろうか。これが都市の文化力のバロメーターなのかも知れない。「キリエ (Kyrie)憐れみの讃歌」、「グロリア (Gloria)栄光の讃歌」、「クレド (Credo)信仰宣言」、「サンクトゥス (Sanctus)感謝の讃歌」、「アニュス・デイ (Agnus Dei)平和の讃歌」と進むちうちに心が高まり、金沢の地でこうして鑑賞できることに感謝した。

 作曲したベートーベン(1770~1827)が生きた時代、ヨーロッパでは貴族が没落し、都市から新しい価値観や思想が噴き出す過渡期だった。2008年5月、ドイツのボンに出張した折、ベートーベンの生家に立ち寄った。正確に言うと、夕方ですでに閉館だった。周囲に当時から変わらない広場があり、居酒屋が立ち並んでいた。そのうちの一軒に入ると、ビールのジョッキを手に語らう人々であふれていた。ベートーベンの時代に一瞬タイム・シフトしたような思いにかられたものだ。さて、今回のコンサートを聴きながら2012年を振り返るよいチャンスにもなった。「2012ミサ・ソレニムス」と題して、この1年を回顧したい。

       イフガオの棚田で考えた、「田の神」ブルルの今と未来    

 去年の今頃、気持ちはフィリピンにあった。年賀状で書いた文面はこうだった。「能登の里山里海が国連食糧農業機関の世界農業遺産(GIAHS)に認定されました(昨年6月)。半島の立地を生かした農林漁業の技術や文化、景観が総合的に評価されたものです。世界に12ヵ所あるGIAHS地域とネットワークを築くため、手始めに今月11日から6日間、フィリピンの『イフガオの棚田』に行きます。ささやかながら能登の明日に向けた新たな取り組みになればと思っています。2012年元旦」

 イフガオの棚田=写真=を実際に訪れたのはことしの1月13日だった。マニラから車で8時間余り。道路事情も決してよいものではない。にもかかわらずバスも運行している。1995年にユネスコの世界遺産として登録された世界最大規模の棚田(rice terrace)だからだ。標高1000から1500㍍、1万平方㌔㍍の山岳地帯に散在する棚田がある。もっとも美しく規模が大きいとされるのがバナウエの棚田といわれる。耕運機どころか、水牛のような家畜すら入れない斜面地だった。

 バナウエ市のジェリー・ダリボグ市長を表敬に訪れた。訪れたのは、金沢大学チームと、同日に合流した同じ世界農業遺産の佐渡市の高野宏一郎市長、国連食糧農業(本部・ローマ)のGIAHS担当スタッフ、石川県の関係者だった。バナウエは人口2万余りの農村。平野がほとんどない山地なので、田ぼはすべて棚田だ。バナウエだけでその面積は1155㌶(水稲と陸稲の合計)に及ぶ。市長の話では、その棚田は徐々に減る傾向にある。耕作放棄は332㌶もある。さらに、マニラなどの大都市に出稼ぎに出ているオーナー(地主)も多い。市長は「棚田の労働はきつい上に、水管理や上流の森林管理など大変なんだ」と将来を案じた。農業人口の減少、耕作放棄など、平地が少ない能登とイフガオで同じ現象が起きていると感じた。むしろ、共通の課題を探ることができた。

 興味が湧いたのは、現地では「田の神」ブルル=写真=の信仰があることだった。イフガオに米づくりをもたらした神様として崇められている。ここで日本では想像できない問題もある。フィリピンは多民族国家だが、9400万人の人口の8割はキリスト教徒だ。16世紀から始まるスペインの植民地化や、20世紀に入ってからのアメリカの支配による欧米化でキリスト教化されていったからだ。しかし、この地に根付くイフガオ族は歴史的にこうしたキリスト教化、地元でよくいわれる「クリスチャニティ(Christianity)」とは距離を置いてきた。コメに木に田んぼに神が宿る「八百万の神」を信じるイフガオ族にとって、キリスト教のような一神教は受け入れ難い。

 一方で、少数民族が住む小中学校では、欧米の思想をベースとした文明化の教育、「エデュケーション(Education)」が浸透している。現地、イフガオ州立大学で世界農業遺産(GIAHS)をテーマにしたフォラーム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」(金沢大学、フィリピン大学、イフガオ州立大学主催)が開催された。発表者からはこのクリスチャニティとエデュケーションの言葉が多く出てきた。どんな場面で出てくるのかというと、「イフガオの若い人たちが棚田の農業に従事したがらず、耕作放棄が増えるのは特にエデュケーション、そしてクリスチャニティに起因するのではないか」との声だった。これに対し、行政関係者からは一方的な見解との反論もあった。

 このフォーラムで自ら「純イフガオです」と語る気さくな研究者がいた。フィリピン大学のシルバノ・マヒュー教授(国際関係論)、日本には2度にわたって13年の留学経験を持つ。この問題で、マヒュー教授はこう話した。「イフガオ族には歴史上、王政というものはなかった。奴隷のような強制労働はなく、人々は平等な関係と意志で営々と棚田をつくり上げた。われわれイフガオの民はそのことに誇りに思っている。しかし、現代文明の中で、世界中どこでもそうだと思いますが、イフガオでもそうした昔のことを忘れてしまっています。昔と今とのギャップがどんどん開いていくと、保存する価値は薄くなってしまいます。ですから、例えばイフガオの人が、自分は別の所に住みたいと言って、祖先から伝えられた土地を忘れて離れていってしまうという問題を解決する方法があればいいと切に願っています」

 来年1月14日、シルバノ・マヒュー教授らを招いて、「国際GIAHSセミナー」(金沢市文化ホール)を開催する。我々はこの文明の中で、里山や農業、米づくりをどのように価値づけしていけばよいのか、そのような話をしていきたいと願っている。

⇒24日(振休)朝・金沢の天気  ゆき

☆フードバレー十勝の農力

☆フードバレー十勝の農力

 気温マイナス20度を初めて体験した。冷気を吸って気管支が縮むのか、ちょっと息苦しい感じがした。25日に訪れた北海道・帯広市でのこと。夜中に小腹がすいて、コンビニに買い物に外出したときだった。金沢ではマイナス1度か2度で寒いと感じるが、帯広では身を切る寒さを実感した。翌朝のNHKのロ-カルニュースでマイナス20度と知って、2度身震いした。

 シンポジウム参加のため、冬の帯広にやって来た。帯広畜産大学と帯広市が主催する「第5回十勝アグリバイオ産業創出のための人材育成シンポジウム~十勝の『食』を支える人づくり~フードバレーとかちのさらなる前進を目指して~」(1月26日、ホテル日航ノースランド帯広)。シンポジウムの講評をお願いしたいと依頼があり、引き受けた。帯広畜産大学は帯広市と連携して、平成19年度から5年計画で「地域再生のための人材養成」のプログラム「十勝アグリバイオ産業創出のための人材育成事業」を実施している。社会人を対象に、十勝地方で産する農畜産物に付加価値の高い製品を産み出す人材を養成しようと取り組んでいる。今回のシンポジウムはいわばこの5年間のまとめのシンポジウムでもある。帯広市(人口16万)を中心とする十勝地方(19市町村)の農業産出額は北海道全体の4分の1を占め、一戸あたりの農家の平均耕作面積は40㌶に及び、全体でも26万㌶、全国の耕地の5%に相当する。食料自給率は1100%、小麦やスイートコーン、長芋などは全国トップクラスの生産量を誇る。年間2000時間を超える日照時間も強みだ。帯広畜産大学の取り組みはこうした恵まれた環境に甘んじることなく、「さらに十勝の農力を伸ばせ」と人づくりにチカラを注いでいる。

 十勝の自治体も合併ではなく、近接する市町村が様々な分野で相互に連携・協力する「定住自立圏形成協定」を結び、さらに農業経済を活性化かせるために「フードバレーとかち推進協議会」(19市町村、大学、農業研究機関、金融機関など41団体)を結成。フードバレーとはフード(food=食べ物)とバレー(valley=谷、渓谷)の造語だが、オランダが発祥地。バレーといっても谷がある訳ではなく、食に関する専門知識の集積地を目指しているのだ。さらに、昨年12月には食の生産性と付加価値を高めることで国際競争力の強化を先駆的に推進する国の国際戦略総合特区に指定されている。食へのこだわりを生産地からとことん追求する、そんな印象だ。シンポジウムも、気温マイナスにもかかわず、会場は熱気があった。

 気になった点が一つあった。27日付の読売新聞北海道版で、「カナダの団体とTPP反対で一致 JA道中央会長」の見出しのベタ記事だ。JA道中央会長がの記者会見で「カナダの農業団体と協力してTPP(環太平洋経済連携協定)に反対する」と述べたとの記事内容。一戸あたりの農家の平均耕作面積が40㌶に及ぶ十勝地方、さらに北海道の農業が国の国際戦略総合特区に指定されたのも、TPPを迎え撃つ準備かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。関税の撤廃で、酪農や小麦の生産が打撃を受けるとの懸念があるようだ。

 過疎化が進む、本州や四国、九州の農業と違って、すでに大規模農業で有利な北海道から農業革命を起こし日本の農業をリードしてほしい、と願う。シンポジウムの熱気からそんなことを感じた。

※写真は、街角の氷の彫刻。気温が日中でもマイナス10度ほどあり融けない=帯広市内

⇒27日(金)朝・帯広の天気  はれ

★2011ミサ・ソレニムス-7

★2011ミサ・ソレニムス-7

 きょう30日の東京株式市場は、日経平均株価の終値が前日より56円46銭(0.67%)高い8455円35銭だった。1年最後の取引日の終値としては、1982年の8016円67銭以来、29年ぶりの安値を記録した。1982年の出来事を調べると、三越・岡田茂社長が取締役会で解任され、「なぜだ!」という言葉が話題となった。その後、背任で愛人とともに逮捕(三越事件)された。東京・赤坂のホテルニュージャパンで火災が発生し33人が死亡。あみんの歌「待つわ」がヒットし、タモリの「笑っていいとも!」がスタートした年だった。福沢諭吉の肖像画の1万円札が発行された年でもある。この年、日本の経済は、世界の同時不況とアメリカの高金利で、これまでの輸出主導型の経済が制約され、国内需要がなんとか経済の成長を支えていた。景気の谷だった。その4年後から、日本の株と土地の異常な値上がりで1991年までバブル景気に日本人は踊ることになる。

           悲報に慣れるな、ニュースに流されるな、希望をつなごう

 その年から29年たった2011年は、東日本大震災による被災や外国為替市場での歴史的な円高水準の定着、世界的な景気後退など、日本の経済を圧迫する不安材料がいくつも重なった。当然、投資家の心理も冷え込み、株価を押し下げた。欧州の財政危機の長期化懸念も広がっている。

 先月(11月)15日、担当するジャーナリズム論で、北陸銀行の高木繁雄頭取に講義をいただいた。題して「私の新聞の読み方」。その中で印象に残るシーンがあった。経済学者アダム・スミスの『道徳感情論』(1759年、グラスゴー大学の講義録)を引き合いに出して、一文(日本語訳文)を頭取が読み上げたのだった。

 「いま中国の大帝国が地震のために、その無数の住民とともに陥没したと仮定せよ。そして、かかる地球の一角になんら関係のないヨーロッパの人道の士が、この恐るべき災害の報に接してどのように感ずるかを考察してみよう。ひそかに思うに、彼はまずこの不幸な人々の災難にたいして強い哀悼の情をあらわし、人間生活の無常なることや、瞬間にして潰滅しさる人の営みの虚しきことについて、幾多の憂鬱な想いにふけるであろう。また彼が投機的な人間であるなら、おそらくこの災害がヨーロッパの商業、ひいては世界の商取引一般に及ぼす影響について多くの推察を試みるであろう。さて、すべてこうした哲学がひと段落を告げ、こうした人道的感情がひとたび麗しくも語られてしまうと、あたかもこんな出来事がぜんぜん突発しなかったかのごとく、以前と同様の気楽さで、人々は自分自身の仕事なり娯楽なりを続け、休息し、気晴らしをやる。彼自身に関して起こる最もささいな災禍のほうがはるかに彼の心を乱すものとなるのである。もしもあした、彼の小指を切り落とさなければならないとするなら、彼はたぶん、今宵は寝もやられぬであろう」

 この一文に耳を傾け、「中国の大帝国」を「日本」に置き換えれば現代でも通用する、実に分かりやすいたとえとなる。人類というのは災害など悲報に接し、哀悼し自らのこととして麗しく道徳的な感情になる。ただ、それはいったん語り終えられると、その道徳的な感情は長続きはしない。私の身の回りでも、2007年3月に能登半島地震があり多くの家屋が倒壊し海外ニュースにもなった。ただ、今はそのことすら思い出せない人々が多い。高木頭取が言いたかったのは、ニュースに流されるなということなのだ。「報道されなくなったからと言って、危機が去ったわけではない。より大きなニュースや事件があれば、結果として報道は偏ってしまう」と。道徳的な感情は流されやすい。だから、自らで手でニュースを探究せよと学生たちに呼びかけたのだ。

 我々日本人は悲報に慣れきっているのではないか。これが当たり前だ、と。経済が29年前と同じ水準に戻っても、仕方ないとあきらめるのか。悲報に接してもあすを、来年を良い日、良い年にしようというモチベ-ションを持たねばはあすが続かない。シリーズ「2011ミサ・ソレニムス」をこれで終える。

⇒30日(木)夜・金沢の天気  くもり

☆2011ミサ・ソレニムス-6

☆2011ミサ・ソレニムス-6

 29日、イタリアの10年物国債の流通利回りが危険水準とされる年7%を超えたことなどを背景にユーロ売りが加速して、円相場が100円近くに上昇したとのニュースがテレビ、新聞などで掲載された。この1年の経済で最も危機感をあおったのはこのユーロ危機だろう。シリーズ「2011ミサ・ソレニムス(荘厳ミサ曲)-6」ではヨーロッパのこの1年を想ってみたい。

           「働かないギリシャやイタリヤに意義がある」

 相当な影響だろう。イタリア経済はギリシャとは比べものにならない、ドイツ、フランスに次ぐユーロ圏3位の経済力を持つ国なのだ。さらにギリシャはすでにデフォルト(破綻)していると見方がある。実際、ギリシャ10年債利回りは30%を超えている。欧州首脳会談では、ギリシャの国債の50%の元本減免されたが、残り50%も支払われるかどうかはもわからない。これが危機感の連鎖をもたらしている。

 先月(11月)10日の誤送信問題を思い出した。アメリカの格付け会社「S&P」が、フランス国債の格付け引き下げを知らせるメールを「誤送信」したことで市場が一時混乱した。ギリシャ、イタリアに続き、フランスまでもと市場も国際政治も騒然としたことだろう。S&Pはその後の公式発表で、「誤送信」とした。でもこれは常識で考えれば「予定原稿」だろう。利用しない原稿を準備するはずがない。これが混乱が混乱を招くユーロ圏の実態だと思えばよい。

 ヨーロッパの実質経済もよくない。ニュースを総合すると、欧州主要国の経済予測を見ると、来年は今年よりも厳しい見込みが出ている。実質経済成長率では、ドイツでさえ2.9%から0.8%へ下落の見通し。ドイツ政府が11月に発表した9月の鉱工業生産指数は前月比2.7%低下し、第3四半期終盤に生産の勢いが急激に失速していることを示していると伝えられた。スペイン、ポルトガル、ギリシャ、イタリアなど経済の調子が悪くなるに連れ、EU圏内での取引が多いドイツ経済に徐々に悪影響が出てきているのだろう。

 ここまでも話を進めると、かつてギリシャは歴史的に「民主主義」を生み出した国だったが、いまや「衆愚政治」に陥った国、そしてイタリアもフランスも同じ轍を踏んでいると思ってしまう。そして、今やその衆愚政治は治療できない、本当の欧州危機ではないかと多くの人が考え込んでいる。

 ことし夏に読んだ本の中に、『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐著、メディアファクトリー新書)がある。進化生物学者である著者の言いたいことを私なりに解釈すると次のようになる。昆虫社会には人間社会のように上司というリーダーはいない。その代わり、昆虫に用意されているプログラムが「反応閾値(いきち)」である。昆虫が集団行動を制御する仕組みの一つといわれる。たとえば、ミツバチは口に触れた液体にショ糖が含まれていると舌を伸ばして吸おうとする。しかし、どの程度の濃度の糖が含まれていると反応が始まるかは、個体によって決まっている。この、刺激に対して行動を起こすのに必要な刺激量の限界値が反応閾値である。

 人間でいえば、「仕事に対する腰の軽さの個体差」である。きれい好きな人は、すぐ片づける。必ずしもそうでない人は散らかりに鈍感だ。働きアリの採餌や子育ても同じで、先に動いたアリが一定の作業量をこなして、動きが鈍くなってくると、今度は「腰の重い」アリたち反応して動き出すことで組織が維持される。人間社会のように、意識的な怠けものがいるわけではない。

 これを少々乱暴な論の進め方であるが人間社会で想像してみる。人々の働きによって金がぐるぐる回る資本主義社会ではギリシャやイタリアの反応閾値はよくなかった。しかし、世界が混乱に陥り、人類が新たな文明の理念を求め始めたとき、「腰の重い」ギリシャやイタリアから新たな思想や英雄が現るのかもしれない。本のタイトルになぞらえれば「働かないギリシャやイタリアに意義がある」と。そう願いたい。

⇒29日(木)夜・金沢の天気   ゆき
 

★2011ミサ・ソレニムス-5

★2011ミサ・ソレニムス-5

 大学の授業のTA(テーチィング・アシスタント)をしてくれている中国人留学2人を誘って、先日忘年会をした。金沢の居酒屋でのささやかな宴(うたげ)。刺し身、生春巻き、焼き鳥、そして飲み物はワインだ。中国ではビール、紹興酒だけでなく、意外に中国の若者はワイン党なのだとか。彼女たちは「日本の食べ物はおいしい。安全ですから」と喜んだ。中国でも国民は食の安全性にとても敏感になっていると言う。少々価格は高いが日系資本のスーパーマーケットを利用する中国の消費者も増えている。

            「ヘビが住む家から鳥は飛び立たない」ロシアのことわざ

 彼女たちは本国の食の事情を嘆いた。「毒菜」という言葉があるそうだ。姿やカタチはよいが、使用が禁止されている毒性の強い農薬(有機リン系殺虫剤など)を使って栽培された野菜のことを指す。「下水油」というのもある。残飯やどぶの汚水などを処理して精製した油、あるいは劣化した油を処理して見栄えをよくした油で実際に年に何万㌧も出回っていて、最近摘発された。「同年代の若い人たちは屋台の食堂には行かなくなりましたよ。なんだか怖くて」と。中国のゆがんだ「食」をただしていくのはネットで情報を共有し合える若い世代なのかもしれない。

  先日、あるロシア人事業家と話す機会があった。彼は、中古の乗用車や建設機械、漁船などを日本国内や極東ロシアに販売する仕事をしている。将来はインドやアフリカにも販売ルートを拡大したいとプランを練っている。その彼が意外なことを口にした。「年々、ロシアのビジネス環境は悪化している」と。ロシアは今月(12月)16日、世界貿易機関(WTO)の加盟承認を得て、批准手続きを経て154ヵ国目の加盟国となる予定だ。資源依存度が高いロシアは2008年のサブプライムローン金融危機による需要の低迷から一時原油価格が急落し打撃を受けたが、WTO加盟でさらに経済の多様化に弾みがつき、ビジネス環境はむしろよくなっていると素人目にも映っていたのだが。

 彼は続けた。「ロシアのことわざに、ヘビが住む家から鳥は飛び立たない、とね」。何を意味しているのかというと、WTO加盟に向けた動きなどビジネス環境はよくなって見えるものの、現実は「国内のエネルギー産業は国が統制する」とのプーチン大統領時代からの方針があり、たとえば天然ガス生産量世界最大のガスプロム社は政府の株式保有比率は過半数を超える半国営企業だ。また、ロシア最大規模の石油会社ユコスの創業者が脱税事件で逮捕され(2003年10月)、会社そのものが解体された。そうした政府による経済支配はメドベージェフ大統領になっても引き継がれ、今ではエネルギー産業にとどまらずさまざまな経済分野に及んでいる。大統領の背後でにらみを利かせるプーチン首相、さらにそのバックヤードでかつてのソ連国家保安委員会(KGB)人脈がうごめく。彼はそのビジネス環境を「ヘビが住む家」とたとえたのだ。

 ニュースによると、今月(12月)4日のロシア下院選挙をめぐり、与党「統一ロシア」の不正疑惑への抗議が続いて、24日にはソ連崩壊後最大となる集会がモスクワであった。来年3月の選挙で大統領復帰を狙うプーチン首相。「プーチンなきロシアを」と叫ぶ民衆にはくだんのロシア人実業家と同じ閉塞感があるのだろうか。隣国ロシアの2012年の動きが気にかかる。

※写真は中国・北京の紫禁城(故宮)の竜の扉

⇒28日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆2011ミサ・ソレニムス-4

☆2011ミサ・ソレニムス-4

 ことし7月24日にテレビのアナログ放送が停波(岩手、宮城、福島の3県を除く)、デジタル放送に完全移行した。1953年に誕生した日本のテレビはカラー化やハイビジョンなどの技術革新を経て、2011年にようやくデジタル化へ到達したとの感はある。しかし、私の周囲の地デジに関する評判ははかばかしくない。「高いテレビ買ったのだが、何のために地デジにしたのか未だによくわからない」「地デジって、BSのチャンネルが増えただけなのか」「視聴者が投資をしたのに、テレビ局はどんな投資をしたのか、画像がきれいになっただけじゃないか」など。視聴者は「テレビ新時代」を実感していないのが現状なのだ。

           地デジの「テレビ新時代」、ローカル局からアピールを

 今月(12月)22日午後、金沢市内で地デジに関するシンポジウムが開催された。タイトルは「地デジ化のメリットの視聴者及び地域への還元に関するシンポジウム~地デジの特徴を生かした番組づくりの充実、空いた電波の地域のための活用等~」(総務省北陸総合通信局など主催)=写真=。どうしたら「地デジに変わって本当によかった」と視聴者に実感してもらえるか、北陸の電波行政や放送事業に携わる130人が集った。このシンポジウムではパネリストと参加し、いくつか意見や提案を述べさせてもらった。

 地デジの特徴を生かした番組づくり、それはデータ放送やマルチ編成、ネットとの連携などのほか、地デジ化により空いた電波の地域への活用など地デジ化のメリットを視聴者や地域にどう還元するかだ。しかし、たとえばデータ放送にしては、機材が高価、専門技術者が不足している、放送局にとっては慣れていないメディア、機器や制作システムの操作性、煩雑な検証作業、新しい収益モデルが描けないなどの理由でテレビ局側が二の足を踏むケースが多かった。本音で言えば、データ放送は投資が大きい割には儲からないメディア、というわけだ。

 ところがローカル局でも、一部のテレビ局が動き始めている。彼らは口をそろえて「今動かないことがリスクだ」と言う。そして、今までのビジネスモデルだけに頼れない、キー局依存からの自立、地方独自の番組や広告づくり、通信メディアを積極的に取り込み、テレビを中心としたクロスメディアの番組と広告の展開など、さまざまなアプローチを試行している。シンポジウムではいくつか事例が報告された。「地デジとワンセグのデータ放送を活用した地域放送サービス」(NHK富山放送局)、「5.1CHサラウンド放送への取り組み」(北日本放送)、「エリアワンセグ放送の実証実験」(富山テレビ放送)、「データ放送のローカル送出実現と地域情報の提供」(チューリップテレビ)、「自社制作データ放送、クロスメディア展開による地域情報の独自発信」(テレビ金沢)など。これらの発表を若手のテレビマンたちが行い、その可能性を感じさせた。

 パネル討論では、いくつか意見や提案をした。その一つはデータ放送について。「『詳しくはウエッブへ』というCMがあるが、私自身はテレビのCMを見てインターネットを起動したことはない、また、それでネットを検索したという知人の話を聞いたこともない。もともとテレビの情報というのは揮発性が高く、視聴した瞬間は印象深いが記憶にとどまらない。パッと消え去ってしまう。キーワードを覚えて、ネット検索するという人はごく限られているのではないか。それよりむしろ『詳しくはDボタンへ』と誘った方がよい。少なくとも視聴者には親切だと思う。地デジは自己完結型のメディアでもある」

 そのほかの提言。「北陸の冬は電気の使用量が気になり、節電ムード。そこで、電力会社からデータを得て『でんき予報』をデータ放送で実現してはどうか。視聴者の関心は高い。テレビは速報性が基本である」「若者のテレビ離れと一口に言うが、問題はデジタル・ネイティブ(物心ついてからケータイやPCが周囲にあった世代)をどう取り込むか、だろう。彼らのどんな感性をくすぐる番組をつくっていけばよいのか」

 地域におけるテレビ局、地域における大学というのはよく似ている。何もしなけらば製作費というコストがかからず経営は安泰かもしれないが、地域における存在価値は高まらない。むしろ、地域を照らす、つまり地域の文化価値や社会価値を掘り起こして、全国と比較、また世界で通用する価値なのか検証する必要があるだろう。地域に寄り添うメディアとして、テレビの新時代をぜひローカル局からアピールしてほしい。

⇒27日(火)夜・金沢の天気   くもり